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2007年4月

2007年4月14日 (土)

山本七平の不思議4

 漫画家の手塚治虫は山本七平の愛読者で、山本もメンバーの一人だったデザイン会議が熊野で行われたとき講師として招かれました。その時、手塚は半蔵門病院に入院中でしたが、病院から抜け出して出席し、会議のあとのパーティーで山本に「あなたを心から尊敬していました。先生の本を愛読しています」といい、「お会いできて、もう思い残すことはありません」と語ったといいます。(『怒りを抑えし者』p445)

 一般的に、山本七平のパーソナリティーについては、『日本人とユダヤ人』や『日本教について』のイメージが強すぎて、イデオロギッシュな理解のされ方をすることが多いのですが、彼自身の基本的立場は、決してそのようなものではなく、それは、日本人を無意識裡に拘束している「ものの感じ方やとらえ方」を、宗教的レベルで捉えその歴史的連続性を明らかにすることにありました。

 そうすることによって、つまり、日本人を無意識裡に拘束している「考え方の枠組」を明らかにしそれを対象化することによって、かって、彼自身とその一族さらに日本人自身をも破滅の縁に追いやった「現人神思想」、そのもたらす「空気支配」を克服せんとしたのです。「日本教」という言葉は、そうした「考え方の枠組み」を理解するための基本概念であって、特別日本人を称揚するためのものではありませんでした。

 とはいうものの、『日本人とユダヤ人』が、敗戦ショックさめやらぬ当時の日本人に、自らの伝統文化に対する自信を取り戻させる上で、一つのエポックメーキングな契機となったことは否めない事実です。このことは、本人の予期に反して、二百万部を超す大ベストセラーとなったことで明らかですが、おそらくこれは、昭和45年当時の日本人の経済の高度成長による自信回復の気分と照応していたのだと思います。

 この点『日本人とユダヤ人』には、山本七平自身のものではない別の視点が加わっていると思います。その一つは、「日本人を政治天才とする一方ユダヤ人を政治低能」とする視点です。おそらくここには、この本作りに関わったユダヤ人ミンシャ・ホーレンスキー(山本七平によれば、ユダヤ人のくせにユダヤ人嫌いであり、ユダヤ人のものの考え方や生きざまについて辛らつな批評をするのが常だったという。『怒りを抑えし者』p399)の視点が加わっていると思います。

 また、もう一つの視点は、「安全と自由と水のコスト」の記述に見られるような「スパイ的」視点です。そこには次のような記述があります。
 「私は昭和16年に日本を去り、20年の1月に再び日本へ来た。上陸地点は伊豆半島で、三月・五月の東京大空襲を東京都民とともに経験した。もっとも、神田のニコライ堂は、アメリカのギリシャ正教徒の要請と、あの丸屋根が空中写真の測量の原点の一つとなっていたため、付近一帯は絶対に爆撃されないことになっていたので、大体この附近にいて主として一般民衆の戦争への態度を調べたわけだが、日本人の口の軽さ、言う必要もないことまでたのまれなくても言う態度は、あの大戦の最中にも少しも変わらなかった。・・・相手を信用し切るということと、何もかも話すということは別なのである。・・・個人の安全も一国一民族の安全保障も、原則は同じであろう。しかし、日本では、カキに果たしてからが必要なりや否やで始まるから、知らせないこと、知らないことも、安全には必要だなどという議論は問題にされない。さらに防衛費などというものは一種の損害保険で、「掛け捨て」になったときが一番ありがたいのだ、ということも(戦前戦後を通じて)、日本では通用しない。」同書p22)

 言うまでもなくこの「スパイ的」視点は、この本作りに関わったもう一人のユダヤ人ジョン・ジョセフ・ロウラー(山本七平によれば「戦時中は対日諜報関係の仕事をしていたらしい」)のものでしょう。

 そして、おそらくこれが、当時の日本人に最も強烈なインパクトを与えた視点で、これは、第12章の「しのびよる日本人への迫害」(国家という国民の生命財産を守る安全装置を持たないままに、経済力だけで他の体制に寄生して生きることを余儀なくされたユダヤ人がどのような迫害を受け続けてきたかについて述べたもの)とともに、日本人の「安全観」の根本的な転換を迫るものとなりました。

 同時に、こうした視点に反発を感じる人たちは、イザヤ・ベンダサンを山本七平に同定することでその虚偽性を暴露し、氏を保守・反動=軍国主義の手先ときめつけることによって、その言論を封殺せんとしました。(これこそまさに言論を言論として評価せず、それを相手の政治的立場を判別するための「踏絵」として差し出す日本人の伝統的考え方を象徴するものといえます。)

 それから、もう一つの視点、実はこれが最も重要な視点ですが、『日本人とユダヤ人』という本は、はあくまでも「ユダヤ教徒」の視点から書かれたものであるということです。例えば、次のような記述があります。

 「新約聖書はキリスト教文書ではない。後代のものと一部の例外を別にすれば、これはあくまでも『新約時代のユダヤ教文書』であって、キリスト教の成立と新約聖書の間には少なく見積もっても三百年の開きがある。キリスト教徒のいう『三位一体』などは新約聖書のどこを開いても出てこない。第一、人間が神を十字架に付けて処罰するなどという思想は、モーセ以来の超越神の下に生きていた当時のユダヤ人の思想の中にあるわけがない。ニケーア会議までのキリスト教徒内の、現代人には全くわけのわからぬような論争は、イエスは神であるという思想を何とかこじつけて新約聖書に結びつけようとしたことにある。キリスト教は確かに聖書に依拠している。だが、聖書はキリスト教にその存立を依存しているわけではない。いわばキリスト教の一方的な片思いだから、たとえキリスト教が消えても聖書は残る。この関係はあくまでも明確にしておかねばならない。」(『日本人とユダヤ人』山本書店p134)

 「ユダヤ人すなわちユダヤ教徒が、キリスト教徒に対して徹底的に反発したことの一つは、彼の偉大性は、その出生が常人と違う点にあるというキリスト教徒の主張である。これはモーセ以来の伝統的な考え方と絶対に相いれない。生まれながらにして偉大なる人間などというものは、ユダヤの歴史には存在しなかった。モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデ、エリヤから偉大なる預言者たちに至るまで、すべて、生まれたときはただの人である。彼らがなぜ偉大なる仕事をなしえたか、それは神に召し出され、神に命じられ、そして使命を立派に果たしたからに外ならない。モーセは捨てられた子であった。サムエルは第二夫人の子であった。ダビデは一郷紳の末子であり、エリヤなどは文字通り、どこの馬の骨かわからないし、そしてその他の多くのものは、出生すら記されていない。また、この神の召命とか神より与えられた使命とかいうものは、当人にとっては有難いことでも、うれしいことでもなかった。モーセは何とかして苦しい使命から逃れようと、一心不乱に辞退している。人間は神の前に平等である。そして神から使命を託された人のみが指導者たりうる。これは神の一存によるのであるから、その使命によってある地位についたからといって、それを自分の所有物のように子孫に譲渡することはできない。これがユダヤ人の根本的な考え方であった。」(同上p137)

 また、「少々、苦情を!」の章の「目には目を、歯には歯を」では、この言葉は決して「撲られたら撲り返せ」というような復讐の公認もしくは奨励を意味するものではなく、「与えた損害に応じて正しく損害賠償をせよ」という意味であると述べた上で、次のようにキリスト教徒を非難しています。

 「一体どう読めば、撲られたら撲りかえせという意味になるというのだろう。全く不思議である。もっともこれには、キリスト教徒の悪意ある解釈もあろう。彼らは言う『ユダヤ人は復讐を公認した。しかしキリストは右の頬を打たれたら左の頬を出せといった。キリスト教はユダヤ教の復讐公認を否定した愛の宗教であると。』ご立派である。二千年間、そのようにユダヤ人に実行してくれたら、私は何もいわずに頭を下げよう。だが忘れないでいただきたい。『右の頬を・・・』という言葉も、旧約聖書からの(広い意味での)引用であることを。『おのれを打つ者に頬を向け、満ち足りるまで、恥かしめを受けよ。口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう』というエレミヤ哀歌の一節であることを。キリスト教徒よ、これを実行してきたのは、あなた方ではない。私たち、ユダヤ人なのだ。ユダヤ人イエスの言葉を語るとき、それを忘れないで欲しい。」(同上p170)

 いうまでもなく、山本七平は、『日本人とユダヤ人』の版権収入をはじめ、山本七平名で書かれた自著の利益のほとんどを山本書店が出版した聖書学関係の書物や論文集の出版費用にあてた、といわれるほどの敬虔なクリスチャンでした。その彼が、『日本人とユダヤ人』に関する関根正雄氏の次の批評を読んだとき、私は本書を出した甲斐があったと思った、と次のようにいっています。

 「(二)次に著者の聖書の見方はやはり余りにユダヤ的である。旧約の理解ですら私にはそう思われる。著者は聖書の神を全く人間を超えたものと見、それを人間教としての『日本教』と対比するのであるが、新約では神は人となったという点に中心があり、その萌芽は旧約のかなりの部分に見出される私は思っている。そこで日本人が人間中心であるとしても、その評価は著者とはかなり違ったものとならざるを得ない、・・・。
 次に、別のページでまた本書にふれられ、『・・・誡命の問題は日本人には本当にはなかなか分からないもので、その点の指摘だけでも、ベンダサンの著書は一読の価値がある。ベンダサンは『信仰のみ』ということについて書いているが、日本のキリスト教の機微にふれたこういう観念は全く驚きである』と評価し、ついで『この書は日本人が偽名で書いたのではないかという噂があるそうで、先日もある新聞社からそのことについて問い合わせがあった。。もちろんそんなことがあるわけがない』と結ばれている。
 私の出版の動機も実はこの点にあった。ベンダサン氏は『日本人は聖書は理解できない』とはっきり断定している。私は聖書図書の専門出版社だから、これを肯定するわけにはいかない。そして氏の論証の前にタジタジとなったのは私であった。」(「イザヤベンダサン氏と私」『諸君』S46)

 もし、ベンダサン=山本七平とするなら、こうした主張を氏はなぜする必要があったのか。冒頭に紹介した如く、手塚治虫をも心酔させるほどの山本七平の人格、それは、その後の山本七平名で発表された諸著作を通じて自ずと感得されるものですから。(それにしても両者の論理には共通点が多く)、ここにもまた、山本七平の決して無視しえない「不思議」の一端が隠されているように思います。

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