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2021年7月

2021年7月24日 (土)

「なぜ、東京五輪に反対するか」遠藤誉氏の見解について考える

遠藤誉氏は、7月4日のyahooニュースで次のように、◆私が東京五輪開催に反対する理由を述べている。*以下はそれに対する私の意見。

1. 一つには、開催すればコロナ感染が拡大することは十分に予測されることで、日本人の命がより多く失われることが懸念されるからだ。

*何事も現状認識において相対的な比較を行う必要がある。ワクチン接種によって死亡率の圧倒的に高い高齢者の感染率、重症化率が下がり、死亡者も人口1200万人の東京で7月22日現在1名となっている。当然、ワクチン接種が50代40代と進むので、おそらく感染力の強いデルタ株によって感染者数は増えるだろうが、現状においてわずか数名であり、今後「日本人の生命がより多く失われる」という心配はないと思う。

2. 私の友人のご親族はコロナに罹ったが高齢のために入院させてもらえず、すなわち入院患者のベッド数が足りないので命の選択をされてしまい、亡くなられた。

*その方が何波の感染拡大で亡くなられたか知らないが、日本の医療界がコロナに対応する十分な入院治療体制を採らなかったことが問題だったのではないか。
 2021.1.30週刊現代の記事「新型コロナ「医療崩壊」のウソと現実…なぜ重症病床がこんなに少ないのか」は結論として、
 「コロナ対応をしている一部の医療機関は確かに『医療崩壊』の危機に瀕しています。しかし、その背後には大きなキャパシティがあり、それを活かして病床数を増やすという努力を、政府も医師会も十分に行ってこなかった。その『医療崩壊』のツケは国民に回されてしまっているのです」と述べている。

3.このように医療資源が逼迫している中、五輪選手やその関係者のために多くの医者や看護師が動員され、そうでなくとも足りなくなっている日本の医療資源を奪っていく。

*五輪を開催することは、日本が国際社会に約束したことであり、可能な限りその義務を果たすよう努めることは当然だと思う。それを可能にするため、オリンピック村をバブル方式にするなどの対策が採られているわけで、2.で指摘した問題点を改善し、「日本の医療資源」に余裕を持たせる努力をすべきである。

4.ワクチンに関しても日本では他国に比べて出足が遅かったために、今も行きわたっておらず、自治体などの接種体制は準備されてもワクチンがないために接種ができない状態が続いている。その数少ないワクチンを、五輪関係者には優先的に配分していくというのは、やはりある種の命の格差化で非人道的である。だから反対している。

*五倫関係者に優先的に接種するのは、オリンピック開催に伴う感染拡大を抑えるためであり、「命の差別化」ではなく、逆に「日本の医療体制」を守るためである。

5.これは反日とか親日といった政治的感情とは全く別の問題だ。

*五輪開催を決定したのは東京都及び日本政府であり、五輪開催に反対する勢力は従来より反政府運動に終始してきた勢力とほぼ一致していることは紛れもない事実である。その反対の理由が政策をめぐるものであれば問題はないが、「モリカケ問題」に見る通り、政局の混乱を目的とした「虚報宣伝」に終始しており、「五輪反対」も同様の宣伝と見られても仕方がないだろう。

6.次に反対している理由は、政治的判断に属するかもしれないが、それは「反日とは真逆」の判断であり、「中国に有利になるので、日本の国益を優先すべきだ」という考えに基づく。
 なぜなら中国が東京五輪開催を支援する裏を知っているからだ。
 そのため、たとえば5月28日にはコラム<バッハとテドロスは習近平と同じ船に:漕ぎ手は「玉砕」日本>を書き、また5月26日にはコラム<バッハ会長らの日本侮辱発言の裏に習近平との緊密さ>などを書いて、コロナ禍における東京五輪開催に反対してきた。
 もし東京大会が開催されないことになれば、それはコロナのせい以外の何ものでもないので、当然のこととして、最初に武漢のコロナ感染の外流を防げなかった習近平に責任追及の矛先がいく。
 

その理由に関しては2020年1月31日のコラム<習近平とWHO事務局長の「仲」が人類に危機をもたらす>や2020年1月24日のコラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>で書いた事実があるからだ。
 もし日本が東京五輪を開催すれば、習近平は非難を免れ、おまけに北京冬季五輪のボイコットを日本が叫べなくなるので、習近平としては何としても東京五輪を開催してほしいのである。

*以上の指摘はその通りだと思う。確かに、コロナ下でのオリンピック開催という「貧乏くじ」をひいたのは不運である。できれば、この「貧乏クジ」を破り捨て、習近平にひかせることができればいいわけだが、はたして、そういう芸当が日本にできるか。
 日本は世界の先進国に比べてコロナ感染を低く抑えることに成功している国である。それ故に、特に、アスリートのために、オリンピックという夢の舞台を、感染を最小限に抑えることで実現しようとしたのは当然であると思う。
 そして、その目標達成に向けて日本国民が一致協力し、成功に導くことができれば、その責任感の強さが国際社会に評価され、危機に対する日本国民の対応力の高さが見直されることになるだろう。
 私もそれを期待した。しかし、残念ながら、この正攻法による危機対処能力が、日本に失われていることを世界に証明することになってしまった。残念だがこれが現実であり。この経験を今後どう生かすかを考えなければならない。

続いて、遠藤氏は「安倍氏こそ親中により日本国民の利益を損ねている」として次のように安倍氏を批判している。

 「私はもともと安倍首相の支援者だった。どちらかと言うと心から支援していた。
 しかし2018年以降、自分を国賓として中国に招聘してもらうために二階幹事長に親書を持たせて習近平に会わせ、一帯一路協力を交換条件として国賓としての訪中を成し遂げたあたりから支援できなくなっていた。特にその見返りに習近平を国賓として日本に招聘するという約束を習近平と交わしてからは、「絶対に反対である」という考え方を揺ぎないものとして貫いてきた。」

 「これがあるから現在の菅政権がG7とともに「対中包囲網」を形成しようとしても内実は非常に緩く、実際にやっている政治は「親中的」なので、中国に有利な状況をもたらしていると多くのコラムに書き続けている。」

 さらに追記し、(なお、本論とは外れるが、ウイグル問題に関して制裁できる根拠となるマグニツキー法を今国会で審議さえさせなかったのは、自民党の二階幹事長周辺や公明党という与党であることを付言しておく。これが親中でなくて、何であろう!これこそが「反日」ではないのか?)という。

*こうした遠藤氏の批判は、大変参考になるものであり、私も、中共中国に対する警戒は決して緩めてはならないと思っている。ところが、日本国内には異常なほどに「正義」や「平等」を主張し、政策におけるゼロリスクを求める政治勢力が存在する。
 しかし彼らは、こうして日本政府に求める基準を、中国や韓国、北朝鮮にどれだけ厳しく求めているだろうか。彼らの、この二重基準によるまやかしの言説が、日本の言論空間の合理性をどれだけ歪めているか、このことの是正なくして、中共中国の脅威に日本人が的確に対抗することは到底できないと思う。

 また、遠藤氏は「結論から言えば開催を反対している者の中には反日的な人もいるかもしれないが、開催に反対している人が「反日」とは限らないということである。しかも「反日」という表現も適切でなく、「反政府」ではないのだろうか。
 自民党の今のやり方に反対したら「反日」だというのでは、まるで香港で「国安法」により多くの「反香港政府者」を逮捕させている習近平のようで、これは民主主義社会の考え方ではないということになる。」と指摘している。

*この指摘について私も賛成する。ただし、「反政府」を唱える勢力のその異常なまでの「安倍憎し」を見ると、おそらくその心理的背景には、「平和憲法の理念」を素朴に信じてきた「年来の夢」を壊された怨みがこもっているように思われる。その「夢」は、結局、日本の安全保障に関する憲法論議に帰結せざるを得ないのであり、日本をとりまく安全保障環境が「日本に対する原爆使用」が公然とビジュアル化される現状においては、早晩、それが「白昼夢」であったことを思い知らされることになるだろう。

2021年7月23日 (金)

橋本聖子東京オリパラ組織委員会会長への応援メッセージになれば・・・

 今日はオリンピックの開会式である。コロナパンデミックの最中でのオリンピック開催となったが、開催の可否を巡って国論が割れ、かつ、開会式の演出に関わった主要スタッフの過去の言動等が問題とされ辞任や解任を迫られるなど、異様な雰囲気の中での開催となった。

 なんとか、火事場の底力で、危機を乗り越えて欲しいと願う外なく、運営に携わるスタッフ一同の奮闘に期待したいと思う。開会式前に始まったソフトボールやサッカーの試合の選手達の頑張りを見て欲しい。ものすごい重圧の中でベストを尽くしている。

 森前組織委員会会長の辞任を受けて会長となった、橋本聖子氏の心労は大変なものだと思うが、日本のため頑張って欲しい。コロナウイルスは自然災害である。日本は幾多の自然災害に耐えて生き延びてきた。乗り越えられないはずはない。

 考えて欲しい。コロナによる死者はワクチンのおかげで極小に抑えられている。感染自体はウイルスの感染力が強くなれば増えるだろうが、治療できれば免疫も獲得できるわけで、パニックに陥る必要はない。問題はそのための医療体制を確立することで、それで、
このコロナパンデミックは克服できると確信することである。
 
 そのための努力は、日本だけではなく世界各国で取り組まれている。ワクチン開発がわずか2年で出来たのはほとんど奇跡といわれるが、私達は、この科学的成果に感謝すると共に、感染症という自然災害の脅威に備える心の平静さを持たなければならない。

 私は、今回の東京オリンピックを通じて知ることとなった「日本人の脆弱さ」は、日本人が、今後、国際社会の中で生きていく上での得がたい教訓になると思う。隣国の言動を見て欲しい。虚偽・侮辱・恫喝も平気。恐るべき精神の貧困ではないか。

 日本人も、近頃、きれい事ばかりで自分を棚に上げ、他を批判する卑怯者がイナゴのように増えたが、それでも、ウソや無礼やいじめを良しとしない基本的倫理観は心底に堅持されている。そのことに誇りを持ち、かってのサムライ魂を呼び覚ましたいものだ。    

2021年7月22日 (木)

夏の甲子園無観客、朝日新聞の自業自得

オリンピック無観客で、夏の甲子園も無観客になった。朝日新聞の自業自得という外はない。
 パラリンピック有観客のアドバルーンが上げられているが、おそらく、その頃にはワクチン接種が進み、第四波の感染拡大の波を経ても重症者や死者数が増えないことが分かれば、無観客を求める空気も沈静化すると読んでのことだろう。
 いずれにしてもこの頃にはコロナと社会経済活動の共存を図らざるを得ないことが国民にも判ってくる。死者数を一定の範囲に押さえ込むことを指標とせざるを得なくなる。
 多分、パラリンピック有観客とすべきとの意見が優勢になると思うが、そうなると、オリンピック無観客がはたして妥当であったかどうかが問われることになる。
 無観客によって国内感染がどれだけ抑止されたかは、茨城や静岡の有観客開催との比較が参考になるだろうが、野球などは有観客でやってきているわけで、それ以上の注意が払われるだろうから、感染拡大に結びつくことはないだろう。
 オリンピック開催による感染抑止策も、国内のそれより強力に行われているから、問題は国内の感染防止対策をどう進めるかで、それはワクチン+マスク+三密回避を基本に、コロナによる死者数を一定範囲に押さえ込むことをメルクマールとせざるをえない。
 いずれにしても、今回の日本政府のオリンピック対応は失敗と評価されることになるだろう。日本でオリンピックを開催するメリットが無観客によるフラストレーションで、その効果がほとんど減殺されてしまうからである。  
 その責任が政府にあることは間違いないが、朝日新聞やテレビワイドショーをはじめとするマスコミ、特に、政府にアドバイスした医療専門家の責任は大きい。医療体制の整備やワクチン接種について政府に積極的な協力体制をとらないどころか、無観客という政治判断にまで口を出し、世論を誘導し、政府を無観客に追い込んだことは明らかだからである。
 例の専門家会議の在り方とも合わせて、解決を図らなければならない重大問題であると思う。

2021年7月12日 (月)

オリンピック「無観客」は世界からどう評価されるだろうか?

 今回の菅首相の「オリンピック無観客」の判断が正しかったかどうかの判定は、今後、日本におけるコロナウイルスによる死亡率がどれほど高まるかによって決まるだろう。

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日本全国のコロナによる死亡者数の推移
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東京のコロナによる死亡者数の推移(40代、50代の死亡者が増えてると言うが?)

新型コロナウイルス感染症対策分科会長である尾身会長は、2021年7月7日、“五輪無観客望ましい”と次のように述べた。

 「その上で「大会関係者を入れる必要が一部あると思うが、なるべく最小限にすることが、矛盾したメッセージを出さないために非常に重要だ」さらに「多くの人に感染をこれ以上拡大しないようにお願いしているところに、観客が入った映像が写ることで、矛盾したメッセージになる」(gooニュース)

 要するに、「無観客にしろ、入場している関係者の姿は自分たちの提言と矛盾するからテレビで見せるな!」という要求である。医療専門家として感染を抑える方策を提言するならまだしも、その政治的効果まで考え提言をするなど明らかに行き過ぎである。彼らの専門家としての判断が妥当であったか否かは、いずれわかることであって、その判定を待てばいいだけの話である。言うまでもなく、政治責任は政治家がとる。

 菅首相は、こうした提言を受けて「無観客」を選択したわけだが、この判断が政治家として妥当なものであったかどうかは、今後、厳しく問われることになるだろう。なにしろ、国内外の他の大規模イベントで「無観客」のものはほとんどなくなっているので、東京オリンピックの「無観客」が異常に見えてくるのは避けられないからである。

 とはいえ、この「無観客」を強硬に主張したのは、尾見会長以下医療専門家集団をはじめ、東京都の小池都知事、都民ファースト、共産党を中心とする野党、公明党、そしてそれに付和雷同するマスコミであったことを忘れてはならない。

 この間の経緯については高橋洋一氏は、yafoo news 7/12(月) 配信で次のように指摘している。

 「緊急事態宣言正式決定の前日の7日夜、小池都知事は「政府が4回目になる緊急事態宣言ということで、あすにもいろいろ手続きをすると伺っている。ここのところ感染者数の上昇が続いているので、これらの措置も必要な段階なのかなと思う」と、あたかも外部者のように答えていた(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210707/k10013125451000.html)。

 ところが、今回の緊急事態宣言を仕組んだ張本人は、小池都知事だ。

 小池都知事は、都議選の翌日の5日、自民党の二階俊博幹事長、公明党の山口那津男代表とそれぞれ面会し、五輪無観客の流れを作った。さらに、7日、小池都知事は政府分科会の尾身会長とも2時間近く会談している。(あるいは天皇陛下への工作も彼女?=筆者)

 都議選では都民ファーストへの応援演説こそしなかったものの、都民ファの大健闘を引き出したが、その都民ファは五輪無観客を公約に掲げていた。その都民ファが第一党こそ逃したが、大健闘で民意を得たといえるので、都議選の結果を引き下げて、自公幹部に五輪無観客へ訴えたのは効果的だった。

 そして、政府内での重要人物である尾身はかねてより五輪無観客を言っていたので、同氏も仲間にすれば、菅政権は五輪無観客にせざるを得ないとみたのだろう。この作戦はまんまと成功した。

 官邸の行動力が鈍っている時に、本来は、政府首脳が行うべき与党幹部等との面談を小池都知事がやってのけた。都議選敗戦のショックで官邸の行動力が鈍っているときに、小池都知事は精力的に行動した。

 しかも、五輪無観客や緊急事態宣言について、東京都は当事者であるので小池都知事が表に出てもいいはずがあえて水面下で行い、決して過度に露出していない。この政治的老獪さは驚くばかりだ。」

 これを「老獪」と言うべきか、「卑怯」というべきか迷うが、問題は、そうした政治的術策の目的は何かと言うことで、それが「いかなるもの」であるかということは、彼女の豊洲問題の処理過程を見れば明らかである。あの石原元都知事でさえ血祭りに上げられた。今度は菅首相が、彼女の「権力獲得の調略」の「生け贄」にされたわけである。他の勢力は、共産党を除き彼女の「おもちゃ」に過ぎない。

 問題は、なぜ。このような政治的操作が、小池にやすやすと出来るかと言うことだが、おそらく彼女は、日本人の「空気」支配と、それを生み出すベンダサンの「天秤の論理」に習熟しているということだろう。その操作の要諦は、「実体語」と「空体語」のどちらにも偏せず、その支点を跨ぐ位置に自分を置き、微妙にバランスをコントロールしながら、自分に有利な空気を醸成し、その空気に押される形で権力を握るというやり方である。

 この点、従来、政府のコロナ対策批判の急先鋒であった慶応大学の金子勝教授の方がはるかに正直である。氏は「ワクチン接種の効果か、65歳以上の感染者数は少ない。・・・重症化リスクの高い人からワクチンを優先せよ」(7/10(土) 20:00配信)と題して次のような投稿をしている。

 Q:テレビでは、「新型コロナ40代50代男性の重症化が目立つ」ことが強調されているが、コロナ重症患者を治療している東京医科歯科大学病院でのやりとりでは
――患者の傾向は?

40代50代の重症化が目立ってきています。都全体としても、ことしの2月、3月は、入院患者の3割ぐらいが65歳以上だったんですけど、今は5%程度に減っています。おそらく65歳以上の方のワクチン接種が進んだというバックグラウンドがあるんじゃないかと思います。

――重症化の40代50代とは?
男性の方が多くて、なおかつ、肥満傾向のある方です。体重が100キロ以上ある方ですとか。そういう方がやっぱりハイリスクなんだと思います。

 となっている。要するにワクチン打ってる世代の重症化が減り、打っていない40,50代の肥満傾向(100キロ以上?)の人の重症化が相対的に目立ってきたと当たり前のことを正直に言っているに過ぎないのである。

 こうした感染状況の推移について、評論家の門田隆将氏は、7月9日のツイートで次のように言っている。

 「全国の重症者は441(都は62)人で18日連続減。都の新規感染は822人だが90代1人80代4人に過ぎず死者激減。第5波の特徴は鼻水と頭痛。味覚障害もないとの報告も。若者に陽性者が増えれば高齢者ワクチンが進んだ今、集団免疫が近づく事も意味し、問題はない。誰か緊急事態宣言&無観客の意味を教えて欲しい。」

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 さて、これらの事実に照らして、先の尾見会長の提言ははたして妥当といえるか。

 7月11日には、毎日新聞の5人の記者による「異例続きの東京オリンピック 取材記者の覚悟」と題する記事が配信された。「五輪が映し出すのは資本の論理で暴走を続ける、いびつな世界そのもの」という内容だが、それは今回の「無観客」決定とは別個の問題であって、毎日新聞の「無観客」主張を正当化する根拠とはなり得ない。

 私自身は、オリンピックの内情のことは何も知らない。ただ、折角、古代ギリシャの「オリンピア祭典競技」に由来する、国際社会における国家間の緊張を和らげるための「平和の祭典」なのだから、また、アスリートの人生をかけた最高の晴れの舞台でもあるのだから、その趣旨に沿った運営がなされることを望みたいという、それだけである。

 そのような国際的一大イベントを、自らの熱意でもって東京に招致しておきながら、8年間という長い時間、労力と金をかけて準備してきたのに、また、アメリカの奇跡的ワクチン開発によってようやくパンデミックの終熄を見つつあるこの時期に、さらに、日本における感染状況がほぼ見通せるようになったこの時期に、なぜ、オリンピック批判をして「無観客」を正当化しなけらばならないのか。

 オリンピックに参加するアスリート達の気持ちを考えれば、これが、どれほど非情の仕打ちであるか判らないのだろうか。彼らにしてみれば、自分たちの頑張りが、日本人に勇気や感動を与えてこそ、日本でオリンピック開催する意味があるのに、喜んでもらうどころか、コロナをまき散らす元凶と迷惑視される。そんなことなら、東京でのオリンピックは中止にして欲しいと思うだろう。

 実は、これが、オリンピック反対派の狙いであって、その目的は、何のことはない、国内の「反政府運動を盛り上げる」ことであって、それが国際的にどのようなリアクションをもたらすかまるで考えていないのである。この視野狭窄は、戦前にも数多くの悲劇を生んできた。毎日新聞の百人斬り競争戦意高揚記事が、中国によって非戦闘員虐殺記事に「作り替え」られたのはその典型である。

 毎日新聞はこの記事について、いまだに「正当な取材だった」と強弁し、その罪を「やらせをさせられた」二少尉に転嫁したままである。朝日新聞に到っては、その中国の「作り替え」記事を事実と報道し、その虚構性が明らかとなるや、一転して、二少尉がやったのは「戦闘行為」ではなく「非戦闘員百人斬り競争」だったと、さらなる捏造記事をまき散らしている。

 慰安婦記事の捏造がばれるのに30年近くかかったが、この毎日、朝日の虚偽がばれるのに、どれだけの時間を要するだろうか。いずれにしても、こうした巨大マスコミに見られる報道における不誠実さと「まぬけさ」は、今回の東京オリンピック反対運動にも典型的に現れ、日本を窮地に陥れているのである。

 一方、菅政権は、こうした東京オリンピック反対派の「シナリオ」が読めなかった、その無能さが明らかとなるにつれ、今後、七転八倒することになるだろう。他方、こうした日本の危機管理能力の「ひ弱さ」の露呈によって失われた、日本の国際社会における信用崩壊をどう回復していくか、この問題は、日本の安全保障問題と絡んで、今後一大論争へと発展していくだろう。

 それにしても、この間に交わされたSNS上の意見を見ていると、これが日本人なのだろうかと、思わず絶句するほど、まさに小林秀雄の言う「怨望」丸出しの、救いようのない言説にあふれている。他国の開発したワクチンのおかげで、しかも、それをタダで政府から接種してもらい、命の危険から脱しながら、また、各種支援金で救われることも少なからずあったはずなのに、感謝のかけらもない。

 自国が、百年に一度というべき国難に直面しているのに、皆で知恵を出し合い、一致協力して国難を乗り切ろうという前向きの姿勢がまるで感じられない。まさに、今、SNS上で話題を集めているKK問題さながらの、餓鬼畜生の地獄絵がそこに展開されているのである。やはり、三島由紀夫の預言は正しかったかと、思うこの頃である。

 ところが、これだけ重要な「決定」がなされた直後なのに、マスコミ界には「気の抜けたような」雰囲気が漂っている。要求が実現したのだから歓声を上げて祝杯を上げてもいいのに、不思議な沈黙がそこにある。この沈黙は、空っぽのオリンピック会場と、国内外の盛り上がりを見せる他のイベント会場のコントラストの中で、行き場のない非難中傷合戦へと発展していくだろう。

 そんなことにならず、尾見会長が予測した通り「無観客」で良かったね、といえる日がやってくればその方がいいと思うが、客観的なデータに見る限り、私は、そうはならないのではないかと危惧するのである。もし、私の予測が間違っていたら、その時は謝るほかないが、日本のためにはその方がいいわけで、一個人がつべこべ言い訳することではないと思っている。 以上

 

2021年7月 9日 (金)

オリンピック無観客という結果について思うこと

これでオリンピックを日本に招致した意味はなくなった。この招致のために払った多大な努力、そしてお金が結局無駄になったわけだが、招致した責任はあるから、無観客であってもアスリートが全力で競技に臨めるよう、大会関係者には頑張って欲しい。

 

 それにしても、今回のコロナウイルスという一種の自然災害、それも一過性で終わらない災害への対応で日本人が示したヒステリー症状は、かってイザヤ・ベンダサンが示した「天秤の論理」の仮説としての有効性をまざまざと立証するものだった。

 

 「天秤の論理」の欠陥は、事実認識を争う前に、政治的効果を狙った建前論が横行し、冷静な議論が出来なくなり、有効な対策が採られぬまま破局を迎えるということである。今回の無観客は、オリンピック招致の第一段階の破局といえる。

 

 では、ここに到った過程を検証してみよう。

 

1,コロナ感染防止対策で最初に議論となったのは、ウイルスのPCR検査の有効性に関する議論だろう。これについては、むやみに検査数を増やしたからといって感染防止には役立たないことがはっきりしたと思う(毎日検査しても感染は防げない)。結局、ワクチン接種がその切り札となったわけで、ここまでは、日本の医師界は間違っていなかったと思う。間違った人は”間違った”というべきだが、その廉恥心は彼らにははじめからない。

 

2,次に問題となったのは、感染拡大による医療崩壊の議論である。これについては日本は欧米に比べて感染者も少なくベット数も多いのに、なぜ、医療崩壊するかという疑問が出された。答えは、民間病院が多くコロナ治療に参加する病院が少なかったということ。要するにこれを統括する日本医師会が身内の利益擁護を優先し、指導力を発揮できなかったということである。

 

3,そしてこのことが、コロナ対策の切り札となるワクチン接種の遅延に結びついた。政府はすでに9,000万回分のワクチンを地方に配布したといっているが、未だに、4,000万回分が使われていないともいう。
 私の場合、地方自治体の予約システムでは第一回が7月11日だったが、随時接種する病院があったのでそこで一月早く接種し二回目も7月2日に完了した。
 なぜ、随時接種する病院があるのに他では出来ないのか、不思議という外はない。これが、政府が大規模接種や職域接種に乗り出した理由だが、これによって接種スピードは100万回を超えたが、ワクチン配布に過不足が生じることになった。これが非難されるが、この問題の諸悪の根源が医師会であることに変わりはない。

 

4,この医師会につながっているのが、厚生省の医療技官をはじめとする、いわゆる今回にコロナ対策で専門家と称するグループである。このグループの提言を受けて政府が最終的なコロナ対策の政策を打っていったわけだが、ここが、オリンピック開催について終始否定的なメッセージを出し続けたことに疑問を感じざるを得ない。
 なんとなれば、オリンピック1年延期はIOCとの関係ですでに決まっていることであって、医学界はこの成功に向けて医療専門家チームとして最善を尽くすべきだった。ベット数確保然り、ワクチン接種加速化然りである。それをせず、自らの業界の利益を優先し、それを守るため国策であるオリンピックの開催を批判する医師のなんと多かったことか。

 

5,こうした日本の医師界の言動に力を得て反政府運動を繰り広げたのが、左翼言論人とマスコミだった。左翼言論人の目的は、はじめから倒閣を目的とするプロパガンダだからはっきりしてるが、問題はマスコミで、これが上記の「天秤の論理」で現実無視の「べき論」をまき散らしたため、これが都議会議員選挙に反映し、「緑のたぬき知事」の「たぬき寝入り」の成功をもたらすことになった。

 

6.これに対する政府の対応も、安倍首相も、最初の第一波の時の学校まで一斉休校させた措置――これは橋下徹氏の提言によるもの、氏は知らんふりしてる――をはじめ、アベノマスクの配布、10万円一律給付も、これはマイナンバーが有効に使えない所為でもあるが、無駄感・不公平感満載で、これが安倍退陣の一つのきっかけとなったことは間違いない。

 

7,代わった菅氏はどうかというと、実務型の政治家であるからやむを得ないわけであるが、危機における政治家としてのメッセージ発出力の貧相さは覆いがたい。あえて弁護すれば、先述した日本医師会の非協力ぶりが第一原因であることは間違いなく、これを動かすため札束で頬をたたく奨励策を採ったが、これも「金権政治」の印象を否めない。

 

8,では、この後のコロナ対策の方向性はどのように見定めるべきだろうか。いうまでもなく、それは、重症化率や死亡率をインフルエンザなみに下げることで社会・経済活動との共存を図ることである。
 今までは、非常事態宣言を繰り返し発出して人流を抑えることで対処してきたが、併行して、山梨がやったような、飲食店を中心とする感染防止対策を徹底して行うべきではなかったか。そのための資金補助をすることの方が、小さなスナックに1日6万もの金を出すよりはるかに安上がりだったと思う。
 それから、大規模な感染者病棟をプレハブで急造し、医師会に依存しないコロナ治療体制を構築すべきであったということ。感染者が少なくなれば、そこをそのままワクチン接種会場に転用できたはずである。

 

9.結果的には、こうした臨機応変の危機対応が出来なかった政府に責任があるといえるが、これが”オリンピック無観客”という冒頭の破滅的結末を招いたことで、菅政権の退陣はこれできまり。問題はその後だが、まさか、これが”民主党政権”誕生の悲劇を繰り返すことにはならないだろう。

 

10,思えば、猪瀬都知事を追い出した都議会自民党の失敗に始まり、桝添、そして小池という最悪の権力欲の塊「緑のたぬき」都知事の誕生となったが、民主主義社会であるから都民の「自業自得」という外はない。
 それにしても、今回の”オリンピック無観客”という事態が、今後日本人の心理にいかなるダメージを与えるか、国際社会からの評価がどうなるかによると思うが、外国の大会関係者だけが観戦し、放映権料を外国が独り占めし、日本は指をくわえて眺めざるを得ないという現実の中で、どれだけ日本人が”武士は食わねど高楊枝”のプライドを示せるか、見物だと思っている。

 

 

2021年7月 8日 (木)

「国民統合の象徴」として求められる天皇及び皇室の姿

 近年、秋篠宮家の真子内親王の結婚問題を巡って皇室の在り方がSNS上で問題になっています。一般のメディアでは不敬にあたると言うことでしょうか、正面から議論されてはいませんが、これは、皇族としての義務と個人的人権とのバランスを巡る問題で、ひいては、皇室における「皇族教育」の問題に帰結するのではないかと思われます。
 wikii「皇族」には次のようなことが書かれています。

 

 「皇族も、日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」である。皇室典範その他の法律により若干の制限はあるものの一般の国民との差異は本来大きいものではない。
 皇族の参政権は、皇族が戸籍を有しないため(詳細後述)公職選挙法付則により当分の間停止されているだけである。しかし、実態として皇族の権利や自由は大きく制約されている。これは「『皇族という特別な地位にあり、天皇と同じように制限されるべきだ』という考え方が市民の間で根強かったため」であるとされる。このため、一般国民とは異なる取り扱いがなされている面が多くある。
 具体的には、事実上、皇族に対しては日本国憲法第3章(国民の権利及び義務(第10条〜第40条))が一部適用されないということである。」

 

 その適用されない主なものは、
1.家父長制下にあること。
2.参政権(選挙権・被選挙権)が停止されていること。
3,住民基本台帳に登録されず皇統譜に記録されること。
4.国民健康保険に加入する義務・権利がない。医療費は全額自費負担となる。
5.内廷費や、皇族としての品位保持の資に充てるために皇族費が国庫から支出される一  方で、財産の賜与(贈与)及び譲受に関して日本国憲法と皇室経済法による強い規制  がある。
6.全ての皇族は、どこに赴く際にも必ず護衛が付く。
7.信教の自由がない。法令で義務付けられたものではないが、宮中祭祀という宗教行事  があるために実質上、皇室構成員全員は神道の信徒である、等々。

 

 なお、現在、問題となっている眞子内親王の結婚の自由については、秋篠宮は憲法第24条に基づいて「両性の合意で結婚できる、といっていますが、憲法学者の木村草太は次のように評しています。
 「秋篠宮皇嗣が昨秋の誕生日に際した会見で言及されたように、婚姻は『両性の合意に基づいて成立』と規定されています。双方の当事者の意思があれば、両親の同意などはいらないということです。しかしこれが眞子さまにも適用されるのかと言えば、どうでしょう。私は適用されないと考えます」

 

 その理由は、現在議論されているように女系宮家の創設により将来その子どもが天皇になる可能性があることや、摂政になる可能性があるためで、その時、「『国民統合の象徴』である天皇について、「多くの国民が『この方は象徴だ』」と承認せず、『この人の親族にこんな人がいる』『国民として恥ずかしい』と思われてしまうと、象徴という立場が成立しないからだ・・・。

 

 ここに、日本の天皇制の独特の性格があります。問題は、「国民統合の象徴」としての天皇の地位が、皇族全体に及ぼす影響はどのようなものかということで、特に重要なのが政治的中立性を保つということ、国民の基本的倫理観において一定の品位と水準を保つことではないかと思われます。

 

 前者については、
 日本国憲法第三条に、天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
 第四条【天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任】天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない、となっており、この場合の内閣と天皇の意思の疎通は、内閣の内奏によって行われることになっています。
 問題は後者で、この「国民統合の象徴」として求められる日本人の基本的倫理感に基づく行動規範が必ずしもはっきりしないということで、これは、戦後の天皇制批判と皇族の人権尊重の流れの中で曖昧となり、それが眞子内親王の結婚問題を契機に、その問題点が一気に浮上したのではないかと思われます。

 

 そこで参考までに、今上陛下が戒めとされていると伝えられる花園天皇の『誡太子書』を紹介しておきたいと思います。

 

 ――私は聞く、天が人民を生じ、この人民が君主を立てて司牧する、その理由はそれが人間を利するからであると。民衆は暗愚であるからこれを教導するに仁と義をもってし、また凡俗は無知であるからこれを統治するに政術をもってすること。ではその才のないものはどうすべきか、その者はその位(天皇の位)にあってはならない。人民の中の一官ですら、これをその才なきものに任ずれば「天事を乱る」という。まして天皇という位においてをや、「慎まざるべからず、懼れざるべからず」である。

 

 しかし皇太子は「宮人之手」で成長したので、未だ一般人民の急(困窮患難)を知らない。「綺羅の服飾を衣て織紡の労を思ふ無し」であり、いつむ御馳走に飽いていても稼穡(かしょく、農耕・収穫)の困難を知らず、国家に対しては何の功もなく、人民に対しては何一つ恩恵を与えたことはない。そしてただ天皇家の子孫だからという理由だけで、ただそれだけで将来、万乗の天皇の位につこうとしている。これといった徳があるわけでもないのに王侯の上に位置し、何一つ功もないのに人民の上に臨む。どうしてこれを恥じないでいられよう。

 

 さらに皇太子は、詩書礼楽のうち何か修得したものがあるのか、また民を御する道を知っているのか、自分で反省してみてほしい。もし温柔敦厚の教えを自らのものとし、疎通知遠の道の真意に達しているのならまだよいが、たとえそうであってもなお十分でないのではないかと恐れるべきことなのだ。ましてまだこの道徳を備えないで、どうして登位することができようか。それでは網を捨てて魚のかかるを待ち、耕さずして穀物の実るのを待つと同様に、その位を得ることはむずかしいであろう。確かに、強引に努めればこれを入手することはできよう(後醍醐天皇への批判か?)。だがそれは、保持できるということではない。秦が強大でも漢に併呑され、隋の揚帝がいかに盛んでも唐に亡ぼされた通りである。

 

 以上のように私か言えば、宮廷の謟諛(とうゆ)の愚人がきっというであろう。日本は外国と違って皇胤一統で、徳によって政権が移り、また武力によって多くのものが帝位を目ざす外国と同じでない。従って徳が少なくとも隣国からつけこまれることもないし、政治が乱れても「異姓」が帝位を奪う心配もない。これは先祖の伝来の功徳で外国にはないことなのだから、この先代の余風をうけて、大過なければ「守文の良主」なのだから、それで十分である。何か故にこのうえさらに無理をして余計な徳などつもうとするか、大過なければよい、大過なければよいと。そして宮廷の女性の無知なる者は、またみなその通りというであろう。しかし私は、これは実に大きく深い誤りであると思う。

 

 すなわち「事迹は未だ顕われずと雖も、物理は乃ち炳然(へいぜん)たり」である。こういう時に、「薄徳を以て神器を保たんと欲するも」どうしてそれを道理が許すであろう。これを思えば、まさに累卵の危きといえる。たとえわが国は「異姓」が帝位をうかがうことはないと言っても、一国の運命・天皇家の運命が延びるもちぢむも、この理によるのである。加うるに中古以来兵乱がつづいて、帝威は衰えている。どうしてこれを悲しまないでおられよう。太子はよく前代の興廃の理由を観察されるがよい。見本は、すぐ目の前に、はっきりとあるではないか。

 

 世の中はすでに乱世になりかかっている。人びとはみな暴悪になっている。従ってすべてのことをよく知り、裏も表もわかっていないで、どうしてこの悖乱(はいらん)の人びとを統御できようか。太平の時になれて平凡人は乱を知らない。また太平の時なら平凡な君主でも治めることができるであろう。それは、その時勢の勢いで治まるからである今は確かにまだ大乱とはいえない。しかし乱の萌芽が見えてすでに久しい。この原因は絶対に一朝一夕でできたものではない。

 

 そういう時にあたっては「内に哲明の叡聡あり外に通方の神栄あるに非ずば、乱国に立つを得ず」と。では一体これに対して具体的にはどうすればよいか。恩賞で武士団を味方につけるか、乱世に備えて公家の武家化を計るか、否、そうではない。そういう方法では、何も解決しない。それは目前の政争の処理にすぎず、むしろ一日屈を受くるも、百年の栄を保たば猶忍ずべし」の道を選ぶべきである。

 

彼はつづけて言う。
 「今時の凡人はこのことを知らない。しかし詩書礼楽によらざるものは、治めることはできない」。従って「寸陰を重んじ、夜を以て日に続ぎ、宜しく研精すべし」である。しかしたとえ「学百家を渉り、国に六経を誦するも」それで儒教の奥義をきわめたと思ってはならない。ましてわずかばかり学んで「治国の術を求むるは」あぶが千里を思い、せきれいが九天を望むより愚かなことである。従って学びに学んで経書に精通したら、日々それで自分を評価して反省していけば、経書の精神に自分が似てくるようになるであろう。必要なのはそのことである。

 

 すなわち「学の要」とは、ここにまず至ってから、次に物事に対する正しい知識、将来への判断、天命の終始の知得、時運の見通しをはじめ、先代興廃の跡をよく探求する等、まことに「変化きわまりないもの」なのである。諸子百家の文を暗誦したり、巧みに詩賦を作ったり、うまく議論をするなどということは、群僚がそれぞれやればよいことで、君主が自らこれに労する必要はない。『寛平聖主遺遺誡』に「天子雑文に入って日を消すべからず」と言っているのは、このことである。

 

 最近は愚かな儒者たちがいて、まことに凡才であって、ただ徒らに仁義仁義とその名を守るだけで、儒者とは何であるかを理解していない。これはただ言葉を集めているだけ、ただ知識の集積で、これでは労ばかりで功はない。

 

 と思うと最近は、その逆の一群の学徒もいる。すなわち聖人の言葉をわずか一言聞いただけで、あとは自分で何もかも臆測してわかったつもりになり、仏教や老子の言葉を借りて、ただ中庸中庸と強調し、「湛然盈寂(たんぜんえいじゃく)の理を以て儒の本となし」、「仁義忠孝の道は知らず」「法度に協わず礼義を弁ぜず」である。

 

 その人たちが無欲清浄であることは一応立派だと思うが、これはむしろ老荘の道であって孔孟の教えでなく、儒教とは根本的には違うから、治国の道としてはとるべきでない。たとえ学の道に入ったとしても、このように失敗は多いのである。「深く自ら之を慎み、宜しく益友を以て切磋せしむべし」

 

 学問ですらなお誤りがあり、道は遠い。ましてそのほかのことにおいてをや、である。深く自らを誠めて過ちを防がねばならない。いまの小人が習う所は、ただ俗事だけである。たとえ生知の徳があっても、これに染まることは恐ろしい。そんなことをしていては、到底上知に到達はできない。徳を立て学を成すの道は、そういうものには全く関係がない。ああ何と悲しいことであるか。こうなってしまっては、先皇の諸業はたちまち墜ちてしまう――そして今やそうなろうとしている(後醍醐帝批判?)。

 

 私自身は、生来、拙であって智も浅いが、それでもほぼ典籍を学び、徳義を成して、王道を興そうとしたのは何故であったか。これはただ宗廟の祀を絶たないがためであった。宗廟の祀を絶たないのは、ただに太子の徳にあるのである。他にない。徳を廃して修めなければ、学の所の道もまた用いることができない。これでは「胸を撃て哭泣(こくきゅう)し、天を呼んで大息する所」となる。最大の不幸は、その代に祀を絶つことである。       

 

 なぜそうなってはならないか、「学功立ち徳義成らぱ、ただに帝業の当年を盈(みたす)にするのみならず、亦即ち美名を来葉に胎(のこ)し、上は大孝を累祖に致し、下は厚徳を百姓(万民)に加えん」となるからである。それは人民のためである。従って、常に「慎まざるべけんや、懼れざるべけんや」である。そしてそうなれば「高うして而して危からず、満て而して溢れず」である。そしてまた世に、これほど楽しいことがあろうか。すなわち書中で聖賢とまじわり、「一窓を出でずして千里を見、寸陰を過ぎずして万古を経」。楽の最大なるもの、これ以上のものがあるはずがない。「道を楽むと乱に遇うと」はまさに憂と喜の大きな差である。これは自らの決断において選択すべきことであるから、「よろしく、審に思うべき而已」である。――(『山本七平の日本の歴史(上)』(p235)ビジネス社

 

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