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2009年9月

2009年9月30日 (水)

政治主導と派閥の関係――官僚内閣制から内閣官僚制への転換

 以前、野党時代の鳩山由紀夫氏の印象について、その無表情でユーモアのかけらもない政敵攻撃スタイルを批判したことがあります。ところが、首相の地位を得て後の鳩山氏の表情は実に明るく、高々と国際社会に友愛の旗を掲げ、颯爽としているように見えます。日陰から陽の当たる場所に立ったのですから、それも当然だとは思いますが、その印象があまりに対照的ですので、弟の鳩山邦夫氏ではありませんが、つい氏の「宇宙人」鳩山由紀夫説を思い出してしまいました。 

鳩山邦夫氏の談話(『文藝春秋』八月号「鳩山邦夫大いに吼える」)

 「兄は努力家です。しかし信念の人では全くないと思います。自分の出世欲を満たすためには信念など簡単に犠牲にできる人です。・・・今は虚像が前面に出すぎていますよ。実像はしたたかを絵に描いたような人で、じぶんのためになるのなら、どんな我慢もできるんですよ。あの人は。」

 「ズルい人ですから、いまでも政界遊泳術という点では日本一のスイマーでしょう。最後に自分がうまく昇りつめられるように、全て計算して生きてきたという感じがします。だから見事だといえば見事なのですが、私のような自分の信念や正義漢を大切にする人間からは、考えられない世界に生きている人ですね。」

 「私から見れば宇宙人ですね、まさに。自分の権力欲にここまで忠実に生きてこれるというのは大したものですよ。・・・
 兄は私に『小沢一郎的なものを全部、今の政界から抹殺するんだ。それがオレのライフワークなんだ』とも口にした。どうして小沢一郎がそんなにダメ何だと尋ねると、兄は『とにかくすべて金権政治だ。ぜんぶ金じゃないか。派閥の計算だけでやるじゃないか』という。・・・
 問題はそこまで嫌っていた小沢一郎さんにゴマををすって、べったりくっついていったことです。・・・やはり信念のないのが宇宙人なんでしょうね(笑)。」

 その鳩山邦夫氏は、民主党勝利後にマスコミのインタビューを受けて、その勝因の一つに、”おれが麻生の足を引っ張ってやったこと”を挙げていました。その自覚がある、と言うことでしょうが、それにしても、ケネディーファミリーにも比定される鳩山家の、「漫画的」に正直な弟と、「宇宙人」的マキャベリストである兄の取り合わせは、これからも、日本の政界にホットな話題を提供していくことでしょう。

 ところで、民主党政権になって、「政治主導」ということが世間の注目を集めています。鳩山首相自ら、なんかしらん、自分中心の外交方針を掲げて国連演説をし、一定の評価を受けていますし、各大臣もそれぞれおらが大将でものを言っている、といったそんな印象。一方、前原国交大臣のように、半世紀以上続いたダム建設を”ムダ”だといってその中止を明言し、住民説得に奔走する大臣もいます。まさに政権交代なくしては起こりえない”奇跡”が眼前しているわけです。

 そこで、今回は、民主党政権の「政治主導」は今後どうなるのか、それが機能するためにはどのような条件整備が必要か、ということについて、山本七平の『派閥』(1985年4月25)を参考に、「歴史的」考察を加えてみたいと思います。この『派閥』という本は、今から約25年前に出された本ですが、今回の政権交代にともなう「政治主導」のあり方を考える上で重要となる歴史的視点を提供しています。それは、日本の組織の共同体的性格に対して、一定の合理性を持つ「法と権利の世界」を構築する必要を説くもので、タイムリーと思われますので、以下引用が長くなりますが、紹介させていただきます。

 「今日の官僚制にはよさも悪さもありますけども、その最大の問題はやっぱり閉鎖共同体だということだろうと思うんですね・・・したがって通産省とか農林水産省など、個々の閉鎖共同体の間の調和をいったいどうするんだ、ということが最大の問題になってくる。官僚制は、分業の原則に従って業態別に分かれている。つまり縦割りになっているのですが、では何本もある縦割り組織の対立をだれがどのように調整するのかという大きな問題が出てくる。この問題に対する答は今のところ見つかっていません。

 明治の初めのうちは、藩閥という横のシステムが機能していて、伊藤博文の子分は大蔵省にもいれば商工省にもいる、陸軍省にも外務省にもいるということになっていましたから、伊藤博文が『ちょっと来い』といえばいろんな省から人開か集まってきた。したがって、縦の原理と横の原理のバランスがあったと思うんですね。ところが、高文制が明治二十六年から始まって二、三十年たちますと、選抜制でやってますから、藩閥がなくなってくる。・・・藩閥色が急速に薄れて、そして各省縦割りになって横の原理がなくなってくるわけですね。藩閥についで現われた横の原理が政党政治です。」

 しかし、「藩閥に対抗して出てきた自由民権運動、それを基にしてできた自由党は、一種の「対抗藩閥」という形にならざるを得なかったことである。その意味では藩閥は派閥の母体といえるが、この派閥的政党政治は失敗し、次に軍閥が登場する。そして戦後でこの政党政治が復活したわけだが、では大谷氏が「見つかっていません」といわれた「横割りの原理」、いいかえれば、この縦割りの組織の統合はどこが行うべきなのか。」

続いて、山本七平と天谷直弘氏の対談

山本 調整機能は本来、閣議がやるべきでしょうね。

天谷 それがまた、日本の官僚制の非常に大きな特徴の一つにもなっているんですが、内聞官僚はいないということなんです。大蔵官僚はいる、通産官僚もいる、しかし、内閣官僚はいないわけです。内閣官僚は、益荒男派出夫で、各省からみな出かけている。

山本 ほんとだ。(笑)総理補佐官というのがそうですね。

大谷 先はどもいいましたように、日本のビューロクラシーは、本来、藩であり共同体であり、終身雇用になっており、したがってフランチャイズ、テリトリーがはっきりしていなければ力を発揮できない。ところが、内閣というテリトリーを見ますと、終身雇用になっていない。各省から全部派遣されている。ですから、内閣官僚制は存在しないということになってしまう。アメリカですと、ホワイトハウスがものすごく強いわけで、たとえばニクソンを補佐するハルトマンという人は、それまで広告代理店をやってたんでしょう。

山本 そう、そう。(笑)

大谷 このおっちゃんが乗り込んできて、ある日から偉くなって、断固権力を振るうわけですけれど、日本ではそんな制度はないですからね。日本では、官僚を超えた、そういう内閣補佐官みたいなものは存在していない。アメリカの大統領補佐官に似た機能――縦割りを横に束ねる機能を日本で求めるとすれば、政党か国会かということになるんですね。

 ところが政党を見ますと、自民党に政務調査会(略称、政調会)がありますけれど、その中の商工部会とか農林部会とかみな縦割りになっている。つぎに国会に行きますと国会がまた、農林族とか商工族とか郵政族とかにわかれている。つまり、国会も政党もすべて縦割りになっていて、行政機構をコピーしてはいけない、別の原理と別の機構をもって政治と行政はバランスしなければいけないのに、まるでホモセクシュアルみたいになっているんですね。したがって、内閣の統合力も、国会と政党の統合力も低く、村々、族々が栄えている状態なんですがね。」(以上前掲書p22~25)

 そしてこの「村々、族々」を何とか統合して部分的にまとめ上げているのが派閥である。だが「派閥」は何らかの「原理」に基づく「統合機関」ではない。いわば「裏権力としての統合機関」なのである。「角番十年氏」の語ったことを、あとで「派閥とは何か、なぜ存在するのか、どこにその存在理由かおるのか」という点から読み返してみると、結局、そういう結論にならざるを得ない。いわば各省と「ホモセクシュアル」に結合している建設族、商工族、農林族等の「族々」の有力者を、「角閥」の中に統合して、これを支配しているのが角栄氏ということになろう。

 もちろん、各省の利害は対立するであろう。さらに外部からの圧力団体の利害も対立する。それぞれ対立する「族」と「村」を「派閥」という組織の中に統合し、これを握り、その矛盾を強制的に調整する能力を持つものが、統合する力、すなわち「権力」を握る。そしてその権力の源泉はまず相手を当選させることも落選させることもできる、ないしはできると信じ込ませること、すなわち選挙区の「安堵」能力に基礎がおかれており、さらに抜擢、援助その他が加わること等によって成り立っている。

 簡単にいえば「縦割り」は「当選か落選か」を握る権力で束ねられ、これが、「族」と「村」を統合できるから権力になる。ということは「裏権力」とは一言でいえば「納得治国家の派閥・人脈権力」であろう。その一面はまことに伝統的”幕藩的”である。

 大臣とは一面、各省とそれに一体化した「各省族議員」から派遣された内閣へのスポークスマンのような位置におり、その主張の代弁者たらざるを得ない。一方、派閥からの派遣者として、その派閥の領袖の意向の代弁者たらざるを得ない。従ってその派閥が強大で強力な権力を持っていれば、派閥の意向を閣議で主張する、閣議がその決定通りになれば、閣議は派閥決定の形式的な認証機関に過ぎなくなってしまう。」

 「前に天谷氏は内閣官僚のいない日本では内閣官僚は『益荒男派出夫』だといわれたが、こうなると大臣も同じことで各派閥からの益荒男派出夫ということになってしまう。そしてこうなれば、地下茎を通じて縦割り行政を横断的に握り、最大派閥を掌握して閣議を握った者が権力者ということになる。」(以上前掲書p82~p84)

 これが小泉元首相が登場し”自民党をぶっ壊す”といって内閣主導の「政治主導」体制を作り出す以前の、自民党の派閥主導の政治統合システムでした。このときは、小泉元首相は、各省大臣や与党幹部の人選を、派閥の意向を無視して一本釣りで決めたり、法案作成においても、従来省庁間の合意が前提になっていたものを、経済財政諮問会議で骨太の方針を決め、閣議決定までもっていき内閣の大方針とし、それに従った予算編成をさせたり、族議員の抵抗に対しては、与党の事前審査を受けずに法案を国会提出したりしました。

 では、こうした縦割り組織を、従来の派閥はどのようにして統合していたのでしょうか。それは、これらの縦組織間に、表からは見えない「地下茎的裏組織」を張り巡らせ、これを裏で操作することでインテグレート=統合していたのです。ガルブレイズによれば、そうした政治的権力の源泉は、個人的資質、財力、組織であり、その行使は、威嚇、褒賞、条件づけによってなされるといいます。しかし、派閥による統合の場合は、この組織が裏組織のために見えず、こうした権力行使を制度的にコントロールすることができませんでした。

 では、田中氏はこうした裏組織である派閥をどのようにコントロールし統合機関としていたのでしょうか。田中氏は、その権力の源泉である財力とは別に、個人的資質として、人を惚れ込ませる「実直さ・義理堅さ」――日本の伝統的庶民的倫理――とをもっていたといいます。また、彼自身学歴がなく学閥には無関係であったことから、実力があれば、学歴に関係なく人材登用する。またカネをばらまく場合も、自分の派閥だけでなく派閥を超えて必要と思うところに金を渡す、それも金額が多い。さらに絶対に領収書をとらないなどなど、まことに日本人の伝統的心情に即した行動をとった、と。

 また、政治家にとって最も重大な関心事は、自分の選挙地盤=所領を安堵する(=守る)ということであって、その「所領安堵」をしてくれる派閥の領袖に対しては、戦国時代の地侍がそうであったように忠誠を尽くす。そうした所領安堵のための手法が、一般会計や特別会計からのその所領を維持するための予算配分や公共事業の割り当てだったのです。そのことは、権力行使における報償に当たりますが、逆の威嚇にあたるものは(口にはしないが)「お前を落選させてやるぞ」だったそうです。

 また、もう一つの人心収攬術が、「慶弔」で、「人に会う前にその人のことを両親から親戚縁者、出身地、一族の中の有名人等々まで調べて、すぐにそこから話を始める」「特に葬式・・・こういう時絶対に義理を欠くようなことはしません」「角栄氏の特徴はそれが実に綿密なだけでなく、選挙区はもちろん官僚群にまで及んでいた」こうした努力の積み重ねが、選挙民に報償権力を行使して自己に投票させるという結果になっていたといいます。

 つまり、「実直(信頼性)、抜擢による施恩、慶弔の重視に見られる伝統的義理・人情の絶対化、あらゆる世話役、地元への面倒見のよさ(故郷の重視)等、(これが)いわゆるスキンシップ的に行われ」ることによって、権力行使における条件付けがなされ、自民党を支持する安定的な票田の育成につながっていたのです。そしてこうした手法を田中派幹部として体得し、それをひるむことなく実行に移し得た人物が、小沢一郎氏であったといいますが、氏はそうした影を今でも引きずっていますね。

 では、その問題点の基本はどこにあるのか。それは、戦後は内閣の権能が強化され、閉鎖的共同体的に運営される各省庁を政治的に統合する権能は、首相がこれを行うとされながら、「その手足たるべき内閣官僚は存在せず、補佐官は閉鎖共同体である各省からの、大臣は派閥からの、益荒男派出夫であって、統合機関としての実体を持たなかった」ということ、そのために派閥が、これを「地下根茎的組織」を通じて裏から内閣や官僚を支配することになった、という、この制度的欠陥をいかに克服するかということなのです。

 「もっとも時代は少しづつ変化し、制度を変えなければ改革はあり得ないこと、同時に制度とは、変える意志があれば変えうるという発想は、徐々にだが国民に浸透している。電電や専売の民営化、国鉄の分割案、さらに健保への私企業の参入計画等、過去には考えられなかったことが八十年代に入って徐々に出て来たのは、制度の改革ないしは見直しが基本であることが理解されてきたからであろう。

 国鉄をそのままにしておいていかに「親方日の丸でなく私企業的なマインドをもて」とお説教をしてもそれは無理な話であり、義務教育を国家独占に等しい戦時中の国民学校の制度のままにして「教育荒廃」を文部省のお説教で何とかしようとしても、それははじめから無理である。このことは、政治についてもいえる。否、政治にこそそれが最も強く主張されねばならない。

 民主制とは「法と権利の世界」が「事実の世界」に正確に対応せねばならぬ政治制度のはずである。・・・派閥の領袖たちでなく、内閣という統合の中枢機関が、真にその機能をもってはじめて「責任内閣制」という制度が「法と権利の世界」に正しく対応するはずで、それを現実化しうる制度が確立すれば、明治以来の最大の改革となるであろう。これを主張し、制度の内容を提示することが、新しく要請される「正論の政治」であろう。

 だが、そこにはもちろん、国民の「代議士なる者」への意識の変革という重要な要素が、さまざまな面で要請される。・・・いわば「・・・田中角栄方式」というべきもの、簡単に要約すれば、明治のいわゆる国庫下鍍金を選挙区につぎ込みうる能力を政治力と考え、この能力を持つ者に投票し、一方はこの能力を自己ないし自己派閥政治的資産とするという行き方、この行き方が徐々に終わりに向かいつつあるということである。」

 しかし、「これが「大分県の一村一品運動のように、地方自らの手で、その地方の特性を生かした新しい国作りという方向に進み出せば、前記の能力は、支持さるべき政治力でななくなってくる。ここに、たとえ派閥が残ってもその内実は変化せざるを得ないという前提があるであろう。長い間「外交は票にならない」といわれて来た。これは「・・・田中角栄式方式」が絶対の場合は、そういわれて当然である。だがここにはすでに政治意識の新しい変化の目が出ていると思われる。」(以上前掲書p236~238)

 まるで、今日の政治状況を踏まえて書かれた評論であるかのような錯覚を覚えますが、その後のことを少し付け加えるなら、1990年代から、こうした政治改革の気運が高まり、中選挙区制を廃止して小選挙区比例代表制が導入され、政党助成金法の成立(1994年)したということ。そしてそれが、後の小泉構造改革を可能にしたということ。また、この時期、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏が二大政党制を導入するため、行動を開始したということは間違いないと思います。

 ところが、2001年4月、一人の”変人”宰相が自民党に登場し、”自民党をぶっ壊す”と豪語して、こうした政治改革、いわゆる小泉構造改革(参照)に取り組みはじめました。それはまさに田中角栄方式による派閥統合システムを”ぶっ壊す”もので、そのため民主党は完全に改革政党としてのお株を奪われた格好になり、小泉劇場の前で沈黙を強いられることになりました。しかし、小泉内閣以降の自民党政権が、この政治改革路線の継承・発展に失敗し、そこに民主党がつけ込むかたちで、今回の「あれよあれよの政権交代劇」となったのです。

 こうして、現在、民主党による「政治主導」の国政運営が取り組まれているわけですが、いうまでもなくその要諦は、「官僚内閣制から内閣官僚制への転換」であることは、以上の論述によって明らかだと思います。また、そのためには公務員制度改革が必要ですが、これも小泉構造改革以来取り組まれていることですので、財政諮問会議の経験とも合わせて、閉鎖共同体的に運営される官僚組織、その他外部の圧力団体の要求に対して、「政治主導」体制をいかに確立するか、知恵を働かしていただきたいと思います。

 というのは、こうした日本の組織の閉鎖共同体的性格やその派閥体質は、なにも中央政界や省庁に特有な現象ではなく、地方の公務員組織においても、さらに「財界、労働界、学界、宗教界、言論界等々、日本の社会のすみずみまで存在し、それが政治の世界に現れているにすぎない」からです。現在は、いわゆるグローバリズムの波の直撃を受けた中央政界において「政治主導」体制の構築が話題を集めていますが、同様の問題が地方にも存在していることは、あらためて申すまでもありません。

 こうした問題点を、地方においても、それを自らの課題として主体的に取り組む必要に迫られているからこそ、今日「地方分権」が訴えられているわけで、単に中央から地方に権限委譲するというだけの話ではないのです。それにしても、国民新党の亀井氏や社民党の福島氏は、こうした課題を新政権の中で、どのように処理していくのでしょうか。また、それを鳩山首相はどのようにコントロールするのでしょうか、他称「宇宙人」自称友愛政治家鳩山由紀夫首相の真価は、その時明らかになると思います。

*二カ所の下線部は、それぞれ「豹変ぶり」「正体」としていましたが、失礼に当たると思いましたので、訂正させていただきました。(10/2)

2009年9月18日 (金)

鳩山民主党政権の”看板”に偽りはないか。――正直がなければ友愛もない

 鳩山内閣は、75%(読売新聞)という国民世論の高い支持率に迎えられて華々しくスタートしました。しかし、民主党のマニフェストに示された政策理念が”高尚”であるだけに、しばらくは混乱が続くのではないかと思います。しかし、そのうち現実社会とのすりあわせも出来て、地に足のついた議論が出来るようになるのではないでしょうか。今後の議会における自民党との丁々発止の政策論争や、マスコミによる徹底した検証報道に期待したいと思います。

 そんなわけで、しばらくは時事的な話題を離れて、「昭和の青年将校はなぜ暴走したか」の続きを書こうと思っていました。しかし、亀井静香氏が郵政改革相に就任したことで、前回書いた、民主党の脱官僚政策と小泉構造改革の親近性の認識が破れる情況が出てきました。そこで、再度、前回書いたことを再認識するために、二人の専門家の意見を紹介しておきます。一人はダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏、もう一人は小泉構造改革を押し進めた竹中平蔵氏です。

辻広雅文(ダイヤモンド社論説委員)

【第84回】 2009年09月16日
「直接補助」政策を掲げる民主党政権の“踏み絵”~業界団体を破壊するのか、取り込むのか

 「民主党は、子ども手当ての支給、高速道路無料化、農家戸別補償などの直接補助政策を掲げている。つまり、それは各種の業界団体を飛び越えて所得を再配分する政策である。前者が、公共事業を通じて供給側(企業、産業)をテコ入れする手法であるなら、後者は、需要側(家計、消費者)に焦点を当てる政策、と言ってもいい。

 この直接補助政策を民主党は高らかに掲げ、総選挙に圧勝、悲願の政権を手にした。そして、この未知なる与党には、ある「踏み絵」が待っている

 もう少し、説明を加えよう。中間業界団体を通じて末端にまでおカネを回す間接補助政策は、二つの柱に支えられていた。一つは、補助金、助成金などの特別な予算措置であり、もう一つは、法規制あるいは裁量規制によって生じる超過利潤である。前述した農業、郵政関連事業、医療などが典型的な規制保護産業であったことは、言うまでもない。(*これが、戦後自民党が築き上げた国土均等発展、地域間や家計間の格差を是正する所得再配分システムである。)

 ところが、日本経済が低成長時代に入り、そこにバブル崩壊が加わって長期低迷に至ると、補助金や助成金などの優遇措置の原資である税収が減少した。公債発行による借金も世界一の水準に達した。そうして、税金が流れ出す蛇口は止まり、還流ルートは細る一方になった。一つの柱が崩れそうになれば、もう一つの柱にしがみつこうとするのは理の当然である。中間業界団体は、規制保護による既得権にますます固執するようになった――。

 そこにメスを入れたのが、小泉政権であった。構造改革によって、規制を外し、既得権を剥ぎ、生産性を向上させようとした。長きに渡って二重の保護政策に使って(浸って=筆者)きた規制産業は、すっかり競争力をなくしてしまっていたからである。経済の活性化を本気で志向する政府であれば、遅すぎるほど政策であった。

 だが、後を引き継いだ三代の自民党政権は、小泉政権がさまざまな格差を拡大したと批判されると、構造改革路線を次第に離れ、かっての間接補助型の所得再分配方式に回帰し始めた。その結果、自民党は二つの相反する主張を持つ層からともに批判されることになった。格差拡大に怒り、その是正が不十分だと不満を持つ層と、構造改革路線が中途半端に終わり、既得権益層の逆襲が始まっていると批判する層である。

 この二つの層がともに自民党を拒否し、民主党を支持した。あるいは、巧みに民主党が引き込むことに成功した。これが、総選挙における民主大勝の理由である。

 しかし、この大勝によって、民主党は難問を抱えることになった。相反する主張を持つ層に対して、どちらも満足させる政策を打つことなどできない。どちらを向くべきなのか、踏み絵を踏まなければならないのである。

 彼らの政策手法は、直接補助である。上記したように、間接補助の仕組みは維持しようにも維持できない時代背景もある。とすれば、おカネの流れから中間業界団体を外す傾向を強めることになる。

 実際、農家に対する戸別補償は直接補助の最たるものであり、農協組織に多大なる打撃を与えることになるだろう。小沢一郎代表代行も、農業改革における農協の存在を障害だと口にすることがある。その狙いは、自民党族議員―農協―農水省という鉄のトライアングルの解体であろう。

 また、民主党のマニュフェストには、厚労省と文科省に分かれている育児支援を一元的に担当する「子ども家庭省」の設置が盛り込まれている。つまり、保育園と幼稚園の一元化である。両者の一元化によって、それぞれに関係するあまたの協会、団体などを廃止し、助成金、補助金などを取り上げ、その代わりに、育児家庭に直接補助を行うのである。

このように中間業界団体を干上がるに仕向けて、自民党型の既得権益維持システムを破壊する方向に進むなら、民主党は構造改革推進派の支持を重視する政権運営に舵を切ることになる。

 ところが、構造改革による既得権益打破の象徴である郵政民営化に対しては、まったく逆の政策を遂行しようとしている。国民新党を連立に加え、日本郵政の4分社化は凍結、西川善文社長を辞めさせ、一体化にまで逆行させようか、という意気込みである。

 これらの正反対の政策の混在を、どう考えたらいいのだろう。

 総選挙で大勝したことで抱え込んだ踏み絵という難題を、まだ整理できていないのかもしれない。そうではなくて十分理解しているのだが、例えば日本郵政の労組を始めとして支持、支援してもらった団体には配慮せざるを得ないという政治的リアリズムゆえかもしれない。もっとずる賢く、農協外しや育児支援一元化という先制パンチを、他の業界の中間団体がどれほど恐れ、恭順の意を示すのかをじっと観察し、いずれ取り込みを図ろう、という心積りかもしれない。この場合は、いくつかの既得権維持システムは変形されて、民主党に引き継がれることになるだろう。おそらく、こうしたさまざまな事情、思惑が民主党内部にうず巻き始めているのだろう。

 最後に、もう一度、直接補助政策の特質に立ち戻りたい。

 間接補助政策からの転換を図るということは、その産業を保護している規制を外せるということである。技術革新を生み、生産性が向上するような自由競争的な市場を制度設計できるということである。それは他方で、正当な競争の上に敗れた企業には退出を促し、雇用維持のための過剰な政府支援は行わないという自由主義的冷淡さを併せ持つ政策である。

 しかし、その一方で、個人が仮に失業しても生活を維持し、なおかつ職場に復帰できる支援システムを社会保障政策として遂行する、つまり、個人に直接補助し、護る、という政策である。

 旧産業再生機構の専務を務め、現在は経営基盤共創基盤センター代表である冨山和彦氏は、直接補助政策の本質を、「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、個人に対する高福祉高負担が両立する政策だ」と表現する。

 この本質を民主党が理解しているか、その一点を注視したい。」

 以上、長文の紹介になりましたが、私も、民主党が「新しい国のかたち」の基礎を築くことができるかどうかは、まさに「この本質を民主党が理解しているかどうか」その一点にかかっていると思います。

 また、この点についての竹中平蔵氏の意見は次の通りです。

郵政見直しが招く大損害:竹中平蔵(慶應義塾大学教授)(1)
2009年8月18日(火)08:00
抵抗勢力と同じポジションを取った民主党

 「民主党といえば「改革」のイメージもあった。私も小泉政権に参画することが決まったとき、民主党が改革を少しはサポートしてくれるのではないか、と考えていた。しかし、フタを開けてみたら、民主党は不良債権処理にも反対、郵政民営化にも反対の姿勢を打ち出した。自民党の抵抗勢力と同じポジションを取ったのである。

 郵政民営化が国会で盛んに議論されていた時期、何人かの民主党議員から、個人的に「竹中さんのおっしゃるとおりなんですよね」などと声を掛けていただくこともあった。だが、それに対して「それなら、あなたも政治家なのですから郵政民営化に賛成されたらいかがですか」と聞くと、「いや、それはさすがに難しくて……」という、サラリーマンの中間管理職の悪しき例のような答えをいただくことが多かった。そのような個人的体験があるからこそなおさら、民主党が政権を取ったときに、実際にどのようなスタンスを取るのかは、どうしても注目せざるをえないのである。

(中略)

 今後、既得権益者たちが求めてくるのは、おそらく郵政三事業の一体化である。民営化にあたって郵便事業株式会社(日本郵便)、郵便局株式会社(郵便局)、郵便貯金銀行(ゆうちょ銀行)、郵便保険会社(かんぽ生命)に分けた郵政事業を再び一体化させるというもので、これは間違いなく民営化を中途半端なものにする。

 たとえばゆうちょ銀行の完全な民営化とは、民間の銀行と同じ銀行法を適用することである。ところが三事業を一体化すれば、銀行業務と宅配便業務を一緒に行なうことになる。これは銀行法で禁止された行為で、三事業を一体化する場合、新たな法律が必要になる。すなわち銀行法の適用を受けない銀行になり、これでは完全民営化にならない。所管も金融庁だけでなく、総務省との共管になる。総務省の権限が残るわけで、これぞまさに郵政ファミリーの悲願である。

 三事業一体化のほか、別々の会社に分かれている郵便局と郵便事業を一緒にするという話も出ているが、これも危険である。彼らだけで、かつての郵政の91パーセントを占める。せっかく民営化で4分割したのに、9割以上を一緒にしてしまうことになるのである。これもまた郵政ファミリーの悲願で、民営化すれば官のガバナンスから離れて自由度が高まる一方、中途半端な民営化だから、責任は民間より軽い。そこに巨大な郵政ファミリーが生まれれば、まさにやりたい放題である。

 民主党政権になって、中途半端な民営化になれば、残念ながら郵政民営化は「失敗に終わる」だろう。郵政民営化が失敗すれば、その負担は全部国民にかかってくる。一方で郵政ファミリーは、ぬくぬくと生きる。これはかつての国鉄と同じ構図である。国鉄時代は毎年赤字でも職員はぬくぬくとし、一方で運賃をどんどん値上げしていた。それが民営化以降、大幅な値上げはなくなったのだ。 

(中略)

 今後の日本を考えるとき、まず覚えておきたいのは、いまの民主党人気がバブルだということである。実力以上に、期待や評価が高い。このことは、7月の東京都議選を見てもわかる。結果は民主党の圧勝だったが、民主党の候補者は自民党の候補者に比べ、どう見ても実績や実力では劣るように映る。8月末の国政選挙でも、同じ事が起きるだろう。

 バブルがひとたび起これば、その後の道は2つしかない。1つは実力を高め、評価に近づけることで、これこそ国民にとって望ましい道である。だがそれができない場合、いずれバブルが崩壊し、民主党は徹底的に叩かれる。

 このとき何が起きるかというと、国債の暴落である。日本経済に対する世界の信認は、すでに大きく揺らいでいる。株価を見れば明らかで、世界的大不況のなか、アメリカとヨーロッパは株価が5年前に戻っている。中国は2年半前と同じで、日本はどうかというと、26年前と同じなのだ。官僚社会主義の跋扈により、日本経済は26年前まで戻ってしまったのである。
 
 しかも現在も、財政赤字がどんどん増えている。「このままだと失われた10年になる」という声もあるが、とんでもない。1990年代の「失われた10年」のときは、始まりの時点で日本は黒字だった。ところが今回は、赤字からのスタートである。このままでは日本経済は10年ももつまい。そうした日本に対するマーケットからの警告が、まず国債市場を通して表れる可能性は高い。

 それを止める手だては、民主党が実力を付けて改革を行なうか、さもなくば民主党バブル崩壊後、自民党の改革派と民主党の改革派が正しい政策を掲げるしかない。結局は日本経済を強くして、成長させないことには、何をやってもうまくいかないのである。福祉の充実にしても、まずは所得がなければ話にならない。所得があって初めて、それをいかに再配分するかの議論ができる。所得を増やすには成長が必要で、そのために求められるのが日本経済を強くするための仕組みの変換、つまり構造改革なのである。

 いま構造改革というと、「格差を拡大するもの」と見なす風潮が強いが、これは大きな間違いである。メディアも「小泉構造改革によって格差が拡大した」などと喧伝しているが、これは構造改革によって既得権益を失う人たちのネガティブキャンペーンに毒された結果といっていい。少なくとも小泉改革の時代、格差は拡大していない。このことは、所得の格差や不平等の指標であるジニ係数を見れば明らかだ。当然の話で、経済が拡大し失業者が減れば、格差は縮小するのである。そんな当たり前の話を無視し、既得権益を失いたくない人たちのウソに騙され、みんなで改革を止めようとしていることに、早く気付かなければならない。」

 私は、今日の郵政民営化をめぐる日本の政治状況のはなはだしい混乱を見ていると、かっての国鉄民営化の時のことを思い出します。あの時の改革に伴う”痛み”は大きかった。相当数の自殺者も出た。それに比べると、今回の郵政民営化に伴って生じた”痛み”って一体なんだろう?少なくともユーザーから見て郵便局が不便になったとは思えないし、ATMなどは随分利用しやすくなった。

 違いは、国鉄改革の時は反対勢力は労組のみ(それも分裂していた)だったが、郵政改革の場合は、労組のほか特定郵便局長や郵政ファミリー、そこに天下っている官僚群など膨大な既得権者がいたということ。さらには鳩山総務相や麻生首相など政府首脳がブレたこと。それに民主党が党利党略でつけ込んだこと。つまり、それだけ既得権が甘く大きく、その政治的抵抗力が強かった、ということではないかと思います。

 しかし、そのために、竹中氏が予測するような日本経済の混乱が起これば、民主党は厳しくその責任を問われることになるでしょう。そうならないためには、辻広氏がいうように、民主党がその直接補助政策の本質を「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、個人に対する高福祉高負担が両立する政策」と思い定める事が必要です。それは、一面、小泉構造改革を継承することでもあります。

 民主党のマニフェストに示された「新しい国のかたち」が大変魅力的なものであるだけに、民主党には、ゴマカシのない正々堂々たる議論を期待したいと思います。正直がなければ友愛もない、私はそう考えます。

(校正9/19)

2009年9月 3日 (木)

あれよあれよの政権交代劇――「小泉がつき、麻生がそこねし天下もち、ちぎりまるめて、食うは鳩山(小沢か?)」

 まさに地滑り的な民主党の勝利で歴史的な政権交代となりました。55年体制以降初めてといわれますが、二大政党制のもとでの政権交代劇という意味では戦後初めてといってよいと思います。はっきり言って、私は、小沢一郎氏の金権体質は看過されべきでないと思っていました。また、鳩山由紀夫氏のユーモアのかけらもない生真面目な弁論スタイルも好きになれませんでした。また、民主党の、郵政民営化を始めとする小泉構造改革批判、特に格差問題をその帰結と断じる党利党略、子ども手当、高速道路無料化などのバラマキ政策もばかげていると思いました。

 しかし、注意深く見ると、民主党の政策の根幹は、実は小泉構造改革の果実を盗み取り、整形を加えた上で、あたかもそれが民主党オリジナルの政策であるかのように粧ったものではないか、そんな風にも思われました。というのは、その中心的な政策課題は、官僚の天下り廃止や独立行政法人改革を始めとする「行政の無駄をなくす」こと。霞ヶ関官僚支配の政治体制を政治家主導の政治体制に切り替えること。政府の権限と財源を地方に移管し、地方分権を「地方主権」を呼べるレベルにまで高めること、等どこかで聞いたことがあるものばかりだからです。

 つまり、これらはまぎれもなく、小泉元首相が目指した政治・経済の構造改革、行政・特殊法人改革、地方分権改革を継承するものなのです。それどころか、「子ども手当」等バラマキ政策として批判される各種の給付政策や、高速道路無料化のために必要となる財源は、全て行政の無駄をなくす政策によって生み出されると極言されているのです。違うのは、鳩山氏が「新自由主義的な市場万能主義」に対する批判をしていること位ですが、これも、行き過ぎた市場原理主義に「大枠で公正なルールや安全性を確保する」というほどのことでしかないらしい。

 新保氏は。『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか』という著書の中で、次のように民主党の経済政策を説明しています。

 「民主党の経済政策はある意味でわかりやすくもあり、わかりにくくもある.わかりにくいのは、そもそも何が民主党の経済政策なのかが見えないからだ。政策論文集などを見ても、経済政策らしきものがほとんど見あたらない。・・・たしかに、2009年4月に民主党がとりまとめた緊急経済対策を見ても、内需主導型経済構造への転換の必要性を強く訴えた上で、子ども手当、公立高校の無償化、農業者個別所得補償、高速道路無料化など、従来からの社会保障関連や弱者支援のメニューがならぶばかりだ。」

 「だが、こうした疑問に対する民主党の答えは明快だ。民主党は、従来のような政府が率先して産業を育成し、製品を輸出して経済成長を図る外需依存型経済はもう続かないと考えている。介護や福祉、農業といった内需主導型経済へ移行する以外に、日本経済が生き残る手段はないとの前提に立って、経済政策を提案しているのだ。つまり、先に挙げた子育て支援や介護支援や農業者個別所得補償こそが、民主党の経済施策そのものだということなのだろう。」

 だが、「外需に牽引されて現在の経済的地位を築いてきた日本が、民主党政権になるやいなや、一夜にして内需だけで今の経済力と豊かさを維持できるとは思えない。この先も多くの企業が海外と競争して行かねばならないという意味で、やはり産業競争力の強化は不可欠だ。しかし同時に、国際市場で競争している大企業は、すでに多国籍企業化しており、日本政府の政策だけでどうこうなるものではない。むしろ、政治に経済活動への妙な手出し口出しはして欲しくないというのが本音ではないか。」

 「民主党は基本的には、政治はできるだけ経済活動に介入すべきではないとする自由主義的な路線を取る。フェアネス重視の立場から、機会均等を整備するため介入は辞さないとしつつも、介入を最小限に抑制しようとする姿勢は、従来の野党の社民主義的な政策スタンスとは一線を画している。ただし、セーフティーネットを重視する立場から、派遣の制限や雇用保険の強化、食品の安全基準や食品表示基準の強化など、弱者や市民生活を守る目的の規制強化は明確に訴えている。」

 つまり「新自由主義的な市場原理主義とも明らかに一線を画するが、大枠で公正なルールや安全性を確保するまでが政治の仕事であり、その先は市場原理に基づく自由競争によって各自が経済発展していくのが望ましい――こうした自由主義的路線が民主党の経済に対する基本思考だと考えていいだろう。・・・おおかたのイメージとは裏腹に、民主党は自民党政権よりも経済活動に対して、より自由主義的、市場主義的な政策をとる可能性すらある。」(上掲書p172~174)

 なあんだ、そんなことか、それじゃあ、小泉構造改革・民営化路線とどこが違うのだ、ということになります。いや違う、セーフティーネットを重視している、と民主党はいいますが、それも、もともと、小泉構造改革の中で追求されたことだったと、猪瀬直樹氏は次のように主張しています。

 「小泉政権では、「大きな政府か小さな政府か」というキャッチフレーズが叫ばれた。小泉改革が対象としたのは、「肥大化した官業をつくりあげた(大きな)政府」だった。雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関を打倒して、無駄のない「小さな政府」と、競争のために必要なセーフティネットを充実させるのが、構造改革である。

 小泉さんが首相になる以前、いまから10年くらい前に、議員会館の会議室で開かれた超党派の勉強会に講師として招かれたことがある。小泉さんが呼びかけた、郵政民営化の勉強会だった。出席していた30人から40人の議員のうち、6~7割が民主党だったので、僕は「民主党の方が多いじゃないですか」と皮肉ったら、小泉さんは笑って「うん、いいんだよ」と答えた。2002年秋、暴漢に殺された石井紘基さんもいた。小泉さんと民主党の改革派は同じ主張だったのである。(「目からうろこ」猪瀬直樹)

 ここで、雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関、というのはどういうことかというと、「雇用・能力開発機構」が中心となって、セーフティーネットとは無縁の施設を全国につくり、赤字を垂れ流し、貴重な雇用保険の財源を食いつぶしてきたことをいっています。

 その施設とは、「中野サンプラザ」をはじめとするサンプラザ・サンパレス」が全国に7施設、国民宿舎型のリフレッシュセンターが1900。580億円の建設費でつくられ、毎年10億円以上の赤字を垂れ流し続けている「私のしごと館」。総工費425億円でつくられ8億円で小田原市に売却された「スパウザ小田原」などで、これらは「かんぽの宿」と同様、役人の天下り先としかいえないような施設のことです。これが雇用保険の財源を食いつぶしてきたというのです。(「小泉改革批判への大反論」猪瀬直樹『voice』2009.4)

 ということは、民主党の「行政の無駄をなくす」政策は、小泉構造改革における行政改革・特殊法人改革を、さらに徹底して行おうとするものであり、セーフティーネットの充実ということについても、「子ども手当」などの給付金制度を設けて、家計に対する直接的経済支援を行うなど、厚みのある社会補償制度で対応しようとするものということができます。こうした給付金(子ども手当、育児休業手当、保育サービスなどの合計)の総額は、日本ではGDP比1.2%程度ですが、フランス、イギリス、ドイツなどは軒並み三%を超えているといいます。 

 しかし、欧米先進国の場合は、これに必要となる財源は20%にも達するという消費税でまかなっているわけで、民主党の場合は、これに必要な財源(5.8兆円)を、消費税を4年間上げることなく、行政の無駄を省くことや、扶養控除や配偶者控除の廃止によってまかなおうというのです。つまり、徹底して行政改革を行った上で、将来は消費税率の引き揚げによる国民全体の負担とし、こうした子育て世代に対する給付金制度の維持を図ろうとしているのです。ここで、扶養控除等の廃止というのも、おそらく、子育て完了世代から子育て現役世代への所得移転ということ意味しているのでしょう。

 ただ、こうした施策の目的を「子育て支援」とするなら、何も富裕な家庭にまで経済支援を行う必要はなく、児童手当と同じように所得制限付きの給付制度でもいいのではないか、という議論も出てきます。それなら、現在の児童手当制度を拡充する事で済むのではないか、ということになりかねません。いや違う、これは「内需拡大」のための景気刺激策だ、というなら、15歳までの子供を持つ全世帯に子ども一人あたり26,000円を給付する、ということも正当化できますが、はたしてそれが経済学的に説明できるかどうか。私にはよく判りませんが。

 その他、バラマキではないかとして話題になっている施策に、高速道路の無料化、農業者個別所得補償の実施、高校授業料の無料化などがあります。しかし、これらは、いずれも、その施策目的を精査した上で、財源配分の優先順位が決められるべき問題で、これは、「行政の無駄をなくす」作業と同時平行的に行われるわけですから、私は、自ずと常識的な線に落ち着くと思います。問題は、これらがどのようなマクロの経済政策のもとで実行されるか、ということですが、これは先程説明した通り、自民党の経済施策と基本的に変わらないわけですから、心配するほどのことではないと思います。

 重要なことは、これらの施策が法律となって実施に移されるまでの間に、与野党間でどのような国会審議がなさるかということです。ここにおける政策論争が熾烈であればあるほど、民主党のマニフェストに掲げられた各種政策の修正・見直しが行われることになるでしょう。マニフェストに掲げられた民主党の政策理念のハードルが高いだけに、政策技術論的な論戦を超えた、「これからの日本の国作りをどうするか」といった、中・長期的な視点からの論戦が期待されます。鳩山氏が、自民党に”しっかりして欲しい”とエールを送ったのも、あながちウソではないと思います。

 というのも、民主党のマニフェストには、前回、教育行政制度改革についてみたように、自民党のマニフェストには見られない、重要な制度改革提言が、数多く掲げられているからです。また、そうした制度改革の基本理念として、次のような、”バラマキ”という言葉から受ける印象とは無縁の、市民としての自立を求める力強いメッセージ――他力本願からの脱却、お上意識からの卒業、機会均等・フェアープレーの精神、未来への責任、公正な負担の要求、フリーライド(ただ乗り)の禁止など――が、繰り返し表明されています。

 例えば、「公正な負担を求める」ための施策としては、納税者番号の導入があります。これらは「住基ネットとならんで、個人のプライバシーが一元的に政府に握られる恐れがあるとの理由から、自民党政権下では何度も浮上しては、野党や世論の反対で見送られてきた制度だが、民主党はこの導入をあっさり公約に入れている。社会保険料も税金も、招集すべき金額を判定する上で、その人の所得の把握が不可欠なため、この番号の共通化によってその把握を容易にする目的だという。」(上掲書P17)

 「さらに民主党は、社会保険料と税の徴収を一体化することの延長として、国税庁と社会保険庁を統合し、歳入庁という新しい役所を創設する計画をぶち上げている。・・・社会保険料の徴収については、これまで、税務署のような、地獄の果てまでも追いかけてくるようなしつこさがなかったのも事実である。それが未納率の高さにつながっているとすれば、税務署のノウハウを社会保険料の徴収に生かすのも悪くはなかろう。」そのために、滞納や税金逃れに対する罰則強化、重加算税の増額、消費税還付の不正受給や海外タックスヘブンへの課税回避行為についても追求するとしています。(上掲書20)

 このように、市民としての基本モラルやルールを確認した上で、市民主導の社会作りを進める。そのためには
 ①情報公開法を改正し、政府の情報は原則として全て公開とする。非公開は例外とし法律に明記する。②市場原理と競争原理を尊重しつつ、公平・公正な機会均等を実現する。③再挑戦や復活の機会が繰り返し与えられるような、安心・安全なセーフティネット作りを目指す。④中央政府の役割は外交、防衛、食料、エネルギーなどの安全保障に限定し、残りは権限も財源もすべて地方に移管する(これは、廃藩置県を元に戻すという意味で廃県置藩ともいえる)。⑤価値観や出自の異なる人びとを社会構成員に取り込める厚みのある社会作りを目指す。⑥市民に参加と責任を求め、また公平な負担を求める社会作りを目指す。

 これは、「これまでの日本の社会制度は、護送船団方式などと呼ばれ、役所が市場に介入し、ある程度の秩序を維持する代わりに、できるだけ敗者を出さないようにすることで、全体をうまく回してきた。」しかし、「1990年代の経済停滞以降、護送船団方式ではあらゆる点で社会がうまく回らなくなってしまった。そして2000年代に入って小泉政権が誕生し、日本は自民党家の伝統的な護送船団方式の再分配政策から、市場原理を導入した競争社会に一気に舵を切った。」ところが、競争の敗者を再挑戦・復活させるための社会的セーフティーネットが未整備であったため、格差問題が指摘されることになった、という基本認識に立つものです。(上掲書p25)

 つまり、民主党の政策は、一言で言えば、従来日本独特の護送船団方式によって守られてきた日本の社会構造――少なくとも小泉改革以前の伝統的な自民党政治とは、おおかたのイメージとは裏腹に、多分に弱者に優しい社会主義的な再配分の政治だったと見ることができる――が、経済のグローバル化の中で機能不全に陥ったことを踏まえて、いかに日本人及び日本社会に活力を取り戻すか。そのためには、従来の中央集権的な、全て霞ヶ関の官僚にお任せしてきた日本の政治システムを、自らが統治に対して責任を持つ、分権型社会に作り替えなければならない、そう考えているのです。

 こんな説明を聞くと、多くの方は、なにか狐につままれたような、騙されたような感想を持つと思います。確かに、以上私が説明してきたようなことは、神保氏がその著書の中で説明していることをもとに、私なりに、民主党の基本政策のあり様を敷衍したものに過ぎません。しかし、はたして鳩山由紀夫氏が、こうした時代認識についてどこまで自覚的であるのか、それはかなり怪しいのですが、いずれにしても、今回の民主党の自民党からの”あれよあれよ”の政権奪取劇は、私は見事なものであったと嘆ぜざるを得ません。”小泉がつき、麻生がそこねし天下もち、ちぎりまるめて、食うは鳩山(小沢か?)”といったところでしょうか。(下線部9/8訂正)

 また、民主党の防衛政策について危惧する意見も多く聞かれます。しかし、民主党の外交・安全保障のあり方についての基本的考え方は、対米追従・対米依存からの脱却を訴えるもので、それによって「アメリカとの対等で強固なパートナーシップを確立し、国際社会で役割を分担しながら、責任を果たしていく」というものです。そのため「国連決議で集団的自衛権の行使も可能に」とマニフェストにあるように、自民党より積極的に、平和維持面での国際協力の必要性を訴えています。社民党の防衛政策と一線を画していることはいうまでもありません。もっとも、村山政権でそのお里は知れてますが。

この点については、News Week「Nothing to Fear」By Takashi Yokota | Newsweek Web Exclusiveも次のように伝えています。(9/4挿入)

Already, the DPJ is considering a plan to dispatch humanitarian-assistance personnel from the government and the private sector to Afghanistan in exchange for withdrawing the Japanese refueling ships. Which suggests that the DPJ's campaign promises were driven more by populism than by strategic thinking.

すでに、民主党は、インド洋における給油艦船の引き揚げと引きかえに、アフガニスタンへの、政府や民間からの人道支援のための人員派遣を検討している。それは、民主党のその選挙公約(給油活動の停止)が、ポピュリズムからではなく、より戦略的思考から来ていることを示唆している。(私訳)

  その他、マニフェストに掲げられた大胆な政策項目として、次のようなものがあります。これらはいずれも、既得権等が絡み、容易には決着しそうにないものばかりです。しかし、政権交代は、こうした、革命にも等しい政策転換を一夜にして可能にしてくれるのです。それゆえに「民主主義は革命の制度化である」といわれるのです。これらの政策提言が、今後どういう国会審議を経て法案化され実行に移されるか、刮目して見守りたいと思います。

○ 企業献金は全面禁止、個人献金は税額控除 
○ インターネット選挙は全面解禁            
○ 独立行政法人は原則廃止                  
○ 特別会計は原則廃止                     
○ 日本を300の基礎自治体に分けて権限を委譲する。  
○ 住民投票法を制定し、代議制民主主義を補完する。     
○ 全国民が確定申告を行い、納税者の権利と義務を明確にする。 
○ 所得控除をやめ、給付つき税額控除を導入する。             
○ 消費税を社会保障目的税とし、五%全額を年金財源にする。
○ 相続税を見直し、寄付控除を拡大へ                    
○ 取り調べの可視化を実現する                           
○ 記者会見は記者クラブに限定せずオープンにする         
○ 情報公開法を改正し、国民の知る権利と原則公開を確立する。
○ 総理や閣僚の靖国参拝は控え、国立追悼施設を設置する。   
○ 戦争責任を明確にし、戦後処理問題の解決に取り組む
○ 「創憲」に向けて、国民との自由闊達な憲法論議を行う

 以上、民主党の政策を新保哲生氏の解説を参考にしながら見てきました。しかし、8月10日に雑誌に掲載された鳩山由紀夫氏の論文「私の政治哲学」を見ると、氏は、市場経済のグローバル化が、地域社会の共同体的価値を破壊したと考えており、そういう観点から小泉改革を批判していることがわかります。そして、この矛盾対立関係を止揚する原理として「友愛」を唱えているのです。つまり、経済のグローバル化を否定し、各国の国民経済の秩序を回復することによって、地域社会の伝統的な共同体的価値を守ろうとしているのです。

 しかし、西欧の場合は、利益社会と共同体社会は伝統的に二元論的に分立しバランスをとってきたのです。これに対して日本の場合は、新保氏が護送船団方式といっているように、機能集団が同時に共同体的価値をも保持してきたのです。鳩山氏の主張は、あるいは、こうした日本組織の伝統的な組織論・価値観を反映しているのかも知れませんが、それを根拠に経済のグローバル化を批判するのはいかにもおかしい。このあたりは先に説明した新保氏の護送船団方式による再分配方式から、社会的再分配方式への切り替えと見る説明の方が筋が通っていると思います。

 幸い(?)、鳩山由紀夫氏の理論は極めてあいまいであり、党利党略の宣伝にはなり得ても、現実の経済政策を左右するものにはならないと思います。とはいうものの、これが国際社会に持ち出された場合、現在、安全保障をめぐる日米間の認識ギャップを惹起しているように、無用な混乱を引き起こし、せっかくの国内政治改革さえも頓挫しかねない、そういう危険性も孕んでいると思います。一体どうなることやら・・・。

(9/4文章校正しました。)

 

 

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