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2010年5月

2010年5月29日 (土)

福島大臣罷免、社民党連立離脱を歓迎する――自らの言葉(=思想)に責任を持つことが大切!

 28日夜、鳩山首相は社民党の福島大臣を罷免しました。このことは、民主党と社民党の日本の安全保障政策に関する基本的考え方が異なっている以上、こうした局面では、選挙対策より安全保障を優先せざるを得ないのですから、”当然のことが行われた”ということだと思います。社民党としては、鳩山首相の「善意の論理」をうまく利用して、自らの安全保障政策(注1)を実現させようとしたわけですが、残念ながら、首相もそこまでは脳天気ではなかった訳で、まあ、”作戦失敗!”というところが社民党の本音なのではないでしょうか。

(注1)「日米安保条約の軍事同盟の側面を弱めながらその役割を終わらせ、経済や文化面での協力を中心にした平和友好条約への転換を目指します。」というもの

 ただ、沖縄の人びとの反発、特に社民党のいうような安全保障観に基づく基地の撤去ができると期待してきた人びとの落胆と怒りはそれは大きいでしょうね。まさか、首相が何の確証もなく「最低でも県外、できれば国外」等というはずはないと、誰でも思いますから。おそらく、こうした人たちは、軍事的にもそれが可能だと信じたに違いありません。といっても、この点についての責任は社民党の福島党首も同様だと思います。ただ、首相でなかったおかげで、その責任追求を免れているだけですから・・・(首相だったら、曾ての村山首相がそうであったように、先のような主張を押し通すことはできなかっただろう、ということ)

 ところで、今回の問題の処理について、小沢幹事長が必ずしも積極的に動いていない、というのはどうした事でしょうか。もともと、社民党や国民新党を連立に引き入れたのは小沢氏だったといいますから、こうした事態に陥るのは当然予測できたはずで、それを”知らんぷり”というのはいささか無責任なような気します。おそらく、小沢氏も、この局面ではこれ以外の選択肢はないとあきらめたのでしょう。しかし、選挙協力だけはなんとか残したいので、積極的な発言は控えた、ということなのではないでしょうか。

 そんなことで、28日の夜、鳩山首相の「普天間基地問題と沖縄県民の負担軽減について」の記者会見が行われたわけですが、その記者会見の内容は鳩山首相の真情がこもっていて意外と面白いものでした。以下、私が興味を持った部分を抜き出してみます。

 まず、沖縄県民が過重な基地負担に耐えてきたこと、そのことを多くの日本人が忘れがちになっていることについて、国民の注意を喚起することから始まりました。

 「日本の国土のわずか0.6%の沖縄県に、駐留米軍基地の75%が集中するという偏った負担がございます。米軍駐留に伴う爆音とも言えるほどの騒音などの負担や、基地が密集市街地に近接することの危険などを、沖縄の皆様方に背負っていただいてきたからこそ、今日の日本の平和と繁栄があると言っても過言ではありません。しかし、多くの日本人が、日常の日々の生活の中で、沖縄の、あるいは基地の所在する自治体の負担をつい忘れがちになっているのではないでしょうか。」

 また、沖縄が先の大戦で強いられた犠牲についての指摘、
 「国内でほぼ唯一の、最大規模の地上戦を経験し、多くの犠牲を強いられることとなりました。ここでもまた、沖縄が、本土の安全のための防波堤となったのであります。」

 さらに戦後は、
 「27年間(38年間の間違い)わたるアメリカ統治下でのご苦労、さらに返還後も、基地の負担を一身に担ってきたご苦労を思えば、現在の基地問題を、沖縄に対する不当な差別であると考える沖縄県民の皆様方のお気持ちは、痛いほど分かります。」

  また、このような、日本の安全保障のために沖縄が負担してきた「犠牲」についてだけでなく、駐留米軍に勤務する米国の若者が負っている「犠牲」についても次のように言及しました。これは、おそらくオバマ大統領の立場に配慮を示したもの(参照)ではないかと推測されますが、日本の首相が日本国民に訴える言葉としては、はじめてではないかと思い、私はこれは大事な観点なのではないかと思いました。

 「しかし、同時に、米軍基地の存在もまた、日本の安全保障上、なくてはならないものでございます。遠く数千キロも郷里を離れて、日本に駐留し、日本を含む極東の安全保障のために日々汗を流してくれている米国の若者たちが約5万人も存在することを、私たちは日々実感しているでしょうか。彼らの犠牲もまた、私たちは忘れてはならないと思います。」

 そして、これらの犠牲によって我が国やアジア太平洋地域の平和が保たれていることについて、1972年5月15日、「沖縄復帰にあたっての政府の声明」を引用し次のように言いました。
 「沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命をささげられた多くの方々の霊を慰める道であり、われわれ国民の誓いでなければならない。」

 次に、日米安保と沖縄の基地問題に民主党がどのように取り組んだか、その経過と結果について、
 「・・・戦後初めての選挙による政権交代を成し遂げた、国民の大きな期待の元に誕生した新政権の責務として、大きな転換が図れないか、真剣に検討いたしました。
 市街地のど真ん中に位置する普天間基地の危険をどうにかして少しでも除去できないか、加えて、沖縄県民の過重な負担や危険を、少しでも、一歩ずつでも具体的に軽減する方策がないものか、真剣に検討を重ねてまいりました。

 そのために、普天間の代替施設を「県外」に移せないか、徳之島をはじめ全国の他の地域で沖縄の御負担を少しでも引き受けていただけないか、私なりに一生懸命努力をしてまいったつもりでございます。」

 また、「当然のことながら、米国との間では、安全保障上の観点に留意しながら、沖縄の負担軽減と普天間の危険性の除去を最大限実現するためにギリギリの交渉を行ってまいりました。そうした中で、日本国民の平和と安全の維持の観点から、さらには日米のみならず東アジア全域の平和と安全秩序の維持の観点から、海兵隊を含む在日米軍の抑止力についても、慎重な熟慮を加えた結果が、本日の閣議決定(参照)でございます。」

 次に、こうして出された日米安全保障協議委員会による「日米共同声明」の内容について、いまだ沖縄県民の理解が得られていないこと、また福島大臣を罷免せざるをえなかったことについての、鳩山首相の率直なお詫びが述べられました。 

 「残念ながら、現時点において、もっとも大切な沖縄県民の皆様方の御理解を得られるには至っていないと思っております。また連立のパートナーであり、社民党党首であります福島大臣にも残念ながらご理解をいただけませんでした。結果として、福島大臣を罷免せざるを得ない事態に立ち至りました。

 こうした状況のもとで、本日、閣議決定に至ったことは、誠に申し訳ない思いで一杯でございます。また、検討を重ねる過程で、関係閣僚も含めた政府部内での議論が、沖縄県民の皆様方や徳之島の住民の皆様を始め、多大のご心配やご不安をあおる結果になったことも含め、ここにお詫びを申しあげます。」

 しかし、こうした問題の解決のためには、今回決定した政府案を出発点として進むほかないとして、国民に対して次のように訴えがなされました。

 「また沖縄の負担軽減のためには、全国の皆様の御理解と御協力が何よりも大切でございます。国民の皆様、どうか、是非、沖縄の痛みをわが身のこととお考え願いたい。沖縄の負担軽減に、どうかご協力いただきたい。あらためて強くお願いを申し上げます。

 本日、私は、この厳しい決断をいたしました。私は、今後も、この問題の全面的な解決に向けて、命がけで取り組んでまいらなければならないと思っています。沖縄の皆様、国民の皆様、どうか、ご理解とご協力をお願いいたします。」

 続いて、閣議決定の具体的内容と経緯の説明として、
 「民主党自身も野党時代に県外、国外移設を主張してきたという経緯がある中で、政府は昨年9月の発足以来、普天間飛行場の代替施設に関する過去の日米合意について、見直し作業を実施をいたしました。・・・こうしたことから、昨年12月、新たな代替施設を探すことを決めました。

 その後の5ヶ月間、何とか県外に代替施設を見つけられないか、という強い思いの下、沖縄県内と県外を含め、40数か所の場所について、移設の可能性を探りました。

 しかし、大きな問題は、海兵隊の一体運用の必要性でございました。沖縄の海兵隊は、一体となって活動します。この全体を一括りにして本土に移すという選択肢は、現実にはありえませんでした。ヘリ部隊を地上部隊などと切り離し、沖縄から遠く離れた場所に移設する、ということもかないませんでした。

 比較的沖縄に近い鹿児島県の徳之島への移設についても検討しましたが、米側とのやり取りの結果、距離的に困難、との結論に至りました。この間、徳之島の方々には、ご心配とご迷惑をおかけし、厳しい声も頂戴しました。大変申し訳なく思っています。」

 「しかし、それでも私が沖縄県内、それも辺野古にお願いせざるをえないと決めたのは、代替施設を決めない限り、普天間飛行場が返還されることはないからでございます。海兵隊8千人等のグアム移転や、嘉手納以南の米軍基地の返還も、代替施設が決まらないと動きません。この現実の下で、危険性の除去と負担軽減を優先する。それが、今回の決定であることを、どうかご理解を願いたい。」

 また、「新たな代替施設については、詳細な場所や工法などについて環境面や地元の皆様への影響などを考慮して計画をつくります。地元の方々との対話を心がけてまいります。沖縄の方々、特に名護市の多くの方々が、とても受け入れられない、とお怒りになられることは、重々わかります。それでも、私は敢えて、お願いをせざるをえません。」

 もちろん、今後とも、沖縄の負担軽減と危険性の除去には努力してまいります。しかし「そのためには、他の自治体に米軍等の訓練受入れをお願いしなければなりません。昨日、全国の知事さん方にもお願いしました。今後もご理解を求めてまいります。また、今回の日米合意では、徳之島の皆様にご協力をお願いすることも検討することといたしました。今後もよく話し合ってまいります。」

 この点については、今回米国との合意の中で、「県外への訓練移転のほか、沖縄本島の東方海域の米軍訓練区域について、漁業関係者の方々などが通過できるよう合意をしました。また、基地をめぐる環境の問題についても、新たな合意をめざして検討することにいたしました。今後はその具体化に力を尽くしてまいります。」

 そこで、あらためて、「ここに至るまでの間、国民の皆さんや沖縄県民、関係者の皆様にご心配とご迷惑をおかけしたこと」について「あらためて、今一度、心からお詫びを申し上げます。」と謝罪した上で、国民へのお願いとして、

 「政府は、私が示しました方針に基づき、普天間飛行場返還のための代替施設の建設と、沖縄の負担軽減策の充実に向けて、これから邁進してまいります。今後とも、沖縄のみなさんとは、真摯に話し合わせていただきたい。沖縄県以外の自治体の方々にも、協力をお願いしてまいりたい。国民の皆様方が心を一つにして、基地問題の解決に向けて知恵を出し合っていきたいと思います。」

 最後に――ここが重要ですが――自国の平和を主体的に守ることができる国になることの大切さが国民に訴えられています。

 「どんなに時間がかかっても、自国の平和を主体的に守ることができる国に日本をつくっていきたい、と私は考えております。日米同盟の深化や東アジア共同体構想を含め、私たち日本人の英知を結集していこうではありませんか。沖縄の基地問題の真の解決も、その先にあると、私は思っております。」

 以上、鳩山首相の弁明というか、お詫びの言葉のエッセンスを紹介してきましたが、これを読んで皆さんはどう思われますか。

 私は、以前のエントリーで、鳩山首相の「善意の論理が招いた悪意」について論じましたが、その後の事態はほぼその通りに展開しました。では、今後はそれをどう処理すべきでしょうか。私は、それは、以上の鳩山首相の言葉の通り、特に沖縄県民に対して、そうした鳩山首相の「善意の論理」が招いた混乱について、率直にあやまる外ないと思います。

 しかし、社民党と同様に日米安保条約の軍事同盟としての役割を認めない人たちにとっては、沖縄から普天間基地を撤去する、というより、日本から米軍基地をなくすという方向での期待が裏切られた訳ですから、怒りは収まらないでしょう。今後は、こうした方たちは、連立離脱する(であろう?)社民党と連帯して、民主党の安全保障政策に異議を唱えていくほかないと思います。というのも、鳩山首相の場合は、沖縄の基地負担の軽減に引き続き取り組むとは言っても、それは「日米安保条約の軍事同盟としての役割」の再認識の上に立っているのですから。(*下線部分「民主党」と「社民党」に訂正5/30)

 では、沖縄における辺野古に基地を作らせない運動は今後どのように展開するでしょうか。”成田闘争のようになる”という人もいますが、私は、問題は「日米安保条約の軍事同盟としての役割」の認識が多くの国民に支持される限り、事態はそれほど深刻化することはないと思います。それより、その基地負担を沖縄以外の県がどれだけ分担しようとするか、そのことに焦点が移っていくのではないでしょうか。

 この件に関して、27日に行われた全国知事会議で、鳩山首相が、「(米軍)基地問題で沖縄県に多くの負担をお願いしているが、国民全体の問題として思いを分かち合ってほしい。・・・沖縄県内に普天間飛行場の移設先を見いださざるを得ないが、訓練の一部移転が皆さま方のふるさとで可能だという話があればありがたい」と要請しました。 

 これに対して、大阪府の橋下知事は、沖縄の負担軽減策が必要だと言及した上で、「大阪では何も負担をしておらず、安全のただ乗りの状態。沖縄の方には申し訳ない。沖縄の負担軽減についてはしっかりと話して行かなくてはならない」と述べています。

 東京都の石原知事は、尖閣諸島の領有権の問題で鳩山首相が「中国と話し合う」と述べたことに怒って途中退席したようです(これについてはその直後に岡田外相が、首相の見解を訂正した)。また、全国知事会としては、政府から具体的な提案があれば「関係市町村や住民の理解を前提とし、真摯(しんし)に対応していく」との見解をまとめました。当初の文案では「協力していく」となっていたそうですが。

 これに対して橋下知事は、「今は本州で基地を受け入れることができませんよと、沖縄県民に対して申し訳ないという意思を表示することが重要」と指摘。「結局、誰でも言えることだけ言って、責任を伴うようなことを何ひとつ言わない。(知事会が出した結論は)うちの小学生の息子でも言ってる」と憮然(ぶぜん)とした表情で答えています。

 私も、橋下知事の言う通りだと思いますね。今回の騒動の責任が鳩山首相にあることは言うまでもないとしても、それをいいことに、自分の責任を回避する態度もとるのも同様に間違っていると思います。というのは、鳩山首相の「善意の論理」のもつ陥穽に、多くの国民が陥っていることも事実ですから、この機会に、この問題を人ごとと思わず、自らの問題と再認識する必要があると思うからです。

 ともあれ、連立離脱した社民党が、その仮面を脱いで素顔のまま、自らの政策主張をするようになったことは、歓迎すべき事だと思います。いずれの立場であれ「自らの言葉(=思想)に責任を持つ」ことは、民主国家の政治家に要請される最低限の資質ですから。今後は、堂々と、その獲得した議席数に応じた発言力を行使していただきたい。それから、民主党にはもう一つ、亀井大臣の怨念政治をどう脱却するか、という課題が残っています。できることならこちらも、自力で問題解決してもらいたいですね。

2010年5月20日 (木)

小沢一郎の宣誓拒否と「知らぬ存ぜぬ」――なぜ偽証を強いられた子分だけが罪に問われるのか。

 「我々の実感からいえば、図々しくも宣誓を拒否した人間が最も罪が重く、証言しても『知らぬ、存ぜぬ、記憶にない』で突っぱねた人間は相当に罪が重く、組織への忠誠からやむなく偽証せざるを得なかったもの、とくに、社命に従わざるを得なかった下級管理者の余儀なき偽証は、情状酌量の対象のはずである。ところが、この最も図々しい宣誓拒否者は罪にならず、なっても軽く、余儀なき偽証でもその罪は重いとなると、どうも釈然とせず何とも割り切れない。そして我々の伝統を考えれば、割り切れなくて当然なのである。」

 以上の言葉は、山本七平『指導者の条件』(「山本七平ライブラリー」p190)からの引用です。これは、ロッキード事件裁判中の1976年8月4日に鬼頭判事補が引き起こした謀略事件に関わって氏が参議院に証人喚問された時、氏は刑事訴追のおそれがあるとして宣誓を拒絶したこと(この証言拒否は議院証言法違反で告発されたが、1977年3月21日に不起訴処分となった)、及び、同じくロッキード事件に関わって、丸紅前専務の伊藤宏や大久保利春らが偽証罪で逮捕起訴されたことについて述べたものです。

 この事件から、すでに33年が経っているわけですが、冒頭の文章は、まるで今日の民主党の鳩山首相及び小沢幹事長と、それぞれの秘書との関係のことを述べているかのようです。今日問題になっているのは、小沢幹事長の石川元秘書(現衆議院議員)らが起訴されている政治資金収支報告書の4億円虚偽記載について、小沢氏が共謀関係にあったかどうかということですが、小沢閥のまるで徒弟制度を思わせるような絶対服従の師弟関係から見て、秘書がそれを小沢氏の了解なしに勝手にやったとは到底思えません。

 こうしたやり方は、日本的な「恩」を媒介とする人間関係において、「恩」を施した人が、「恩」を受けた人に対して、それ相当の「見返り」(この場合は「身代わり」)を要求していることになります。山本七平は、不干斎ハビアンの『平家物語』(16世紀の著作)を紹介する中で、この時代の倫理規範は、「施恩の権利を主張しない、受恩の義務を拒否しない」だったと指摘しています。(『日本教徒』参照)こうした考え方は、現代の私たちにも通用するものがありますが、小沢氏の以上の態度は、こうした日本人の伝統的な倫理感にも反する「やくざの論理」です。

 もちろん、憲法第31条や刑事訴訟法第336条の推定無罪の考え方からいえば、あくまで「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」ですから、嫌疑不十分で不起訴になったということは、当然、無罪を推定されます。しかし、小沢氏が国民に信を問う国会議員として自らの潔白を主張するなら、国会の証人喚問にも応じて問題となっている4億円の出所を明らかにし、それが、政治資金収支報告書に虚偽記載する必要のないものだったことを証明すればよいのです。

 しかし、小沢氏がそれをやらないということは、その金の出所を明らかにできないということで、だから、あえて利息を払ってまで4億円を銀行から借りたように偽装したのだと見られても仕方ありません。ただ、検察側としては、この4億円の資金の出所について、その違法性を立証することは困難なので、これを訴因とはしなかったのだと思いますが、そこに、地元建築業界からの政治献金や、政党解党時の残余の政党助成金など、脱法的に集められた資金が含まているのであろうことは当然疑われます。

 では、なぜ、氏にはそのような多額の政治資金が必要だったかというと、氏が野党に身を置きながら政治権力を維持するためには、自らの派閥を育成・強化することで、政党に対する支配力を保持する必要があった。そのために金が要ったということだと思います。ガルブレイズによれば、権力の三源泉とは、個人的資質、財力、組織であり、それを掌握することで、威嚇、報償、「条件づけ」(パブロフの犬の条件反射のように、人びとを一定方向に「条件づけ」ること)により、権力を維持することができるといいます。

 そこで小沢氏は、まず、『日本改造計画』などの著書によって個人的資質をアピールし、その裏で企業献金と政党助成金を脱法的に集めて財力を蓄え、自己派閥を育成して政党を支配し、政党の思想や理念を無視したむき出しの多数派工作によって、日本の政界をかき回してきたのです。だが問題は、『日本改造計画』などに語られた氏の政治思想が、実は借り物で、それは権力獲得のための手段に過ぎなかった。また、政官業癒着の利権構造の根絶というのも、あくまで政略的プロパガンダに過ぎなかったということです。

 確かに、氏のこうした権力維持方法は、田中角栄がそうであったように、いわば裏組織を駆使して隠密裡に取引されるものであるために、法的な責任を問われることは殆どありませんでした。しかし、こうした政治手法は、氏が『日本改造計画』で述べた次のような言葉、「第一に、政治のリーダーシップを確立することである。それにより、政策決定の過程を明確にし、誰が責任を持ち、何を考え、そういう方向を目指しているのかを国内外に示す必要がある」という表向きの政策理念とはまるで反対のものです。

 こうした氏の言行不一致は、氏の政治家としての個人的資質(情況判断・決心・処置)を疑わせるに十分です。それだけでなく、上述したような自分の責任を棚に上げ、部下を犠牲に生きのびようとするやり方、その場しのぎの嘘を繰り返すやり方、偏頗な知識でキリスト教批判をしたり、自分と異なる意見の持ち主を恫喝し黙らせようとするやり方など、その人格を疑わせるものもあります。おそらく、今日の民主党政治の混乱は、こうした小沢氏の資質にその一因があることは間違いありません。

 民主党の若手の政治家の中には、こうした小沢氏の目くらまし戦法や恫喝政治の金縛りにあって、氏を政治的先見性のある豪腕政治と錯覚している人が多いのではないでしょうか。実は私も一時騙された口で、同様に、氏の本を読んで騙された人も多いと思います。それにしても、これだけ派閥政治からの脱却が叫ばれる中で、なぜ、氏は、田中軍団を彷彿とさせるような派閥を維持するのか。自家の新年会や法事にむやみに人を集めるのか。社民党や国民新党など、氏の思想とは相容れないはずの政党と連立しようとするのか・・・。

 そんなことを考えていた折、VOICE6月号で、曽野綾子氏の次のような文章を見つけましたので、終わりに紹介しておきます。

 「日本人は長年、正直を世界的な信用の力にし、ほとんど資源もない国で生きのびてきた。この国民の素朴な道徳力を、民主党の総理と幹事長は、根本から覆した記録を残した。小沢氏の名義になった四億円分の資産など、細かに出所を明らかにしさえすれば国民は簡単に納得するはずだ。総理の元秘書は偽装し、月額千五百万円という途方もない額の資金提供を親から受けたことを鳩山氏は全く知りません、などと言う。そんな杜撰な金銭感覚の人に、爪に火を灯して暮らしている国民の金を扱うことなどできないだろう。・・・鳩山母堂は『親がおなかを痛めて生んだわが子を助けるのは当たり前』と言った。誰もが同じ思いなのだから、これからは皆がそう言って相続税を免れることができるようになる。そんな空気を生むのが、一国の総理の身の処し方なのだろうか。」

 小沢幹事長についても同じことが言えると思います。これが政権党幹事長の身の処し方ですかと。(5/21追記)

2010年5月14日 (金)

日本人の国家観・憲法観と防衛意識について――一知半解さんとの対話

「護憲派の人たちと議論すると決まって、国家権力は憲法によって拘束されるべきであるという考え方(いわゆる立憲主義)というものを前面に押し出して、だからこそ、憲法改正してはならない、と結論付ける傾向が強いですね。

 これは、単なる宗教的護憲論に比べて、理論的なので一見反論しづらいものがあります。そしてまた、彼らは立憲主義を主張する一方で、国民の義務とか国の在り方というものを憲法に記すことを非常に嫌がる傾向にあります。

 憲法には、権力を拘束すると共に、国民の義務をキチンと記すべきだと思っていたので、この点については、私は非常に不満でした。(中略)

 結局のところ、民主主義というものがキチンと機能するためには、主権者自らが、権力の負託について責任と結果を持たなければいけないということを改めて考えさせてくれるように思います。

 いくら立派な憲法条文が出来ようとも、権力を監視するのは、主権者である国民自身であるはず。」

 以上は、一知半解さんのご意見ですが、ではどうすればいいかというと、日本国民は国家の重要性に関する認識が薄く、「国民としての義務感」も薄い――こんな状態では日本民族が生きのびる事が危ぶまれる――ので、憲法には、権力を制限する規定と共に、国民の義務もしっかり書き込むべきではないか、ということを述べておられるようです。

 このご意見についての私の意見は次の通りです。

 日本人の伝統的な権力観は、儒教の影響もあって「権力性善説」です。ただし、中国の儒教の場合は、権力は儒学を修めた君子によって担われる一方、一般庶民は教養のない「小人」と見なされます。このため「由らしむべし、知らしむべからず」ということになります。つまり、政治と庶民との関係は上意下達であり、一方通行です。

 これに対して日本の場合は、江戸末期の水戸学によって「忠孝一致」の国体観が主張され、家族倫理としての「孝」が政治にも拡大・延長され、権力と庶民との関係が、親子の関係と同様、家族主義的に一体であることが理想とされました。こうした国家観を宣明したものが教育勅語でした。

 これに対して、欧米の権力観は「権力性悪説」です。もちろん、権力なしには社会の秩序は保てませんから、これが暴走しないよう、あくまで国民の自由通行を保障するものとなるよう、権力行使に一定のルールを課したのです。ここから近代憲法(立憲主義的憲法)の権力制限的性格が生まれました。

 明治以降の日本には、前者の伝統的な家族主義的国家観と、後者の西欧的な権力制限的国家観とが併存しました。結局、前者の国家観が、後者の国家観に対して、伝統的であるが故に強みを発揮し、最終的な勝利を収めました。しかし、このために権力の暴走を招き、悲惨な敗戦を招くことになりました。

 では、こうした日本の歴史的経験を踏まえて、日本人の憲法観はどのように修正されべきでしょうか。

 その第一の課題は、教育勅語に示されたような家族的倫理観と家族的国家観の癒着した関係を、象徴天皇制によって整理し直す必要がある、ということです。つまり、教育勅語に語られたような家族的倫理観は今日にも通用する道徳観ですが、国民と政治との関係は、西欧的な権力制限的国家観を採用すべきだということです。そして、日本的な家族的国家観の方は、象徴天皇制の下に非権力的文化的な秩序観として深めていくということです。(実はこちらの方が、より日本に伝統的な政治秩序観なのですが)

 もちろん、国民の思想信条の自由は現行憲法上保障されているものであり、国民がどのような個人的倫理観・道徳観を持とうと、それは国民の自由意志に任されています。従って、こうした倫理観や道徳観を法律に規定する、などということはできません。これは、あくまでも個々人の内心の自由の問題ですから。

 といっても、このことは、国民としての義務を憲法で規定すべきでない、ということを意味しません。日本国憲法には、国民の三大義務として、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)が定められています。しかし、これらは「具体的な法的義務としての意味はなく、国民に対する倫理的指針としての意味、あるいは、立法による義務設定の予告としての意味を持つにとどまる」(WIKI「義務」参照)とされます。

 というと、憲法上の国民の義務規定は極めて曖昧なもののように思われますが、実は国民の義務規定は、権力を行使するものに対しては「憲法を尊重し擁護する義務」を、国民一般に対しては、「法令遵守義務(実定法上の義務)」を課しているのです。これが現行憲法及び法律における、国民に課された最も重要な義務規定なのです。

 そして、これらの憲法や、その他法令の諸規定を制定あるいはそれを改廃する権利は、国民に委ねられているのです。そしてこの権利は、国民の投票による代議員の選出から議会における立法手続きを経て、具体的に行使されることになっています。

 その意味では、一知半解さんの言われる「いくら立派な憲法条文が出来ようとも、権力を監視するのは、主権者である国民自身であるはず」という意見はその通りで、憲法条文そのものは、主権者たる国民が権力を監視するための手段に過ぎないのです。

 従って、それが現実的・社会的に効果を発揮しないということになれば、いつでもそれをより有効なものとするよう関係法令を改廃しなければなりません。そうした主体性を主権者が持つということが、民主政治をうまく機能させるための基本的な条件なのです。

 従って、国民と権力との関係は、中国儒教的な「由らしむべし、知らしむべからず」ではもちろんだめで、また、日本の水戸学的「忠孝一致」でもだめです。あくまで、権力を社会の秩序維持のために機能させ、それによって国民の自由闊達な言論・活動を確保し、それによって国民(あるいは民族)文化の維持・発展を図るべく権力をコントロールすること。その(最終)権力は、国民の判断に委ねられているのです。

 この点、日本人には、いまだ、先に述べたような家族主義的国家観の伝統が根強く残っていて、つい、政治にそうした家族主義的な道徳観念を求めてしまいがちです。しかし、それでは、「君は君たらずとも、臣は臣たらざるべからず」ということで、権力に対する批判精神は抑制されてしまいます。従って、こちらの方は立憲主義的に、その合理性・機能性を徹底すべきです。

 かって、教育基本法改正問題で、愛国心を教育基本法に規定すべきかどうかということが議論されたことがあります。そこでは、日本の教育課題として「自由で公正な社会の形成者として、国家・社会の諸問題の解決に主体的に関わっていく意識や態度を涵養すること」(教育基本法改正に伴う中教審答申)が求められました。

 では、そうした主体的な社会の形成者としての国民を形成していくためにはどうしたらいいかというと、「一人一人の国民が、自らの価値観をもち、独立して判断できる能力を身につける」ということになります。つまり、法律に対しても批判的な判断ができるようになることが最も大切だ、ということになります。

 かってコンドルセは「教育の目的はすっかり完成している法律を人びとに賞賛せしめることではなく、この法律を評価したり、訂正したりする能力を人びとに附与することである」(『公教育の原理』)といったといいます。

 「ところが教育基本法に徳目を並べる以上、それらも真理として教えるのでなければ意味がない。しかし、それらを真理として教えることは法律を評価し、訂正する能力を人びとから剥奪することでになる。したがって、現行法に徳目を追加して規定するという答申の提案は国家・社会の諸問題の改正に主体的に参加する国民の育成を図るという・・・趣旨に矛盾することになる。」(『教育基本法を考える』市川昭午p186)

 「民主主義・個人主義・平和主義に反するような理念の場合は言うまでもないが、たとえ民主主義・個人主義・平和主義の理念であっても、法規に規定された理念を教え込まれて育った人間は、本当の意味で民主的な公共の担い手・国家・社会の主体的な形成者にはなり得ない確率が高い。したがって、『国家による道徳のする込み作業がうまくいけばいくほど、国家に依存して独立の判断能力を失った個人を生み出し、危機の状況にあって国家や社会を支えていく主体を失わざるを得ない』(西原博史「”主権者”を問い直す」)
 こうした見地からするならば、国家・社会の主体的な担い手の育成を目指す教育であればあるほど理念や道徳を法律に掲げることを控えるべきだということになる。」(『教育基本法を考える』市川昭午p187)

 実は、これを書いた市川昭午氏は、私HP「山本七平学のすすめ」の談話室で紹介したように、第二次世界大戦以降の日本の中央教育審議会答申等には、「有事」に関する言及が全くなされてこなかったことを、大きな問題だと指摘した人なのです。

 かって、日本人の愛国心の不足が問題とされ、教育基本法にそれを盛り込むべきだ、といった議論がなされ、教育基本法改正がなされましたが、これによって「有事」に備える国民の意識が向上した訳ではありません。有事に備えるということは、愛国心の問題というより、国民が万一の危機に際会した場合にとるべき心構えのことなのです。

 その「有事」を、日本人は殆どリアルに認識することなく、平和な毎日を過ごしているわけですが、実は、その平和は、日米同盟に基づく安全保障政策、それに基づく米軍基地などの存在によってかろうじて保たれているものなのです。この事実を、権力(その行使における最強の手段が軍事力)の統制主体たる国民自身がほとんど知らないということは、大変危険なことなのではないでしょうか。

*本文最終校正(5/15 1:17)

2010年5月10日 (月)

日本の安全保障問題としての普天間基地移設問題を理解するために――フザール様への返書

*エントリー「自虐」でも「美談」でもない「独立自尊」の歴史観を持つこと――鳩山首相の「善意」が生んだ「悪意」に対するフザールさんのコメントに対する応答ですが、少々長いので本文掲載とさせていただきます。

プザールさんへ

 コメントありがとうございます。以下、あくまで一般的な常識のレベルでの私見として申し述べさせていただきます。(『アメリカでさえ恐れる中国の脅威』古森義久、『オバマ大統領と日本沈没』古森義久 参照)

 沖縄の海兵隊配置が台湾有事に即応する体勢を取っていることはおっしゃる通りだと思います。ただし、それは、中国の台湾に対する軍事行動が、日米安保条約第4条にいう「我が国の安全または極東の平和と安全に対する脅威」と見なされた場合のことで、それは自由主義体制を守る(同第二条)ための、あくまで防衛的な措置(同第一条)だということです。

 つまり、それは、中国が軍事力を用いて台湾を「武力開放」をしようとすることを抑止し、両者が平和的に統一に向かうよう誘導する事を目的としている、と見ることができると思います。もちろん、中国が資本主義の導入から、政治的な自由主義・民主主義を採用する国へと移行していくことが期待されているわけですが・・・。

 しかし、残念ながら、2008年度のアメリカ議会常設諮問機関「米中経済安保諮問委員会」報告書にあるように、中国は、その経済自由化を、むしろ「中国共産党の永続支配正当化」に利用しようとしているかに見えます。

 確かに、中国は、6ヵ国協議への参加や、インドやロシアとの国境紛争の平和的解決、WTOへの積極参加、核兵器の先制不使用宣言、非核国に対する核兵器使用の禁止など、国際社会の安定化に向けた取り組みもしています。

 しかし、その一方で、イランや北朝鮮の核武装を防ぐための国連中心の国際努力に背を向けるなど、中東やアジアにおける影響力を強めることで、石油や天然ガス等経済資源を確保しようとするかのような「自国主権拡大の行動」も見られます。

 その典型的な例が、中国の「海洋法」解釈の異様さです。

 海洋法では領海とは、その当事国の沿岸の基線から海洋に向け12海里までの水域とし、この上空を領空とすること。また、「排他的経済水域」(EEZ)とは、海洋での経済的主権(水産資源、鉱物資源など海洋の資源の探査や開発についての当事国の独占的な権利)が認められる範囲を、当事国の沿岸から200海里の水域としています。また、海洋法では、海洋の領土紛争に関して国際海洋法裁判所などへの提訴や、その決定や裁定に従うことを定めています。

 しかし、中国はEEZ内部の航行や、上空での航空機の飛行については、海事法による「無害通航」や「国際的空域」という考え方を認めず、中国の国内法が適用されるとしています。また、「排他的経済水域」を無視して大陸棚説を主張し200海里を超え350海里を中国の資源への主権行使が出来る範囲としています。さらに、国際海洋裁判所の決定や裁定を一切受け入れないと宣言しています。それに止まらず、こうした領空の概念を宇宙にまで拡大しようとしています。

*現在の「宇宙条約」では、「月その他天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、全ての国の利益のために、その経済的または科学的発展の程度に関わりなく行われるものであり、全人類に求められる活動分野である」としている。

 このことは、中国との間で領有権紛争や主権紛争があった場合、空からの偵察や潜水艦・水上艦艇の巡航において、先の領海、領空、排他的経済水域概念を適用し、軍の存在を顕示することにより、相手側を心理的に威圧し紛争解決する姿勢を示していると言えます。

 また、この外に、相手国に対する「法規戦」や「心理戦争」「世論戦」を駆使した「非軍事的な主権保護の主張」も平気で行っています。そうした戦略の一環としてPKOにも積極的に参加しているのです。

 では、こうした中国の姿勢に対して、日本はどのように対処すべきでしょうか。冒頭申し上げたような、日米安保条約に基づく日米同盟を堅持して「我が国の安全または極東の平和と安全に対する脅威」に対処することは当然ですが、忘れてはならないことは、日米同盟は、日本の安全だけではなく「極東の平和と安全に対する脅威」に対処するものでもあるということです。

 先に紹介した「米中経済安保諮問委員会」報告書には、そのためには日米同盟をもっと「普通の同盟」にするために、次のような諸策が提案されています。

①アメリカの対日防衛の再誓約
 日米両国が中国と北朝鮮の軍事力の大幅増強を客観的に認め一体となってアジア地域での戦略的な優位を保つための新たな措置をとること。そのために日米同盟の重要性を再確認すること。

②日本の防衛関連の制度改革
 日本側の安全保障や防衛に関する政策の形成や決定の制度を改革すること。防衛に関する権限の首相官邸の強化や、防衛関連の人事面での統合など。

③自衛隊海外派遣の高級法の制定
 日米両国は国連の要請や国際テロ対策、人道支援の必要などに応じてのグローバルな安全保障への競争の貢献を増す必要がある。そのための恒久的な自衛隊派遣法の制定。

④集団的自衛権禁止の解除
 日米両国の今後の防衛協力で最重要とされるミサイル防衛をする場合の自衛権行使における制約を解除すること。ただし、ミサイル防衛についてはオバマ氏自身は反対を表明してきており、これに対するオバマ政権の対応は予測がつかないと古森義久氏は見ています。

 要するに、日本は自国の安全のことだけではなく、「極東の平和と安全」に日米同盟による国力に応じた応分の責任を果たすこと。国連の要請に基づくグローバルな安全保障に積極的に貢献することが求められている訳です。この点、民主党の小沢一郎氏は、特に後者について、国連に「御親兵」を送ることを提言しています。これは、旧社会党対策の詭弁に過ぎませんが、そのねらいは同じと見て良いと思います。

 願わくば、中国が民主国家に変身し、極東においても国際法に基づいた平和的な領土、領海問題の解決がなされるようになることを期待したいものです。そして、そのためには、日本という国が、そうした国際秩序を形成しそれを維持・発展させるべく、経済的負担だけでなく人的貢献も積極的に担う国であることを、国際社会に示していく必要があります。日米同盟はその実現性を担保するものなのです。

 戦前の日本の歴史を見てみると、その最大の失敗は、日本が、当時の国際社会における自由主義経済体制に対する不信から、ワシントン会議以降の国際法に基づく領土問題の解決という方向から離脱したことにあります。つまり、東洋文明を道徳文明といい、西洋文明を覇権文明と決めつけ、そうした観念のもとに、大東亜共栄圏の構築のためには武力の行使も正義である、としたことにあるのです。

 中国が、同様の誤りに陥り暴発しないよう、日本こそ、そうした歴史的経験を生かして、中国に適切な助言とともに、実効あるシグナルを送っていく必要がありますね。
 

2010年5月 4日 (火)

昭和十五年戦争のなぞを読む――「東洋文明VS西洋文明」と言う対立図式の誕生

 今の時代は、思想的にいえば総保守化の時代ではないかと思います。私の周囲の人びとと話していても、かっての左翼全盛時代のようにマイナスイメージで日本の近現代史を語る人は極めてまれになってきました。かっての左翼全盛時代の雰囲気を知っている者からすると隔世の感がありますが、それだけに、かってと同じような空気支配に陥らないよう注意することが必要だと思います。

 そのためには、かって左翼の陥った「他人事」の歴史観から脱却する必要がありますね。その上で、かっての戦争の時代を、自らの歴史として省みること。もし自分が、同じような境遇に生きていたとしたら、どのように行動したかということを、自分のこととして想像してみることです。「歴史は想起だ」と言いますが、それができて初めて、歴史は自らの教訓となるのではないでしょうか。

 そんなわけで、私なりに「戦争の時代」を理解しようと努めているわけですが、一番判りにくいのが、1920年代ですね。それは、1921年のワシントン会議前後から1930年のロンドン軍縮会議までの間のことですが、一体なぜ、この大正自由主義の時代に昭和軍国主義の種が蒔かれることになったのか。本来なら、大正自由主義こそ明治の文明開化以来、日本人が夢みてきた近代化の完成する時代ではなかったか・・・。

 本来なら、1930年代は、大正時代に芽生えたデモクラシーが根付き、自由主義経済の下に民主政治が定着する時代のはずでした。ところが1930年代初頭の統帥権干犯事件を嚆矢として、浜口雄幸首相暗殺、三月事件(一部幕僚軍人と民間右翼によるクーデター未遂事件)、満州事変、一〇月事件(三月事件と同様のクーデター未遂事件)、上海事変、五・一五事件と、テロ・クーデター・対外的軍事行動が相次ぎました。

 次いで、天皇機関説攻撃、国体明徴運動に伴う言論弾圧事件を経て、尊皇思想に基づく思想・言論統制が徹底していき、二・二六事件を経て、統制派幕僚軍人による高度国防国家の建設へと続きます。そして、廬溝橋事件を契機に日中戦争が始まり、当初はそれを三ヶ月で片づけるつもりが、四年経っても終わらず、長期消耗戦を強いられ、遂に、中国のみか米英蘭を相手とする世界戦争に突入したのです。

 このような昭和の軍国主義が、なぜ、明治維新以来の近代化の完成形であるはずの大正デモクラシーの後に、突如として猛威をふるうことになったのか。調べて行くと、どうやら、その芽は、大正デモクラシー自体の中に深く宿されていたことが判ります。そこで、以下、この時代の思潮がどのようなものであったか。そこからどのようにして昭和の軍国主義が成長していったかを、同時代の記録の中に探ってみたいと思います。

 次の文章は、戦前の日本の思想家の中では第一級と思われる大川周明が、『日本二千六百年史』の中で、この昭和20年代から30年代までの時代の思潮の流れを概観したものです。この本は、第一次近衛内閣が東亜新秩序声明が出した直後の昭和14年に出版されたもので、的確にこの時代の雰囲気や人びとの考え方を伝えています。
 
 「すでに世界戦(第一次=筆者)の勃発は、我が国の資本主義的経済機構を急速に発展せしめ、一面に於いては俄然として貧富の懸隔を激しくし、他面に於いては止まることを知らざる物価の騰貴が、頓(とみ)に国民生活を不安に陥れた。而も政府は、敢て防貧・救貧の施設を行はんとせず、戦慄すべき階級闘争を防止せんとせず、資本家の暴威を抑へんとせず、却って世界戦に僥倖して巨富を獲得せる実業家と接近し、是に迎合阿附するの態度に出でた。如何に淡泊にして健忘なる国民といへども、かの米騒動を忘れはせぬであろう。(中略)之を日清・日露の戦時に見よ.国民は君国の大事に当りて、一切の飢寒を甘んじて忍んだではないか。然るに国家が軍を西比利亜(シベリア)に出して戦はんとするその間際に、国民は自己の衣食のために騒動を起こしたのだ。霜を踏んで堅氷至る。我等は此の一事に於いて、現代日本の恐るべき欠陥をまざまざと見せ付けられた。」 

 ここでは、第一次大戦以降、それまで二つの戦争の勝利のために一致団結していた国民が、シベリア出兵(1918)でまとまらなければいけないこの時期に、米騒動という自分の衣食のための騒動を起こすほど、自分中心になったことが嘆かれています。また、政府はこれに対して有効な防貧・救貧対策を立て得ず、巨富を有する資本家に迎合している。このため、米騒動や頻発する労働争議が起きているのだ、と言っているのです。

 「爾来日本の国情は、巨巌の急坂を下るが如きものがあった。貧民と富豪との敵視、小作人と地主との確執、労働者と資本化との抗争は年とともに深刻を加え、最早温情主義などをもって如何ともすべからざるに至った。この国民生活の不安を救うためには、幾多の欠陥をあからさまに暴露せる資本主義経済機構に対して、巨大なる斧を加えねばならぬ事が明白なるに拘わらず、富豪階級と権力階級との多年にわたる悪因縁は、ついに徹底せる改革の断行を妨げて、唯一日の安きを偸(ぬす)む弥縫的政策が繰り返されるだけである。曾(かっ)て万悪の源なるかに攻撃せられし藩閥政治は滅び去り、専制頑迷と罵られたる官僚政治また亡び、明治初年以来の理想なりし政党政治の世となった。而して国民は早くも政党に失望し、その心に新しき政治理想を抱くように至った。」

 こうなった原因は、結局、資本主義経済体制にある。従って、これを根本的に変革しない限り問題は解決しない。温情主義や一次的な弥縫策では如何ともしがたい。国民は、藩閥政治や官僚政治が打倒されて政党政治が実現すれば、理想的な政治が行われると夢みてきた。しかし、いざ政党政治が実現して見ると、政党は資本家に阿諛追従するばかりで、貧富の格差は一層拡大し、物価は騰貴し政治は混乱を重ねるばかりだ。  

 「古人曰く『水流究まらんとしてまた通じ、一路絶えなんとして大道開弘すと』。昭和六年九月の満州事変は、叙上の形勢を転向せしむる一大転機となった。もと満蒙の地は、日本が東洋永遠の平和を確立し、世界平和を維持する目的を持って、国運を賭してその保全に努め、実に三十年の久しきに亙りてその開発に拮踞(きっきょ)し来れるものである。然るに昭和三年六月、張作霖の爆死の後を承けて満洲の支配者となれる張学良は種々なる誤解から豫(かね)て日本に対して敵意を抱ける支那政府と結び、満州における日本の特殊地位を無視して、その政治的・経済的勢力を駆逐せんとしたので、猛烈なる排日運動を満洲に激成し、遂に昭和六年秋に至り、所謂九・一八事件を惹起するに至った。」

 そんな折、満州事変が起きて形勢が一大転機を迎えることとなった。それは、張学良が、日本が日露戦争以来、多くの犠牲を払い、そして東洋の平和のために開発を進めてきた満蒙における「特殊権益」を無視して、かねて日本に敵意を抱いてきた蒋介石と結んで、日本の政治的・経済的勢力を満蒙から駆逐しようとしたためである。

 (しかし)「張学良政権は、日本の神速果敢なる行動によって、一挙満洲から掃討された。多年張政権の圧政と誅求とに苦しめる満洲人は、この機に乗じて独立運動を開始し、翌昭和七年二月、目出度く独立を宣言するに至った。而して此年九月十五日、吾国は此の新しく建設せられたる満州国を承認し、日満議定書を締結して、両国共存共栄の基礎を法的に確立し、茲に日満両国は、相携えて東亜新秩序の建設に拮踞することとなった。日本が此の荘厳なる事業に当面するに及んで、国民の魂に眠れる愛国心が俄然として目を覚ました。先に一世を風靡せる民主主義、次いで横行せる共産主義は漸くその影を国民の間に潜め、これに代わって国家主義的傾向が空前に旺盛となった。而して我国が、満州事変に対する列強の圧迫を峻拒し、敢然として国際連盟を脱退し、更にロンドン条約を廃棄するに及んで、国民的自覚は一層強烈を加え、従来の過度なる欧米崇拝を超克し、溌剌たる自主的精神の更生を見るに至った。」

 しかし、張学良のこうした行動は、日本の軍事力によって駆逐され、これを機に、これまで張政権の暴政に苦しめられてきた満洲人は独立運動を開始し、昭和7年2月満州国の独立を宣言した。日本はこれを承認し、日満議定書を締結して共存共栄の基礎を確立した。この荘厳な事実を前に、眠っていた国民の愛国心が目覚め、民主主義や共産主義は影を潜め、代わって国家主義的傾向が盛んとなった。しかし、列強はこうした日本の行動を、国連を通して圧迫を加えたので、日本は敢然として国連を脱退し、ロンドン軍縮条約を廃棄し、従来の欧米崇拝を超克して、自主的な東亜新秩序建設に赴くことになった。

 「然るに満洲建国は、甚だしく支那を刺激した。さなきだに吾国の真意を誤解し、多年排日抗日を続け来たりし支那は、満洲建国を以て日本の帝国主義的野心に出でたるものとなし、失地回復を叫んで国民の敵愾心を鼓舞した。之がために日支両国の間に屡々不祥事件が繰り返されたが、昭和十二年七月七日、北京郊外廬溝橋に於て夜間演習を行いつつありし日本軍の一隊が、突如支那兵のために射撃せられるに及び、形勢は遂に爆発点に達した。しかも吾国は、隠忍に隠忍を重ねて、事を平和的且局地的に解決せんと努力したが、支那は自国の国力を過信し、且吾国の国力を軽視して、飽くまで挑戦的行動に出たので、吾国は止むなく武力に訴えて、徹底的に支那の反省を促すに決し、遂に建国以来未曾有の大兵を大陸に用いるに至った。而して事変勃発後、夙(はや)くも二年に垂(なんな)んとし、此間我海陸の将兵は大御稜威(おおみいつ)の加護の下、疾風の枯葉を捲くが如く支那を撃破した。日章旗はまず北支一帯に翻り、難攻不落と恃(たの)める上海を陥れ、次で首都南京を奪い、更に迅雷の勢いを以て広東を取り、また長江を溯って武漢三鎮をを陥れ、進んで南昌を奪った。」

 しかし、本来、東亜新秩序建設のために日本と相携えて進むべき支那は、日本の行動を帝国主義的野心に出でたるものと誤解し、遂に廬溝橋事件の勃発となった。日本は隠忍自重し事件の局地解決をはかったが、支那は日本の実力を軽視して挑戦的行動に出たので、日本は、反省を促すためやむなく、大陸に大兵を送ることとなった。そして、北支、上海、南京、広東、武漢三鎮を占領した。

 「日本出兵の目的は、畏くも昭和十二年九月四日の勅語に喚呼たる如く、『一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立せんとする』に外ならない。然るに支那政府は、吾国の軍事的制圧によって殆ど致命的なる打撃を受け乍ら、尚四川の一角重慶に拠って、長期抗戦を叫んで居る。彼等の是くの如く執拗なる抗日は、一つには、英、仏、ソ連の後援を恃(たの)み、また一つには、日本の国力消耗を期待する故である。叙上の援蔣国家群は、それぞれ利害を異にし、目的を異にしているが、日本を指導者とするアジアの復興を喜ばざる点に於いて、一致している。それ故彼等は、あるいは外交政策によって日本を掣肘し、或いは資金を融通して、時局を日本の不利に導かんとしている。かくて日本は積年の禍根を断てとの大御心に添い奉り、東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期に亙りて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、取りも直さず世界維新の実現である。建国以来二千六百年、日本は未だ曾て是くの如き雄渾森厳なる舞台に立ったことは無い。我等は内外一切の艱難困苦を克服して、此の神聖なる任務を果たさねばならぬ。」

 日本の出兵の目的は、東亜の平和を確立するという日本の真意を理解しないで抗戦をつづける支那政府に反省を促すためである。こうした支那政府の対日抗戦を助けている英、仏、ソ連は、日本をアジアの復興の指導者となることを妨害しようとしている。しかし、こうした西欧文明の資本主義や共産主義のもたらす禍根を根絶するためには、日本は世界維新を実現する覚悟で、東亜新秩序の建設という神聖な任務を果たさなければならない。
*ここで米が抜けていることについては後述
   
 以上が大川周明による、日本が「東亜新秩序」を建設しなければならないとする論理です。要するに、西洋文明のもたらした資本主義経済体制・民主主義的政治体制の矛盾が、貧富の格差を生み出し、社会を階級闘争の巷と化しているのだ、と言っているのです。これに対して、日本は、それに代わる道義を第一とした王道文明を打ち立てなければならないと言っているのです。こうした考え方は、当時の軍人や政治家のみならず、文化人やジャーナリストを含めた国民一般の世論を形成していました。

 以上の大川周明の言葉は、先に述べたように、昭和14年に書かれたもの――昭和13年11月3日の近衛声明で「東亜新秩序建設」が謳われたことを反映しており、記述にはかなりの潤色が見られるがこの件については後述――ですが、氏は、こうした考え方が国民一般に通用するものとなることを、先見性に富む思想家らしく、すでに大正14年の段階で次のように予見していました。(『亜細亜・欧羅巴・日本』)

 「いま東洋と西洋とは、それぞれの路を往き尽くした。しかり、相離れては両ながら存続し難き点まで進み尽くした。世界史は両者が相結ばねばならぬことを明示して居る。さり乍ら此の結合は、おそらく平和の間に行われることはあるまい。天国は常に剣影裡にある。東西両強国の生命を賭しての戦が、恐らく従来も然りし如く、新世界出現のために避け難き運命である。

 この論理は、果然米国の日本に対する挑戦として現れた。亜細亜における唯一の強国は日本であり、欧羅巴を代表する最強国は米国である。この両国は故意か偶然か、一は太陽を以て、他は衆星を以て、それぞれの象徴として居るがゆえに、その対立は宛も白昼と暗夜との対立を意味するが如く見える。この両国は、ギリシヤとペルシア、ローマとカルタゴが戦わねばならなかった如く、相戦わねばならぬ運命にある。」

 「一年の後か、十年の後か、または三十年の後か、それはただ天のみ知る。いつ何時、天は汝を喚んで戦を命ずるかも知れぬ。寸時も油断なく用意せよ。」

 「建国三千年、日本はただ外国より一切の文明を摂取したるのみにて、未だかつて世界史に積極的に貢献するところなかった。この長き準備は、実に今日のためではなかったか。来るべき日米戦争における日本の勝利によって、暗黒の夜は去り、天つ日輝く世界が明けはじめねばならぬ」

 私は、今までに、こうした日米戦争宿命論を石原莞爾の「最終戦総論」に関わって論じてきました。しかし、こうした「西洋文明VS東洋文明」という対立図式は、氏のオリジナルではなく、先に述べたような、第一次世界大戦勃発後の資本主義の爛熟と貧富の差の拡大、大正デモクラシーに伴う個人主義的・功利主義的思想の蔓延、政党政治の腐敗堕落という社会現象、それに対する批判の中から生まれたものだったのです。

 なんだか、今日の日本の政治・社会情況似ているような気がしますが、それにしても、日本を太陽、米国を衆星と、それぞれの国旗の意匠になぞらえ、両者を白昼と暗夜を共にできぬもの、と説くレトリックの巧みさは、さすがに見事という外ありませんね。(『大川周明』松本健一参照)

(お断り)当初、エントリーを「昭和二十年史のなぞを読む」としていましたが、「昭和十五年戦争のなぞを読む」に変更しました。(6/14)

つづく

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