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2014年1月

2014年1月29日 (水)

政局好きの小泉元首相が読むべき、山本七平著『日本人と原子力』

小泉元首相が、東京都知事選で「原発ゼロ」を掲げて戦う細川元首相を担ぎ、「原発即ゼロ」を叫んでいます。知事選の争点を「これは、原発ゼロで日本が発展可能というグループとそうでないグループの戦いだ」などと言って、かっての郵政選挙の時と同じような、シングルイシューの対立構図にしようとしているのです。

しかし、あの時は、猪瀬氏の「日本国の研究」や竹中氏の経済理論があったからうまくいきましたが、今回は、きっとお一人で考えられたのでしょう、結果は、氏は「オリジナルの先見性がない」ことを自ら暴露することになると思います。まあ、細川氏が勝つとは考えられないし、また勝ったとしても東京都が国政を左右する力を持つわけでもありませんから、安倍首相は、「議論を活発にする上で有益ではないか」と余裕です。

「日本人と原子力」の問題は、日本が世界で唯一の被爆国ということもあって、これを冷静に論ずることは大変難しい。しかし、この問題は「エネルギー技術と人類史の発展」という歴史的文脈の中で考える必要があります。もし、これへの対応を誤ると、日本の経済力は深刻な打撃を受け、それがもたらす政治的・社会的混乱は計り知れない。何しろ戦前は、このエネルギー問題が原因で破局的な日米戦争に突入することになったのですから・・・。ちなみに、今日、反日攻勢を強めている韓国や中国は、原子力発電を止めるどころか、その大増設を計画しています。

実は、この議論は、福島の原発事故以前からなされてきたもので、山本七平は、今から約40年前に、その著『日本人と原子力』でこの問題を論じました。その後2011年3月11日に福島原子力発電所の過酷事故が発生し、日本人は改めて、その破局的な怖さを知りました。その月の31日に、私は、この山本七平の論を本ブログに紹介したのですが、これは、むしろ、今日の方がより説得力を持つのではないかと思いましたので、以下、その記事を再掲しておきます。

2011年3月31日 (木)
山本七平著『日本人と原子力』について

 山本七平は、「原子力発電」の問題を「エネルギーの歴史」という文脈の中で捉えていました。つまり、原子力は「人類のエネルギー史の一段階」として存在するものであり、同時に、「現代のエネルギー問題の一環」として存在るものである、というのです。(山本七平著『日本人と原子力』参照)

 つまり、原子力は「究極エネルギー」でもなければ、全てこれに帰一すべき「唯一のエネルギー」でもない。いわば人類が、脱水車、脱風車、脱木炭、脱石炭、そしてやがて脱石油をするように、将来はおそらく「脱原子力」の時代を迎えるであろう、と。

 といっても、こうしたエネルギー源の変化は、ある時期に一斉に切り替えがなされるのではなく、いずれの時代も数種が併存して使われてきた。そこで、脱石油後の主要なエネルギー源は何かということになると、それは原子力しかなく、従って「脱原子力」の時代が来るまでは、これを改良しつつ使うほかはない。

 日本は、明治以降、欧米諸国が試行錯誤の末に開発したこれらのエネルギー技術を、完成品として取り入れてきた。そのため、常にその技術に絶対安全を求め得た。ところが、そうした従来の日本のやり方が、今日の原子力の時代を迎えて、技術的にも不可能になりつつある。

 一方、少子高齢化に伴う労働人口の減少(=技術者の減少)が進む中で、さらに充実した高度福祉社会を維持して行くためには、相当のエネルギーを必要とする。しかし、当面その電力需要に応えるものは原子力しかない。従って、日本は、この未完成の原子力の安全利用に努めるとともに、それを、次の脱原発後のエネルギー開発へとつなげていかなければならない、というのです。

 この本は昭和51年に刊行されたもので、こうした山本七平の原子力発電に関する主張は、当時、原発に反対する勢力によって激しく批判されました。要するに原子力発電は危険!ということなのですが、これは言葉を換えて言えば、原子力を安全に平和利用する技術は、まだ未完成だ、ということに他なりません。

 不幸にして、今回の東北関東大地震に伴う福島第一原子力発電所の事故は、この原子力の平和利用における安全確保の技術に重大な隘路があったことを示す結果となりました。しかしこれは、地震の揺れと言うより想定外?の津波によるもので、もし、これが想定され、所要の対策が採られていたなら防げたはずの事故でした。

 従って、今回の事故は、日本にとっては誠に厳しい結果となりましたが、世界の原子力発電の安全性の確保という点から見れば、大きな教訓をもたらすものとなったことは間違いありません。これが想定外の天災によるものか、それとも当然想定さるべきことを怠った人災というべきかは、今後議論がなされることと思いますが・・・。

 私自身の印象としては、貞観の巨大地震の発生が学者により指摘され、また、万一の場合の電源喪失の対策についても、国会で指摘がなされていたとの報道もありますので、これは技術上の問題と言うより”人災”的要素の方が強いと思います。といっても、世界的に見れば原子力発電所がミサイル攻撃を受けることもあり得るわけで、今回の事故はその危険性への教訓にもなったと思います。

 もちろん、日本は、今回の事故を引き起こした当事国として、こうした安全対策上の技術を向上させていく歩みを止めるわけにはいきません。しかし、それと同時に、その他の自然エネルギー源の開発、例えば、水力発電技術(直流送電や小規模発電など)や、太陽光、風力、地熱、バイオ発電などとスマートグリッドの蓄電技術などを組み合わせた新技術の開発なども進めるべきです。

 残念ながら、福島第一原発の放射能漏れ事故が収まるまでには、まだ、かなりの時間がかかりそうです。しばらく落ち着かない日が続くことになりますが、以上紹介したような山本七平氏の所論も参考にしながら、今後の日本のエネルギー政策のあり方について、冷静かつ合理的な議論を積み重ねていく必要があると思います。

 なお、次の文章は、この本(『日本人と原子力』)の「あとがき」です。以上紹介した山本七平の主張を簡潔にまとめていますので、参考までの紹介しておきます。

あとがき

 あるいは鉄器ができたとき、あるいは水車が発明されたとき、石炭、蒸汽機関、鉄道、汽船、石油、内燃機関、航空機等々が登場したとき、人類の歴史は大きく転換した。そして新しく登場したものは、しばしば夢のような未来を想定させた。ライトがはじめて飛行機で空を飛んだとき彼は「人間が空を飛ぶようになれば、戦争はなくなる」という非常に面白い言葉をのべている。これは冗談でなく、彼は本気でそう信じ、まじめにそう考えたのである。しかしこの発明家の夢想は破れ、航空機は戦争の苛烈さを増し、世界の政治勢力の地図を大きく塗りかえただけであった。

 とはいえ、そのことは航空機が平和利用にも人類の相互理解にも役立たぬ無益な発明であったということではない。これは、人類がはじめて石器をつくって以来、常にくりかえしてきたことだとも言える。新しい技術、新しいエネルギーの開発は、人類の政治地図を大きく塗りかえ、その過程で恐るべき惨禍を人類に及ぼす。同時にそれは、人類にとって不可欠の存在となり、その利用は新しい技術の出現までつづき、この間、大きな便益を人類に提供しつづけたと。

 とはいえその便益は、常に「人類に平均」ではなかった。否、政治地図の塗りかえ自体が、それを独占したものの、一種の恐るべき支配力を物語っている。そしてわれわれは好むと好まざるとにかかわらず、石油時代の終りに位置し、新しいエネルギーの時代を迎えようとしているわけである。それは人類が常に経験してきたことだともいえるし、また、全く新しい事態だともいえる。というのは「終り」は常に一つの混乱を招来し、始まりもまた一つの混乱をもたらす。

 しかしいままでは、「終り」が来る前に、新しい技術が過去を葬って行ったわけ――いわば、水流が途絶えたわけはないのに、石炭と蒸汽機関にとって変わられたのであり、石炭が涸渇したのでないのに石油にとってかわられたという形で、相当に長い新旧並存期間があったわけである。だが石油に関する限りこの状態は同じでなく、今年就職した人が停年を迎えるころに、果して、今のような「ガソリンエンジンつき自動車」が存在し得ているかどうか、だれも明言できないのが実情なわけである。この意味では、今まで経験しなかった新しい時代なのかもしれぬ。

 多くの人は、生活水準の向上、完全雇傭、社会福祉、社会保障の充実、住宅問題の解決、老後の完全保障等、多くの問題が解決されねばならないと主張している。だがそういう主張をする人が、無意識のうちに前提としていることは「今の状態が半永久的につづく」ということなのである。それが本当に「保証」されているなら、その基本的な保証を基にして、さまざまな保証を行うことが可能であろう。だが本当にその「基本保証」は存在するのであろうか。

 どこかの国が、あるいは天が、それを 「日本と日本人」に保証してくれているのであろうか? 実をいえば、それはどこの他人も他国も保証してくれず、それを保証するものは、基本的にいえば「われわれの英知」だけなのである。そして英知とは、われわれが置かれている実情を正しく把握し、これに合理的に対処する能力に他ならない。

 エネルギー問題という、すべてを支えている前提の処理を誤れば、一切は空中楼閣として消えて行くであろう。(後略)

2014年1月25日 (土)

安倍首相の靖国神社参拝について――靖国神社は純粋の慰霊施設とし、歴史認識問題とは切り離すこと

 首相の靖国神社参拝に対して中国や韓国はなぜ反発するのか、ということですが、戦没者に対する慰霊ということなら、これはどの国でもやっていることですから、これを問題にするのはおかしい。では、中韓は何を問題にしているのかというと、靖国神社は、東京裁判の結果、戦争犯罪人とされた人物を祭神として祀っている。そこに首相始め日本の閣僚が参拝することは、「東京裁判の判決」及び「戦争(第二次世界大戦)により確定した戦後の世界秩序」を否定するものであり、それは日本軍国主義の復活を意味する、というものです。

 こうした非難に対して安倍首相は、「そもそも靖国神社には国のために戦った方々の魂があるだけで、考え方や主義・主張があるわけではない」。靖国神社に参拝することは「国のために尊い命を犠牲にされた英霊に尊崇の念を表し御霊安かれと手を合わせること」であり、「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作る」「不戦の誓いを新たにする」ものだと、と繰り返し表明しています。しかし、この問題は、靖国神社へのA級戦犯合祀を契機に顕在化したものですから、その意味を説明しなければなりません。

 おそらく、これは、東京裁判の結果戦争犯罪人とされ刑死した人も、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(s53.6.3超党派の国会決議)により、国内法上は犯罪人ではなくなっているし、その後の靖国神社の合祀基準(恩給法と戦傷病者戦没者遺族援護法で「法務死と認められたもの)にも合致しているから、A級戦犯合祀は問題とならない。また、日本の戦争責任については、村山談話を踏襲すると明言しているし、中国や韓国による「日本軍国主義復活」との批判も、中国の国防予算伸び率と比較すれば事実に反する、というものでしょう。

 では、ここにおける日本と中国や韓国との主張の対立点は何なのでしょうか。それは、「東京裁判の判決及びそれを支える歴史観」(いわゆる「東京裁判史観」)の評価を巡る対立なのです。つまり、中国や韓国は、今後も、東京裁判によって確定した「戦後体制」を維持したいと考えているのです。また、アメリカをはじめとする連合国にも、同様の思惑が働いているようです。こうした「戦後体制」の中での「靖国神社へのA級戦犯合祀」は、中国や韓国の思惑を正当化するとともに、世界と連携して日本を攻撃する格好の口実になっているのです。

 では、日本はこれにどう対処すべきでしょうか。それは、まず第一に、松平永芳宮司による靖国神社へのA級戦犯合祀は、外交的に間違いだったことを認めることです。松平氏は、これによって「東京裁判史観」からの脱却、を図ったのでしょうが、結果的には、中国や韓国による「日本軍国主義復活」攻撃を呼び込むことになりました。いうまでもなく、それは彼ら一流の政治的プロパガンダであって、その本当の狙いは、「東京裁判史観」を維持するためであり、これを対日外交の切り札として利用するためです。

 こうした中国や韓国の思惑が身勝手なものであることは言うまでもありません。実際、東京裁判は勝者による敗者の裁きであり、その判決や歴史観には、連合国の利害や一方的な思い込みが色濃く反映しています。といっても、全て間違いというわけではなく、日本人には到底できなかった資料発掘や事実解明が数多くなされたことも事実です。このことは、敗戦直後、幣原内閣下で取り組まれた「戦争の原因及び実相調査」(後に民間事業として調査を継続)を引き継いだ青木得三氏の次の言葉でも明らかです。

 「東京裁判の判決については種々の議論もあろうが、この裁判があったればこそ、種々の外交上の秘密電報、秘密記録、枢密院会議及び審査委員会の記録などが公にされた。又各被告の宣誓口述書も公にされた。私は本書を執筆するに当たって東京裁判の速記録に最も多く依頼した。もし本書が幸いにして人類永遠の平和と戦争発生の防御に役立つならば、それは又東京裁判の功績である。」(『太平洋戦争前史』第一巻p8)

 また、日本はサンフランシスコ平和条約11条によって「東京裁判の判決を受諾」していますし、国連憲章には「旧敵国が戦争により確定した事項に反すれば制裁を科す」とのいわゆる旧敵国条項も残っています。そんな中で、日本人は、虚実入り交じった「東京裁判史観」の腑分けをしていかなければならないのですが、実は、これができていない――つまり、今なお、「東京裁判史観」の呪縛を脱しきれない日本人が多いからこそ、中国や韓国による日本分断攻撃が功を奏しているのです。

 最近中国は、「日本は戦後の国際秩序に本気で挑もうとしている」(崔天凱駐米大使)と非難していますが、これは「東京裁判史観」の再検討を許さないということです。これに対して、松平宮司は、靖国神社にA級戦犯を合祀することによって、「東京裁判を否定」しようとしました(『靖国神社の祭神たち』p199)。よく知られていることですが、昭和天皇は、靖国神社へのA級戦犯合祀が、将来、日本批判の国際宣伝に使われる危険性を察知していましたので、合祀を思いとどまるよう働きかけました。しかし、松平宮司はこれを無視しました。その結果、昭和天皇は御親拝をしなくなりました。

 これに対して松平宮司は、晩年、共同通信記者に「合祀は(天皇の)ご意向はわかっていたが、さからってやった」といったそうです(前掲書p201)。前任者の筑波宮司は、昭和天皇のご意向を知り、また本人も同様の考えを持っていたのでしょう、靖国神社の本宮南に鎮霊社という小社を1966年に建て、靖国神社元宮に祀られていない1853年以降の戦没者を外国人も含めて無差別に祀りました。秦郁彦氏が靖国神社に確かめたところによると、1966年から78年10月の靖国神社合祀まで、A級戦犯はここに祀られていたと認めたそうです(『現代史の対決』p270)。

 この鎮霊社については、松平宮司以降その存在が隠されてきたらしく、今日では、鎮霊社にA級戦犯が祀られていたことを靖国神社は否定しているようですが、こうした靖国神社の松平宮司以降の考え方は、大きな問題と言わざるを得ません。なにより、戦没者の慰霊という主義・主張を超えるはずの問題を、「東京裁判の否定」という主義・主張を貫く手段として利用していること。そのためには、例え天皇のご意向であろうと、あえて無視するという、かっての昭和の軍人を彷彿とさせる言動・・・。

 秦郁彦氏によれば、松平永芳宮司は、尊皇思想家平泉澄と師弟関係にあり、「終戦を第11根拠地隊参謀(サイゴン)の海軍少佐で迎え、46年に復員」。53年に三等保安正として陸上自衛隊に入る」が、「リベラルな学風に傾倒していた学生たちには敬遠され」、その後「資材統制隊副隊長のポストを最後に」定年退官した。その後郷土福井の歴史博物館長を10年務めた後、靖国神社宮司に引き出された。平泉門下生らしく、皇室のあり方について自らの職掌を顧みることなく直言や諫言を繰り返していたそうです。こんな人物がなぜ宮司として選ばれたのか・・・。

 さて、安倍首相は、先に紹介した通り、「そもそも靖国神社には国のために戦った方々の魂があるだけで、考え方や主義・主張があるわけではない」。靖国神社に参拝することは「国のために尊い命を犠牲にされた英霊に尊崇の念を表し御霊安かれと手を合わせること」であり、「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作る」「不戦の誓いを新たにする」ものである、と言っています。では、靖国神社は本当に、特定の主義・主張を持たない純粋に戦没者の魂を慰霊する施設といえるか、と言うと、A級戦犯合祀に至る松平宮司の言動を見る限り、疑問とせざるを得ません。

 結論的に言えば、今日の靖国神社参拝問題は、松平宮司とその後継者が引き起こした問題なのです。もちろん、A級戦犯として刑死された人の中にも、広田弘毅や松井石根などのように同情すべき人もいます。また、収監された人の中にも、当然責めを負うべき人と、そうでない人がいます。B、C級戦犯となればなおさらです。しかし、その責任の度合いは歴史研究によらざるを得ません。政治家が決めることでもなければ、まして神社が判定することでもないのです。神社の本来の役割は、死者に対して無差別の慈悲を注ぐことではないでしょうか。

 今日、靖国神社参拝問題は、中国や韓国にとって、日本人が「東京裁判の判決やそれを支えた歴史観」を自らの視点で再点検しようとする試みを断念させるための、格好の攻撃材料となっています。では、こうした状況を打開するにはどうしたらいいでしょうか。おそらく、筑波宮司が行ったように、A級戦犯の合祀を、先に述べたような外交的見地から、無差別の戦没者慰霊施設である鎮霊社に合祀するのがもっともよかったでしょう。しかし、これを、その後任の松平宮司が、靖国神社本宮に「移した」のですから、このことをどう説明するか。

 安倍首相は、今回の参拝に際して、鎮霊社に参拝したことも併せて紹介しました。これは靖国神社が隠してきた鎮霊社のタブーが破られたことを意味します。つまり、靖国神社は特定の主義・主張に基づくものではなく、純粋に慰霊施設として存在すべきものであることを暗に示唆したとも受け取れるのです。安倍首相は、中国や韓国に対して「対話の窓口はオープン」といっています。靖国神社参拝問題についても、「謙虚に正しく説明し、対話を求めたい」といっています。

 これによって、中韓とこの問題についての話し合いができれば、中国や韓国が何をもって慰霊施設としての靖国神社の存在に疑いを持つのか聞くことができます。A級戦犯を合祀から外すことや、遊就館の存在が問題になるでしょうが、そのときは、靖国神社を純粋の慰霊施設とするための方策について説明し了解を得る。その方策としては、私は、靖国神社の合祀基準を無差別とすることや、遊就館を靖国神社とは別の歴史資料館とすることなどがあると思います。こうした措置については靖国神社の判断に任せるのではなく、国家がイニシアティブをとるべきです。

 私自身は、A級戦犯合祀の経緯から、鎮霊社にそれを戻すべきではないかと考えてきましたが、これについては、先ほど述べた通り、基本的には、靖国神社自体を無差別の慰霊施設とすることができれば問題は解消すると思います。それでも中国や韓国が、A級だけでなく、BC級戦犯の合祀を問題にしたり、靖国神社は日本軍国主義の象徴だ、などといって、あくまでその存在自体を問題視するするようであれば、そのときは受けて立てばいい。それは世界の常識にも反するし、賛同を得ることもないでしょう。

 もし、安倍首相が、靖国神社を無差別純粋の慰霊施設とすることに、上述したような具体的な措置を何も執らないということなら、この問題の解決はできず、引き続き中国や韓国の内政干渉を招くことになるでしょう。それによって、国内世論が分裂し、「東京裁判の判決及びそれを支えた歴史観」の再点検もできず、昭和史を含む日本近現代史についての日本人視点を確立することもできず、かっての民主党と同じように、無定見なその場しのぎの彷徨を繰り返すことになるでしょう。

 繰り返しになりますが、靖国神社問題を解決するための要諦は、戦没者の慰霊という問題と歴史認識問題とを切り離すことです。そのためには、靖国神社を無差別かつ純粋な慰霊施設とすること。そのために必要な措置を政府が万難を排して取ること。中国や韓国は、こうした日本政府の動きに対して、あくまで話し合いを拒否するなど、あの手この手の妨害策を講じるかもしれませんが、「謙虚に正しく説明し、対話を求めていく」基本姿勢を崩すべきではないと思います。

 「東京裁判の判決とそれを支える歴史観」を日本人の視点で再評価すればどうなるか、ということについては、上述した通り、靖国神社参拝問題とは切り離して、今日までの歴史研究の成果を踏まえつつ、私たちが徹底的に議論すればいい。仮に、中韓がこれに文句をつけることがあったとしても、それに対しては実証的に応ずるだけです。その内、効果なしとしてプロパガンダは止めるでしょう。その時、靖国神社参拝問題とは、実は、中国や韓国の問題ではなく、日本人自身の問題であったことが判ると思います。 

2014年1月 8日 (水)

安倍首相の唐突な靖国神社参拝は、氏の個人的な思い入れによるものか、それとも外交的深謀遠慮に基づくものか?

11月末に体調を壊して以来、多忙も重なって本ブログ更新を2月ほど休みました。この間、昭和史講座の方は継続して行うことができ、昨年は9回実施しました。参加者も徐々に増えており、今後も元気の続く限り続けていきたいと思っています。ネット上の公開についても鋭意検討中です。

 さて、私自身の靖国神社問題についての基本的考え方は次の通りです。

 日本は、昭和の戦争についての政治的な結果責任を当時の指導者に求めることができなかったから、外交的には、東京裁判の判決結果を、それに代わるものとして受け入れざるを得ない。従って、国内法でA級戦犯受刑者を犯罪者扱いしなかったとしても、外交的な影響を考慮して、靖国神社へのA級戦犯合祀はするべきでなかった。

 ところが、そうした観点を無視して、靖国神社の宮司がA級戦犯受刑者を合祀したために、その後、中国や韓国から「日本は侵略戦争の反省をしていない」との批判を受けるようになった。また、こうした批判は、日本の世論にも訴えるところがあるから、その後この問題は、中国や韓国による、日本世論を分断するための外交カードとして利用されることになった。

 こうした状態から脱却するためにはどうしたらいいか。まず、政府は、A級戦犯の「分祀」を神社側が自主的に行うよう働きかける必要がある。ただし、これはあくまで外交上の問題処理のためであって、より根本的には、戦争犠牲者に対する慰霊に関する問題と、昭和15年戦争の政治的結果責任の問題とを、切り離す方策について検討すべきである。

 そのためには、上記の働きかけとは別に、靖国神社の性格を、現在靖国神社境内に置かれている鎮霊社のような、戦争犠牲者を無差別に慰霊する施設へと転換する必要がある。これによって、たとえA級戦犯を合祀したとしても、それを「祭神」として顕彰するわけではないから、中国や韓国がそれを根拠に、日本の「歴史認識」を問題とすることはできなくなる。

 このように、戦争犠牲者に対する慰霊の問題と、戦争の政治的結果責任の問題とを切り離すことで、日本人が戦争責任の問題を自らの問題として考えることができるようになる。また、中国や韓国が、日本人の「歴史認識」を問題とすることがあっても、そうした自己検証を通して確立された歴史実証主義的な観点から、彼らの主張に冷静に対応できる。

 このように考えていたところ、昨年10月22日のアゴラに、北村隆司氏の「『国のために戦い、倒れた方々』を私営施設に祭ることが適切であろうか」と題する記事が掲載されました。氏はこの論を、次のような言葉で締めくくっています。「靖国問題は中韓との交渉で決まる可能性は低いが、日本国民が当時の指導者に第二次大戦の結果責任を求める事が、問題解決への第一歩であると思えてならない。」

 私は、冒頭に紹介したような、靖国神社問題解決策を考えていましたので、北村氏の「日本国民が当時の指導者に第二次大戦の結果責任を求める事が、問題解決への第一歩である」という意見には賛成でした。しかし、問題は、それをどういう形で表すかです。法的には「1953年8月3日、『戦犯』とされた者を赦免し、名誉を回復させる『戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議』が社会党を含めて圧倒的多数で可決」されているのですから、これを覆すわけにはいきません。となると、結局、東京裁判の判決――特に戦争指導者を裁いたA級裁判の判決を受け入れたことを、何らかの形で残さざるを得ません。

 この点を、もっとも明瞭に自覚していたのが昭和天皇で、戦争犯罪人の処罰を我が国において実行するとの閣議決定に対し「これを天皇の名において処断するは忍びざるところ」(9.12東久邇宮首相参内時)としつつも、当時の戦争指導者の中に、当然、戦争責任を負うべき者(例えば松岡や白鳥など)がいたとの自覚は強く持っていました。それが上述したような観点とも相まって、

 「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私 あれ以来参拝していない それがわたしの心だ」

という言葉になって現れたのだと思います。

 では、どういう経緯で、靖国神社の宮司が自らの判断でA級戦犯の合祀をしたのかというと、その経緯はWIKIでは次のように解説されています。

 「靖国神社の照会により引揚援護局が作成した祭神名票には、改正された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」および「恩給法改正」の支給根拠である「戦犯は国内法で裁かれた者ではない」という解釈から、東京裁判における戦犯も除外なく記載されている。

 靖国神社では1959年(昭和34年)にBC級戦犯を合祀した。A級戦犯については合祀のための照会をしていなかった。だが、1965年(昭和40年)に厚生省に戦犯を含む資料の送付を依頼。翌1966年(昭和41年)厚生省引揚援護局調査課長が「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」の通知に基づき祭神名票を送付。1970年(昭和45年)に靖国神社の崇敬者総代会でA級戦犯の合祀が決定された。

 ただし、当時の宮司預かりとなり、合祀はされていなかった。

 1978年(昭和53年)になって新宮司が就任。A級戦犯の受刑者を「昭和殉難者」と称して合祀した。また、靖国神社は、東京裁判の有効性や侵略の事実を否定するなど、「A級戦犯は戦争犯罪者ではない」として名誉回復の方針を見解として打ち出している。

 A級戦犯合祀問題の背景には、靖国神社などによる「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」とする意見と、侵略戦争を認めた政府見解や、国民への多大な犠牲などから「侵略・亡国戦争の責任者である」と(して)一般の犠牲者である軍人・軍属などと一緒に祀り、顕彰することを問題視する意見の対立があると思われる。」

 つまり、このA級戦犯合祀を決断した宮司には、昭和天皇とは異なり、当時の戦争指導者の政治的結果責任についての自覚が希薄だった、と言うより、むしろそれを正当化する考えがあったのです。また、A級戦犯合祀が、後に重大な外交問題に発展し内政干渉を招く恐れがあることにも全く気づいていなかった、ということです。もちろん、天皇のご親拝ができなくなることも想定していなかったのでしょう。

 そこで、「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」か、それとも、国民に多大な犠牲を強いた「侵略・亡国戦争の責任者」か、ということが問題になります。しかし、この両者は、一見アンビバレントな関係にあるように見えますが、実は、敗戦という事実の両面なのです。つまり、歴史の真相に迫るためには、この双方の視点が必要なのですが、これに靖国神社の問題が絡むと、前者は「戦争責任の否定」、後者は「勝者による敗者の裁き」となり、互いに相容れぬ関係となって、冷静な議論ができなくなってしまいます。

 従って、こうしたデッドロック状態から脱却するためには、まず、「靖国神社の問題」と「戦争責任の問題」を切り離す必要があります。その上で、先の双方の視点からの議論を総合する中で、日本人から見た昭和15年戦争の結果責任を明確にしていく必要があります。一方、靖国神社には、その合祀基準が、時の政権側にあった戦死者のみを顕彰するとしている所に、一種の差別的な問題があります。

 従って、これを同じ靖国神社境内に設置されている「鎮霊社」のような無差別の慰霊施設に変えるべきです。といっても、それは靖国神社の設置目的にかかわりますから、簡単にはいかないでしょう。従って、次善の策としては、いわゆるA級戦犯の合祀を、この鎮霊社に移すことが考えられます。こうすることによって、その合祀はあくまで慰霊のためですから、中国や韓国がこれに対して抗議をする根拠は失われます。

 しかし、当面の処置としてこのようなことが考えられるとしても、長い目で見れば、靖国神社の合祀基準を無差別なものに変更することは、神社本来の性格からして決しておかしなことではないと思います。つまり、靖国神社から国家神道的な色彩を払拭する必要があるのです。また、靖国神社には、明治維新の功労者である西郷隆盛や、「八重のさくら」で知られることになった、会津を中心とする奥羽越列藩同盟軍の戦死者は合祀されていません。

 ちなみのその合祀基準は次のようになっています。

「祭神となる基準(WIKI)

戊辰戦争・明治維新の戦死者では新政府軍側のみが祭られ、賊軍とされた旧幕府軍(彰義隊や新撰組を含む)や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外。西南戦争においても政府軍側のみが祭られ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外(西郷軍戦死者・刑死者は鹿児島市の南洲神社に祀られている)

戊辰戦争以前の幕末期において、日本の中央政府として朝廷・諸外国から認知されていた江戸幕府によって刑死・戦死した吉田松陰・橋本左内・久坂玄瑞らも「新政府側」ということで合祀されているばかりか、病死である高杉晋作も合祀されている。

戊辰戦争で賊軍とされて戦死者が靖国神社に祭られていない会津藩士の末裔で戦後右翼の大物だった田中清玄は「(靖国参拝とは)長州藩の守り神にすぎないものを全国民に拝ませているようなものなんだ。ましてや皇室とは何の関係もない」と述べている。

軍人・軍属の戦死者・戦病死者・自決者が対象で、戦闘に巻き込まれたり空襲で亡くなった文民・民間人は対象外。

また、戦後のいわゆる東京裁判などの軍事法廷判決による刑死者と勾留・服役中に死亡した者が合祀され、合祀された者の中に文民が含まれている。なお、「軍人・軍属の戦死者・戦病死者・自決者・戦犯裁判の犠牲者」であれば、民族差別・部落差別等の影響は一切無い。」

以上、私がなぜ、冒頭に述べたような靖国神社問題の解決策を提案するかの理由について説明しました。ついでとといっては何ですが、最後に、昨年末、唐突に行われた安倍首相の靖国神社参拝の是非について、私の考えを述べておきます。

 この問題に対する評価として大変おもしろいのは、これを安倍首相の「個人的な思い入れ」によるものとし、これを、外交的配慮を無視した「軽率な行動」と批判する意見が、日本の知識人にきわめて多いのに対し、一般国民に対するアンケート調査の結果では、これを肯定的に受け止めるものが、朝日新聞社による調査でも6割に達するということです。

 このどちらが常識的かと言えば、私は一般国民の方ではないかと思います。その理由は、第一に、安倍首相が靖国参拝をしなくても、中国や韓国の日本に対する非難攻撃は常軌を逸するものであったからです。第二に、安倍首相は、単なる個人的な思い入れから靖国参拝を行ったのではなく、実は、次のような深謀遠慮がその背後にあったのではないかとも考えられるからです。

 もちろん、この後者は私の想像に過ぎませんが、今回、安倍首相が靖国神社境内にある鎮霊社の存在に言及したことは、その重要なヒントなのではないかと思っています。また、日本経済が次第に復活の兆しを見せる中で、さらに、日本国民の安倍内閣支持が5割を超す中で、中国や韓国が、靖国参拝問題に契機に、さらに日本に対する攻撃をエスカレートさせることがはたしてできるか?

 私は、彼らは否応なく、今回の安倍首相の靖国神社参拝を契機に、「靖国神社問題」と「戦争責任の問題」を分離せざるを得ない状態に追い込まれるのではないでしょうか。そして、もし、靖国神社問題が上述したような形で解消されれば、彼らの日本人の歴史認識を巡る批判は、その攻撃の照準を見失うのではないでしょうか。

 中国の場合、A級だけではだめだB級も、とエスカレートできるでしょうか。例えば南京事件の「百人切り競争」の二少尉もダメだと・・・。一方、韓国の場合は、そもそも戦勝国ではないのですから中国とは自ずと立場が異なります。おそらく、日韓併合以来の日本の外交政策に対する謝罪を要求し続けるでしょうが、これについては日韓条約で一定の決着がついていますし、慰安婦問題がそうであるように、個別の実証が求められることになると、それまでの主張のウソがばれないとも限らない。

 また、このことは、先にも言及しましたが、日本人自身が自らの視点で戦争責任の問題を考える契機ともなります。その結果、日本人の日本近現代史理解のより歴史実証的な視点の確率につながると思います。また、そうした視点が確立すれば、中国や韓国によるプロパガンダとしての日本に対する非難・攻撃に対しても、歴史実証的な観点からの反論が可能となります。

 願わくば、今回の安倍首相による靖国神社参拝は、こうした政治的・外交的深謀遠慮に基づくものであって欲しいと思いますが・・・。

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