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2009年8月24日 (月)

教育政策について民主党と自民党のマニフェストを比べて見た――民主党は80点、自民党は0点

 戦後64年を経て、ようやく政権交代のできる時代になったようです。特に政権選択の目安となるマニフェストが、政党と選挙民の政策公約として提示され、かつ財源等も明示されていますから、これら公約の実現可能性は、従前よりはるかに高くなったといえます。 そこで、せっかくの機会ですので、自民党と民主党のマニフェストを、私が専門としている教育行政分野について、その政策プランを比較して見ました。ただ、冒頭から誠に恐縮ですが、自民党のこの方面の改革提言はゼロでまるで比較になりません。

 これだけ見ても自民党の退場は約束されたかのようですが、民主党のそれは、逆に戦後教育改革を根本的に見直す壮大な改革プランとなっていますので、果たして本気かどうか改めてチェックし、政権獲得後の行動を監視する”よすが”としたいと思います。

 まず、「民主党政策INDEX文部科学」(これをそのままマニフェストと見ることはできないのかもしれませんが)から関連項目を見てみます。*部分は私のコメントです。

日本国教育基本法案
民主党の教育政策の集大成である「日本国教育基本法案」の主な内容は以下のとおりです。

(1)何人にも「学ぶ権利」を保障(2)普通教育の最終的な責任が国にあることを明記(3)幼児期および高等教育において無償教育を漸進的に導入(4)地方の教育委員会を発展的に改組した「教育監査委員会」を創設し、教育行政の責任を首長に移管(5)教育予算の安定的確保のため、教育財政支出について国内総生産(GDP)に対する比率を指標とする――などです

 さらに、建学の自由と、私立学校の振興、障がいのある子どもへの特別な状況に応じた教育、情報文化社会に関する教育、職業教育などの規定を設けるとともに、生命あるすべてのものを尊ぶ態度や、宗教的感性の涵養および宗教に関する寛容の態度を養うことを教育上尊重する規定を設けました。

*現行の教育基本法(2006年11月16日、衆議院本会議において、政府提出の改正案について、野党欠席のまま与党単独で採決が行われ、可決されたもの)を改正するということでしょうか。

 そもそも教育基本法というのは、国の教育行政理念(教育政策の基本方針と教育制度の基本的枠組み)を明示するためのものであって、教育理念を法定するものではありません。

 その意味で現行教育基本法は、その基本的性格が曖昧で、自民党は2006年の教育基本法改正によって、「教育正常化」(国民道徳の確立or日教組対策?)ができると考えているようですが、見当違いというほかありません。

 そういう観点からいえば、教育基本法改正も必要となりますが、民主党のかっての教育基本法改正案も、教育基本法の基本的性格を「理念法的」に捉えていましたから、なお時間をかけて議論していくべきことと思います。

 それはともかくとして(4)は、後述するように、現行教育委員会制度(都道府県教育委員会及び市町村教育委員会)の全面廃止を提言するものです。これに代わって「教育監査委員会」を創設するということが提言されていますが、これは教育委員会に代わるものではなく、自治体の首長が実施する地方教育行政あるいは学校経営に対する審査機関としての権能を有するものだと思います。

教育の責任の明確化
 国の責任と市町村の役割を明確にした教育制度を構築します。

(1)国は、義務教育における財政責任を負うとともに、「学ぶ権利」の保障について最終責任を負います(2)現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行います(3)学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会制度により、主体的・自律的な運営を行います。

*(2)は、先に述べた通り、現行の教育委員会制度を廃止して、その責任主体を自治体の首長(人口約30満程度の基礎的自治体を想定していると思われる)に移すというもので、もしこれが実現すれば、戦後GHQが行った教育行政改革の抜本的見直しとなります。その上で、各学校に「学校理事会」を置き主体的・自律的な学校運営に当たらせる、というのです。

 この学校理事会というのは、各学校に置くのか、自治体に置くのか必ずしもはっきりしません。8/24日の段階では、「教育監査委員会」が教育委員会に変わるものとして設置されるとしていることから、これを学校単位に設置するものと理解してきましたが、『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか』新保哲生著を見ると自治体に設置するもののようにも見えます。おそらく、必ずしも議論が煮詰まっていないと言うことでしょう。以下、とりあえず、それを学校に置くものとして私見を述べます。(9/2挿入)

 ここで問題となるのは、「学校経営」の責任主体が必ずしもはっきりしていないということです。自治体の首長のもとにおく「学校経営組織」と、各学校に置かれる学校理事会との役割分担が明確でないということです。私見では、学校の主体的・自律的な運営を保障しつつも、それを経営的に取りまとめる専門的「学校経営組織」を首長のもとに置かざるを得ず、これをどのような組織にするかが、今後問題になると思います。この学校経営機関のパフォーマンスを審査し首長に対して勧告をなすのが「教育監査委員会」の役目ではないかと思います。

中央教育委員会の設置
 教育行政における国(中央教育委員会)の役割は、(1)学習指導要領など全国基準を設定し、教育の機会均等に責任を持つ(2)教育に対する財政支出の基準を定め、国の予算の確保に責任を持つ(3)教職員の確保や法整備など、教育行政の枠組みを決定する――などに限定し、その他の権限は、最終的に地方公共団体が行使できるものとします。

*教育行政における国の役割と地方の役割をどう分担するか。はっきり言えば、国は(1)全国的教育基準の設定、(2)教育予算の確保、(3)教職員の養成や教育関係法の整備など、教育行政の  大枠の設定に責任を持ち、その他の学校経営上の権限は地方自治体の権限とする、ということです。そうしたことを専門的につかさどる機関として中央教育委員会を置くとしているわけですが、「中教審」を機能強化するということでしょうか。

 あるいは、戦後教育行政改革における、「教育行政の一般行政からの独立」という改革理念を、中央政府において生かそうとしているのかもしれません。そうした国の教育行政をつかさどる権威ある機関=中央教育委員会ができることは私はこれも極めて重要なことだと思います。(挿入8/27)『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか』神保哲生著によると、この中央教育委員会とは、現在の文部省の権能から学校教育に関する権能をはぎ取った独立行政機関として設置するもの、としています。(挿入9/2)

保護者や地域住民等による「学校理事会」の設置
 地方公共団体が設置する学校においては、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」が主な権限を持って運営します。学校現場に近い地域住民と保護者などが協力して学校運営を進めることによって、学校との信頼関係・絆を深め、いじめや不登校問題などにも迅速に対応できるようにしていきます。こうした学校との有機的連携・協力が生まれることは、地域コミュニティの再生・強化にもつながります。

*先に述べた通り、「学校理事会」がどれだけの学校経営上の権限を持つか、ということが問題となりますが、首長の教育行政に対して「教育監査委員会」が経営審査権を持つように、個別学校経営に対する経営評価権をもつようにすべきだと思います。といっても、基本的には対立関係ではなく、学校運営上の支援・協力関係(教育支援も含む)を基本とすべきことは言うまでもありません。

教育予算の充実
 先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP(国内総生産)比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げていきます。(以下略)。

学校教育環境の整備(略)

教員の質(養成課程を6年制に)と数の充実
 教員が職責を全うできるように、教員免許制度を抜本的に見直します。教員数を拡充するとともに、教員の養成課程は6年制(修士)とし、養成と研修の充実を図ります。(以下略)

*教員養成制度を6年制、修士課程修了とする。あわせて教員免許制度を抜本的に見直すとしていますが、これは戦後の教員養成の開放制とどう関係するのか(教職専門大学院を出ないと教員資格がもらえなくなる9/2)。いずれにしても現行の免許制度は教職の専門的職能を保証するものではなく、そのため採用選考試験がそれに代わるものとなり、教員の質の確保に困難を来しています。現在こうした問題点を改善するため免許更新制が導入されていますが、多分に予算の無駄遣いに終わる公算が高く、私見では、教員免許を国家試験化することが根本的な問題解決法だと思います。

教育の無償化
 高等学校は希望者全入とし、公立高校の授業料は無料化、私立高校などの通学者にも授業料を補助(年12万~24万円程度)します。(中略)
義務教育就学前の5歳児の就学前教育の無償化を推進し、さらに漸進的に無償化の対象を拡大することによって、保護者の教育費負担の軽減を図ります。

*公立高校の授業料無償化、私立高校の一定額の授業料補助の提言ですが、私は、低所得世帯あるいはやむを得ぬ事情により未納となる世帯に対する授業料免除制度でもよいのではないかと思います。もちろん、予算の余裕があれば無償でもよろしいでしょうが、限られた予算をどう有効に使うかということになれば、はたして、富裕な家庭にまで月一万円程度の授業料を無料とすることにどれほどの意味があるのか、私は疑問です。

高等教育の機会の保障(略)
奨学金制度改革(略)
私立学校の振興(略)

学習指導要領の大綱化
 学習指導要領の大綱化を促進します。設置者および学校の裁量を尊重し、地域・学校・学級の個別状況に応じて、学習内容・学校運営を現場の判断で決定できるようにします。

*学習指導要領の各教科の指導目標や指導内容に関する記述は、現在も「大綱」的なものですが、ゆとり教育に伴って導入された創意の時間や選択学習の時間の設定などが加わって、各教科等の時数の割り振りが極めて複雑なものになっていることは事実です。

 これは必ずしも学習指導要領だけの責任ではないのですが、義務制学校については学校経営の責任主体が明確になることでもありますし、指導内容や方法・時間の選択も含めて、設置者や学校の裁量にまかせて、教育効果を第一に考えたカリキュラム編成ができるようにすることが必要だと思います。

教科書の充実
 中学や高校などにおける教科書のデジタル化を進め、内容の充実を図ります。教科書採択にあたっては、保護者や教員の意見が確実に反映されるよう、現在の広域採択から市町村単位へ、さらには学校(学校理事会)単位へと採択の範囲を段階的に移行します。

*いずれにしてもデジタル化によって各種教材・資料の利用は格段に向上すると思います。かといって印刷された教科書が不要になると言うわけでもないでしょう。また、教科書採択については、いわゆる偏向教育を問題にする人もいるでしょうが、そこは先ほども申しましたように、首長の教育行政も明確となり、また学校経営の責任主体となる「学校経営組織」、あるいは学校理事会も設置されることですから、そうしたところでしっかりとチェックすべきことだと思います。

拡大教科書の充実(略)
学校安全対策基本法の制定(略)
学校施設耐震化の促進(略)
スクールカウンセラーおよびガイダンスカウンセラー制度の充実(略)
大学改革と国の支援のあり方(以下略)

 *以上民主党の教育行政制度改革に関するマニフェストを見てきました。はたして、どれほど真剣に考えているのかしら、といぶかる点なきにしもあらずです。しかし、ここに提示された政策は、現行教育委員会制度のほとんど病膏肓に入った感のある制度形骸化の現実を確実にとらえていると思います。

 今回の民主党のマニフェストの基本政策目標は「中央集権的な政府を『市民へ・市場へ・地方へ』の観点から再構築する」となっています。そうした観点から見た時、今回の民主党のマニフェストで約束された教育行政制度改革のための政策提言は、その基本政策目標に恥じぬ内容を備えており、その実現可能性と共に、政策立案の勇気を評価したいと思います。

 そこで、次に自民党のマニフェストですが、残念ながら教育行政制度改革の文言は一行もありません。あるのは「教員免許更新制の着実な実施」「教育現場の正常化」「全国学力テスト継続の実施」「少人数学級」「地域社会に開かれた学校づくり」「地域の伝統文化の継承と発展」「伝統文化を尊重する豊かな人間性と正しい倫理観を涵養する教育の実践」などという、おなじみのものだけです。

 「教育現場の正常化」とか「正しい倫理観の涵養」とか、前者は学校経営の責任主体を明確にしない限り解決できない問題ですから、それに対応した制度改革が伴わなければ意味がありません。また、キャッチコピーとしても時代が完全にずれています(今日、日教組と文科省は蜜月関係?)。まして後者については、政治家の仕事は、「倫理観の涵養」などではありませんから・・・。すでに自分自身をも見失ったか、というのが私自身の率直な感想です。

8/25am4:00 最終稿をアップしました。

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コメント

apさんコメントありがとうございます。民主党のマニフェストでは、指導要領も教科書検定教科書採択も、最終的には、学校単位に設置する「学校理事会」とする、としています。この学校理事会というのが基礎自治体単位か学校単位か必ずしも明確でなかったのですが、どうやら学校単位らしい。

 こういうところが、おそらく日教組系の学者の意見をそのままマニフェストに書き込んだだけの”作文”といわれるところなのです。

 私は、公立学校経営(ひと、もの、かね)の責任主体を学校に置くことは無理だと考えています。これは基礎自治体単位(30万人口規模程度)に置くほかありません。

 私見では、指導要領と教科書検定は中央教育委員会の権限、教科書採択は自治体単位とすべきだと思います。また、国防、治安教育についても言及されてますが、当然、指導要録の中に明記すべきだと思っています。

 この件は、私論「多母神論文から有事教育のあり方を考える」で今書きかけているところです。「http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/kingendai/tabokami.html

 また、「教育の自由化」も一頃随分話題になりましたが、この問題は、公立学校経営の責任主体をどこに置くか、という問題を明確にしない限り前に進めない問題です。

 私は地域の公立学校経営の最終的な責任主体はやはり自治体とすべきで、その範囲内で学校運営の自主性をできるだけ尊重するようにすべきだと考えています。

 なあーんだ前と一緒じゃないか、といわれるかもしれませんが、現行制度の基礎自治体の教育委員会は学校経営機関としては全く形だけで、実質的に県教委や文科省のダミーのような権能しか持っていないのです。

 これをかっての藩が藩校を経営したように、名実共に自らの自治体の子弟の教育に責任を持てる組織にする、そのためには教育長を全国公募する、校長もあるいは教員さえも公募制にする位にしてもいいのです。

 そういった思い切った教育施策をうてる、そのような権限を自治体の長に与えるべきなのです。その学校経営の実施機関としてなんらかの「学校経営組織」を自治体に置かざるを得ない、私はそう考えています。

 つまり、「学校経営」はきれい事では済まず、否応なしに「教育政治」がからむのです。それを乗り切るだけの知力、体力、政治力が必要とされます。それに失敗すれば当然藩主は追放されます。それくらいの覚悟が学校経営には求められる、と言うことです。

ある程度現場の裁量権を増やすことは良いことだと思うのですが、国家としてのまとまり、ごく基本的な道徳・倫理、国防、治安に関する教育に国が関与しないという方向は、国際社会において日本が生き残るという点から見ると、危険ということはないのですか?将来移民を受け入れるなら、なおのことですよね。
逆に、ここさえしっかりしていれば、公立の学校なんかなくして全て私塾でもいいような気もするんですが。
篤志家や大企業がバックアップして、経済的に恵まれないが優秀な子、やる気のある子供はタダで学校に行けるとか。先生の能力に応じて給料はいくら高くてもいい、とかいうことになったら面白いですよね。子供も画一教育じゃなくて、夢が持てますね。

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