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2014年8月

2014年8月20日 (水)

(再掲)「東電「全面撤退」問題をめぐる私の総括――菅首相は東電が全面撤退しないことを知っていた!」

東電全面撤退問題についてKH氏との論争を行いました。決着はつきませんでしたが、しかし、いくつかの新しい発見をすることができました。KH氏は、菅氏は福島第一現場の技術者や作業員が逃げるとは全く思っていなかった。菅氏が東電本部で”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴ったのは、単に東電本部の職員に対して”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”との覚悟を迫るものだった、というのです。そう解釈することによって、KH氏は菅氏を弁護しようとしているわけですが、これは大変おもしろい見方だと思いました。というのは、それによって次のような解釈が可能となるからです。

 菅氏が東電本部に乗り込み東電の社員に対して”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴った時、当時のマスコミは、それを「東電が福島第一の事故現場からの全面撤退=敵前逃亡しようとした」と解釈し報道しました。ほとんどの国民もまた、この時の報道をそのように受け取りました。ところが、実は、それは官邸の誤解で実際は「一部退避」であることを菅氏は東電に乗り込む前に確認していたのですが、菅氏は、東電本部に設置された統合対策本部に行った時、「原発事故を起こした」東電に対する怒りの感情を爆発させ”東電に八つ当たりをした”という解釈が成り立つからです。

 私は、民間事故調、東電事故調、国会事故調、政府事故調の四つの報告書の関連部分を読んで見ましたが、これらの報告書に指摘された事実関係を総合してみると、どうも、この解釈が当たっているのではないかと思うようになりました。

 実は、こうした解釈は、東電が行った事故調査報告書の中で次のようになされていました。

 「清水社長が電話で海江田大臣に伝えた趣旨は、「プラント状態が厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい」というものであり、全員撤退などというものではなかった。

 しかし、この電話で清水社長が海江田大臣に「一部の社員を残す」ということを同大臣の意識に残るような明確な言葉を持って伝えたかどうかは明確でない。そして、海江田大臣は、清水社長が「撤退」ではなく「退避」という言葉を使ったことは認識していたものの、「全員が発電所からいなくなる」との趣旨と受け取り、官邸内で共有し、その旨を菅総理に伝えたようである。

 枝野官房長官の発言によれば、このころ福島第一原子力発電所の吉田所長に電話で意志を確認したところ「まだやれることがあります。頑張ります。」との返事であり、官邸側としても吉田所長は、全面撤退など考えていないことを確認したことを述べている。

 なお、吉田所長は最初から一貫して、作業に必要な者は残す考えであった。

<総理による清水社長への真意確認>
 清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るようにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。

 清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。
菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」
清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」
菅総理 「そうなのか。」

 いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このようなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するものであって、確かな事実であったと見られる。

 したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。

<当社本店での菅総理>
 4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。

 5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。

 清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度が理解できなかったことを証言している。

 また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。」

 これは、この問題の被告に当たる東電の証言なのですが、これに対して、逆に、東電を告発する立場をとったかに見える「民間事故調」は、次のように言っています。

「東京電力の撤退判断 14日夜から15日朝
 14日2号機爆発の危険が高まり、吉田所長は必要人員以外の退避も考えた。東京電力の清水社長は、福島第一原発からの退避を官邸に申し出た。東京電力側は全面撤退を意図した申し出ではないと主張しているが、直接電話で清水社長と話した海江田経産相、枝野官房長官、細野補佐官のいずれも全面撤退とび、受け止めている。菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。一時的に2号機の状態が安定し、注水が可能となった時でもあり、吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった。」

 しかし、ここでは、「菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。」とだけあって、東電報告書にある、菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」菅総理 「そうなのか。」という部分の会話が抜けています。

 続いて、「民間事故調」には、「吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。」とあります。これは、あたかも、二号機爆発後、吉田所長は「注水関係者も現場に残そうとしなかった」ので、菅首相が「残すよう指示を出した」かのようにも読めますが、「東電事故調」では、この部分について次のように記述しています。

<2号機の衝撃音と所員の一部退避/吉田所長らの残留>
 「その後、引き続き菅総理は本店幹部を本店対策本部が設置された緊急時対策室と廊下を隔てた小部屋に集め質問等をしていたところ、6時14分頃の2号機で大きな衝撃音と震動(後の調査で4号機の建屋爆発と判明)が発生した。

 異変が生じたことから、本店・緊急時対策メンバーは緊急時対策室(対策本部)に戻り、発電所長との状況確認を再開した。なお、小部屋にもTV会議システム端末があり、現地の状況を知ることができる。菅総理は引き続き小部屋にとどまった。本店及び発電所の緊急時対策室では、2号の圧力抑制室が破損した可能性の報告、チャコールフィルタ付全面マスク着用の指示などがあり、6時30分、「一旦退避してパラメータを確認する(吉田所長)」、「最低限の人間を除き、退避すること(清水社長)」、「必要な人間は班長が指名(吉田所長)」などのやり取りがあり、吉田所長が一部退避の実行を決断、清水社長が確認・了解した。班長の指名した者の氏名は同発電所緊急時対策室のホワイトボードに書き込まれた。福島第一原子力発電所には、吉田所長を筆頭に発電所幹部、緊急時対策班の班長が指名した者など総勢約70名が残留した。

 6時37分、吉田所長から異常事態連絡発信(71報)『2号機において6時00分~6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、念のため対策要員の一部が一時避難いたします。』として通報している。菅総理は、8時半ごろ本店から退去した。」

 これは、2号機爆発に伴って「一部避難」を指示したことを示すもので、こうした判断がなされた現場に菅首相もいたわけで、氏がこれを承知していなかったはずはありません。

 続いて、「民間事故調」は、「菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。」と言っています。つまり撤退を阻止したと言うなら、その後に「注水関係者を現場に残すよう」菅首相が「具体的」な指示を出した、となるはずです(民間事故調にはこの言葉がある?)。ところが、その指示は「具体的な方策を伴った」言葉ではなく、ただ「強い危機感を主な根拠とするもの」だった、というのです。これは、言い換えれば、その時の菅首相の指示は、冷静な判断に基づくものではなく、「強い危機感を主な根拠とする」=「感情的な怒りの爆発」だった、ということを示しています。

 そして、その締めくくりとして、「しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と言っています。しかしここでは、菅氏の言葉は、「全面撤退を阻止した」ことより、「東京電力に強い覚悟を迫る」ものだったことに重点が置かれています。こうして、それが「今回の危機対応における一つのターニングポイント」となり「東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と積極的に評価しているのです。しかし、この部分についても、東電報告書では次のようになっています。

 「したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。」

 事件の真相解明をするには、このように原告と被告の両方から話を聞かないとダメだと言うことですね。そこで、これらの二つの報告書の後に出された国会事故調と政府事故調の二つの報告書も合わせて、さらに、この問題の真相に迫りたいと思います。

 まず、ここで留意しておいていただきたいことは、以上の二つの報告書を総合することで、菅首相の東電本部での発言は、福島第一の現場作業員が全面撤退することを阻止するために発言したものではないこと。菅首相は現場が撤退しないことは知っていて、従って、東電本部での発言は、「東電本部の職員に”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”と覚悟を迫るものだった」という解釈が可能になる、ということです。

 実際は、その時の菅首相の発言の調子はそのような解釈を許すものではなく、「吉田所長は、TV会議を通じて当時目の当たりにした菅総理の言動について「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」と記憶している」というようなものだったのですが・・・。

 吉田所長は、続いて次のように言っています。
「もともと全員撤退などは考えたこともない。私(吉田所長)は当然残る、操作する人間も残すが、最悪を考えて、関係ない大勢の人間を退避させることを考えた。」と証言した上で、一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」。

 これもおもしろいですね。「一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」と言っているのですが、これは、この時の菅首相の言動を直接聞いたものの感想として、それは「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」ということ。その後の一連のマスコミによる「東電全面撤退」報道は、実は「風聞」に過ぎないと言っていることです。

 つまり、この時の菅首相の言葉は「全面撤退阻止」という明確な意図を持ったものではなく、「怒り狂ってわめき散らしていた」だけだった、ということですね。この点については、この部分の菅首相の発言内容がビデオ公開されればはっきりするわけですが、どういうわけか音声が記録されていない。だが、その要旨は次のようなものだったといいます。

 「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ。撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ」

 これを見ても、どうも、この言葉を菅首相に言わせたものは、「何でこんなことになるんだ」という東電に対する怒りの感情だったのではないか。そして、その怒りにつられる形で、すでに清水社長に確認して誤解が解けたはずの「全面退避」という言葉がよみがえり、「撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」という東電叱責の言葉につながったのではないか。しかし、それが、東電の「全面撤退を菅首相が阻止した」とのマスコミ報道になった。実際、一般国民も東電社員もそのように聞いた。

 この部分の経緯について、東電は次のような見解を示しています。

 「5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した」ことについて、「前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。」

 おそらく、これが「真実」であって、菅首相は、この時、現場が完全撤退するとは思っていなかった。しかし、つい、怒りにまかせて発言したことが、ビデオ会議システムを通じて福島第一、第二の現場作業員にも聞かれてしまった。また、それが、菅首相が東電の「全面撤退」を阻止した話として、一斉にマスコミ報道されることになった。で、このことに気づいた菅首相はその後どうしたか。KH氏が言うように、現場が撤退するとは全く思っていなかったのなら、その「風聞」を消そうとしたはずですが。

 だが、菅首相が積極的にそうした誤解に基づく「風聞」を消そうとした形跡は見えません。そのため「東電が全面撤退しようとしたのを菅首相が叱責しそれを阻止した」という「風聞」は残り続け、その真偽を廻って、各事故調査報告は膨大な時間が費やすことになった。この間の経緯について、菅首相はその後の国会答弁で次のように説明しています。

<総理による清水社長への真意確認>
(平成23年4月18日、25日、5月2日の総理自身の国会における「撤退問題を廻る菅首相と清水社長とのやりとり」に関する答弁。東電事故調に紹介)

 菅氏発言「そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだと言うことを言われました。(4月18日 参議院予算委員会)」、「それで社長にまず来て頂いて、どうなんですか、とても引き揚げらてもらっては困るじゃないですかと言ったら、いやいやそういうことではありませんと言って。(4月25日 参議院予算委員会)」、「社長をお招きしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりではないけれどもという話でありました。(5月2日 参議院予算委員会)」との総理答弁がなされており、菅総理自身が、官邸での清水社長の真意確認をしたところ、撤退ではないと聞いたという認識を示している。」

 つまり、菅首相は、東電本部に乗り込む前に、東電が全面撤退する意志はないことを確認していたのです。しかし、そうであれば、これ以降も同様な答弁をすればいいと思うのですが、これが途中で言い方が変わります。これは、9月7日、枝野氏が、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」といい、この時の菅首相の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した(2011年9月8日09時14分 読売新聞)」ことが端緒になっているように思われます。

 こうして、この問題に関する菅氏の答弁内容が変化しはじめます。東電事故報告書では次のように言っています。 「しかしながら、夏以降の菅総理のインタビューなどでは、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、例えば、別紙1<発言抜粋6>に示す平成23年9月の新聞社のインタビューでは、「そして、東電の清水正孝社長を呼んだ。撤退しないのかするのかはっきりしない。」と、社長の意志は不明確であったとしている。

 また、平成24年5月28日の国会の事故調査委員会での関連の答弁を別紙1<発言抜粋7>に示す。この答弁においては、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、「私が撤退はありませんよと言ったときに、そんなことは言っていないとか、そんなことを私は申し上げたつもりはありませんとかという、そういう反論が一切なくてそのまま受け入れられたものですから、そのまま受け入れられたということを国会で申し上げたことを、何か清水社長の方から撤退はないと言ったということに少しこの話が変わっておりますが、そういうことではありません。」としているが、清水社長に全面撤退の意志はないことは示されている。また、吉田所長に関しても現場対応を継続する意志であることは知っていたことが示されている。」

 以上の記録を総合すれば、菅首相らの当初の「東電が全面撤退する」との思い込みは、官邸の誤解であり、菅氏はそのことを東電本部に乗り込む前に知っていたことが分かります。しかし、途中で彼らはこの事実をぼかし始めた。その意図は、この時の枝野氏の発言に現れています。おそらく、この時枝野氏は、「全面撤退」が官邸の誤解であったことが、その後の調査で明らかになることを見越して、そうした発言の責任を東電に負わせると同時に、菅首相の叱責が、「結果的に・・・東京電力に強い覚悟を迫るものとなった」と評価される道を切り拓こうとしたのではないかと思われます。

 それが、先に紹介した「夏以降の菅首相の答弁の変化」となって現れたのではないか。そして、この戦略にまんまと引っかかったのが、「国会事故調」と「政府事故調」だったのではないか。というのも、この二つの調査報告書は、この東電の全面撤退問題の焦点となる論点を、「全面撤退という誤解はなぜ生じたか」という些末な問題に絞っているからです。その結果、前者の結論は官邸の誤解は「東電の黒幕的経営」の所為だといい、後者は、「(なぜこうした)認識の違いが生じたのかについては、十分解明するに至らなかった。」と締めくくった。

 しかし、この問題の焦点は①官邸と東電の間になぜ「全面撤退」という誤解が生じたか?ではなく、②こうした「全面撤退」の誤解は解けていたのに、なぜ、菅首相はあのような「全面撤退を非難するかのような発言をしたのか?だったのではないか。それを隠蔽し問題を①に局限したのが枝野氏で、これによって、官邸が「誤解」した責任を東電に転嫁し、最悪でも「解明不能」とすることができる。さらに、菅首相の発言が誤解に基づくものであったとしても、その動機は”純粋”で、結果的に、「東京電力に強い覚悟を迫る」ことになったのだからいいではないか、との評価につなげようとした。

 だが、騙されてはいけない。真実は、菅首相は、東電本部に乗り込む前に「全面撤退が自分らの誤解である」ことを認識していた。しかし、新たに設置された東電の統合対策本部に乗り込んだ時の菅氏の感情は、事故を起こした東電に対する怒りの感情に満ちていた。その憤怒の感情が、先に官邸が持っていた「全面撤退」という(誤解の)言葉を呼び覚まし、それが、その後の一連の発言となって爆発した。しかし、それでは、単に首相が”かっとなって暴言を吐いた”だけになるので、そこで、上述したような枝野氏の戦略に乗って、官邸が「全面撤退は誤解」であると認識していた事実を”ぼかす”戦術に出たのではないか。

 KH氏との論争は、以上のような新たな判断を私にもたらしてくれたという意味で大変有意義でした。それにしても、もしこれが事実だとしたら、なかなか巧妙な作戦ですね。官邸の誤解を「東電の黒幕的体質」の所為にすることもできたし、それは東電バッシングの世論に合致するし、さらに、菅氏の東電本部での「侮辱的発言」も東電の所為にできるし、仮にそれが誤解に基ずくものであると分かったとしても、結果的に、それが「東電に強い覚悟を迫る言葉」になったという理由で、これを評価することもできますから!

 だが、真実は一つ。菅氏は単に”カッとなって東電社員に当たり散らした”だけではなかったか。菅首相は「全面撤退」などないと知りながら、東電に対する不満を怒りにまかせて爆発させた。世間には、これが「菅首相が東電の敵前逃亡を阻止した」と発言と受け取られた。いうまでもなく、これは、死力を尽くして事故対応に当たっていた東電社員に対する最大の侮辱だったわけですが、氏はその責任をほっかむりしたまま、彼らを踏み台にしたまま、自分だけがヒーローになろうとした。

 しかし、その後の調査で自分たちの「誤解」がばれそうになった。そこで、その「誤解」を東電の所為にすることで、上述したような逃げ道を作ろうとした・・・。呆れた話だと思いませんか。普通の人間だったら、自分の言動がマスコミに誤って報道された事を知った時点でそれを訂正し、相手に非礼を詫びるものです。菅首相等はそれをせず、自分らの「誤解」も東電の所為にして、自分たちだけヒーローになろうとした・・・こんなこと見過ごされていいものでしょうか。

朝日新聞は、自社の政治的主張を正当化するために事実報道を歪めている!

またもや朝日新聞の誤報というか曲解が問題となっていますね。今回の朝日の主張は次の通りです。(2014年5月2日以降の朝日新聞特集記事「吉田調書」より抜粋)

「東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」

「暴走する原子炉を残し、福島第一原発の所員の9割が現場を離脱したという事実をどう受け止めたら良いのか。吉田調書が突きつける現実は、重い課題を投げかけてくる。」

「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、「しょうがないな」と思ったと率直に語っている。残り1割の所員も原子炉爆発の場合の大量被曝を避けるため、原子炉を運転・制御する中央制御室でなく、免震重要棟2階の緊急時対策室にほぼ詰めており、圧力や水位など原子炉の状態を監視できない時間が続いた。」

「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。原発事故に対応する特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。」

こうした「現実を直視した議論はほとんど行われていない。自治体は何を信用して避難計画を作れば良いのか。その問いに答えを出さないまま、原発を再稼働して良いはずはない。」

「貴重な証言を読むと、根源的な疑問が浮かぶ。原発とは、一民間企業である電力会社に任せていいものなのか、と。」

「東京電力はただちに事実関係を明らかにすべきだ。この問題を正面から議論せずに原発運転を任せることはできない。」

「政府は事故調の資料をすべて公開し、「福島の教訓」を国民的にくみ取る努力を尽くすべきだ。それなしに、再稼働へ突き進むことに反対する。」

つまり「最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。」というのが 「多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。」というのです。

これに対して、産経新聞が、本紙は、東京電力福島第1原発事故に関し、政府事故調査・検証委員会が吉田昌郎所長から聴取した「吉田調書」の全文を入手」したとして、「同じ調書を入手した朝日新聞が、吉田氏自身が明確に否定しているにもかかわらず、現場関係者が吉田氏の命令に背いて「撤退」したと断じていること」について次のように批判しています。

「吉田氏は東電が事故発生3日後の14日から15日にかけて第1原発から「全面撤退」しようとしていたとする菅直人首相(当時)らの主張を強く否定し、官邸からの電話指示が混乱を招いた実態を証言している。吉田氏は一方で、現場にとどまった所員には感謝を示すなど、極限状態での手探りの事故対応の様子を生々しく語っている。」

「それによると、吉田氏は聴取担当者の「例えば、(東電)本店から、全員逃げろとか、そういう話は」との質問に「全くない」と明確に否定した。細野豪志首相補佐官(当時)に事前に電話し「(事務関係者ら)関係ない人は退避させる必要があると私は考えています。今、そういう準備もしています」と話したことも明かした。」

「特に、東電の全面撤退を疑い、15日早朝に東電本店に乗り込んで「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と怒鳴った菅氏に対する評価は手厳しい。吉田氏は「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがない」などと、菅氏を批判している。」

「朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と書き、23年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。

ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。

また、「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない。反対に質問者が「すぐに何かをしなければいけないという人以外はとりあえず一旦」と尋ねると、吉田氏が「2F(第2原発)とか、そういうところに退避していただく」と答える(次の)場面は出てくる。

吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」

 --細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)

 吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」

 --15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる

 吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」

--所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと

 吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しい」

 --退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと

 吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると言った」

 --本店から逃げろというような話は

 吉田氏「全くない」

 --「撤退」という言葉は使ったか

 吉田氏「使いません、『撤退』なんて」

--使わないですね

 吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

 --政治家ではそういう話になってしまっている

 吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」

 --ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)

 吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」

 〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉

 --この事故調を自分(菅氏)が作っている

 吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」(肩書は当時)

また、「第2への退避、吉田氏「正しかった」 元所員「命令違反ではない」本紙に証言」(2014年8月18日)では、
「当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。

 別の中堅元所員も「第1原発にいた所員は、退避するなら第2へという共通認識があった。それが吉田氏の命令違反であるはずがない」と証言した。

 当時、第1原発にとどまったのは吉田氏ら69人。15日昼ごろには第2に退避していた多数の人が戻った。

 吉田氏と一緒に現場にとどまったベテランの元所員は「(第1に)残りたいという人ばかりだった。第2までの道は崖崩れの危険があったから、退避した人から『第2に無事に到着した』という連絡があったときには、第1に残った人は『ああよかった』とお互いに喜び合った」と語る。

 別の東電関係者も「当時自家用車で第2へ退避した人も多く、逃げるのであればそのまま避難所にいる家族のもとに行っているはずだ。しかし、彼らは第1へ戻ってきた」と話した。」

その上で、吉田所長は「私が指揮官として合格だったかどうか、私は全然できませんけども、部下たちはそういう意味では、日本で有数の手が動く技術屋だった」と絶賛した。

 3号機爆発直後は、高線量のがれき撤去や注水のためのホース交換をしなければならず、作業員を危険な現場に送り出さざるを得なかった。吉田氏は「注水の準備に即応してくれと、頭を下げて頼んだ。本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危険を顧みずに職務を全うしようとする姿をたたえた。」

さて、この両者「吉田調書」の読み方、どちらが正しいでしょうか。

朝日のこの記事の目的が、原発再稼働阻止と言う政治目的にあることははっきりしています。つまり、この目的のために、「吉田調書」の、吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。」という証言を根拠に、「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」そのため、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。」さらに、「残り1割の所員も原子炉爆発の場合の大量被曝を避けるため、原子炉を運転・制御する中央制御室でなく、免震重要棟2階の緊急時対策室にほぼ詰めており、圧力や水位など原子炉の状態を監視できない時間が続いた。」

つまり、事故が深刻化したのは、このように、事故対応に当たるべき者が「逃げた」のが現実であり、こうした「福島原発事故の収束作業の実相」に目を背けて、原発再稼働に走るべきではない、と言っているのです。

これに対して、産経は、吉田調書を次のように紹介し朝日の見解に反論しています。

確かに吉田所長は2Fに行けとは言っておらず、バスを用意しておけといっただけだが、職員は退避先は2Fと受けとり、1Fにとどまった69人以外の約650人が2Fに退避した。しかし、これを吉田所長は命令違反とは認識しておらず、退避先は2Fの方が正しかったとしている。朝日はこれを命令違反とし、この2Fへの撤退によって事故対応が不十分になった可能性がある、としているが、吉田所長は、この退避は、あくまで「注水とか最低限の人間は置いてお」き、それ以外の職員を退避させるためのものだった。つまり、彼らは命令違反で撤退(=逃げた)わけではない。その証拠に、退避した職員の多くがその後1Fに戻ってきた。

とりわけ吉田所長が怒っているのは、こうした福島第一原子力発電所における事故対応について、菅首相が逃げたと言ったとか言わないとか言っていることについてです。

「何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。」「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

つまり、吉田所長は、現場から全面撤退などと言うことを考えたことはなく、線量の増大や食料はじめ居住環境の悪化からF1には「注水とか最低限の人間は置いてお」き、それ以外の職員をF2に一時的に退避させただけだと言っているのです。朝日は吉田氏の先に紹介した証言を根拠に、所員の約9割の650名が氏の命令を無視してF2に撤退した、そのため事故対応が不十分になった、と言っているわけですが、少なくともF1現場に関する限り、これは朝日の原発再稼働反対という政治「目的」を達成するための悪意あるプロパガンダというべきでしょう。

では、東電本社のこのことについての意向はどうだったのでしょうか。最近、寺田某と言う当時の民主党政権でこの問題の処理に当たった若手政治家が、現場はともかく東電本社の意向は「全面撤退」だった、というようなことをいっていますが、実は、ここには、次のような民主党政権の卑劣きわまる「ウソ」が隠されているのです。このことについて私は、2012年8月23日の私ブログ「竹林の国から」で指摘していますので、ここに再掲しておきます。

結論を先に言わせていただければ、次のようなことです。

菅首相は単に”カッとなって東電社員に当たり散らした”だけ。氏は東電との事前折衝で「全面撤退」などないと知りながら、東電に乗り込んだとき、”イラ菅”よろしく東電に対する不満を爆発させ”逃げよったって逃げられないぞ・・・”と喚いた。世間には、これが「菅首相が東電の敵前逃亡を阻止した」と発言と受け取られた。いうまでもなく、これは、死力を尽くして事故対応に当たっていた東電社員に対する最大の侮辱だった。普通なら、マスコミが菅首相の喚きを誤解して報じたことについて、すぐに訂正すべきだが、氏はその責任をほっかむりしたまま、自分らの「誤解」も東電の所為にして、自分たちだけマスコミヒーローになろうとした・・・

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