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2006年12月19日 (火)

韓国の教育基本法

 私は、教育基本法の基本的性格は、市川昭午先生も言われるように、「理念法」ではなく「施策法」とすべきだと思います。つまり、国民教育に国家が関与する場合の基本原則を定めるものであって、教育理念を高らかに謳いあげるものではない、地味なもので良いと思うのです。

 その点、韓国の教育基本法は、その第1条において次のように規定しています。
第1条 (目的)この法律は,教育に関する国民の権利・義務と国家及び地方自治団体の責任を定め,教育制度及びその運営に関する基本的事項を規定することを目的とする。

 つまり、あれだけ、儒教的道徳規範意識の強い国において、それを教育基本法に明記する必要を感じていないということです。このことに注目すべきです。つまり、その必要がないほど規範意識が国民一般に根付いているということで、逆に言えば、日本の場合は、脱宗教意識が徹底しすぎていて、無規範状態に陥りつつあるということかもしれません。

 しかし、だからといってこれを、法律で決めて、守らなければ罰するぞということで外面的な強制力でもって教え込むことができるでしょうか。また、その弊害はないでしょうか。

 実は、日本人は江戸時代にも似たようなことをやりました。それは、キリシタン弾圧の一方策として徳川幕府は日本人を強制的に仏教信者にし、戸籍登録という形で寺の檀家制度に組み入れたこと、「いわば宗教が政治の下請けをするという関係が生じたのである。太田錦城は(明和2年・1765年生まれ)は、『梧窓漫筆拾遺』という本の中でこの関係を次のように記している。
 天主教は破られて、宗門、宗旨ということ定められてより、仏法盤石の固めをなせり。僧というもの、検死の役人になりたり。・・・・能々考うれば、僧徒には大功ありて真の仏法には大害あり。是よりして、僧徒は無学にても、不徳にても、事すむことになりたれば、これ僧徒には大利ありて、破戒不如法の僧のみ多くして、仏理を弁じ、仏心を得るもの、掃地にして絶え、今時の甚だしきに至れば、仏法は滅却したりとも言うべし。是仏法には大害なり・・・。」(『受容と排除の軌跡』山本七平p149)

 この事態が今日に及んでいることに慄然とするのは私だけでしょうか。

 ところで、私は年来、我が国の教育改革の基本的視点として、「教育をする側と受ける側の権利義務関係を明確にすべき」と主張してきました。というのは、義務教育といえども、児童・生徒、保護者に権利だけがあるのではなく義務もあるのだということを、明確する必要があるのではないかということです。

 この点、韓国の教育基本法は、「施策法」としての性格が明確であると同時に、教育を受ける側(学習者)の義務も次のように明記しています。

第12条 (学習者)学生を含んだ学習者の基本的人権は,学校教育又は社会教育の過程で尊重され,保護される。
 教育内容・教育方法・教材及び教育施設は,学習者の人格を尊重して,個性を重視するとともに,学習者の能力が最大限に発揮されるように講じられなければならない。
 学生は,学校の規則を遵守しなければならず,教員の教育・研究活動を妨害したり,学内の秩序を乱してはならない。
   
第13条 (保護者)父母等の保護者は,その保護する子女又は児童が正しい心を持ち,健康に成長するよう教育する権利と責任を持つ。
 父母等保護者は,その保護する子女又は児童の教育に関して学校に意見を提示することができ,学校はこれを尊重しなければならない。
 
 なんか、俳優だけでなく、教育基本法も韓国に負けそうですね。

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