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« 菅首相の正体不明はどこからくるか――日本の伝統文化を無視した市民政治理論の帰結 | トップページ | 「日の丸・君が代」論争について――思想信条の自由をもって「法」を否定するのは間違いだ »

2010年7月15日 (木)

小泉構造改革はなぜ批判されるのか――堀江支援と所得再分配政策の欠如がその原因?

 今度の参議院選挙で「みんなの党」が躍進しました。この党の政策は、中途半端に終わった小泉構造改革をより徹底しよう、というもので、こうした考え方は、民主党の「事業仕分け」の評判がいいように、今なお、国民のかなりの支持を集めているのだと思います。

 では、その小泉構造改革とはどのようなものだったでしょうか。wikiでは次のように概略まとめています。

 「発想そのものは新自由主義経済派の小さな政府論より発したものである。郵政事業の民営化、道路関係四公団の民営化等、政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場にゆだねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としている。」

 そして、その改革の評価については、経済学者の池田信夫氏は「民主党は今こそ小泉構造改革に学べ」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3747で次のように述べています。

 「竹中平蔵氏が小泉政権の経済財政・金融担当相に就任した2002年は、日本経済のどん底だった。信用不安が続き、不良債権は底なしで、日経平均株価は2003年の3月にバブル後最安値の7054円をつけた。しかし株価はその後、急速に回復し、小泉氏が退陣した2006年までに2.5倍になった。

 失業率は小泉政権の時代に下がり、所得格差を表すジニ係数も下がった。

 小泉政権の政策は「小泉・竹中改革」とか「新自由主義」とか呼ばれるような特殊なものではなく、経済学の標準的な考え方である。ただ、競争原理を強める経済学の論理は選挙では喜ばれないので、政治的には実行が難しい。それをあえて竹中氏に任せ、首相はそれを断固としてバックアップする姿勢を示したことが小泉氏の功績だろう。

 日本の抱えている問題は「行き過ぎた市場原理」ではなく、市場原理が足りないために成長率が低下していることだ。」

 以上は、経済面からの評価ですが、政治的な評価も忘れてはいけません。それは、自民党の「経世会」を中心とする鉄のトライアングルといわれた政・官・業癒着の利権政治構造を解体し、経済財政諮問会議による政治主導体制を確立した、ということです。

 道路公団や郵政それに特殊法人は、それまで「経世会」の政・官・財利権構造の温床となってきており、小泉首相は、これらの「親方日の丸」的な組織を、市場の下に置くことで、その政・官・財の癒着構造を断ち切り、経済合理的な運営を図ろうとしたのです。

 ところが、この小泉構造改革に対しては、「新自由主義」=「市場原理主義」で格差が拡大したという批判が左右からなされました。自民党から民主党への政権交代もこうした批判が功を奏した結果ですし、民主党はこうした見解に立って、一度民営化された道路公団や郵政を再び国営化しようとしています。

 ただし、今回の選挙結果を見る限り、国民新党は参議院の議席を失い、民主党は惨敗し、みんなの党は躍進しましたので、こうした民主党の政策は、国民の目には逆行と映ったのではないかと思います。このことは「事業仕分け」に対する国民の評価が高いことを見ても納得できますね。

 私自身は、小泉構造改革については、国鉄の分割民営化や電電公社の民営化などで明らかなように、これらの組織については経営責任を負わせない限り、機能的・効率的運営は期待できないと考えてきましたので、道路公団や郵政の民営化についても支持してきました。

 というのは、日本の組織は、機能集団としての基本的性格の外に共同体的な性格を持っており、この両者の機能がうまく噛み合ってはじめて、組織としてその機能を発揮するのです。それが日本的経営と評され、日本経済の強さの源泉でもあったわけです。そして、そのためには、この組織を競争的環境に置くことがどうしても必要なのです。

 つまり、もし、この組織が独占的環境に置かれた場合には、必然的にその組織は機能性よりも共同性の方が優先されることになり、柔軟な組織運営ができなくなってしまうのです。こうした問題点は、「親方日の丸」組織においてはとりわけ深刻になります。(これが今日なお公務員制度改革が執拗に提起される所以です。)

 従って、私は、小泉構造改革の意味をこのように解しているから、それを「新自由主義」という言葉で総括することにはあまり賛成ではないのです。ここは池田氏がいうように、「日本の抱えている問題は『行き過ぎた市場原理』ではなく、市場原理が足りないために成長率が低下していることだ」といったほうがよいのではないかと思ってきました。

 とはいえ、竹中平蔵氏らの推進した経済政策が「新自由主義」に基づくものであったことは事実ですから、そうした批判もやむを得ませんが、それにしても、小泉内閣の時の選挙で、ライブドアの堀江氏の選挙応援をしたりして、マネーゲームを奨励したような格好になったのは大きな失敗だったと思います。

 もう一つの失敗は、いわゆるセーフティーネットの制度設計として、所得再分配政策が十分議論されなかったことではないかと思います。この点、経済学者の飯田泰之氏は、最低生活保障のための給付金制度を実施すべきだといっています。また、税制としては累進課税を強化すべきだとも。(このあたりが竹中氏の主張と違っていますね)

 *民主党政権が誕生した頃の、小泉構造改革についての私の認識については私HP「山本七平学のすすめ」の「鳩山民主党政権の行方」を参照して下さい。

 その上で、飯田氏は「問題となっている格差と貧困の問題に一番有効なのは、長期的には経済成長、短期的にお景気対策だ」。そして、その「経済成長を可能にする方法は――第一に個人の自由な創意工夫が発揮される環境を作ること〈競争〉、第二にその挑戦を可能にするためにも失敗時のセーフティーネットが整備されていること〈再配分〉、第三に長期的成長へのビジョンが描けるよう景気の振幅を抑制するマクロ経済政策運営が行われること〈安定化〉に尽きます」といっています。(『経済成長って何で必要なんだろう』p288)

 また、氏の著書『経済を損得で理解しろ』では、現在の日本経済の本質的問題は、「新自由主義」の問題ではなくデフレの問題だとして、次のように、世間一般で流布している小泉構造改革批判の通説を批判しています。

・デフレは実質賃金の高止まりを通して非自発的失業の増大を引き起こしている。

・デフレ下では、個々人が頑張れば頑張るほど、経済全体が停滞していく合成の誤謬(ミクロの視点では正しくてもマクロの世界では正しくない結果が引き起こされること)に陥っている。

・格差問題は、派遣労働の解禁ではなくデフレ不況によって引き起こされている。

・財政破綻を避けるためには、政府の無駄な支出を削減するというのも大事だが、それ以上にデフレを終わらせることによって、税収を伸ばし、財政再建の後押しをすることが大事。

・そのためには日銀の金融政策が必要で、現在のゼロ金利政策に加えて、1.政府と日銀でアコード(=政策協定)を結んで2%を下限とするインフレターゲットを設定する。

 そして、こうした政庁政策に加えて格差是正のための再分配政策が必要だといっています。

 「現在の日本の再分配の仕組みは、都市部に住む20代~50代~集めた税金で、60歳以上を養う仕組みになっている。しかしする20代や30代はそんなにお金を持っていない」「一方、60代の人全員が貧困というわけではない」だから、これを是正して、ちゃんと、お金をたくさん持っている人から集めたお金で、生活が苦しい人を助ける再分配政策の見直し」が必要だというのです。最低生活保障の給付金制度や累進課税の見直しもその一つだといっています。

 先ほどのデフレ克服のための金融政策は、竹中氏も、そのブレーンであった髙橋洋一氏も主張していました。また、「みんなの党」の渡辺氏も同様の金融政策を主張しています。

 ところが、財務省や与謝野馨氏などは消費税増税による財政再建策の方を優先すべきだといい、特に与謝野氏は「みんなの党のようにデマゴーグの典型みたいな政党と組むと、国民が不幸だ」と激しくその政策を批判しています。また、先ほどの池田信夫氏も「みんなの党」の政策に対しては批判的です。「一人勝ちした民主党、小さな政府は信用できるか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3978

 はたしてどちらの意見が正しいのか、私には専門的なことはわかりませんが、せっかく国会もねじれ状態になったことですから、表での、堂々たる政策論争で決着をつけていただきたいと思っています。私には、飯田氏らの政策の方がより説得力があるように思われるのですが・・・。

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時事問題」カテゴリの記事

コメント

yuichさんへ
 自分の言葉に責任を持つということ、礼儀を失しないということは、その人の思想信条によらず大切です。つまりは”卑怯なふるまいをしない”ということ。これはネット上でも同じ。その上で、論争は「ガチンコ」でやるべき。戦前の右翼テロは国を誤った。それは言葉による秩序を否定したから。だから、ネット上でも言葉による暴力はアウト。その点、ネットは言葉を記録できるのがいいですね。

「ネット右翼」という言葉が生まれた理由:
「ネット右翼」とは、日本の崩壊を目的とする反日勢力が作った言葉です。
彼らの目的は、日本を大切にする保守・愛国系のネットユーザーを、危険な右翼団体のネット版であるように国民に植えつけ、発言を聞くに値しないとレッテルを貼ることにあります。
しかし、そもそも右翼団体(街宣右翼)とは日本人を貶めるための反日団体(在日朝鮮人など)による自作自演であることが明らかになっています。
つまり、そのようなレッテルを貼る人間は、反日工作員か、彼らの影響を受けてしまった人のどちらかなので要注意です。

 一読者さん、わかりやすくポイントを突いたお返事誠に有り難うございます。ご指摘の「視点の違い」については、そのようですね。実際、私の議論は組織論が中心になっています。金融政策等については素人ですのでご教示願いたいと思っています。

>小泉政権下における郵政民営化の時点で、郵政民営化のそもそもの根拠とされた財政投融資問題については、すでに流用を禁止する法案が成立していました。

tiku そうですね。

>私は、それも郵政事業の効率化に結びつくものであるなら、必ずしも反対ではありませんでしたが、その結果、国民の資産である郵便ネットワークの維持には一定の配慮が必要になるだろうと考えていました。
 そして、そうした観点からは、小泉・竹中路線の四事業分割方式よりも、麻生元総理のいうJR型の地域分割方式の方が妥当だと考えていました。

tiku 地位分割方式の法が妥当だ、とのご意見は、加藤寛氏もそのような意見ですね。高橋氏は「郵貯・簡保の金融部門を分けて、さらに地域分割するとなると、あまりにも規模が小さくなり、スケール・デメリットが生じるおそれが高かった。とくに資産運用能力のない「不完全金融機関」である郵貯の場合、ほんの少しでも制約があると、経営が危うくなる。地域分割によるテリトリーの縮小は命取りになりかねない。」といっていました。

 これに対して、加藤寛氏は、「将来を考えれば特に「地方のカネは地方で使え」の第五原則にたって地域分割へ向かって修正されることは正しい。これができれば、郵貯・簡保の巨大な資金をどう使うか、民業圧迫にならないかといった初歩的反対論は消滅する。」といっていました。

 加藤氏の”郵政民営化 反対論封じる5つの原則”は次の通りです。
1. 座して死を待つな(国鉄のように「焼け野が原」になる前に手を打て、ということ)
2. 二兎(物流と金融)を追う者一兎も得ず
3. 敵は本能寺にありとして目をそらせるな、臭いは元から断て(高橋氏の論参照)
4. 武士の商法を許すまじ
5. 地方のカネは地方で使え
(「極東ブログ」参照)http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/08/post_acd6.html

 私は、専門的なことはわかりませんが、手順としては、加藤寛氏の方向もありかな、といった程度です。

>リーマンショック以後の国際的な金融破綻によってこうした(海外投資による運用益を得る=筆者)目論見は頓挫している状況です(それだけではなく、国際的な投資運用自体がまともに成り立たなくなっています)が、たまたま間に合わなかったので国民の膨大な資産が失われなくて良かった、で済む問題ではないでしょう。

tiku 朝日新聞によると、2008年度の年金の運用損は約9兆円だったそうです。国際金融は恐ろしいですね。だから「国家がやるよりも国民(=民間―筆者)に自由にやらせたほうがいい」と日下氏はいっていますが。

>このように小泉政治以降顕著になった政治的特質は、私から見れば、目的と手段を混同した「手段の目的化」とも言うべき倒錯した政治状況で、郵政選挙ではまさに郵政民営化が唯一の答えであるかのように扱われ、ひいては政権交代自体を「目的」とした民主党政権の成立に繋がっているように思えます。

tiku 目的があって手段がある、というのはその通りだと思いますが、当時の小泉前首相にとっては、郵政民営化法案は党も了承し政府案として決定されたものだったのですから、「目的」が曖昧だった、とはいえないと思います。それが正しかったかどうかは別として・・・。

 まあ、”あれさえなければ自民党は党内亀裂もあれほど大きくならず、政権を失うこともなかった”という恨みもあると思いますが、小泉氏にとっては、郵政改革は構造改革の「本丸」という位置づけだったのですから、その政策実現のためにあの郵政選挙に打って出た、のは”自民党をぶっ壊す”戦いの一環でもあったわけで、私はやはり政治家としては”大した決断だった”と思いますね。政治は「八百長ではなく命がけ」ということが国民にわかりましたから。その効果があの結果に現れたのだと思います。

>さらに経済財政諮問会議や事業仕分け、高橋洋一氏の政策関与のように、現実の状況の精査に基づかない評論家的な机上のプランであり、

tiku 前回のコメントにも書きましたが、この件に関して髙橋洋一氏が単なる机上のプランしか作れない評論家だった、とは言えないと思いますね。氏は1991年から大蔵省理財局で財政投融資郵貯の担当となって以来のこの問題の専門家で、1993年の日本長期信用銀行を始めとする不良債権問題の処理にあたり、ALM(資産・負債の総合管理)のシステムを構築し、当時大蔵省の「中興の祖」と呼ばれた、といっています。

 また、1997年の橋本財投改革では、大蔵省と郵政省は、それまで郵貯の運用を巡って100年戦争を繰り広げてきていましたが、大蔵省は高橋氏の勧めで、預託をやめて財投債を導入することを選択し、これを郵貯の関係者は「郵貯百年の悲願であった自主運用ができる」と諸手を挙げて歓迎したといいます。

 だが、高橋氏は、郵貯はこれによって大蔵省から「ミルク補給」(特殊法人が利息で払う形だが、終局的には税金で補うことになっていた)を受けることができなくなるし、官営では国債以外には手を出せないし、自主運用のリスクも高くなり経営責任も生じる。となると郵政は民営化以外に生き残る道はないと考えてた、といいます。つまり、郵貯の民営化は財投改革によってすでに運命づけられていた、ということです。

>しかも議会制民主主義の傍流でしかない存在を政治の本流と考える誤った認識が蔓延っていることも問題でしょう。

tiku これは、経済財政諮問会議のことですか?

>「官から民へ」と言っても、効率性は期待できないが公共性が高いもの、無駄かもしれないが将来への投資として重要と思われるものをどう取り扱うのか。規制の撤廃と言っても、国民の生命や安全に関わる消極的規制、一定の政策実現のための積極的規制や、全国一律に規制が必要なものと地方の裁量を認め得るものなど千差万別で、中身を吟味して現実への影響を精査しなければ、徒に混乱を助長するだけでしょう。

tiku おっしゃる通りだと思いますが、私は小泉構造改革において「官」と「民」の役割分担について再点検を行ったのは必要なことだったと思っています。「官でしかやれないこと」とは何か、を再点検する。その上で、公務員の妥当な処遇のあり方を決める。というのも、もともと公務員の身分保障や年功賃金、恩給の支給などは、”汚職防止”がその主たる目的だったのではないですか。

>まさに小泉政治に始まって、民主党政権に引き継がれている政治的な混乱は、こうしたスローガン政治の弊害そのものだと言えるのではないでしょうか。

tiku このあたり少し自民党びいきが・・・。

>なお、官公労組などの組織の問題は別に考える必要があるでしょうが、たとえば、かつての全逓や全特についても、JRやNTTの例でも分かるように、健全化のためには民営化自体よりも地域分割の方が効果が高いような気がします。

tiku JRもNTTも民営化でよくなりましたものね。NTTは中途半端だったという意見もありますが。

>残された自治労や日教組についても、政治活動の禁止の強化も必要かもしれませんが、それよりも人事院を廃止して、給与や待遇に関して、地域の特徴や財政状況に応じた処置を可能にする方が良いのではないかと個人的には考えています。

tiku 日下公人氏は『日本と世界はこうなる』で、「公務員法を改正して公務員にもスト権をあたえ、減給・解雇島の人事処遇は民間と々にする」「恩給を復活し勤務寺最高額の80%支給する」「キャリア公務員の採用数を半減する」「仕事を戦前のように請負制にする」「新政策の推進を大臣が命令する」等を提案しています。

 Tikurinさん、お答えありがとうございました。

 遅くなりましたが、簡単な感想を述べさせて頂くと、何となく私とTikurinさんとの視点の違いが分かったような気がしました。
 少々荒っぽいまとめ方になるかもしれませんが、一言で言うなら、「目的と手段に関する着眼点の違い」と表現することができるかもしれません。

 例えば、郵政民営化を考えた場合、郵政関連事業ないし組織の非効率性を重視するのがTikurinさんの立場だとしたら、私はそれよりもむしろ、郵政民営化の結果、国民生活にどのような影響を与えるのかをより重視する立場だと言っていいかもしれません。

 以前にも言ったことがありましたが、私は郵政民営化自体には反対ではありませんでしたが、その方式については、麻生元総理と同じく、小泉・竹中路線には反対でした。

 まず、小泉政権下における郵政民営化の時点で、郵政民営化のそもそもの根拠とされた財政投融資問題については、すでに流用を禁止する法案が成立していました。また、郵便事業の民営化については、国際的に成功事例がなく、国民の資産としての郵便ネットワークの維持には、国家の一定の関与が必要であることが明らかになっていました。
 この時点であえて、さらなる郵政民営化を強行するとしたら、その理由は、おそらく特定郵便局長という明治以来の世襲の公務員という制度を廃止するとともに、これを票田にした族議員を排除することに求めるしかなかったでしょう。
 私は、それも郵政事業の効率化に結びつくものであるなら、必ずしも反対ではありませんでしたが、その結果、国民の資産である郵便ネットワークの維持には一定の配慮が必要になるだろうと考えていました。
 そして、そうした観点からは、小泉・竹中路線の四事業分割方式よりも、麻生元総理のいうJR型の地域分割方式の方が妥当だと考えていました。

 さらに問題となるのは、小泉・竹中氏がなぜ四事業分割方式にこだわったのかを考えると、高橋洋一氏が言うように、そこには簡易保険・郵便貯金という膨大な国民資産を一括して国際的な金融投資に利用しようという発想があったことです(そうしなければ破綻するかどうかについては異論もあります。また、ここがアメリカの陰謀とか小泉・竹中氏の売国政策と言われる所以です)。これも当時の状況を考えれば必ずしも全面的に否定されることではありませんが、そうであるなら、なおさらそうした問題の利点やリスクについても、事前に国民に明示する必要があったのではないでしょうか。
 リーマンショック以後の国際的な金融破綻によってこうした目論見は頓挫している状況です(それだけではなく、国際的な投資運用自体がまともに成り立たなくなっています)が、たまたま間に合わなかったので国民の膨大な資産が失われなくて良かった、で済む問題ではないでしょう。

 このように小泉政治以降顕著になった政治的特質は、私から見れば、目的と手段を混同した「手段の目的化」とも言うべき倒錯した政治状況で、郵政選挙ではまさに郵政民営化が唯一の答えであるかのように扱われ、ひいては政権交代自体を「目的」とした民主党政権の成立に繋がっているように思えます。
 さらに経済財政諮問会議や事業仕分け、高橋洋一氏の政策関与のように、現実の状況の精査に基づかない評論家的な机上のプランであり、しかも議会制民主主義の傍流でしかない存在を政治の本流と考える誤った認識が蔓延っていることも問題でしょう。

 財政再建であれ地方分権であれ、本来は国民もしくは住民に対して、できるだけ質の高い行政サービスを継続して提供するための手段でしかないはずです。また、そもそも公共団体とは、民間企業のように利潤を出すために効率性を追求し、組織の永続化を図る存在ではありません。
 しかし、それが自己目的化してしまうと、医療現場の実態を無視した不合理な医療費削減や、市町村合併に伴う財政の悪化(このこと自体がすでに異常です。少なくとも民間企業の場合は、合併に伴うリストラによる財政の健全化が最低限必要でしょう)による行政サービスの著しい低下も無視されてしまうのです。

 「官から民へ」と言っても、効率性は期待できないが公共性が高いもの、無駄かもしれないが将来への投資として重要と思われるものをどう取り扱うのか。規制の撤廃と言っても、国民の生命や安全に関わる消極的規制、一定の政策実現のための積極的規制や、全国一律に規制が必要なものと地方の裁量を認め得るものなど千差万別で、中身を吟味して現実への影響を精査しなければ、徒に混乱を助長するだけでしょう。

 まさに小泉政治に始まって、民主党政権に引き継がれている政治的な混乱は、こうしたスローガン政治の弊害そのものだと言えるのではないでしょうか。

 なお、官公労組などの組織の問題は別に考える必要があるでしょうが、たとえば、かつての全逓や全特についても、JRやNTTの例でも分かるように、健全化のためには民営化自体よりも地域分割の方が効果が高いような気がします。
 残された自治労や日教組についても、政治活動の禁止の強化も必要かもしれませんが、それよりも人事院を廃止して、給与や待遇に関して、地域の特徴や財政状況に応じた処置を可能にする方が良いのではないかと個人的には考えています。

AP_09さん、いつも率直なコメント有り難うございます。

>>親方日の丸組織の組合はほんとにひどいものでした。

>これ官僚に当てはまるんでしょうか?もちろん郵政省そのものは官僚以外の人が働いてますから、組織全体としてはそうなのでしょうが、官僚そのものはどうなんでしょうね?

 私はここでは、かって(社会主義イデオロギーが魅力を失っていなかった頃)の親方日の丸組織の組合のことをいっているので、官僚組織のことをいったのではありません。それは、今もあたかも「丹頂鶴」のように登頂部分のイデオロギーのみで動く。皆がおなじイデオロギーを持っているならまだいいのですが、大半は「実体語」とのバランスで行動する。そのため、その組織自体の機能性が曖昧な場合(それでも生きていける場合)、結局、「丹頂鶴」の空体語(=きれいごと)に身を預けることになる。その方が内部摩擦も少なくて済むからです。

 官僚組織の場合は、組合に比べてその機能性が明確だし、長の職員に対する指揮監督権も明確ですから、以上のような組合の陥りやすい傾向からは免れるわけですが、組織全体が地方交付税制度の枠内にいて安泰!ということになれば、どうしても身内の内部摩擦を避ける方向に流れます。その意味では、地方自治体は経営的な機能強化を図る必要があります。また、中央省庁の場合は、内閣官僚制を機能させるため省庁横断の政治任用制度を確立する必要があるのではないでしょうか。髙橋洋一氏が当たり前になるような・・・。(『さらば財務省』参照)

 >官僚は意思決定という面では、やはり日本独特の空気支配とか浪花節的感情が顔を出すのでしょう。しかし、情緒的であるとは言え、これはある種、公僕として、世界にも稀に見る高いレベルでの使命感を育みモラルを保ってきた、重要な側面でもあると思うのです。

 官僚に限らず、組織に対する忠誠心は日本人は極めて高いと思います。それは機能組織が共同体組織に転化することの所以で、人間は人生の活動期の大半の時間を職場で過ごすわけですから、そこが「やり甲斐や生き甲斐」を得る場所であることは決して悪いことではないと思います。この忠誠心と組織全体の公益性を両立させることが私たちの課題だと思っています。

>官僚タタキって、日本という『蛸が自分の足を食べて自滅して行く過程』のように見えるんですよ。

 私の知る限り、官官接待が問題になる以前の、中央省庁が許認可権を独占していた時代の「威張りかた」は尋常なものではありませんでした。でも権限が集中して陳情するしか無くなればそうなるのは必然です。だから「自立を促す」方向での地方分権が必要なのです。それが自治体の経営機能を向上させることにもなる。また、不景気になると公務員がうらやましがられますが、その不況が長引いていることや、民間での競争が激しくなっていることが、こうした傾向を助長していると思います。まあ「怨望」はいやですが、マスコミはそれが商売ですから。それに振り回される必要はないのです。

>安月給で最後に天下りによる調整で帳尻合わせてきた、優秀にして本当に心を込めて誠心誠意全体のために働いてきた(ここが感情がこもってる部分の大切さ)人たちに、その貢献に対する正当な評価や感謝の気持ちが無い“空気”というのが、日本における大きな問題だと思うのです。

 国民のために働くということ。それは生き甲斐のある仕事です。そして、その働きに応じて処遇をすることも大切です。ただし公明正大に。また感謝は求めるものではなくされるもの。マスコミも最近は対論が多くなって、改善の方向にあると思います。七平先生の言葉ですが「対立概念」で考える訓練がますます必要になっていると思いますね。

横レス失礼致します。

Tikurinさんの理路整然とした説明も毎回うなづくしかないのですが、一読者さんのご指摘も最もに思うので、よろしかったら、もう少しお教えください。一読者さんのご紹介のブログの書き手は官僚のようにも見えますね。官僚の実務ということについて、

Tikurinさんの
>その組織の意志決定が「空気支配」に委ねられ、冷静かつ客観的な判断ができなくなるということです。
これは山本七平氏の説で論をまたないのですが、
>親方日の丸組織の組合はほんとにひどいものでした。
これ官僚に当てはまるんでしょうか?もちろん郵政省そのものは官僚以外の人が働いてますから、組織全体としてはそうなのでしょうが、官僚そのものはどうなんでしょうね?

彼らはハナから管理職なので集団交渉権が無く、組合活動はしません。東大の学生時代から、就職して上級職官僚になって、ずっとエリート一直線ですよね。国家公務員は地方公務員に比べて格段に給料安いですし、官僚は激務なので、「休まず、遅れず、働かず」がスローガンだった地方公務員とはちょっと違うと思うのです(とはいえ、地方公務員も昔に比べてずっとサービスが良くなっているようです)。デフレ効果で、とくに地方公務員の所得は給与表の昇給以上に一層上がりましたし。まぁ、民間との比較で給与調整はあってもいいかという気はするんですが、一方、中央官僚はどうなんでしょうね?

官僚は意思決定という面では、やはり日本独特の空気支配とか浪花節的感情が顔を出すのでしょう。しかし、情緒的であるとは言え、これはある種、公僕として、世界にも稀に見る高いレベルでの使命感を育みモラルを保ってきた、重要な側面でもあると思うのです。

官僚は独裁者じゃありませんから、世論を無視することはできません。日本教は官僚だけでなく、国民の側、親方日の丸組織全体に行き渡っているものだと考えます。そしてその要求を、官僚は無視することはできません。

官僚タタキって、日本という『蛸が自分の足を食べて自滅して行く過程』のように見えるんですよ。

組織の改革は改革として必要ですが、安月給で最後に天下りによる調整で帳尻合わせてきた、優秀にして本当に心を込めて誠心誠意全体のために働いてきた(ここが感情がこもってる部分の大切さ)人たちに、その貢献に対する正当な評価や感謝の気持ちが無い“空気”というのが、日本における大きな問題だと思うのです。パターナリズムのせいで、官僚が自分たちがどんな仕事をしてきたのか一般にわかるよう広報して来なかったのは、民主主義・国民主権としては官僚の側の問題点です。

そして、人間完璧ということはありませんから、なかには間違いや、極少数派の悪徳官僚もあります。そしてそのことばかり針小棒大に報道され、タレント知識人といわれる人達がもっともらしくそれを煽って生計を立てる手段にしているのが、一番大きな問題だと思っています。

一読者様へ
 コメント有り難うございます。一読者様が小泉構造改革に批判的であることは承知しておりましたので、いずれその根拠をお聞きしたいと思っておりました。ただ、私見は、私の限られた経験(民間企業、地方公務員、職員団体)と山本七平氏に学んだだけのものですので、間違いも多いと思います。ご教示いただいて更に理解を深めたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 一読者様が、政治に「実務」に対する理解力を求めていること、政治家に国家・民族の伝統文化や慣習を踏まえた政策立案・実行を求めていることについては、私もたぶん同じだろうと思います。しかし、ではどのような政策が、日本社会の「実務」に即したものであり、日本の伝統文化や慣習をふまえたものであるか。どれが日本の「病」の治癒に有効であるか、という判断については、意見が違っているようですね。

 そこで、とりあえず、ご紹介いただいたブログ記事について、〈〉内に私見を書き込んでみました。

『片ややる気のない官業が事業仕分けで非難され〈当然では?〉、もう一方ではやる気のありすぎる(商品競争力のある)官業が非難されて無理やり民営化させられる〈郵政民営化を批判している意見のようですので後述〉。いったい国民は“公”が行う事業に何を期待するのか。稼働率や利用率が低ければお役所仕事だと文句を言い、優れた商品を開発すれば民業圧迫だと非難されては堪らない。あたかも“公もしくは官であること”自体が非難されているようで、到底冷静な議論になっていない。〈このあたり”被害者意識”が前面に出た記述で、説得力を欠いています。〉

 経済状況の悪化による生活レベルの切下げ感から、公務員を妬んで事業仕分けにオダを上げているようでは情けない〈不景気になると公務員の身分保障や年功賃金が妬まれるのはいつものこと。怒ってみてもしょうがない〉。みのもんたに踊らされて自ら選択した「民主党」を始めとする国会議員をこそ仕分けすべきと言いたい。〈国会議員の定数削減なら賛成。当面はバラマキマニフェストを仕分けすべき〉何しろ、彼らは本来業務である立法の仕事を殆どやらず(できず)に行政府に丸投げしているのだから〈政治主導を勧めているのか、政治家は立法能力がないとあざけっているのか不明〉。

 今回は、先に起こったギリシャ危機に伴うユーロの混乱についても一言付け加える。ギリシャのデフォルト問題を契機に、ユーロ安やドル安基調となり円の独歩高の様相を呈している。ただし、同時に起こった世界的な株安も、近年のアイスランド危機やリーマンショックと同様に、ある程度の時間を置けば一定程度までの回復は十分に見込めるだろう。例えギリシャが本当にデフォルトしても、所詮は経済規模の小さな国であり、影響は限定されるからだ。ドイツや中国あたりがデフォルトするのとはわけが違う。

 ここで突っ込みを入れたいのは、新聞各社が雁首揃えて、今回の円高を称して“消去法”による円買いと表現していることだ〈日本の政策金利が0.1%で金利引き下げリスクがほとんどないので、短期的なリスク回避策として円買いがなされている、との判断は間違いというのか?〉。今回に限らず、最近は○○危機なる有事のたびに円が買われる傾向にあり、そのたびに日本の財政危機論を信仰するマスコミ各社は、円が信認されているという事実〈”信認”は言い過ぎ?〉を認めたくないために、消去法による円買いという斜に構えた表現をする。では、円が選択される前に“消去”されたと思われるドルやユーロ、ポンド、豪ドルほかの通貨はどうなのか。財政危機のため○年後に破綻すると喧伝される日本の通貨である円に負けて、選択肢から消去されたドルやユーロを発行する国家の財政は大丈夫なのだろうか。〈IMFが日本に増税を求めたのは日本の財政破綻を恐れているからでは。財務省の工作云々という話も聞くが?〉

 日本の財政が危機などというインチキくさい謀略論を吹聴するのは、そろそろ止めたほうがよい。』〈この論、『日本は財政危機ではない』髙橋洋一の論とどう違うのか?他のエントリーとも読み比べてみると、どうも全体的な思想的一貫性に欠けるように思われる。あるいは総務相あるいは郵政関係の人かとあえて推測させるような、そんな被害者意識が感じられる。ネット上で私見を述べる以上、そうした個人的感情はできるだけ抑えたほうがよいのでは、といっても、あくまで現段階での印象ですが。)

* 髙橋洋一氏は『さらば財務省』で郵政民営化について次のように説明しています。

 「大蔵省理財局時代、私は1994年から1998年まで財投改革を担当したので・・・郵政分野には通じていた。郵貯の構造、加えて、あとどのくらいで、どういうふうに郵貯が破綻していくか、といったテーマで論文を書いたこともあった。・・・私は是非はどうあれ、郵政民営化は避けられぬと考えていた。そうでないと、郵貯はいずれ破綻の運命にあった。財投改革によって郵貯は自主運用になり、運用利回りは劇的に低下していくはずだ。実は、その基本的な構造は簡保も同様であった。それに郵便も電子メールでじり貧。これで何をすればいいというのか。」 

 その後高橋氏は、小泉首相に郵政民営化の案作りを頼まれた竹中氏から、政策立案の頭脳となるよう依頼された。

 竹中氏は、4年近くの霞ヶ関との攻防から、この案作りに役人を関与させると、骨抜きにされることがわかっていたので、竹中チームだけで諮問会議の民間議員ペーパーをまとめ、それを首相の前で議論して案を決めることにした。

 こうして案作りが進められた。高橋氏は、郵政事業の業務の違いから、金融(郵貯・簡保)と非金融(郵便)で分ける。同じ金融でも、郵貯は銀行業務、簡保は保険業務なので、更に二つに分ける。一方、全国に25000ある郵便局はどう活用するか。これはスコープ・メリットという考え方を応用し、郵貯、郵便、簡保各社の小売り部門は一つにまとめ、別に郵便局会社をつくって、窓口業務で一括して対応するのが最も効率的。こうして3プラス1で4分社となった。

 高橋氏はこの案を経済学的見地から立案したが、マッキンゼー社の宇田左近さんは経営学的な観点から、四分社化という同じ結論を出した。

 この郵政民営化案は、2004年9月10日に発表されたが、この方針に関する議論は経済財政諮問会議だけでやり、その法案づくりは郵政民営化準備室でやることになった。高橋氏は、準備室のメンバーや財務省の幹部からその案の内容をしゃべるよう執拗に迫られたという。

 この諮問会議で唯一反対したのは麻生太郎総務大臣で、これに民間議員4人が対抗し総務相と論戦を繰り返した。結果は小泉首相の裁定によって竹中案が採用された。

 またその民営化への手順については、将来の逆戻りを防ぐためにも、郵貯と簡保は郵政公社廃止後、ただちに商法会社にすることとした。

 こうして2005年8月参議院で郵政民営化関連法案を否決された小泉内閣は衆議院を解散、9月11日の郵政選挙で勝利し、2007年10月1日郵政は民営化され、郵政4社が新たなスタートを切った。
 
 以上、高橋氏の説明ですが、郵政改革に関する同様の問題意識は、郵政公社最後の総裁を務めた生田正治氏も持っていました。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1739 特に、生田氏は全特の問題点を強く指摘しています。

 私は、経験上、民間企業、公務員、職員団体の問題点を知っています。かっての国鉄、電電、郵便局、そして日教組等親方日の丸組織の組合はほんとにひどいものでした。何が最大の問題かといえば、その組織の意志決定が「空気支配」に委ねられ、冷静かつ客観的な判断ができなくなるということです。これは山本七平の言う「機能組織の共同体化」という問題ですが、この問題を解決する唯一の方法が、その組織を競争的、経営的環境に置くことだ、と思っています。

 国鉄もNTTもそれで蘇りました。国政においては、官僚内閣制から内閣官僚制に切り替えることだと思っています。残った郵政の問題点はやはり全特ではないですか。これは自民党政権時代の政・官・業癒着体質をそのまま温存している組織です。まず、この問題をクリアーすることが大切なのではないですか。その上で、高橋氏の指摘もふまえて郵政事業の経営形態のあり方を、堂々と国会で議論していただきたいと思っています。

 時々拝読させて頂いていますが、久しぶりにコメント致します。

 私が以前から小泉政治に批判的であることはご存知だと思いますが、その理由は、単にある種の政策または理念が間違っていたから、といったレベルの問題ではなく、小泉政治に象徴的に現れていた政治・社会の変質に根本的な違和感を感じていたからだと、最近ふと考えることがあります。

 これを一言で言うなら、「政治家が『実務家』ではなくなってしまった」、また国民も実務家的資質を見抜くことができなくなったことで、混迷の状況に陥っている、と言うことができるかもしれません。

 私は『実務家』という言葉が好きで(これに対して「知識人」とか「評論家」は嫌い)、これを勝手に「専門知識がありながらも、常に現実と向き合いそれに対処せざるを得ない立場にある人」といった意味で使っていますが、最も典型的な例は「医者」かもしれません。

 医者は、日々訪れる千差万別な病気や怪我を負った患者を前にして、治療を放棄することが許されません。仮に見たことも聞いたこともない症例を持つ患者を前にしても、知識をフル動員して類推し、経験や勘を加味して考えうる最善の治療に当たるのが正しい態度でしょう。
 この場合、こんな症例は研究書にも載っていないからと治療を放棄したり、こんな症例が出るのはむしろ患者の体質に問題があるのだからと判断し、(その判断自体は間違っていなくとも)適切な治療を後回しにして体質改善を優先した結果、患者を死なせるような医者がいたとしたら、それはヤブ医者あるいはただの馬鹿者でしかないでしょう。

 良くも悪くも、戦後の日本を復興し高度成長に導いた政治家や経営者等の指導層には、上記の例で言えば前者の真っ当な医者タイプの人が多く(但し、左翼は除く)、小泉首相登場の少し前から後者の馬鹿者タイプの指導層が蔓延るようになったことが、現在の日本の混迷の主因ではないかと思われて仕方がありません。
(一つ付記すると、医者としての経験や勘を国家・民族レベルで考えると、伝統文化や慣習に置き換えることができるかもしれません。)

 こんなことを考えたのは、ご存知かもしれませんが、以下の↓ブログのエントリーで紹介されていた
○魔女狩りを好むマスコミや政治家たちへ
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10597536844.html

このブログ↓を読んだからなのですが、
◇Uzura Blog
http://d.hatena.ne.jp/kaku192/

まだ10個しかないエントリーの一つ一つに納得することができ、私には、いまだ残された『実務家』の叫びのようにも感じられました。

 もしお時間が許すようでしたら、お読みになった上で、ぜひ感想をお聞かせください。

 決して急ぐものではありませんが。

uncorrelated さま、コメントありがとうございます。

 佐藤優氏と髙橋洋一氏の対談で、佐藤氏が新自由主義に対する疑念を表明したことに対し高橋氏は次のようにいっています。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/life/gooeditor-20090623-01.html

佐藤 ところで、髙橋さんはサブプライム問題以降の金融危機をどう見ますか。政府による救済とか、企業の国有化など、マーケット至上主義とは正反対の動きになっていますね。

髙橋 ぼくは新自由主義者と言われるんですけど、そうじゃないですよ。イデオロギーは全然なくて、すごくテクニカルな人間なんです。何かの症状が出たとき、それを分析して症状を和らげるにはどうすべきかという処方箋を書くのが専門家の役割だと思っています。新自由主義者だろうと誰だろうと、目の前に死にそうな人がいるのに放っておく人はいない。未曾有の金融危機を目の当たりにして、政府が介入するのは当たり前の話だと思いますね。

 つまり経済理論はイデオロギーじゃなくて医師の処方箋と同じ類の経済技術だといっているのですね。それを「新自由主義」という言葉で一括すると、弱肉強食とか市場原理主義とか強欲資本主義とかというレッテルが貼られてしまって、症状に応じた適切な治療が行えなくなってしまうのではないかと危惧します。

 病気の症状が人によって異なるように、経済の症状は国によって異なるわけですから、一つの治療法についてイデオロギー的な決めつけや制約を課すのはやめて、その国の症状に合わせた治療法を確立することが大切ではないかと思います。

 それにしても、その経済理論とやらは、現在の日本のデフレ克服の処方を巡って、財政規律を重視する財務省・日銀と高橋氏、飯田泰之氏、浜田宏一ら金融政策を重視する学者との間で、極端な対立を見せていますね。経済学が十分科学になり得ていないということなのでしょうか。

徐々に所得格差が拡大傾向にあり、かつ平均所得が低下しているのが、貧困層の拡大と解釈されるのが問題なのでしょうね。

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