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2010年1月

2010年1月28日 (木)

「小沢VS検察」論の行方――再び政界再編となるか

 西松建設事件以来、再び、「小沢VS検察」論が話題を集めていますね。田原総一朗氏は『政界ここだけの話』「新聞が一斉に小沢批判を始めたのはなぜか」(参照)で次のように言っています。

 「西松建設事件関連で小沢氏の公設第一秘書大久保氏が政治資金規制法違反で逮捕された時、「私は、郷原信郎さん(名城大学教授・弁護士)とリクルート事件で主任検事を務めた宗像紀夫さん(元東京地検特捜部長)に『この逮捕をどう思いますか』と聞いてみた。すると、二人ともそろって同じ答えだった。

 『逮捕、それ自体はアンフェアだ。不当だと思う。しかし検察は、西松建設がらみで捜査することにより、別の事件を摘発するのではないか。おそらく小沢さんにかかわる収賄に近い事件だろう。そういうことがなければ、この逮捕は不当逮捕だ。』」

 その後「検察は、正義を必死になって国民にアピールするため、世田谷の土地購入問題に手をつけた。」

 それは「陸山会は2004年10月29日、土地代金約3億4000万円を支払った後、4億円の定期預金を担保として銀行から小沢氏の個人名義で同額の融資を受けていることが判明している。ところが、お金を銀行から借りたのが29日の午後で、実際に支払ったのは29日の午前だった。つまり、銀行から借りたお金で土地代金を払ったわけではない。」というものだった。

 「では、(その)土地購入の資金はどのような内容のものなのか。検察は今、それを懸命に捜査している。その資金について、小沢氏は16日の党大会で、『私が蓄えてきた個人資金。何ら不正なお金を使っているわけではない』と説明している。また、石川議員は『小沢氏がお父さんから引き継いだ遺産である』と供述しているという。」

 これに対して検察は「中堅建設会社『水谷建設』の元幹部が検察の聴取に、胆沢ダム(岩手県奥州市)関連工事を下請け受注した時期と重なる2004年10月と05年4月に、5000万円ずつ合計1億円を石川議員と大久保秘書に渡したと供述しているという。こうなると贈賄、収賄という問題が浮かび上がってくる。」

 「贈賄の時効は3年であり、収賄は5年。贈賄、つまり金を渡した側はすでに時効を過ぎていて、収賄はこの3月に時効を迎える。贈賄側は時効が過ぎているから、罪に問われない。これから何でもしゃべる可能性がある。検察はこれからもゼネコンを捜査し、小沢氏側の4億円の中身を解明していくだろう。」

 「ところが、ここでも問題がある。小沢氏をいくら追及したところで収賄罪は成立しない可能性が高い。なぜなら、小沢氏は当時野党だった。野党であれば職務権限はない。職務権限がなければ収賄にはならないので、罰することはできないのだ。」

 「では脱税で攻めるのか。鳩山首相はお母さんから12億円をもらい、税金を1銭も払っていなかったのだから、脱税で追及されてもよかったはずだ。ところが修正申告をして5億円の税金を支払い、何も罰せられなかった。それを考えると、同じ要件で小沢幹事長だけを罰することはできないだろう。」

 「ほかにどういう罪があるのか。せいぜい考えられるのは政治資金規正法違反(虚偽記入)だろう。(しかし)虚偽記入なら単なる形式違反だから、逮捕は難しい。」

 「検察は今後、『小沢一郎という人物はこんなにも悪いやつだ』という情報をどんどん流すだろう。そして、『小沢は逮捕すべきだ。罰するべきだ』という世論の盛り上がりを期待しているのではないか。」

 しかし「マスメディアは、こういうときこそ、(そうした検察の意図的なリークによる世論誘導に振り回されることなく)もっと事実を踏まえた報道に徹すべきである。最近の報道のあり方を見ていると、検察のお手伝いでもしているかのような印象を受ける。」

 この田原氏の議論を聞いた時、私は、かってロッキード裁判の証拠採用をめぐって、立花隆氏と渡部昇一氏などの間に交わされた激しい論争を思い出しました。それと同時に、山本七平がこの論争について次のような独自の見解を提示していたことを思い出し、今日の「小沢vs検察」をめぐる議論は、この事件の教訓を十分ふまえていないのではないか、と疑問に思いました。

以下、『派閥なぜそうなるか』山本七平p11~17)より

氷山の一角

 ロッキード社がカネをばらまいた、これはおそらく事実であろう。だがその対象が日本だけだったわけではあるまい。確かイタリアで問題になりかけたという話は聞いたが、それで終ってしまった。では中国はどうなんだろう、同じことかもしれない、何しろ中国の要人が日本へ来れば「目白詣で」をやるのだから。これが彼らの「悪之顕者禍浅、而隠者禍深」(菜根譚)という感覚なのだろう。こういう点で中国人とヨーロッパ人はどこか似たところがあり、日本人とアメリカ人には何か共通した心情かあるのだろうか・・・。だが、こんなことが頭をかすめたのは一瞬である。何しろ座談会は進行中だったから。

 渡部昇一氏にはじまり、石島泰氏、林修三氏、さらに倉田哲治氏のような本職法律家・弁護士、いわば法律の専門家の「ロッキード裁判」に対する批判、さらに立花隆氏の一連の「大反論」を読んでいるとき前記の言葉、意訳すれば「悪もあばかれて世に現れるようなものは、それほどの大悪でなく、その禍いは浅いが、隠れた悪は、その根が深く恐しい」を思い出した。というのは、立花氏は次のように記されているからである。

 「・・・法廷という土俵に登らされたロッキード事件は、ロッキード事件全体のごく一部であり、そこには『牛一頭がステーキ一枚に化けた』くらいの差があるのだということを、私は『裁判傍聴記』の第一回目で語っている」、そして法律の専門家はこのステーキ一枚に対して「あくまで、一般論、抽象論に固執して議論を組み立てていく」と。さらに氏は次のようにつづける。

 「一般に、一般論、抽象論のほうが、個別論、具体論より論理的整合性を保った議論を構築するのが容易である。後者はことの性質上、どうしても弁証法的にならざるを得ず、「しかしながら」論法が入ってくる。そこで、論理的整合性に目を奪われてしまうと、前者のほうが正しいように思われてくるかもしれない。しかし、その正しさとは、実は頭の中の世界における正しさにすぎず、この現実世界においては、後者のほうが正しいことはいうまでもない。

 同じ象の脚にさわってみるだけでも、象の総体を認識し、それが象の脚だという認識のもとにさわっている場合と、それが何であるかわからぬままにさわっている人とでは、認識がちがう。私かいいたかったのは、法律問題プロパーを論じるにしても、ちょっと目を上げて象の全体を見て、自分がさわっている脚の一部が、象の総体のどこに位置しているのかを見ておけということである。

 だがこの議論をさらに進めると、一頭の象だけでなく、「象群」という「派閥群」にも目をやり、その象群の中の一頭がどういう位置にあるかも見るべきだという方向に発展するであろう。

法の裁きと派閥

 ここで立花氏が問題とされる点は、角栄氏が一身に「顕」も「隠」も兼ねているという点であろう。そうなると、この問題は確かに立花氏のいわれるように「一般論、抽象論」では片づかない。「法」は「顕」には触れ得ても「隠」には触れ得ない。しかし「角栄問題」は「顕」と「隠」が暗部で密着している、それなのに「それに対して彼らは、裁判には法律問題という固有の領域があって、それは、一切の事実から切り離して考察可能なのだという見解に立つらしい。しかしそれは誤りである・・・」と氏はいわれる。ここで、法律の専門家と立花氏との意見が完全に分れるであろう。

 「・・・権力犯罪に対するにそれを擁護する側にまわるという自称人権派の弁護士がいたら、私はこれをエセ人権派と呼ぶにやぶさかでない。

 むろん、権力犯罪を犯した犯罪人にも人権はある。しかし、その人権が、一般国民の人権とくらべて不当に侵されているというのなら格別、あるいは、すでに権力を失って落醜の身となり、他に頼る者とてない哀れな状態にあるというのなら格別、そうでなければ、権力犯罪者の弁護など、真の人権派の弁護士なら敬して遠ざけるべきではないか。いまなおゆるぎない権力を持ち、金はうなるほど持ち、社会のあらゆる階層に応援団かおり、脂ぎった顔で誰彼なく威張りちらすのを日常としている権力犯罪者の肩を持つ『人権派』の弁護士というのは、私には全く理解できない」

 だが権力を持っていようと、金をうなるほど持っていようと、脂ぎった顔で誰彼なく威張りちらすのを日常としていようと、その人の「人権」が無視されてよいという理由にはならないであろうが、――といった感想を私か述べたとき、常識家の牛尾治朗氏はいわれた。「法律上の正論は今のところダメだろうなあ。何しろ『角アレルギー』があるからな。アレルギーが消えれば別だろうけれど・・・」。

 アレルギーが消えれば、そこに見えてくるのは「角栄個人」よりむしろ[派閥]であろうが、立花氏が問題とされるのは、一審有罪の刑事被告人でありながら「いまなおゆるぎない権力を持」つ「権力犯罪者」田中角栄なる人物の「特異な位置」であろう。確かにこれは「不思議な存在」である。疑獄事件は昔からあったが、「一審有罪の刑事被告人」がキング・メーカーと呼ばれた例は私の記憶にはない。(中略)おそらく外国にもないであろう。立花氏がこの点を問題にされるのは、ある面では当然である。

 では、その理由は何に基づくのか。答は簡単である。それは彼が「木曜会」(田中派)という「派閥」を持っているからであり、これを失えば彼もまた「ただの人」である。権力は永遠ではあり得ないから角栄個人はいつかはそうなるであろうが、派閥が残ると問題は純然たる法律論では解けない「派閥とは何か」という問題になる。そしてこれを解かない限り角栄氏が有罪になろうと無罪になろうと、生きようと死のうと、問題は、問題はそのまま残り、第二の角栄が出現するだけのことであろう。(中略)

 というのは彼の周辺の「小角栄」はその「マシン」の構成と運営に参加することによって、それを機能させて「裏権力」を行使する方法を学び取り、さらに重要なことは、どこで彼が蹟いたかも知っているから、さらに巧妙にこれを行使すると思われるからである。そうなれば、その秘密を明かすことになる「別荘」での「回想録」はますます期待できないものになってしまう。」

 この「小角栄」が小沢一郎氏であることはいうまでもありません。また、ここで注目すべきは、氏が、田中角栄の躓きに学ぶことで作り上げた、より巧妙な「裏権力」の行使の仕方とはどういうものだったか、ということです。小沢氏は、その師田中角栄の「派閥」の問題点を指摘し、その弊害をなくすための法律改正を行いました。にもかかわらず、氏はこの自ら作った法律の網の目をかいくぐるように、その後も東北建築業界からの政治資金提供を受け続け、その資金力をもってその後の政局を支配し、一方、自らの「派閥」の育成に努めたのです。

 これが功を奏して、いよいよ首相の座に昇りつめようとしていた矢先、西松建設からのダミー献金事件や陸山会の土地購入に関する虚偽記載=政治資金規正法違反容疑で小沢氏の三人の秘書が逮捕されました。しかし、これだけの容疑であるならば、秘書の逮捕は冒頭紹介したように「不当逮捕」ということになる。しかし検察は「小沢さんにかかわる収賄に近い事件」を摘発することを、その最終的なねらいとしているのではないか。郷原氏や宗像氏はそう見ているのです。

 田原氏は、これとても、小沢氏にはこうした収賄にからむ職務権限がないから、例えその事実が実証されたとしても、罰されることはないだろうといっています。しかしこうした見方は、「裏権力」の行使によって違法政治献金を受け続けることができるという、日本政治の現実から目をそらすものであるといわざるを得ません。そもそも1994年の政治資金規正法改正及び政党助成法の制定は、こうした現実に対応し、企業・団体から政治家個人への「裏献金」をなくすために制定されたものだったはずです。

 従って、もし、小沢氏の資金管理団体に対する東北建設業界からの「収賄に近い」事件が摘発された場合、私は、小沢氏に「職務権限がない」というだけで、それが免罪になるというようなことはないと思います。つまり、西松建設からのトンネル献金などの個々の事件ではなく、小沢氏の「裏権力」行使による企業・団体からの違法政治献金収受の全体構造が問題になると思います。そしてこれをふまえて、さらに、こうした事態を防止すべく政治資金規正法の改正がなされると思います。

 こう考えた場合、小沢氏の「一進会」を中心とする一枚岩的「派閥」の形成は、私は不審とせざるを得ません。というのは、もともと氏は、自民党の派閥政治の弊害を最も厳しく指摘し、それを解消するために小選挙区制の導入を主張し、それを実現させた人だからです。もちろん、氏の「派閥」が自由闊達な言論に支えられた開かれた政策集団であれば問題はない。しかし、今回の「小沢vs検察」論争における、民主党とりわけ「小沢閥」の対応を見る限り、とてもそのような評価はできない。それは田中角栄と同じく「闇権力」を維持するための「派閥」ではないかと。

 自民党と民主党を比べて見た時、これだけ民主党政治の欠陥が露呈しているにもかかわらず、なぜそれが、自民党の支持率の向上につながらないのか。私は、その最大の理由は、民主党はこれまでの自民党による利益誘導型政治の”しがらみ”から免れているということ。つまり、従来のような「裏組織」を通じた根回し政治(これが「闇権力」行使を可能にした)ではなく、「マニフェスト」をベースとするオープンな議論を通して政策形成がなされることへの期待感が、今日の民主党の支持率を下支えしていると思います。

 それだけに、今後、小沢氏の「裏権力」操作による民主党支配が続けば、また、これに対する民主党の一蓮托生的・没主体的な政治姿勢が続けば、早晩、民主党への国民の支持は失われると思います。要は、民主党の「民主的政策形成能力」が試されている、ということですね。本来なら、検察の力によらずとも、民主的な政治秩序を保つべくいわゆる自浄能力を高めなければならない。それが民主党のいう「政治主導」の信頼性を高めることになるのです。

 それができずに「政治主導」を振りかざせば、民主党はかえって全体主義的独裁を疑われてしまいます。そうなれば、再び政界再編です。私は今日の民主党連立政権の、政党の政治思想の違いを無視した野合政権的性格とも合わせて、その可能性の方が高いと見ていますが・・・。

2010年1月22日 (金)

民主党に小沢政治からの脱却をすすめる

 野党に身を置いてきた小沢氏になぜ地元建設業界が献金をするのか。それは総会屋がみかじめ料を企業から取るようなものだという「一読者」さんのご指摘(ブログ『一知半解』参照)には、なるほどと思いました。ただし、これは、企業が表に出せない何らかの弱みを総会屋に握られていることが前提で、小沢氏の場合は、建設業界の裏の談合組織の実態を熟知しているゆえに、そういう恫喝的「裏権力」の行使ができたのだと思います。

 こうした裏権力の行使は、小沢氏の親代わりだったという田中角栄氏が最も得意としたところで、氏は自民党を離党し「一審有罪刑事被告人」となった後も、「田中閥」を通して自民党を支配し「キング・メーカー」であり続けました。小沢氏はその下で「小角栄」として「角栄マシン」の構成と運営に参加することを通して、それを機能させ「裏権力」を行使する方法を学び、かつ、彼が何処で躓いたかを知り、それを免れるためのより巧妙な方法を案出したのです。(『派閥』山本七平)

 ではそうした「裏権力」はどのように行使されるか。ガルブレイズによると権力の源泉は、「個人的資質、財力、組織」であり、その手段は「威嚇、報償、条件づけ」だといいます。小沢氏は、野党にある間、野党「組織」(新生党、新進党、自由党、民主党)を掌握し、そのための金力を維持し、そして、ここがポイントですが『日本改造計画』を出版して、日本社会のぬるま湯的「コンセンサス社会」を民主的「多数決」社会に、伝統的談合社会を新自由主義的競争社会に転換するよう提起し、これによって、日本の政治家の中では傑出した国家論の持ち主として、その「個人的資質」を国内だけでなく欧米にも高く評価されたのです。

 こうして氏は権力の三源泉を押さえ、その上で選挙時の公認権や政党内の政治資金を差配し、人事を支配することで、ある時は威嚇、ある時は褒賞、それを繰り返すことで、支配下にある議員や秘書を、あたかもパブロフの条件反射の犬のように、小沢氏の思いのままに動くよう条件付けたのです。また、地元選挙民との関係は徹底した戸別訪問によるスキンシップでした。角栄氏の場合は「慶弔」特に葬式。氏は「人と会う前にその人のことを両親から親戚縁者、出身地、一族の中の有名人等々まで調べて、すぐにそこから話をした」といいます。(上掲書)

 氏はこうした角栄的政治手法を徹底して学んだわけです。ところが、そうした権力操作に想定外の狂いが生じることになりました。それは、小沢氏が自民党を脱党して新生党を作ったが、その次の選挙で多数を得なかったために、氏の思想とは対極にある社会党との連立を余儀なくされたことでした。社会党はいうまでもなく、日本の「コンセンサス」文化を政治に持ち込み、「多数決の横暴」を批判し、これを国際政治にも延長し、国際社会を家族主義で理解した政党です。もちろん表向きの思想や経済政策は社会主義でした。

 小沢氏は、当初は小選挙区制の導入によって社会党の壊滅を策しましたが失敗し、結局、彼らとの妥協なしには野党をまとめきれないことを悟りました。そして、民主党に合流した時点で、党内の社会党閥重鎮の横路氏と政策合意する事を決心したのです。そのため、その後の氏の主張は、かって『日本改造計画』で説いたものと矛盾するようになりました。そして自民党による「多数決」の横暴を批判し、小泉内閣の外交政策やその民営化路線を徹底的に攻撃するようになったのです。

 これが功を奏して首尾よく政権交代を果たすことができました。しかし、このため、マニフェストに事業仕分けのような「ムダ排除」と特殊法人改革に逆行するような郵政民営化見直し、そして子ども手当のような「バラマキ」政策が混在することになりました。そこで問題となったのは、小沢氏の「本音の思想」は何なのかということです。氏の『日本改造計画』や『小沢主義』を読んだ人は、その後の氏の主張の変化をあくまで政局上の方便と見て、なお氏の政治力に期待する人が多かったと思います。(下線部挿入1/22)

 ところが、それにしてはどうもやり口が「角栄的」すぎる。ひょっとしたら、氏の「本当の思想」は、『日本改造計画』ではないのではないか。この本は小沢氏の外10名程度の学者や官僚の協力で書かれたそうですが、一説によると、『改造計画』のほとんどは大蔵官僚が書いたもので、小沢氏が書いたのは有名な序文の「グランドキャニオンの柵」の話とイギリスの議会の部分だけだったともいいます。

 いずれにしても、氏の最近の言動を見ていると、氏の資質は公開された「言論」を通して政治的意思形成をはかる民主政治家のものではなく、むしろ、権力を維持するためには、裏権力をも駆使して威嚇し、あるいは報償し、条件付けすることを辞さない、権力闘争至上主義者のものではないか、と疑われるようになったのです。一体氏は、その独裁的権力を自己に集中することによって、何をしようとしているのかと。

 『小沢主義』では、中国とも、歴史問題や靖国神社問題について堂々と渡り合っているように書かれています。しかし、それがどういう手法によっているのか分からない。氏の言う率直な意見交換だけでそれが可能になっているとも思われない。もしこれが、習近平氏の「天皇会見」で示された手法や、高野山金剛峯寺での「キリスト教批判」程度の見識に基づくものなら、それが本物であるはずがなく、所詮ブラフの域を出ないものではないかとも推測されます。

 さらに、恐るべきは氏の順法精神の希薄さですね。現在問題になっている政治資金規正法違反は、日本の談合社会的伝統(これは鎌倉時代に武家社会に発生した一揆契合に由来する)、そこに根ざす日本政治の金権体質を、より高次の法的規正のもとに置くことで、その是正(合理化を訂正1/25)を図ろうとするものです。政党助成法もそこから生まれた。そして、このような政治制度改革の必要を訴えてきたのが小沢氏本人でした。

 ところが、今日の政権奪取に至るまでに氏のやったことといえば、こうした政治制度改革の裏をかき、その不備を突いて、自己の政治資金を貯め込み、その資金力をもって政党及び政治家を支配することでした。そして、かって自分が主張した思想とは裏腹の、日本のコンセンサス社会の談合体質を温存しそれを抱き込み、小泉構造改革の民営化路線を「格差社会」を作りだしたとして徹底的に批判することでした。

 これが功を奏して民主党が政権を獲得し、小沢氏が絶対権力を掌握したその矢先、東京地検特捜部から政治資金規正法違反容疑で、氏の三人の秘書が逮捕されたのです。疑惑は、2004年の土地購入や、西松建設、水谷建設、山崎建設、鹿島建設などから小沢氏の政治団体への政治献金が、政治資金規正法違反にあたるというものです。これについて検察の暴走を指摘する意見もありますが、これらの疑惑が、政治家個人への企業団体献金を禁止した政治資金規正法や政党助成法の立法趣旨を裏切るものであることは明らかだと思います。

 こうした手法を、小沢氏が政府与党の幹事長として活用したらどうなるか。小沢氏は、業界からの陳情を全て与党幹事長に集権化しようとしています。これは日本全国全ての利権が小沢氏に集中することを意味します。ジャーナリストの上杉隆氏は、政府や官僚が陳情から開放されることのメリットを強調していますが、これによって政党に対する業界からの政治資金が合法化され、それを与党幹事長が仕切ることになるわけで、小沢氏は与党立候補者の公認権も持っていますから、小沢氏には誰も逆らえなくなります。

 おそらく氏はこのような体制下で、全てを「多数決」によって決めようとしているのでしょう。しかしこれはどこかおかしい。何か変だ。氏は、先に紹介したガルブレイズの権力の三源泉「個人的資質、財力、組織」を独り占めし、臆面もなく「威嚇、報償、条件づけ」を駆使して権力を行使しようとしている。本来なら、これらの権力は首相に帰着すべきものではないか。首相は議会で選出され、内閣は議会に対して責任を負う。しかし、与党幹事長の「裏の権力」行使は議会に拘束されない。(下線部1/25挿入)

 もちろん、小沢氏が首相になれば、これらの権力は全て「表の権力」となり小沢氏が掌握することになります。その時はすでに政治資金は与党に集中しています。従って、与党の政治家に対する政治資金の配分も、さらに選挙における公認権も全て小沢氏が握ることになります。そして与党の人事も、政府の人事も、また政治主導に基づく官僚の政治任用も思いのままです。今、氏を追い詰めている検察でさえ、所詮は官僚ですからね。(下線部1/25挿入)

 かって田中角栄の闇権力行使にストップをかけたのは東京地検特捜部でした。ロッキード社からの五億円献金事件がそのきっかけでした。その後の金丸信氏の佐川急便からの五億円献金事件等を経て、1994年政治資金規正法が改正されました(1999年には企業から政治家個人の資金管理団体への寄付が禁止された)。これによって、たとえ政治資金をめぐる受託収賄が立証されなくても、政治資金規正法違反で、自民党の橋本元首相や加藤紘一氏は議員辞職に追い込まれたのです。(下線部1/25挿入)

 しかし、小沢氏はこうした制度改正にもかかわらず、その後も依然としてより巧妙かつ悪質な方法で、東北の建築業界の裏組織からの政治献金を受け続けました。それに待ったをかけたのが再び東京地検だったわけで、残念ながら、日本の政治においては、その談合体質に根ざす利権構造からの脱却は、やはり検察権力によったことになります。これに政治的圧力を加えることしかできなかった民主党の議員達、彼らもまた角栄的ヤミ権力にひれ伏すものであったわけです。(下線部1/25挿入)

 かっての政治資金規正法違反は、形式犯として政治資金収支報告書の訂正程度で済まされたという意見があります。しかし、それは以上述べたような政治資金規正法の改正趣旨や政党助成法の導入による政党交付金の交付の意義を考慮しない意見だと思います。もし、小沢氏のやってきたようなことが「形式犯」として「収支報告書の訂正」程度で済まされるなら、1994年、1999年の政治資金規正法改正の意義はなくなってしまいます。

 しかし、政治資金規正法違反といっても、その罰則はその違反の程度によるわけで、鳩山首相の場合は、脱税額の納付と政治資金収支報告書の訂正で済まされました。これに対して、小沢氏の場合は、より悪質性が高いと評価され、それが今回の三人の秘書の逮捕につながったのです。いずれにしても、こうした捜査の適否を判断する上からも、事実関係の究明が第一であって、もし今回のように被疑者が検察との対決姿勢を鮮明にすれば、捜査がより厳しくなって当然です。

 そこで今日民主党の取るべき態度ですが、まず、事実関係を迅速かつ正確に把握し、党としての見解をまとめることが大切だと思います。あえて私見を申し述べれば、民主党は、小沢氏の上述のような政治手法から決別すべきです。その上で、権力至上主義に基づく野合的な政権ではなく、言葉=思想に基づく政権作りをめざすべきです。また、言ってることがころころ変わるリーダーではなく、明快かつ確固たる政治的メッセージをもって党内をまとめ、国民に支持を呼びかけるリーダーを選出すべきです。

 私は民主党の政策を、神保哲生氏の『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』で理解したために、政権獲得後の民主党の姿には思想的にも政策的にも大きな落胆を味わいました。しかし、そこには日本の政治を蘇らせる大胆な思想に基づく政策提言がなされていることも事実です。そうした政策を実現していくためにも、小沢政治からの脱却を契機に、堂々たる言論による日本政治の民主的改革を推進してもらいたいと思います。まずは、自らの思想的・政策的立脚点を明確にし、野合的連立を解消することからスタートすべきではないでしょうか。

2010年1月17日 (日)

小沢一郎の権力意志と歴史認識について(5)

 ついに、小沢氏の元私設秘書で陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕氏と、石川容疑者の後任の事務担当者だった池田光智・元私設秘書(32)が政治資金規正法違反(虚偽記入)容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。前者は、平成16年10月、陸山会が東京都世田谷区の土地を約3億4千万円で購入した際、簿外で調達した土地代金4億円を収支報告書に記載しなかった、後者は、17年1月に土地代金など約3億5200万円を支出したよう虚偽記載したほか、19年春に陸山会が小沢氏に返済金名目で支出した4億円を記載しなかったという容疑です。

 すでに、小沢氏の公設第一秘書大久保氏は、陸山会などが実際には西松から受領した3500万円の献金を西松OBが設立したダミーの政治団体から受けたように政治資金収支報告書に虚偽記載したとして逮捕起訴され現在公判中です。大久保氏はこれに加えて、16日、上記の事件に関する容疑でも逮捕されました。この事件をめぐっては、小沢氏自身も東京地検特捜部から事情聴取を要請されていますが、「忙しい」と拒否する一方で、日本棋院で井山裕太名人(20)と囲碁対局をするなど、挑戦的な態度を続けています。

 しかし、小沢氏にとって客観情勢は次第に絶望的になっているようですね。今年二月号の文藝春秋には、昨年3月3日大久保氏が東京地検に呼ばれた際、石川代議士の元秘書金沢敬氏らが、赤坂の陸山会事務所などから関連する証拠書類を運び出したとする一種の「内部告発」記事が掲載されました。金沢氏は、同様の内容の上申書と証拠テープをすでに東京地検に提出しているそうで、国会での参考人招致にも応じるといっています。14日には、自民党で開かれた民主党の小沢一郎幹事長の政治資金をめぐる勉強会に出向き証言までしています。

 昨年の3月に大久保秘書が逮捕された時点では、選挙を控えて政治的な影響の大きなこの時期に、あえて野党党首の公設秘書の逮捕にまで踏み切った検察の意図に疑問を呈する意見もありました。曰く「実際は西松建設がお金を出していることが分かっていても、政治団体から寄付を受けたのであれば、政治資金収支報告書には政治団体の名前を記載しても違反にはならない。政治団体がなんら実態の無いダミー団体で、しかも寄付を受け取った側がその事実を明確に把握していたことが立証されない限り、政治資金規正法違反とは言えないが、実態の無い政治団体はたくさんある。」(元検事 郷原信郎氏)など。

 この時は、小沢氏は、党内の動揺を避けるため、5月11日民主党党首を辞任しました。しかし、その一方で小沢氏側は、次期衆議院選挙が近づくこの時期に、このような検察の捜査が行われることは「国策捜査」であるとか、捜査当局でしか知り得ない情報がメディアにリークされているのは、国家公務員による秘密漏えいの疑いがある、などとを検察を批判しました。これが功を奏して、小沢氏への批判は次第に弱まって行き、世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回るようになりました。

 その結果、8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙では、自民党麻生内閣の相次ぐ失態もあり、民主党が地滑り的大勝を得、55年体制確立以降初めての本格的政権交代が実現しました。しかし、この間、検察当局は、大久保秘書を政治資金規制法違反容疑で起訴するとともに、新たに、冒頭に紹介した土地購入をめぐる2004年の4億円の入金、2005年の4億円の入金と同額の出金、2007年の4億円の出金のいずれも、同会の収支報告書に収入や支出としての記載がないとして、政治資金規正法違反(不記載)で捜査を継続しました。

 2010年1月13日には、東京地検特捜部は、土地購入の原資などを解明するには、強制捜査が必要と判断し、陸山会や小沢氏の都内の個人事務所、当時小沢の秘書で会計事務担当だった石川知裕(現衆議院議員)の議員会館事務所や地元事務所大手ゼネコン鹿島などを一斉に家宅捜索しました。そして、ついに15日、冒頭に述べたように、小沢氏の元私設秘書で陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕氏と、石川容疑者の後任の事務担当者だった池田光智・元私設秘書(32)を、政治資金規正法違反(虚偽記入)容疑で逮捕したのです。

 こうした一連の事件は、田原総一朗氏が「今、この国で死に物狂いの攻防戦が繰り広げられている。戦っているのは小沢一郎・民主党幹事長。相手は東京地検特捜部だ。これはもう、すさまじい戦いである」といっているように、まさに死闘といえます。なにしろ小沢氏は、田中角栄のロッキード社からの収賄事件や、金丸信の佐川急便からのヤミ献金事件の渦中にあって、「企業からの献金について収賄容疑をいかに逃れるか」を徹底的に研究していますから、今後とも強気の姿勢を崩さないと思います。

 だが、こうした彼の手法では、田中角栄の豪腕をもってしても派閥内での権力維持ができなかったように、民主党派閥内での権力維持は困難になると思います。なにしろ、彼は自説で「公正であるべき政策決定がカネで歪められている」として、「政治資金の出入りを一円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にする」ことを主張するとともに、「企業や団体による政治献金は政党に対してのみとし、政治家個人への献金は禁止する。」その代わり、政治活動費は公費で助成すべきことを主張し、そのように政治資金法を改正し政党助成法を成立(1994)させてきた人間ですから。

 その彼が、こうした法律の制定趣旨を無視し、法の網の目をかいくぐり、臆面もなく地元建設会社からの小沢一郎個人に対する巨額の政治資金を受け続けてきたという事実は、ほとんど周知の事実になっています。ではなぜこのような言行不一致を犯してまでも、氏は金を集め続けたか。それは、氏が野党に身を置きつつ政治権力を維持するためには、彼自身の支配する政党組織が必要だったからです。そのことによってはじめて政治的パワーゲームが参加できた。だからこそ政党を作り、壊してはまた作る、それを繰り返した。そのために金が必要だったのです。

 小沢氏は『小沢一郎 政権奪取論』の中で次のような述懐をしています。
「(もし僕が自民党から離脱せず)党に残っていたら、逆に党内をもっと変えられたかも知れないと思う。」「利口な人なら自民党に残っただろうね(笑)。僕は派閥では、事務局長、事務総長、そして会長代行をやった。金集めもした。だから、自民党に残っていたら、派閥会長に小渕さんがなっていようが、ほかのだれかがなっていようが、そんなこととは関係なく、キングメーカーとして権勢をふるえて、きっと左うちわだったろう(笑)」(p105)

 この時の小沢氏の脱党について、石原慎太郎氏は次のように評しています。「これは五十五年体制と呼ばれてきた、自民党単独の与党としての長期にわたる君臨の終焉であり、日本の政治の長きにわたる混乱の始まりでもあった。しかしそこに国を左右しかねぬような何らかの重要な政治案件に関しての・・・決定的対立があったわけでは決してない。」(『国家なる幻影』p626)

 「その口火となった小沢氏達の脱党は、私から眺めれば、何を唱えてかかろうとただ噴飯なものでしかなかった。・・・同族意識から彼を寵愛した金丸信なる人物の存在なしにあり得ぬ抜擢を我が身の能力と錯覚していっこうに気づかぬ程度の男、つまり北朝鮮での中世的独裁者金日成あってはじめて存在できた息子の金正日と同じ実質でしかない指導者(?)の子供じみた衝動に依るもので、今になってそんな人物にとてもついて行けないなどという手合いの慨嘆は所詮身から出た錆としかいいようはあるまい。
 大体自分たちが経世会なる、党内のさらに絶対与党たる派閥に属してきたおかげで金銭と地位役職でどれほどの相伴に与り、勝手気ままなことをしてきたかを思い返してみたらいい。」(上掲本p627)

 小沢氏のこうした行動は、あるいは、石原氏のいうように「子供じみた衝動に依るもの」だったのかもしれません。だからこそ、氏自身にも、「あの時自民党に残っていたら・・・」という想念も蘇ってくるのでしょう。しかし、結果的にはそれが、いわゆる五十五年体制を崩壊させ、その後の「日本の政治の長きにわたる混乱」をもたらしたことは事実です。そして氏が、その不倶戴天の政敵である社会党との連立を余儀なくされたのも、そして、自民党が社会党と連立したのも、その「衝動」がもたらした混乱だった、ということができると思います。

 途中、小泉純一郎という、自民党内で同様の政治改革を目指した男が出て一定の成果を上げました。おそらく小沢氏にとっては、決して許せぬ異常事態の出現であり、ゆえにこの粉砕になりふり構わぬ攻撃をかけたのです。それが功を奏して自民党による政治改革は挫折しました。その間隙を突いて、民主党は、政権交代による日本政治の抜本的改革を訴え、そして政権奪取に成功したのです。ここに小沢氏の宿願かない、民主党の実質的なオーナーとして政権の中枢に君臨する日を迎えました。

 しかし、その日を目前にして、氏のこれまでの権力維持装置の動力源であった「政治資金調達」の合法性が問題にされたのです。また、上述したような小沢氏個人に対する企業からの政治献金の問題だけでなく、新進党や自由党解党時の、本来国に返却すべき、政党助成金を含んだ政党政治資金の残金22億の自己の政治団体への寄付も問題視されるに至っています。現行法上は違法とはいえないようですが、少なくとも、氏自身が成立させた「政党助成法」の精神を裏切るものであることは間違いありません。

 さて、以上のような小沢氏の権力意志をめぐって生じている混乱が、今後の日本の政治にどのような影響を及ぼすことになるのでしょうか。おそらく民主党は、鳩山氏のように小沢氏の「二度と現れない卓越した能力」を讃え、これまでの”ご苦労”に謝しつつも、静かにご退場願うことを選択するでしょう。というのも、小沢氏の「独裁者的資質」はどうやら、権力を取るまでの一時の仮の姿などというものではなく、「本物らしい」ことが、次第に明らかになっているからです。

 このことは、昨年の11月10日、小沢氏が和歌山県の金剛峯寺で全日本仏教会会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会った後の記者会見で、キリスト教は「排他的で独善的宗教だ」。イスラム教も「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べたことにも表れています。その後氏は「宗教論と文明論を言っただけだ」といい、「東洋は、人類は悠久なる自然の中の一つの営みというとらえ方だが、西洋文明は人間が霊長類として最高の存在という考え方だ」と説明しました。

 これに対して、作家の曽野綾子氏は次のように批判しました。

 「人間の発言には根拠が要る。ことに政治に責任を負う人は、学者と同じくらい厳密な資料が必要だ。感情でものを言う人は指導者ではない。」小沢氏は、キリスト教は排他的で独善的だというが、「新約聖書に凝縮されるキリスト教の本質」はそのようなものではない。もちろん、「信仰の神髄を実生活において守らない人がいるのはどの宗教でも同じ」であり、「信仰を歪めた者も、命に懸けて守った人もいる」わけで、そこで気をつけなければいけないことは「教義をその人的な部分で判断してはいけない」ということだ。

 聖書には「隣人も敵も自分のように愛しなさい、という掟は執拗なまでに繰り返し述べられ」ている。また、「金も住居もなく、衣服にも事欠き、病気や不遇に苦しむいわゆる「難民」を優しく遇した人に、イエスは感謝を述べている。」「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」「人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい」「あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」等々。

 このようなキリスト教の教義の神髄をご存じなくても、「国内問題なら氏の発言も日本人は見逃 す。しかし勉強していない分野には黙っているのが礼儀だろう。また宗教について軽々に発言することは、少なくとも極地紛争以上の重大な対立を招くのが最近の世界的状況だ。それをご存じない政治家は決定的に資質に欠けている。」

 私もこの通りだと思いますが、その後行われた小沢氏と記者とのやりとりを見ても、「勉強していない分野には黙っているのが礼儀」であるはずなのに、逆ギレして「君は何教だ」と記者を問い詰め、あげくに「煩悩を生きながらにして超越できる人が生き仏。お釈迦様が最初の人だ」と力説した上で「死にゃあ煩悩がなくなるから仏様。君んとこも仏様あるだろ? ほかの宗教で、みんな神様になれるとこあるか」などど講釈しました。

 なんか仏教と神道とごっちゃにした理解の仕方で、威張るほどのことでもないような気がしますが、いずれにしろ、国内においても、政治家が「宗教について軽々に発言する」ことは差し控えるべきで、まして他宗教批判などすべきではないと思います。

 また、小沢氏は、2009年12月15日に行なわれた今上天皇と習近平中華人民共和国副主席との特例会見が「一ヶ月ルール」を破って実施されたことについて、羽毛田宮内庁長官が記者会見で「二度とあって欲しくない」と述べたことについて、次のように批判しました。

 「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうこういうなら、辞表を提出してからいうべきだ」。また、「30日ルールって誰が作ったのか。法律で決まっているわけでもない。国事行為は『内閣の助言と承認』で行われるのが憲法の本旨で、それを政治利用といったら陛下は何もできない」「陛下の体調がすぐれないなら優位性の低い(他の)行事はお休みになればいいことだ」「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないが会いましょうと必ずおっしゃると思う」。

 私は、羽毛田宮内庁長官が、習近平氏来日直前にわざわざ記者会見まで開いて、政府の対応を批判するというのはどうかと思います。宮内庁としては不満はあっても会見に同意したのですし、何といってもお客さんに対して失礼ですから。だが、これに対する小沢氏の批判も度を超していると思います。まるで独裁者のふるまいですね。聞きようによっては、羽毛田長官のみではなく天皇をも恫喝しているようです。日本の天皇は、かってイザヤ・ベンダサンが指摘したように、日本統治における二権分立の一方の文化的象徴であって、政治権力がそれを組み敷くことのできないものです。

 小沢氏の発言には、そうした日本の伝統に対する尊敬や畏れ、あるいは慎みといったものが感じられません。これはいよいよ「本物の」独裁者だと思ったことでした。こんな人物に、中国や韓国との真の和解のための外交ができるはずがありません。昨年末には、小沢氏は韓国で講演し、江上波夫氏の天皇家が騎馬民族の征服王朝であるとの説を紹介しました。これは学説として今はほとんど問題にされていないもので、これも「勉強していない分野には黙っているのが礼儀」という政治家としての節度を逸脱したものだといわざるを得ません。

 こんな調子では、現在問題となっている「永住外国人への地方参政権付与」など民族文化にかかわる問題の解決できるはずがありません。悪くすると、日韓関係の改善どころか、無用の感情的対立を煽ることにもなりかねません。ここは、小泉内閣以来日中歴史共同研究が行われ、この一月末にはその報告書が出されるまでになっているのですから、同様に、日韓歴史共同研究の報告も待ちながら、慎重に両国文化の相互理解の深化を図るなかで進めていくべき事だと思います。

 この点については、私は、自民党の「保守派」を自認する人たちの、過度に「東京裁判史観」に拘泥し「村山談話」程度のものを執拗に排撃する態度にも賛成できません。このことについては、エントリー「自民党『保守の思想』、鳩山首相『友愛思想』は、歴史認識問題とどう関わるか」で私見を述べました。もちろん私は、いわゆる「自虐史観」にも賛成できません。自国の歴史がもたらした恩恵と負債は共に引き受け、自らの問題としてその発展を期していくのが、歴史を後世に伝えていくものの努めだと思いますので。

 いずれにしても、以上のような小沢騒動が終結した後に問題となるのは、こうした日本人自身の「歴史認識」の問題ではないでしょうか。小沢氏の「歴史認識」も、『日本改造計画』や『小沢主義』を読んだ限りでは、検討してみる必要があるかと思いましたが、どうやら前者の大部分は大蔵官僚が書いたものであるらしく(参考)、その後の氏の発言とも矛盾しているのでやめました。では、鳩山首相はどうか、冗談にもなりませんね。では菅氏は、岡田氏は、前原氏は・・・と見ていくと、なんだか民主党も大丈夫かなあと不安に思えてきます。こりゃあ・・・近い将来政界再編ですね。

2010年1月 6日 (水)

小沢一郎の権力意志と歴史認識について(4)

小沢は民主政治家か宮廷政治家か

 前回の末尾に、花隆氏が文藝春秋十一月号「小沢一郎『新闇将軍』の研究」で、小沢一郎の政治手法を「密室政治=宮廷政治」であると批判した一文を紹介しました。

 「民主主義の政治過程で主役をしめるのは、公開の場における言論だが、宮廷政治で主役を占めるのは、密室における政治的実力者の取引、談合、恫喝、陰謀、抱き込みなどであり、そこで主たる行動のモチベーションとなるのは、政治的見解の一致不一致ではなく、物質的利益と政治的利益の分配、あるいは義理人情、愛情、怒り、嫉妬、怨恨といった感情的どろどろである。」

 小沢一郎の分かりにくさは、氏自身の「公開の場における言論」が、著書という形で提示されていることであり、かつ、その政治改革に向けたメッセージが、旧来の日本の官僚政治を打破し政治主導の責任内閣制の確立しようとする点で、まさに当を得たものであるということ。その一方、現実政治における氏の政治手法は、人事ポストや資金力を駆使した理念無視の多数派工作が真骨頂であり、まさに、「密室における政治的実力者の取引、談合、恫喝、陰謀、抱き込み」を得意としているということです。

 このため、氏の政治家としてのモチベーションが、その著著に語られた政治的主張の実現を目指すものなのか、それとも、かって氏が自民党において田中、金丸の寵愛を受けたことで一度手にした最高権力を失ったことへの屈辱をはらすというものなのか、判然としないのです。もし前者なら、自民党の採ってきた政策でもいいものは継承できると思うのですが、あえて全否定し、その息の根を止めることに執心している様子は、その動機が「怒り、嫉妬、怨恨」であることを疑わせます。

 そこで、このいずれが氏の本当の姿であるのか、これまでに論じてきたことをもう少し深く掘り下げながら、私なりに総合的な判定を下してみたいと思います。もし後者なら、それは現実政治に混乱を招くばかりでなく、日本の民主主義の発展にも大きな障碍となりかねませんから・・・。

『日本改造計画』で語られた日本の政治改革

 この『日本改造計画』という本は、小沢氏がまだ自民党竹下派に属しており、金丸信竹下派会長が議員辞職した後の会長後任人事をめぐって小渕を推す竹下と対立して「改革フォーラム21」を立ち上げた頃(1992年)に書き始めたものです。出版は93年6月で、当時70万部のベストセラーになりました。思想的には新自由主義に立っていて、アメリカでも高く評価されたそうです。氏自身の回想によると、この本の作成には10人くらいの官僚と学者が参加し、小沢氏自身が推敲してまとめたものだと言います。(『小沢一郎政権奪取論』p95)

 で、この本が書かれた基本的動機ですが、それは、氏が自民党海部内閣の幹事長をしていた時に遭遇した、湾岸戦争における日本の対応を巡ってアメリカと交渉した時の屈辱がそのベースになっています。少し長くなりますが、重要ですので、この部分を引用紹介しておきます。
 
 「九〇年の湾岸戦争は日本にとって苦い教訓だった。湾岸戦争における日本の対応は、アメリカの親日的な人々を失望させ、日本批判派の日本叩きを増長させた。どこに原因があったのか。

 サダム・フセインがクウェートを占領したとき、アメリカが懸念したことはサウジアラビアだった。当時、軍事専門家の見方では、イラクがサウジに攻め込むと、二週間以内でサウジの重要な油田地帯をほば制圧できた。そうなるとイラク、クウェートおよびサウジの油田をフセインが占領することになる。合計埋蔵量は世界の五五パーセントである。それは、毒ガスを平気で使う独裁者によって世界の石油価格が思いのままにコントロールされる、ということであり、西側経済は壊滅的な打撃を受けるに違いなかった。それをアメリカは心配した。(このあたりの認識は、石原慎太郎氏とは全く異なる。『国家なる幻影』参照)

 一方、日本とアメリカの間では「グローバル・パートナーシップ」というスローガンのもとに政策協調が非常にうまく進展していた。このためアメリカは日本も立ち上がってくれると思っていた。だが、日本はその期待を裏切った。

 まず、アメリカは日本に軍用物資を運ぶ輸送機の派遣を要請してきた。それに対して日本政府はあまり検討の時間もかけずに「ノー」の答えを出す。次にアメリカは補給艦を要請する。これも「ノー」。軍用のタンカーはどうか。またまた「ノー」。それでは船を。これに対しては、日本国籍二隻、米国籍一隻の計三隻を出して応じたが、出港した九月末は輸送需要のピークを過ぎていた。さらに、アメリカは掃海艇の派遣を要請してきた。政府は憲法上の観点から「ノー」と答えた。最後には政府は掃海艇を派遣したが、戦争が終わってからであった。このように、政府の対応が遅すぎて本当に必要なときに協力できなかったのである。

 アメリカ国内の基地からサウジ東海岸まで物資と兵員を緊急輸送するための輸送協力(エアリフト)についても、同じだ。日本政府は中東貢献策としてこの要請には何とか応えようとした。このため外務省、運輸省、日航などが何日も徹夜して議論した。その結果、最終的に出た計画は、途中で三回荷物を積み替え、成田経由で地球を三分の二周して持っていくというものだった。所要時間は七日間。しかも積み荷の検査が必要だと条件をつけた。

 日本の民間航空機を軍事用に使うことに踏み切ったこと自体は一つの決断だった。とはいえ、現実の必要に間に合うものではなかった。結局この件は、アメリカの航空会社に電話して二十四時間で契約が成立した。しかも、即座に直接現地まで飛ぶという。日本政府は八十数便チャーターしてアメリカに提供した。アメリカ軍は喜んでくれたが、日の丸のついた飛行機だったら国際社会からもっと評価されたのに、というのが彼らの率直な感想だった。

 難民輸送のために自衛隊の輸送機を派遣する計画は離陸直前までいきながら、ついに実現できなかった。自衛隊機をエジプトに飛ばし、カイロを基地としてヨルダン、シリアとの問を往復、イラクから脱出してきた難民をピストン輸送する計画である。自衛隊に準備命令を出し、エジプト政府の了解も取り付けた。あとは飛びたつばかりとなった。ところが、土壇場で日本政府はゴーサインを出せなかった。国内で自衛隊機の海外派遣に対する批判が出るのを恐れたからだ。

 日本は実効的な貢献を期待したアメリカの要求に応えることができなかった。
 資金的な協力はどうだったか。
 日本国内には、アメリカは破産同然で戦費もないのに日本やドイツのカネで戦争しているという声が一部にあった。これは明らかに間違いである。アメリカが日本に要請してきた項目の中で、資金協力は四番目か五番目の優先順位にすぎなかったことを知るべきだ。むしろ日本の方が、人員を一人も現地に派遣できないので、何とかカネだけで済ませてくれという姿勢だったのである。日本は自ら望んでキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払い機)になってしまった。その結果、百三十億ドルという資金を提供するはめになった。この点を勘違いしてはならない。(この間の経緯については前掲書を参照)

 金額については議論があるようだが、私は高いと思う。一人前の国家として国際的な安全保障に協力できず、資金提供だけでお茶を濁そうとすると、こういうことになってしまう。韓国やフィリピンは要員を派遣してそれなりの評価を受けた。日本はどんなに金を出しても尊敬されない。それが国際政治の冷厳な現実である。(中略)
  
 湾岸戦争以来、アメリカでは『同盟』という概念に該当する国は、湾岸戦争で生死を賭けて戦った二十八ヵ国ということになっている。もちろん、日本はその中に入っていない。日本は、アメリカが心情的に描いていた『同盟』という概念から離れてしまったのである。

 日米同盟関係を基軸にしていくべき日本にとって、湾岸戦争は大きな『負』の遺産を残したことを忘れてはいけない。」(『日本改造計画』P33~36)

 小沢氏のその後の行動は、実は、この時の屈辱的な体験が基になっているのです。つまり、「一人前の国家として国際的な安全保障に協力できず、資金提供だけでお茶を濁そう」としたことが、膨大な戦費負担を余儀なくされただけでなく、世界から感謝されるどころかバカにされ、日本の安全保障の基軸であるべき日米「同盟」からも、心情的に切り離されることになってしまった、と慨嘆しているのです。

日本が湾岸戦争でアメリカに協力できなかった原因

 では、そうなった原因は何か。小沢氏は次の五つの問題点を指摘しています。
一、日本にとって軍事力は『負債』でしかなく、国家安全保障の役割は政府に『栄光』を与えるどころか、国民は、安全保障に関して政府に対する不信感さえ持っている。

二、アメリカの民主主義は、一朝、緊急事態が発生すると、極めて少数の人間が責任を持って決断、対処していく。一方、日本の場合は、手続き面に偏重した民主主義で、泥棒が入ってから、縄のない方を喧喧諤諤議論するようなものだ。

三、国会における全員一致による意思統一という疑似民主主義的慣習が、本来の民主主義を機能不全にしている。

四、政策決定において首相官邸のリーダーシップが弱すぎる。首相には三年、四年と入ったある程度の長さの任期を与えた方がよい。

五、縦割り行政の弊害、各省庁の利害を超えた総合的な判断ができない。

 要するに、一、政府が国家安全保障の役割と能力を備えると共に、それに伴う権威を持つべきこと。二、緊急事態には、少数の人間が責任を持って決断、対処すべきこと。そのためには、三、国会における疑似民主主義的慣習をやめると共に、五、縦割り行政の弊害をなくして、四、首相の政策決定におけるリーダーシップを確立する必要があるというのです。

内閣の具体的な機能強化策

 そのための具体的方策としては、
○ 首相官邸の機能強化策としての補佐官制度の導入し、内閣審議室を置いて政策の総合調整機能の充実を図る。

○ 議会で選ばれた内閣が政治に責任を負うようにするため、与党と内閣を一体化する。そのため、例えば、与党側の議会運営の最高責任者である幹事長を閣僚にする。また、与党の中堅部分と内閣あるいは行政府を一体化するため、省庁毎に二~三人の政務次官と四~六人の政務審議官を置き、政策立案に参画する。これによって責任の所在がはっきりし、
政策過程も分かりやすくなる。

○ 国会答弁は閣内大臣のほか、専門的な問題や細かい問題については政務次官などの政治家が担当し、政府委員(官僚)による答弁は全て廃止する。官僚は政治的に中立を保ち、純粋にテクノクラートとして政治家を補佐する。

○ 閣議の前に各省庁の考え方を調整する制度は廃止し、名実共に内閣の最高意志決定機関とする。この閣議は、即与党の中枢機関であり、それを首相がリードすることで首相のリーダーシップは本当の意味で機能する。
  
 以上が内閣の強化策ですが、こうした政治改革を実現するためには、従来の自民党の馴れ合い、もたれ合いの政治構造を根本から変えなければならない。ではどんな手段でそれを壊し、戦後政治の転換を実現するか。そのためには、選挙制度、政治資金制度、政治腐敗防止制度の改革を「三位一体」として断行する以外にない。選挙制度については従来の中選挙区制度を廃して小選挙区制度を導入する必要があると、次のようにいいます。

小選挙区制度の導入

 なぜ中選挙区制がダメかというと、「一つの選挙区で三~五人を選ぶ中選挙区制では、野党は候補者を一人に絞る限り、黙っていても必ず当選する。何が何でも与党に反対する二割ほどの反体制的批判票が必ず存在するから・・・手をこまねいていても、野党は百三十前後の議席を確保できる。」そして、日本では、これら少数者の尊重が政治の談合構造の中で肥大化し、実質的に全会一致制となっており、迅速な意志決定ができなくなっている。

 こうした政治構造を改革し、「政治のリーダーシップを回復し、ダイナミズムを取り戻すためには、多数決原理をもっと全面に出さなければならない。」小選挙区制度では、「各選挙区で一人しか当選しないので、どんなに拮抗しても一票でも多い方が議席を獲得し、少ない方は議席を得られない。これほど明瞭に多数決原理の考え方を反映している選挙制度はないであろう。」その結果、二大政党制が確立しやすくなり、また政権交代も起きやすくなり、これによって今日日本が抱えているほとんどの問題は解決できる。

政治資金制度改革

 また、「政治資金制度の改革は、政治資金の全面公開と政治活動への公的助成の拡大を二大柱とすべきである。」「政治家の政治資金団体を一つに限り、政治活動にかかわるあらゆる資金はそこを通してのみ受領、支出し、一年ごとに全面公開する。」これによって「一億二千万人が直接政治資金の流れをチェックするのが、最も民主的で効果的な監視である。」

 「さらに、企業や団体による政治献金は政党にたいしてのみとし、政治家個人への献金は禁止してもいい。理論的にはおかしいことだが、政治家と特定の企業、団体との関係について疑いを持たれる余地をなくし、国民の政治不信を払拭するためにはやむを得ないと思う。しかし、こうすると、政治資金はほとんど集まらない。個人による少額の献金しかなくなってしまう。したがって、政治活動費は公費で助成する以外にない。」

政党による政策による選挙

 「小選挙区制では一選挙区から各党一人しか立候補できないので、各党がどのように候補者を選ぶかが問題になる。政党本位の選挙という視点に立てば、党本部が選ぶことで権限が党本部に集中することになり、政党規律を確立するためには好ましい。しかし、党執行部に権限が集中しすぎて寡頭支配になってしまう危険性がある。党の官僚化は避けられず、幅広い印材を確保できない可能性もある。(そこで)候補者の選出は地方支部が行うのが望ましい。」

 「小選挙区制の趣旨からいえば、選挙運動の手段は全て政党に与え、政党だけが選挙運動を行えるようににした方がよい。しかし、個人の選挙運動を全面禁止すると憲法に違反することになるので、最低限の手段は個人にも認めざるを得ない。(中略)政党の公認候補でなければ、選挙運動は有効に行えない。その結果、本当の意味で政党と政党が資金力によってではなく政策の優劣で争う政党本位、政策本意の選挙ができるようになる。これまで自民党に見られるような派閥の弊害も是正されるだろう。」
 
国会の審議改革

一、一年中国会を開く通年国会にするなどして、必要な審議をどんどん進めることができるようにする。
二、予算委員会開会中に多の常任委員会が開けないなどの、合理性を欠いた慣行は廃止する。
三、国会を情報発信の場とする。本当の意味で民主主義を日本社会に定着させるためにも、国会議員は国会に戻り、国会での議論を通して不断に国民に訴え、国民の審判を仰くようにしなければならない。

 以上が、『日本改造計画』第一部「いま、政治の改革を」の主な内容ですが、こうした氏の政治改革の着想の発端は、湾岸戦争において、アメリカの同盟国として自衛隊をイラクに派遣できなかったことで受けた、氏自身の屈辱的体験にあったのです。その屈辱を日本にもたらしたものが、五十五年体制下の日本の官僚依存の政治体制であり、全員一致の馴れ合い政治であり、少数政党の意向に縛られる政治である。しかし、これでは湾岸戦争のような緊急事態には対応できないから、小選挙区制を導入することによって多数決原理を貫徹させ、少数政党=社会党のような反体制政党が存立できないようにしなければならない、というのです。

公表された言論と実態の恐るべき乖離

 あけすけな言い方になりましたが、小沢氏がこの本で言っていることはこういうことなのです。ところが皮肉なことに、氏は自民党を離脱後の選挙で思うような議席数を獲得できなかったことから、その社会党と連立を組むという奇策を採ることになりました。この無理が、自民党と社会党の連立政権を生むことにもなったわけで、これが、その後の日本の政治を怨念渦巻く政局本位の分かりにくい政治にしたことは間違いないと思います。

 この間、確かに小選挙区制は導入されましたが、それは比例代表並立制であり、小沢氏が二者択一の多数決原理を反映させようとした単純小選挙区制ではありませんでした。そのため僅かの議席数しか得ていない社民党や国民新党がキャスティングボートを握り、政局を左右し、民主党がそれに振り回されるという不思議な結果を招いています。

 また、政治資金制度改革も行われましたが、政治家個人への企業・団体献金は禁止といいながら、皮肉にも最大の企業献金疑惑(西松建設、鹿島建設)の渦中にいるのが小沢氏本人です。政治家の政治資金団体は一つに制限すると言いながら、氏は現在七つ持っています。また、自由党時代の政党交付金の不可解な支出(藤井に15億円、本人は否定)や、自由党解党時(2003年)の政治資金13億円(内5億円が政党助成金、本来は返納)の横流しも疑われている始末です。(『文藝春秋』一月号「小沢から藤井に渡った15億円の怪」)

 また、小選挙区制度のもとでの候補者の選定については、党執行部への権限集中を避けるため、候補者の選出は地方支部が行うと言っていましたが、今回の衆議院選挙における民主党の候補者の選出から選挙指導まで小沢氏が支配し、民主党議員に対する圧倒的権力を誇示するようになっています。だって、小沢氏に逆らえば「選挙と人事で干し上げられる」ことは目に見えていますから。

 また、小選挙区制により派閥の弊害をなくすという言葉とは裏腹に、民主党内には小沢チルドレン→小沢軍団が誕生し、「一新会」と称する小沢一郎派閥が誕生しているそうです。(小沢氏への忠誠を持つことなど入会資格が厳しく、名簿すら出さない閉鎖的な会になっている)。そして、それに属するか否かで「議員間格差」がつけられるようになっているといいます。(『正論』二月号「『軍団』教育から読み解く小沢一郎の野望」)
 
 それよりなにより、民主党の政権奪取後、内閣強化策として設置された国家戦略室(=内閣審議室)もいまだ機能不全のままなのは一層不可解です。与党と内閣の一体化ということについても、かえって内閣と与党が分立している印象で、というより、与党の幹事長である小沢氏の方が内閣の首班である鳩山首相よりも強大な権力(政策においても人事においても政治資金の配分においても)を行使しているように見えます。

 確かに、各省庁に大臣、副大臣の外複数の政務官などを配置することとか、事務次官会議を廃止するとか、政府委員の国会答弁を禁止するとか、官僚に対する政治主導の確立という点では一定の成果を上げているようですが、肝心の内閣中心の政治主導体制が確立していないのは不思議というほかありません。鳩山首相のリーダーシップの欠如と言えばそれまでですが、その背後に、小沢氏の強権的支配があることは歴然としています。

 このことは、三百を超える議席数を持つ民主党が、なぜ、わずかな議席数しか持たない社民党や国民新党との連立を必要とするのか、前者は国家安全保障政策に関して、小沢氏とは真っ向から対立する思想の持ち主であり、後者は、行政改革や特殊法人改革を徹底しようとしている民主党の政策に逆行する思想の持ち主であることは明らかにもかかわらず・・・。端的に言えば、思想的には「みんなの党」や公明党あるいは自民党の方が民主党に近いわけで、こうした不可解な連立運営も、小沢氏から出ていることは疑いようがありません。

小沢政治への不安

 なぜこのようなことになるのか、こうした変則状態は、次の参議院選挙で民主党が単独過半数を獲得すれば解消することなのか、それとも、小沢氏本人が首相になることで解消するのか、いずれにしても、こうした小沢氏本人の言葉とも矛盾する権力操作を臆面もなく行う小沢氏が首相となり最高権力を握った時、はたして、「民主主義の政治過程で主役をしめるべき、公開の場における言論」が保障されるのか、不安に思うのは私だけではないと思います。

 そうした疑念を払拭するためにも、冒頭に紹介したような、氏自身の言葉に違わない内閣主導の政治主導体制を一日も早く確立してもらいたいものです。その時、内閣の総合調整機能を担うものは国家戦略局であり、閣僚会議を含め内閣をリードするものは首相であり、当然のことながら、政策決定においても、政府・与党人事においても、党の政治交付金の収支についても、その最終責任者は首相であり、幹事長はあくまで首相の補佐職であることが明確にされるべきです。

 次回は、小沢氏の経済政策の変化や歴史認識について検討したいと思います。

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