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2007年11月 2日 (金)

「百人斬り競争」裁判から再び論争の場へ

 「百人斬り競争」裁判というのは、平成15年4月28日、両少尉の遺族三人(向井少尉の長女エミコ・クーパーさん、次女の向井千恵子さん、野田少尉の妹の野田マサさん)が原告となって東京地裁に提訴したいわゆる「名誉毀損」訴訟でした。

 訴状では、『中国の旅』『南京への道』(共に朝日新聞社)『南京大虐殺否定論十三のウソ』(桂書房)にある「百人斬り競争」に関する記述によって、信憑性の乏しい話をあたかも歴史的事実とする報道、出版が今も続き、名誉を傷つけられた」として、被告等に対し、謝罪広告、出版差し止め、損害賠償を求めました。

 被告は、「百人斬り」を最初(昭和12年)に報道した毎日新聞、昭和46年11月に朝日新聞の「中国の旅」において、それを「殺人ゲーム」として報道した朝日新聞及び本多勝一記者、そしてその後それを捕虜等の「据えもの斬り競争」だったと主張する本多氏らの論考を掲載した本『南京大虐殺否定論十三のウソ』を刊行した柏書房でした。

 この裁判で毎日新聞側は、東京日日新聞(毎日新聞の前身)の記事は①時間の経過で請求権が消滅している ②報道当時二人は記事で英雄視された ③記事は適正に取材し、取材結果を正確に記録した──などと報道内容の信憑性には触れずに名誉毀損には当たらないと主張していました。

 また、一方で、「百人斬り」は戦闘中の出来事を報じたもので「悪意を持ち捕虜を虐殺したと、誤って引用したものまで責任を問われる理由はない」として、「二少尉が捕虜らを据えもの斬りにする『百人斬り』競争をしたことは明らかな事実」とする本多氏や朝日新聞の主張とは一線を画していました。(「いわゆる『百人斬り』事件の虚と実」秦郁彦 「政経研究」第42号p117)

 この裁判の第一審である東京地裁判決は平成17年8月23日に出ました。しかし、それは「原告らの請求を棄却する」というもので原告敗訴となりました。

 判決理由は、
①『中国の旅』『南京への道』『南京大虐殺否定論十三のウソ』の百人斬りに関する記述が両少尉の名誉を毀損するものであることについては認めるが、上記三冊の本には遺族の名前が出てこないので遺族らの固有の名誉を毀損したとはいえない。
②遺族らの死者に対する敬愛追慕の情が侵害されたというためには、記述の重要な部分が一見して明白に虚偽であることを遺族側で立証しなければならない。
③百人斬りの記事そのものは戦意高揚記事で虚偽や誇張を含めて記事として掲載された可能性も十分考えられる。また、南京攻略戦闘の実態、冨山大隊における両少尉の職務上の地位、日本刀の性能、殺傷能力から「百人斬り」を記事の内容通りに実行したかどうかについては疑問の余地がないわけではない。しかし、重要な部分において一見して明白な虚偽とはいえない。よって、遺族らの請求を認めるわけにはいかない、というものでした。

 これに対して遺族側は控訴し、平成18年5月24日に東京高裁で控訴審判決が出ました。結果は、東京地裁の一審判決がそのまま支持されましたが、「百人斬り競争」の事実認定に関しては、一審より一歩進んだ判断が示されました。

 「南京攻略戦当時の戦闘の実態や冨山大隊における両少尉の軍隊における任務,一本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。」

  つまり、一審判決の「百人斬り競争の記事の内容通りに実行したかどうかについては疑問の余地がないわけではない」という表現から、「同記事の『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である」に訂正されたのです。

 しかし、東京高裁の結論としては「両少尉が南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず、本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり、全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。」としました。

  つまり、「百人斬り競争」の新聞記事の内容が「全くの虚偽」であることを立証する義務を原告側に課した上で、しかし、提出された証拠書類によると、両少尉は、「百人斬り競争」が新聞報道されることに違和感を持たなかったと認定されるので、その新聞記事の戦闘戦果は甚だ疑わしいが、その話に結びつく「何らかの競争」をした事実自体は否定できない、というのです。つまり、両少尉のいわゆる「自白」(=戦場のホラ)を唯一の証拠としているのです。()内付記11/4

 しかし、問題は、この「自白」にどれだけの事実が含まれているかということではないでしょうか。浅海記者は、「本人たちのいう通りに書いた、ただし現場を見ていない」といっています。高裁判決では、浅海記者が東京裁判の検事の尋問に答えた「記事は真実です」という言葉について、「両少尉から取材した事実に粉飾を加えていない」という意味に解しています。つまり、「百人斬り競争」の記事内容は全て両少尉が記者に語ったものと認定しているのです。しかし、その一方で、新聞記事の内容は「甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。」と認定しているのですから、結局、それは全てホラを吹いた両少尉の責任だ、といっているに等しい。

 しかし、ここまで本稿を読んでいただいた皆さんには、浅海記者が「両少尉の話をホラと知りつつ(あるいは両少尉を慫慂してホラ話をさせ)、それをあたかも事実のように粉飾して「百人斬り競争」という戦意高揚記事を創作した」ことは明白だと、納得していただけるのではないでしょうか。

 それを決定づけるものが、無錫における両少尉と浅海記者の三者談合の存在です。これが証明されれば、「粉飾を加えていない」という裁判所の判断も覆ります。そして、この事実こそ、イザヤ・ベンダサンが本多氏との論争の時点で指摘したことであり、山本七平が浅海氏を批判した論拠も、実はこの一点に置かれていたのです。

 裁判は、最終的には平成18年12月22日、最高裁(第二小法廷(今井功裁判長)判決がでて、遺族側の上告を棄却する決定をし、上述したような二審の東京高裁判決における事実認定が支持され(原告の請求をすべて棄却した一審・東京地裁判決が含まれる) 朝日新聞社などの勝訴が確定しました。 

 しかし、一方で、高裁判決は「百人斬り競争」については、「現在に至るまで,肯定,否定の見解が交錯し,様々な著述がなされており,その歴史的事実としての評価は,未だ,定まっていない状況にあると考えられる」としています。そこで、この問題を、裁判のテーマから論争のテーマに戻して、「『百人斬り競争』論争の現在」について、秦郁彦氏の論考を中心に考えてみたいと思います。

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