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2011年3月

2011年3月31日 (木)

山本七平著『日本人と原子力』について

 山本七平は、「原子力発電」の問題を「エネルギーの歴史」という文脈の中で捉えていました。つまり、原子力は「人類のエネルギー史の一段階」として存在するものであり、同時に、「現代のエネルギー問題の一環」として存在るものである、というのです。(山本七平著『日本人と原子力』参照)

 つまり、原子力は「究極エネルギー」でもなければ、全てこれに帰一すべき「唯一のエネルギー」でもない。いわば人類が、脱水車、脱風車、脱木炭、脱石炭、そしてやがて脱石油をするように、将来はおそらく「脱原子力」の時代を迎えるであろう、と。

 といっても、こうしたエネルギー源の変化は、ある時期に一斉に切り替えがなされるのではなく、いずれの時代も数種が併存して使われてきた。そこで、脱石油後の主要なエネルギー源は何かということになると、それは原子力しかなく、従って「脱原子力」の時代が来るまでは、これを改良しつつ使うほかはない。

 日本は、明治以降、欧米諸国が試行錯誤の末に開発したこれらのエネルギー技術を、完成品として取り入れてきた。そのため、常にその技術に絶対安全を求め得た。ところが、そうした従来の日本のやり方が、今日の原子力の時代を迎えて、技術的にも不可能になりつつある。

 一方、少子高齢化に伴う労働人口の減少(=技術者の減少)が進む中で、さらに充実した高度福祉社会を維持して行くためには、相当のエネルギーを必要とする。しかし、当面その電力需要に応えるものは原子力しかない。従って、日本は、この未完成の原子力の安全利用に努めるとともに、それを、次の脱原発後のエネルギー開発へとつなげていかなければならない、というのです。

 この本は昭和51年に刊行されたもので、こうした山本七平の原子力発電に関する主張は、当時、原発に反対する勢力によって激しく批判されました。要するに原子力発電は危険!ということなのですが、これは言葉を換えて言えば、原子力を安全に平和利用する技術は、まだ未完成だ、ということに他なりません。

 不幸にして、今回の東北関東大地震に伴う福島第一原子力発電所の事故は、この原子力の平和利用における安全確保の技術に重大な隘路があったことを示す結果となりました。しかしこれは、地震の揺れと言うより想定外?の津波によるもので、もし、これが想定され、所要の対策が採られていたなら防げたはずの事故でした。

 従って、今回の事故は、日本にとっては誠に厳しい結果となりましたが、世界の原子力発電の安全性の確保という点から見れば、大きな教訓をもたらすものとなったことは間違いありません。これが想定外の天災によるものか、それとも当然想定さるべきことを怠った人災というべきかは、今後議論がなされることと思いますが・・・。

 私自身の印象としては、貞観の巨大地震の発生が学者により指摘され、また、万一の場合の電源喪失の対策についても、国会で指摘がなされていたとの報道もありますので、これは技術上の問題と言うより”人災”的要素の方が強いと思います。といっても、世界的に見れば原子力発電所がミサイル攻撃を受けることもあり得るわけで、今回の事故はその危険性への教訓にもなったと思います。

 もちろん、日本は、今回の事故を引き起こした当事国として、こうした安全対策上の技術を向上させていく歩みを止めるわけにはいきません。しかし、それと同時に、その他の自然エネルギー源の開発、例えば、水力発電技術(直流送電や小規模発電など)や、太陽光、風力、地熱、バイオ発電などとスマートグリッドの蓄電技術などを組み合わせた新技術の開発なども進めるべきです。

 残念ながら、福島第一原発の放射能漏れ事故が収まるまでには、まだ、かなりの時間がかかりそうです。しばらく落ち着かない日が続くことになりますが、以上紹介したような山本七平氏の所論も参考にしながら、今後の日本のエネルギー政策のあり方について、冷静かつ合理的な議論を積み重ねていく必要があると思います。

 なお、次の文章は、この本(『日本人と原子力』)の「あとがき」です。以上紹介した山本七平の主張を簡潔にまとめていますので、参考までの紹介しておきます。

 あとがき

 あるいは鉄器ができたとき、あるいは水車が発明されたとき、石炭、蒸汽機関、鉄道、汽船、石油、内燃機関、航空機等々が登場したとき、人類の歴史は大きく転換した。そして新しく登場したものは、しばしば夢のような未来を想定させた。ライトがはじめて飛行機で空を飛んだとき彼は「人間が空を飛ぶようになれば、戦争はなくなる」という非常に面白い言葉をのべている。これは冗談でなく、彼は本気でそう信じ、まじめにそう考えたのである。しかしこの発明家の夢想は破れ、航空機は戦争の苛烈さを増し、世界の政治勢力の地図を大きく塗りかえただけであった。

 とはいえ、そのことは航空機が平和利用にも人類の相互理解にも役立たぬ無益な発明であったということではない。これは、人類がはじめて石器をつくって以来、常にくりかえしてきたことだとも言える。新しい技術、新しいエネルギーの開発は、人類の政治地図を大きく塗りかえ、その過程で恐るべき惨禍を人類に及ぼす。同時にそれは、人類にとって不可欠の存在となり、その利用は新しい技術の出現までつづき、この間、大きな便益を人類に提供しつづけたと。

 とはいえその便益は、常に「人類に平均」ではなかった。否、政治地図の塗りかえ自体が、それを独占したものの、一種の恐るべき支配力を物語っている。そしてわれわれは好むと好まざるとにかかわらず、石油時代の終りに位置し、新しいエネルギーの時代を迎えようとしているわけである。それは人類が常に経験してきたことだともいえるし、また、全く新しい事態だともいえる。というのは「終り」は常に一つの混乱を招来し、始まりもまた一つの混乱をもたらす。

 しかしいままでは、「終り」が来る前に、新しい技術が過去を葬って行ったわけ――いわば、水流が途絶えたわけはないのに、石炭と蒸汽機関にとって変わられたのであり、石炭が涸渇したのでないのに石油にとってかわられたという形で、相当に長い新旧並存期間があったわけである。だが石油に関する限りこの状態は同じでなく、今年就職した人が停年を迎えるころに、果して、今のような「ガソリンエンジンつき自動車」が存在し得ているかどうか、だれも明言できないのが実情なわけである。この意味では、今まで経験しなかった新しい時代なのかもしれぬ。

 多くの人は、生活水準の向上、完全雇傭、社会福祉、社会保障の充実、住宅問題の解決、老後の完全保障等、多くの問題が解決されねばならないと主張している。だがそういう主張をする人が、無意識のうちに前提としていることは「今の状態が半永久的につづく」ということなのである。それが本当に「保証」されているなら、その基本的な保証を基にして、さまざまな保証を行うことが可能であろう。だが本当にその「基本保証」は存在するのであろうか。

 どこかの国が、あるいは天が、それを 「日本と日本人」に保証してくれているのであろうか? 実をいえば、それはどこの他人も他国も保証してくれず、それを保証するものは、基本的にいえば「われわれの英知」だけなのである。そして英知とは、われわれが置かれている実情を正しく把握し、これに合理的に対処する能力に他ならない。

 エネルギー問題という、すべてを支えている前提の処理を誤れば、一切は空中楼閣として消えて行くであろう。(後略)

2011年3月21日 (月)

福島第一原発、危機は回避できるか(2)

 破局的な状況にあった福島第一原子力発電所の爆発放射能漏れ事故は、関係者の自己犠牲的な努力によって、なんとか小康状態を保ちつつあります。今後、電源が回復し、故障している機器の修理・取り替えがなされれば、中央制御室の機能も回復します。それによって、より正確な原子炉システムの現状把握がなされ、より有効な対応策をとることができるようになります。
 
 また、これによって原子炉の冷却装置の機能が回復すれば、放射能漏れも徐々に減少して行くことになるでしょう。といっても、これはあくまでも素人考えですが、原子炉に注入した海水をそのままにして、電源が回復した後の冷却装置の運転が支障なく行えるのでしょうか。廃炉は仕方ないとしても、核燃料の完全冷却までいけるどうかということです。(どうやら冷却装置は真水を循環できるシステムになっているみたいです。3/23)

 それにしても、原子炉建屋外壁が水素爆発によって、使用済み核燃料の冷却プールが破損し、水漏れを起こすような事態に至らなくて良かったですね。報道されたところによると、アメリカはこの点を最も恐れていたようですが、冷却プールの設置されている位置から考えて、その恐れは極めて大きかったと思います。それに耐えるほどプールが頑丈に作られていたということでしょうが、幸運というしかありません。

 また、今回の、まさに国家的危機とも言うべき難局に際して、自衛隊、機動隊、東京都消防庁、とりわけ東電の現場技術者・作業員の皆さんが、まさに自己の生命の危険を犯して、危機回避のための勇気ある行動をとられました。その結果、ようやく、この小康状態を得るに至ったことに対し、日本国民の一人として心から感謝申し上げたいと思います。併せて、彼らの勇気に敬意を表します。

 さて、反省をするにはまだ時期が早いわけですが、今後起こって来るであろう議論を整理するため、いくつかの論点を提起しておきたいと思います。

 第一の論点は、まさに想定外の大地震の発生によって原子炉施設が津波に会い、原子炉は緊急停止し、冷却装置は津波によって起動しなくなって後の東電の緊急対処法が、果たして適切だったかどうかということです。結果から見れば、この段階で最も注意すべきことは、炉心の冷却がうまくいかず、核燃料が露出して水素爆発を起こす危険性をいかに回避するか、ということだったのではないでしょうか。

 東電は、この危険性を予測できなかったのでしょうか。それとも、冷却装置が動かなくなった後に緊急に取り付けた補助ポンプでは、十分な冷却水を供給できず、早急に海水を注入したとしても同じことだったのでしょうか。いずれにしても、この爆発によって、コンクリート製の原子炉建屋外壁が破壊され、放射能が漏れ出しました。また、使用済み核燃料プールが破損する危険性もあり、それはまさに、破局的状況をもたらすものでした。

 おそらく欧米各国は、この爆発事故が起こったことによって、福島原発が破局的事態に陥ることを不可避と見たのではないでしょうか。それが自国国民を日本からの緊急避難させるという措置につながったものと思われます。実際、東電自体も、この段階で被爆を避けるため、50名程度の作業員を残して他の社員を退避させました。この措置が、現場放棄のように誤って伝えられたのでしょう。

 実際、その後の修復作業は、炉心の冷却作業、外部からの使用済み燃料プールへの注水作業、施設の電源回復作業、津波で故障した機器の修理・取り替え作業など、全て、作業員の被爆線量をコントロールしながらの極めて困難な作業となりました。しかし、冒頭述べたような関係者の努力によって、なんとか、電源供給が可能となり、冷却装置が自動運転できる段階に到達することができました。

 とはいえ、原子炉本体の損壊――伝えられるところでは第二号機の圧力抑制器が壊れているらしい――がどの程度のものか。使用済み核燃料の冷却プールには本当に水漏れはないのか。原子炉に注入した海水はそのままでも機能回復した冷却装置に問題は起こらないのか(この点は先述の通り3/23)。さらには、以上のような措置に伴う作業を、誰が被爆覚悟で行うのか等々・・・についてはまだ判りません。

 ところで、こうした危機的状況に的確に対処する上で最も大切なものが、政治的リーダーシップであることは言うまでもありません。管首相の場合は、その総合的判断力や組織を動かす力において疑問符がつきました。氏の指揮下で官僚組織や民間の力がどれだけ引き出されたのか疑問です。枝野幹事長は終始冷静に対応しましたが、はたして国民に対してどれだけ的確に事実を伝えることができたか。

 以上は、私が、この事件が発生して以降、ようやく小康状態を得るに至った今日までの情況を踏まえて考えたことですが、この際、より根本的な議論をするならば、それは、この原子力発電施設を維持する中で、なぜ、10メートルを超える津波の発生を予測できなかったかということです。それが予測できてさえいれば、これに有効に対処するための危機管理システムも構築でき、今回のような非常事態に陥ることもなかったと思います。

 また万一のことが起こった場合の、放射能を防ぐ防護服や冷却剤の準備、破損した機器のバックアップシステムの構築、放射線量を気にすることなく被害現場を撮影したり、消火作業を行ったりできる機器や機材の準備等・・・。今回は、こうした、私たち素人でも容易に考えつくような対応策さえ、その導入が遅れ、関係者を被爆の脅威にさらすことになりました。

 こうした万一の事故に備える準備がなされなかったその根本原因としては、日本人の思考において「事実論」と「価値論」の区別ができない点を指摘しなければなりません。そのため「事実」を「事実」として徹底的に究明することができなくなる。原子力発電賛成派について言えば、その安全性の絶対性を強調する余り、万一の場合の危機回避対策を講じることを怠たりました。

 また、原子力発電反対派について言えば、原子爆弾を投下された経験から、原子力エネルギーの危険性を強調する余り、原子力の平和利用とその安全性の確保に関する議論を全くしてこなかったということです。その一方、水力発電という、自然エネルギーを利用した発電方法についても、執拗にダム建設反対運動を繰り返し、その結果、なし崩し的に原子力発電に頼ることになってしまいました。

 おそらく、今回の事故を機に、上記のような議論が再び蒸し返されることになるでしょう。その際、大切なことは、日本はものを作りそれを売ることによって存立している国であって、一定のエネルギーの確保なしには生きて行けないということです。そのエネルギーをどういう方法で安全に確保するか。水力か、火力か、原子力か、太陽力か、風力か、それとも波力かということについての、事実に基づいた徹底的な議論が必要です。

 そうした「事実」に基づいた議論の上に、今後の日本のエネルギー政策が決定されるべきです。今回の事故を起こした福島第一原子力発電所は、日本でも最も古い型の原子力発電所であり、その安全面の脆弱性を露呈しました。しかし、今や原子力は小型化し、船に積めるようになっているのです。それだけ安全性を確保する技術が進歩していることも事実です。最近は冷却装置も不要な小型のものができているといいます。

 しかし、その安全性が崩壊した際に人体に及ぼす影響は深刻であって、そのことを、今回改めて思い知らされることになりました。願わくば、万一の場合にも、人体に与える害を最小限に食い止め得る技術が確立されることを望みたいと思います。今日、地球温暖化を防止すための二酸化炭素排出抑制も求められており、これを機に日本のエネルギー政策論が、「事実論」を戦わす中で徹底的に行われることを期待したいと思います。

最終校正(3/22 15:00)

2011年3月18日 (金)

政府の落ち着きは”不安の前の和気あいあい”か?

 本日のプライムニュース「福島第一原発の現状は、自衛隊をどう動かす」における元陸上自衛隊北部方面総監志方俊之氏(*金田秀昭氏としていましたが誤りでした)((現帝京大学教授)の発言は衝撃的でした。番組サイトで収録されたビデオではカットしてありますが、ほぼ次のようなことを言いました。

 現在行っている自衛隊のヘリコプターによる海水散水作戦及び陸上からの高性能消防車による放水作戦は、すでに現在自衛隊が持っている能力、つまり日本国が持っている能力を超えている。どういうことかというと、自衛隊員は(おそらく自衛隊法で)作戦行動をする時に受ける放射線量の上限が決まっており、それでヘリや消防車が原発に近づける高度や距離が決まる。しかし、現在の放射能レベルでは、ヘリからピンポイントで海水を落下させるほどヘリを近づけることはできない。このことは消防車についても言える。

 現在の自衛隊員に、そうした危険な作戦への参加を募れば、志願するものはたくさんいる。しかし、彼らに、そうした命の危険を伴うような作戦行の命令を下すことは憲法上できない。従って、本日のような作戦は、もっと放射能レベルが低い時点では有効だが、現段階では三百メートル上空からの海水を散布するようなことになり効果を期待できない。つまり、すでにこの作戦は、現在の自衛隊の能力、つまり日本国が持っている能力を超えている、というものでした。

 おそらく、現憲法のもつ「非常識」な側面を強調する含みでの発言ではないかとは思います。しかし、自衛隊というのは軍事力を行使して自国を他国の武力侵略から守るための組織であり、当然のことながら命がけの仕事である(採用の時そうした宣誓をするという)わけですから、上記の発言は私にはいささか奇異に感じられました。

 実際、本日のヘリコプターによる海水散布作戦は、テレビ放映されたのをご覧になった方にはお分かりと思いますが(世界のテレビもNHKの映像を繰り返し放映した)、ホバリングしてピンポイントを狙ったものではなく、通過しながら放水するもので、そのスピードも高度も4回ともまちまちでした。最も高い高度から放水したものはほとんど霧状になり、にわか雨程度の効果しかなかったでしょう。

 推測するに、ホバリングして海水をどっと落とせばその衝撃力はかなりのものになるし、通過しながら落とすことにしたのでしょう。また、高度や放水時間がまちまちだったのも、おそらく、いくつかの放水パターンをシュミレーションしたとしか考えられません。水のかかり具合によっては、水蒸気爆発を起こす危険性もあるし、他の機器に障害を及ぼす恐れもある。見た目にはいかにも”へっぴり腰”に見えましたが、事実は以上のようなことだったのではなかったかと推測します。

 また、自衛隊員に許されている被曝量の基準も今回の非常事態に対応すべく引き上げられたようですので、金田氏が言うほど硬直的なものではないと思います。だが、自衛隊の作戦行動に関する現憲法による制約は、現場指揮官にとっては”異常”なものと感じられているのでしょう。この異常さは、本日の陸自幕僚長や、空自幕僚長の記者会見の中でも現れていましたね。作戦行動の結果”隊員の身体に異常はなかった”とということばかり強調しているように見えました。

 それにしても、米国を始めとする外国政府が日本に滞在する自国民に福島原発から半径80キロ以外への避難、あるいは国外退避を勧告したということは、誠に驚くべきことです。枝野官房長官は、これを”自国民を守るための保守的な考え”として理解を示していましたが(日本国も同様のことがあればそうするという意味)、このことは、諸外国は福島原発の成り行きをそれだけ危機的に見ているということに他なりません。

 冒頭に紹介したプライムニュースでは、昨日のエントリーで言及したアメリカ軍が有する防護服のことや、無人偵察飛行機、さらには無線操縦の放水車のことなども出ていましたが、国内だけでなく外国からも放射能事故に備えた機材やノウハウの提供を受け万全を期すべきだと思います。とはいえ、危険を伴う作業を米軍に頼むわけにはいきませんから、日本人が自らが命をかけて処理するしかありません。きっと、諸外国は日本にそれが出来るかどうかを見ているのでしょう。

 実際には、現在、福島原発で高い放射能に身をさらしながら、手作業で原発の弁の開け閉めなどをしている作業員(五十名程度から百数十名に増えているらしい)がいます。米国では、これらの作業員の犠牲的行動が話題ななっているといいます。また同時に、彼らがダウンしたら一体どうなるのか、これが、彼らの恐怖心をもって見ている破局のシナリオでしょう。

 そんな非常の時に、自衛隊員が上記のような制約の中でしか行動できないとしたら、一体日本とはいうのはどういう国か、ということになります。しかし、現在の日本国政府の落ち着きぶりから見ると、炉心のメルトダウンなんか、例え最悪の場合でも起こるはずがないという確信を持っているに違いありません。

 もちろん、外国人のように逃げるわけにはいかないから、多少放射能を浴びても仕方がないと思っているのか、それとも現実を見るのが怖くて見ぬふりをしているのか、よくわかりません。いずれにしても、外国人は最悪のケースを想定しているわけで、世界で最も安全なはずの国が、世界で最も危険な国になったと言うことで大変なことだと思います。

 かすかに希望が持てるのは、東北電力の電気を供給できるようになったということで、電気系統の故障のない2号機から冷却ポンプを動かす作業に入るらしいことです。こうなれば、もしポンプが故障していればメーカーから持ち込む、配電盤が故障していればそれを取り替えるなどが可能になります。その準備は当然進めていると思いますが、ただ、その作業に当たる人は命がけです。でも、なんとかこれに成功してもらいたい。

 もしそれが成功しなければ、最悪の場合、まさに小松左京の「日本沈没」になりかねません。日本国民の一人として、日本政府の落ち着きぶり(特に枝野官房長官)は、真に事態を総合的に見通した上でのリーダーの落ち着きであってほしい。間違っても、かって山本七平が言ったような「不安の前の和気あいあい」であって欲しくない、そう願っています。(下線部訂正3/18)

2011年3月17日 (木)

福島原発、危機は回避できるか

 福島原発の放射能漏れのコントロールが出来なくなると、震災復興どころの話ではなくなります。広瀬隆さんの話を聞いていると、平静ではいられなくなりますが、なんとか日本全国の研究者・技術者の力を結集して、いや日本だけでなく世界の英知を結集して、さらなる事態の悪化を食い止めていただきたいと思います。

 放射能を遮断する服があったら・・・例えば宇宙服は役に立たないのかとか、人間の代わりをしてくれるロボット・・・例えば現場状況を写すカメラを搭載したミニヘリとか、無線操縦の小松ブルトーザーを使った消火・冷却作業とかは出来ないのか等々、まさに日本の技術力を結集して、有効な処置法を見つけてもらいたいと思います。

 それにしても、当初は容易に押さえられそうに見えた事態が、次々と、とんでもない深刻な事態を引き起こしていくその経過を見ていると、いったい誰が事故の全体像を把握して、適切な対応策を指示しているのか。早急に対応すれば押さえられたはずの事故が、拙劣な指揮のために拡大し続けているのではないか、との疑いを抱かざるを得ません。

 であれば、アメリカを始めとする外国の助言と言うより指揮も必要になるのではないか。この際、日本のメンツのことは考えないで、なんとか世界の知恵を借りてでも事故の拡大防止に努めていただきたいと思います。おそらく放出ガスによる一定の汚染は避けられないでしょう。要は原子燃料を水で冷やし続けること(だそう)ですので、方法はあるような気がします。

 ”がんばってもらいたい!”そう切に願います。

2011年3月16日 (水)

日本は自然エネルギー「水力発電」をもっと利用すべきでは?

福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故の件ですが、稼働中だった第一原子炉から第三原子炉までが、冷却装置の故障のため冷却水の水位が下がり、燃料棒がむき出しになるという事故が発生しました。

 そのため、第一、第三原子炉は防護壁内で水素爆発を起こして防護壁が吹き飛び、第二原子炉は、何らかの原因で圧力抑制室に異常が生じて放射能漏れが生じるなど、極めて深刻な事態を迎えています。

 それに加えて、停止中だった第四号炉までが、これも使用済み核燃料の冷却装置の故障のため発熱現象を起こし放射能漏れを起こすなど、恐るべき連鎖的事故に発展しています。

 原因は、非常時に作動するはずの自家発電装置や冷却装置が、津波で海水をかぶりその電気系統が働かなくなったためといいます。その結果、作業員が生命の危険を冒して手動でバルブ等の開閉をせざるを得なくなり、ために、対応が後手後手にまわる結果になっているというのです。

 それにしても、津波で塩水をかぶる危険性が予測できなかったのでしょうか。映像で発電所を見ると、随分低いところに建設されているように見えます。もし津波で電気系統が塩水をかぶれば、それが働かなくなる位のことは当然予測できたはずです。

 つまり、塩水さえかぶらなければ、今回の地震でもその他のシステムに異常は生じなかったのですから、万一のことを考えて、もう少し高い位置に発電所を作っておけば良かった。そうすれば今回の地震は日本の原発の安全性を逆に証するものになったかも知れません。

 今後は、原子炉への海水の注入と炉内の圧力を抜く作業――それによって放射能を含む水蒸気を大気の放出することになる――を、どうバランスさせていくかが問題になると思います。この危険な作業に当たられる皆様方には、何卒被爆を最小限にコントロールしつつ頑張っていただきたいと思います。

 また、政府においては、今回の未曾有の大災害に対処すべく、その財源捻出を子ども手当や高速道路無料化等の財源をもって当てる案を、ようやく岡田幹事長が提案したようです。当然のことであり、これによって来年度予算の成立し、復興に向けた財政支出も可能となります。

 それにしても、菅首相のパフォーマンスには何となく上滑りなものが感じられますね。「首相が東電の技術者をことあるごとに官邸に呼びつけてどなるので、現場対応の邪魔になっている」というような批判的報道もなされています。

 また、「陣頭指揮に立ってやり抜きたい!」といって、15日早朝統合対策本部立ち上げ、東電本店を訪れ、居並ぶ東電幹部を「一体どうなっているんだ!」と怒鳴り上げ、「あなたたちしかいないでしょ。撤退などあり得ない。覚悟を決めて下さい。撤退すれば東電は100%潰れます」と言い放った、ともいいます。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031513410030-n1.htm

 東電が撤退姿勢を見せるはずもないわけで、こうした非常事態合には、トップは専門家の奮闘を期待しそれを激励するのが本当ではないでしょうか。それに、蓮舫氏の震災担当特命大臣の任命も、自民党の要請を受けてのことだそうですが、氏にこうした問題についての専門知識があるわけもなく、なんとなく場違いな感じがしました。

 いずれにしても、原子力発電の怖さがこんな形で露呈した以上、日本の電力需要を今後どうまかなうのか。原子力をやめて他の発電方式にするのか、徹底した省エネ策をとるのか、日本人一人一人が自らの問題としてその選択を迫られることになりそうですね。

 私は、日本のような山岳地帯の多い地形の国では、水力発電が比較的容易に建設できるのだから、これを積極的に推進すべきではないかと考えます。近年は、”脱ダム”の声しか聞こえてきませんでしたから。

 ある研究者によると、サイリスタによる直流送電が可能になれば、日本の電力需要を水力で全て賄えるとのことです。自然エネルギーの利用でクリーンだし炭素も出ない。日本民族がこれを活用しない手はないと思うのですが・・・。

 ただ、建設に住民の説得や保障の問題で何十年もかかるというのは、これは褒められたことではないですね。石原都知事の「天罰」発言は、こうした観点から見れば判らなくもないですが、年をとり過ぎたせいか、残念ながら繰り返しや観念固着が見られるようになりました。

2011年3月13日 (日)

東北地方太平洋沖地震、東日本大震災で被災された皆様方へ

 未曾有の大震災で被災された皆様方に衷心よりお見舞い申し上げますと共に、悲運にして命を落とされた多くの方々の冥福をお祈りいたします。国民あげて支援に取り組むべきであり、又、今後の地域防災にこの悲劇的体験を生かしたいと考えています。

2011年3月 4日 (金)

昭和の悲劇は、近衛文麿の思想への理解を欠いては決して判らない(4)

 前回は、近衛文麿の思想を、大正7年に彼が書いた「英米本位の平和主義を排す」によって見てみました。この論文は、第一次世界大戦が終結する直前、彼が27歳の時に書かれたもので、多分に、この時代に流行し始めた社会主義的理想主義の影響を受けていました。それだけに、帝国主義批判の口吻も強かったわけですが、ベルサイユ講和会議に参加した後に書かれた「欧米見聞録」の中では、より客観的かつ重要な指摘がなされています。

 第一は、国際連盟について、それがともかくも実現を見るに至ったことを前向きに評価し、また、アメリカのウイルソン大統領が果たした役割を積極的に評価しています。特に、ウイルソン大統領が提案した「十四箇条の平和原則」に、植民地問題の公正解決のための「民族自決主義」が掲げられ、それが一部採択されたことについて、これを「多年圧制に苦しみたりし幾多の弱小民族に新たなる希望と光明とを資した」ものとして高く評価しています。

 この十四箇条には、第1条:秘密外交の廃止(列強中心の「旧外交」の温床となっていた秘密外交の廃止と、外交における公開原則を提唱したもの)、第2条:海洋の自由、第3条:経済障壁の撤廃、第4条:軍備の縮小、第5条:植民地問題の公正解決(「民族自決」の一部承認)、・・・第14条:国際平和機構の設立などが掲げられていました。

 この、第1条:秘密外交の廃止については、「今日秘密外交の時代全く去れりと即断するのは軽率のそしりを免れないが、・・・今日の如く万機公論に決するの世となりては、・・・外交もまた自然と公開的性質を帯び来たらざるを得ず。しかしてプロパガンダは実にこの時代の必要に応じて生まれ出でたる外交上の新武器に他ならざるあり」として、外交におけるプロパガンダの重要性を指摘しています。

 また、これに応じて外交官制度を刷新する必要のあること、そのためには、外交官への人材登用の門戸を開放すべきことを提案しています。さらに、「今日の日本は国際連盟の中軸たる世界の主人公として利害相関せざる国の面倒まで見てやらねばならぬ地位に達した」のであるから、これからは「日本人の心胸を今いっそう世界的に開拓する」必要があることを力説しています。
 
 なお、注目すべきは、近衛が「米国の排日」について言及している点です。近衛はこれに関して、日本が第一次世界大戦でドイツより中国の山東半島の利権を奪い取ったこと(対支二十一箇条要求による)が、米国において、「日本は第二のドイツにして支那を併呑する野心を有す」「山東は支那の咽喉にしてこの地を日本に与うるはこれ東洋の平和ひいては世界の秩序を乱す所以なり」との批判が盛んになされていることを指摘しています

 そして、これが米国における排日的気分の源流になっていることを指摘しています。確かにここには種々の原因が考えられ、人種的偏見や日本の成功に対する嫉視、さらには日本人自身の問題としてその「非同化性」も考えられる。しかし、最近の最も有力なる動機は、日本をもって軍国主義の国なりとなす支那側のプロパガンダが米国の知識階級を動かしたことにある、といっています。

 そして、これらの支那側のプロパガンダは、従来の我が国の対外政策を針小棒大に言いふたした結果ではあるけれども、「元々火の無き所には煙の昂る道理なし。この点に就きても、我が国民は一歩退きて深く自ら戒むるところなかるべからず」。といっても、これは決して軟弱外交を賛美するものではないが、「今日の世の中において戦国策そのままを実行せむとするが如き軍閥一味の人々に対しては、余は疾呼してその不謹慎を鳴らさざるを得ず」と警告を発しています。

 問題は、ここで近衛が「不謹慎」をいっているのは軍閥一味のどのような行動を指すのか、ということですが、一方では「抑も面積狭くして人口の溢れつつある我が国が外に向ひて膨張するは誠に自然の勢いにして、我が国民たる者は宜しく正々堂々と自己の生存のためにその発展の地を要求すれば可なり。然して我が国のこの立場を米国人その他に篤と了解せしむるためにプロパガンダの必要起り来る」というようなことを言っています。

 ここに、前回指摘した近衛の主張における矛盾が露呈しているのですね。ここでは、前回示した「平等主義」「人道主義」の理想に加えて、「民族自決主義」も出てきています。これらの理想と、日本が「自己の生存のためにその発展の地を中国に求める」こととはどのように整合するのか。これが後に近衛の「持てる国」「持たざる国」論に発展していくわけですが、ここでは中国は「持てる国」に組み入れられてしまっているかのようです。

 さて、ここで、前回示した第一の問題点――近衛が主張しまたは称揚した国際政治における「平等主義」「人道主義」「民族自決主義」「機会均等主義」がワシントン会議においてどのように処理されたかということ――について見てみたいと思います。

 次の記述は、幣原が、ワシントン会議において「二十一箇条要求」問題、九カ国条約及び山東問題の処理をどのように行ったかについて、大東亜戦争中に清澤洌に口述筆記させ、自ら校正して書き残したものです。

 「華盛頓(ワシントン)会議の議題は大別して二つあった。一つは五ケ国の軍縮問題の討議であり、他は中国に開する九ヶ国条約である。この外に太平洋方面に於ける島嶼たる属地及領地に関する四ケ国条約があるが、これは会議の招請状には書いていない。また山東会議に就いても、これを会議の中に含めるのならば会議参加そのものを御免蒙るというのが、日本の建前であった。

 太平洋及極東問題委員会で一番の問題は、大正四年の日支条約(二十一ヶ条要求と俗称せらるるもの)が出るであろうということであった。支那はこの会議を利用して、該条約を廃棄せんと準備怠りない。既に彼等は本問題を委員会に提出した。当時、私は病床に引籠り中で会議に出席することが出来ず、日本代表部は意見を留保したまま討議を延期していた。米国側ではこの討議は、過去の経過に顧みても日支間の反感を激発し、その影響するところ会議そのものが駄目になる危険があると心配していた。

 私はこの問題はこの際明確にして置いた方がいいいと考えたから、進んで第三十回委員会(二月二日)に出席した。そして日本の立場に就いて三つの点を力説した。第一に支那委員は巌に存している条約をこの会議に出だし、これを無効に帰そうとしているようだが、これは無理不当である。支那は如何なる論拠を以てこれを破棄せんとするのであるか。所謂二十一ヶ条要求の中には既に消滅しているものもあるし、また現存しているものの多くは任意に承認したものである。

 元来、条約は批准によって効力を生ずるのである。この批准に対し、日本は果して圧迫したことがあるか。第二に、若しこうした会議に於いて古い問題をとらへ、古疵を洗いたてて、これを無効に帰せしめる先例が開かれることがあれば、それほど危険なことはない。どこの国にも古疵はある。そうした弊を起す先例が開かれると、国際間の安定感はなくなるので、この会議の崇高なる目的とは一致しない。私は先づこう理論を述べて置いて、第三点として次のような大局論を説いた。

 当時、日本が最後通牒を発したのは、遷延に遷延を重ねた交渉を速やかに結了するための方法であって、多くの条項はその前に既に支那委員が実質上同意したものなのだ。然しその後の事情の変化によっていま茲に三つの声明をする。

 第一に日本は南満洲及東部内蒙古に於ける借款の優先権を、最近組織された国際借款団の共同事業に提供する。

 第二に日本は南満州に於ける政治、財政、軍事、警察等に付日本人顧問を傭聘する旨の日支取極があるが、この優先権を放棄する。

 第三は所謂二十一箇条要求の中で保留して居った第五項は改めてこれを撤回する。

 こういう点を明らかにしたが、これ等は要するに日本が南満洲において独占権を振りまわす意思のないことを示したものに外ならなかった。それ等は実際問題として何れも高閣に束ねて実行していなかったものであり、この場合日本の誠意を示すに必要だと考えられたものであるからだ。

 私の陳述が終ると、その日の委員会はそのまま閉会になったが、米国全権の一人であり、米国法曹界の先達であるエリヒユ・ルート氏が会議後、「一寸来てくれ。」といって私を隣室に連れて行って非常に喜んだ。「実は自分は日本の立場に身を置いて、どんな風に説明したらよいかといろいろ考えてみた。ところが今日の御説明を聞くと、自分がこういう風に説明したらと思ったことをその通りにいわれて、非常に満足をした次第だ。日本の立場がああしたものであれば、この問題に就いて米国代表部に関する限り貴方に迷惑はかけぬつもりだ」といった。

 翌日の会議で支那の全権王寵恵氏が、予の意見に対し長々しい意見書を発表したが、誰も聞く風もなく如何にも退屈に見えた。後にヒューズ氏が起って米国の立場を述べたが、これを裏から見れば、私のいったところを承認したものであった。たとえば「満州に於ける居住、旅行、商租権、農業の合弁の権利等に就いては米国はこの権利に均霑する」というのである。

 ヒューズ氏がそれ等の権利に米国人も均霑するということは、条約の有効を承諾しての結果であって、こういわれてみると、支那側は何とも云えなくなってしまったのである。ルート氏が云ったように、内部で纏めてくれたことがこれで明らかになった。右のような事情で所謂二十一ヶ条問題は、心配したが意外に早く終結したのである。支那問題として残る厄介なのは山東問題だが、これは華府会議の外で、日支の直接交渉として解決することとなった。」(『幣原喜重郎』幣原平和財団p222~224)

 このことについて、この書では次のような解説がなされています。

 「幣原が陳述した前記論文の中には相当重大なる意味が含まれている。即ち対支二十一ヶ条の中に、「他日を期して交渉を進むべし。」として保留してあった希望条項(問題の第五項として内政干渉の非難をこうむったもの)を自発的に撤回し、同時に又満蒙に於ける投資優先権も放棄する旨を声明している。その結果、「満蒙に於ける特殊利益」を認めた一九一七年の石井ランシング協定は自然に廃棄されることとなったのである。(条文で廃棄がきまったのは一九二二年四月十七日)

 それから租借地の還付問題は膠州湾の租借地を返したが、これは世界最初の例だといって、当時評判になったものである。而してこれに倣って英国は威海衛を、佛国は廣州湾(これは主義として)を、それぞれ返すことを承諾する旨、華盛頓会議で声明した。尤も同じ租借地でも、英国は香港の防衛上、九龍を手離すことを肯んぜず、日本もまた旅順、大連の両港を有する関東州は断じて返すことが出来ないと声明したのである。斯くて残る問題は九ヶ国条約のみとなった。これに関する幣原の陳述は次の通りである。」

 「華盛頓会議の委員会で出来た九ヶ国条約の中には誰も知るように門戸開放、または機会均等に関する規定がある。これに就いて世には、この規定は日本の対支経済活動を掣肘するために、英米が発案したものであるように説くものがあるが、それは事実ではない。機会均等主義の製造元は寧ろ日本なのである。元来日本は日英同盟以来、支那に於ける門戸開放又は機会均等主義を以て支那の対外開係を律する重要原則として、一貫してこれを主張して来ている。支那に関して日本と列国との間に締結した条約でこれを謳っていないものは殆んどないのである。

 華盛頓会議が開催される前に私はヒューズ氏に会ってこれに関する我が立場を明らかにして置いたことがある。私の考えによれば「我国は支那に於いて独占権を主張する必要はない。支那の自然の発達に委せて差支えない。否、それどころか、機会均等ならざることが却って日本の発展を阻碍するのだ。例えば日本品に対してボイコットをやって、英米に許すところの商業を日本に対し妨害する。これは機会均等ではない。或はまた日本の悪口を計画的、組織的にいって邪魔をする。これも機会均等主義の違反だ。

 日本の支那に於ける経済的発達が、もし優先権や独占権のおかげならば、それは温室育ちの植木と同じで駄目である。私は日本の商業は、そんなに弱いものであるとは信じない。従って外部的の擁護は要らない。公明正大な立場で正々堂々と取組んで充分だ。」そんな意味のことを、私はヒューズ氏にいった。彼は、「そういうことなら米国としては少しも嫉妬する必要はありません。御希望通りにおやりになって少しも差支えない。」といった。

 そういう訳で第六回総会(二月四日)の演説でこのことを主張したのである。だから九ヶ国条約はこちらから希望したものであって、押えつけられてやったものでも何でもないのである。
                                   
 元来私は門戸開放と機会均等との関係を研究(略)した結果、機会均等主義で困るのは日本ではなくて、寧ろ欧米だと考えていたのであるが、この主義のことは九ヶ国条約第三条に規定された。同条第一項には支那の一定地域に於ける商工業又は経済的発展に付、福利の概括的優越の地位(General Superiority of Right)を設定する取極を禁ずると共に、第二項には特定の商工業又は金融事業を遂行する必要なる財産又は権利の取得は妨げなき旨の規定かある。

 右条文を解釈するときは、例えば特定の鉱業、鉄道、農業、金融等の事業に開する財産又は利権の如きは門戸開放、機会均等の主義に反することなくして取得し得らるるのであるから、支那の資源開発を目的とする本邦人の活動が妨げらるるものではない。現に本主義の下に外国人も斯かる利権を取得し経営する実例が多いのである。そんな関係で九ケ国条約にこの規定を設けたのは、実は日本がイニシアチブをとったからである。

 (三)門戸開放、機会均等主義は商業的であるに對し所謂二十一ケ条要求は政治的であるといっていいであろう。所謂二十一ケ条要求はそれまで溜まっていた数百件の日支間の案件を、欧洲戦争の勃発したのを機会に一挙に解決してしまおうとしたのが、その狙いであったであろう。その中には空論に動かされ挿入したものもあったかも知れぬ。たとえば佛教を布教する権利なぞは全くそれだ。

 次に西比利亜(シベリア)出兵問題も、会議では余り問題にならなかった。その頃は会議も大分長く続いて、もう打切りたい気持ちになっていた。私はヒューズ氏のところへ行って、自分の方から進んで態度を明らかにしたいというと、ヒューズ氏もこの問題を厄介な問題とする意志はないといった。そこで私が声明書を読みあげ、その後にヒューズ氏がステートメントを読んで、それでお仕舞いになってしまったのである。(略)それは所謂二十一ケ条要求問題の直後のことであるが、その時加奈陀(カナダ)全権サー・ロバート・ボーデンは私にそっと呟いて、「うまくやっているね。」といったものである。」(上掲書p224~226)

 なお、以上の九カ国条約に関する会議とは別に行われた山東問題の処理については次の通りです。
 
 まず、会議に先立ち幣原は、カレント・ヒストリーというアメリカの月刊雑誌から「ワシントン会議にのぞむ日本の立場」を説明すべく寄稿を依頼されました。次は、その中における山東問題に関する幣原の記述。

 「山東に就いて
 日本は、山東を支那から剥ぎとったという非難をうけている。この真相はどうなのか。大戦中、日本は極東に於ける連合軍の利益を守る義務を負うたので、青島に於ける独逸軍基地の脅威を取り除く必要があった。日本は英国の分遣隊と共に、必要な軍事的努力をして、そこを占領したのである。つまり日本は青島と青島最難関の鉄道など、もと独逸が九十九ヶ年租借していたものを占領して、その焦点から敵の勢力が盛り返して来るのを防遏(ぼうあつ)しようとしたのである。この膠州の租借地は廣さが二百平方哩あり、山東省はそれより二百倍大きい。そして独逸人と貿易するため、そこに集っていた者は五、六萬人で、それらは留まっていまは日本と貿易している。

 日本はもとの独逸の租借地を継承しようという積りは毛頭ない。戦争以来、それは支那に返すといい最初からの申出を繰り返し、もとの租借地は各国民が均等の条件で貿易の出来る自由港にするということも、又独逸鉄道部の仕事は日支合弁にするということも、言っているのである。支那は此の取計いを拒絶し、もとの独逸の権利は、参戦してその布告をした時に、自然に支那に返っているものだと論ずるのである。然しこの宣戦布告は、支那が日本との借款を取り極め、その約束の支払金を受け、もとの独逸鉄道の合弁計書の原則を承認してから満一年以上もたって、発せられたものである。

 日本は、鉄道を警備するため、山東の沿線に軍隊を駐屯させている。青島にいるのは派建軍に臨時分遣隊を合はせて、将卒約二萬である。北京の領事館を守護するため、又海岸からその首都までの鉄道を警備するため駐屯している各国軍隊は、その二倍にも及び、この中には米国軍隊も加わっている。且又鉄道延長のため資本を提供する際の独逸の優先権は、もし日本が主唱して賛成さえ得るなら、現在米国、白耳希(ベルギー)、英国、仏国、日本の銀行団が、その政府の支持を受けている国際財政借款団に継承させることも出来る。

 だから日本が山東を侵略するという非難を裏付けるべき事実は、実際には存しないことが明かである。今やこれら総ては海軍軍備縮少と共に片が付くに違いない。なぜなれば、もし会議參加国民の間に、何等重大なる利害衝突がなく、それ故に軍事侵略の脅威もなくなれば、解決はただ程度の問題となるのである。」

 この山東問題についての会議は、先の幣原とヒューズ国務長官との話し合いで、日支両国全権のみで討議を行い、英国と米国はオブザーバーを出すということになりましたが、幣原(全権)が病気で会議を欠席するようになるとたちまち暗礁に乗り上げてしまいました。というのも、中国はこの問題で日本を列国環視の中で窮地に追い込む腹づもりであったが、その当てが外れたので、山東問題で妥結するつもりはなく、会議を決裂させてしまう底意だったのです。

 そこで幣原は病気をおして会議に参加し中国との交渉に臨みました。それからの事情について幣原は次のように書き残しています。

 「私が山東会議に出てみると果たして会議の空気は極端に悪化していた。私が一言二言何か言うと、支那全権はかみつくように、私に激論を挑むという有様だ。丁度、それは第九回会議で、それまで埴原全権が意見を留保し、いよいよ山東鉄道の処分問題に話が進む順序になっていた。私は彼等の言には頓着せず、私の論拠を展開した。私は支那全権は誤解してはいないかと反問した。

 支那側では、何か、日本が山東鉄道を無条件に泥棒でもしてしまうようにいうが、日本はこの代価を巴里講和会議でちゃんときめて支払うことになっているのだ。それを無条件で中国に譲り渡してしまうことになると、日本はそれだけ損失する事になるのだというような点を指摘し、日本はただ正当な支払いを得んとするに過ぎない旨をもいった。こんな議論が英米側にはよく響いたらしい。

 その日の会議が散会になると英国オブザアヴァのサー・ジョン・ジョルダンは私の手を握り会議の形勢は幾分見直したようだと悦んでくれた。前にもいったように当時私は病気であって、八時間もぶっ通して会議を続けることは隨分苦痛だった。先方は二人であるから四時間づつ喋ればいいのに、こちらは一人だから八時間も話し続けなくてはならぬ。それでも会議が、好転したといわれて、出席の甲斐があったと喜んだ次第であった。

 こうして山東会議は会合を重ねること三十六回に及んだ。その外に私と支那全権王寵恵氏と数回に亘って条約起草委員会を開いた。その頃迄支那側ではずっと英米オブザアヴァの好意を得る為に努力したようであったが、オブザヴヴァは一向に支那側の肩を持たない。それどころか第二十四回の会合の頃から、英国のサー・ジョン・ジョルダンは却って支那全権顧維鈞の陳述に口を挿んで、自分は今まで支那にいたが、顧維鈞氏のいうことは事実と相違していると反駁をするという有様だった。

 ジョルダン氏はその少し前まで支那の公使をしていたのである。それからその次の会合には米国のオブザアヴァたるマクマレー氏も発言して、自分は国務長官の命令によって声明するのであるが、仮に支那の要求を日本が容れても、米国のその方面に於ける権利は、それによって毫も動かないと陳述した。米国としては青島に於いて市政参政権などを有しているから、それ等は日本が譲歩しても依然として有効だという意味だ。これを聞いて私は最初ヒューズ氏が日支繋争に就いて公平不偏の態度をとるといったのを思い出し、彼の言偽らずと思った次第だった。

 こうなると中国も英米を利用することが出来ない覚ったらしい。会議の空気は漸次緩和して最後の数回の会合には一潟千里に進行し、ここに日支山東交渉は纏ったのであった。私はこの時程、米国各方面から感謝の辞を浴びたことはなかった。山東条約なるものは、日本に取ってはそれ程の問題ではなかったが、米国の人たちが非常に関心をもち、このために戦争が起るのじゃないかという予感も、民衆の中にはあったから、この条約は世論から非常な歓迎を受けた。私の努力ぱ実価以上に報いられたのである。(『外交五十年』)

 この交渉の結果、支那側の幣原に対する信頼感が非常に濃厚となり、彼自身予期しなかったほど打ち解けた親善関係が、支那側全権代表団との間に結ばれたそうです。支那側全権団がワシントンを引き上げる時、見送りに来た幣原を王全権は見つけて、人波をかき分けるようにしてそばに寄ってきて「よく来て下すった。ほんとに有り難い」と握手して涙ぐみ、「実は私は日本をひどく誤解していました。今度の会議で日本を理解し得たのは私の大きな所得です。今後全力を挙げて両国国交の改善のために尽くす決心です。孰れ又日本をお尋ねしますから、どうか元気でいて下さい。」と誠実を顔一面にこめて言ったといいます。(上掲書p241~246)

 大正期における日本外交の最大の失敗とされる「対支二十一箇条要求」問題は、実はワシントン会議において、このように双方納得いく形で円満に処理されていたのです。

 では、こうした幣原の外交処理について、近衛や森格あるいは軍部、さらには日本のマスコミはどのように評価したのでしょうか。その後、こうした幣原の対支融和外交、国際協調外交は、日本において激しい批判を蒙るようになりますが、それはなぜなのか。次回はこの点について考えてみたいと思います。

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