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2012年8月

2012年8月23日 (木)

東電「全面撤退」問題をめぐる私の総括――菅首相は東電が全面撤退しないことを知っていた!

東電全面撤退問題についてKH氏との論争を行いました。決着はつきませんでしたが、しかし、いくつかの新しい発見をすることができました。KH氏は、菅氏は福島第一現場の技術者や作業員が逃げるとは全く思っていなかった。菅氏が東電本部で”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴ったのは、単に東電本部の職員に対して”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”との覚悟を迫るものだった、というのです。そう解釈することによって、KH氏は菅氏を弁護しようとしているわけですが、これは大変おもしろい見方だと思いました。というのは、それによって次のような解釈が可能となるからです。

 菅氏が東電本部に乗り込み東電の社員に対して”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴った時、当時のマスコミは、それを「東電が福島第一の事故現場からの全面撤退=敵前逃亡しようとした」と解釈し報道しました。ほとんどの国民もまた、この時の報道をそのように受け取りました。ところが、実は、それは官邸の誤解で「一部退避」であることを菅氏は東電に乗り込む前に確認していたのですが、菅氏は、東電本部に設置された統合対策本部に行った時、「原発事故を起こした」東電に対する怒りの感情を爆発させ”東電に八つ当たりをした”という解釈が成り立つからです。

 私は、民間事故調、東電事故調、国会事故調、政府事故調の四つの報告書の関連部分を読んで見ましたが、これらの報告書に指摘された事実関係を総合してみると、どうも、この解釈が当たっているのではないかと思うようになりました。

 実は、こうした解釈は、東電が行った事故調査報告書の中で次のようになされ。。ていました。

 「清水社長が電話で海江田大臣に伝えた趣旨は、「プラント状態が厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい」というものであり、全員撤退などというものではなかった。

 しかし、この電話で清水社長が海江田大臣に「一部の社員を残す」ということを同大臣の意識に残るような明確な言葉を持って伝えたかどうかは明確でない。そして、海江田大臣は、清水社長が「撤退」ではなく「退避」という言葉を使ったことは認識していたものの、「全員が発電所からいなくなる」との趣旨と受け取り、官邸内で共有し、その旨を菅総理に伝えたようである。

 枝野官房長官の発言によれば、このころ福島第一原子力発電所の吉田所長に電話で意志を確認したところ「まだやれることがあります。頑張ります。」との返事であり、官邸側としても吉田所長は、全面撤退など考えていないことを確認したことを述べている。

 なお、吉田所長は最初から一貫して、作業に必要な者は残す考えであった。

<総理による清水社長への真意確認>
 清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るようにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。

 清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。
菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」
清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」
菅総理 「そうなのか。」

 いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このようなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するものであって、確かな事実であったと見られる。

 したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。

<当社本店での菅総理>
 4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。

 5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。

 清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度が理解できなかったことを証言している。

 また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。」

 これは、この問題の被告に当たる東電の証言なのですが、これに対して、逆に、東電を告発する立場をとったかに見える「民間事故調」は、次のように言っています。

「東京電力の撤退判断 14日夜から15日朝
 14日2号機爆発の危険が高まり、吉田所長は必要人員以外の退避も考えた。東京電力の清水社長は、福島第一原発からの退避を官邸に申し出た。東京電力側は全面撤退を意図した申し出ではないと主張しているが、直接電話で清水社長と話した海江田経産相、枝野官房長官、細野補佐官のいずれも全面撤退とび、受け止めている。菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。一時的に2号機の状態が安定し、注水が可能となった時でもあり、吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった。」

 しかし、ここでは、「菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。」とだけあって、東電報告書にある、菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」菅総理 「そうなのか。」という部分の会話が抜けています。

 続いて、「民間事故調」には、「吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。」とあります。これは、あたかも、二号機爆発後、吉田所長は「注水関係者も現場に残そうとしなかった」ので、菅首相が「残すよう指示を出した」かのようにも読めますが、「東電事故調」では、この部分について次のように記述しています。

<2号機の衝撃音と所員の一部退避/吉田所長らの残留>
 「その後、引き続き菅総理は本店幹部を本店対策本部が設置された緊急時対策室と廊下を隔てtた小部屋に集め質問等をしていたところ、6時14分頃の2号機で大きな衝撃音と震動(後の調査で4号機の建屋爆発と判明)が発生した。

 異変が生じたことから、本店・緊急時対策メンバーは緊急時対策室(対策本部)に戻り、発電所長との状況確認を再開した。なお、小部屋にもTV会議システム端末があり、現地の状況を知ることができる。菅総理は引き続き小部屋にとどまった。本店及び発電所の緊急時対策室では、2号の圧力抑制室が破損した可能性の報告、チャコールフィルタ付全面マスク着用の指示などがあり、6時30分、「一旦退避してパラメータを確認する(吉田所長)」、「最低限の人間を除き、退避すること(清水社長)」、「必要な人間は班長が指名(吉田所長)」などのやり取りがあり、吉田所長が一部退避の実行を決断、清水社長が確認・了解した。班長の指名した者の氏名は同発電所緊急時対策室のホワイトボードに書き込まれた。福島第一原子力発電所には、吉田所長を筆頭に発電所幹部、緊急時対策班の班長が指名した者など総勢約70名が残留した。

 6時37分、吉田所長から異常事態連絡発信(71報)『2号機において6時00分~6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、念のため対策要員の一部が一時避難いたします。』として通報している。菅総理は、8時半ごろ本店から退去した。」

 これは、2号機爆発に伴って「一部避難」を指示したことを示すもので、こうした判断がなされた現場に菅首相もいたわけで、氏がこれを承知していなかったはずはありません。

 続いて、「民間事故調」は、「菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。」と言っています。つまり撤退を阻止したと言うなら、その後に「注水関係者を現場に残すよう」菅首相が「具体的」な指示を出した、となるはずです(民間事故調にはこの言葉がある?)。ところが、その指示は「具体的な方策を伴った」言葉ではなく、ただ「強い危機感を主な根拠とするもの」だった、というのです。これは、言い換えれば、その時の菅首相の指示は、冷静な判断に基づくものではなく、「強い危機感を主な根拠とする」=「感情的な怒りの爆発」だった、ということを示しています。

 そして、その締めくくりとして、「しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と言っています。しかしここでは、菅氏の言葉は、「全面撤退を阻止した」ことより、「東京電力に強い覚悟を迫る」ものだったことに重点が置かれています。こうして、それが「今回の危機対応における一つのターニングポイント」となり「東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と積極的に評価しているのです。しかし、この部分についても、東電報告書では次のようになっています。

 「したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。」

 事件の真相解明をするには、このように原告と被告の両方から話を聞かないとダメだと言うことですね。そこで、これらの二つの報告書の後に出された国会事故調と政府事故調の二つの報告書も合わせて、さらに、この問題の真相に迫りたいと思います。

 まず、ここで留意しておいていただきたいことは、以上の二つの報告書を総合することで、菅首相の東電本部での発言は、福島第一の現場作業員が全面撤退することを阻止するために発言したものではないこと。菅首相は現場が撤退しないことは知っていて、従って、東電本部での発言は、「東電本部の職員に”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”と覚悟を迫るものだった」という解釈が可能になる、ということです。

 実際は、その時の菅首相の発言の調子はそのような解釈を許すものではなく、「吉田所長は、TV会議を通じて当時目の当たりにした菅総理の言動について「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」と記憶している」というようなものだったのですが・・・。

 吉田所長は、続いて次のように言っています。
「もともと全員撤退などは考えたこともない。私(吉田所長)は当然残る、操作する人間も残すが、最悪を考えて、関係ない大勢の人間を退避させることを考えた。」と証言した上で、一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」。

 これもおもしろいですね。「一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」と言っているのですが、これは、この時の菅首相の言動を直接聞いたものの感想として、それは「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」ということ。その後の一連のマスコミによる「東電全面撤退」報道は、実は「風聞」に過ぎないと言っていることです。

 つまり、この時の菅首相の言葉は「全面撤退阻止」という明確な意図を持ったものではなく、「怒り狂ってわめき散らしていた」だけだった、ということですね。この点については、この部分の菅首相の発言内容がビデオ公開されればはっきりするわけですが、どういうわけか音声が記録されていない。だが、その要旨は次のようなものだったといいます。

 「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ。撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ」

 これを見ても、どうも、この言葉を菅首相に言わせたものは、「何でこんなことになるんだ」という東電に対する怒りの感情だったのではないか。そして、その怒りにつられる形で、すでに清水社長に確認して誤解が解けたはずの「全面退避」という言葉がよみがえり、「撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」という東電叱責の言葉につながったのではないか。しかし、それが、東電の「全面撤退を菅首相が阻止した」とのマスコミ報道になった。実際、一般国民も東電社員もそのように聞いた。

 この部分の経緯について、東電は次のような見解を示しています。

 「5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した」ことについて、「前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。」

 おそらく、これが「真実」であって、菅首相は、この時、現場が完全撤退するとは思っていなかった。しかし、つい、怒りにまかせて発言したことが、ビデオ会議システムを通じて福島第一、第二の現場作業員にも聞かれてしまった。また、それが、菅首相が東電の「全面撤退」を阻止した話として、一斉にマスコミ報道されることになった。で、このことに気づいた菅首相はその後どうしたか。KH氏が言うように、現場が撤退するとは全く思っていなかったのなら、その「風聞」を消そうとしたはずですが。

 だが、菅首相が積極的にそうした誤解に基づく「風聞」を消そうとした形跡は見えません。そのため「東電が全面撤退しようとしたのを菅首相が叱責しそれを阻止した」という「風聞」は残り続け、その真偽を廻って、各事故調査報告は膨大な時間が費やすことになった。この間の経緯について、菅首相はその後の国会答弁で次のように説明しています。

<総理による清水社長への真意確認>
(平成23年4月18日、25日、5月2日の総理自身の国会における「撤退問題を廻る菅首相と清水社長とのやりとり」に関する答弁。東電事故調に紹介)

 菅氏発言「そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだと言うことを言われました。(4月18日 参議院予算委員会)」、「それで社長にまず来て頂いて、どうなんですか、とても引き揚げらてもらっては困るじゃないですかと言ったら、いやいやそういうことではありませんと言って。(4月25日 参議院予算委員会)」、「社長をお招きしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりではないけれどもという話でありました。(5月2日 参議院予算委員会)」との総理答弁がなされており、菅総理自身が、官邸での清水社長の真意確認をしたところ、撤退ではないと聞いたという認識を示している。」

 つまり、菅首相は、東電本部に乗り込む前に、東電が全面撤退する意志はないことを確認していたのです。しかし、そうであれば、これ以降も同様な答弁をすればいいと思うのですが、これが途中で言い方が変わります。これは、9月7日、枝野氏が、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」といい、この時の菅首相の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した(2011年9月8日09時14分 読売新聞)」ことが端緒になっているように思われます。

 こうして、この問題に関する菅氏の答弁内容が変化しはじめます。東電事故報告書では次のように言っています。 「しかしながら、夏以降の菅総理のインタビューなどでは、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、例えば、別紙1<発言抜粋6>に示す平成23年9月の新聞社のインタビューでは、「そして、東電の清水正孝社長を呼んだ。撤退しないのかするのかはっきりしない。」と、社長の意志は不明確であったとしている。

 また、平成24年5月28日の国会の事故調査委員会での関連の答弁を別紙1<発言抜粋7>に示す。この答弁においては、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、「私が撤退はありませんよと言ったときに、そんなことは言っていないとか、そんなことを私は申し上げたつもりはありませんとかという、そういう反論が一切なくてそのまま受け入れられたものですから、そのまま受け入れられたということを国会で申し上げたことを、何か清水社長の方から撤退はないと言ったということに少しこの話が変わっておりますが、そういうことではありません。」としているが、清水社長に全面撤退の意志はないことは示されている。また、吉田所長に関しても現場対応を継続する意志であることは知っていたことが示されている。」

 以上の記録を総合すれば、菅首相らの当初の「東電が全面撤退する」との思い込みは、官邸の誤解であり、菅氏はそのことを東電本部に乗り込む前に知っていたことが分かります。しかし、途中で彼らはこの事実をぼかし始めた。その意図は、この時の枝野氏の発言に現れています。おそらく、この時枝野氏は、「全面撤退」が官邸の誤解であったことが、その後の調査で明らかになることを見越して、そうした発言の責任を東電に負わせると同時に、菅首相の叱責が、「結果的に・・・東京電力に強い覚悟を迫るものとなった」と評価される道を切り拓こうとしたのではないかと思われます。

 それが、先に紹介した「夏以降の菅首相の答弁の変化」となって現れたのではないか。そして、この戦略にまんまと引っかかったのが、「国会事故調」と「政府事故調」だったのではないか。というのも、この二つの調査報告書は、この東電の全面撤退問題の焦点となる論点を、「全面撤退という誤解はなぜ生じたか」という些末な問題に絞っているからです。その結果、前者の結論は官邸の誤解は「東電の黒幕的経営」の所為だといい、後者は、「(なぜこうした)認識の違いが生じたのかについては、十分解明するに至らなかった。」と締めくくった。

 しかし、この問題の焦点は①官邸と東電の間になぜ「全面撤退」という誤解が生じたか?ではなく、②こうした「全面撤退」の誤解は解けていたのに、なぜ、菅首相はあのような「全面撤退を非難するかのような発言をしたのか?だったのではないか。それを隠蔽し問題を①に局限したのが枝野氏で、これによって、官邸が「誤解」した責任を東電に転嫁し、最悪でも「解明不能」とすることができる。さらに、菅首相の発言が誤解に基づくものであったとしても、その動機は”純粋”で、結果的に、「東京電力に強い覚悟を迫る」ことになったのだからいいではないか、との評価につなげようとした。

 だが、騙されてはいけない。真実は、菅首相は、東電本部に乗り込む前に「全面撤退が自分らの誤解である」ことを認識していた。しかし、新たに設置された東電の統合対策本部に乗り込んだ時の菅氏の感情は、事故を起こした東電に対する怒りの感情に満ちていた。その憤怒の感情が、先に官邸が持っていた「全面撤退」という(誤解の)言葉を呼び覚まし、それが、その後の一連の発言となって爆発した。しかし、それでは、単に首相が”かっとなって暴言を吐いた”だけになるので、そこで、上述したような枝野氏の戦略に乗って、官邸が「全面撤退は誤解」であると認識していた事実を”ぼかす”戦術に出たのではないか。

 KH氏との論争は、以上のような新たな判断を私にもたらしてくれたという意味で大変有意義でした。それにしても、もしこれが事実だとしたら、なかなか巧妙な作戦ですね。官邸の誤解を「東電の黒幕的体質」の所為にすることもできたし、それは東電バッシングの世論に合致するし、さらに、菅氏の東電本部での「侮辱的発言」も東電の所為にできるし、仮にそれが誤解に基ずくものであると分かったとしても、結果的に、それが「東電に強い覚悟を迫る言葉」になったという理由で、これを評価することもできますからl。

 だが、真実は一つ。菅氏は単に”カッとなって東電社員に当たり散らした”だけではなかったか。菅首相は「全面撤退」などないと知りながら、東電に対する不満を怒りにまかせて爆発させた。世間には、これが「菅首相が東電の敵前逃亡を阻止した」と発言と受け取られた。いうまでもなく、これは、死力を尽くして事故対応に当たっていた東電社員に対する最大の侮辱だったのですが、氏はその責任をほっかむりしたまま、彼らを踏み台にしたまま、自分だけがヒーローになろうとした。

 しかし、その後の調査で自分たちの「誤解」がばれそうになった。そこで、その「誤解」を東電の所為にすることで、上述したような逃げ道を作ろうとした・・・。呆れた話だと思いませんか。普通の人間だったら、自分の言動がマスコミに誤って報道された事を知った時点でそれを訂正し、相手に非礼を詫びるものです。菅首相等はそれをせず、自分らの「誤解」も東電の所為にして、自分たちだけヒーローになろうとした・・・こんなこと見過ごされていいものでしょうか。


2012年8月15日 (水)

「全面撤退」問題に対する菅氏の対応の評価及び山本七平の「純粋人間」「空気」概念の理解の仕方を廻るKH氏との論争3

次のKH様のコメントhttp://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3079.html#comment-91648040に対する私の意見です。長文のため本文掲載としました。

KH様へ
>>ベンダサン名の著作はユダヤ人ホーレンスキーと山本七平の合作で、ただし著述の視点は後者のものですが、理論構成上は山本七平がその中心的役割を果たしていたのではないかと私は見ています。従って、『日本教について』において、5.15事件の青年将校等を「純粋人間」と規定した時、その思想的文脈として想定されていたものは、当然『現人神の創作者たち』で開陳された思想的系譜があったものと思われます。

>これは非常に興味深い分析ですね。私もベンダサン名の著作は山本氏と完全にイコールではないような気がしていましたので。というのは「日本人とユダヤ人」及び「日本教について」に限ると、日本人の発想では及ばないような視点があるような気がしていました。ところが同じベンダサン名でも「日本教徒・・・」についていうと、これは明らかに後期の山本氏の著作(「現人神・・・」など)と非常に近く、前二作とは質的に違っているような気がしています。だとすると、「日本教について」の天秤の世界や純粋人間という概念は果たして山本氏の独創といえるのであろうかという疑念が生じます。

tiku 『日本人とユダヤ人』はローラー博士、ホーレンスキーと山本七平の対話をホーレンスキーの奥様が日本語訳し、山本七平が「編集者以上の仕事をして」それを一冊の本に仕上げた。その編集の基本的視点は「ユダヤ人から見た日本人」。ただし、山本自身にも「ユダヤ教」から見たキリスト教に対する懐疑あるいは批判があったのでそれが反映された。

 『日本教について』はホーレンスキーと山本七平の合作だが、ユダヤ人ホーレンスキーの視角で書かれた。その後の著作は、ホーレンスキーの意見を参考にしつつ次第に山本七平に著述の比重が移って行った。というのも、ローラーもホーレンスキーも日本語の古典は読めなかったから。といっても日本史特に昭和史に関する専門的知見は両者とも相当に持っていたものと考えられる。

 問題は、これらの書物の著作権の設定がどうなっていたかということで、山本は『日本人とユダヤ人』については自分にはないと繰り返し言明していたが、どうやら、ベンダサン名の著作は、原始キリスト教に関心を寄せていた山本の「分身」の著作と考えられる。なお、「てんびんの論理」や「純粋人間」等の概念が山本の独創によるものか、との疑念ですが、『日本教の社会学』では、山本は小室との対話で、それが自分のものであることを否定していません。

>私は貴殿のように山本氏の全貌を深く知る者ではありませんが、いままでに読んだ書物の中では「日本教について」がもっとも面白く、ユニークかつ洞察力があふれた傑作であると感じております。それに対して、貴殿が評価する「現人神の創作者」は、むしろ私にはやや平凡であり、既存の学者が書いたものとあまり変わらないような印象があります(学術的に高く評価されるのは分かりますが)。

tiku 既存の学者とは丸山真男の他に思い浮かびませんが、丸山は朱子学の正統論を革命のエトスに転換し、それへの忠誠を個人倫理にまで高めた、浅見絅斎の思想系譜の流れの重要性を十分認識できなかった。しかし、その思想的系譜がなければ、国学が後期水戸学に発展し、それが倒幕の論理に発展するという奇想天外なパラドックスが生じたことの説明ができない。

 山本は、『現人神の創作者たち』でこの事実を指摘したのです。丸山はこの部分を見過ごしたために、この思想的系譜の流れが生むことになったファナティシズムの正体を掴み損ねた。そしてそれを国学的思想的伝統に求めた。それが氏の戦後の天皇制批判につながったのです。

 山本は、丸山のその間違いを『現人神の創作者』によって指摘し、その思想が、その後の「現人神の育成者」や「完成者」たちによって完成され、昭和の「現人神思想」を生んだ、としたのです。従って、こうした思想的系譜を知れば、それを克服することは可能なこと。同時に、その「現人神思想」を担った主犯は「国学」の思想系統には認められないことを指摘したのです。ここに山本の、丸山とは異なる天皇制理解があるのです。

>>ただ、この「私心のない人間」と言う言葉を「自己を他人のために犠牲にする人々」という風に言い換えると、キリスト教の「愛」の観念と変わらないことになり、意味が拡散してしまいます。

>私は必ずしも拡散するとは思いません。日本教が宗教であるゆえんはまさにそこにあるといえるからです。明治の内村鑑三や新渡戸稲造はクラーク博士の感化により、クリスチャンになりましたが、クリスチャンの本場であるはずの米国へ行って逆に失望しています。彼らは日本の伝統の方がはるかにキリスト教の教えに近いと感じたようです。

tiku 「自己を他人のために犠牲にする人々」の精神がどういう思想あるいは宗教的信条によって支えられているのかを問題にしているのです。その意味で、武士道的個人規範に、本場のキリスト教の説く「自己犠牲的精神」より遥かに純粋な「自己犠牲の精神」を見た新渡戸稲造のような人も明治には居たわけで、吉田氏等の示した「自己犠牲の精神」も、本人たちは無意識であっても、そうした伝統から生まれたものかもしれません。

>・・・それ以外にも「純粋人間」はいくらでも出現可能であり、天皇と同様に現人神のような「侵すべからぬ神聖な存在」になりうるのです。その一人がたとえば吉田所長です。吉田所長は命をかけて日本の破滅を救った英雄として評価されていますから、彼はまさしく「侵すべからぬ存在」になっているのです。これは実は怖いことです。彼がもし嘘を言っていたとしても、誰もその嘘を見抜けなくなるからです(もちろん、私は彼が嘘を言っていると思っているのではありません)。

tiku このあたりの純粋人間と天皇制の関わりは前便で説明しましたので参考にして下さい。英雄視された人間の嘘は見抜きにくくなる、と言う一般的傾向はあるでしょう。でも、吉田氏の言葉に嘘があるとすれば、それはどの部分でしょうか。”実は逃げようと思っていたが菅氏の叱責を受けて逃げるのを諦めた”ということになるのでしょうか。このあたりは文章読解力の問題で、私は吉田氏の発言からそういった嘘の臭いをかぎ取ることはできませんでした。

>橋下氏の人気の秘密について言いますと、彼は大阪府知事になって以来、寝食を忘れてその仕事に没頭している姿が多くの人の共感を誘っています。たとえば彼のブレーンの一人である大前研一氏によると、夜中の3時ぐらいにもどんどん質問のメールが届いて驚かされたと書いています。

tiku 最近は随分大人になって冷静な議論ができるようになっているようですね。

>それとあと貴殿がいうように、日本教においては「純粋人間」の資格は、より上位にある「純粋人間」である天皇に対して忠誠心をもつということも不可欠なのかもしれませんね。その意味では学生運動家や美濃部亮吉らは疑似「純粋人間」ではありえても、日本教徒が本当に認める真の「純粋人間」ではないと考えられます。そのあたりは、むしろベンダサンの見解は自家撞着に陥っているのではないかとみることもできます。

tiku この「純粋」と言う概念は繰り返しになりますが、理想と目されるある先進思想への忠誠と献身の度合いを意味する言葉なのです。問題は、その先進思想の中身がどういうものか、と言うことですが、その厳密な検討がなされているわけではなく、ただその思想が漠然と尊皇思想の唱える一君万民平等の家族主義的国家観らしきものであることが疑われるのです。だから、それが一君であるスターリンや毛沢東の神格化となって現れたのです。

 なお、天皇が日本人の純粋信仰を体現するというのは、象徴天皇制の思想的根拠を明らかにするものと言えますが、しかし、その純粋性=無私の精神を支える具体的な思想が明治されているわけではありません。ただ、国家統合の象徴とされているだけです。その曖昧さが問題となるわけですが、このあたり、日本人の文化的伝統の再把握の問題で、もし、現段階が「創世記」の段階にあるとすれば、この仕事の完成には数世紀を要することになりますね。

>補足ですが、菅氏についていうと、彼が総理時代に果たした業績やその「私心のなさ」(貴殿は否定されるでしょうが)をみれば、彼もまた十分に「純粋人間」の資格があると考えられますが、ところがなぜ多くの日本人は彼を評価しないのかというと、彼が進歩派的人間であり、天皇を中心とする日本教に忠実であるとは到底思われないという点にあるのではないかと、私は感じます。貴殿がそれほどまでに菅氏を否定する理由もそれ以外に私には考えられません。

tiku 5.15事件で純粋人間と目され世論の圧倒的支持を受けた青年将校等は、尊皇思想の絶対的信奉者で、その思想に基づいて現体制を憂い、自らをその被害者と規定し、体制派と目される犬養首相宅に軍服を着たまま多数で土足のまま乗り込み、話を聞こうとする老首相を問答無用で射殺しました。

 そうしたファナティックな思想的行動は、ベンダサンによると、「第一なぜこの老首相が殺されたかのか、その理由が分からない。さらにこの殺害は暗殺とはいえず、さりとて決闘とはもちろんいえず、強いていえば謀殺であり、また小反乱もしくは小型クーデターの一面もあります(そう考えるには全く無計画)が、なんとも理解に苦しむ事件です。しかしいずれにしても、人類史上、最も卑劣な事件の一つであるとはいえます」ということになります。

 しかし、これを卑劣と非難する声は当時ほとんど聞かれず、逆に、彼らの行動が「純粋」であるとして、全国からその減刑嘆願書が裁判長の許に届けられたのです。さらに驚くべきことには、この事件の主犯が、戦後堂々と参議院議員に立候補した。

 ベンダサンは、暗殺犯人が上院議員に立候補した例を知らないといい、これも人類史上特筆大書すべき「無知の典型」かも知れないといっています。といいながら、それは西欧的論理に基づく判断であって、日本的条理によれば、日本人は、法の適用の前にその人物の「純粋度」の審査があり、これによって判決の多寡が左右されるといっています。

 ベンダサンは、このような、「人物の純度」を物差しとした人物判定の不可解さを、「てんびんの論理」という日本教の論理構造を示すことで説明したわけですが、この論理構造の思想史的系譜を明らかにしたのが『ベンダサンの日本の歴史』(後に『山本七平の日本の歴史』に改題)と『現人神の創作者たち』でした。この段階で、『日本教について』で指摘された日本的思考の欠陥は、それを対象化することによって克服可能であることが明らかにされたのです。

 つまり、日本教における「純粋度」の評価は、実は江戸時代の朱子学の正統論への忠誠の度合いと言う意味での「純度」評価であったと言う事。それは朱子学の正統論が絶対的権威と見なされた時代の日本の知識人の心的態度だった(マルクス主義に対する戦後知識人の態度と同じ)。さらに、そうした朱子学の正統論が国学と結びついて天皇の正統論へと転化し天皇の「現人神」化が用意され、さらにそれが、天皇を中心とする「一君万民平等の家族主義的国家観」に発展したことによって、明治維新期の尊皇思想が完成したのです。

 だが、こうした尊皇思想に基づく国家観は、実はそれほど根の深いものではなく、むしろ山本七平のいう「後期天皇制」に基づく「象徴天皇制」、その権威下により機能的な政治権力の執行体制を組むという、いわば二権分立的な日本の政治体制の方がより伝統的ということができるのです。そうした政治体制下で育まれた武士のエートス、主君に対する忠誠から自らの職務に対する忠誠、それが日本人の天命に対する忠誠となって、日本人の個人主義的規範意識となって、今日の日本人にも受け継がれている。

 そういう意味では、日本人の純粋信仰は、その信仰対象が何であるかを検証することで、容易にその真否を検証することができます。私が菅首相に対して批判的なのは、氏の本当の思想が何であるか一向に分からないこと。いつも勝者の位置に立とうとすること。独りよがりで他に対する思いやりがないこと。何より、その言葉が冷酷であるためです。もちろん、氏の本当の思想を知り、その思想への”純度”でもって氏を評価する人もいるわけですが、私は、”純粋”ではなく言葉でもって人を評価したいと思います。
  
>私自身も日本人であるかぎり日本教徒であることを免れないのかもしれませんが、しかし日本教の危うさをわれわれはその真実を知りえた人間として訴えていかなければならないのではないでしょうか?その危うさというのは人間を神とすることであり、そして論理ではなく日本教の条理でしか考えられないという異常性です。何が正しいかという判断を迫られる時に、論理的に考えずに無意識のうちに日本教の教義によって考えてしまう。その結果、重大な判断ミスを犯してしまうという危険が常にあるのだと思います。

tiku この点は全く同意見です。ただし、日本人の「現人神」観念は、日本神話に基づく皇統の連続性を表現しただけで、唯一絶対神を意味するものではありません。しかし、天皇を神格化しその威光によって自らの権力を絶対化しようとした人々がいたことも事実です。また、戦後も地上の絶対者に自らの心を託した多くの人々もいました。百人斬り競争や慰安婦問題で虚報や誤報を垂れ流し、それを未だに訂正しない大新聞もいれば、それを放置し続ける政治家もいる。

 山本七平が繰り返し述べたように、”言葉によって未来を構築する”論理的な力を、日本人は身につける必要がある、ということですね。

2012年8月14日 (火)

「全面撤退」問題に対する菅氏の対応の評価及び山本七平の「純粋人間」「空気」概念の理解の仕方を廻るKH氏との論争2

長文ですので本文掲載とします。

次のKH氏のコメントhttp://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3079.html#comment-91637446に対する私の反論です。

KH様
>>私が全面公開というのは当然音声も含めてです。どこに音声抜きでいいと書いていましたか。

>そんなことあたりまえでしょう。

tiku あたりまえだと分かっているなら、私に対する反論として同じことを繰り返さないで下さい。

>>原発を止め続け、自然エネルギーだけで原発停止により失われた全電力を補完しようとすれば、それが可能になるまでは、国民生活を昭和45年代(1960年ではなく1970年でしょう)の水準まで落として下さい、と言っているのですね。誇張はあると思いますが、それほどの不見識とも思われません。

>そもそも誰がいったい自然エネルギーだけで電力をまかなえるなんてことを考えているでしょうか?菅氏がそんなバカなことを言いましたか?西岡氏のその発言をみただけで、彼が電力供給の実態についてまったく分かっていないということが明らかでしょう。

tiku では、西岡論文の本文を全文見てみたいと思います。いささか長文になりますが・・・。

国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか
  参議院議長 西岡武夫
 はじめに
「イタリア」の脱原発の中身と日本の現実
 イタリアの野党民主党トップのベルサニ書記長は、先の原発、水道事業の民営化等についての国民投票の結果を受けて、「イタリア国民とベルルスコーニ政府との離婚は確定した」と述べました。
  しかし、イタリアは、自国内の完全な脱原発を決めたものの、国内電力の20%をフランスの原発から輸入しているのが実態です。さらに、石油は中東から、天 然ガスはアフリカに依存しています。それらが、電力料金を高騰させ、イタリアの国民、企業を直撃しています。これが、イタリアの急速な脱原発政策の実態で す。
 同じく脱原発を公式に決定したドイツの場合は、優れた科学技術によって自然エネルギーの活用を今後の基本としつつも、現時点での風力発電量は2%です。
 一方、環境問題をさておけば、国内に石炭の埋蔵量(採掘可能な400億トン)を有し、石炭火力による発電が全電力の44%を占めていることを忘れてはいけません。
 さらに、イタリアと同様にフランスの原発の送電網との直結が有ります。
 これらの実態と比較して、日本の置かれている厳しい現実を考えれば、現時点で、「脱原発」という単純なものの言い方を内閣総理大臣が軽々しく口にすべきではないはずです。

エネルギー政策の基本と今後の政策
 国政における政策の基本は、第一に、「国民の生命」と生活を護り、その財産と領土を守るということです。
 当然、原子力エネルギー政策も、福島原発事故後、根本から再検討すべきです。なかでも、3月11以降、これからのエネルギーの大宗(たいそう)が自然エネルギーに移ったことは事実です。
 問題は、その転換の進め方なのです。
 原子爆弾投下の瞬間を自分の目で見た私にとって、「放射能」という三文字には、特別の響きがあります。
 私は、原爆投下による爆風と放射能・放射線が一瞬にして7万余(その中に私の親戚も)の命を奪った郷土長崎の惨状を見、その後、与党の被爆者対策の責任者として取り組んできた唯一人の現職の国会議員です。
 その私が、原発事故以来、4カ月余の菅首相の姿勢と言動に、強い憤りを覚えています。
 日本の原発は、もともと世界最高の技術で造られ、最高の運転と保安技術に支えられていたはずです。
 ここで、一つ忘れはいけないことは、今回の原発事故に対する菅首相と東電の初期対応に大きな誤りがあったことが、未(いま)だに厳しく検証されていないことです。
 この検証が、速やかに正確詳細になされることから、日本の新しいエネルギー政策が出発するのです。
 この検証がなされないまま、万一、菅首相の「脱原発」のスローガンに基づく菅首相の[現時点の考え]によって、エネルギー政策が進めばどうなるでしょう。確実に、来年の春には、日本に原子力エネルギーは、存在しなくなります。 
 その時点で、日本は、総電力の3分の1から少なくとも4分の1を失います。日本には、イタリアやドイツのように、替わりの電力を得る手段はありません。

原発事故対応の失敗と、誤魔化し
 東京電力福島第1原発の事故に当たっての初動に、首相として、判断と対応に失敗した菅首相は、年頭に「原発の輸出を声高らかに掲げた政策」から、一転して、何の準備もせず「脱原発」を唱え出しました。
まさに、疑似市民運動の野望家らしい菅首相の振る舞いです。
 ここで、さらに、重ねて、「場当たり政治家」らしい失敗を、菅首相はしました。「浜岡原発停止の要請」です。
 この場合、「要請」であって、「命じて」はいません。これは、法律に準拠するとか、しないとかの問題より、優れて「首相の発する言葉と政治的重さと責任」の問題です。
 今回の問題点は、その言葉に、政治が最終責任を取らない、菅政治の本質が見える、ということなのです。
 菅首相の発想が場当たりであることは、ここでも、証明されています。
 なんの準備もない、突然の「浜岡原発停止」は、現在、定期点検で停止中の原発再開を、当然、困難に陥れました。
 「脱原発」は、福島第1原発事故後、国民に受け入れ易(やす)いスローガンです。
 菅首相の言う、「太陽光エネルギー」も「風力」も「バイオ」も「地熱」も、10年単位で、実現していく、また実現させなければならないエネルギー政策です。
脱原発は国政選挙の争点になり得ない
 菅首相は、6月28日の民主党両院議員総会において、真顔で、次の衆議院総選挙の争点は、脱原発についてのエネルギー問題だ、と述べています。
  菅首相が、いま、総選挙とその課題を述べること自体、噴飯ものですが、現時点で、各政党とも、今後の日本のエネルギー政策は、原発から自然エネルギーに転 換する、という方向性では、大きな対立はない、と思います。問題は、それを推進して、どれだけの期間で、どれだけの電力を確保できるのか、という肝心のこ とが、菅首相によって示されていないことです。
 さらに、自然エネルギー活用の拡大と効率化によって、需給をバランスさせる地産地消型と、大規模発電が必要な基幹エネルギーとの組み合わせをどう するか、を環境問題との関係で、どう考えるかなのです。これは、選挙というより、国会の場で論議されるエネルギー政策の具体的内容の問題です。
 今後、10年単位のかなりの期間、日本は、より強い安全管理の下で、原子力発電を必要とします。
 エネルギー政策については、国会論争において激しい対立があるとすれば、原発の電力事業主体をどう考えるか、という論点と、発電と送電の分離問題だろう、と思われます。
 菅首相が夢想し、猿真似(さるまね)を考えているかもしれない、小泉純一郎首相の「郵政解散」のごとき明快な対立軸など、もともと軸のない菅首相の下では存在しないのです。
http://hightree.iza.ne.jp/blog/entry/2355631/

【西岡議長論文】
(2)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか
2011.7.12 18:28  産経新聞

(1)「イタリア」の脱原発の中身と日本の現実

支離滅裂な菅首相の原発政策
  日本では、現在ある「54基」の原子力発電の内、平成23年6月末時点で、「17基」しか稼働していません。定期点検中の原発は、再開困難であり、いま稼 働している「17基」が、定期点検に入ったら、前記のように、日本は、全電力の約26%の電力を一気に失うことになります。
 この一文を書き始めた6月30日、定期点検を終了した九州電力の玄海原発の再開について、佐賀県知事と地元の町長が承認した、とのニュースに接しました。
 九州電力の電力需給逼迫(ひっぱく)は、浜岡原発からの60万KW(毎時)を失って以来、厳しいものがありました。
 ところが、原発再開という難題を海江田経済産業大臣が、地元の説得に成功したかに見えたその時、菅首相は、またもや、突然、「ストレステスト」の必要性を言い出し、海江田大臣の努力は水泡に帰しました。
 なぜ、菅首相は、海江田大臣が玄海原発の地元に説得に行く前に、その方針を出さなかったのか、理解不可能です。
 このように、自然エネルギー推進の道筋と段取りを説明せず、菅首相は、「脱原発」という単純な問題提起で、誤魔化(ごまか)そうとしても、全くの「まやかし」であることは、すぐに証明されることになりました。
 菅首相は、「ストレステスト」を言い出したタイミングの悪さに批判が集中するや、なんと、7月8日には、定期点検後の原発再稼働時の場合は、「簡易テスト」という方針を打ち出したのです。
 この方針の中身には、新規に建設した原発、事故を起こした原発の再稼働時、建設後長期になる原発については、本格的な「ストレステスト」を行うことが書かれています。
 「本格的なストレステスト」の内容とはなにか、「簡易テスト」とはなんなのか、菅首相がお分かりのはずですから、自ら、国民の皆さんに、ご説明になる責任があります。
 6月29日、東京電力の供給量約4900KW(毎時)の93%まで、電力消費量が上昇しました。現時点で、東京電力の最高供給電力量は、約5500KW(毎時)前後と思われます。
 日本列島は、6月末から、既に、猛暑、酷暑に襲われています。
 この夏のみならず、日本全国の一年を通じた電力需給を、菅首相はどう考えておられるのか、これも、国民の皆さんに説明される責任があります。
 ところが、菅首相は、脱原発を金科玉条の如くスローガンにして、一方で、定期点検が終了し た佐賀県玄海原発の再稼働について、県と地元の自治体を説得に行ったのは、海江田経済産業大臣でした。原発エネルギーについて責任を持つ海江田大臣に、十 分な相談もなく、停止させた後の対策と他の原発への対応も全くしないで、菅首相が、浜岡電発の停止要請をしたことは、周知の通りです。
 菅首相が「脱原発」担当で、海江田経済産業大臣が、至難な「休止中の原発の再稼働要請」担当とは、一体如何(いか)なる政府か、と思わない国民はおられないでしょう。

電力使用制限令の発動
 7月1日から、菅内閣は、東京電力と東北電力管内に、電気事業法に基づく電力使用制限令を発動しました。 
 私は、ここに至るまで、この事態を招いた菅首相がどれだけ制限令回避の努力をされたのか疑問に思っています。
 3月の下旬頃から、私は、天然ガスを燃料とする小型のガスタービン発電機などを数多く設置することや、水力発電に余裕はないのか、などを記者会見を通じて公に提案してきました。
 菅首相は、ご自分の場当たりな浜岡原発停止要請が、今回の制限令に直結していることを自覚されているのだろうか、と私は思います。
そのことが、大口需要企業を苦しめ、日本経済回復の勢いを削(そ)ぐ事態になっているのです。
 こうした中で、企業などの自家発電機の燃料について、当分の間、課税しないなどきめ細かい施策が必要だと考えます。
 とくに、今回の電力使用制限令を、東日本の被災地において、ようやく立ち上がろうとしている町工場にまで適用するというのは、政治ではありません。電力使用量にかかわらず、直ちに適用除外すべきです。
 一方、今後の電力料金値上げは必至で、全産業と国民生活をも直撃します。
菅首相は、現時点で、電力の供給力について一体どのように考え、具体的な対策を持っておられるのか示す責任があります。 
 今回の電力使用制限令発動は、37年前の第1次オイルショックの時、全国の電力会社管内を対象に発令して以来のことです。
この罰金が科される強制措置は37年前の場合、第4次中東戦争勃発後、石油の供給が逼迫(ひっぱく)し、石油価格が高騰した結果、不可避の措置でした。
 当時、田中角栄首相が、電源三法の制定を始め石油備蓄の計画から、トイレットペーパーに殺到した人々への対応に至るまで、獅子奮迅の努力を先頭に立ってされたことを、私は、自分の目で見ています。
 その時、昭和生まれの自民党若手議員で組織した「昭和会」が、石油危機に対する提言をまとめた文書を、田中首相に手渡したことも記憶新たなものがあります。
 一方、今回のエネルギー危機は、明らかに菅首相が福島第1原発事故直後に初動ミスを冒(おか)したことが発端となりました。
そ の上、前記のように、菅首相は、30年以内にマグニチュード8以上の地震が起こる確率が「87%」とした政府の地震研究機関の予知を根拠に、不用意な浜岡 原発に対する運転停止要請を行ったことが、エネルギー危機を決定的にしたのです。菅首相が、「全原発の廃炉、脱原発の運動」を鼓舞したのです。
 原発の定期点検を終了しても再稼働を延期している原発が7基、今後数カ月で定期点検に入る原発は6基という実態を、菅首相が知らない、とは信じ難いのです。
 こうして、菅首相は、日本全国の電力供給を重大な危機に陥れているのです。
 ちなみに、福島原発の立地地域について前記の地震研究機関は、「大地震の確率」を「ゼロ%」と、予知していました。

 菅首相が、後一年も経ないで訪れる重大な電力危機を放置し、有効な対案を出さず、手をこまねいているのなら、全ての国民の皆さんの前で、テレビで呼びかけてください。
 「皆さんの生活は、今後長期にわたり昭和45年代 (1960年)の水準に戻ります」。 「その生活は、電 気冷蔵庫も空調機器も電気洗濯機も浴室の給湯器も電子レンジもなく、暖房は火鉢と石油ストーブと湯たんぽです」。「いつになるか不明で すが、自然エネルギー によって全ての国民生活が現時点に戻るまで我慢してください」。と。 しかし、それだけでは済まないのです。
 日本経済は、菅首相の対案なき「脱原発」の掛け声によって、国民生活とともに、大打撃を受けます。
 このことは、東日本大震災の復興、新たな建設にも大きな打撃を与えます。
  根本の原因は、国内の電力不足ですが、輸入エネルギーの価格高騰によって、日本の国際競争力は極端に低下します。有力生産拠点の外国転出によって、日本の 産業空洞化が一層急激に進みます。当然、失業者は、さらに増大し、消費は落ち込み、年金、医療、介護などの日本の社会基盤は崩れ「日本経済沈没」の危機は 現実のものとなります。

菅首相の責任回避の政治手法
 福 島第1原発事故以来、菅政権は、一貫して「要請」の二文字を繰り返しました。これは、一見穏便に聞こえますが、実は、首相が要請することは、地方自治体に とっては、事実上「やるべし」と言われたことになります。そうして、「要請」という用語は、その結果について首相は責任を取らない、という意思表示でもあ ります。
 特に、原発から20キロから30キロの住民に対する菅首相の姿勢は、「福島県民の命の安全をも自分で決めろ!」という「鬼の政治」に終始したのです。
 その上、菅首相は、避難指示の誤りによって、乳幼児、児童生徒を始め県民の多くを、避けることのできた放射線量の下にさらす曝す結果を招きました。
  この非情な政治は、福島第1原発から遠く離れた地域の農作物や畜産、魚類にまでおよび、「安全だけれど念のため」というただし書き付きで、政治責任を巧妙 に逃れる、という言語道断な指示、要請を繰り返してきたのです。この政府の姿勢が、「風評被害」という関係者にとっては、持って行き所のない状況をも助長 したことは否めません。
 これこそ、私が、参議院議長という職を賭す覚悟で、菅首相を厳しく糾弾している大きな理由の一つです。
http://hightree.iza.ne.jp/blog/entry/2355634/

【西岡議長論文】
(3完)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか
2011.7.12 18:30  産経新聞

(2)支離滅裂な菅首相の原発政策

議院内閣制の危機
 東日本大震災対応の遅れと、福島第1原発事故に対する初動の失敗と、目に余る情報隠しをめぐって、世論の多くも、政権与党幹部も、早期退陣を菅首相に求める、という異常事態を惹起(じゃっき)しています。
 一方、民主党内の動きを横目に、菅首相は、自分の使命だ、などと頓珍漢な言を弄して首相の座にとどまり続けているのです。
 延長した今国会の会期末は、8月31日ですが、このままでは、そこも菅首相が辞職することはないでしょう。
 この事態を、このまま放置すれば、政治体制に対する国民の不信は高まり、議会制民主主義と議院内閣制そのものの制度としての欠陥が指摘され、政治が機能不全に成りかねないのです。
 菅首相は、いま、あたかも独裁者の如く立ち回っています。
 私には、民主党という政権与党は、菅内閣では不要な存在の如く野党には映っているように思えます。
 自民党の長期政権下において、歴代の幹事長、総務会長、政調会長、参議院議員会長、国会対策委員長「5役」の意見、中でも幹事長との意見が一致しない内閣は、一部の例外を除けば、立ち行かなくなっていました。
 菅首相にとって、いまや、与党は、例え騙(だま)してでも、議員の数さえそろえば、それで十分だ、という位にしか考えていないのでは、と思えるのです。
 菅首相は、自分が任命した大臣の存在も無視し、与党の考えも軽視し、政党政治など頭にない、という風情です。
 議院内閣制の危機と思うゆえん所以(ゆえん)です。

菅首相を確実に辞任させる最後の手段
 では、どうすべきか。
 政治判断が狂気と思われかねない「首相」を誕生させてしまった、政党政治の現時点に於(お)ける民主党の責任の取り方は、どうあるべきだろうかを考えてみました。
 敗戦後に起こった最大の国難に直面して、政治の信頼失墜と無責任、無力ぶりを前に、政党の浮沈など自業自得で些(さ)細(さい)な事柄です。
  民主党議員は、東日本の被災者、未(いま)だ避難生活を強いられておられる皆さん、被災された中小零細企業の皆さんと、改めて心を一つにしましょう。そう して、日本の将来と、今に生きる国民のため、特に子どもたちのため、たとえ党が壊れてもなすべきことがあることに心眼を開いてください。
 日本の国難にあたって、民主党の国会議員が、唯々、延命に汲々とする菅首相を辞任させることこそ、国民に対する責任です。
 そのための手段はあるのです。
 私は、今日まで、民主党の党籍を持ってはいるものの、院内の会派から離脱している参議院議長として、日本の現在と明日のためと信じ、発言し、動き、書いてもきました。
 しかし、私の不徳の故か、参議院議長としては異例な言動ということもあり、なかなかその真意を理解していただけない空気もあります。けれども、日本の現状には、悠長な時間はありません。
 私は、これまで、民主党内のことについて言及することは控えてきました。
 しかし、ここで、民主党代表である菅直人氏が首相であることが、国の行政を混乱させ停滞させ、日本を危機に陥れている、という認識を民主党国会議員がお持ちなら、敢(あ)えて提案させていただきます。日本のために。
 民主党の国会議員の皆さんに2つの提案があります。
 まず、第1に、民主党両院議員総会を開催すべきです。
 民主党規約には、代表を解任する規定はありません。それを前提に「菅民主党代表」の解任の段取りを進めてください。
 もし、それが実現しなければ、国会に舞台を移すしかありません。
 これが、第二の提案です。
 それは、今国会に、即刻、民主党から、衆議院で、「菅内閣不信任決議案」を、参議院で、「菅内閣総理大臣問責決議案」を同日に提出することです。
 同じ会期の国会で、不信任決議案は、1度しか提出できない、というのは、俗論です。
 不信任の理由と不信任決議案の提出者が、異なれば、今国会にもう一度、菅内閣不信任決議案は提出できます。
 民主党国会議員の皆さん、野党各党の皆さん、この手段以外に、この日本の国難を克服し、明日の日本を建設する道はないのです。
 東日本大震災後の現状、福島第1原発事故の恐るべき実態、そうして、日本の経済社会の現在と明日を考えれば、一刻の猶予もありません。
 このままでは、私たちは、被災地の皆さん、避難所生活で健康を損なわれた年(ねん)輩(ぱい)の皆さんに申し訳ない気持ちで一杯です。特に、乳幼児や学童、青少年の現在と未来に、顔向けができないのです。
 国会議員、特に民主党所属の議員各位の、決断を強く望みます。
 衆参国会議員の皆様には、昨年来、なぜ、これほどまでに、私が一貫して菅首相の退陣を求めたのか、どうかご理解ください。
全国民の皆様に、私の考えをご理解頂きたいのです
 ここで、特に東日本で震災と原発被害に苦しんでおられる皆さんと、全ての国民の皆さんに申し上げます。
 私の今日までの発言も、この一文も、決して政局ではないのです。
 これまで、なぜ、西岡は、菅首相批判ばかりして、この国難に当たって、なぜ協力しないのだ!とのお叱りもいただきました。
 信じられないことですが、菅首相は、官邸以外から協力しようにもできない自分だけの世界を作り上げています。
 私は、参議院の運営で、菅首相に協力しなかったことは一度もありません。
 菅首相を戴(いただ)いた国会運営は、衆議院の執行部の苦しみとともに、与野党逆転下における参議院において、輿石参議院議員会長、平田幹事長、羽田雄一郎国会対策委員長のご苦労は計りしれません。
 一例を挙げます。大震災後に取り組む第一歩の「破損物の処理と分類」は、自治体によって大きく差があり、政府がその実態を正確に把握し対応すべき事柄なのです。
 原発事故の初動の失敗も、被災者に対するきめ細かな対策の遅れも、今後の東日本の復興と新たな建設の方向と手段も、全て、「内閣総理大臣」次第なのです。首相の力は、現在の粘り腰でおわかりのように極めて強力です。
 首相が決断せず、首相が自分が任命しで、任せないことが、政策の執行の遅れの最大の原因になっているのです。
 その実態は、所管大臣も与党幹部も議員も、何も知らされず、菅首相と一部の官邸メンバーだけで、何でも決めている体制なのです。これでは、野党各党が協力を求められても戸惑うばかりでしょう。
 私の見るところ、菅首相は、自分から首相の座を降りることなど全く思っておられないので す。民主党の執行部の皆さんは、ある意味で、お人が良すぎるのです。従って、私は、首相交代に必要な時間は、菅首相が居座ることによる壮大な時間の浪費に 比べれば微々たるもの、と考えているのです。
 ぜひ、ご理解頂きたいのです。(了)

tiku 私は西岡氏の「菅首相が、後一年も経ないで訪れる重大な電力危機を放置し、有効な対案を出さず、手をこまねいているのなら」という条件節の意味を、脱原発と自然エネルギーへの転換しか語らず、その転換期の電力需給計画をどうするかに関心を払わない菅首相に対する批判の言葉と見ました。西岡氏はそんな菅内閣のもとで、転換期の電力需給計画が周到さを欠くようなことになると、「全原発を止め続け、自然エネルギーだけで原発停止により失われた全電力を補完」しなければならないようなことになりますよ、そういうことが当然予測されるので、菅首相は国民に「皆さんの生活は、今後長期にわたり昭和45年代 (1960年→1970年の誤り)の水準に戻ります」「いつになるか不明で すが、自然エネルギー によって全ての国民生活が現時点に戻るまで我慢してください」と率直に言うべきだ・・・と警告を発したのだと理解しました。

 KH様は「そもそも誰がいったい自然エネルギーだけで電力をまかなえるなんてことを考えているでしょうか?」などと反論されていますが、「そもそも誰がいったい自然エネルギーだけで電力をまかなえるなんて」言ったでしょうか。なお、その後の電力需給がなんとかまかなえるようになったのは、菅内閣が退陣し野田内閣がよりましな電力需給計画を作ったからではないですか。

>現在、日本全国で関西電力の大飯原発しか稼働していない状態でこの夏の最大需要に十分に余力をもっているという事実をみれば、西岡氏の発言はまさに笑い草になるほど不見識なものでしょう。彼もまた電力会社に虜にされた人間だったということが分かります。

tiku これも菅内閣後の野田内閣の努力の結果というべきでしょう。まさに西岡氏の警告が功を奏したと見る事もできます。ところで、貴方は「大飯原発しか稼働していない状態でこの夏の最大需要に十分に余力をもっている」ので、このままで良しとしているのですか。西岡氏は引き続き次のように言っています。

 「しかし、それだけでは済まないのです。日本経済は、菅首相の対案なき「脱原発」の掛け声によって、国民生活とともに、大打撃を受けます。
 このことは、東日本大震災の復興、新たな建設にも大きな打撃を与えます。
  根本の原因は、国内の電力不足ですが、輸入エネルギーの価格高騰によって、日本の国際競争力は極端に低下します。有力生産拠点の外国転出によって、日本の 産業空洞化が一層急激に進みます。当然、失業者は、さらに増大し、消費は落ち込み、年金、医療、介護などの日本の社会基盤は崩れ「日本経済沈没」の危機は 現実のものとなります。」

 こうした西岡氏の警告は、貴方にとって「まさに笑い草になるほど不見識なもの」なのですか。私には貴方の論こそ不見識なものに見えますが。

>余談になりますが、菅元総理がわずか1年の在位期間でいくつかの成案した法律と脱原発の指針は今後20年から30年後には大いに評価されることは間違いないと思います。菅氏がいなければ、おそらく現在でも原発は全国で稼働を続けていたでしょう。そして電力会社がいうように、原発がなくなると計画停電を迫られるという脅かしがいつまでも続くことになったでしょう。もちろん、脱原発が日本経済にとって良いのか悪いのかは軽々にいえません。枝野氏がいうように、20年か30年後に原発ゼロへ向けて経済界が一致団結して努力していくことが、逆に日本経済の浮揚になるという見方もあります。これは今後、おおいに議論をしていただきたいと思います。

tiku 何にでも虜になると目が見えなくなるものです。答えは20年から30年後ではなく、私はすでに出ていると思っていますが、おそらく数年内にその結果は誰の目にも明らかになるでしょう。

 ところで貴方は「脱原発が日本経済にとって良いのか悪いのかは軽々にいえません。枝野氏がいうように、20年か30年後に原発ゼロへ向けて経済界が一致団結して努力していくことが、逆に日本経済の浮揚になるという見方もあります。これは今後、おおいに議論をしていただきたいと思います。」などと前文とは矛盾することを言っていますが、実は西岡氏も似たような見解を示しています。菅首相との違いは明確にしながら・・・ですが。

 「現時点で、各政党とも、今後の日本のエネルギー政策は、原発から自然エネルギーに転 換する、という方向性では、大きな対立はない、と思います。問題は、それを推進して、どれだけの期間で、どれだけの電力を確保できるのか、という肝心のこ とが、菅首相によって示されていないことです。

 さらに、自然エネルギー活用の拡大と効率化によって、需給をバランスさせる地産地消型と、大規模発電が必要な基幹エネルギーとの組み合わせをどう するか、を環境問題との関係で、どう考えるかなのです。これは、選挙というより、国会の場で論議されるエネルギー政策の具体的内容の問題です。

 今後、10年単位のかなりの期間、日本は、より強い安全管理の下で、原子力発電を必要とします。

 エネルギー政策については、国会論争において激しい対立があるとすれば、原発の電力事業主体をどう考えるか、という論点と、発電と送電の分離問題だろう、と思われます。

 菅首相が夢想し、猿真似(さるまね)を考えているかもしれない、小泉純一郎首相の「郵政解散」のごとき明快な対立軸など、もともと軸のない菅首相の下では存在しないのです。
http://hightree.iza.ne.jp/blog/entry/2355631/

>ただし、橋下氏のように過激な反原発論者が登場すると日本経済は本当に大変なことになる可能性はあると思います。その意味では西岡氏の論文はまったくの笑い話ではすまないと思っております。

tiku 貴方の、橋下氏の原発政策の取り方についての理解も十分ではありませんね。また、これと西岡氏の論を対比させる意味も不明です。

 なお、本論争の核心は、”菅氏がいたから東電の全面撤退を阻止でき、それで日本が救われた”という認識が正しいかどうかです。それが証明されれば貴方の論の方が正しかったことになります。で、情報の全面開示を待ちましょう。そこで菅首相の「叱咤激励」が証明されればよろしいですが、前後の言動の脈絡からしてその可能性は私はないと思っていますが。

2012年8月11日 (土)

福島第1原発:吉田前所長 ビデオでの発言全文--これが日本の技術者だ!

 吉田昌郎・福島第1原発前所長のビデオでの発言全文は次の通り。
毎日新聞 2012年08月11日 19時21分(最終更新 08月11日 19時36分)
−−第1原発の現場の声を伝えてほしい。

 ◆昨年の大震災、それから私たちの発電所の事故で福島県の地元の方々に本当にご迷惑をおかけしている。この場で深くおわび申し上げる。まだしばらくこういう状況が続くが、我々も全力を挙げて復旧しており、ご理解をお願いする。本来ならこの講演会に自分で出てきたいと思っていたが、昨年末から病気でずっと入院していてまだ体力が回復していない。そういう中でこういうビデオレターということで失礼する。政府などの事故調査委員会が開催されている中で、なかなか一般のマスコミの方に我々の生の声を届けるわけにはいかないと思っていた。事故調査委員会が一段落するまでは変な形でお話しをすることはルール違反になると私は思っていた。そういう中で(今回)話を聞いていただけるということは大変ありがたいと思っている。

−−発電所からの全面撤退がささやかれている。事実は?
 ◆しゃべりだすととまらないが、基本的に私が考えていたのは第1原発をどうやって安定化させるかということに尽きる。そういう時に我々が現場を離れるということは絶対にあってはならない。かといって人命は非常に尊いので、関係のない人といったらおかしTいが、事故の収拾に直接関与していない人には避難していただく。ただやはり現場で原子炉を冷やしたり、そういう作業をしている人間は撤退できないと思っていたし、本店にも撤退ということは一言も言っていないし、私は思ってもいなかった。本店には一言も撤退と言っていないということは間違いない。事故調にもそう話をしている。あとでいぶかしく思ったが結局、本店と官邸の間でそういう撤退騒ぎが起こっているが現場では一言も絶対そういうことは言っていない。これは間違っていない。

−−自らの命を亡くす覚悟はあったか?
 ◆覚悟というほどの覚悟があったかはよくわからないが、結局、我々が離れてしまって注水ができなくなってしまうということは、もっとひどく放射能漏れになる。そうすると5、6号機はプラントはなんとか安定しているが、人もいなくなると結局あそこもメルト(ダウン)するというか、燃料が溶けることになる。そのまま放っておくと、もっと放射能も出る。福島第2原発も一生懸命、プラントを安定化させたが、あそこにも人が近づけなくなるかもしれない。そうなると非常に大惨事になる。そこまで考えれば、当然のことながら逃げられない。そんな中で大変な放射能、放射線がある中で、現場に何回も行ってくれた同僚たちがいるが、私が何をしたというよりも彼らが一生懸命やってくれて、私はただ見てただけの話だ。私は何もしていない。実際ああやって現場に行ってくれた同僚一人一人は、本当にありがたい。私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に行けていない。いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。私が昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩(ぼさつ)がわいてくるというところがあるが、そんなイメージがすさまじい地獄のような状態で感じた。現場に行って、(免震重要棟に)上がってきてヘロヘロになって寝ていない、食事も十分ではない、体力的に限界という中で、現場に行って上がってまた現場に行こうとしている連中がたくさんいた。それを見た時にこの人たちのために何かできることを私はしなければならないと思った。そういう人たちがいたから、(第1原発の収束について)このレベルまでもっていけたと私は思っている。

−−吉田さんは所員の精神の支柱だった。

 ◆私は何もしていない。私のとりえは福島第1原発に4回、赴任したことだ。第1原発のメンバーの名前もほとんどわかっているし、協力企業さんも結構つきあいがあり、名前で呼べるんですね。「○○さん、○○くん、大丈夫か」とか。それだけだ。それで声をかけただけだ。私は。何もできていない。みんなやってくれたということだ。いまだにそう思っている。

−−事細かなコミュニケーションをとったということか?

 ◆そうだ。やはり知らない間じゃないということだ。昔から一緒に仕事をした仲間だ。そういう仲間が大変な現場に行って帰ってき、出て行くというのを見ているので、頭を下げるしかない。

−−3号機が爆発した段階では死ぬかと思ったか?

◆今回一番インパクトがあったのは1号機もそうだが、3号機の爆発というのがあった。これは今まで経験した中で非常に、あとから考えれば水素爆発だったが、その時点では何が起こったかわからないという状態なので、これから、もう破滅的に何か起こってるんじゃないかと思った。爆発について。一つは自分が死ぬということ、メンバーも含めて、免震重要棟の人間は死んでたっておかしくない状態だった。3号機なんかは特にそうだった。あれだけのがれきが飛んできて。私は、最初は行方不明者が何人ということを聞いた時に、確か数十人レベルでまだ安否が確認できていないというのが最初の状況だった。ああこれは10人ぐらい死んだかもしれないというふうに思った。そこから時々刻々、だれだれがという話が入ってきて、軽傷の人間は何人かいたが。それから自衛隊の方には本当に申し訳なかった。水を補給しにきてくれた自衛隊の部隊がけがをされて、本当に申し訳ないと思っている。不幸中の幸いで人命にかかわるものではなく、これはある意味、仏様のあれかなという感じが私はしている。

−−原発に残ったメンバーの名前をホワイトボードに書くように指示したとのことだが、どのような思いだったか?

 ◆ほとんどその時のことを思い出せないが、たぶん、要するに最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞということを残しておこうということだ。今から思えば。わかんないですよ。私自身。本当に。

−−墓標になると思って書いたということか。

 ◆はい。そうだ。

−−最後に何かお話はあるか?

 ◆いずれにしても今回の事象は、いろいろ国会とか政府事故調、民間事故調などで書かれているが、我々は特に政府事故調にはすべてを話をさせていただいた。マスコミの方からいろいろ問い合わせがあるが、お話は全部すべてそちらでさせていただいているので、そこをベースに考えていただければいいと思っている。ただやっぱりなかなか我々の肉声というのは通じない。調査委員会を通すと肉声がなかなか届かない。その部分はいろいろな形でちゃんとメッセージを発信していかないといけないと思っている。私一人ではなくてあそこで一緒にやったいろいろな仲間の経験をちゃんと伝えたい。

−−これから第1原発や福島県はどうあるべきか?
◆そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、やっぱり発電所をどうきちっと安定化させるかがベースだ。そこができていない中で、地元にお帰りいただくわけにはいかないので、そこが最大の(課題だ)。これは事故当時も言っていたが、日本国中だけでなく世界の知恵を集めて、より発電所、第1原発をより安定化させることが一番求められている。いろいろなだれの責任うんぬんということもきちっとやるべきだが、やはり発電所を少しでも安定させる。それには人も必要だし、技術もいろいろな知恵が必要だ。そこに傾注するということが重要なことだと思う。そのうえで、地元の方々に(通常の)生活に戻っていただけるか考えることができる。いずれにしても現場を落ち着かせる、安定化させることが一番重要な責務だ。私はちょっとまだ十分な体力がないが、戻ったらそういう形で現場のために力を届けたい。

*菅首相が、逃げようとした福島第一の技術者たちを怒鳴り上げ押しとどめ事故処理に当たらせたことが日本を救った、との政府の説明でしたが、吉田所長以下、地面から湧出する菩薩の如く地獄のような現場に立ち向かった。そんな人たちが、菅首相の手柄話とは無関係にたくさんいて、彼らが日本を救ったのです。政府首脳の皆さん!省みて、彼らを卑怯者と罵倒して世間に訴え、自らを救世主と宣伝した自分らの所作を「恥ずかし」とは思いませんか?

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