フォト

おすすめブログ・サイト

Twitter

« 2008年1月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年3月

2008年3月11日 (火)

ホームページ「山本七平学のすすめ」立ち上げ2

 ようやく、ホームページ「山本七平学のすすめ」立ち上げることができました。思いの外時間がかかりましたが、なんとかサイト名に恥じないコンテンツを整えることができたのではないかと思います。今後はあまり無理をせず、愉しみながら内容の充実を図っていきたいと思います。

 書きかけになっている「百人斬り競争」論争の現在」も早くまとめたいと思っています。聞くところによると、中国の「南京大虐殺記念館」は規模が数倍になり、世界遺産登録の申請がなされているそうです。その正面入口には等身大の二少尉の写真が展示されたそうですが・・・。

ホームページ「山本七平学のすすめ」立ち上げ

 昨年(平成18年)11月、本ブログを立ち上げ、教育基本法改正問題次いで百人斬り競争裁判について山本七平の論考を紹介しつつ論じてきました。なんとか1年ほど続けることができましたので、いよいよ念願のホームページ「山本七平学のすすめ」の開設に取りかかったのですが、それにふさわしいコンテンツとすることは必ずしも容易ではありませんでした。

 幸い、山本良樹氏(山本七平氏の長男)や稲垣武氏(「『怒りを抑えし者 評伝 山本七平』」の著者)及びPHP出版研究所の好意で、関連する著作物からの引用や転載を許可していただき、ようやく「年譜」や「戦歴」等のページを完成させることができました。これにより、断片的に語られてきた山本七平の生い立ちや戦争体験を、氏自身の言葉を通してリアルに追体験できるようになりました。

 近年、近現代史教育の重要性が指摘されています。しかしその関門は依然として昭和史であり、そのカギは日中・日米戦争をどう理解するかにかかっています。今回、あらためて、山本七平が自らの体験を述べた日本軍隊論4部作を読み返してみましたが、”よくぞここまで書いたものだ”という驚きとともに、絶望的な戦場にあって”氏が生かされた”事実に、深い感動を覚えずにはいられませんでした。

 そもそも、氏がこうした自らの戦争体験を語りはじめたのは、グアム島で横井さんが(1972.1)、ルバング島で小野田さんが(1974.3)が発見・救出されたことがその契機になっています。また、1972年1月より始まった「百人斬り競争」論争において、その実行犯と目された二少尉が、山本七平とほぼ同じ境遇にあり、かつ彼らにかけられた「捕虜及び非戦闘員殺害」の嫌疑を、冤罪だと確信したためでした。

 この事件をめぐる山本七平と本多勝一氏との論争は当時大きな反響を呼びましたが、山本七平の「立場」にとまどいを感ずる人もいて、氏が『私の中の日本軍』でこれを論じていた頃、氏のもとに次のような手紙が届いたそうです。「お前の『百人斬り競争』についての記述は事実だろう。だが一体お前は何を言いたいのだ、お前は右翼なのか左翼なのか。もういい、理由は言わない、もう書くな、絶対何も書くな・・・」

 この意見に対して、山本七平は次のようにいっています。

 「人は虚構を事実として、それで安心していたい。そして私とて同じ傾向があったことを自ら認めないわけにはいかない。(しかし)『正しい座標』は、何本もの線が一点交会して出来あがるわけではない。・・測角には必ず誤差があるから、三線は交会せず三角形が出来・・・対象がぼやける。・・・しかし、このぼやけたときにはじめてその測地はある程度の精度をもちうるのである。」

 「従ってもし、絶対誤りないといわれる座標があり、疑う余地なく何線もが交会しているから、そこに目標があるのは『断固たる事実』だというものがいれば、それは常に、虚構の座標に意識的に線を交会させ、それによって自らを欺きかつ他を欺く『創作』をしているにずぎないのである。・・・」「事実論」は多数決とは関係はない。「みんながそう言っている」は何の意味も持たない。

 山本七平は、こうした事実論を、氏が砲兵であったときの「測地」の体験をもとに説明しているのですが、それが社会的あるいは歴史的な「事実論」となると、人間には誰しも「偏見」がありますから、「測角」の誤差<FONT size="-1">だけでなく、視点そのものがずれるという問題が生じてきます。</FONT>そのため、引かれる基線もあらゆる方向からなされ、かつ、その本数も数え切れないほどになってきます。

 だが、こうした個人の「偏見」は各人がもっている基線のようなものであり、各人はそれに基づいて標定すればよく、従って、「一億人いれば一億人の標定による交点は円に近い超多角形を生み出す」ことになる。しかし、「それによってわけがわからなくなったと不安がる必要はなく、求めるべき座標がその超多角形の中心点に捉えられていることはほぼ間違いない」というのです。

 「満州事変以降、すべての人が内心では、『こんなことをしていて、一体日本はどうなるのだろう』という不安を持ちつづけていた。そして、この不安が強まれば強まるほど、虚構の座標を事実と信ずるため、そこへ、自分の線を合わせていくのである。しかし虚構は虚構であり、そして、事実が虚構の座標の方へ移動してくれることはない。だがしまいには、何かが、超人的な何かが、事実を虚構の方へ移動してくれないかと願うのである。・・・」

 戦前は、これがムッソリーニでありそしてヒトラーだったのです。日独伊三国同盟を締結した頃の日本人の心理的背景はこのようなものでした。そして、このことは戦後も少しも変わりなく、あるときはスターリン、あるときは毛沢東と──そこには神の如く奇跡を行う指導者と聖徒の如き人々が住み──そしてこう信じないと人々は安心できなくなる。

 しかし、 「これが、どれだけ大きな害を流し、悲しむべき結果を招来したことか。」

(以上、引用は山本七平ライブラリ『ある異常体験者の偏見』p224~228より)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年5月 »

twitter

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

最近のトラックバック