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2015年7月

2015年7月31日 (金)

安保法制の「集団的自衛権」は我が国の「存立危機事態」に同盟国と共同で対処すること

安保法案をめぐって国論が分裂状態になっていますね。その第一の原因は、集団的自衛権の説明が、必ずしも国民一般が納得できるものになっていないということがあります。そもそも、その定義 「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」というのがいささか物騒です。

事実、過去安保理に報告されたその適用事例が「ハンガリー動乱、テェコスロバキア動乱、ベトナム戦争、コントラ戦争、アフガニスタン紛争」だといえば、とんでもないということになります。にもかかわらず、なぜ、従来「集団的自衛権は持っているが行使できない」としてきた政府の憲法解釈を変更し「行使できる」とする必要があるのか。

このあたりについて自民党の石破氏は今回自民党が提出している安保法案について「大国が集団的自衛の名を借りて、小国を蹂躙(じゅうりん)する権利ということではなくて、国連が機能してくれるまでの間、自分の国は自分で守るという個別的自衛権と、そして、関係の深い国々がお互いに守り合う侵略を排除する」というのが、国連憲章に集団的自衛権が盛り込まれた「意味づけである」と以下のように説明しています。(安全保障法制整備推進本部での講演2014.4.7)

つまり、これを日米安保についていえば、「アメリカと一緒に世界中で戦争する権利ではなくて、大国の横暴(かっての東西冷戦時代ではソ連、今日では中国)から小国が自らの身を守る権利」として、日本はアメリカと同盟条約を結び集団的自衛権を行使できるようにしているということ。

なお、この「集団的自衛権」は、いうまでもなく国家の自然権である自衛権をベースとするものです。また、我が国の自衛権行使は、憲法上「必要最小限度の武力行使」に止まるとされています。ところが「今までは集団的自衛権なるものは、どういう理由なのか知らないが、それは全部その外だということになっていた」。しかし、「必要最小限度」の範囲内に入る「集団的自衛権」もあるのではないかと考えた。

ただ、ある内閣が「集団的自衛権の行使は、必要最小限度のものであればそれは合憲である」といったとしても、次の内閣総理大臣が『いやいやあのような考え方はそうではない、私は集団的自衛権の行使は合憲ではないと考える』というと法的安定性がない」。そこで、「どういうような法形式によるかは別として、集団的自衛権の行使は、このような場合は許されるというような、そういう考え方を体現するような法整備は絶対に必要」ということになった。

といっても、「私どもはそれを必要最小限度であれば行使できる、行使すると言っている訳ではありません。ご存じのとおり自衛隊の行動は、自衛隊法に根拠規定を持たない限り、飛行機は1センチも飛びません。戦車は1ミリも動きません。船も1マイルも動きません。

自衛隊法というのは、そのような書き方になっておりまして、できる事は、これとこれとこれということをポジティブリスト的に、根拠規定を持たなければ、何一つやる事はできません。ですので、これをやれば無限定に広がるような事はございません。」等々。

そこで、現憲法下で「必要最小限度」の範囲内にあると考えられる「集団的自衛権」行使の事例を、ポジティブリスト的に例示した」というのです。その事例が次の8つです。

事例8:邦人輸送中の米輸送艦の防護
事例9:武力攻撃を受けている米艦の防護
事例10:強制的な停船検査
事例11:米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
事例12:弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
事例13:米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護
事例14:国際的な機雷掃海活動への参加
事例15:民間船舶の国際共同護衛

これらの「集団的自衛権」の発動事例の前提条件は、まず、専守防衛(防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力(防衛力)を以って撃退する)の基本方針のもとに、次の3条件を満たすこと。

①全般的な作戦において、相手の攻撃を受けてから初めて軍事力を行使する。
②その程度は自衛に必要最低限の範囲にとどめ、相手国の根拠地への攻撃(戦略攻勢)を行わない。
③自国領土またはその周辺でのみ作戦する。

「集団的自衛権」はこの3条件に加えて、次の新3条件を満たすこととされています。
①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。
②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

国会では、集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であり、これは上記の「専守防衛」の第①条件と矛盾するのではないか、との指摘がなされていました。

これに対して政府は、「集団的自衛権」の第①条件は、この攻撃により「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」としているので、専守防衛の「我が国に対する武力攻撃」とは矛盾しないと反論していました。

この「集団的自衛権」の3要件の最初の①は「存立危機事態」とされるものですが、そうであれば、「集団的自衛権」を発動する場合、その前提条件として、我が国が「存立危機事態」にあること。かつ、その認定には国会による原則事前承認が必要なことを、もっと解りやすく説明すべきです。そうでないと、我が国に直接関係のない「外国に対する武力攻撃」が我が国近辺に延焼し、それに巻き込まれる形で「集団的自衛権」が発動されるとの疑念を招きかねないからです。この点、安倍首相の「集団的自衛権」の模型を使った火事と消火の説明は、こうした誤解を招きやすいものでした。

従って、今回の政府の「集団的自衛権」の行使の条件は、あくまで、日本が「自国と密接な関係にある外国」と共に、相協力して我が国の「存立危機事態」に対処する、ということであって、決して、我が国の「存立危機事態」とは本来無関係(「関係のない」を訂正)の他国の紛争に巻き込まれることを意味しないことを、繰り返し説明する必要があります。(火事は放火によるよりタバコの不始末など自己責任に帰する場合の方がはるかに多いですからね)

ただし、この場合、「自国と密接な関係にある外国」が同盟国たるアメリカ以外どんな国が考えられるか、ということが問題となります。韓国、台湾、フィリピン、東南アジア諸国等が考えられますが、「専守防衛」の枠内での「集団的自衛権」のあり方を考える限り、同盟国以外の国に対する攻撃を、「我が国の存立を脅かす攻撃」と見なすことができるかどうか疑問です。また、それが米軍に対する攻撃であっても、それが「我が国の存立を脅かす明白な危険」がなければ、当然「集団的自衛権」発動の対象とはなりません。

こうした視点で、先の「集団的自衛権」行使の8つの事例を見れば、事例8から13までは、集団的自衛権を発動する対象国は米国、場所は「我が国近辺」ということになります。その他の事例14、15が、国連の決議を受けた上での防御的活動ということになります。最も心配なのは、東シナ海や南シナ海における中国の軍事的進出が、どういう脅威を我が国にもたらすかということですが、これについては我が国だけでなくアメリカをはじめとする国際社会が共同で対処するほかなく、従って、事例14、15はその範疇にあると見ることができます。

2015年7月11日 (土)

戦争の反省で大切なことは、自分自身の問題として考えること

幣原が日本国憲法に関わったのは、第9条と象徴天皇制に関わる部分だけです。実際に新憲法草案の起草にあたったのは、GHQ民政局を構成する、ユダヤ人ケーディスを中心とする、いわゆるニューディール派と呼ばれた人々でした。彼らは、ワイマール憲法などを参考に、社会主義的理念に裏打ちされた憲法を作りました。それは、前稿で述べたような終末論的歴史観を背景に、階級闘争的な善悪二元論を日本国憲法に持ち込むものでした。(『日本人に謝りたい』モルディカイ・モーゼ参照)

また、GHQは、東京裁判やWGIPに基づくプレスコードによって、日本人に侵略戦争の罪の意識を植え付けると同時に、その一方で、その戦争責任を「一部の軍国主義者」に負わせ、一般の日本人を戦争の罪から免除しました。こうして、かってアメリカと死力を尽くして闘った日本人を、「軍国主義グループ」と「平和愛好グループ」に分断し、対立させることに成功したのです。

こうした、マッカーサーによる日本人の分断計画を持続させるためのセンターピンの役割を果たしたのが、憲法第9条2項でした。一方、この条項は、幣原の狡知によって、戦後の日本が東西冷戦時代の戦争に巻き込まれることを防いできましたが、その結果、憲法9条2項を守ること、すなわち日本が「戦力」を持たないことが、日本及び世界の平和につながるとの非現実的な観念を生むことになりました。

こうした考え方は、”自国の手足を縛ることが世界の平和につながる”という一種「自虐的」な考え方です。しかし、先ほどの、日本には「軍国主義グループ」と「平和愛好グループ」がある、という考え方に立ち、自分は後者に属すると考えれば、自分は過去の戦争の責任から免れるだけでなく、自分を被害者とすることで自分以外の「軍国主義グループ」を批判できることになります。

言うまでもなく、こうした考え方は、日本の占領統治上仕組まれたものですが、日本が独立した後も、こうした考え方が日本国民に根強く残ったのはなぜかを考える必要があります。その原因は、上述したように、GHQの占領政策によって、侵略戦争の罪の意識を植え付けられたことと、日本人が「軍国主義グループ」と「平和愛好グループ」に分断されたためでしょう。

アメリカは、そうした工作を行った張本人ですが、憲法9条2項については、朝鮮戦争以降”失敗だった”と地団駄踏んだことでしょうが、しかし、WGIPに基づくプレスコードによって日本人に一方的に侵略戦争の罪の意識を植え付けたことについては、それほど反省しているようには見えません。なお、中国や韓国の場合は、何とかしてこれを復活し宣伝に利用しようと躍起です。

さて、では、日本はこうした構図の中で、どのような安全保障策を構築すべきでしょうか。まず、アメリカですが、東京裁判やWGIPで一方的に日本を断罪し、日本人が自分自身の目で戦争を反省する機会を奪ったことについて反省してもらう。中国や韓国には、これらデタラメの日本断罪を根拠に、虚偽の日本軍残虐宣伝を繰り返していることに対して、事実をもって反証する。

最後に、日本人自身ですが、戦争の反省を、他人事じゃなく日本人である自分自身の問題として考える。そもそも、日本は昭和の戦争で何を間違えたか。私は、その原因は、軍が政治の実権を握ったことにあると思っています。それが、日本の外交判断を狂わせ、するつもりのなかった日中戦争を誘発し、さらに、するはずのなかった日米戦争に引きずり込まれたのです。

私は、日中戦争のこうした性格について”慢鼠窮描に噛まれる”、日米戦争について”慢描窮鼠を噛ませる”と表現していますが、この謎を、冒頭に紹介したような、「闇の国」VS「光の国」という図式で解くことはできません。もちろん「一部の軍国主義者による世界侵略のための共同謀議」があったわけでもありません。むしろ、計画なしの行き当たりばったりだったことが問題なのです。

そこには、漠然とした「東洋王道文明=道徳文明」対「西洋覇道文明・植民地文明」という対立図式があり、日本が盟主となってアジアをリードするという「アジア主義」があったことは事実です、しかし、不幸にも、それが当時流行した反近代思想の一つである国家社会主義と結びつき、それを日本国民やマスコミが支持したことで、軍が政治の主導権を握ることになったのです。

しかし、こうした日本の失敗は、戦前昭和の一時期のことであって、戦前の日本が、ずっと「軍が政治の主導権を握った暗黒時代」であったというわけではありません。それは、幣原喜重郎が、終戦直後、首相として憲法改正に取り組もうとしたときの基本認識を見ればよく分かります。氏は、首相となった時の施政方針演説で、憲法改正について次のように述べています。

「明治憲法は本来相当の自由主義、民主主義的性格を有することを認め、ただそれが実際政治上誤って運用せられ、今日の結果を生んだとし、今後その運用の余地なからしめ、その本来の軌道に復せしめる為の改正が要求されているのだ」。「現行憲法下でも、ポツダム宣言の履行(平和主義、言論、思想及び宗教の自由その他基本的人権の尊重)は可能」

日本国のあり様についての、こうした幣原の基本認識は、マッカーサーが戦前の日本を「闇の国」とし、戦後、それを「光の国」にすべく日本人を回心させようとした時の、日本観及び日本人観とは全く別のものです。確かに幣原は、「戦力不保持」条項を日本国憲法に書き込ませましたが、その狙いは上述したようなもので、それによって占領軍に一矢を報いたのです。

問題はその後ですね。こうした外交上の「負けて勝つ」の秘策が、一方では、占領軍による先述した通りの日本人洗脳計画の遂行によって、あたかも”日本人の手足を縛ることが世界平和に貢献する”かのような倒錯した心性を日本人に植え付けた。しかし、それは先述した「終末論的歴史観」が生み出したものなのです。(もっとも多くの日本人はこれを「空体語」として「実体語」にバランスさせているだけだと思いますが)

今日、自民党提出による安保法制論議が行われていますが、まず、上述したような”自分の手足を縛ることが世界平和につながる”といったような倒錯した発想から脱却すべきです。その上で、憲法第9条は、自衛権を否定するものではないことを改めて確認すべきです。その上で、それを専守防衛の観点に立っていかに行使すべきかを議論すべきだと思います。

もちろんアメリカとの同盟は不可欠です。それがあったからこそ、戦後の日本の平和と繁栄は可能となりました。しかし同時に、GHQによる、日本占領期間中における日本人の思想改造計画は、当時の国際法上も、日本国憲法からも決して許されるものではなかったことを知るべきだと思います。また同様の過ちを犯さないよう、日本は必要に応じてアメリカに助言すべきです。

そこで、今後の日本の安全保障をどうするかということですが、先ず第一に、島国の通商国家として、自らの国力に応じた安全保障策をとること。もちろん大国にはなれません。それ故に大国アメリカとの同盟は不可欠ですが、その集団防衛はあくまで専守防衛を原則とすべきです。また、国際社会の平和維持活動には同様の観点から参加すべきです。

以上のことが、憲法9条の解釈上許されないというなら、当然、これを可能とするよう9条2項の規定を改正すべきです。当面それができないなら、その解釈を変更するしかありません。

それが憲法違反となるかどうかは、最高裁判所が判定すべきことですが、砂川判決では、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」ことに基き、日米同盟は「その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断・・・究極的には国民の判断」としています。

従って、その日米同盟を、専守防衛の観点から有効に機能させるために、集団的自衛権の限定的容認が必要なら、それを可能とすべく、従来の憲法解釈を見直すべきです。要は、いかにして日本の安全保障体制を専守防衛の観点から再構築するかです。そうした日本の意思を明確に示すことが、日本のみならず極東ひいては世界の平和に寄与することになると思います。

以上

幣原喜重郎の「戦力放棄」は「本心」か「欺し」か?

前稿「日本国憲法は日本人にとって『栄光』」かそれとも『屈辱』か」で、私は、日本国憲法がその背景に持っていた世界観について山本七平を引用し次のように述べました。

「この世界には『平和を愛する諸国民』(光の子)と「戦争を愛する諸国民」(闇の子)とがあり、そして「闇の子」は終末的な戦争において滅んだ」。そして、その「闇の子」は戦後悔い改め「回心」して「光の子」となり、「平和を愛する諸国民」(光の子)の「公正と信義に信頼して」自らの「安全と生存を保持しようと決意した」

これが、日本国憲法前文に書かれていることで、この「平和を愛する諸国民」の代表がアメリカであり、「闇の子」である日本人を「回心」させるための作業が、一つは東京裁判であり、もう一つが、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に基づく、プレスコードによる徹底した言論統制であったわけです。

なぜ、こんな事を改めて言うかというと、日本国憲法を「ノーベル平和賞」に推薦する運動があるように、この日本国憲法を日本人の「栄光」と考える人が多いからです。しかし、以上の事を知れば、日本国憲法が前提とする歴史観や世界観は、戦勝者が敗戦者に押しつけたものであって、こんな世界観の下に、日本人に罪悪感を植え付けようとしたことは、決して許されることではない、ということです。

といっても、日本国憲法の本文は、第9条2項を除いて、決しておかしなものではありません。日本語として”おかしい”と批判する意見もありますが、それはドイツのワイマール憲法のほか日本側の憲法改正案なども参考にしたらしく、ある意味「理想的過ぎる」もので、日本の自由化、民主化を徹底する上では一定の効果を発揮したと思います。

問題はその第9条2項ですが、なぜこれが問題になるかというと、この条文で、日本は国際紛争解決のための「戦力」を持たないとなっており、従って、国家の自然権とされる自衛権の発動において「戦力」を持つことができない。しかし、「戦力」以下の「自衛力」なら持てる・・・などといった訳の分からない解釈を生んでいるからです。

これは、本来持ってはいけない「戦力」を「自衛力」という言葉でごまかして持っていることになります。その結果、自衛隊の存在がごまかしになる。つまり、憲法第9条2項によって、日本の安全を守るための「自衛力」そのものが、何かしら罪深いことのように思われてくるのです。なにしろ、この憲法は、冒頭紹介したように、日本の軍隊を「戦争を愛する諸国民」の軍隊と見なしているのですから。

では、この憲法9条2項は誰が発案したか、ということですが、これは当時の総理大臣であった幣原喜重郎とする意見が有力です。

では、なぜ幣原はこのような日本の主権を制限するような条文を発案したのでしょうか。それは、戦争終結直後、連合国内に「天皇と戦争を不可分」とする意見が大勢を占めていたので、そんな中で、天皇制を維持するためには、憲法に「戦争放棄」を書き込み「天皇と戦争を切り離す」必要があったからです。

しかし、こんなことは国内の憲法改正論議の中では言い出せることではないので、幣原は、独断で、このアイデアを「マッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心し」、S21年1月24日に一人でマッカーサーを訪問しました。そして、「二人で長い時間話し合った」結果、そのアイデアが、新憲法の象徴天皇制及び第9条の戦争放棄条項に反映されることになったのです。(平野文書「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」S39.2)

しかしながら、この時、日本政府も憲法改正のための作業を進めていて、「憲法改正要綱」(いわゆる松本案)がほぼ出来上がっていました。従って、幣原がこの時マッカーサーに、”憲法に戦争放棄条項を組み込むことを提案した”のは、あくまで現在進行中の日本側の憲法草案に、そうした条文を盛り込むべく、マッカーサーに命令を出して欲しいと要望したに止まるのではないかと思います。

従って、その後、GHQがにわかに新憲法草案を作成し、日本側に押しつけてくるとは、幣原も思っていなかったのではないでしょうか。堤堯氏の『昭和の三傑』では、幣原はそこまで予測していて、まず味方を「欺く」事からはじめた、というような書き方がなされていますが、1月30日の松本案の審議では、幣原は「軍の規定を憲法に置かない」ことを主張しています。

ただ、いずれにしても、憲法に、「戦争放棄(戦力放棄を含む)」に関する条項を、日本側の誰にも相談せず(あるいは天皇の内諾を得ていたのかも?)、独断で、マッカーサーの指示によって書き込ませたことは事実です。そこには、天皇制の維持という目的に加えて、もう一つの、幣原ならではの「負けて勝つ」起死回生の外交戦略が隠されていました。

それは、前稿でも言及した通り、戦後の東西イデオロギー対立が顕在化する中で、日本が軍隊を持てば、東西冷戦の代理戦争の先兵として使われる危険性がある。従って、「戦力放棄」を憲法に書き込めば、それを防止することができる。しかし、表向きはあくまで「原爆発明後の世界が破滅を免れ新しい運命を切り開くための究極の軍縮としての戦力放棄」をするのだと説明しました。

ここで、こうした幣原の行為についての評価が二つに分かれます。一つは、幣原のこの説明をそのまま真実として、憲法第9条を日本人の発案とし、それを「栄光」として擁護する立場。もう一つは、それを、あくまで占領下あるいは東西冷戦を見越した「負けて勝つ」外交の秘策であるとし、状況が変われば当然改正すべきとする立場です。

では、どちらがより真相に近いかというと、私は後者を取ります。その一つの理由は、幣原の説明に見られる「原爆発明後の世界が、破滅を免れ新しい運命を切り開くための、究極の軍縮としての戦力放棄」という発想は、実は、マッカーサー自身の「神学的課題」だったということです。マッカーサーは、ミズリー艦上で行われた降伏調印式の演説で次のように述べています。

「我々はいまや新時代を迎えた。勝利さえ我々の未来の安全と文明の存続に対する深刻な危惧の念を伴っている。科学的発展の進展は軍備の破壊力を増大させ、いまや伝統的戦争観の修正を余儀なくする点に達した。平和探求の努力は有史以来存在した。・・・しかし国際紛争の解決の試みは何れも不成功に終わっている。・・・戦争もまた徹底的破壊力を持つに至り、戦争という途も封じられてしまった。」

幣原は、こうしたマッカーサーの発言を聴いて”使える”と思ったのではないでしょうか。つまり、幣原がマッカーサーに「戦力放棄」条項を憲法に書き込ませるために使った論法は、まさに、マッカーサーのこうした「神学的課題」に解答を与えるものだったのです。マッカーサーは敬虔なカトリック教徒であり、「アメリカのキリスト教系新興宗教の『通俗的終末論』」の信奉者でした。(『戦争責任と靖国問題』山本七平P178)

幣原がマッカーサーを説得するときに使った論理は次のようなものです。1,原爆の発明で世界は滅亡の淵にある。2,滅亡を避けるには世界は一つの世界に向かって進むしかない。3,そのための唯一の手段は軍縮、日本が究極の軍縮=戦争(戦力)放棄を自発的に行うのは歴史的運命であり正義にかなう。4,そのためには世界の公平な世論によって裏付けられた正義が必要。5,日本がその正義で生きようとするのに日本を侵略する国があれば第三国(アメリカ?)は黙っていない。5,日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。(上掲「平野文書」)

これはまさに、マッカーサーの終末論的歴史観そのもので、これを鼓舞することによって日本が憲法に「戦力放棄」を書き込むことをマッカーサーに認めさせようとしたのです。当時連合国には、条約によって日本を非武装化させる「バーンズ案」があったそうですが、幣原の発想は、さらに進んで、これを憲法に書き込むことで、敗戦後の日本が東西冷戦の先兵として使われる危険性を除去しようとしたのでした。

こうした幣原の外交秘策がいかに有効であったかは、朝鮮戦争時のアメリカの日本再軍備要求を、吉田首相がマッカーサーに頼んで阻止したり、ベトナム戦争への参戦を免れたことで証明できます。マッカーサーは、朝鮮戦争の直前憲法に「戦力放棄」を書き込んだことは「時期尚早」であったと後悔しています。しかし、騙されたとは言っていない。もっとも、ニクソンは1953年(「昭和53年」は間違い)に「誤りだった」と言ったそうですが(『昭和の三傑』堤堯p112)。

2015年7月 5日 (日)

日本国憲法第9条2項は日本人にとって「栄光」かそれとも「屈辱」か(2)

 本稿は、日本国憲法第9条2項について、こうした国家の自衛権を否定するような規定が設けられたのは、決して日本人が誇れるようなものではないことを伝えるためでした。というのも、これを「栄光」とする日本人が結構多いからで、ではなぜ、このような逆転現象が起きたかを解明する必要があると考えたからでした。

 前稿では、この9条2項の規定が成立した歴史的成立事情について私見を申し述べました。そこで今回は、日本国憲法全体を視野に入れる中で、なぜそれが多くの日本人に「栄光」とされるようになったかについて、考えて見たいと思います。

 山本七平によると、日本国憲法前文には「アメリカ的、キリスト教系新興宗教の教義的な『通俗的終末論』」が反映しているといいます。(以下『戦争責任と靖国問題』参照)

 それはどういうことかというと、この憲法制定時の日本の実質的主権者はマッカーサーだったわけですが、彼は、太平洋戦争を第一段階の「終末」と解し、それによってもたらされた福音こそ「アメリカ的正義=人類の普遍的正義」だと考えていました。

 つまり、その「終末」である太平洋戦争という大闘諍(ハルマゲドン)を経て、日本国は「ファシズム=闇の時代」から「アメリカの平和=光の時代」へと移った。同時に日本人は「闇の子」から回心して「光の子」になった。
 
 つまり、こうした歴史の旧・新約的理解に基づいて、日本とドイツは「ヨハネ黙示録」の悪竜のような存在と見なされ、彼らが再び「闇の時」を招来しないように「閉じ込め」られ、「光の子」アメリカが主導する「国際連合」に監視された。(これが国連憲章第53条の「旧敵国条項」になった)

 他方で、こうした太平洋戦争の「終末論」的解釈に基づいて、日本人が「闇の子」から回心して「光の子」になるに際しての決意表明が、日本国憲法前文に記された。また、その保障措置として憲法9条2項の規定が設けられた。

 もちろん、この日本国憲法は、マッカーサーノートを受けてGHQ民政局がわずか十日あまりで作成し、それを日本政府に示し(S21.3.13)、若干の修正を経てS21年8月24日に議会で可決、その年の11月3日に公布したものです。

 マッカーサーは、「この憲法草案の議会提出に際し、これは『日本人による文章』であると声明、それが司令部の示唆によることを推測せしめるような記事は全てプレス・コードに基づく検閲により削除」しました。そして、「『今や日本は近代的法治国になって、言論は自由になり、国民は主権者となった』」と一大キャンペーンを張りました。

 しかし、実際は、この時の主権者はマッカーサーであり、「日本国民の意思は議会や政府を通じて表明されるが、主権者はこれに拘束されず、これを尊重するのはあくまで恩恵」に過ぎませんでした。つまり「民意による政治が民主主義」なら、これは到底民主主義といえるものではありませんでした。

 にもかかわらず、当時の新聞や知識人は、こうした「事実」を一切隠して、占領下の民主主義と自由を熱烈に歓迎し、マッカーサーを賛美しました。そのため、一般の日本人は、かって「戦争を勝利に導くために働き続けた人間から戦争を呪う人間に一変」しました。

 こうした日本人の”精神的無条件降伏”とも言うべき「回心」について、山本七平は、日本国憲法前文を引用し、次のように述べています。

 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行動によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、・・・この憲法を確定する」

 ”この文章は、戦争を起こす可能性のあるものは日本政府だけだという前提に立っている。事実「欧米の自由民主主義もソ連の人民民主主義も共にファシズムと闘う光の子である」という前提に立てば、そうなるのであろう。
 そこで国連により外から監視し拘束し同時に国民により内から規制をすることが必要とされる。同時に過去の『闇の子』の指導者は裁かれ処罰されねばならない。”

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」

 ”この言葉には一つの前提があるであろう。いわばこの世界には『平和を愛する諸国民』(光の子)と「戦争を愛する諸国民」(闇の子)とがあった。そして「闇の子」は終末的な戦争において滅び、その国民の「闇の時」もまた終末を迎え、回心して「光の子」となった。
 その「光の子」が、「平和を愛する諸国民」(光の子)の「公正と信義に信頼して」「安全と生存を保持しようと決意した」とは、言葉を変えれば「アメリカの平和(パックス・アメリカーナ)」に組み込まれて、「安全と生存を保持しようと決意した」ということであろう。”

 そして、この決意は必然的に、日本国憲法第9条2項の戦力不保持、交戦権否認の規定と結びついた。前稿で述べた通り、この9条2項の発想は幣原喜重郎によるものと思われますが、マッカーサーに、以上述べたような「終末論」的発想がなかったならば、このような、国家の自衛権を否定する規定が生まれることはなかったと思います。

 ではなぜ、多くの日本人が、こうした「終末論」的発想をもつ憲法を、「栄光」として受け入れたのでしょうか。”無条件降伏”をしたのだから仕方がない”としても、なぜ、占領が終わって独立した後も、これをかたくなに守り、民意に基づく民主憲法を自らの力で作成しようとしなかったのでしょうか。

 それは「戦争を起こす可能性のあるものは日本政府だけだ」という前提に立ち、たとえ、国連が自衛権を認めても、「日本政府を内から規制」すべきであり、そのためには日本が戦力を持つことを禁止すべきである、と考えたからでしょうか。

 それとも、日本人にこうした「終末論」を受け入れる何らかの素地があったのでしょうか。もちろん、その原因の一つが、広島、長崎の原爆投下があったことは間違いありません。しかし、その均衡によって大国間の戦争が抑止されていることも事実ですし、かといって、その均衡が世界に千年王国の福音をもたらしているわけでもありません。

 それゆえに、日本は、日本国憲法第9条によって、永遠の戦争放棄と戦力の不保持を誓いながら、それは自衛権を否定するものではないとの苦肉の解釈を行い、「戦力」ならぬ相当の「自衛力」を持つと同時に、日米安保によってその「戦力」の不足を補っているのです。

 こうした現実に対して、自衛隊を憲法違反としてその解散を求める意見は、今日ではほとんど聞かれません。しかし、最近の集団的自衛権の議論に見るように、日本の自衛権の暴走を危惧する意見は決して少なくありません。また、日本の戦力の不足を補い、日本及び極東の安全保障に責任を持つ、同盟国アメリカに対する不信感も少なくありません。

 もしこれが、日本国憲法第9条2項の「戦力不保持、交戦権否認」を根拠とするものなら、もともとこの規定は、アメリカが、「闇の子」である日本人を「光の子」に回心させると同時に、その戦力を否定し、その安全はアメリカの平和(パックス・アメリカーナ)のもとに置くと宣言したものですから、アメリカは、これを真実を思い込んだ日本人に復讐されていることになります。

 まさに、ウソ(WGIPによって千年王国幻想を日本の押しつけ洗脳しようとしたこと)のツケは、このようにブーメランのように我が身に返ってくるものなのでしょうが、アメリカがこうした終末論的歴史観の誤り(「世界の救済者」のごとく振る舞うこと)に気づいたのは、ベトナム戦争以降のことだったといいます。

 であれば、日本としても、アメリカが犯したこのような誤りから脱却する(「を繰り返さない」を訂正)ためにも、日本国憲法が前提とする、このような歴史の「終末論」的解釈の誤りを正す必要があると思います。そうすることで、それを「栄光」とする「愚」から一日も早く脱却すべきではないでしょうか。u>この世に「千年王国」などないのですから)。*下線部7/7 10:56挿入訂正

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