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2017年2月12日 (日)

小池都知事における「人望の研究」

(前稿と重複する前段の文章を削除、次パラグラフ挿入2017.2.14.0:33)
 
最近の小池都知事の言動を見聞きしていると、正直言って気分が悪くなります。中には、小池氏の恣意的な権力行使や礼節をわきまえぬ言動に喝采を送る人もいますが、私は、これは、「平等社会になればなるほど、リーダーに求められる共通の能力」としての「人望」の欠如を示す以外の何物でもないと思います。
 
まず、小池都知事の石原元都知事の責任を追及する最近の物言いを見てみます。
 
(小池都知事の2月3日の定例記者会見)
小池都知事は、石原元都知事が移転決定の経緯を詳しく説明していないとして、「逃げてしまっているという印象」「石原さんらしくない」と批判
 
(2月8日 BSプライムニュースインタビューでの発言)
都議会特別委員会が石原元都知事や浜渦氏を参考人を決めたことについて、石原元都知事が「喜んで応じる」と語ったことについて、小池都知事は「いろいろ環境も変わってきましたので、そういったところで何か動かなければと思ったのでは。その時、知事でいらしたわけですから、侍とかの精神とか、日本男児たるものはとずっと言ってこられたわけですから、人に責任を転嫁することなく、自らのことをしっかり語られたらいいと思います」
 
浜渦元副知事が、石原元都知事は「国の大きなことをやっていたので、チマチマしたことは私がやってました」(浜渦のテレビでの発言)と言ったことに対し「都知事として選ばれていたわけでしょ。国のことは頼んでないでしょ。それを聞いてショックでしたね」
 
また石原都知事が行った尖閣諸島問題の取り組みについて「むやみに問題にされて結局14億円を宙に浮いている」「この始末はどうしましょうか」「国と都がやるべきこととをもう少し明確にしてやられた方が良かったのではないか」
 
(2月10日記者会見)
 参考人招致等に出席に意欲を示す慎太郎氏に対し「急にここにきて動きだされた。何があったのかよく存じません」「急に元気になったり、弱気になられたり。この後もどんな波になるか分からない」、「『記憶にありません』という姿勢をみせるなら、国民が見ている」
 
プライムニュースでの発言にもありますが、自分は石原元都知事の「後始末をやらされている」と、尖閣問題まで持ち出して責任転嫁しようとしているのです。言うまでもなく尖閣問題は、尖閣が個人所有になっており、中国へ売却という怖れもあったことから都が購入を決めたもので、購入資金の寄付募集のアイデア自体は、当時副知事だった猪瀬氏の発案だったといいます。
 
いずれにしても、こうした高飛車な挑発的言辞は、すべて目的があって発していることで、小池都知事は、豊洲移転が当初の予定より大幅に遅れることを予測し、この間に生じる膨大な無駄金=築地、豊洲の維持管理費、業者への保証金等に対する責任追求を、石原氏に責任転嫁しようとしているのでしょう。
 
では、その結果、どういう事態が発生するか。まず、豊洲への市場移転は困難になります。その理由は、豊洲の地下水が環境基準を満たしていないということですので、では築地は満たしているか、他の市場はどうかという話になります。最悪の場合、築地の汚染状態や危険性が暴露され”にっちもさっちもいかなくなる”こと請け合いです。
 
小池都知事が本物の政治家であるならば、まず、モニタリング検査結果を市場の安全をオーサライズするものと判断したことの誤りを詫び、地下空間の設置についても、公報と実際の工法が違っていたことの都の不手際の謝罪と共に、それを「盛り土」なし=土壌汚染対策工事の手抜きと判断した自分の誤りを訂正すべきです。
 
残念ながら、小池都知事はこのいずれもやっていない。そのために、モニタリング検査結果に異常値が出たことへの正しい対応もできなくなり、豊洲は危険との風評を既定事実化してしまいました。さあ大変、ということで、石原元都知事をこうした混乱の元凶とすべく、先に見たような挑発的言辞を弄するようになったのだと思います。
 
こうした見方に対して、小池都知事の石原元都知事に対する批判は確かに厳しいが、豊洲移転の決定を石原元都知事がしたことは間違いないし責任は免れないと考える人も多いようです。先日のプライムニュースに中田氏と猪瀬氏が出ていましたが、中田氏は、もう豊洲移転は無理との前提で、石原元都知事の責任を追及していました。
 
猪瀬氏は小池氏を内田攻撃の先兵として使ってきた関係上、小池氏の石原たたきを非難することは避けていましたが、『東京の闇』を見る限り、豊洲への市場移転は長い議論の結果決まったことであり、石原氏が独断で決めたことではない。土壌汚染対策は徹底して行われており、移転の時期はあくまで科学的に判断すべきだ、との見解です。
 
問題は、中田氏が移転は無理と判断しているのと同様に、小池氏も、豊洲への移転は困難と見ているのではないか。それ故に、石原氏への攻撃が常軌を逸したものになっているのではないでしょうか。あるいは、豊洲移転となる場合も想定し、石原元都知事の豊洲移転定過程における無責任さを印象づけようとしているのかも知れません。
 
いずれにしても、こうした小池都知事のやり方を続けていけば、私は、石原元都知事が悪人であるかどうかは、世間の常識に任せるとしても、肝心の都政は、豊洲移転が遅延することによって引き起こされる混乱に止まらず、彼女の言う「東京大改革」そのものも、「大改革」ならぬ「大混乱」に陥る可能性が極めて大きいと思います。
 
それは、政策の問題と言うより、おそらく、小池都知事の「人望」に、以下述べるような、九徳ならぬ「一八不徳」があるためでは?かって菅首相の時「東日本大震災」が発生し、その時首相であった菅首相の「人望」のなさがどれほど大きな混乱をもたらしたか、この際、このことを思い出して見る必要があると思います。(参考:「普通の人の常識で見た東電「全員撤退」問題の真相」)
 
その時、私は、菅首相の言動を見ていて、次のような一文を私ブログにアップしました。小池氏の言動に、菅氏と同じような危うさを感じましたので、以下再掲しておきます。
 
人望の研究――菅首相の場合
 原子炉への海水注入をめぐるドタバタ騒ぎで、「いら菅」と評されてきた感情激発型人間菅首相の「人望のなさ」がいよいよ明らかとなり、早晩、辞任を余儀なくされることになるのではないか、と予測されます。
 
 山本七平の『人望の研究』には、この「人望」とは何か、ということが大変興味深く論じられていて、この人望を身につけるためには、まず、「克・伐・怨・欲」を抑え、「己に克ちて礼に復る」こと。つまり、他人を押しのけ、オレがオレがと自己主張し、それが叶わないと人を恨み、私欲をたくましくする、そんな自己中心的な心を抑えて、礼節をもって人に接する事ができるようになること、これを、その第一条件としています。
 
 次に、そうした自己中心的な心を抑えたとしても、人間には「感情」がある。つまり、喜・怒(いかり)・哀(悲しみ)・懼(おそれ)・愛(執着)・悪(にくしみ)・欲の「七情」がある。そこで、これらの感情を抑制しないで野放しにすると、自分の本来持っている人間性が損なわれるだけでなく、周囲の者も、その感情に振り回されどうしたらいいのか判らなくなる(そのため、首相の意向を忖度し「海水の注水を止める」といった今回のような行動が生まれる)。従って、この「七情」の激発を抑えることが極めて大切だ、というのです。
 
 つまり、このような努力を積み重ねることによって、人は少しずつ「人望」を身につけていくわけですが、実は、この「人望」というのは、その人の職業や思想信条、あるいは時代や国の違いを超えて、リーダーに対して共通に求められる普遍的な「能力」となっている。
 
 さらに、こうした「人望」は、平等社会になればなるほど、リーダーに求められる共通の能力となってきていて、従って、リーダーたるべき人は、学問知識を身につけることと同時に、こうした「人望」を身につける努力=「自己修養」を怠らないようにしなければいけない、というのです。
 
 では、その「人望」というのは、具体的には、どのような「徳」を身につけることをいうのか、というと、『近思録』では、これを「九徳」と言い、次のような九つの徳目を身につけることを、その具体的な到達目標としている。
 
(一)寬にして栗(寛大だがしまりがある)
(二)柔にして立(柔和だが、事が処理できる)
(三)愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
(四)乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
(五)擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
(六)直にして温(正直・率直だが、温和)
(七)簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
(八)剛にして塞(剛健だが、内も充実)
(九)彊にして義(強勇だが、義しい)
 
 何となく、判ったような判らないような感じで、まあ、なんと細かな人間観察をしたものか、と感心しますが、いずれにしろ、こうした「九徳」を身につけることが、リーダーたるべき条件であると、儒教は教えてきたわけです。
 
 現代の日本人は、儒教といえば、封建的な人間道徳を教えるもので、個人の自由を基本とする現代社会には合わないと考える人も多いと思いますが、こうした儒教におけるリーダー条件を見れば、その人間観察が決して半端なものではないことが判ります。
 
 といっても、これらの徳目には、それぞれ相反する要素が含まれていて、どちらが欠けても不徳になる、全部がそうなれば「九不徳」となり、両方が欠ければ「十八不徳」になる。では、その理想的な状態とはどういう状態を指すのかというと、これらの徳の相反する要素をバランスさせることであり、つまり、これが「中庸を得る」ということなのではないかと思われます。
 
 そこで、この「九徳」をよりわかりやすくするために、あえて、その逆の「十八不徳」になるとどうなるか書き出してみると、
 
(一)こせこせうるさいくせに、しまりがない。
(二)とげとげしいくせに、事が処理できない。
(三)不まじめなくせに、尊大で、つっけんどんである。
(四)事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高である。
(五)粗暴なくせに、気が弱い。
(六)率直にものを言わないくせに、内心は冷酷である。
(七)何もかも干渉するくせに、全体がつかめない。
(八)見たところ弱々しくて、内もからっぽ。
(九)気が小さいくせに、こそこそ悪事を働く。
 となります。
 
 以上、山本七平による「人望」の条件について記して来ましたが、「克・伐・怨・欲」を抑えられず、「七情」をところ構わず発散し、と言ったところで、なんだか”オレは聞いてない!と怒鳴り散らす・・・らしい菅首相の姿が自然と脳裏に浮かんできました。
 
 さらに、これを前記の「十八不徳」に照らしてみると、不思議にピタッと当てはまる項目が、菅首相の場合にはいくつもあるように思われ、ああ、これでは、この危機的状況の中で、日本のリーダーを務めることはできないだろうな、と思われました。
 
 なにしろ、リーダーにこうした「人望」を欠いた場合は、旧日本軍においてすら、部下が面従腹背となり、組織が全く動かなくなったと言いますから。
 
 平等社会になればなるほど、リーダーには、こうした「人望」を身につけることが求められる・・・。日本の政治家の皆さんも、以上の「九徳」を自らを写し出す鏡として、真に「人望」あるリーダーを目指していただきたいと思います。」
 
「十八不徳」・・・どれを見ても都知事就任後の小池都知事にぴったりのような気がします。
 

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