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2010年6月

2010年6月30日 (水)

菅首相が永井陽之助『平和の代償』と松下圭一「市民自治の思想」を紹介したことから判ること(2)

 また、後者の永井陽之助の『平和の代償』について、菅首相は首相就任時の「施政方針演説」で次のように述べています。

 「わが国が、憲法の前文にあるように、『国際社会において、名誉ある地位を占め』るための外交は、どうあるべきか。永井先生との議論を通じ、相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれないと学びました。この国をどういう国にしたいのか、時には自国のために代償を払う覚悟ができるか。国民一人ひとりがこうした責任を自覚し、それを背景に行われるのが外交であると考えます。」

 しかし、永井氏は、このことについて『平和の代償』(1967年)では次のように述べていました。

 「よく人は問う。『日本の防衛というが、いったい、だれのために、だれに対して、なにを防衛するのか』と。その問いは、現在の自衛隊が、アメリカのために、ソ連と中国に対して、アメリカの基地を防衛しているにすぎないのではないか、という深い危惧を表明している。この不安は当然で、ある意味で、事実そのとおりである、といわざるをえまい。

 しかし、何がそうさせているのか。さきの問いも、『防衛とは自国のためであり、また、そうでなければならない』ということが疑わざるべからざる当然の前提のようになっている。その前提そのものが少しも疑われていない.。戦後われわれ日本人が、以下に国際的責任感と、平和への連帯意識を喪失し、一種の孤立主義に陥っているかの証拠である。

 国連中心の日本が、海外派兵の義務を拒否して、権利のみを主張する態度にもそれがあらわれているが、防衛とは、自国のためだけでは決してないのだ。隣人のためなのである。アメリカのためであり、ソ連、中国のためであり、南北腸炎、台湾、あるいは東南アジア諸国民のためでもある。

 ・・・もう少し具体的に説明すると、いまかりに、米ソ中三国が、いずれも、独占的に日本を軍事的、政治的にコントロールしていない状態(中立状態)を想定し、しかも、日本が非武装中立(略)でいるとしよう。アメリカはさておいて、中ソ両国間の紛争がいつ何時、軍事的緊張が高まらないとも限らない。不明確で長い国境線を接して相対峙する二大陸軍国が、将来、いつ何時、局地戦闘に入らないと、だれが保障できるか。

 その緊張が高まるにつれて、ソ連の政策決定者の目には、無気力な日本が、中国によって軍事的・政治的にコントロールされる可能性の増大を予見し、激しい不安にかられ、中国もまた、同じ不安にかれる。なぜなら、日本が、自らの力でアジアの安定勢力とならない限り、先制攻撃ないしその威嚇によって先に基地化されれば、力のバランスが急速にくずれるからだ。いわんや、アメリカのペンタゴン(国防総省)が、その可能性を黙過するわけがない。現代の戦争は、この予見による予防行動から始まるのである。

 ・・・日本を極東のバルカンにしてはならない最小限度の義務を我々は国際社会の一員として担っている。自らの力で、周囲の善意ある第三者に対して、最小限度の安全感を与えるだけの政治的安定性と抵抗力を培養することは、現代の全ての国民に課せられた違和への最低限の義務である。この義務を怠って他人依存の平和国家を誇っても、国際社会で尊敬をかちうるものではあるまい。

 ・・・むろん(そのための)コストは、せまい軍事力だけではなく、政治的安定の確保、経済力の充実、大衆福祉の増大、階級差の減少、高い士気、抵抗の精神などの培養が第一であるが、やはり、同盟と連合をつくる以外にはない。だれと、連合をつくり、独立の主体性を可能な限り保持するか、その防衛力の比率をどのくらいにしたらよいか、兵器体系と兵力構造はどのように配分するのが最適か、これはすべて現状維持国としての日本の利益に立った基本的な外交政策の確立と、長期と短期の国際情勢の冷静な分析の上に、理性的、総合的に決定さるべきであろう。」(同書p64~67)

 つまり、ここにおける永井氏の議論の中心は、「防衛とは、自国のためだけでは決してない。隣人のためでもあるのだ」ということなのです。菅首相は、永井氏の『平和の代償』を「外交において、時には自国のために代償を払う覚悟をすること」と紹介しています。つまり、「代償」という言葉を”犠牲”的なものとして消極的に使っているのですが、永井氏の場合は、むしろ、平和維持のための積極的な”貢献”としての防衛力の意義を説いているのです。

 さらに永井氏は、こうした防衛力の維持は「恐怖の均衡」という閉じられた密室でのギャンブルのようなものだが、それを「信頼の均衡」を目指して、少なくとも「慎慮の均衡」に前進すべきだといっています。そのためには、まず、軍備コントロールの拡充と強化が必要だと。その根本思想は、人間の「理性」の勝利への確信ということで、国際関係における「対抗」と「協力」の関係を、両者のバランスを取りながら次第に後者の方向にシフトしていく。つまり「恐怖の均衡」を「慎慮の均衡」に転化せしめることだ、といっているのです。

 また、このためには、超大国の責任と義務を自覚せしめることが大事で、如何なる国際機関も、こうした超大国の「慎慮」と「自己抑制」に支えられない限り、その道具化するだけだといっています。つまり、超大国の責任と義務の自覚があってはじめて、国際機関(国連)の、国際的犯罪やギャンブルがペイしないような「抑止と拘束」の制度化による、平和維持が可能となる、といっているのです。

 そしてこの本の末尾の言葉。

 「平和への道は険しく、忍耐と自制のいる迂路である。少なくとも、それは、燃える平和と正義への情熱をかき立てる何ものもない道程であろう。それはただ、「暴力」よりは「術策」が、「愚直」よりは「慎慮」が、「恐喝」よりは「駈引き」が、「悪徳」よりは「偽善」が優越する不正義の秩序であるに過ぎない。しかも、その秩序が、「恐怖の管理」の成功にみちびき、人類を恐怖から解放した暁こそ、人類は「神々のたそがれ」の淵にたたされるときかも知れない」(同書P202)

 この文章が書かれたのは1967年。まさに東西冷戦真っただ中、ベトナム戦争の真っ最中でした。中国では文化大革命(66年)が始まり、毛沢東は米国を「張り子の虎」と呼んで世界の民族解放戦争を支援していました。一方、ソ連のチェコへの軍事介入から珍宝島事件を経て71年にはニクソン訪中を機に中国の対米接近、中国はソ連を社会帝国主義と呼んで中ソ対立が激化するという、まさに国際政治の緊張が連続する激動の時代でした。
 
 今日は、この激動の時代からすでに40年以上が経過し、ソ連邦は解体して15の共和国に分裂。中国も毛沢東時代の社会主義革命路線から鄧小平による社会主義市場経済の導入を経て、次第に自由主義化の道を歩むようになっています。この点では、超大国間のイデオロギー対立も沈静化し、その責任と義務の自覚も高まり、国連の「抑止と拘束」による平和維持もかなりやりやすくなっていると思います。その一方で、「武差別テロ」を武器に、国際的犯罪やギャンブルに訴える人びとが出てきているわけですが・・・。

 それにしても、40年前、日本でも、『平和の代償』に見られるようなこれだけの防衛論議がなされながら、それ以降の日本防衛論議は一体どれだけ進歩したのでしょうか。菅首相の「平和の代償」の紹介が、”犠牲”としての代償に止まっている如く、また、沖縄の基地負担の問題が”迷惑施設”の押しつけに矮小化されている如く、この国は、このグローバルの時代に、精神的な「鎖国状態」に陥りつつあるのではないかと危惧されます。

 国際社会の平和維持のために、日本の積極的に果たすべき”犠牲”ならぬ”貢献”としての防衛論議こそ求められているのではないでしょうか。

2010年6月28日 (月)

菅首相が永井陽之助『平和の代償』と松下圭一「市民自治の思想」を紹介したことで判ること(1)

 菅首相が6月11日に行った所信表明演説で、驚いたことが二つあります。それは、氏が「私の基本的な政治理念は、国民が政治に参加する真の国民主権の実現です。その原点は、政治学者である松下圭一先生に学んだ『市民自治の思想』です」と述べたこと。もう一つは、「私は若いころ、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ねました」と述べたことです。

 最初の松下圭一氏は、私の学生時代のゼミの先生でしたので、久しぶりにその名を聞いて驚きました。また、この機会に改めて先生の著書を読んで、その「市民政治理論」は今日の「地域主権論」の”はしり”だったと気づかされました。ただ、当時の私は、氏の市民政治理論でその主体とされた「市民的人間型」はいささか観念的過ぎると思っていました。それは地方政府に対する「シビルミニマム」の権利主体としての位置づけるだけで、一方の市民的義務観念を欠いているように思えたからです。(西欧の市民社会が利益社会と共同社会の二元論に支えられていることを軽視している?)

 氏の著作『都市政策を考える』の中には次のような記述があります。
「ルソーもその『社会契約論』において、民主主義は人民が神々の如き存在でなければ不可能であると喝破して市民的自発性の意義を強調した。もちろん今日、日本の国民が神々の如き存在になったのではない。しかし日本的問題点をふくみながらも、民主主義を内発的に組織できる文化水準にようやく到達し始めたということができるのではなかろうか。

 確かに今日も水戸黄門や大岡越前守がテレビなどマスコミに英雄でもある。農民や町人は問題に突きあたったとき、政治的賢者に訴えればたちどころに解決され正義は実現する。さもなければ組織忠誠を貫徹する忠臣蔵である。ここでは農民や町人はこの政治的賢者にひれふす貧乏で無知な『田吾作』であり、武士は『忠臣』である。これがつい最近までの日本人の政治的人間型であった。しかし、今日この『田吾作』や『忠臣』が『市民』へと生まれ変わりつつあるという画期的事態が進行しはじめた。政治イメージが忍従型から共和型へと転化しつつあるともいえよう。」(上掲書P68)

 つまり、戦後の経済構造の工業化によって国民の生活水準が向上すると、教養と余暇の増大をもたらす。また、それは社会形態の都市化をもたらし、その中では多様な教養、情報、思想の交流・討論を生まれ、そこが政治活動の自由な空間となる。ここから現代都市問題を解決するための都市政策の形成、ついで都市改革・自治体改革が展望されるようになる。こうして、都市の中から市民的自発性を持った「市民的人間型」が育ってくる、というのです。

 このあたり、なにやら経済の下部構造がその上部構造である人間の意識を決定するといったような史的唯物論的な発想がうかがえ、私は、なんとなくしっくりしないものを感じていました。といっても、理想型としての民主政治の有り様や、それを実現するための具体的方法論について論ずるならば、確かにそういうことになるだろうとは思っていたのですが・・・。

 そこで、改めてこのことについて考えて見たのですが、こうした市民的自発性を持った人間類型は必ずしも”戦前は皆無”とはいえず、例えば明治維新期の福沢諭吉などは、その「独立自尊」の思想によって日本の近代を開いた人と言えると思います。また、水戸黄門的政治イメージについて言えば、戦前においては、幕末水戸学の一君万民的尊皇思想を反映していたとされ、戦後は、その尊皇思想部分が払拭されて、一君万民的「徳治主義」的政治イメージが人口に膾炙しました。つまり、これらは歴史的産物なのですね。

 では、この福沢諭吉の「独立自尊」の思想は一体どこから生まれたのか。私は、この思想は、江戸時代末期の上記の水戸黄門思想以前の、日本の武士により形成された自立主義・能力主義の伝統を引き継ぐものではないかと思います。武士は元来、自力で墾田を切り拓いて来た人びとで、従って「自力主義」ともいうべき特質をもっていました。彼等はその所領を自力で守るため一種の集団安全保障契約である「一揆」を組織することで、集団主義的伝統を育んできたのです。

 残念ながら、こうした日本における自治的組織の伝統は、明治以降は「藩閥」や「財閥」となり、昭和期には「軍閥」となって、日本の政治的統合を裏から支配するものとなりました。また、戦後は、「官僚閥」や「政治派閥」となり、経済界においては「談合閥」となって生き残りました。問題は、これらの組織が「ヤミ組織」として存在したことです。つまり、こうした自治組織の伝統をより高次の法的枠組みの中に置いて、その合理的運営を図ることに失敗してきたのです。

 近年、ようやくこうした問題を法制度的に解決することができるようになりました。政界においては、政・官・財三者間の派閥政治を介した利権構造解消の動き。「官僚閥」の弊害を排して内閣による政治的統合を図ろうとする、いわゆる「政治主導」の動き。また、企業間の談合を排して企業活動のコンプライアンスを高める動きなどです。これによって、「一揆」組織の平等主義・集団主義を本源的に支えていた、自立主義・能力主義の精神を復活することができるかもしれません。

 ところで、日本の平等主義・集団主義といえば、今日ではそれは、以上に述べたような自立主義・能力主義とは対立する概念のように扱われています。しかし、以上述べた通り、鎌倉時代の「一揆」組織においては、その加入は個人の自由意志に任されていたのです。つまり、それは自立した武士の自由意志に基づいて組織され、各メンバーは基本的に平等の資格を有し、組織の意志決定にあたっては、各人が族縁を排し理非に基づいて判断することを基本としていたのです。

 つまり、鎌倉時代においては、「一揆」は武家社会における表組織だったのです。それが室町時代になり幕府の政治的支配力が弱まると、一揆組織は、各地の武士団が自らの所領を守るための自己防衛組織となり、中央に対する抵抗組織へと発展しました。これが国人一揆で、これが戦国時代になると相互に覇権を争うようになりました。そこで、こうした下剋上的無秩序に終止符を打つため、全国的統一政権の樹立による「一揆」の封じ込めが模索されるようになったのです。

 こうして、織田信長、豊臣秀吉を経て、徳川家康による全国統一が完成しました。家康は生き残った守護大名による分国統治を凍結し、それを中央の統制的監視の下に置き「地方主権」的統治を行いました。また、秩序の学として朱子学を導入し、五常・五倫の道徳に基づく名分論的な秩序の回復を図りました。これが、先の「一揆」組織の自立主義・能力主義に基づく平等主義・集団主義を、能力に基づかない身分秩序への忠誠、さらには一君万民的平等主義や滅私奉公的集団主義へと変化させていったのです。

 こうした儒教思想に基づく身分秩序の閉鎖性を打破し、個人の自主・自立の確保と能力発揮による主体的な国づくりを訴えたのが福沢諭吉でした。その「独立自尊」の思想は、明治維新期に新たに生まれたものというより、先述したような、開発領主でもあった武士の自立主義・能力主義の伝統に根ざしているのではないでしょうか。確かに、明治維新は、尊皇思想がその錦の御旗になっていますが、それを支えた下級武士の体制変革のエネルギーは、案外、幕藩体制によって封印された、武士の自立主義・能力主義の精神だったのかも知れません。

 以上のように考えると、松下圭一氏の、市民的自発性も持つ「市民的人間型」の育成は、必ずしも「経済構造の工業化による国民の生活水準が向上」によって必然的にもたらされるもの、とは言えないような気がします。おそらくそれは、歴史的・文化的・精神的伝統の上に形成されるものなのではないでしょうか。確かに、物的条件はその必要条件の一つでしょう。だがもし、日本に先に述べたような自立主義や能力主義の思想的伝統がなかったとしたら、明治維新も起こらなかったし、それ以降の日本の近代化もなかったのではないでしょうか。

 wikiの「松下圭一」を見ると、その理論を下敷きに政策論を展開する政治家として、菅直人、江田五月などの名が挙げられています。菅首相のこれまでの政治経歴及び政治行動や言動に、日本の歴史的伝統文化を重視する姿勢が伺われないのは、あるいは以上紹介したような松下圭一氏の思想の影響なのかも知れません。松下氏は日本人の伝統的政治イメージとして水戸黄門や大岡越前守を引き合いに出すだけです。また、日本の伝統的な政治形態を、「アジア的専制」というマルクスの言葉で総括しています。

 こうした松下圭一氏の国家あるいは民族の歴史的文化的伝統軽視の思想傾向は、氏の国家論に如実に表れていて、例えば、従来国の専権事項とされてきた軍事や外交についても、それは政府の専権を意味するものではないと述べられています。「軍事は国民レベルにおける個人の自衛権の自衛権として設定さるべき」ものであるとか、外交は「市民外交、民間外交という形で内閣による独占は実質的に崩壊している」など・・・。(『市民自治の憲法理論』p172~174)

 こうした見解は、国家や民族の成り立ちを、その歴史的伝統的な文化と切り離して、抽象的に考えるところから生まれてくるのではないでしょうか。それは、自治の主体となるべき市民的自発性を持った「市民的人間型」の誕生は、経済の発展段階によって一義的に規定される、といったような史的唯物論的な発想に支えられているのではないかと思います。いわば、無国籍的世界市民像を、その民主政治を担う理想型として位置づけているのですね。

 恐らくこの点が、松下圭一氏の市民政治理論の最大の問題点ではないかと思います。多分、こうした問題点は、国内政治のみを扱っている場合には、それほど問題にはならないと思います。しかし、今日のグローバル社会において、民族の存亡に関わるような問題を扱う場合には、自ずと自国あるいは自民族の国際社会における、その歴史的・文化的「立ち位置」が問題になると思います。菅首相のアキレス腱も、あるいはこんなところに隠されているのかも知れません。 

2010年6月14日 (月)

小沢氏=「私は常に無私」と言う。「無私」は「無視」の間違いでは?

 小沢氏は、11日、和歌山県田辺市の熊野古道を歩いて軽く汗を流した後、記者団に「肉体的にも精神的にも辛抱強く頑張る。その先に大いなる希望、夢が実現できる」と、自らの境遇をだぶらせながら強調。一方で「私は常に無私。だから、ポジションとか何も固執しておりません」と語り、「一兵卒」として菅内閣を支える姿勢も示したそうです。また、自身と鳩山前首相の辞任については、「もうちょっと早ければ」と言いながら、「でも、鳩山さんと話してああいうタイミングになった。ぎりぎり、タイミング的にはセーフかな」と述べたといいます。

 6月1日の三者会談の後の小沢氏の憮然とした表情、それと対照的にサムアップサインを記者団に示した鳩山首相の明るい表情から推測すると、小沢氏と輿石氏が鳩山氏に辞任を迫ったのに対して、逆に鳩山首相は「政治とかね」の問題にけじめをつけるために、小沢氏に幹事長辞任を、また小林氏には議員辞職を求めたのではないか、というのが大方の見方です。しかし、以上の小沢氏の弁は、まるで両者が「無私の精神」で民主党のために合意したものであるかのように語っています。(もしそうなら、鳩山氏は国民を騙したことになる!)

 ネット上では、”小沢氏は果たして「無私」か?”ということが話題になっていますが、今月号の文藝春秋の松田賢弥氏の記事「小沢一郎が差配する使途不明99億円」でもわかるように、私はとても小沢氏が「無私」とは思えません。松田氏によると、小沢氏は、94年に自ら成立させた政治資金法改正で、政治家個人に入った政治資金の使途を報告する保有金制度を撤廃し、巨額な政党助成金を次の議員らに「組織対策費」として支出し、これによって使途を報告する必要のない多額の政治資金を捻出したというのです。

 その主な「組織対策費」の支出額ですが、米沢隆(新進党幹事長)4億1092万円、西岡武夫(新進党幹事長)29億8904万円、長野茂門(新進党参院幹事長・故人)1億800万円、野田毅(自由党幹事長)10億1348万円、藤井裕久(自由党幹事長)31億3623万円、山岡賢次(民主党財務委員長・国対委員長)17億310万円、佐藤泰介(民主党財務委員長)5億3000万円、輿石東(参院議員会長)4000万円、鉢呂吉雄(民主党選対委員長)1500万円、以上合計99億4577万円、となっています。

ところが松田氏がこれらの議員に事実を確かめたところ、そのほとんどが本人たちは受け取っておらずその使途も知らない、と答えたそうです。これは明らかに、政治資金の収支を政治資金収支報告書に記載することを義務づけた政治資金規正法の虚偽記載にあたるのではないでしょうか。

 さて、このような行為――立法府にあって法を制定する立場にある代議士が、初めからその法の立法趣旨に反する「抜け穴」を作っておく。その「法の不備」を使って、国民が気づかない内に、上記のような巨額の「使途を報告する必要のない政治資金」を作り出す、そんな、脱法的「錬金術師」のような行為――がはたして許されるでしょうか。それは立法府にあるものの国民に対する重大な裏切りだし、ましてこんな人が「私は常に無私」などと、よくもまあいえたものだと思います。

 さて、そのようなことで、今後の小沢氏の民主党内における去就が注目されているわけですが、それを予測する上で興味深い視点を提供しているのが、「極東ブログ」のfinalvent氏です。

2010.04.04
みんな亀井ポジションになりたい病(参照
(前略)
 「小沢氏は、民主党に固めた、いわゆる左派勢力を手放さない、民主党内の旧社会党的な勢力を見限るといったことはないと私は思う。小沢氏による輿石東参院議員会長の取り込み、端的に言えば、戦後左派的な政治勢力の飲み込みは、単に政局や権力闘争のための最適化ではなく、実際に小沢氏の内面はすでに、戦後左派的な政治理念、露悪的に言えば反米路線は、自身の政治理念と合流しているのではないか。私は戦後左派を飲み込む小沢氏の政治情念は、結局のところ、ナショナリズムなのだろうと思う。

 ナショナリズムというと、ネットなどでは、日の丸・君が代・靖国・反中国といったシンボルで表層に語られ、そのシンボルがいわゆる左派的なものを区別しているかに見える。だが、その実際的な政治の動きは、どちらも大きな政府を志向していくだけだ。

 その大きな政府は、「日本」という大看板ではないのかもしれないが、税を介した国家の機能の強化に集約されている。そして、税という国家システムによって守られた人々(公務員・公務員の外注産業・大企業組合員)が、その外部にある人にお慈悲を与えるという正義だけが許されている。税という国家システムから自立しようとする人を排除していく。

 この左派ナショナリズムが不安定な多党構造(あるいは大連立)のなかでマスコミを巻き込んで大衆迎合的な次の「正義」を作り出していくだろう。いや、すでに民主党は亀井静香金融・郵政担当相がそのポジションに立っている。このこと自体、すでに民主党が政策を堅持する政党としては終わっていることを示している。

 みんな亀井ポジションになりたい病にかかっているのだ、と、そう考えてみると、「わしらの党」(「立ち上がれ日本」のことで、与謝野氏が思想傾向を全く異にする平沼氏と合流したことのおかしさを指摘し、党名は「わしらの党」か「新老人の党」がふさわしいと言っています=筆者)も「みんなの党」もわかりやすい。政党だからどんな政策があるのかと考えると迷路にはまる。

 小沢氏の実力で民主党が、自民党時代のように無内容でも維持できたような維持の力学(左派の飲み込み)で成り立っているなら、そして首相というのがそうした党のいち調和機関でしかないなら、そのひび割れで小政党が、なんでもできるようになる。かつてこうした状況でなにが生まれたか歴史を学ぶものには恐怖を覚えるところでもあるが。」

 亀井氏については、菅首相に郵政改革法を参院でも強行採決させようとして失敗し、郵政改革担当大臣の職を辞任しましたが、なお、その後釜に自見自見庄三郎氏を据えて、参院選後の臨時国会での郵政改革法成立を図ろうとしています。しかし、「全国郵便局長側 国民新に8億円『露骨な利益誘導』指摘も」6月14日7時57分配信 産経新聞(参照)という報道もなされており、この問題は徐々に国民の関心を集めることになるでしょう。

 さて、小沢氏の今後の動きについてですが、finalvent氏は、小沢氏自身の思想的動向について「小沢氏による輿石東参院議員会長の取り込み、端的に言えば、戦後左派的な政治勢力の飲み込みは、単に政局や権力闘争のための最適化ではなく、実際に小沢氏の内面はすでに、戦後左派的な政治理念、露悪的に言えば反米路線は、自身の政治理念と合流しているのではないか。私は戦後左派を飲み込む小沢氏の政治情念は、結局のところ、ナショナリズムなのだろうと思う」と言っています。

 そして、「左派ナショナリズムが不安定な多党構造(あるいは大連立)のなかでマスコミを巻き込んで大衆迎合的な次の『正義』を作り出していくだろう。」そうした空気が醸成される中で、「首相というのがそうした党の一調和機関でしかないなら、そのひび割れで小政党が、なんでもできるようになる。かつてこうした状況でなにが生まれたか歴史を学ぶものには恐怖を覚えるところでもあるが」と言っています。

 戦前の昭和史において、「そのひび割れで小政党が」どのような政治状況を作っていったか、おそらくこの小政党とは、政友会と民政党がせめぎ合う中で、あたかも一政党の如く「政治宣伝」を行って満州事変を正当化し、「陸軍パンフ」を作って、日米戦争の歴史的正当性を主張した「軍部」のことを言っているのではないかと思います。そういえば、国民新党の亀井氏が、郵政票という実弾を持つ「軍部」に見えないこともありませんが・・・。

 しかし、昭和7年目までは、こうした潮流を止めようと命をかけた政治家がいました。浜口雄幸や犬養毅がそうであり、彼等はひるむことなくその時代の潮流に抗し続け、そしてテロにより命を落としました。今日の政治家には、テロの危険はほとんどありません。にもかかわらす、ただ郵政票がほしいというそれだけで、郵政改革の正しい方向さえ指し示せない。そんな彼等に、日本の文化的伝統を守り国益を守る外交交渉を期待するなど、どだい無理なことなのではないでしょうか。

*エントリー「小沢氏=『私は常に無私』とはおそれいる。『無私』とは『無思想』ということか」を標記の通り変更しました。(6/16)

2010年6月13日 (日)

菅内閣の命取りとなりかねない郵政改革の国民新党への「丸投げ」――政界再編は必至

 国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は、菅直人首相が郵政改革法案の今国会成立を断念、廃案にする意向を示したことを理由に大臣を辞任しました。しかし、国民新党は参院選後に召集される臨時国会で、同じ内容の法案を提出し成立させる覚書を民主党と交わすことで合意、同党出身の松下忠洋経済産業副大臣と長谷川憲正総務政務官は残留するため、民主・国民新両党の連立政権は維持されることになりました。

 国民新党としてはこれが現状取り得る最善の選択でしょうが、参院選挙前に民主党に郵政改革法案を強行採決させる”つもり”だったのに比べると、まさに亀井大臣”抗議の辞任”でも取り繕えないほど、同法案成立は不確実なものとなりました。といっても、菅首相の所信表明では、郵政改革については、「民主党と国民新党の合意に基づき、郵政改革法案の速やかな成立を期して参ります」とされています。

 しかし、この約束がどのように果たされるか、それとも果たされないかは、参院選の結果次第です。民主党が単独過半数を取るか、従来どおり国民新党と連立を余儀なくされるか、他の少数政党、例えば桝添氏の新党改革やみんなの党との連立を模索するか、さらには、次の参院選で更に数を増やすであろう小沢派閥がどのような行動に出るか等々。また、自民党では谷垣総裁が辞任して党再編が進むことでしょう。

 このように今後の政局の混沌が予測され、政界再編は必至といった状況ですが、いずれの政治状況が現出にしろ、各政党はそれぞれの政策を国民の前に堂々と披瀝して、政策の違いに基づく公明正大な政権選択ができるようにしていただきたいと思います。この点、民主党が自民党から政権を奪取した”いきさつ”には、重大な国民に対する”うそ”が隠されていることを見逃す訳にはいきません。民主党の郵政政策がそれです。

 今回の菅首相の所信表明演説にも、その「一度ついた嘘をつき続ける」ための論理的桎梏が見られます。それは、「独立行政法人等の政府関連法人の事業内容、これらを一つ一つ公開の場で確認し、行政の透明性を飛躍的に高め」るとか、「行政組織や国家公務員制度の見直し、省庁の縦割り排除、行政の機能向上、国家公務員の天下り禁止」という言葉と、郵政改革法案の強行採決は完全に矛盾することです。

 おそらく、この矛盾の解決のためには、国民新党との連立を解消するしか道はないでしょう。しかし、そうなると、民主党の政策は実は小泉構造改革が目指したものとほとんど違いはなかった、という事実がばれることになります。それを避けるために、菅首相は、日本経済の立て直しの方策として「第三の道」を提示しています。

 「第一の道」は高度成長期の時代の公共事業中心の経済政策、「第二の道」は「行き過ぎた市場原理主義に基づき、供給サイドに偏った、生産性重視の経済政策」、これは一企業の視点からは妥当だが、国全体としてみれば、国は国民をリストラすることになる、それが日比谷公園の派遣村だ、といいます。

 これに対して「第三の道」は「新成長戦略」により「強い経済」をめざし需要創出、雇用創出をするとしています。「強い財政」では、財政健全化のため、無駄遣いの根絶、予算編成の優先順位付け、経済成長による税収増を図るとしています。特に中期的な財政規律を明らかにするため、超党派議員による「財政権問う家憲前会議」を呼びかけています。さらに「強い社会保障」では、「社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能」として、経済、財政、社会保障を相互に対立するものととらえる考え方の、百八十度の転換を訴えています。

 しかし、この論理はかなり怪しげです。菅首相は別名「イラ菅」といわれます。就任早々の記者会見では、今国会の会期延長問題を巡り、野党側から「選挙目当て」「逃げている」などと批判が出ていることを記者団から問われ、「何の批判ですか」と質問をはねつけていました。単に”いやな質問”をする記者を脅しつけているだけの話で、そんな論法が今後通用するとも思えません。

 この「第三の道」を見ても、その要である「新成長戦略」は極東ブログのfinalvent氏によって、麻生内閣時代与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」の劣化版(参照)だと批判されています。また「強い財政」というなら、まず、これまでの民主党の支離滅裂な票目当てのバラマキ政策の反省をしてもらいたいものです。さらに「強い社会保障」で言っている、「経済、財政、社会保障」のバランスを壊したのは一体どなたですか?民主党ではありませんか。

 以上のように、どうも菅首相は「逆ねじ」に似た言い訳が多すぎるような気がしますね。この点は鳩山首相ほどの正直さは持ち合わせていないようです。といっても、その政策は全体的にはより常識に近いものにになっていることも事実です。特に普天間基地移設問題については、「日米共同声明」を踏まえた沖縄問題解決の方向が明快に示されています。しかし、これも鳩山氏の「自己犠牲」によるもので、菅氏自身はこの問題について無言で通したと言われます。

 以上が新政権の政策に対する私の印象ですが、冒頭述べたように郵政改革問題の処理がこの内閣の「命取り」になることは間違いないでしょうから、これに対するかっての民主党の考え方も紹介しながら、その解決の方途を探ってみたいと思います。

 まず、民主党が小泉構造改革に対してどのような考え方をしていたかについて、2003年の民主党衆議院議員中島政希氏の次のインタビュー記事「小泉構造改革路線を推進せよ」を紹介します。http://homepage2.nifty.com/seiyu/interview13-6.html

―― 民主党は小泉政権にどう対処しますか。

中島 鳩山さんの言うとおり、小泉改革を政権の外にいて推進するということでいいと思います。今は改革の旗を小泉さんに預けておく、万一彼が挫折したらまたわれわれが旗手になる、そういう気持ちでいいんじゃないでしょうか。
 私が鳩山さんたちとさきがけや民主党を創った理由は、制度疲労に陥った戦後日本のシステム、政治や行政や経済の仕組みの抜本的改革を実現するには、自民党に代わる、しがらみのない新しい保守政党が必要だと考えたからです。小泉さんのいう改革の大部分は、私たちが年来主張してきたことです。自民党を基盤にして、本当に小泉さんがこれを実現出来るならたいしたもので、応援するのに吝かではありません。

≪小泉改革の行方≫

―― 小泉さんの改革への意欲は良くわかりますが、旧態依然たる自民党を基盤にしていて出来ますかね。

中島 構造改革の対象は自民党支配システムそのものなんですね。政官業の癒着体制、経済活動へ規制や許認可、補助金や公共事業のバラマキ、自民党政権はこれらを所与の条件として成り立っているのです。例えば、不良債権処理とは生産性の低い企業を潰す、つまり地方の土建屋さんや不動産屋さんや卸問屋さんなど、自民党を一番応援して来た人たちに犠牲を強いるということです。
 だから小泉改革の成功とは、すなわち自民党体制の解体に他ならないのです。小泉さんの位置は、ちょうど旧ソ連のゴルバチョフに相当する。ゴルバチョフは改革を進めた、それが成功した時には共産党一党体制は崩壊し、彼が拠って立つ政治基盤はなくなっていた。

―― 小泉さんは日本のゴルバチョフになれるでしょうか。

中島 なって欲しいと切に期待しているんです。ただ、構造改革に劇的に着手するには、もうかなり時期を逸している。民主党がいっていたように、遅くとも去年の夏前に着手すべきだった。いまは明らかに景気の下降局面で、手をつければ、たちまちいろいろなところから悲鳴が上がる。自民党政治家たちはそれに耐えられないのではないでしょうか。

―― 小泉改革は頓挫すると・・・・。

中島 構造改革というとき、手術患者は自民党自身です。患部はわかっていても、患者が自分でメスを持ってそれを切り取ることが出来るかです。既存のシステムの抜本的改革はそれほど難しい、ということです。

―― 確かに自分じゃ切れない。政権交代なしで改革が成功したためしは、あまり聞きませんね。医者は別に必要ですね。

中島 麻酔もね。小泉さんは改革には痛みが伴うと言っていますが、一時的に予想される失業率の上昇などにどう対処するのか。まだ具体的な処方箋は言っていません。セーフティネットの整備は改革を成功させる上で必須の条件です。民主党はこの点参議院選の公約の中にも、明快に述べています。」
(以上)
   
ここで最後に述べられた、小泉改革とセーフティーネットの関係については、猪瀬直樹氏が次のように述べています。

猪瀬直樹の「眼からウロコ」http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090630/163922/?P=4
「小泉改革=誤り」はいつ生じたのか 
構造改革のねらいは「小さな政府」「セーフティネットの充実」だった

 2006年9月に小泉政権が終わると、「小泉改革が格差をつくった」というステレオタイプはさらに広まっていった。2008年9月のリーマンショック以降の格差問題、貧困問題はまた別の話のはずだが、なぜか「改革がみんないけなかった」と、ますますおかしな方向に加速している。

 郵政民営化も間違っていたというムードになり、民主党も郵政民営化を見直すと言っている。しかし、根拠もなく、「空気」だけで民営化を否定すべきではない。

 小泉政権では、「大きな政府か小さな政府か」というキャッチフレーズが叫ばれた。小泉改革が対象としたのは、「肥大化した官業をつくりあげた(大きな)政府」だった。雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関を打倒して、無駄のない「小さな政府」と、競争のために必要なセーフティネットを充実させるのが、構造改革である。

 小泉さんが首相になる以前、いまから10年くらい前に、議員会館の会議室で開かれた超党派の勉強会に講師として招かれたことがある。小泉さんが呼びかけた、郵政民営化の勉強会だった。出席していた30人から40人の議員のうち、6~7割が民主党だったので、僕は「民主党の方が多いじゃないですか」と皮肉ったら、小泉さんは笑って「うん、いいんだよ」と答えた。2002年秋、暴漢に殺された石井紘基さんもいた。小泉さんと民主党の改革派は同じ主張だったのである。

 道路公団民営化や郵政民営化は実現できたけれども、改革は道半ばだ。「大きな政府」は、まだまだ小さくなっていない。つぎの政権が改革を引き継いでくれないといけないのに、民主党は「改革がみんないけなかった。郵政民営化も間違っていた」などと言う。ともに改革を目指していた10年前の民主党はどこに行ったのだろうか。

 僕が3月に書いた「小泉改革批判への大反論 セーフティネットを壊したのは守旧派だ」(『Voice』2009年4月号)には、大きな反響があった。わずか数年で、どうして新聞も政党も「改革反対」になっているのか、みんなが不思議に思っている。サイレントマジョリティは、簡単に考えをひっくり返らせていない。振れが大きいのは、自民・民主の二大政党とメディアなのである。
(以上)

 この小泉構造改革の要の仕事が、郵便貯金やかんぽ生命から吸い上げられる財投資金を財源にくみ上げられた「肥大化した官業・・・(大きな)政府」、雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関を打倒して、無駄のない「小さな政府」と、競争のために必要なセーフティネットを充実させるのが、構造改革だった、というのです。

 では、そのための郵政民営化を郵政国営化に逆戻りさせようとしているのは誰か。元郵政公社総裁生田正治氏は、「郵政改革、議論なき逆行」 民主の丸投げ 当然の利益奪う」(6月5日8時15分配信 フジサンケイ ビジネスアイ)で、民主党の郵政改革案が国民新党に法案を「丸投げ」し、構造改革に逆行する内容となったことを強く批判して、次のように言っています。

 --政治状況をどうみるか

 「民主党は、既得権や無駄の排除、役人の天下り根絶を掲げ、昨年9月の政権交代は拍手喝采(かっさい)で迎えられた。だがそうしたことをうたったマニフェストが守られず、日本の構造改革はストップしてしまった。特に郵政改革法案は郵政事業を、旧郵政省の時代より大昔に戻す、『逆噴射』の内容だ」

 --それで国民の気持ちが民主党から離れた?

 「昨年の衆院総選挙で国民が支持したのは民主党だ。もともと郵便貯金の預け入れ限度額を引き下げる内容の法案を作っていたのだから、民主党らしい郵政改革をやればよかった。だが連立政権となり、郵政の対応を、全国郵便局長会(全特)との関係が『持ちつ持たれつ』で、物心両面で親密な国民新党に丸投げしてしまった」

 --郵政改革法案の問題点は

 「郵政民営化を成功させるためには、全特を中心とする郵便局のシステムを、既得権や過去のしがらみにとらわれず整理することが必要だった。だが郵政改革法案は、こうしたことを法律で保護しようとしている」

 --なぜそうなったか

 「政治家が物心両面の支援が欲しいからだろう。郵政にいい格好をすれば、全特の30万票といわれる組織票がもらえて、全国くまなくポスターもはってもらえるなど、立候補者には涙が出るほどありがたい、と聞いている」

 --郵政事業は選挙、政治に翻弄(ほんろう)されてきた歴史だ

 「3年前の参院選では、自民党が郵政造反組を復党させた。その後、郵便局改革に取り組んできた私が総裁を退任することになり、後任の西川(善文・前日本郵政社長)さんが、全特に遠慮したのか、改革に手をつけなかったのは残念だった」

 --その結果が当時の参院選の自民党惨敗に現れた

 「国民は良く見ていてほしい。今回の参院選では、国民新党により郵便局の組織票は得られるのかもしれないが(無党派層の)浮動票は逃げるだろう。浮動票は実は敏感だ」

 --なぜ郵政民営化が必要と考える

 「郵政は世界最大の金融機関で日本のように国営、公社的な格好であるのは先進国で例を見ない。私が総裁に就任した時点で、3メガバンクの合計よりはるかに巨大な資金が『官』にあった。しかも運用は国債中心で利益率は民間をはるかに下回っていた。その巨大な資金を『民』に戻して金融市場を正常化し、経済を活性化するため、郵政民営化は絶対に必要だった」

 --その改革に亀井郵政改革相は「地方切り捨て」と強く批判している

 「私が総裁時代には、どうみても不要と思われた集配局の統合などの郵便事業改革に取り組んだ。工場がなくなるなど、郵便局が不要になった地域はもちろん整理したが、新たにビルが建ったところなどには新設している。郵便局の地方ネットワークをしっかり維持する、ということは何度も強調してきた。いま出ている政府の話は情緒論に過ぎない」

 --今国会で法案は衆議院では1日の審議で強行採決、参議院も強行採決の可能性があり批判されそうだ

 「時間もさることながら、政策議論が全く抜けている。株式上場で国家が得られたはずの売却益、国民が株を購入することで得られたはずの配当利益が失われるといった国家・国民の損失につながりかねない話も、きちんと説明すべきだ」

 --最近では欧米による世界貿易機関(WTO)への提訴問題も浮上した

 「郵政の表紙だけ株式会社で民営だといったって、欧米からみれば『ウソをつくな』という話。経営は次官経験者が担い、実質的な政府保証もついている中での、郵便貯金や簡易保険の限度額引き上げは民業圧迫、不公正といわれてもやむを得ず、日本の品格を著しく下げる。WTO提訴もあり得よう」(藤沢志穂子、神庭芳久、森田晶宏)

 さて、この問題を菅内閣はどう処理するでしょうか。鳩山首相は、普天間移設問題の処理の失敗を、「小沢幹事長抱き合わせ辞任」で切り抜けました。はたして菅首相にはどのような手が残されているでしょうか。”ごまかしは通用しない”と私は考えています。

最後に、菅首相の所信表明の「むすび」の言葉を紹介しておきます。ぜひ言行一致を期待したいと思います。

 「これまで、日本において国家レベルの目標を掲げた改革が進まなかったのは、政治的リーダーシップの欠如に最大の原因があります。つまり、個々の団体や個別裡地域の利益を代表する政治はあっても、国全体の将来を考え、改革を進める大きな政治的リーダーシップが欠如していたのです。こうしたリーダーシップは、個々の政治家や政党だけで生み出されるものではありません。国民の皆さまにビジョンを示し、そして、国民の皆さまが「よし、やってみろ」と私を信頼してくださるかどうかで、リーダーシップを持つことができるかどうかが決まります。」

2010年6月11日 (金)

なぜ日本の政治は、国民の支持をまともに受けていない極小政党に振り回されるのか

「山本七平学のすすめ」談話室記事再掲 

鳩山内閣が退陣し菅内閣が誕生して亀井大臣が辞任するまでの民主党の政治を振り返ると、その一大特徴は、わずか衆参十数名の極小政党が三百を優に超える大政党を振り回してきたことです。特に、日本の安全保障に関わる沖縄の普天間基地の移設問題については社民党に。小泉内閣以降9年もかけて取り組まれてきた郵政民営化については、国民新党に翻弄されてきました。

 もちろん、鳩山前首相がこれらの問題について確固たる方針をもっていれば、ここまで問題がこじれることはなかったと思いますが、この辺りの前首相の認識は曖昧でしたし、民主党自体も、政権交代の違いを出そうと、いたづらに前政権の政策を無視する態度に出て、実に子どもより悪いと思いました。

 普天間問題については、最終的にはなんとか日米共同声明まで持ち込みましたが、沖縄の不信を買い問題解決を極めて困難なものにしました。また、郵政問題については、亀井大臣は参院選前までに郵政改革法案を民主党に強行採決させようとしましたが、所詮無理な話で、ついに自ら郵政改革担当大臣の職を辞するに至りました。

 民主党としては一先ず、やれやれといったところでしょうが、参院選後の国会で郵政改革法案の成立を図るとの「覚書」を国民新党と交わしているそうですから、第二幕があるのかもしれません。しかし、参院選後は政局は全く判りませんし、第一、こんな亀井氏個人の怨念というか妄念に端を発したばかげた政策が、まともな国会論戦に耐えられるはずもありません。

 もちろん強行採決すれば別ですが、民主党がそこまで国民新党に義理立てしなければならない情況が再び訪れるでしょうか。私は、そもそも、鳩山内閣における民主党政治の混乱の第一原因は、民主党が、社民党や国民新党と言う、その政策理念や将来ビジョンが異なる政党と連立したことにあると考えますから、この教訓を生かす限り、同じ轍を踏むような連立は避けると思います。

 いずれにしても今後の日本の政治にとって大切なことは、政党が、自らの政策理念や将来ビジョンを国民の前に明確にするという事です。また、連立を組むことがあっても、その理念やビジョンが全く異なるような政党とは決して連立すべきではない、ということです。

 このような政党の政策理念や将来ビジョンを無視した、頭数だけそろえばいいといったような、いわば野合的連立を最初にしたのは、言うまでもなく小沢一郎氏です(社会党を含んだ細川連立政権)。その無理が、その後の氏の「政治とかね」の問題を異常なものにしたのです。なにしろ、政策ではなく、権力欲だけで人を釣るのですから、なんとしても組織を握る必要であり、そのためには金が不可欠でした。

 不幸なことに、民主党はこの小沢氏の手法によって誕生したわけで、社民党や国民新党との連立もこうした手法の延長なのです。はたして、こうした出自の因縁を民主党はどれだけ脱却できるか、これが、今後の民主党を占う最も重要な観点になると思います。場合によっては、党分裂ということも避けられないかも知れませんね。

 おそらく、多くの国民は、国民の支持を受けていない極小政党が、なぜ国政においてこのような強大な権力をふるうことができるのか、いぶかしく思ってきたのではないでしょうか。制度的に仕方ないのか、とあきらめた人も多かったでしょう。でも、この見方は間違っています。

 問題は、政党が国民に明示した政策理念とは全く関係のない、ただ数合わせだけで権力を握りさえすればいいという、権力至上主義的な政党作りをしてきたことです(このことは民主党自体にも言える)。これこそ、民主主義国家における政治家の国民に対する最大の欺瞞であり裏切りというべきです。

 残念なことに、こうした権力亡者的な政治行動は、小沢一郎氏だけでなく、最も純粋?に民主主義の徹底を主張する社民党までがその走狗と化し、さらに、こうした憂うべき事態に対に対して、三百を優に超える民主党議員が、若手の議員も含めて恭順の姿勢を示してきたことです。

 はっきりいって、国会議員の数は半分くらいに減らして、各自の言葉や行動が、討論を通じてはっきり見えるようにすべきですね。それによって、政治家が単なる数ではなく独立した見識と政策を持つものであることを示すべきです。政界こそ、政策論争というフィールドにおける”下剋上”あるいは”戦国”になってもらいたいですね。

2010年6月10日 (木)

民主党は、日本の「一揆」的民主主義をコントロールする事ができるか。

AP_09さんへ
 所用でレスが遅れました。いつも興味深いご意見をお寄せいただき有難うございます。以下、私見も交えたため長文となりましたので、本文掲載とさせていただきます。

>個人主義は、日本と違って個人の自由があると日本ではよく言われるんですが、少なくとも米国での観察では、アメリカ人は日本人より、よっぽど権威を尊重します。上の言うこと、上に対する服従度は日本より高いです。むしろ、上下の関係では下の意見は全く認められない。上がいかに非人道的、非倫理的であろうと、言われた通り、命令通りにするという感じです。上下の契約を結ぶ前に、自己主張をするだけで、一旦上下関係となると、絶対服従です。その代り日本と違って、実行したのは下っ端でも責任を取るのは命令を下した上役でのようです。

tiku 日本人が自力で社会集団を形成し始めたのは武士の時代に入ってからで、それは所領の安堵を媒介とする鎌倉幕府と家子・郎党間の「御恩―奉公」の主従関係に始まります。その後、鎌倉時代末期から足利時代にかけて幕府の権威が衰え、武家の所領を安堵する力が弱まると、武家は近隣の武家と連携し自主的に「一揆」を組織するようになりました。いわば集団安全保障的な盟約を結ぶことによって、自らの所領を守ろうとしたのです。

 この「一揆」組織の基本は、加盟者は原則として自分の意志で参加し、全員平等、全員一致で同一行動をとることにあり、もし公方(将軍)から命令が来ても「一揆中において談合を加え、衆議に依り相計るべし」としていました。こうした組織の作り方が、次第に社会全体に浸透していき、江戸時代になると「一揆」といえば「百姓一揆」のことを意味するほどになりました。

 実は、戦後民主主義といわれるものの実態は、戦後の日本人が敗戦に懲りて、戦前の「教育勅語」的な「忠孝一致」的儒教倫理観(江戸時代に導入した朱子学と国学が習合したもの)を排撃したために、その基層にあった「一揆」組織のもつ平等主義的・集団主義的な考え方が、無意識的に呼び覚まされたものなのです。

 今日の民主党政権がこの「一揆」による下剋上に悩んでいるのは、今日の日本における「民主主義」がこうした武家集団の相互盟約による集団安全保障観に根ざしていることに無自覚なためです。信長も秀吉も、こうした「一揆」組織を基盤とする大名領国制を中央集権的な秩序に組み込むことで、なんとか戦国時代を終わらせようとしたのです。

 また、江戸時代は、戦国時代の大名領国制を凍結し、さらに朱子学の五常・五倫の道徳律を導入することによって、下剋上的な考え方に代わる文化的な秩序観を育成しようとしました。ところが、この朱子学的名分論は、幕末になると国学思想と結びついて、天皇を中心とする一君万民の家族主義的国家論(=尊皇思想)に発展しました。

 そして、これが幕末に至って攘夷論と結びつくことによって、藩や幕府という政治体制の枠組みを超えた、尊皇攘夷という名の体制変革思想に発展しました。そしてこれが革命のエトスとなって、大政奉還から版籍奉還さらに廃藩置県という、いわゆる明治維新の革命的大業につながっていったのです。

>上下摩擦があると、日本のように話し合いなどなく、一方的に下が切られるだけです。日本の方がよほど口答えができる環境です。

tiku つまり「一揆」というのは、もともと、中央政府の所領安堵能力が落ちたときの、地方における自然発生的な自己防衛組織なのですね。従って、「上下摩擦があったばあい、日本の方がよほど口答えができる」ということになるのです。これはあくまで、上下摩擦があった場合のことでしょうが・・・。

 ところで、個人主義と自由の関係ですが、日本における「一揆」を媒介とした個人主義は、確かに「一揆」に加盟する時は個人の判断で行いますが、「一揆」に加盟した後は、そうした個人的な考えや行動は許されなくなります。

 こうした集団主義的な規範意識から、各自が自分の原理を明確に意識し、それに基づいて判断し、あるいはそれを自らの自由意志に基づいて破棄し、他の原理を採択するという、一見西洋の個人主義と似たような考え方をするようになるのは、江戸時代の朱子学の日本化といわれる崎門学(山崎闇斎の学問で朱子学と垂下神道の折衷)以降のことです。つまり、一つのイデオロギー(内的規範)によって自らを処するようになって始めて、個人の思想信条の自由に基づく西欧的な個人主義は生まれるのです。

 明治人の方が戦後の人間より欧米人との話が通じたと言われるのも、この時代の日本人は各々自分の原理(=思想)を明確に意識していたためではないかと思われます。福沢諭吉の「独立自尊」も、明治の自由民権運動も、こうした個人主義的な考え方に支えられていました。また明治憲法下の立憲君主政の採用にもそれは反映していました。

 こうした個人主義的な考え方は、大正時代に「大正自由主義」として花開きましたが、昭和時代になると、こうした個人主義的・自由主義的な考え方は、自分勝手な考え方や生き方をもたらすものとして、次第に排撃されるようになりました。こうして、反自由主義・反資本主義的な考え方が盛んに吹聴されるようになり、その一方で、共産主義的な考え方や国家社会主義的な考え方が広まるようになりました。

 こうした時代風潮の中で、これらの外来思想ではなく、日本の伝統思想である尊皇思想の「一君万民的平等思想」によって国家革新を行おうとする運動が、一部の思想家や軍人によって唱えられるようになりました。その結果、この思想の持つ家族共同体的国家論が、天皇機関説排撃問題を契機として、「天皇親政」を理想とする国家革新運動へと発展していきました。

 ところで、明治維新期の個人主義と昭和期の個人主義とはどこが違っていたのでしょうか。それは、前者が自己と思想との関係においてリアリズムを失わなかった(自国の実力についての幻想がなかった)のに対して、後者はそれを見失い思想的なファナティシズム=自己絶対化に陥ったということです。いわば、西欧的な個人主義の「自己絶対化」の罠にはまってしまったと言うことですね。

 これに対して戦後は、確かに戦前の尊皇思想が、ソ連の共産主義や中共の毛沢東主義等に置き換えられましたが、そうした自己と思想との関係の認識については、あまり変わらなかったのではないかと思います。つまり、真の意味での「思想信条の自由」に基づく個人主義という考え方は、容易には理解されなかったのです。

 というのも、欧米の個人主義を支えている原理は、「自己」と「絶対者」との関係から生まれたものであり、人間の自由意志は、神と人間との契約に基づいて与えられるもの。従って、人間の自由意志は神との契約を成就するために行使さるべき、といった考え方は、日本人には判らない。しかし、これが西欧のピラミッド型組織の上意下達の基本原理となっているのです。

 こうした欧米組織における組織のトップに対する服従を説く考え方は、神の権威への服従とパラレルな関係にあるものとして、新・旧約聖書の随所に出てきます。例えば、

出エジプト
22:28 あなたは神をののしってはならない。また民の司をのろってはならない。

ロマ書
13:1 すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
13:2 したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。
13:3 いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。
13:4 彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。

第一ペテロ
2:13 あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、
2:14 あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。
2:15 善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。
2:16 自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。
2:17 すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。

 確かに、日本人も、もう少し自分たちの指導者を敬う気持ちを持ってもいいような気もします、といいつつも、なんだか哲学も覚悟も感じられない政治家が多すぎるような気もしますが・・・。

>思うに日本の息苦しさは上から下へではなく、横の関係(房あるいは一揆の内部?)、同調圧力で、権威者や為政者は実に優しい、柔らかいです。そう考えると、左翼が主張するような階級闘争など存在しなかったわけで、彼らの主張は社会解体的なだけのように見えます。

tiku 日本の自前の思想に基づく為政者の統治スタイルについて一つのモデルとなったのは、北条泰時ではないでしょうか。それは、「族縁を絶って一切の私心私欲なき状態(つまり出家したような状態)になって、あくまでも『理非』に基づいて判断する」ことを基本にしていました。この場合、この盟約を記した起請文には、日本国中の大小神祇に対する一種の宣誓文が書かれていますが、これらの神々は、この起請文の連帯保証人のようなものなのです。つまりこの盟約の基本はあくまで「一揆」メンバー間の相互契約であって、西欧的な上下契約ではありません。

 では、このような「一揆」組織からは、どのようなタイプのリーダーが現れるかというと、一つは調整型リーダー、もう一つは、「一揆」が基本的に実力主義であることから、信長のような下剋上的リーダーが現れることもあります。もちろん、平和な時代には私利私欲なき調整型リーダーが求められます。こうしたリーダーの下に全員平等の資格でその組織運営に参加すると言うのが、「一揆」組織の基本的な運営形態ですから、欧米の組織のように、使用者と被使用者の関係が、一方的な命令・絶対服従になる、といったようなことは滅多なことでは起こりません。

>日本に独裁者が現れにくいのはこういうところなのでしょうね。これは同じアジアでも中国、朝鮮、東南アジア、どの国とも違うように見えます。ラテンアメリカとも違います。これらの国々では独裁者がうようよですね。・・・

tiku「一揆」は基本的に実力主義ですから、先に述べたように、そこから下剋上的リーダーが出てくることもあります。織田信長はその典型ですが、その彼が最も手を焼いたのが一向一揆だったと言います。比叡山や高野山を焼き撃ちしたのも、宗教勢力が「一揆」を組織して現実政治に関与することを拒否したのです。それは一種の政教分離的な考え方だったのかもしれませんね。

 昭和の尊皇思想の場合は「祭政一致」を標榜していましたから、それだけファナティックな性格を帯びたわけですが、かといってヒトラーに匹敵する独裁的リーダーが現れたわけではなく、その可能性が最も高かったと言われる石原莞爾にしても、陸軍内の幕僚「一揆」内での信望を失い、日中戦争開始早々失脚を余儀なくされています。東條英機にしても独裁者と言うより能吏に近く、軍内の下剋上に手を焼いていました。

>小沢一郎の独裁者的やり型は、日本的でない異質なもの、彼が朝鮮系だといわれるのは、そういうところから来ているのでしょうね。

tiku小沢一郎は著書『小沢主義』の中で、織田信長を日本史上の三代改革者の一人として最大級に評価し、その改革の精神を次のような言葉で紹介しています。

 「合戦とは、そもそも慈悲心とは無縁なものなのだ。もし慈悲を大事にしたければ、最初から合戦などしなければいいのであって、一度合戦をし始めたものが慈悲を口に出すのは矛盾している。合戦を始めた以上は、目的を達成すること以外を考えてはいけないのだ。」(辻邦生の『安土往還記』より)

 つまり、ここでいう「合戦」とは政治改革をめぐる権力闘争のことを言っているわけですが、これは一面既得権集団との闘いであり、この闘いに勝利するためには慈悲心など無縁だ、と言っているのです。また、ここで重要になるのは「理念と将来ビジョン」で、それは「多くの国民に幸せをもたらすもの」でなければならないが、小泉改革は「多くの人たちに痛みを与え、その一方で特定の者にだけ利益をもたらすもので、およそ本来の改革とは似ても似つかぬもの」と決めつけています。

 では、氏の掲げる「理念と将来ビジョン」とはどのようなものか、と言うと、『日本改造計画』では「個人の自立」を基本にした「新自由主義」を掲げていました。しかし、『小沢主義』では、これを小泉改革に押しつけて「多くの人たちに痛みを与え」るものと批判しています。その一方で、政治的リーダーシップの重要性を訴えていますが、新自由主義に代わる「理念や将来ビジョン」が示されているわけではありません。これを、民主党が政権を獲得して以降の氏の行動から推察すれば、むしろ、「選挙に勝つためにはあらゆる談合組織や既得権勢力との妥協も辞さない」のが氏の本当の思想のようです。

 このため、今回の鳩山前首相の電撃的退陣に際して、鳩山首相に「政治とかね」をめぐる政治的責任を一緒に取って、民主党幹事長の職を辞するよう求められました。まさか鳩山首相にこんな芸当ができるとは誰も思わなかったので、参院選前に政権交代があるとは誰も予測できなかったわけですが、おそらく、小沢氏自身も、そうした鳩山首相の捨て身の反撃を受けるとは予測していなかったのでしょう。

 この点、鳩山前首相の「善意の論理」は、一種の無私の思想にも通じていて、この辞任劇に限っては、それが功を奏した思います。フジテレビのプライムニュースで、「たちあがれ日本」の与謝野馨氏が、こうした鳩山氏の行為を、友人を裏切るものと批判していました。しかし、鳩山首相に退陣を迫ったのは小沢氏の方であって、つまり、友を裏切ったというなら小沢氏の方が先ではないかと思います。

 おそらく、鳩山前首相は、自分自身や小沢氏の政治資金の問題もさることながら、社民党や輿石副幹事長さらには国民新党の亀井氏の意向を過度に重視する小沢氏の政治姿勢に困惑しており、それがこうした「小沢&輿石おろし」の行動に結びついたのではないかと私は推測しています。

 なお、先に述べた日本の「一揆」的組織が今後どうなるか、ということですが、私は、企業における談合組織や、公務員組織の身内の利益を優先する体質――これらは「一揆」組織の名残り――を、上位法に対するコンプライアンスを高め、その目的合理性と機能性を高める方向で是正する必要があると思います。その上で、組織のメンバーが組織運営上の情報を共有し、平等の立場で経営に参加するという、日本組織の強みは大いに生かすべきだと思います。(6/10挿入)

 また、日本の民主主義の行方についてですが、政府の政治的意志決定が活発な政策論争を通じてなされるようになってもらいたいですね。派閥的談合によって国民の目の届かないところでなされるという、いわば小沢的政治手法からは早急に脱却してもらいたいと思います。そうすれば、郵政民営化法案や派遣法改正案などの問題法案が、国会での議論なしに強行採決されるというようなことはなくなると思います。

 このことは民主党のマニフェストに掲げられた政策全般についても言えることで、民主党には、ぜひ、こうした政策論争を通じて、自らの政策全般を再検証していただきたいと思います。

以上、山本七平『「当たり前」の研究』外参照

2010年6月 4日 (金)

普天間基地移設に伴う「日米共同声明」は、本当に沖縄の基地負担軽減につながらないのか

 6月3日のフジテレビのプライムニュースで普天間基地のある宜野湾市の市長伊波氏は、「普天間基地の県内移設はさせない。新しい米軍基地を沖縄には造らせない。あくまで普天間基地の縮小・県外国外移転だけを求めていく」と述べていました。

 また、民主党の沖縄県連は今回日米両政府間で合意された「日米共同声明」を認めていないので、これは政治が決定しても実施されることはない、と沖縄選出の民主党議員玉城デニ氏は言っていました。なにやら民主党の国家のガバナンスは崩壊したかのようですが、私は、この問題は沖縄の基地負担の軽減だと思っていましたので、一応、今回合意された日米共同声明の内容を見ておきたいと思います。

<仮訳>
共同発表
日米安全保障協議委員会
2010年5月28日

岡田外務大臣
北澤防衛大臣
クリントン国務長官
ゲイツ国防長官

 2010年5月28日,日米安全保障協議委員会(SCC)の構成員たる閣僚は,日米安全保障条約の署名50周年に当たる本年,日米同盟が日本の防衛のみならず,アジア太平洋地域の平和,安全及び繁栄にとっても引き続き不可欠であることを再確認した。北東アジアにおける安全保障情勢の最近の展開により,日米同盟の意義が再確認された。この点に関し,米国は,日本の安全に対する米国の揺るぎない決意を再確認した。日本は,地域の平和及び安定に寄与する上で積極的な役割を果たすとの決意を再確認した。さらに,SCCの構成員たる閣僚は,沖縄を含む日本における米軍の堅固な前方のプレゼンスが,日本を防衛し,地域の安定を維持するために必要な抑止力と能力を提供することを認識した。SCCの構成員たる閣僚は,日米同盟を21世紀の新たな課題にふさわしいものとすることができるよう幅広い分野における安全保障協力を推進し,深化させていくことを決意した。

 閣僚は,沖縄を含む地元への影響を軽減するとの決意を再確認し,これによって日本における米軍の持続的なプレゼンスを確保していく。この文脈において,SCCの構成員たる閣僚は,同盟の変革と再編のプロセスの一環として,普天間飛行場を移設し,同飛行場を日本に返還するとの共通の決意を表明した。

 閣僚は,このSCC発表によって補完された,2006年5月1日のSCC文書「再編の実施のための日米ロードマップ」に記された再編案を着実に実施する決意を確認した。

 閣僚は,2009年2月17日の在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定(グアム協定)に定められたように,第三海兵機動展開部隊(MEF)の要員約8000人及びその家族約9000人の沖縄からグアムへの移転は,代替の施設の完成に向けての具体的な進展にかかっていることを再確認した。グアムへの移転は,嘉手納以南の大部分の施設の統合及び返還を実現するものである

*これによって嘉手納以南の基地の約80%が沖縄に返還されるという。

 このことを念頭に,両政府は,この普天間飛行場の移設計画が,安全性,運用上の所要,騒音による影響,環境面の考慮,地元への影響等の要素を適切に考慮しているものとなるよう,これを検証し,確認する意図を有する。

 両政府は,オーバーランを含み,護岸を除いて1800mの長さの滑走路を持つ代替の施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した。

 普天間飛行場のできる限り速やかな返還を実現するために,閣僚は,代替の施設の位置,配置及び工法に関する専門家による検討を速やかに(いかなる場合でも2010年8月末日までに)完了させ,検証及び確認を次回のSCCまでに完了させることを決定した。

 両政府は,代替の施設の環境影響評価手続及び建設が著しい遅延がなく完了できることを確保するような方法で,代替の施設を設置し,配置し,建設する意図を確認した。

 閣僚は,沖縄の人々が,米軍のプレゼンスに関連して過重な負担を負っており,その懸念にこたえることの重要性を認識し,また,共有された同盟の責任のより衡平な分担が,同盟の持続的な発展に不可欠であることを認識した。上記の認識に基づき,閣僚は,代替の施設に係る進展に従い,次の分野における具体的な措置が速やかにとられるよう指示した。

•訓練移転
両政府は,二国間及び単独の訓練を含め,米軍の活動の沖縄県外への移転を拡充することを決意した。この関連で,適切な施設が整備されることを条件として,徳之島の活用が検討される。日本本土の自衛隊の施設・区域も活用され得る。両政府は,また,グアム等日本国外への訓練の移転を検討することを決意した

•環境
環境保全に対する共有された責任の観点から,閣僚は,日米両国が我々の基地及び環境に対して,「緑の同盟」のアプローチをとる可能性について議論するように事務当局に指示した。「緑の同盟」に関する日米の協力により,日本国内及びグアムにおいて整備中の米国の基地に再生可能エネルギーの技術を導入する方法を,在日米軍駐留経費負担(HNS)の一構成要素とすることを含め,検討することになる。閣僚は,環境関連事故の際の米軍施設・区域への合理的な立入り,返還前の環境調査のための米軍施設・区域への合理的な立入りを含む環境に関する合意を速やかに,かつ,真剣に検討することを,事務当局に指示した

•施設の共同使用
 両政府は,二国間のより緊密な運用調整,相互運用性の改善及び地元とのより強固な関係に寄与するような米軍と自衛隊との間の施設の共同使用を拡大する機会を検討する意図を有する

•訓練区域
両政府は,ホテル・ホテル訓練区域の使用制限の一部解除を決定し,その他の措置についての協議を継続することを決意した

•グアム移転
両政府は,2009年2月17日のグアム協定に従い,III MEFの要員約8000人及びその家族約9000人の沖縄からグアムへの移転が着実に実施されることを確認した。このグアムへの移転は,代替の施設の完成に向けての日本政府による具体的な進展にかかっている。米側は,地元の懸念に配慮しつつ,抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈において,沖縄に残留するIII MEFの要員の部隊構成を検討する。

•嘉手納以南の施設・区域の返還の促進
両政府は,嘉手納以南の施設・区域の返還が,「再編の実施のための日米ロードマップ」に従って着実に実施されることを確認した。加えて,両政府は,キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)の「インダストリアル・コリドー」及び牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の一部が早期返還における優先分野であることを決定した

•嘉手納の騒音軽減
両政府は,航空訓練移転プログラムの改善を含む沖縄県外における二国間及び単独の訓練の拡充,沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告の着実な実施等の措置を通じた,嘉手納における更なる騒音軽減への決意を確認した。

•沖縄の自治体との意思疎通及び協力
両政府は,米軍のプレゼンスに関連する諸問題について,沖縄の自治体との意思疎通を強化する意図を確認した。両政府は,ITイニシアチブ,文化交流,教育プログラム,研究パートナーシップ等の分野における協力を探究することを決意した

安全保障協力を深化させるための努力の一部として,SCCの構成員たる閣僚は,地域の安全保障環境及び共通の戦略目標を推進するに当たっての日米同盟の役割に関する共通の理解を確保することの重要性を強調した。この目的のため,SCCの構成員たる閣僚は,現在進行中の両国間の安全保障に係る対話を強化することを決意した。この安全保障に係る対話においては,伝統的な安全保障上の脅威に取り組むとともに,新たな協力分野にも焦点を当てる。

 以上ですが、これを沖縄の基地負担の軽減という観点で見る限り、国民新党の国会議員下地幹郎氏の言われるように、「一歩前進」といえるのではないかと思います(参照)。論者の中には、これは、かっての自民党案より後退していると指摘する向きもありますが、その事実が確認できましたら、後日報告したいと思います。

 ところで、日本の組織は、指揮命令系統のはっきりしたピラミッド型ではなく、「一揆」組織が「ぶどうの房」のように、中心の茎に連なった「ぶどう房型」組織(参照)だといいます。従って、中央の指示に従うかどうかは、独立したぶどうの一つ一つを構成する「一揆」組織内の談合で決める。中央組織はその談合組織の意志を無視して物事を進めることはできない、といわれます。

 最近は「地域主権」等ということがいわれますが、国家統治上の指揮命令系統と権限関係をよほど明確に規定しておかないと、地方組織が「一揆」的談合組織となると、国家としてのガバナンスが崩壊してしまう危険性があります。自民党の場合は、こうした日本の組織の特質を知悉しており、それを動かすノウハウを持っていましたので、なんとか組織を動かすことができたわけですが。

 ところが、民主党の場合は、理念的にそうした日本の伝統的な意志決定手続きを否定するところから出発していますので、鳩山首相の思いとは裏腹に、今回のようなことになったのではないかと思います。経済界や官僚組織では、伝統的な談合組織の摘発が進んでおり、コンプライアンスが当然視されるようになっていますが、政治の世界では、まだ、そうした伝統的な「一揆」的談合組織に緊縛されたままのようです。

 実は、それが「小沢的な政治手法をどう克服するか」という問題なのですが、小沢氏の場合は、そうした土俗的政治手法を駆使して多数派を形成する一方、議会においては数の論理によって問答無用で法案を通す・・・この論理の使い分けに特徴があるのです。本来、民主政治における意志決定手続きは、政策論争による多数派形成ですが、民主党政治においてはこの小沢的政治手法に誰一人として異議を唱える者はいません。

 鳩山首相の辞任の弁に、「政治とかね」の問題からの脱却ということが述べられましたが、おそらくそれは、上記の多数派工作における「かね」の問題を述べたのでしょう。「かね」ではない「政策論争」による多数派形成を期待したのだと思いますが、なにしろご自身の「善意の論理」に基づく政策論は混乱しかもたらしませんでしたからね。また、小沢的政治手法は、社民党や国民新党との連立を優先したこともあって、民主党の政治を支離滅裂なものにしました。

 こうした、ここ8ヶ月間の民主党のパフォーマンスを見る限り、はたして民主党に、小沢的政治手法からの脱却を期待できるかどうか、はなはだ疑問だといわざるを得ません。その最初の試金石は、新しい政権が再び社民党や国民新党に協力し、郵政改革法案や派遣法改正案の強行採決を図るかどうかということです。それをやるようであれば、この政党に政策論争による民主政治を期待することはできません。

*下線部書き換えました。6/4

  

 

 

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