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2021年8月19日 (木)

浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』の山本七平批判を検証する(5)

五 差別の天才と評論の「低脳」(原題 政治天才と政治低脳――ゼカリヤの夢と恩田木 工)
○日本人の九割九分読んだこともない本を持ち出して「日本人」一般を論じる方法論上の愚かしさ 

 

*かって地方の名家には必ずといっていいほど『修養全集』があり、その中に「日暮硯」があったと渡部昇一はいう(『民族とは何か』山本七平p187)。本文では、戦前、米軍が日本研究のため使ったとなっており、当時は、日本人の基本教養図書だったのではないか。

 

六 全員一致は有効(原題 全員一致の審決は無効――サンヘドリンの規定と「法外の法」)
○「旧約聖書のミカという預言者は、神に絶対服従すること自体が罪であるといった」とベンダサンはいうが、ミカはそれと反対のことをいった預言者で、「神の戒名(律法)に絶対的に従うことこそ神に従うこと」といった。「神の戒名に絶対的に従うこと自体が神を信じないこと」などと言う戯言をいったのではない。

 

*この文の前段の本文には、
(一)富者(地主・資本家)が貧者(労働者者農民)を搾取するのは罪である。
(二)故に、この搾取した富によって築かれたエルサレムの神殿は罪の成果であるから、ヤハウェ(神)自身がこれを打ち壊すであろう、とある。
 この文を受けて、「神殿を増築し、美しく飾るということは、言うまでもなく一心に神を拝し、神を賛美する」ことではあるが、それが「搾取した富」により築かれたものであれば神の意志に反する、と言ったのである。
 浅見氏は「神に絶対的に従えばこそ、・・・厳しい孤立にも耐えた」という。一神教の強さはそこにあると思うが、ミカ書の6・6-8は、旧約聖書中最も宗教の本質を要記した偉大な言葉とされ、「その神の求められるところ、その神に捧げるべきよきものがなんであるかを問い、それは形ばかりの犠牲を捧げることではなく、「ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」としている。(『旧約聖書略解』)
 ベンダサンは「ミカのこうした考え方の奥底にあるものは、人間には真の義すなわち絶対的無謬はあり得ない、これはただ神にのみあるのであって、人間はたとえ一心不乱に神を賛え、神の戒名を守り、神に従っていても、そうする行為自体の中に誤りを含む」という考え方だと説明する。浅見氏はこれは七平さん個人の”下司のかんぐり”だというが、私は専門的なことはわからないが、素晴らしい考え方だと思う。

 

○サンヘドリンの規定に「全員一致は無効とする」とあるというのはまちがいである。
タルムード原典には、「死刑判決は(いやしくも一人の人間を地上から抹殺してしまうのであるから)全一致であろうとなかろうとすべて、「翌日まで繰り越す」である。」「全員一致」など何処にもない。

 

*ところが、浅見氏は、タルムード原典から次の規定を紹介している。
 「死刑罪でない裁判では、全員が(被告の)有罪を主張しても無罪を主張してもよい。しかし死刑罪の裁判では、無罪の主張は全員がしてもよいが、有罪の主張は全員でしてはならない」。
 これは「死刑罪で有罪の主張は全員一致でしてはならない」ということではないか。また、ベンダサンの「全員一致は無効」は、イエスの死刑判決におけるサンヘドリンの議決(もしくは判決)について言っているのであって、その場合の処置は二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは、興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、であったとしている。
 これに対して浅見氏は何を言っているかというと、「全員一致は無効」というサンヘドリンの規定は、あくまで死刑判決についてあって、ユダヤ人はそれ以外のあらゆる生活の場面において「全員一致」をやっている、つまり「全員一致は無効」を、死刑判決以外の生活の場に一般化するのは間違いだと言っているのである。
 これも、専門的なことは私はわからないが、先に示した「人間には真の義すなわち絶対的無謬はあり得ない、これはただ神にのみある」という考え方は、「自分を絶対視してはいけない」という戒めであって、極めて重要な考え方であると思う。キリスト教では「神に対する愛と、隣人愛」を十戒の中でも最も重要な戒律と説くが、「隣人」は「汝の敵」をも含むのである。この点、浅見氏の恐るべき敵意は、一体何処から生まれているのだろうか。

 

 

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