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2013年10月

2013年10月31日 (木)

松本徹三氏の「最終メッセージ」への反論――歴史を現代の価値観で裁くことの怖さ(2)

〈 〉内が松本氏の記事の引用
*印以下の文章は私のコメント

〈さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。〉

*問題は、この「利己的な目的」、「主権侵害」、「武力による威嚇」という言葉が、「事実」そのものと言えるか、それとも、松本氏自身の価値判断を含むものか、ということである。

〈この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれるすでに、この三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。〉

*つまり、松本氏は、この三要素を「歴史的事実」としているのであるが、実はこれは、松本氏自身の価値判断を含んだものなのである。従って、「この三要素がなかったというならその根拠を示せ」とはならず、「この三要素の価値判断が間違っているというならその根拠を示せ」となるべきである。それ故に、こうした氏の価値判断を間違っているとの多くの指摘がなされているのである。

「利己的な目的」というが、それは「国益の追求」とどう違うか。「主権侵害」というが、それを防ぐためには、先ほど述べた通り、時代を読む先見性、外交力、国内体制の整備、所要の軍事力の整備が必要で、お題目さえ唱えていれば「主権」が守られるというものではない。また、「武力による威嚇」というが、「軍事力」そのものにそうした要素があるわけで、それを「悪」と決めつけることはできない。

こう見てくると、松本氏の主張は、現在の価値観を歴史的事件に適用してその善悪を判断するに止まらず、未来の「あるべき価値基準」を過去の帝国主義の時代に適用して、「ないものねだり」の判決を下していることになる。

〈 次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。〉

*日韓併合期間中に日本人が朝鮮人に対する「優越意識と蔑視意識」を持っていたことは事実であろうが、同時代のアメリカのスミソニアン研究所のある科学者は「日本人の頭蓋骨はわれわれよりおよそ二千年発達が遅れている」と報告したという。また、トルーマンの日記には、日本人は「野蛮で残酷、無慈悲で狂信的」だから原爆を落とすのは当然」とする記述があったという。

山本七平は、日本人は「敵に対する憎悪は理解できるが人種間の憎悪は理解できない」といっている。戦争中の日本人の朝鮮人に対する差別意識はあるいはこうした無意識の深層心理に根があるのかも知れないが、意識的には、日本人は朝鮮人を同化できる、つまり同じ人間と考えたわけで、その問題点を指摘するならいざしらず、当時の日本人の朝鮮人に対する優越意識や差別意識を、ことさらに問題視することはバランスを欠く。

〈そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?〉

*つまり、歴史をその時代の価値観で理解するのではなく、現代の価値観でもって、それが「道義」にかなっているかどうかを判定すべきだといっているのである。しかし、そこからは何が生まれるか。過去の歴史の恣意的な断罪、”自分は正しい”とする自己義認、そして、それを認めない人々に対する断罪と謝罪の要求・・・それが次第にエスカレートして、次のような恐るべき議論に発展した。

〈ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。〉

*冒頭に紹介したが、私は、氏より、日韓併合はアメリカの黒人奴隷制度と同じような「悪」だとの指摘を受け面食らった。しかし、ここでは、それに止まらず「日韓併合」は「インカ帝国を滅ぼし大量の金を奪ったスペインの行為」や、「清国に対してアヘン戦争をしかけた英国の行為」にも比定される「悪」となったのである。

〈 要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。〉

*先の三要素(「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」)には、繰り返すが、すでに松本氏による「歴史の現時点での道義的評価」が含まれている。しかし、そもそも、こうした評価の仕方は歴史評価とは言えないのではないか。それは現時点での政治的評価に過ぎないのであって、松本氏はこの両者を混同しているのである。

〈「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。〉

*誠に立派な心がけで、敬服の他ないが、ぜひ、所説に従って、過去の人類の犯した事件を現在の価値判断で評価し直し、氏が「悪」とする歴史的事件について、公式の遺憾表明をするよう当該国に働きかけたらいかがだろうか。

〈(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)〉

*これは本論とは関係ないが、「もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる」は、基本的な事実認識の誤りがあり、論評に値しない。

〈2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。〉

*望むだけでは主権は維持できないことは先刻述べた通り。先見性、外交力、国内体制の整備、軍事力などの総合力が主権の必須の条件なのである。

〈 当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。〉

*まあ、「民衆自身」というのが妥当なところか。

〈 現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。〉

*現在でも「自国の安全への直接的な脅威」が「他国の主権尊重の原則」に優先するのなら、当時、ロシアによる朝鮮の併呑を「自国の安全への直接的脅威」と感じていた日本の行動(近代化支援、独立支援、内政改革支援、それが不可能とということが判った段階での保護国化、さらに併合へと進んでいったこと)も是認されることになります。(11/4追記)

〈しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。〉

*こうしたことは、その後の歴史的事実を踏まえて言うべきで、私などは、日本に併合された韓国と、戦後ロシアの管理下に置かれた北朝鮮とを比較すれば、どちらが良かったかは一目瞭然だと思う。主権は絶対ではない。日本が大東亜戦争に敗れたのも、世界史の大きな流れ(自由と民主主義の拡大)を見誤ったからではないか。

〈 成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。〉

*”パンのみに生きるにあらず”というのは、パンが不必要だということではない。パンがなくては独立もへったくれもない。

〈 日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。〉

*欧米の植民地政策の方が、民族問題の処理方法としてはより合理的であった事は間違いないが、日本の同化政策が韓国人を身内と見なしてその近代化に力を尽くし一定の成果を上げたことは評価されてよい。

〈3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。〉

*合法的であるかないかが、「法の支配」にとって決定的。

〈 以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。〉

*ついに、氏の意見に反対する人は「自己本位」で「相手の気持ちを推し量る」気持ちはさらさらなく、国粋的(国家主義的)な人たちで、過去を引きずった「上から目線」で、「こういう人たちの存在が・・・近隣諸国との友好関係を阻害している」と断罪されてしまいました。

まさに、絵に描いたような歴史的思考の欠如からくる自己義認、他者断罪、言論封殺ですが、昭和のつまずきは、実は、こうした独善的思考法の帰結だったのですが・・・。

松本徹三氏の「最終メッセージ」への反論――歴史を現代の価値観で裁くことの怖さ(1)

松本氏は、「日本人と韓国人はどこで性格が大きく変わったのか?」で、今日の「主権」概念をもって「日韓併合」を悪と断罪し、朝鮮に対する謝罪を主張しています。さらに「日本は、『明治維新から終戦(解放)に至までの間、日本が国として韓国人に対してやってきた事は、基本的に悪い事だった』と認め、謝罪する。それで『歴史認識』の本質的な問題は決着だ。後の問題は、厳密な史実に基づいて、個別に是々非々で議論すればよい」と言っています。

また、ツイッター上での私とのやり取りで、日韓併合をアメリカの黒人奴隷制度と比定するかのような論を展開し、面食らった私は、「韓国併合で日本は韓国人を奴隷にしたとでもおっしゃりたいのですか?」と返したところ、「韓国のことは意識されず、先ずは私の質問に答えてください。」というので、私は「もし日韓併合が韓国人を奴隷化したのなら謝罪は当然!」と答えたところ、「了解」と返答されました。氏は日韓併合は朝鮮人を奴隷化したものと見ているのでしょうか。

なぜ、このような議論になるのか不思議に思いましたが、その後アゴラに掲載された「『日韓併合』の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ」を見ると、結局、問題は「現代の価値観で歴史を評価する」ために起こったことのようです。松本氏は、この論の中で、三要素(「利己的な目的」、「主権侵害」、「武力による威嚇」)を「事実」としていますが、実は、ここには「現代の価値観で歴史を評価」した判断が含まれているのです。

つまり、上に紹介したような松本氏の評価は、「現代の主権概念を帝国主義時代の日本に適用した」結果生まれたものなのです。でも、韓国は、松本氏のこのような評価の仕方をあまり喜ばないでしょう。というのは、韓国は、主権概念の時代を超えた絶対性を根拠に「日韓併合」を不当としているのではなく、それは”日韓併合さえなければ李朝は立派な国家として独り立ちできた”ということを前提にしているからです。

従って、この点では、韓国の方が松本氏より現実的だと言えます。韓国の主張が正しいかどうかは、”日韓併合さえなければ李朝は立派な国家として独り立ちできた”という見解が事実であるかどうかを検証すればいい。しかし、松本氏にはそんなことは問題ではなく、独り立ちできようができまいが、それに関係なく「韓国併合」は「悪」であり、その結果ソ連の支配下に入ったとしても、日本人がとやかく言う筋合いではないというのです。

なぜこのような論法が通用するかですが、これは大阪市長の橋下氏の「慰安婦発言」のときにも出てきましたね。氏はあくまで戦場において慰安婦が必要とされたという歴史的事実を指摘しただけなのですが、それがあたかも現在の氏自身の考えであるかのように報道された。そのため氏は、あらためて、現代の価値観ではそれは許されない、と前置きした上で、日本が慰安婦を「性奴隷」として扱ったかどうかを検証すべきと言ったのです。

ところで、松本氏の慰安婦に関する見解は、「事実関係が歪められている」と認識しているので、これについては、韓国が日本政府に対して謝罪と賠償を要求していることについては「承伏しがたい」と言っています。一方、「日韓併合」については、それが先の三要素(「利己的な目的」、「主権侵害」、「武力による威嚇」)を伴って韓国に強制されたものであるゆえに、日本の韓国に対する謝罪は当然としているのです。

この点についての私自身の見解は、岡崎久彦氏が言われるように、”併合の外に道はなかった”というものです。もちろん、できることなら保護国に止まり,韓国が力をつけた後に、独立を認めることが最も良かったと思いますが、時代の条件、両国の文化的齟齬がそれを許さなかった。従って、これを評価する時には、そうした時代条件を念頭においた上で、当時の人々はなぜそのような選択をしたのかを考えるべきだと思うのです。

そうした考え方に立って、私は、私ブログ「竹林の国から」に「松本徹三氏『日本人と韓国人はどこで性格が大きく変わったのか?』への反論」を書きました。その関係で、ツイッター上で氏と討論を交わすことになりました。その結果、冒頭に紹介したような話の展開となり、その後松本氏は、アゴラに次のような記事を書きました。

以下、この記事の問題点について、逐条的に指摘させていただきます。

〈 〉内が松本氏の記事の引用
*印以下の文章は私のコメント

「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 松本 徹三
.
〈「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。

3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。

1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。〉

*政治権力者は常に結果責任を問われる。その職務は、自国の独立(領土・人民・主権)の確保と国民の生命・財産を守ること。だが、これらをその時代条件の中で確保するためには、第一に、時代を読む先見性、次いで、それに基づく外交関係の樹立、次に、それを支える国内体制の整備、そして所要の防衛力の整備、となる。従って、問題は、この時代の韓国の政治権力者たちが、どういう先見性を持ち、外交関係を処理しようとしたかで、この点、韓国が、特に三国干渉以降、日本よりロシアとの関係を図ったのは当然である。

〈2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。〉

*日本の政治権力者も韓国の政治権力者と同様、政治の結果責任が問われる。彼らは、三国干渉後、日本の独立と安全を確保するためには、韓国をロシアの支配下に入るようなことは、何としてでも阻止したいと考えた。それがロシアとの外交交渉では得られないと判った段階で、日本はロシアとの戦争を覚悟した。

ここにおいて、日本がいちはやく朝鮮を日本の勢力下に置こうとしたのは当然で、これに対して韓国政府は、なお、ロシア側につくことで外交上のバランスをとろうとした。その結果、日本との「日韓協約」の締結をめぐる外交交渉が、武力による恫喝を伴うものになったことは必然である。

しかし、日露戦争の結果は意外にも日本が勝利した。これで中国東北部における日露間の勢力図は確定した(このために日本は約9万人の戦死という犠牲を払った)。しかし、韓国政府はなおもこれを認めようとせず、ロシアをはじめとする関係列強の干渉を求めた。しかし、どの国からも相手にされず、反って日本の怒りと不信を買うこととなり、その結果、伊藤が望んだような保護国には止まらず、併合へと突き進むことになった。

〈3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。

4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。〉

*日本が朝鮮を文化的な兄弟国で「同化」できると考えたことは大きな誤りだった。ただし、近代化という点で「日本は成功した本家」、朝鮮は「落ちぶれた分家」と考えたことについては、これを「際だって公正さを欠くもの」とは言えない。

2013年10月27日 (日)

その後の松本徹三氏とのツイッター上での意見交換――日韓併合をどう見るか

日韓関係は、近年、一層険悪の度を増してきています。なんとか改善できないものかと思いますが、慰安婦問題などに見る韓国人の振る舞いは、いささか日本人の想像を絶しています。この問題の理解には、特に韓国併合をどう見るかが重要ですが、本ブログ前エントリーとの関係で、松本氏と意見交換することになりました。参考までにまとめて再掲させていただきます。

←以下のコメントは、私のリツイートコメント
*私のコメントに対する補足説明

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@hibinomasao台湾はずっと清朝の辺境の土地で、中央から来レベルの低い官僚が統治を行っていました。日清戦争の結果、統治者が日本人に変わりましたが、彼等は清廉で勤勉、しかもインフラ、教育、保健衛生のシステム整備に熱心でしたから、 これまでよりずっと良いと評価されました。

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
(続き)しかし、韓国の場合は清の属国であっても一応独立国であり、李王朝が政治の実権を握っていた訳ですから、日本に主権を奪われたという意識があります。その上、韓国が信奉する儒教においては後進国の日本が、夷荻の西洋文明を猿真似して押しつけてきた訳ですから、反発するのは当然でしょう。

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@dukataka1 私もほぼ同じ理解です。この問題は、先ず元々日本人が仕掛けたものだという事、そして過去の政治家が真実に根ざす解決ではなく、臭いものに蓋をする安易な解決に走った事が原因で、ここまでこじれてしまいました。(続く)

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@dukataka1 (続き)本質的な問題は、戦後の日本に、遡って過去を肯定したい人達(右派)と、それを牽制する為に徹底して過去の日本を悪者にしたい人達(左派)の根強い対立があり、歴史的事実と良識、delicate balanceに基づく、是々非々の議論が為されなかった事です。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@matsumotot68: .@dukataka1 (続き)本質的な問題は、・・・歴史的事実と良識、delicate balanceに基づく、是々非々の議論が為されなかった事です。”←日本人の論理が"天秤の論理"であることと、歴史的思考ができず、現在の価値観で過去を裁くため

*「てんびんの論理」とは、事実認識と理想論(あるべき姿)とを「てんびん」にかけ、両者のバランスをとることで問題の政治的解決を図ろうとする考え方。本来は事実を言葉で定義し、次に「理想」を言葉で定義し、その上で、両者を方法論という言葉でつなぐ手順を経て、「理想」の具現化を図ろうとするが、日本人は、「事実論」と「是非論」をごちゃ混ぜにしたり、さらには「べき論」と「可能・不可能論」を峻別できなかったりするので、議論が膠着したまま進まなくなる傾向がある。

 また、歴史的思考法というのは、歴史的事象の事実関係の理解について、その時代の常識を以て理解すること。これを、現在の常識をもって理解しようとすると、必然的に歴史の批評、さらには正否ということが問題になり、歴史の正確な理解ができなくなるだけでなく、あったことをなかったようにしたり、また、なかったことをあったようにする、いわゆる歴史の改竄が行われることになる。

ここでsaintarrowさんの割り込みに対する私の返信

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@saintarrow: 現在の価値観でも、国際機関もない時代の国際法に違反せず、人道上にも大きな問題の無い半島支配を日本が謝罪する必要はないと思いますRT @tikurintw 現在の価値観で過去を裁くため @matsumotot68 @dukataka1”←対露防衛が主

*半島支配は対露防衛が主たる目的だった事を指摘

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@saintarrow: 半島を確保せず半島と共に日本が自滅する理由がない。・・・RT @tikurintw  対露防衛が主 @matsumotot68 @dukataka1”←韓国は日本よりロシアが強いと思っていた、が日本が勝った、ため日本の勢力圏に入った。仕方ない。

*日露戦争の結果、韓国は日本の勢力圏に組み込まれることになった。韓国はイヤだったろうが、なにしろ日本は日露戦争で約9万人の犠牲(死者)を払ってロシアの極東進出を止めたわけで、こうして出来上がった極東の秩序に韓国が組み込まれるようになることは必然で、韓国にとっては仕方のないことだった。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@saintarrow: その支配が、現代の価値観で非人道的なら問題はあるが、身分制の廃止、拷問の禁止、近代的監獄、初頭から大学まで教育の実施、などで悔いる必要がない。@tikurintw @matsumotot68 @dukataka1”←結果論ですが、ソ連より良かった・・・

*あくまで結果論だが、日本の支配が西欧の植民地支配と違って近代化を目指すものだったことは韓国にとっても幸いだった。少なくとも、ソ連に支配されるより良かったのでは。その後の東欧諸国、あるいは北朝鮮を見れば明らか。

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@tikurintw @saintarrow @dukataka1 それは他国の主権を犯すことを正当化する理由には全くなりません。それを言うなら、世界中のどの国も、自国を仮想敵国の仮想の侵略から守るために、近隣諸国をどんどん侵略して良いことになってしまいます。(続く)

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@tikurintw (続き)そんな理屈がまかり通るなら、ましてや日本人が不用意にそんなことを言い出したら、中国は「放置すれば台湾は再び日本の植民地になりかねない」として、台湾を武力統合しようとするでしょうし、イスラエルは周辺国にどんどん侵攻します。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@matsumotot68: .@tikurintw (続き)そんな理屈がまかり通るなら、・・・中国は「放置すれば台湾は再び日本の植民地になりかねない」として・・・”←日本の失敗はワシントン体制以降の国際情勢の変化を見極められなかったため。アメリカが中国の味方したのもそのため。

*1922年のワシントン体制(1921年国際連盟規約を引き継ぐもの)以降、はじめて、国際秩序形成における領土保全、主権尊重、外交交渉・条約による国際紛争の平和的解決の考え方が生まれたことを指摘したもの。これ以前は、戦争に訴えることでしか領土問題や安全保障を巡る国際紛争の解決方法がなかった。日本の失敗は、このワシントン体制を、「持てる国」の既得権擁護の論だと批判し、その打破を目指したことから始まったことを指摘したもの。

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月23日
.@tikurintw 何回も申し上げている通り、「当時は欧米列強がなりふり構わず植民地獲得競争をしていた時代であり、日本はその真似をしただけ」というのは構いません。但し下記を付け加えるべき。「現在の国際通念ではこのような事は許されないのは当然であり、過去の行為については遺憾。」

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月23日
“@matsumotot68: .@tikurintw ←植民地獲得競争と言うより帝国主義時代の安全保障の問題だったのでは。台湾と朝鮮では地政学的な位置が違います。当時は、"併合より他に道はなかった"という岡崎氏の見解に同意します。参考http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-9b30.html …

松本徹三 ‏@matsumotot68 10月24日
.@tikurintw 日本の利己的な考えからはそうだったてしょうが、韓国民からみれば、日本の利害などはどうでもよいことです。仮に中国が「米国(或いはロシア)に対抗する為には日本を前進基地化するしかなかった」として、日本に侵攻してきたら、貴方はそれを正当な行為だと言えますか?

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月24日
“@matsumotot68: .@tikurintw …仮に中国が「米国(或いはロシア)に対抗する為には日本を前進基地化するしかなかった」として、日本に侵攻してきたら、貴方はそれを正当な行為だと言えますか?”←正当云々の前に日米同盟を強化し「侵略」を阻止するのみです。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 10月24日
@matsumotot68 (続き)昭和25年6月、ダレスは、もし日本が米軍の駐留に反対するなら「アメリカとしては仮に日本の工業を全部破壊して撤退してしまってもよいわけだ…日本がロシアにつくかアメリカにつくかは日本で決定すべきもの」と言い放っています。日露戦争後韓国は日本についた

*主権尊重は今日の国際秩序の根本概念ですが、侵略戦争の定義がなく自衛戦争が認められ、国際連合の武力も各国の武力に依存している以上、主権維持のための主体的努力と、同盟を含む実力の保持が不可欠だということ。ここで同盟の相手を間違うと破滅。

松本徹三 ‏@matsumotot68 20時間
.@tikurintw この場合、中国は「これは侵略ではない。放置すれば日本は米国の実質植民地になるので、中国共産党が日本人民がこれを阻止するのを支援するのだ」と言い、丁度今の渡辺さんのように、自らの行為を正当化しようとするでしょう。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 15時間
@matsumotot68 アメリカは日本を橋頭堡に中国を侵略する意図など持っていませんから、この場合、中国の行為は現在の国際法に照らして侵略とされるでしょう。とは言え理屈は何とでもつけられます。問題は日本が自らの独立を守るため何をするかで、そこは先見性と覚悟の問題ですね。

松本徹三 ‏@matsumotot68 14時間
渡辺さんにお聞きしたい。もし、米国の黒人が、「西アフリカで平和な生活を送っていた我々の祖先を拉致し、奴隷としての苦しい生活を強いたことにつき、米国政府はあらためてその子孫である我々に謝罪して欲しい」と申し入れたら、米国政府はどう対応すべきと思いますか?(同じ質問は韓国政府にも。)

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 12時間
@matsumotot68 韓国併合で日本は韓国人を奴隷にしたとでもおっしゃりたいのですか?奴隷は売買の対象で市民権などないですよ。併合ですから韓国人を日本人にしたわけで、韓国併合の問題はここにあるわけで、松本さんはこのことを批判されていたのではないですか。

松本徹三 ‏@matsumotot68 12時間
.@tikurintw いいえ、私は単純な質問をしています。韓国のことは意識されず、先ずは私の質問に答えてください。「過去のことを現時点で議論する時にに考えなければならないプリンシプル」について、多くの人達によく考えてて頂ければと思っています。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 11時間
@matsumotot68 日本には公然たる奴隷売買の歴史はありませんから、アメリカがどんな謝罪をするか興味津々。韓国のことは意識するなとのことですが、韓国併合について議論しているのですから韓国について私見を申し上げます。もし韓国併合が韓国人を奴隷にしたのなら謝罪は当然!

松本徹三 ‏@matsumotot68 9時間
.@tikurintw 了解。もし渡辺さんが米国の大統領ならどうしますか? まさか「米国の綿花生産にとって死活問題だったので、正当な行動だった」とか「アフリカにいたら飢え死にしたかもしれないのに、米国に来て子孫は豊かになったのだから、感謝すべき」とかは仰らないでしょう?

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 9時間
@matsumotot68アメリカの奴隷問題処理については興味津々止まり。大統領の立場は想像に及ばず。まさか以下の下らぬ台詞についても同様。ただ日本に奴隷制のなかったことを喜ぶのみ。秀吉はイエズス会支部長ガスパール・コエリョの奴隷(日本人を購入)売買容認に詰問状を発しています。

*松本氏がなぜアメリカの奴隷制度の話を持ち出したか、おそらく「過去のことを現時点で議論する時にに考えなければならないプリンシプル」をご教示なさるつもりだったのだろう。私自身、これが、先に紹介した「てんびんの論理」や「歴史的思考法」とどう関わっているか興味はあったが、一方、アメリカの奴隷制について、にわかに「アメリカ大統領」になってこれに批評を加えることもできないので、ここで議論を中断。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 7時間
松本徹三氏との意見のやり取りで判ったこと。氏が日韓併合について日本に謝罪を求めるのは、日韓併合が、韓国人を奴隷化するものであったとの認識に基づく、ということ。あとは、それが事実であったかどうかの検証のみ。意外と単純な議論でした。

*これは、前項の議論を中断した段階での私の結論。松本氏は私が「併合ですから韓国人を日本人にしたわけで、韓国併合の問題はここにあるわけで、松本さんはこのことを批判されていたのではないですか。」との問いには答えず、アメリカの黒人奴隷の話を出し、それに対して、私が「もし韓国併合が韓国人を奴隷にしたのなら謝罪は当然!」と答えたら、「了解」とされたので、結局、氏の「主権侵害」の主張は、この「奴隷化」の認識に支えられたものと解しました。

 その後、伊藤博文が日露戦争後、韓国皇帝がなおロシアに頼ろうとするのを見て、「日本に宣戦布告したらどうか」と恫喝したことの解釈を巡り、私がこれは戦争するつもりではなく、一種の「諭し」だと言ったことに対し、松本氏は、この言葉は「上から目線」で、「そんな言い方をする日本人がいるから、日韓関係は何時迄も良くならない」を言われたので、事実論に是非論を絡ませ相手の言葉を封じることこそ「上から目線」ではないか、と思いましたが、さざなみ立ちそうなので、ここで意見交換おわり。

 なお、松本氏の主張の根幹にあるのは、国際秩序における”時代を超えた主権の絶対性”ですが、これについての私のコメントは次の通り。上記の「諭し」という言葉もここで使いました。

渡辺 斉己 ‏@tikurintw 19時間
@matsumotot68 @masakatayama 伊藤は戦争に持ち込もうとしたのではなく諭しただけ。主権も原理主義に陥ってはいけない。人権が自律を予定するように主権も自律を予定する。子供を虐待する親の人権が制限されるように、国民を虐待する国家の主権が制限されることもあり得る

2013年10月 2日 (水)

松本徹三氏「日本人と韓国人はどこで性格が大きく変わったのか?」への反論

 私は、松本徹三氏の日韓関係に関する従来の論にはおおむね賛成であるが、今回の論「日本人と韓国人はどこで性格が大きく変わったか」には賛成しかねる部分があるので、以下、これについて私見を申し述べさせていただく。松本氏の本論の中段以下には次のような論が展開されている。

「皇帝の側近が朝鮮北部の森林資源に野心を持っていたロシアも、虎視眈々と清に取って代わろうとしていたわけだから、「日本はそれに先手を取っただけだ。その何処が悪い」と言っている日本人は今なお数多い。

しかし、この考え方は、「国の主権」とか「民族意識」というものを全く理解しようとしていない点で、根源的に間違っている。ロシアより日本のほうがまだマシだっただろうというのは、その通りだったかもしれないが、それは韓国の人たちが決める事であり、当時の韓国の主権者は李王朝だったのだから、彼等がロシアを選ぶのなら、それが主権者の選択であり、外国人がとやかく言えない事だ。」

まず、この論がおかしい。この論は、帝国主義の時代、ロシアの脅威は韓国だけでなく日本にとっても死活の問題だったという認識が欠けている。この時、韓国がどちらに就くかは日本の安全保障上看過できる問題ではなかった。もちろん、韓国がロシアの韓国進出を実力で阻止できるだけの力を持っていればよかったろうが、実際は、李王朝にはそのような力はなく、それどころか日本側よりロシア側につこうとしていた。

こんな態度を、日露戦争後日本が実力でもってロシアの南下を食い止めた段階で示せば、伊藤が韓国皇帝に対し、日本に宣戦布告したらどうか、と挑発的言辞を弄したのもけだし当然であろう。従って、「彼等がロシアを選ぶのなら、それが主権者の選択であり、外国人がとやかく言えない事だ」などというような、寝ぼけたことをいってはいけない。

また、「だから、民衆の立場から言えば、どんな国であろうと、武力によって「民族自立の希望」を圧殺した外国は「悪い国」だと考えるのは当然の事だ」という松本氏の論についても、民衆の立場からすれば、日常の生活を保障してくれる政権を望むこともあるはずで、どんな悪政を働いても、自国の政権を永遠に支持する・・・とはならないだろう。それは、一部の朱子学イデオロギーに凝り固まった連中の言いぐさではないか。

また、「『民族自立なんかを原則にしていたら、何時迄も貧しい国でいなければならなかった筈だ』と言って、日本の行為を正当化する人たちも未だに結構多いが、それを言うのなら、チベット人やウィグル人の「民族自立の希望」を圧殺している現在の中国を非難する事もやめねばならない」についても、帝国主義の時代と、主権や人権が保障された現代とを混同した議論で、さらに「古今東西を問わず、人間は経済発展だけの為に生きているわけではないのだ」についても、それは「”パンなんかどうでもよい”ということではないよ」というほかはない。

従って、「不幸にして、当時の韓国人の「民族自決の希望」を実際に圧殺した(圧殺出来た)のは日本だけだったから、現在の韓国人が日本人に対して「あんたたちは悪い奴だったんだよ」と言うのは当然」とは言えないし、それに対して、「現在の日本人が「それはそうだ。悪かった。謝るよ」と安易に答えれば、日本は「何の理由もなく韓国人の「民族自決の希望」を武力で踏みにじったことになり、今後どんな要求をされるか知れたものではない。

また、「何を言ってるんだ。もっと悪い奴がいたから守ってやっただけじゃあないか」とか「そのおかげで生活は前よりよくなった筈なのだから、文句を言うな」等と言い募っていれば、いつまでも喧嘩が続いてしまう」といわれる。これは、いかにも日本が自分の悪事を他者の悪事をあげつらうことで正当化しているように聞こえるが、これも平和な時代の個人的倫理を国際政治にあてはめているだけの話で、今日の中韓の言動を見れば、国際政治がそんな生やさしいものでないことは誰の目にも明らかである。

まして、「日本は、『明治維新から終戦(解放)に至までの間、日本が国として韓国人に対してやってきた事は、基本的に悪い事だった』と認め、謝罪する。それで『歴史認識』の本質的な問題は決着だ。後の問題は、厳密な史実に基づいて、個別に是々非々で議論すればよい」という論に至っては、そもそも「前の問題」を「厳密な史実に基づいて」検証できなければ、「後の問題」を「厳密な史実に基づいて、個別に是々非々で議論」することなどできるわけがなく、論外という外はない。

私見では、「韓国併合」問題のポイントは、「併合のほかに道はあったのだろうか」と問うことだと思う。最善の方策は、伊藤が当初意図していた通り、「保護国統治にとどまり、韓国は、エジプトやモロッコなどのように、民族の自治を守りつつ、植民地解放の時代を待つこと」だったろう。だが、残念ながら、その伊藤自身、「大筋としては早晩併合がやむをえないことを認めた」のである。(「小村寿太郎とその時代」)

 次に、伊藤がこうした判断をするに至ったことについての岡崎久彦氏の見解を紹介する。

伊藤の君子豹変
 また伊藤は韓国でも信頼されていた。マッケンジーによれば、「彼は韓国の独立剥奪の仕事に当ったのであるが、それにもかかわらず、他の日本人にはとうてい真似ることができないほどの好感を韓国の責任ある地位の人びとに与えて、その尊敬を受けた。このことは十分留意すべきである。彼は韓国民に対して誠実に好意を抱いていると感じられたのである。……彼の人徳は彼自身のものであり、彼の統治上での欠点は、すべて日本帝国の拡張にともなう避けられない付随物である、とみなされていた」と書いている。

 したがって、一九〇九年、桂と小村が韓国併合を決定したときは、当然伊藤がそれに反対するだろうと予想して、二人はその説得のために準備してかかった。ところが、意外にも伊藤はその場で、大筋としては早晩併合がやむをえないことを認めた。

 この伊藤の態度については、従来さまざまな解釈がある。韓国独立を志向する人にとっては、それはいままでの伊藤の言動、約束に反するものであり、韓国人の伊藤への信頼の裏切りである。他方、帝国主義的拡張は日本の国威を発揚するものであり、日本人たるもの元より志向すべきものであるという戦前の史観では、伊藤のそれまでの言動のなかに暗に併合を仄めかすのもあったことを考証して、伊藤はそう軟弱ではなかったことをしめすものだと伊藤を庇っている。

 この問題はそこまで難しく考えなくてもよいと思う。他人の国を併呑するのは悪、保存するのは善という価値観、あるいはその逆の価値観で歴史を見ようとするから、なぜ善から悪へ、あるいはその逆に百八十度転換したかという矛盾に悩まねばならない。

 伊藤の気持を考えれば、併合も保護関係の維持も、現実性のある選択肢の一つだった。保護のほうがよいとは思うが、ここまで韓国人に日本不信をもたせてしまっては、それではおさまらないかもしれない。それなら併合しかないのかもしれない。そういう選択肢のあいだの迷いだったのであろう。

 かつて、伊藤は憲法の運営で超然主義政治から政党政治へと変り、外交では日露協商から日英同盟支持へと変った。それと同じように、伊藤から見ればそれぞれ一長一短はあるが、どちらに決定しても、その短を補い長を伸ばせば、いずれも現実的な選択肢となりえたのである。

 伊藤は満洲問題では譲らなかった。伊藤の眼で見て、韓国は満洲とはまったくちがっていた。日本による韓国の自由裁量権は、日清戦争で清国が、日露戦争でロシアが、日英同盟で英国が、桂タフト協定で米国が、それぞれ認めているのだから、保護国か併合かのどの選択肢をとっても、日本の安全が脅やかされる心配はまったくなかった。外交が日本の安全を守っているのである。しかし満洲は、後年の満洲事変にそれが最も典型的に表われるように、米、中、露いずれもが反対のなかで日本が孤立して進出しようというのであるから、いつかはその三国すべてを敵にまわして戦う危険を蔵していた。現に歴史の結果はそうなり、日本帝国の破滅の遠因となった。

 戦後史観では、韓国併合も満洲建国も、同じ帝国主義の悪として片づけているが、そのように歴史を倫理観だけで見ると、外交の巧拙も戦略の是非も評価できなくなってしまう。

 一言でいえば、韓国を併合するか、保護国としておくかは、国家政策論として――倫理論でなく――伊藤の特質であるその柔軟性の許容範囲内だったということである。

 併合のほかに道はあったのだろうか

 ところで歴史を振り返って、他の選択肢はあったのだろうか。韓国側がもっと徹底して抵抗すれば、単純に武力による制圧という可能性はつねにあった。それがあるからこそ韓国側が涙を呑んで次々に譲歩したのである。ハーグ密使事件に際しては、伊藤は協約の精神違反であるとして宣戦布告の可能性をもって脅し、皇帝の御前会議では、親日派の閣僚は、もちろんそれが不可能なことを知ってのうえの発言であるが、謝罪しないかぎり「決然日本と戦うの外なし」と述べている。

 脅迫による屈従を韓国が拒否した場合は、何らかの形での協約による合意という形式でなく、列強によって併合された多くの植民地、典型的には中央アジア諸国のように、武力による併合という形となったのであろう。そして列強は誰も異議を唱えなかったであろう。

 日本が戦わなければ韓国がロシアの領土となったことは、当時の国際情勢観測者が一致しているところで、この点はほとんど疑いがないとしても、歴史上の仮定としていちばん難しいのは、このロシアの意図を日本が排除したあとで韓国の独立を保全し、日韓の長期的信頼関係を固めるという選択肢が存在していたかどうかである。第二次大戦後の植民地解放と主権平等の世界になってから振り返ってみれば、そのほうがよかったことは明々白々である。問題はそれが現実の可能性として存在していたかどうかである。

 結論からいえば、可能性はほとんどなかったというほかはない。まず、当時の日本としては、ロシアの韓国征服の意図を排除したなどととうてい言い得る状況になかった。ロシアの報復戦の恐れは、帝政ロシアが崩壊するまで、あるいはずっと後でスターリンが揚言したように、日露戦争の復讐が完了する第二次大戦の敗戦までつねに日本のうえに重く蔽いかぶさっていた。

 他方、韓国とのあいだに長期的信頼関係を築く見通しも明るくはなかった。韓国には閔妃事件以来、あるいは文禄・慶長の役以来の対日恐怖心、猜疑心がある。日露戦争に際して韓国が一個連隊でも出して共に戦っていれば戦後の状況はちがっていたという論には一理あるかもしれないが、日本の過去の行動を考えれば、当時の韓廷はただ恐怖と猜疑をもって日本の出方を見守るばかりで、積極的に協力する意思などまったくなかった。まして、ロシアが勝つ公算のほうが大きいと見られている戦争で、日本側についてロシアに韓国併呑の容易な口実を与えるリスクを冒す必要はまったくなかった。

 韓国は、日本とどんな特殊関係――それが友好関係の名の下でも――をもつことも嫌がり、日本が特殊な地位を主張すればするほど、ロシアかシナに頼ってバランスをとろうとしたであろう。それはまた自主の国の外交として当然である。そうなると、いつまたロシアが甘言と脅迫をもって復帰してくるかわからない。いままで紹介した文献から見ても、当時の日本側はそこまで読んでいた。そこまで読み切っていた日本が、日露戦争の戦果をむざむざ捨てることは考えられないことであった。

 つまり、過去の歴史のために、韓国側は猜疑心の下に隠微な抵抗を続け、日本はこれを抑えつけるためにますます脅迫と強引な行動に訴えてさらに韓国人の信頼を失うという悪循環が、そのまままっしぐらに併合の悲劇へと進む勢いとなっていたとしか言いようがない。歴史の流れをいまさら変えるのは困難な情勢となっていた。

 帝国主義時代に弱小国の安住の地はなかった

 畢竟は当時の言葉で社会的ダーウィニズムといわれた弱肉強食のジャングルの掟が国際関係を支配した帝国主義時代が去り、植民地解放時代、さらにぼソ連邦の解体が訪れるまでは、力をもたない国には安住の地がないのが冷厳な事実だったのであろう。日本もまた、もし日露戦争で勝たなければソ連邦の解体までは国家としての自由を奪われていたはずである。

 帝国主義時代のアジアで独立を維持し得たシャムとペルシャは、英仏間、英露間の緩衝地帯として勢力圏に分割されながらもわずかに独立を保った。しかし前にも見てきたとおり、究極の目的が朝鮮半島の南岸であるロシアは、いずれは韓国を併合するまでの暫定措置以外には、韓国を緩衝地帯とする意向はまったくなかった。そうなると、英仏が争うスエズ運河をもっているエジプトと同じように、どちらかに占領される運命だった。

 日本にとって取りえたせめてもの最善の措置は、同化政策などは厳しく自制して、英国のインド統治のように不良日本人の流入を禁止し、韓国内における韓国人の土地や権利を尊重することだった。それでも怨恨と抑圧の悪循環を完全に中断しえたかどうかはわからないが、マッケンジーの記述から見ても、一般国民や知識層の一部から真の支持が得られる可能性は十分あった。もしそうなっていれば、伊藤が当初意図していたような保護国統治にとどまり、韓国は、エジプトやモロッコなどのように、民族の自治を守りつつ、植民地解放の時代を待つことができたのであろう。

 そう思えば、結局、伊藤の考え方は、当時の帝国主義の世界の常識のなかでも最も穏健な部類に属するものだったといえよう。それはまた当時の英米の専門家が韓国民の幸福のために一ばん良いと考えた方向でもあった。その伊藤が一九〇九年に逝ってしまう。伊藤の死は、明治維新によって解き放たれた自由閥達な精神が横溢していた明治という時代の終りを象徴するものでもあった。」

 以上、結論をいえば、「併合のほかに道はなかった」ということである。ただ、その場合も「日本にとって取りえたせめてもの最善の措置は、同化政策などは厳しく自制」して、「一般国民や知識層の一部から真の支持が得られる」よう努めるべきだったろう。こうした民族問題の困難に気付かず、同化政策を平等政策としか見れなかったところに、昭和の「尊皇思想」の最大の問題点があったわけだが、同化が平等を指向し、結果的には「九分通り公平な朝鮮統治」(『日本の朝鮮統治を検証する』)となったことは、不幸中の幸いとしなければならない。

 松本氏がこれまでに展開された論についてはは、冒頭申し上げた通り、私はおおむね賛成であるが、以上指摘した点については、異議を申し立てざるを得ない。松本氏は、

「そもそも、韓国政府は、何故今になってもなお、100 年以上も前の日韓併合の問題について、諸外国の注意を喚起しようとしているのだろうか? これによってどういう結果が出る事を期待しているのだろうか? その「国としての戦略的な意図」が私には全く理解出来ない。もともと植民地主義というものは、一時期欧米諸国が世界中で推し進めたものなのだから、現在の韓国政府が「日本の植民地主義の為に自分たちは不当な扱いを受けた」といくら訴えてみても、欧米諸国はどう対応すればよいのか思いも及ばず、ひたすら当惑するばかりだろう。」

といっている。従って私は、以上指摘したような観点については先刻ご承知だと思っていたが、必ずしもそうでないことが判った。この原因は、韓国の主張の背後に「併合の他に道はあった→韓国は自力で近代化できた→それを武力で圧殺したのが日本」という図式が伏在していることを見抜けなかったためだと思う。韓国はそうした図式を前提に日本に謝罪を求めているわけで、松本氏のような応答をすれば、私はタダでは済まないと思う。最近の韓国最高裁の判決もこうした考え方に依拠しているのではないか。

韓国がそのように自国に都合のよい歴史解釈をするのは、内政上仕方ないことだろう。しかし、日本としては、事実でないことは、事実でないとはっきり言わねばならない。それを松本氏のように、個人的な人間関係や良心の発露から、現代の価値基準を過去の歴史的事象にあてはめて謝罪を当然とすれば、それが将来の日本及び日本人にどれだけの厄災をもたらすことになるか、少しは想像を働かしてみるべきだ。

山本七平は、「日本人は敵国に対する憎悪は理解できるが、民族間の憎悪は理解できない」といった。事実でもないことを認めて、民族間の憎悪を正当化するようなことは、決してやってはならない、と私は思う。

(参考)
1906年1月、統監に赴任する前に新聞記者に対して行った伊藤の談話
 「従来、韓国における我が国民の挙動は大いに非難すべきものがあった。韓国人民に対するや実に凌辱を極め、韓国人をして、ついに涙を吞んでこれに屈服するのやむなきに至らしめた。・・・かくのごとき非道の挙動はわが国民の態度として最も慎まねばならないところである。・・・韓国人民をして外は屈従を粧い、内にわれを怨恨するの情に堪えざらしめ、その結果ついに日韓今日の関係に累を及ぼすがごときことがあったならばまことにいかんとすべきところである。・・・かくのごとき不良の輩は十分に取り締まる所存である。」

2013年10月 1日 (火)

南京事件についてのまるきよさんとの対話

*参考までに、2012年3月22日 (木)「南京事件(3)――東京裁判が捏造した「南京大虐殺」を信じた日本人、信じなかった日本人」のコメント欄で交わしたまるきよさんとの対話を再掲させていただきます。

(ま)ちょっとお聞きしたいのですが、南京安全区には支那人以外の外国人はいたのでしょうか?
投稿: まるきよ | 2012年10月27日 (土) 12時16分

(ま)もうひとつもしご存知なら教えていただきたいのですが、撫順戦犯管理所の元囚人である日本人が南京大虐殺を証言していることは知っているのですが、太原戦犯管理所にとらわれていた日本人達も南京大虐殺の残虐行為を自白したのでしょうか?
投稿: まるきよ | 2012年10月27日 (土) 12時24分

(tikurin)まるきよさんへ

昭和12年12月16日に日本大使館に提出された「南京残留西洋人リスト」によると南京に残留した外国人は22名、その内15名で南京安全区国際委員会が組織されました。太原戦犯収容所組で南京大虐殺を証言したのは、永富 博道・元曹長がいます。(参照
彼らの証言は洗脳の結果ですから病理学の研究対象ですね。
投稿: tikurin | 2012年10月27日 (土) 22時52分

(ま)ありがとうございます。国際委員会のメンバーは安全区にいたんですよね? では残りの西洋人はどこにいたんでしょうか? 彼らも安全区に避難していたんでしょうか?
投稿: まるきよ | 2012年10月28日 (日) 06時47分

(tikurin)まるきよさんへ
tiku もちろん安全区です。その安全区には外国人や富裕なシナ人の家がある地区が含まれていました。シールズ(英国の中華工業国外貿易協会支配人)は、安全区にそういった地区を含ませたのは自分たちの財産を守るためではないかと疑念を呈していました。

 なお、「南京残留西洋人リスト」は22名で、その内アメリカ人が14名、ドイツ人5名、オーストリア人1名、白系ロシア人2名です。しかし、安全区国際委員会のメンバーの中には、このリストに含まれていない人物が6名も含まれています。従って、実際の南京在留外国人の総数は28名程度だったものと思われます。この数字は昭和13年1月6日に南京に還ったアメリカ大使館員のエスピー報告にも見えます。

 これらの外国人の中で、日本軍の残虐宣伝に従事したのはアメリカ人が中心で、ベイツ(金陵大学教授)、ミルズ、マギー、マッカラム、フィッチ(宣教師)、それに、スマイス(金陵大学教授)、ウイルソン(医師)が関わったようです。彼らが親中派のドイツ人ラーベ(ジーメンス洋行の「武器商人」でヒトラー心酔者)を安全区国際委員会委員長に祭り上げて、その実態を隠そうとした。その他の国際委員会のメンバーは、そうした彼らの謀略的宣伝行動の危険性を察知し、それを止めさせようと働きかけていたことが判っています

 なお、南京陥落後の12月15日にオアフ号で南京を離れた英米人ジャーナリストとしては、ニューヨークタイムスのスティール、ダーディン、ロンドンタイムスのマクドナルド、APのマクダニエル、ロイターのスミスの名が知られていますが、前三者の記者に、ベイツが「日本軍のありとあらゆる暴状」を話しており、これが12月17日以降の欧米の各新聞に掲載されるようになり、日本軍を統制のとれない悪辣な軍隊とする報道が相次ぐようになりました。しかし、後二者は「自分が見ただけ」を記しています。(以上『「南京大虐殺」への大疑問』松村俊夫参照)
投稿: tikurin | 2012年10月28日 (日) 12時28分

(ま)詳しく教えていただきありがとうございます。
ところで、「南京大虐殺」を捏造したのは端的にいえば東京裁判なのか南京軍事法廷なのか、どちらなのでしょうか? 
私としては南京軍事法廷、つまり主犯が中華民国で共犯がアメリカだと理解しているのですが、この認識は間違っていますか?
投稿: まるきよ | 2012年10月29日 (月) 07時07分

(tikurin)まるきよさんへ
南京事件については拙稿「南京大虐殺の真相」で論じていますからそちらをご覧下さい。

tiku 主体は「国民党中央宣伝部」で、その宣伝活動を肩代わりしたのは、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員で国民党中央宣伝部顧問だったティンパーリと、南京金陵大学教授で中華民国政府顧問であったベイツ、それフィッチ(彼の妻が蒋介石夫人の宋美麗の親友であったとされる)でした。特にベイツはアメリカ人宣教師が中心となって組織した南京安全区国際委員会を主導し、日本軍の南京入城直後からその暴虐を世界に宣伝する工作を行い、その集大成として書かれた本が「戦争とは何か―南京に於ける日本軍の暴行」(ティンパーリ編1938.7)で、これが「南京大虐殺」を証言する基本資料となりました。これが、どれだけ事実に基づくものであったかを検証したのが上に紹介した拙稿です。

 では、なぜ、国民党中央宣伝部はこのようなやり方をしたかというと、「南京に於ける日本軍の暴虐」を国民党の宣伝ではなく、中立的なジャーナリストや大学教授・宣教師による告発であるように見せかけ、それに真実味を持たせるためでした。
しかし、こうした国民党の宣伝活動は、当時、国民党自身によってはほとんど為されて居らず(おそらく国民党軍の撤退作戦のミスが知られていて、その被害を大きく宣伝することは不利と考えられたのではないか)、従って「南京大虐殺」というのは、当時の欧米のマスメディアを騒がした程度に止まったようです。といっても、アメリカにおいては着実に日本軍に対する残虐イメージを高める効果を持ったようですね。それがアメリカを対日参戦させる上で効果的な国民党による謀略宣伝であったとすれば、この宣伝は大成功であったということになります。

 そして、これが戦後の東京裁判でも利用されることになりました。アメリカにとっては日本に対する原爆投下をはじめとする都市の無差別爆撃という残虐行為の罪を、日本軍の「南京大虐殺」を持ち出すことで相対化することができました。また、国民党にとっては戦後の中共とのヘゲモニー争いの中で、「以徳報怨」で日本軍を寛大に扱う一方、暴虐な日本軍との戦いに勝利した自らの功績を国民にアピールする必要がありました。だから、東京裁判で南京大虐殺が持ち出された時日本人は寝耳に水で大ショックを受けたわけですが、いささか誇大宣伝が過ぎたために、その後はあまり話題に上ることはありませんでした。

 ところが、文革後の中国の経済再建の必要から中共が日本との国交回復が必要と考えるようになると、今度は国民党に代わって中共が、日本に対する外交戦略として,日本の中国に対する贖罪意識を甦らせることで、この交渉を有利に進めようとする戦略をとるようになりました。それが、昭和45年の朝日新聞の本多勝一による「中国の旅」の連載報道になるのです。日本はこの心理的「負い目」から、それまでの中華民国政府との外交関係を断ち切り、中華人民共和国を唯一の中国の正統政府として認めることに同意して外交関係を樹立し、その後膨大な経済援助を行い中国の復興と近代化を助けました。

 つまり、このように中国の外交戦略は見事に成功したわけですが、その外交カードとして使われたものが「南京大虐殺」をハイライトとする日本軍の中国における残虐事件だったわけです。ところが、こうした中国の宣伝を真に受けて、それを事実と思い込む「良心的」日本人や「迎合的」日本人、さらには「自虐的」日本人が沢山現れました。この結果、中国はその後も繰り返し、これを歴史認識の問題として外交カードに使うようになりました。また、「自虐派」の学者らはこれらの残虐事件が事実であることをなんとか証明しようとしました。

 これに対して、それは中国の宣伝だったのではないか、と疑う人たちも出てきて論争が始まり資料発掘も為されたわけですが、その結果、以上述べたような事実関係が次第に明らかになってきたのです。なお、こうした動きの端緒となったのが、本多勝一の南京大虐殺関連記事「百人斬り競争」をフィクションとしたイザヤ・ベンダサンの論考、鈴木明の「南京大虐殺のまぼろし」、山本七平の「私の中の日本軍」などです。これらの人たちと後続の研究者のおかげで、この事件の真相と、その宣伝によって捏造された部分との腑分けができるようになりました。

 で、南京軍事法廷と「南京大虐殺」との関係ですが、南京軍事法廷では、第6師団長谷寿夫、第6師団歩兵第45連隊中隊長田中軍吉、そして「百人斬り」の第16師団歩兵第9連隊-第3大隊-歩兵砲小隊長向井敏明と歩兵第9連隊-第3大隊副官野田毅少尉の4人が処刑されています。後二者については裁判記録(上申書や判決書)が残されており、この事件の真相がこれを取材報道した東京日日新聞(毎日新聞の前身)の従軍記者浅海一男の戦意高揚のための創作記事であったことが明らかとなりました。また、前二者についても虚構の事件を捏造するための「生贄」処刑と言うしかありません。しかし、この裁判についての国内報道はわずかで、その裁判のデタラメさが問題とされることはありませんでした。

 ここで問題となるのが、こうした中国の残虐宣伝に材料を提供することになっていたのが、日本の新聞の誇大戦果報道だったということです。この典型的な例が「百人斬り競争」で、ティンパーリの「戦争とは何か」にも収録されました。この報道の真偽をめぐっては日本では裁判も行われ、これを「据えもの斬り」だったと新たな捏造を行った朝日新聞、当時の淺海記者の取材は正当だった(つまり二少尉の話をそのまま記事にした)と主張した毎日新聞に典型的に見られるように、日本のマスコミの事実検証能力のなさ、「時の勝者」への迎合的体質、責任転嫁体質が明らかになりました。

 そこで、これらをまとめて「南京大虐殺」を捏造したのは誰か、というと、その主体は国民党中央宣伝部、その宣伝活動を肩代わりしたのが、欧米の新聞記者と南京のアメリカ人宣教師や学者、そうした宣伝に格好の材料を提供したのが日本軍の誇大戦果発表と戦意高揚記事を書き続けた日本の新聞、それを東京裁判で利用したのがアメリカと中国国民党、さらに日中国交回復期の外交交渉のカードとして利用したのが中共、それを真に受けて事実と強弁しかえって墓穴を掘ったのがいわゆる日本の「自虐派」知識人・ジャーナリストということになります。

 ここからどういう教訓を得るか、それが今後の日本人に残された課題だといえます。まあ、「世界で最も謀略に弱い国」と日本が言われるのは、日本人が言論による事実究明が十分できず、また、価値論争が徹底せず空気支配に陥りやすいためで、この弱点をいかに克服するかが今後の第一の課題ではないかと思います・・・とは言え、この事件の真相解明に時間はかかりましたがなんとか成功したわけで、大したものだと思いますし、研究者の皆さん方のご努力に対し心から感謝しています。
投稿: tikurin | 2012年10月29日 (月) 14時08分

(ま)tikurinさん、どうもです。南京事件は全体像は見えているのですが、所々で知識が曖昧だったり、国家や機関や人物の相関関係がつかめないところがありました。理解するためのパーツが少し埋まりました。ありがとうございます。
投稿: まるきよ | 2012年10月30日 (火) 07時33分

(ま)再度失礼いたします。南京大虐殺の日本人の証言者は撫順と太原収容所で洗脳された元兵士。それと東史郎。この二つしか知らないのですが、他に何かありますか?
また東史郎はなぜ洗脳されていないのに嘘の証言をしたのでしょうか?
投稿: まるきよ | 2012年10月31日 (水) 10時12分

(tikurin)まるきよさんへ
tiku 南京事件の証言者と言っても、戦闘従事者の日記や書簡、作戦命令書、戦闘詳報、陣中日記から、実際に”やった、見た”と言う兵士の証言、”聞いた”という伝聞証言、さらに架空の作り話までいろいろあります。

この内一次資料として扱える主なものは偕行社の『南京戦史資料集』に収録されていますのでご覧下さい。なお、お尋ねは「嘘の証言者」についてでしょうが、これについては南京事件の全体像解明の最大の功労者板倉由明氏の『本当はこうだった南京事件』の「にせ証言の代表者たち」に詳しく書いてあります。webにも紹介されていますので紹介しておきます。「南京事件 偽資料列伝6」http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html

ついでですので、これら虚言者の主なものを列挙しておきます。(参照

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い
中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

では、なぜこのような偽証言者が輩出するかという問題ですが、その時代の「正義の流行」に迎合して名を売ろうとする人物に事欠かない、ということです。

また、それを事実の検証もせず持ち上げ「英雄」に祭り上げるマスゴミの存在でしょうね。

最近でも上杉某という虚言癖を持つジャーナリストとそれを支持する信者が話題に上っていますが、日本ではそうした虚言癖を持つ人物――従軍慰安婦問題での吉田清治や南京大虐殺の中山重夫など――が「流行の正義の仮面」をかぶった時、それを怪しむのではなく逆に信じ込んでしまう例が極めて多いのです。

こうした傾向は、朝日新聞などの日本の大手メディアにもあり、さらに、それが虚言であった事がばれても、訂正しないで頬被りする、例の「百人斬り競争」について言えば「据えもの斬り」という罪を捏造してまで二少尉を罪に落とそうとするのですからひどいものです。

こうした日本人の「迎合的虚偽自白」の問題点の指摘は、イザヤ・ベンダサンが『日本教について』で行っていますが、いわゆる勧進帳の世界なのですが、日本にも旧約聖書の十戒にあるように「嘘の証言」を罪とする伝統を根付かせる必要がありますね。
投稿: tikurin | 2012年10月31日 (水) 12時01分

(ま)疑問が出てきたので、また質問させていただきます。もしご存知ならお教えください。
1.撫順・太原戦犯管理所以外に洗脳が行われていた捕虜管理所はありますか? その結果、虐殺を証言した日本人はいますか?

2.洗脳されていない人間で見聞ではなく実行者を名乗った人物はいますか? 私は東日記は読んだことがないのですが、彼は「南京大虐殺」を実行したんでしょうか? それともただ見聞しただけなのでしょうか?

3.先に名前の上がった元兵士で富永博道と太田壽男は中国共産党に洗脳されたようですが、他の日本人は違うのでしょうか?
投稿: まるきよ | 2012年11月 8日 (木) 17時16分

(tikurin)まるきよさんへ

>1.について
tiku ないと思います。撫順・太原戦犯管理所における洗脳の様子は田辺敏雄氏のサイト「脱洗脳史講座」http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/mokuji.html
に詳しいです。

>2.について
tiku いくらでもいます。その証言で一次資料的価値のあるものは偕行社の「南京戦史資料集Ⅰ、Ⅱ」に収録されています。また、その基になった資料集として畝本正巳史の「証言による南京戦史」があります。

なお、東日記の信憑性については、松尾一郎氏のサイト「南京大虐殺派ウソだ
で検証されています。もっとも裁判でその虚構性が証明されていますが。

>3.について
tiku 富永ではなく永富です。彼は太原戦犯管理所、太田は撫順戦犯管理所です。その他の先に名前の挙がった人物は洗脳の結果ではなくて、有名になりお金になりさえすればウソをつくことも平気な人たちで、まあ、中国で言えば「漢奸」ということで最悪人ということになりますね。

ところが日本ではこれが罪を率直に認めた勇気ある人物と言うことでマスコミがこれを持ち上げあちこち公演に連れ回すのですから困ったものです。おそらくこれは日本人の「オレが悪かった、イヤオレが悪かった」という一種の相互懺悔告解方式による和解の伝統に基づくもので、日本人はこうした態度が賞賛の対象になるのです。

ところが、中国や韓国ではこれは罪を認めたと言うことで徹底的な糾弾の対象となります。彼らを支援したマスコミはその違いが全く分からず、こうした日本の伝統的な和解の方式に無意識的に従っているのでしょう。従って、彼らは自白者の証言内容を全く検証しようとしません。それは、「オレが悪かった」と率先して自分の落ち度を認める態度こそが大切だと考えるからで、それを検証する必要を認めないのです。

しかし、その「自白」には、”それによって罪が許される、許してもらえる”という甘えがありますし、マスコミには”勇気ある懺悔”として称讃されるのですから、それへの迎合が嵩じて、その証言内容がエスカレートし、虚実入り交じった残虐話になってしまうのです。その結果、そこで得られた証言が、相手によって「動かぬ証拠」とされ糾弾、賠償の対象となるのです。

ここで、こうした日本人の心的態度と共に明らかになってくるのが、”事件の処理において「事実の検証を徹底してやらない」”という問題点です。それからもう一つ、「偽証を罰する伝統がない」ということです。国会議員でも平気で嘘をつきますし、それがマスコミで糾弾されることもほとんどない。

南京大虐殺や慰安婦問題などの誇大宣伝・虚偽宣伝が未だにまかり通っているのは、実はその根底には、以上指摘したような日本人の伝統的な考え方が伏在しているということ、こうした伝統を私たち日本人は自覚的に対象化する必要があると思います。こうして視点をもって、これらの問題を考えることが大切だと考えています。
投稿: tikurin | 2012年11月13日 (火) 13時00分

(ま)おっしゃる通りだと思います。
日本的集団主義の共同体の内の論理、論理的に導かれた結論ではなく調和と無責任なその場の空気が優先される社会が問題を起こす原因になっています。GHQの占領政策に起因する問題でもありますね。
貴重なご意見と有用なサイトのご紹介ありがとうございます。
投稿: まるきよ | 2012年11月14日 (水) 17時28分

(ま)tikurinさん、こんにちは。
先日、北村稔の「南京事件の探求」を読みおえました。本書によると、判決文で南京軍事法廷でベイツとスマイスは日本軍の非人道的行為を目撃したことを証言したそうなのですが、その証言の全文を読んだことがありますか? これは公開されていないのでしょうか? 
投稿: まるきよ | 2013年9月10日 (火) 13時18分

(tikurin)まるきよさんへ
その証言のオリジナルテキストが『戦争とは何か』なのですよ。さらに、この編集過程を明らかにしたのが『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』南京事件調査研究会編訳です。
投稿: tikurin | 2013年9月11日 (水) 14時48分

(ま)スマイスはどうでしょうか? スマイスが南京市内と郊外での中国人死傷者の調査結果を記した本(南京戦禍写真)を南京裁判に提出したことは分かっています。その本とは別に南京裁判でのスマイスの意見書または口頭での証言の記録は残っているのでしょうか?
投稿: まるきよ | 2013年9月14日 (土) 09時45分

(tikurin)まるきよさんへ
tikurin東京裁判ではスマイスは宣誓口述書を提出しただけで証人台には立っていません。弁護側が反対尋問を受けない証言は認められないと強く抗議しましたが、検察側は氏を承認として立てる意志はないと突っぱねています。おそらく、他の証人の証言内容と余りにかけ離れているのでマズイと思ったのでしょう。

その口述書は裁判で朗読されています。その記録は『日中戦争史資料8南京事件Ⅰ』P113に掲載されています。内容はラーベ(レーブと表記)と一緒に一般支那住民や武装を解除された兵士に対する虐待行為に関して、ほとんど毎日それを二通の抗議書にまとめて日本大使館に持参したこと(「南京安全区檔案」『日中戦争資料9南京事件Ⅱ』所収)。1938年の春に「南京地区の戦禍及び都市村落の調査」を作成したことが記されているだけです。
調査書の全文は『日中戦争資料9南京事件Ⅱ』に掲載されています。(参照「L.S.Cスマイスの戦争被害調査」)

なお、その調査書の分析は多くの方が行っていますが、『全貌』平成4年10月号に掲載された「『スマイス調査』が内含する真実を探る」が参考になります。
投稿: tikurin | 2013年9月15日 (日) 00時04分

(ま)私が申し上げているのは南京軍事法廷のことなのです。
北村稔の『南京事件のまぼろし』の71pにはこう書いてあります。
「そして以上の「南京罪行調査報告書」を補完する証拠資料としてティンパーリーやスマイスの著作が援用されるのである。」
「このほか外国人記者ティンパーリーの著した『日軍暴行記実』や、スマイスの著した『南京戦禍写真』、さらに南京攻防戦に参加した我が軍の営長の郭岐が著した『陥都血涙録』があり、これらの書物の各部分はことごとく一致する。
また当時の南京にとどまったアメリカ人教授のベイツやスマイスは目撃した実情に基づき本法廷で宣誓署名して事実であることを証言した」

また168pにはこう書いています。
「このあとスマイスは第二次世界大戦後の南京での戦犯裁判に際しても書面による宣誓を付して自らの報告を法廷に提出する「南京事件関係資料編 308ページ)」

スマイスは南京軍事法廷で証言台に立って証言したわけではないのでしょうか? 書面による証言だけなのでしょうか? おそらく口述書は東京裁判で朗読されたものと同じだと思いますが、証言台に立って何か具体的な日本軍の戦争犯罪を証言したのかどうか、もししたのなら、それはどのような内容なのかが知りたかったのです。
投稿: まるきよ | 2013年9月29日 (日) 12時48分

(tikurin)まるきよさんへ
P168に、書面による宣誓署名と書いてあるじゃないですか。その証言内容は、南京事件関係資料 中国関係資料編308にある通り、「戦争とは何か」(「中国における日本人の暴虐」)に付録として掲載された抗議書と、スマイスの作成した調査報告書のみであって、それと判決文とが全く食い違っていることは、「南京事件の探求」p168にも「スマイス報告の内容が「30万人大虐殺説」と矛盾することに気がつかなかったのであろうか。いずれにせよ判決書としてはずさんの極みである」と書いてあるじゃないですか。
要するに彼らはこれらの本に書いた以上のことは証言していないのですよ。そこが中国人とは違うところですね。
投稿: tikurin | 2013年9月30日 (月) 02時11分

(ま)tikurinさん、どうもありがとうございます。これですっきりしました。
投稿: まるきよ | 2013年9月30日 (月) 11時30分

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