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2008年11月

2008年11月22日 (土)

「田母神論文」から、私たちは何を学ぶべきか2

 前回「一握りの軍国主義者」論の問題点について山本七平の見解を紹介しました。実はこの問題は、氏が『ある異常体験者の偏見』を執筆当時(1973年)、毎日新聞の元編集委員新井宝雄氏との間で論争になったものです。

 新井氏は、山本七平への反論の中で次のようにいっています。
 「山本氏は当時の新聞を極悪人にしたてることによって、かえって侵略戦争を立案しその実施を指令した軍国主義者達を弁護する結果になっている。山本氏は戦争を画策し、その執行を指示した軍国主義者達があたかもいなかったかのようにいっておられるが、それは事実に反する。戦後の新聞にも問題はむろん大いにあるが、しかし・・・日本のマスコミが全く無用の長物であるかのようにいうのは、当たっていない。」(「私の反論のあとさき」『ある異常体験者の偏見』(山本七平ライブラリー)所収)

 これに対して山本七平は次のように反論しています。
 「『一握りの軍国主義者がいた―ただし私はそうではない』といって、みなが『一握りの軍国主義者』という『言葉』に背を向けてしまえば、かえって何一つ実態は究明できない。逆にすべてを隠してしまうではないか。・・・この世に『生まれながらの悪玉』などは存在しないと同様『生まれながらの軍国主義者』などというものは存在しない。ある人が、ある思想・主義を抱き、その思想に基づいてある判断を下し、その判断の下に一つの発想をして、その発想の下に計画を立て、その計画を実行に移したのである。そしてその人は、そうすることを最善と考えた―ではなぜ最善と考えたのか。彼らの多くはそれを誠心誠意それを実行した。それは残念ながら否定できない事実ではないか。そして誠心誠意やったということは何ら正当性を保証しないことを、われわれはいやというほど思い知らされたのではなかったか。その人達がどれほどまじめであったかなどということは無意味である以上に、その人たちを醜悪化し戯画化することも無意味である。」(『ある異常体験者の偏見』p260)

 つまり、「戦争の実態」を究明しようとするときに「一握りの軍国主義者」で片づけてしまえば、結局「オレは彼らを声高に非難している。従ってオレは彼らとは関係ない純正潔白な人間だ」ということになり、戦争は「一部の軍国主義者」がやったことで、自分も含めその他国民は被害者だということになる。そうすると「一部軍国主義者」の「悪」は自明だから、後はそれを醜悪化し戯画化するだけとなる。一方、政治家やマスコミを含め国民が一致して軍を支持したという事実も消えてしまう。その結果、なぜ軍はそのように行動したのか、なぜ国民は軍を支持したのか、それはどういう思想に基づいていたのか、ということが判らなくなってしまう。それでは「戦争の実態」はつかめないし、問題の解決もできないではないか、というのです。

 ここで山本七平は、個人の思想と行動との関係を問題にしています。つまり、人間の行動を、時代情況との相対的な関係の中だけで捉えて、その人の思想との関連を無視する、そのような精神構造を問題にしているのです。また、氏がマスコミを批判するのは、決して「マスコミが無用の長物」だといっているのではなく、新聞が、戦前は軍の戦争政策、戦後はマッカーサーの軍政施行のスポークスマン的役割を担ってきた、そうした事実を指摘しているのです。確かに、戦時中は軍の検閲があり戦後の占領期はマッカーサーの検閲があった。しかし、そうした時代情況を理由に、新聞社がそうした過去の行動を正当化するということは、自らの言葉=思想に責任を持たないということになりはしないか、といっているのです。

 このような、人間の行動の「正当化の基準」を、時代情況への対応の仕方だけで考える倫理観を、山本七平は「情況倫理」と呼んでいます。これは日本の伝統的な考え方で、「『情況に対する自分の対応の仕方は正しかった。』従ってその対応の結果自動的に生じた自分の行為は正しかった。それを正しくないというなら、その責任は『自分が正しく対応しなければならなかった』苛烈な状況を生み出したものにあるのだから、責任を追及さるべきはそのものであって、自分ではない」という論理です。(『空気の研究』単行本p116)これは田母神氏の「大東亜戦争肯定論」の論理にもつながります。

 そして、「この考え方の背後にあるものは、実は一種の『自己無謬性』乃至は『自己無責任性』の主張であり、(この)情況の創出に自己もまた参加したのだという最小限の意識さえ完全に欠如している状態なのである。そしてこれは自己の意志の否定であり、従って自己の行為への責任の否定である。そのため、この考え方をする者は、同じ情況に置かれても、それへの対応は個人個人でみな違う、その違いは、各個人の自らの意志に基づく決断であることを、絶対に認めようとせず、人間は一定の情況に対して、平等かつ等質に反応するものと規定してしまう。」(上掲書p121)これが「一部の軍国主義者論」の論理になります。前回述べた軍政としての「マッカーサーの戦争観」とも重なるわけです。(下線部追記11/24)

 こう見てくると、田母神氏の「大東亜戦争肯定論」も新井氏の「一部の軍国主義者論」も同じ「日本的情況主義」の伝統に根ざしていることが判ります。ではこのような、個人の置かれた「情況」を、個人の行動の倫理的判断の基準とする考え方はどこから生まれているかというと、それは、その「情況」に対応する個人が「人間性の平等」という観念で均質的にとらえられているということ、つまり、個人がある「情況」に置かれれば誰でも同じように対応するのが当然と考えられているからです。ここでは個人個人はそれぞれの思想に基づいて行動し、その行動に対して責任を持つ、という考え方が排除されます。

 そして、「この日本的情況倫理は、実は、そのままでは規範にはなり得ない。いかなる規範と雖も、その支点に固定倫理がなければ、規範とならないから、情況倫理の一種の極限概念が固定倫理のような形で支点となる。ではその支点であるべき極限としての固定倫理をどこに求むべきかとなれば、情況倫理を集約した形の中心点に、情況を超越した一人間もしくは一集団乃至はその象徴に求める以外になくなってしまう。西欧が固定倫理の修正を情況倫理に求めたのとちょうど逆の方向をとり、情況倫理の集約を支点的に固定倫理の基準として求め、それを権威としそれに従うことを、一つの規範とせざるを得ない。」(上掲書p136)

 「日本における・・・スターリン賛美の論理も、日本軍への『神兵化』も、ヴェトナム報道も、毛沢東礼賛も、常に同じくこの論理による一種の『神格化』である。そしてこの論理の矛盾を指摘した者は、常に一種の『瀆聖罪=不敬罪』として非難される。そして非難されて当然なのである。というのは、この支点的絶対者を、どこかに設置しない限り、いわば一種の人間尺の極限概念のような形でゴムの一端をどこかに固定しておかない限り、『オール3』的(人間性=筆者)評価の『3』(つまり平等の基準点=筆者)が設定できず、従って、平等は立証できず、情況倫理も成立しないからである。」(上掲書p137)

 ここに、なぜ日本人が、一方で人間性の平等を指向しつつ、他方で、絶対者(戦前はヒトラーやムッソリーニ、戦後はスターリンや毛沢東など)を賛美する傾向を持つのかの理由があります。また、これは戦前の言葉で言えば「一君万民(平等)」、戦後は「一教師オール3生徒」ということになります。そして、これらの組織は中国の儒教の影響で「家族主義的」に運営されますから、それは一蓮托生の連帯責任の社会となり、いわば個人の倫理より集団=組織の倫理が優先する社会となり、組織に不利なことは決して口にしない、逆に「知りません」「記憶にありません」といって事実を語らないことが美徳とされる社会になります。

 実は、この「家族主義的」組織の基本原理は「忠孝一致」ということで、「孝」という親子間の道徳規範が、「忠」という組織間の秩序原理にまで拡大適用されたものです。これが、「教育勅語」の説く倫理観なのです。いうまでもなくこの倫理観は、「仏心」が、あたかも、月が一滴の露にもその影を映すように全ての人の心に宿っている、とする仏教的平等観を母体として、その上に中国の輸入思想である儒教が重なり、それが江戸時代を通して日本的に変容する過程で生まれたものです。そして、これが尊皇思想となり明治維新の原動力となるのです。こう見てくると、よく日教組批判の口実に使われる「平等主義的オール3評価」は、決して左翼的なものではなく、実は、戦前の「教育勅語」の「一君万民(平等)」思想を受け継ぐ、最も伝統的な日本的評価基準なのです。

 いうまでもなく、戦前の軍部も右翼も、こうした「一君万民」「天皇親政」的な政治形態を理想としていました。従って、それと矛盾する「天皇機関説」的立憲君主制、それを支える政党政治、その思想的前提である「自由主義」ないし「自由主義者」は絶対許すべからざるものと考えていました。一方、社会主義者は、ただ方向を誤っただけで、いわば転向させれば有能な「国士」になると考えていました。従って、転向者の多くは軍部の世話で「満鉄調査部」などで、満州における計画経済の立案に参加していました。

 そして、以上述べたような「一君万民」を前提とする情況倫理・集団倫理の世界では、組織に不利なことは口にしない、逆に「知りません」「記憶にありません」といって事実を語らないことが美徳とされます。その結果、事実を事実として、その人の思想信条と切り離して論ずることができなくなります。また、前回紹介しましたが、是か非かを論ずる前に可能不可能を論ずることもできなくなります。そしてこの体制は、個人が自由に発言し行動することを徹底的に排除し、「父と子の隠し合い」の関係以外は認めないということになるのです。

 そして、この「父と子」の関係によって律される秩序を維持しようとするなら、この集団は必然的に閉鎖集団とならざるを得ない。そしてこの閉鎖集団を維持するためには不都合な外部情報を統制して内部の秩序維持を図らなければならない。対米戦争期の日本が英語を敵性言語と規定してその教育を廃止したのはそのためです。それは結局、相手の実態を見てはならないという態度になり、一切の情報を統制し、新聞と読者の間、政府と国民の間をも「父と子の隠し合い」の状態に持って行くことになります。そしてそのためには、集団の倫理を個人の倫理の上におく、いわゆる「情況倫理」を当然とするようになるのです。

 いささか回りくどい説明になりましたが、私たちが究明すべき昭和の「戦争の実態」とは、以上のような、組織の名誉のためにはホントのことを隠す、事実を事実として語ることを許さない、従って、可能か不可能かという事実に関する議論と、是か非かという価値観に関する議論とを区別できなくなる、など「情況倫理」の世界がもたらしたものだったのです。もちろん、この「親と子」の運命共同体的な組織は、到達すべきモデルがある間は爆発的なエネルギーを発揮し得たわけですが、そうした目標を見失い孤立した状態の中で外交問題を自らの発想で処理しなければならなくなったとき、以上述べたような、事実を事実として語ることを許さない精神風土の中で、冷静客観的な判断ができなくなり、ついに、やるつもりもなかった無謀な戦争に突入することになったのです。

 以上、「一部の軍国主義者論」の問題点、及びそうした考え方が依拠している日本の伝統的な考え方=「情況倫理」の世界についての、山本七平の分析を説明してきました。とはいえ、ここで引用した山本七平の『「空気」の研究』は1977年の出版で今から30年以上前のものですから、その頃からすると現在は、いわゆる「内部告発」による談合事件や不正の摘発が相次ぎ、コンプライアンス(企業が法令や規則を遵守しようとすること)の姿勢が明確になってきています。しかし、今なお閉鎖的な身内社会を脱していない組織が多く存することも事実です(特に教育界は問題です。大分でその一端が明らかになりましたが・・・)。

 しかし、ここで問題となるのは、今日の日本の精神風土において、はたして、以上指摘したような、戦前の日本を破滅に追いやったいくつかの思想的課題が、はたしてどれだけ克服されたか、ということです。個人の思想信条の自由を組織の利害あるいは名誉に従属させていないか。身内組織の利害を超えた一般的法的規範の遵守という考え方がどれだけ浸透しているか。事実論とその人の思想信条とを区別して論ずることができるか。可能不可能の議論と是非論とを区別できるか、などなど。

 テレビでは連日、『自己無謬性』の刻印を額に押したような「正義の士」が、世の悪を陶然として指弾追求し、それに扇動された人びとが、名指された「極悪人」に抗議の電話を集中する。憲法を守れといいながら、この人権無視、思想信条の自由の侵害。この平和な時代でさえこうなのだから、かっての植民地主義、軍国主義、人種差別、世界恐慌、冷害・不況の時代にああいうことになるのも、けだし当然かも・・・と思うのは私だけでしょうか。(*少し抑制した表現に修正しました。11/23)

2008年11月16日 (日)

「田母神論文」から、私たちは何を学ぶべきか

 田母神論文については、歴史的事実に関する認識不足があまりにも多く、論理も一貫していないし哲学も貧困なので、エントリー「田母神空軍幕僚長『最優秀論文』の論旨、論点及び哲学」でその点を指摘しました。秦郁彦氏や保阪正康氏などの歴史研究の専門家もその後同様の指摘をしていますし(朝日新聞)、マスコミでも批判的な意見が大半のようです。ところが、ネット上での調査では、yahooでは「まったく問題はない」「ほとんど問題はない」の、あまり問題視していない人が6割近くにのぼりました。内容は、「論文の内容自体が間違っていない」のだから問題はないと考える人や、「言論の自由だ」とする人など、理由はさまざまのようですが、予想はしていたものの、共感者がこれほどの高率になるとはいささか驚きました。

 これはどうしたことか、私は、これは、戦後のいわゆる「自虐史観」にもとづく歴史教育は、子供達にはそれほど深く浸透しなかった、というより心理的な反発があって受け入れられなかった、ということなのではないかと思いました。また、中国や韓国の反日教育や反日暴動、さらには内政干渉ともいうべき行き過ぎた対日批判が、多くの日本人の反感を呼び、その反動として、彼らの日本攻撃の源泉となっている日本の「アジア侵略」を正当化する心理につながったのではないかとも思いました。そして、おそらくこれが今日の「時代の空気」になっているのではないかとも。

 私も、この気持ちはわかります。私は一度社会に出てそれから大学に入り直したという経験から、当時(昭和40年代)のソビエトや中国、北朝鮮を理想化する一方、日本を貶めてやまない時代風潮に強い反発を感じていました。また、そうした時代風潮の中で、日本国憲法第九条の「陸海空軍その他戦力は認めない、国の交戦権はこれを認めない」とする規定の解釈から、社会一般とりわけ教育界において、自衛隊員やその子弟を差別的に取り扱う事例が数多く発生したことに憤りを感じたことを覚えています。

 biglobe百科事典の「自衛隊」の項「自衛隊関係者への人権侵害や運用面での阻害」には次のような記述があります。

 「上記のような憲法上の問題や旧軍との連続性への懸念などから、自衛隊は日本教職員組合(日教組)や日本共産党党員などの左翼勢力から、平和主義の敵として存在自体が憎悪されることとなった。そして、実際に自衛隊員の子供の学校入学拒否、教師による自衛隊員の子供へのいじめや差別(これらは警察官の子供に対しても行われることがあった)、自衛隊の公共施設使用に対する妨害や抗議などのような、自衛隊員や関係者の人権を侵害する事件が起こっている。

 また、自衛隊という組織を犯罪者集団、自衛隊員という職業を賤しいものとする偏見が流布され、平成7年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件における自衛隊の活躍で下火になるまで長く続いた。中でも自衛隊員の配偶者や子供の中には差別を恐れ、配偶者や親の職業を隠さざるを得なかった事例がある。また、現在でも小中学校の社会科授業では日教組系列の教師により反自衛隊教育が公然と行われている学校も存在し、高校卒業時の進路指導でも自衛隊入隊を希望した生徒に対し入隊を辞退するよう説得する傾向も存在する。」

 私は、先のエントリーの論点7で、「○ 我が国の自衛権を行使するための適切な安全保障体制を確立すべきだと思います。装備の充実や武器の使用などは、その安全保障の目的にそって冷静かつ合理的に決定すべき事です。また、自衛隊員が一種の被害者意識に陥るような状況はよくないし危険だと思います。」と書きました。これは先に紹介したような自衛隊員を差別するような状況が過去にあり、それが数十年にわたって続いてきたことを知っているからです。今回の論文を見ると、田母神氏は、こうした差別的状況を脱却するためには、こうした差別を正当化してきた「日本は侵略国家であった」という歴史認識を覆す必要があると確信しておられるように思います。

 だが、その気持ちはわかりますが、私は、今回の田母神氏の論文は、残念ながら自衛隊の名誉を回復するものにはなっていない、というより逆に誤解を招きかねないものになっていると思います。第一に、史実の解釈が一方的で、旧軍が主張したものとそっくりだということです。旧軍の行動については、戦後、その数々の謀略事件(張作霖爆殺事件や柳条溝鉄道爆破事件等)が明らかになっており、日本外交の信用を失墜させた責任は免れない。また、ロンドン軍縮条約締結時における統帥権独立の主張による内閣のシビリアンコントロールの否認、3月事件、10月事件、5.15事件、2.26事件などのテロ・クーデターによる政党政治の破壊及びその後の議会の奪取、言論の検閲・統制・弾圧による民主主義の否定等を見れば、それを教訓とはしえても弁護することは到底できません。

 ただ、ここで注意すべきは、当時の政治家や外交官やマスコミや国民一般に責任がなかったか、彼らはなべて軍の被害者であったかというと、実はそうではなく、軍の統帥権独立の主張を手引きした鳩山一郎(民主党の鳩山幹事長の実父)をはじめ政治家の責任は極めて大きい。また、張作霖爆殺事件や満州事変の真相の隠蔽に政治家やマスコミが果たした役割は隠れもなく、満州事変では新聞はそれを正当化するキャンペーンを張り、また5.15事件の犯人を弁護したのは新聞そして国民でした。何とこの裁判では、11名の事件首謀者に対する減刑嘆願書が血書、血判のものを含め30万通も届き、その中には根本から切断された小指9本があったといいます。(『天皇と東大(上)』立花隆p766)つまりこの時代、先に示したような軍の一連の行動を多くの国民が支持したという事実、この不思議を解明することこそ、昭和史を学ぶ際の最も重要な観点なのです。

 実は、こうした観点を見失わせたものが、「マッカーサーの歴史観」なのです。これが、こうした事実を隠蔽し、占領地の原住民=日本人の不満が占領軍に向かってこないよう、直接間接の誘導・暗示・報道・論説という形で言論統制し、原住民の分裂を策し、敗戦の不満を原住民政府や「一部の軍国主義者」に向かわせ、それによって国民のうっぷんを晴らさせ、さらに、「一部の軍国主義者」の侵略を阻止し日本を解放したのは私たち占領軍だ、と被占領地原住民に思い込ませること、これが「マッカーサーの戦争観」の目的だったのです。つまり、この戦争観は占領政策をうまく運ぶための「軍政」の一環であり、決して、日本人に真の戦争の敗因を教えるものではなかったのです。。」(『ある異常体験者の偏見』山本七平p181)*下線部記述修正11/17

 この「占領下の言論統制やプレスコードの実態は不思議なほど一般に知られていない。マスコミ関係者がこの問題をとりあげると、必ず例外的な犠牲者を表面にたて、自分はその陰に隠れて、自分たちは被害者であったという顔をする。それは虚偽である。本当の被害者は、弾圧されつぶされた者である。存続し営業し、かつ宣撫班の役割を演じたのみならず、それによって逆に事業を拡大した者は、軍部と結託した戦時利得者でありかつ戦後利得者であって、『虚報』戦意高揚記事という恐るべき害毒をまき散らし、語ることによって隠蔽するという言葉の機能を百パーセント駆使して『戦争の実態』を隠蔽し、正しい情報は何一つ提供せず、国民にすべてを誤認させたという点では、軍部と同様の、また時にはそれ以上の加害者である。」(上掲書p182)

 「多くの出版人がいうようにプレスコードのしめつけは東条時代よりひどかった」「新聞・放送は徹底的に統制され」「日本的な抜け道がなく」「『私信』すら遠慮なく組織的に開封し点検した。こういうことは、戦争中の軍部も行わなかったし、日本軍の占領地でも全く行わなかったそうである。」「ただ彼は軍部よりはるかに巧みであって、一般の人びとにはほとんどそれを感づかせず、『言論』が自由になったような錯覚を、統制した新聞を通じて、人びとに与えていたのである。そして今でも人びとは、この錯覚を抱きつづけている。民主主義と軍政の併存(?)は、実は、この錯覚の上に成り立った蜃気楼に過ぎない。」「史上最も成功した占領政策」は、すでに長い間大日本帝国陸軍の内地宣撫班としての実績を持つ日本の新聞によって導かれたのである。(上掲書p184)

 再び言いますが、こうした占領軍による思想言論統制その一環としての「マッカーサーの歴史観」は、占領軍による占領地の「軍政」をスムースに行うための言論誘導だったのです。一方、これによって、当然、戦争責任の一端を担うべき政治家や官僚やマスコミの責任が回避されることとなりました。彼らの責任、とりわけ、戦後はマッカーサー軍政の宣撫班と化して組織を温存拡大し、再び「語ることによって隠蔽するという言葉の機能を百パーセント駆使して『戦争の実態』を隠蔽し、正しい情報は何一つ提供せず、国民にすべてを誤認させた」新聞の責任は極めて大きいといわざるを得ません。(いわゆる「百人斬り競争」の戦意高揚創作記事で無実の二少尉を死刑台に送りながら、今も正当な取材だったと言い張る「毎日新聞」、これを非戦闘員の虐殺にすり替えた朝日新聞などその典型です。)

 そこで、この「マッカーサーの歴史観」と、田母神論文の歴史観の関係ですが、田母神論文は、この「マッカーサーの歴史観」の裏返しのように思われます。つまり、加害者と被害者を逆転させただけで、今なお「マッカーサーの歴史観」のマインドコントロール下にある。この呪縛を脱却し、日本の近現代史を日本人自らの視点で、紛れもなく私たちの父祖たちの歴史として、その事実関係を再把握することが、今日私達に求められていると思います。また、今後日本をどう守るかは、かって国家予算の9割を軍備に充て、陸軍だけでも700万の兵員を擁し、南方の島々では140万にも及ぶ餓死者を出す壮絶な戦いをしながら敗れたという、この事実から出発しなければならないと思います。

 敗戦後、多くの兵士達は、捕虜収容所の中で、「事ここに至った根本的な原因は『日本人の思考の型』にあるのではないかと考えた」と山本七平さんはいっています。「そしてほとんどすべての人が指摘したことだが、日本的思考は常に『可能か・不可能か』の探求と『是か・非か』という議論とが、区別できなくなるということである。」再軍備を考えるなら、まず、『是か・非か』の前に『可能か・不可能か』を検討しなければならない。しかし、「われわれは、『食料、燃料を含めた軍備』という点で、全く手段方法なき状態におかれて」おり、この軍備としての食料をどう確保するか、それが「可能か・不可能か」という考え方に立たなかったのが旧軍部であり、その結果が飢えであり、餓死と降伏であった。そしてこの事実を消したのが、実はマッカーサーなのである。」といっています。(上掲書p177)

 今回、田母神論文の是非をめぐって、ネット上に多くの意見が寄せられており、私もそのいくつかに目を通しましたが、残念ながらその多くは東京裁判史観からの脱却とはいいながら、田母神氏と同様、いまなおそれに呪縛され続けている現状を目の当たりにし、いささか暗澹たる気分にさせられました。(「是か非か」を論ずる前に~欠いているように思われました。」を削除11/17)

2008年11月11日 (火)

田母神論文を支えている日本人の思想的陥穽

 田母神氏が民主党などの要求により参議院の外交防衛委員会で参考人招致されることになりました。さて、どんな議論が交わされるか。

 田母神氏は3日の更迭後の会見で、自分が論文で主張したことは「誤っているとは思わない。政府見解は検証されてしかるべきだ」。「政府見解とか、一言も反論できないということでは、北朝鮮と一緒ですね」といっています。また、論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言い難いとの指摘には「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」といっています。従って、私が前回指摘したような歴史的事実に関する議論には深入りしないと思います。

 では何を主張するか、結局それは、自衛官の服務規定上どの程度まで政治的な自分の個人的見解を対外的に公表することが許されるか、という問題に落ち着くと思います。ただ、空軍幕僚長というポストは一種の管理職ですから政府見解に反する意見を公表すれば解任降格となってもやむを得ないでしょう。しかし、それが懲戒免職の対象となり退職金返納までさせられて然るべきものか、私はそれは疑問だと思います。

 この問題について、この懸賞論文の審査委員をつとめた政治評論家の花岡信昭氏は、「田母神氏の論文は一言で言えば、いつまでも『自虐史観』『東京裁判史観』にとらわれているような実態から脱却して、先の戦争をもっと多面的に見つめなおそうではないか、日本が悪逆非道なことばかりしてきたとされるような一面的な歴史観を克服しようではないか、といった点に尽きる。これは既に保守系論客の多くが主張してきたことであった。

 論文の中で使われている歴史的事実などに異論をさしはさむ向きはある。正直いって、審査の過程でもそのことは話題になった。だが、総体として、田母神氏が真っ向から『日本は侵略国家の濡れ衣を着せられている』と問いかけたことを重視したのであった。」といっています。その上で花岡氏自身は次のように自説を述べています。

 「国家の過去をことさらあしざまに言いつのる状況がいつまでも続いていていいはずはない。歴史は見る視点によってさまざまに解釈されていいのではないか。朝鮮半島や台湾などで、日本があの当時、インフラ整備や教育環境の充実などに努力したことはまぎれもない事実なのだ。」

 「『村山談話』で日本は過去の『侵略』を反省し、謝罪の意思を表明した。これもあらゆる場面で重ねてきたことなのだが、半世紀以上も前のことをいまだに謝罪し続けている国など、世界のどこにもない。戦争というのは、開戦に至る過程で、国家としての判断、主権の尊厳など、あらゆる要素が存在するのであって、『侵略戦争』の一言で片付けられるものではない。要は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた『東京裁判』の呪縛から解き放たれていないということではないか。」(花岡信昭メルマガより転載)

 そして花岡氏は最後に、田母神氏は「民間人になったのだから、もう何を言っても平気だ。これが(参考人招致)実現したらおもしろいことになるとひそかに期待している。」と述べています。しかし、先に述べたとおり、国会の参考人質疑で、満州事変や日中戦争及び大東亜戦争の歴史的評価に関する議論を深めることは無理だと思います。また、田母神氏にしても、論文は「書かれたもの」(渡部昇一氏や黄文雄氏の著作など)をまとめたものに過ぎなくて、それも「勉強不足」が目立ちますから、それに深入りすることはしないと思います。

 そこで、私の関心ですが、もちろんそれは花岡氏がいっておられることで、日本の満州事変から敗戦に至までの歴史をどう評価するかという問題です。渡部昇一氏や黄文雄氏そして花岡氏の主張は、要するに、「国家の過去をことさらあしざまに言いつのる状況がいつまでも続いていていいはずはない。歴史は見る視点によってさまざまに解釈されていいのではないか。朝鮮半島や台湾などで、日本があの当時、インフラ整備や教育環境の充実などに努力したことはまぎれもない事実なのだ。」ということを言っているだけで、必ずしも当時の歴史が正しかったと主張しているわけではありません。

 そうしたバランス感覚が、田母神氏の論文では、彼らの書いたものの一部を引用しただけのものであるために、抜け落ちているのです。従って、この問題を論ずる上においては、田母神氏の論文ではなく、渡部昇一氏や黄文雄及び花岡氏らの主張をより詳しく点検する必要があります。本稿「日本近現代史における躓き」は、もともと、こうした問題関心から書き始めたものなのです。従って、かなりしつこい論述になっていますが、勉強しつつやっていることですので、議論が輻輳する点はどうぞご容赦いただきたいと思います。

 以下、この問題に関する私なりの見方を手短に紹介しておきます。私は、今までにも何度か言及しましたが、いわゆる「自虐史観」というのは好きではありません。また、そうした見方に安住して、”自分は正しい”と信じ込み、当時の日本人やそれを弁護する人たちを、あたかもある種の残虐人間であるかのごとく見なし、ヒステリックに批判する人たちを私は支持しません。問題は、彼らが「自己義認」から「自己絶対化」に陥っているのにそれに気がついていないことで、これこそ戦前の日本歴史を反省する上での最大のキーポイントではないかと思っています。

 こうした観点から、渡部昇一氏や黄文雄氏の主張について私見を述べると、確かに私も「朝鮮半島や台湾などで、日本があの当時、インフラ整備や教育環境の充実などに努力したことはまぎれもない事実」だと思います。台湾の領有や朝鮮の併合は条約に基づいてなされました。一方、満州の場合は、関東軍の謀略に端を発する満州占領から地方自治政権の連省による満州独立となりました。そしてそれを内面指導するという形で、実際は関東軍の武力を背景とする日本の新進官僚や財界人による中央集権的統制によって、その近代化が取り組まれました。

 そして黄文雄氏は、こうした日本による台湾、朝鮮、満州支配を、「大東亜戦争の否定・肯定論を超えた貢献論」という観点から、次のような自説を展開しています。

 「私は白人の植民地支配に対して否定的かといえばそうではなく、むしろ肯定的である。しかも植民地時代の遺産と社会主義時代の遺産を比べても、植民地主義の人類への貢献の方がはるかに大きい。なぜなら世界に対し、社会主義は破壊しか残さなかったが、植民地主義は近代化建設をもたらしているからだ。

 では日本は大東亜戦争において、一体いかなる歴史的貢献を行ったのであろうか。」「 大日本帝国が人類史に対して行った貢献、果たした役割として私がまず取り上げたいのは、開国維新後の「文明開化」と「殖産興業」を、東アジア地域に波及、拡散していったことである。この「文明開化」はソフトの波、「殖産興業」はハードの波だ。日本の成功あってこその拡散力で、それらが日清戦争の結果台湾を、日露戦争の結果朝鮮を、満州事変の結果満州を、そして支那事変の結果中国(占領地)を近代化させ、さらには大東亜戦争から戦後にかけ、南洋をも近代化させていったのだった。もちろんこの近代化の波は、資本や技術だけでなく、知識や知恵の伝播でもあった。

 このように東アジアを近代化させたのは、欧米でもロシアでも中国でもなく、日本だったのである。日本が台湾、朝鮮、満州、中国で行ったのは、匪賊退治、内戦・内訌阻止、治安確立、インフラ建設、金融財政の健全化、農民救済、農業改良、植林・米産指導等々だけでなく、二十世紀における世界支配の力学を変えたのだった。欧州大戦だけでは、ドイツが何度負けても従来の植民地時代が変わることはなかったのだ。

 だから戦後六十年以上が経った今日、戦前・戦中だけでなく、戦後の時代の流れからも、より冷静に、より客観的に、そして史実に正確に基づきながら、大東亜戦争を見なければならないのである。この戦争には悲劇の一面も大きいが、それとは別に人類史への貢献という側面も探求していかなければならないと思う。」(『大東亜戦争肯定論』黄文雄p27~29)

 黄文雄氏は、台湾出身で台湾ペンクラブ賞を受賞したすぐれた評論家です。特に、日本近現代史に関わって、中国の国家権力を恐れない大胆な切り口の評論で有名で、私も氏の著作を読み多くのことを学んでいます。しかし、あえて私見を述べさせていただくなら、氏は台湾出身ということもあって中国人に厳しく、日本人に優しい。それは大変有難いが、しかし私は、日本人自らのこととして、日本人によってもたらされたその歴史の「悲劇」の側面から目をそらすべきでない、と思うのです。

 言われるように、確かに日本人がこうしたアジアの近代化に貢献したという側面もありました。また、「善意」もありました。しかし、思想的に見れば、自国と他国との区別がつかず、そのため他国の文化的伝統に対する理解を欠き、その結果、自分たちの生き方や思想を彼らに押しつけることになった。そしてそこから朝鮮人や中国人に対するいわれなき差別感や優越感が生まれた。それが、朝鮮や中国との近代化に向けた真の友好関係の樹立を妨げた、というよりそれを破壊した。そしてついには、自国をも破滅させ「侵略国家」の汚名まで被ることになった・・・。

 私は、「日本近現代史における躓き」で幣原外交がどのようなものであったか繰り返し説明してきました。それは、もし当時の日本人に、朝鮮や中国をそれぞれ固有の文化的伝統をもつ他国と認める思想的余裕があったなら、満州問題についても、イギリスやアメリカとも連携を維持し得て、中国の国家統一にともなうナショナリズムに根ざした国権回復運動にも適切に対処し得たのではないかと思うからです。つまり幣原外交を支持する余裕が当時の国民にあったなら、日中戦争そして日米戦争という破滅の道に落ち込むこともなかったと思うのです。

 もちろん、そのためには、当時一世を風靡した国家社会主義的な思潮の中で、政治家は、軍部による政党政治批判を阻止するだけの知恵と力を持たなければなりませんでした。そしてマスコミは、関係する情報を冷静かつ的確に国民に伝えるべきでした。また、国民は、そうした情報をもとに冷静に判断して、軍部によるテロやクーデターを支持しないようにすべきでした。しかし、残念ながら事実はこの反対で、当時の国民にはそれだけの知恵と勇気を欠いていました。

 その結果、何のためにやっているか皆目わからないまま数百万の兵士を中国に送り込む「日中戦争」を4年余も戦い、その泥沼から逃れようとして、勝ち目のない「日米戦争」に”窮鼠猫をかむ”式に、一か八かの戦いを挑むことになったのです。

 ではこうした歴史的体験から、私たちはいかなる教訓を導き出せるでしょうか。それは、当時の軍部の陥った被害者意識と自己絶対化の心情、テロやクーデターの首謀者が厳罰に処せられずかえって英雄視されたこと、謀略により国法や国際法を犯しても結果さえよければよしとされ栄達を重ねたこと、一方、こうした軍部の専横に抵抗するどころか手引きさえした政治家たち、軍部の宣撫機関と化したマスコミ、そして満州事変や真珠湾攻撃を熱狂的に支持した国民世論等々、これらの不思議とその真因を見極めることなくして、私は決してその悲劇の糸口をつかむことはできないと思うのです。

 実は、こうした見解は、山本七平さんが自らの体験を通して導き出したもので、私はこの事実を日本近現代史を学び直す中で自分なりに検証したいと思っているのです。そうすることによって、日本近現代史をまぎれもない私たち自身の父祖の歴史として理解したいと願っています。田母神氏の論文はこうした観点から見ると、誠にいいわけがましく、我が父祖たちの失敗の真因に向き合っていない、ここからはさらなる被害者意識しか出てこないような気がします。あえてその論に言及した所以です。

2008年11月 4日 (火)

田母神航空幕僚長「最優秀論文」の論旨・論点及び哲学

 アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』で自衛隊の航空幕僚長田母神俊雄氏の論文「日本は侵略国家であったのか」が最優秀賞を受賞したことが話題になっています。アパグループのホームページに和文と英文のテキストが公開されていましたので早速読んでみました。本稿のテーマ「日本近現代史における躓き」の関心とも一致していますし、ちょうど論じようと思っていた観点も含まれていましたので・・・。以下、私なりの感想と私見を申し述べておきたいと思います。氏は「嘘やねつ造は全く必要がない」といっておられます。その知的誠実を共有しつつ・・・。

 論旨
① 日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

② この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

③ これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

④ 日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

⑤ 私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。・・・我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 以上が全体の論旨の流れです。要するに、日中戦争は蒋介石に引きずり込まれたもの。太平洋戦争はアメリカに引きずり込まれたもの。しかし、こうして日本が戦った大東亜戦争は、白人国家の植民地支配からアジア諸国を開放し、人種平等の世界を到来させた。従って、我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である、というのです。

 そこで先ず①の事実認識ですが、これは満州事変(s6.9.18)が起こる以前についてはいえますが、その後についてはいえないと思います。侵略といわれるのは、日本の満州事変以降の軍事行動についてですから。

 次に②ですが、これもおそらく満州事変以前の事でしょうが、幣原弱腰外交という批判の端緒となった第二次南京事件や済南事件及び満州事変直前の万宝山事件の報道はいずれもセンセーショナルな誇大報道により国民が扇動されたという側面のほうが強いと思います。

 特に、済南事件では、北伐中済南に入った蒋介石軍と居留邦人の現地保護のため出兵した日本軍の衝突が発生すると、済南駐在武官だった酒井隆少佐が中央に誇大な数字を報告、陸軍省は邦人の惨殺300と報告して出兵気運をあおりました(酒井少佐の謀略説もある)。しかし、実際は殺された日本人は12名で、それも彼らは避難命令を無視した朝鮮人の麻薬密売者だった(在北京公使館の警備に当たっていた岡田芳政少尉の回想談)といいます。結局これが全面衝突に発展し、この戦闘による中国側死者(死傷者を訂正11/12)は日本側の10倍約2,000人(『満州事変への道』馬場伸也p210)に達しました。これが日本軍が中国の国家統一を妨害したものと受け取られ、その後の日中関係を決定的に悪化させる契機となったことは忘れてはなりません。

 また、満州事変直前に起きた万宝山事件では朝鮮人の死者は一人も出していなかったのに、センセーショナルな誇大報道がなされたために、激昂した朝鮮人によって虐殺された朝鮮在住の中国人華僑は100余名に達しています。
 
 ③は、私も今まで勉強してきて、残念ながら、事実はここで述べられている事と逆だな、と思わざるを得ませんでした。満州事変に引き続く華北分離工作という度重なる関東軍の挑発に、ついにがまんしきれなくなったのは蒋介石の方というべきであって、そのことは蒋介石の「最後の関頭」演説の通りであり、日本は”引きずり込まれた”というより、”慢鼠猫にかまれた”といったほうがより適切だと思います。その意味ではやっぱり加害者ですね。(下線部”窮鼠猫にかまれた”を訂正11/5)

 ④は、対米戦争に日本は”引きずり込まれた”という説ですが、秦郁彦氏は、日米戦争に至るポイント・オブ・ノーリターンは、日独伊三国同盟だといっています。つまり、ハル・ノートがなくても日米戦争は不可避だったというのです。ただし、ハル・ノートが”窮鼠猫をかむ”で真珠湾攻撃を招いた(より正確には、アメリカは”窮鼠猫を(南方で)かませる”つもりだったが、油断していて真珠湾をかまれた11/12)事は否定できません。(もっとも、11月26日にハル・ノートが日本に届いたその数時間前に南雲機動部隊はヒトカップ湾を出撃してハワイに向かっていました。12月8日開戦を意味する”ニイタカヤマノボレ”は12月2日です。11/7追記)また、それがコミンテルンの工作によるものだったとしても、戦争に謀略はつきものですから、騙されたほうが悪いという事になりかねません。渡部昇一氏は、日本政府はハルノートの”非道”をアメリカ国民にマスコミを通じて訴えるべきだったといっていますが、これは卓見です。

 それにしても、大東亜戦争の日本側犠牲者約310万うち約200万人は軍人及び軍属の死者で、その約七割140万人は広義の餓死者(『現代史の対決』秦郁彦p232)だといいます。これらの死に対する責任は一体誰にあるのでしょうか。日本軍が中国に与えた被害もさることながら、日本軍が日本人自身に与えたこれらの無残な死の責任こそ問われるべきだと思います。

 ⑤は、①から④の論理と矛盾しますね。引きずり込まれてやむを得ず戦った戦争が、多くのアジア諸国で評価が高かったとしても、それは、いわば結果論であって、自ら意図したものではないというのですから、自慢にはなりません。つまり、これによって侵略戦争という非難を埋め合わせることはできません。

 次に、論文の中で主張された田母神氏独自の論点を点検してみます。

論点1 いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
○ これは渡部昇一氏が主張している事ですが、この要求が外交的に稚拙であったということは氏自身も認めています。(本稿「二十一箇条要求」参照)

論点2 昭和2年の張作霖爆殺事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
○ そういう工作がなされた可能性は、この事件はあまりにも愚劣な事件ですから、私もなくはないとは思いますが、仮にあったとしたら、それに騙されて爆殺を実行した河本大作以下関東軍首脳は本当の大馬鹿ものだと思います。(本稿「張作霖爆殺事件に胚胎した敗戦の予兆」参照)

論点3 日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている 
○ この件については、田母神氏が引用されている『廬溝橋事件の研究』の著者秦郁彦氏の最近の見解では、95%以上の確率で、中国側第29軍の兵士による偶発的発砲による、といっています。なお、劉少奇は事件勃発時には延安で開かれていた白区会議に出席して不在だったということです。(『歴史の嘘を見破る』中島嶺雄編「中国に「廬溝橋事件は日本軍の謀略で戦争が始まった」といわれたら」秦郁彦)*下線部追記11/7

論点4 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
○ 本稿「日韓併合」参照

論点5 幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
○ 幣原外交は、第二次南京事件以降、軍部及びマスコミに軟弱外交、弱腰外交と批判され、昭和2年に田中義一首相の積極外交に取って代わられました。しかし、田中首相は済南事件で大失敗し張作霖爆殺事件で退陣に追い込まれ、その後幣原が再び外相となりましたが、田中外交の後遺症や張作霖の息子張学良の意図的な反日・侮日政策のため行き詰まり、満州事変で息の根を止めらました。
 渡部昇一氏の『日本史から見た日本人―昭和史』はこのあたりを詳しく書いていますので、田母神氏のこの記述はその影響かとも思われますが、私も、この時代の日中交渉が幣原外交を基軸に進める事ができていたらと、惜しまずにはいられません。

論点6 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
○ アメリカは開戦時の日本軍の行動を「執拗な攻勢努力は終局的にフィリピンを含みマライ半島および香港の占領をめざすだろう」と想定していました。事実、日本の対米戦争における伝統戦略は、来攻するであろう米海軍と内南洋で迎撃決戦するというものでした。しかし、山本連合艦隊司令長官が軍令部と連合艦隊の猛反対を押し切ってハイリスクのハワイ攻撃へ持ち込んだことが米側のもくろみを覆すことになりました。そのため、ハワイの連合艦隊司令長官のキンメルは、ワシントンからの危機警告を受けていたにも関わらず、12月6日(金)から12月8日(日)まで搭乗員に週末休暇を与えて周辺海域の哨戒を怠り、また、攻撃を受ける2時間(50分?)前にオアフ島北端で試運転中だったオパナ・レーダーサイトの水兵が、日本機らしい大軍を発見したのに当直の中尉はそれを信用せず握りつぶしてしまったのです。つまり、日本の連合艦隊のハワイ奇襲の情報は攻撃を受けるまでルーズベルトの耳には届かなかった、というのが秦氏の結論です。

 また、秦氏は、いわゆるルーズベルト陰謀説について、もしルーズベルトが日本の真珠湾奇襲を知っていたとすれば「ルーズベルトは直前に太平洋艦隊を出航させればよい。そうすれば、日本の攻撃はカラ撃ちとなり、損害を出さないで目的を達せるではないか。」と問う事にしている、といっています。
 諸説あるようですが、私もこれが妥当な判断ではないかと思います。いずれにしろ陰謀説はいまだ証明されておらず、憶測の域にとどまっているのではないでしょうか。(『検証・真珠湾の謎と真実』『昭和史の謎を追う』外秦郁彦著参照)

論点7 自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
○ 我が国の自衛権を行使するための適切な安全保障体制を確立すべきです。装備の充実や武器の使用などは、その安全保障の目的にそって冷静かつ合理的に決定しなければなりません。また、自衛隊員が一種の被害者意識に陥るような状況はよくないし危険です。この点は戦前の歴史的経験から学ぶべき重要な観点だと思います。

論点8 アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。
○ 伝統文化をどのように発展させていくかは国民一人一人に課せられた課題です。優れた点を伸ばし弱点を克服する。そのためにも自国の文化的伝統の再把握が必要だと思います。歴史教育において近現代史教育にもっと時間を割くべきですね。

論点9 私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
○ 親子関係のようなものである事が望ましい、ではなく、兄弟関係のような・・・では?(*後で気づきましたが田母神氏は良好な親子関係と頼りきった親子関係を対比しているのですね。11/5)

論点10 日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
○ 山本七平さんは、「獣兵も聖兵もいなかった」といっています。また、特定の民族が残虐だとかいうようなことはいえない、ともいっています。
 日本軍の軍紀が厳正であったとは、少なくとも張作霖爆殺事件から2.26事件に至までの青年将校達についてはとてもいえません。

哲学1 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
○ 1922年のワシントン会議以降、九カ国条約で、中国の領土・主権の尊重という事が謳われ、1928年の不戦条約では侵略戦争が否定され、国家間の紛争は平和的手段によるとされて以降、「侵略」の定義は条約上明記されたのです。日本が満州国を、地方政権の独立と連省の結果と言い張ったのも、これらの条約が適用され「侵略国」の烙印を押されることを避けるためでした。それ故に、満州事変の発端となった柳条溝線路爆破事件の真相は、東京裁判においても関係者全員知らぬ存ぜぬで通し、その秘密を守り抜いたのです。

哲学2 人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
○ 国家間の関係においては、今日でも経済面においてもそういう側面がありますね。ただし、軍事面におけるそのプレゼンスは、経済面に比べてそれほど決定的なものではなくなっているのではないでしょうか。

 以上、田母神氏の論文のいくつかの論点について私見を申し述べさせていただきました。

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