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2015年11月

2015年11月 8日 (日)

「南京事件」に関する私論へのHATENA::DAIARY様の反論への反論

拙稿「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」に対して、HATENA::DIARY氏から以下のような反論がありましたので、それに対する私の反論を掲載します。斜線部分が私の反論。

スマイス調査をろくに読まない否定論者
南京事件、歴史修正主義
アゴラ「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」における渡邉斉己氏の否定論についてです。

タイトルは「南京戦史」ですが、記事中(と言うより「南京戦史」が)ではスマイス調査についても言及されています。
市部調査の加害者についての印象操作
まず、この記述。

では、このスマイス調査にはどのような数字が書き込まれているか。「本調査」第四表によると、南京市部における、12月13日~翌1月13日の間の兵士の暴行(日付不明150を加える)による死者2,400、拉致され消息不明のもの4,200、合計6,600となっている。この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日~24日)のもので、かつ、「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。

「この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日~24日)のもの」なら、加害者は日本軍と考えるのが普通ですが、渡邉氏は「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」と付け加えています。

本調査「まえがき」(M・Sベイツ)には「われわれ自身の立場は戦争の犠牲者にたいする国境をこえた人道主義の立場である。この報告書のなかでわれわれはほとんど「中国人」とか「日本人」等の言葉を使うことなく、ただ農民・主婦・子供を念頭に置いている」と書いている。実際、第4表「日付別による死傷者数および死傷原因」の死亡原因は軍事行動、兵士の暴行という区分はあるが、その加害者が日中いずれであるかのく分がなされていない。そもそも50戸に1戸の割合で抽出した数字を50倍した被害者数について加害者が誰であったかを正確に推定できるだろうか。なお、この「報告書の作成と調査結果の分析について、指揮者は金陵大学のM・Sベイツ博士の貴重な協力を得た」となっていおり、『戦争とはなにか』でベイツの果たした役割を考えると、その作為がこの分析に反映したことは当然である。

ちなみにスマイス調査では、表4の市部調査に関連する記述で以下のようなものがあります。

There is reason to expect under-reporting of deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers, because of the fear of retaliation from the army of occupation.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

占領している日本軍を恐れて、日本軍による虐殺・暴行が過小評価されている可能性にスマイスはわざわざ言及しているわけです。

この英文資料の邦訳は『日中戦争資料9南京事件Ⅱ』(s49年刊)で読むことができる。この本をご存じないか、それとも訳文に不満か。この文章はスマイスの推測。そもそも加害者を特定しない調査であるから日本軍の報復を怖れる必要はないと思うが。

虐殺犠牲者を便衣兵扱い

ここで注意すべきは、この6,600人は、一般市民ではなくこの期間に掃討された兵士の数である可能性が大であること。また、この掃討について『南京戦史』は、「ことに城内安全区掃討(12月14日~24日)や兵民分離(12月24日~13年1月5日頃)の際、我が軍としては一応選別手段は講じたけれども、便衣兵と誤ったケースもあったようであるが、その最大の原因は安全区の中立性が犯され、便衣の敗残兵と一般市民が混淆してその選別が極めて困難になったことがある」としている。

渡邉氏はスマイス調査で示された虐殺拉致被害者らは、中国兵だと決め付けています。しかし、スマイスは基本的にこれらを市民(civilians)と呼び、少数の敗残兵が含まれている可能性が極僅か(the very slight possibility)だと言っています。

The figures here reported are for civilians, with the very slight possibility of the inclusion of a few scattered soldiers.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

これもスマイスの推測に過ぎない。6.600人の内拉致された4,200人について、スマイスは「拉致された男子は少なくとも形式的に元中国兵であったという罪状をきせられた。さもなければ、彼らは荷役と労務に使われた」と記している。兵士の暴行による男1,800人の死亡の47%846人が元兵士であったとすると、5,046人が元兵士の疑いをかけられたことになる。

さらに言えば、虐殺された2400人のうち650人は女性ですし、男性も半数(53%)は14歳以下と46歳以上で敗残兵とはまず考えられません。虐殺犠牲者の性別・年齢構成を考えれば、そのほとんどは市民であったとしか言いようがなく、「便衣兵と誤ったケースもあったようである」などという言い訳は通用しません。

この650人という数字は、紅卍会の埋葬記録(『侵華日軍南京大屠殺檔案』)では、死体数男41,183人、女75となっている。そもそもこの調査は市部では50戸に1戸の割合で調査し、その数を50倍して求めたものであり、調査段階の数字は13人だったことになる。いずれにしても、虐殺犠牲者の「ほとんどが市民であったとしか言いようがない」とはとても言えない。

拉致された4200人について言えば、男性ばかりで年齢も15才~44歳ですが、スマイスは給仕や売春を強要された女性の拉致被害者が短期間で帰れたのに比べて、深刻であることを指摘しています。また、その4200人も、中国兵だったというのは考えにくく実際、3月に13000家族が連行された家族の解放を求めていたことにスマイスは言及しています(このあたりの話は以前も書いています)。

拉致と連行とは違うのでは。

農村調査での犠牲者も否定。

また、スマイス調査における江寧県での死者9,160人という数字は、あくまで城外の(調査した100日間)の死者数であり、かつ「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。また、「我が軍の中国一般市民に対する基本的態度は、これを敵視しないことであった。市民の被害は我が軍が中国軍を攻撃し或は掃討などの戦闘行為をとったさい、その巻き添えによってやむなく殺害された場合を除いて、すべて個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」としている。

ここでも加害者が日本軍(だけ)ではないように印象操作する否定論を展開していますが、実際にはスマイス調査の報告書には以下の記載がちゃんとあります(この部分はベイツによる)。

Practically all of the burning within the city walls, and a good deal of that in rural areas, was done gradually by the Japanese forces (in Nanking, from December 19, one week after entry, to the beginning of February). For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces - whether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

この文章は本調査の「まえがき」にあるが、この前段には「南京の城壁に直接接する市街部と南京の東南部郊外ぞいの町村の焼き払いは、中国軍が軍事上の措置としておこなったものである」とある。なお中国軍の堅壁清野作戦をご存じか。また、「調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民に対する暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた」という記述が伝聞に過ぎないことは、拙稿「『南京大虐殺』が創作された歴史的経緯」で論じた通り。さらにwhether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.
訳文「そのようなやり方が正当なものであるかそうでないかについては、われわれの判定を下すところではない」と但し書きされていることに注意されたし。

「個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」という言い訳についてもスマイス調査から否定されています。

87 per cent of the deaths were caused by violence, most of them the intentional acts of soldiers.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

このように、ほとんどは日本兵による意図的な暴力(intentional acts of soldiers)だと書かれています。

これは「調査で回答のあったこの100日中の志望者総数」についてのもので、「死亡者の87%は暴行事件による死亡で、大半は兵士の故意によるもの」とあるだけで、その加害者が日中いずれであるかは問題とされていない。

そもそも江寧県しかカウントしないこともおかしい

大体、スマイス調査では江寧県以外に、句容県(暴行死:8530人)、溧水県(暴行死:2100人)、江浦県(暴行死:4990人)、六合県(半分のみ)(暴行死:2090人)の調査が行なわれていますから*1、それらを無視しているのもおかしいんですけどね。

拙稿では「日本軍が南京占領後、翌年1月までの間に発生した中国軍民の不法殺害」を問題にしている。なぜなら、「南京大虐殺記念館」の30万という数字が、「日本軍占領後6週間、城内外都市部とその近郊でで起こった虐殺事件」における虐殺数としていることと、江寧県以外の県における犠牲者については、南京城陥落以前の戦闘中に発生したものと見るべきだから。

そして結論として、スマイス調査の6,600人+9,160=15,760人という数字について「この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とは言えない。また、第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」ので、「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」としている。

スマイス調査で挙げられている暴行死者数は、基本的に「戦闘死、戦闘行為の巻き添え」を除外しています。表4は、「Military Operations 」と「Soldiers' violence」を明確に区別していますし、表25でも「Causes of Death」の内訳を「Violence」としてカウントしています。

「暴行による死亡」には「戦闘死、戦闘行為の巻き添え」が含まれているのでは。なお、ここでも、その加害者が日中いずれであるかは問題とされていない。

「中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ」などというのも、調査対象の日付とベイツの記述から明らかなように改竄に等しい内容です。

繰り返しますが、「For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces」とはっきり書かれています。

これも本調査のベイツが記した「まえがき」にるもので、この期間の市民に対する暴行のほとんどを日本軍の所為にしているところに、ベイツによる明らかな作為が看取される。それは「戦争とはなにか」の記述における作為と同じ動機によるもの。

「第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」というのもひどい話で、スマイス調査報告が出る1938年6月の時点まで、半年経ってなお行方不明の者を“生きているかもしれない”といって犠牲者数を過小評価するのは異常です。

こうした判断は『南京戦史』によるものだが、必ずしも異常とは言えないのでは。捕虜として収容されていたものや「荷役と労務に使われた」例もあったであろう。

そもそも、拉致被害者4200人という数字自体が少ないという可能性をスマイスは指摘しています。

The figures for persons taken away are undoubtedly incomplete.

Indeed, upon the original survey schedules, they were written in under the heading "Circumstances," within the topic of deaths and injuries; and were not called for or expected in the planning of the Survey.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

この文章は「数字自体が少ないという可能性」について述べたものではなく、最初の調査票には「拉致」がなく死傷者の「事情により」の欄に書き込まれた数字であったので、不完全だと言うのがより正確である。

まともにスマイス調査を読めば、市部調査の暴行死2400人、拉致4200人、江寧県の暴行死9160人、句容県の暴行死8530人、溧水県の暴行死2100人、江浦県の暴行死4990人、六合県(半分のみ)の暴行死2090人を合せた33470人でさえ、市民の犠牲者数見積もりとしては控えめな数字だとわかります。

「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」のは、最初から犠牲者数の過小評価、あわよくば皆無にしようという偏向の表れに過ぎません(そもそも「南京戦史」はそういう目的で編纂されたわけですから当然ですが)。

貴方の主張には「あわよくば犠牲者数を水増ししようという偏向の表れ」が見える。拙稿では『南京戦史』の紹介をしたわけだが、これが今日までの南京事件に関する研究では最も信頼に値するものだと私は評価している。多くの研究者も同様の評価だと承知している。

それにしても、未だに南京軍事法廷や東京裁判を“結論先にありき”であるかのように批判する論者は大勢いますけど、それなら、南京事件を否定しようという“結論先にありき”で編纂された「南京戦史」を鵜呑みにするのはどうなのか、と思わざるを得ませんし、そのようなスタンスで編纂した「南京戦史」でさえ南京事件は否定できなかったことの重みを感じて欲しいものとも思います。

拙稿で私は「南京事件」はあったが一般市民を対象にした「計画的かつ意図的な南京大虐殺はなかったと言っている。もちろん『南京戦史』もそういうスタンス。「それにしても、未だに南京軍事法廷や東京裁判を“結論先にありき”であるかのように肯定する論者」がいるが、”結論先にありき”ではなく、まず事実に肉薄することが先で、その上で当時の時代条件の中でフェアーにその行為の当不当を考えるべきではないか。なお、『南京戦史』はその当不当についてはそれを判断する具体的な資料がないので避けた」と言っている。また、南京軍事法廷や東京裁判がおかしなことは”結論先にありき”でなくても少し勉強すればすぐ分かる。

2015年11月 3日 (火)

「南京大虐殺」が創作された歴史的経緯

前稿(「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」)で、いわゆる「南京大虐殺」について、「南京防衛軍司令官の”敵前逃亡”でパニックに陥り撃滅処断された兵士が相当数いた(その中には不当なものもあった)ことは事実だが、一般市民に対する計画的な不法殺害はなかった」と記した。

しかし、実際は唐生智は”敵前逃亡”ではなかった。当時はそのように受け取られ、「軍事裁判の結果死刑」との情報が流れたが、実際には唐は生きていて、戦後も共産党政権下で湖南省副所長などを歴任したことが判っている。さらに、唐の脱出は蒋介石の命令であったことも判っている。それは軍主力をいち早く撤退させ戦力を温存するためだったが、蒋が降伏を認めなかったため、逃げ遅れて日本軍に殲滅処断された兵士も多かった。


また、この時「安全区」に「埋兵」を置き、略奪・放火・強姦などの攪乱工作をさせた。これを日本軍の暴虐宣伝に利用したのが、南京安全区国際委員会の主要メンバー(スマイス、ベーツなど)であった。これが意図的であったかどうか不明だが、ベイツは中華民国政府顧問であり「蒋介石から二度勲章をもらった」人物(東中野)。スマイスも国民党中央宣伝部国際宣伝処の工作を受けていたことが判明している(北村稔)。

彼らは、日本軍の南京占領後「南京安全区国際委員会」(委員15名)を組織し、南京城内に残された中国難民約20万人の保護・救済を名目に、日本軍に対して難民の食料・住居の配分、警察権などの行政権を主張した。日本軍は「安全区」の存在を正式には承認しなかったが、パネー号事件で英米に気を遣っていたためか「承認したものの如く」扱った。ここに、「安全区」の管理をめぐる国際委員会と日本軍との確執が生じた。

この確執の記録が、南京安全区国際委員会が南京の日本大使館等に提出した『南京安全地帯の記録』(s12.12.16~翌2月上旬間の安全地帯における日本兵の不法行為の事例)である。ここには、第一部189件、第二部255件の事例が列挙されており、第一部は日本側に提出された公式文書であるが、第二部は単なる「覚書」であり公式文書ではない。いずれにしろ、ここに列挙された事件が、彼らが訴えた南京城内で発生した事件の全てである。

では、この記録の中に殺人事件は何件あるかというと、驚くなかかれ22件で被害者は53名である。その他の強姦、略奪、放火、拉致、傷害、侵入、その他は、冨澤繁義氏の「データーベース南京事件の全て」によると、これらの中から、文責のないものを除き、さらに被害者不明な人的事件を除き、人的事件以外では被害場所不明なものを除いた「事件らしい事件」は97件となる。

この97件は南京城内における2ヶ月間の事件数であるから、1日あたり1.6件、20万都市の犯罪件数としては極めて少ない。では、なぜこれが南京の「terror=暴虐」となったか。それは、事実関係の確認されていない訴え=伝聞をそのまま日本軍兵士の犯行としたため。確かに日本軍の責めに帰すべき事件や日本軍兵士の引き起こした事件も多かったようだが、国際委員会は、事実確認より日本軍の暴虐を訴えることを優先したのである。

こうした彼らの作為は、彼らがティンパーリー(国民党中央宣伝部顧問)に協力し出版した『戦争とはなにか――中国における日本の暴虐(The Japanese Terror in China)』1938.7)に明白である。この本は、先の『南京安全地帯の記録』に多く依拠しているので、いわゆる大虐殺(massacre)とは題されていない。しかし、ここでは暴虐から大虐殺にするための重大な事実の改変が行われている。それは、『南京安全地帯の記録』では公式に訴えることができなかった安全区からの敗残兵の摘出処断を、不法殺害ないし市民虐殺としたことである。

この本の第四章「悪夢は続く」には、「一万人以上の非武装の人間が無残にも殺されました・・・これらの者は追い詰められた末に武器を放棄し、あるいは投降した中国兵です。さらに一般市民も、別に兵士であったという理由がなくても、かまわずに銃殺されたり、銃剣で刺殺されたりしましたが、そのうちには少なからず婦女子が含まれています」と書かれている。(この記述者は次の第三章の記述と同じくベイツ)

さらに第三章「約束と現実」には、「四万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、そのうちの約三0パーセントはかって兵隊になったことのない人々である」と書かれている。つまり、安全区に逃げ込み摘出された一万人以上の兵士を、不法殺害された兵士の如くいい、また、一般市民も殺されたといい、さらに、その総数を4万人とし、その30%1万2千人を一般市民としたのである。

なお、前稿で紹介したスマイス調査についてであるが、その調査書第四表とは別に、本文2「戦争行為による死傷」において、拉致された4,200の数の付記として、「市内及び城壁付近の地域における埋葬者を入念な集計によれば、12,000の一般市民が暴行によって死亡した。これらのなかには、武器を持たないか武装解除された何万人もの中国兵は含まれていない」という記述がある。(ベイツに付き合った?)

スマイスは、この数字の根拠を「紅卍会の埋葬者の入念な集計」としているが、紅卍会の埋葬記録では、男41,183、女75、子ども20(訂正:この数字は城外区の集計、城内区は男1,759、女8、子供26(56?))となっている。また、この数字も、「当時、特務機関兵として南京に駐在し埋葬問題を取り扱った」丸山進氏によれば、「民生を潤すために大幅な水増しをみとめた」という(実数3万人前後)。一般市民が大量虐殺されたのなら女83、子ども46(76?)という数字には止まらないだろう。

それにしても、日本軍による相当数の「捕虜や敗残兵、便衣兵」の処断が行われた(『南京戦史』では1.6万、ただし、この数字は南京城攻防戦全体での犠牲者数であって南京陥落後の数字ではない)ことは事実である。私は、これは松井大将が入場式を12月17日に強行したためではないかと考えたが、松井大将としては、一刻も早く戦闘状態を終わらせたかったのかもしれない。氏の日記にはこのことの反省はない。

しかし、問題は、中国軍が投降せず、安全区で後方攪乱を行い、かつ国際委員会は国民党宣伝部と結託して日本軍残虐宣伝を行っていたと言うこと。つまり、「戦闘」は継続していたのである。これが日本軍の掃討作戦を過酷にした主たる原因なのではないか。「戦闘」が最終的に終息したのは、昭和13年2月14日、国際委員会委員長ラーベ宅から二人の中国軍将校が姿を消した時。ラーベは翌日の日記に「我々の友情にひびが入った」と書いている。

おそらく、こうした「南京事件」をめぐる「実相」は、当時の人々には自明だったのではないか。国民党も顧維鈞が一度言及しただけで、国際連盟も問題にしていない。ところが、この『戦争とはなにか』の記述が、戦後にわかに復活した。昭和20年12月9日より、GHQがNHKラジオで毎日放送させた「真相はかうだ」では、「陥落前の南京」と題して「この南京大虐殺こそ、近代史上希に見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります」となった。(『真相箱』)。

その後、「南京大虐殺」は東京裁判を経て”正式に”復活した。それは国民党の戦時プロパガンダ(日本軍残虐宣伝)として始まり、アメリカ人宣教師らがそれに協力して虐殺事件に改変し(人種的優越感と共に日本軍国主義に対する嫌悪感がその根底にあった)、戦後、アメリカがそれを原爆等の非人道性相殺のために利用し、さらに国共内戦におけるヘゲモニー争いで国民党が日本軍国主義との戦いのシンボルと化した。今は、中共がそれを日米離間に利用している。

『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相

田原総一朗氏は、「記憶遺産登録の『南京大虐殺』を日本は完全否定できるのか」〈週刊朝日〉と題する記事の中で、南京事件の被害者数について次のような見解を示している。「日本人の研究者が示すように、4万人にせよ6万人にせよ大勢の中国市民が旧日本軍に殺されたのは事実なのである。」
はたして、これは事実だろうか。おそらく、こうした見解は、中間派とされる秦郁彦氏の不法殺害4万人説(兵士3万、民間人1万―2007年改訂版『南京事件』)の影響が大きいと思う。秦氏は、この本で、軍人捕虜の不法殺害3.0万人、民間人の不法殺害1.0万人、合計4.0万としつつ、この4万の概数はあくまで最高限であり「実数はそれをかなり下回るであろう」としている。

秦氏の『南京事件』の初版は1986年で、ここには「最高限云々」の記述はなかった。しかし、1989年に偕行社より『南京戦史』が刊行され、「南京事件」の実相が明らかにされたことで、2007年の改訂版ではこのような「但し書き」が加えられた。また、『南京戦史』による「不法殺害の規模」について「単行本はすべて不法殺害とは言えぬがとの条件付きで『捕虜や敗残兵、便衣兵を撃滅若しくは処断』した兵士を約一万六千、民間人の死者を一万五七六0人と推定した」と紹介している。

だが、この紹介だけでは秦説と『南京戦史』説の違いは分からない。そこで、以下『南京戦史』の見解を紹介する。これによって、”南京事件では、なぜ軍人捕虜等の殺害の当・不当の判定が困難か”。また”意図的な一般市民の殺害があったかどうか”が明らかになるからである。

『南京戦史』は、南京戦における中国軍兵力7.6千人、その内訳は、戦死約3万、生存者(渡江、突破成功、釈放、収容所、逃亡)約3万、撃滅処断約1.6万としている。この1.6万という数字は、「捕虜や敗残兵、便衣兵を撃滅処断した実数を推定したもので、戦時国際法に照らした不法殺害の実数を推定したものではない。これらの撃滅、処断は概して攻撃、掃討、捕虜暴動の鎮圧という戦闘行為の一環として処置されたものである。しかし、これらを発令した指揮官の状況判断、決心の経緯は戦闘詳報、日記等にも記述がないので、これらの当、不当に対する考察は避けた」としている。

いうまでもなく、この1.6万というのは、兵士の処断数であって、民間人の虐殺を含まない。では、いわゆる「南京大虐殺」における一般市民の殺害に関する記録はあるかというと、「日本側にも中国側にもなく、第三国人の作った資料として『南京地区における戦争被害』(スマイス調査)が唯一のものであり、学術的かつ比較的公正なものと判断される」と言う。

では、このスマイス調査にはどのような数字が書き込まれているか。「本調査」第四表によると、南京市部における、12月13日~翌1月13日の間の兵士の暴行(日付不明150を加える)による死者2,400、拉致され消息不明のもの4,200、合計6,600となっている。この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日~24日)のもので、かつ、「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。

ここで注意すべきは、この6,600人は、一般市民ではなくこの期間に掃討された兵士の数である可能性が大であること。また、この掃討について『南京戦史』は、「ことに城内安全区掃討(12月14日~24日)や兵民分離(12月24日~13年1月5日頃)の際、我が軍としては一応選別手段は講じたけれども、便衣兵と誤ったケースもあったようであるが、その最大の原因は安全区の中立性が犯され、便衣の敗残兵と一般市民が混淆してその選別が極めて困難になったことがある」としている。

また、スマイス調査における江寧県での死者9,160人という数字は、あくまで城外の(調査した100日間)の死者数であり、かつ「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。また、「我が軍の中国一般市民に対する基本的態度は、これを敵視しないことであった。市民の被害は我が軍が中国軍を攻撃し或は掃討などの戦闘行為をとったさい、その巻き添えによってやむなく殺害された場合を除いて、すべて個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」としている。

そして結論として、スマイス調査の6,600人+9,160=15,760人という数字について「この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とは言えない。また、第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」ので、「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」としている。

ここで、一般的に南京大虐殺という場合、日本軍が12月13日に南京を占領して後、翌1月までの間に発生した中国軍民の不法殺害を問題にする。従って、上述した城外の江寧県の死者を「個別的な偶発や誤認の結果生じたもの」と見なして除くと、市部調査の6,600人のみとなり、これは先に述べた通り、城内安全区の掃討等において便衣兵と見なされ摘出された人数と重複していると思われるので、結局、「南京事件」においては、南京防衛軍司令官の”敵前逃亡”によりパニックに陥り撃滅処断された兵士が相当数いた(その中には不当なものもあった)ことは事実だが、一般市民に対する計画的な不法殺害はなかった、ということになる。

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