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2021年8月19日 (木)

浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』の山本七平批判を検証する(3)

二、実在しない「ユダヤ人」の話(原題 安全と自由と水のコスト――隠れ切支丹と隠 れユダヤ人)   
○「日本人」といえば、みな軍備不要論を唱える民族だと考えるのがおかしい。大勢  はむしろ逆ではないか。
○日本が「少なくとも過去においては」安全も自由も水も「常に絶対に」豊富だったとは、この人、果たして正気だろうか。日本人、とくに庶民は、過去においてこそ、安全も自由も水も乏しかったのだ。

 

*ベンダサンがここで言っていることは、日本人にとって危険なものは「地震・雷・火事・おやじ」であって、この中には、戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。また、これらは「いずれも無差別で一過性である」こと。つまり、日本人にとっては恐いのは自然災害であって、そのために、人災から身を守るという意味での「安全にはコストがかかる」という考え方がないことを指摘したのである。
 これに対してユダヤ人は、キリスト教社会の中で生きていくためには「内なるゲットー」を必要としたように、差別・迫害から身を守るためには「たとえ他の支出を削れるだけ削っても当然」という「安全に対する考え方」が生まれた、というのである。
 水についても同様で、日本の気候は稲作に適した温冷帯湿潤気候であって、年間を通して雨が降る。また「周囲に海という天然の浄化槽があり、しかも流れの速い短い河という天然の清掃装置があった」ので、ユーラシア大陸の城壁都市のような地下水道や下水道を必要としなかった。
 こうした比較論が成立することは、多くの読者の認めるところである。浅見氏は、ベンダサンの”日本人は安全と水はタダだと思っている”をもって、山本を「軍備必要論者」と決めつけて批判する。しかし、日本の軍備をどうするかは、国際情勢に対応して考えるべきことであって、こうした考えを危険思想視すること自体がおかしいのである。
 
○(安全)第二次大戦後間もないころのニューヨークのアストリア・ホテルで暮らしているユダヤ人の話について、戦前からニューヨークはジューヨークと言われ、ユダヤ人人口も増えて安全だった。高級ホテル住まいをして安全を確保するユダヤ人の話は、全部ウソで、英訳本には「アストリア・ホテル」は出てこなくて「料金の高い中部マンハッタンのホテル」になっている。ニューヨークには確かにアストリア・ホテルは実在するらしいが、常時こんな物々しい警備に囲まれているといえばホテル側から営業妨害で訴えられるだろう。

 

*『怒りを抑えし者』の著者稲垣猛氏は、この件について「安全のために高級ホテルに住んでいるユダヤ人に出会った日本人貿易商K氏の話は、貿易関係者の姉弟が少なくなかった青山学院の級友からか、或いは教師から学生時代に聞いた話ではないかと推測される。とすれば、このエピソードは、戦後ではなく戦前、アメリカでも反ユダヤ主義がまだ強かった時代のそれではなかろうか。当時、ナチス・ドイツの迫害から命からがら逃げてきたユダヤ人なら、その体験が生々しいだけに、高い料金を払っても「安全」な高級ホテルに住もうとした人間もいただろうと納得できよう」と書いている。
 英語の翻訳本では「1930年代に反セム主義がはびこっていた」頃の話にされているから、そういうことなのかも知れない。いずれにしろ、そういう「安全感」をこのユダヤ人が持っていたという話で、ウソと決めつける必要はないと思う。あくまで伝聞として紹介されていることなのだから。

 

三、お米はお米・羊は羊(原題 お米が羊・神が四つ足――祭司の務めが非人の仕事)
○家畜に対する態度が、日本人と欧米人とでは何か根本的に違うというが、ユダヤ人が遊牧民との接触を続けたのは135年(バルコクバの乱)までの話で、それ以後、ユダヤ人は世界に離散し「牧畜民」的意識を持っていない。

 

*これはユダヤ人云々の話ではなく、遊牧民との比較の話で、「日本人は、過去において遊牧民と全く接触せず、牧畜を営んだ経験の全くない民族」であり、動物に対する考え方が、牧畜を生業としてきた民族と違っている、ということを指摘したまでである。

 

○日本人は米に対して特別な感情を持っていると言うが、今の日本人、米を大切にしているか。米よりハンバーガーやスパゲティーやラーメンがいいと言う現代っ子たちは日本人ではないのか。

 

*弥生時代以来、稲作で生きてきた日本人が米を大切にしてきたというあたりまえの話で、現代の飽食時代の日本人がハンバーガーを食べるからといって「米を大切にしていない」とはならないのでは?

 

○「動物虐待」について、牧畜民から見れば日本人の動物の飼い方が虐待に見えるという指摘について、犬の虐待なら「カラマーゾフの兄弟」にも「シートン動物記」にも出てくる。中世ヨーロッパにも野良犬はいた。ユダヤ人は羊を神聖視すると言うが、ウソである。羊が神聖となるのは、神への供物となった時だけ。「命の糧」といった特別な意味」も存在しない。

 

*遊牧民にとって家畜が「命の糧」であるが故に、広い意味の家畜に対する態度が、牧畜を営んできた欧米人と、牧畜の経験のなかった日本人とで違うということを指摘したまでである。欧米にも犬を虐待する人がいるからといって、この指摘が間違っているとはいえないだろう。「神聖」の定義は私は知らない。

 

○ユダヤ人の間では「家畜自体は絶対に『畜生』とは考えられなかった」というのも愚かなウソである。聖書では家畜は皆「けだもの=畜生」であった。

 

*日本人は、イエスがで生まれたことに特別の意味づけをするが、牧畜民にとっては特別の意味はない、家畜小屋はどの家にもあり、家畜は日本人が考えるような「畜生」ではなかったということを言っているのである。浅見氏はイエスは「けだもの=畜生」の馬小屋(家畜小屋)で生まれたとあえて言いたいのだろうか?

 

○ユダヤ人が現代はもちろん古代でも「家は大きな一間で、半分が一段高くなっていて、人はそこに寝る。低い方は家畜が寝る――庶民の普通の風景であった、などというのも、聖書本文や考古学の知識ゼロの人間の言うことである。

 

*浅見氏は、「ユダヤ人が現代はもちろん古代でも」としているが、原著では「ユダヤ人(のみならず他の多くの民族でも)では、一般人が家畜小屋で生まれることは、普通のことであった」となっている。人と家畜が一つの屋根の下に住むというのは衛生上問題なので、この点は浅見氏の指摘が正しいのかも知れない。

 

○イスラエル軍隊、豚用食器と他の食器区別しているというがこれもウソ。豚は「汚れた」動物なのでユダヤ人は食べるか食べないかの二者択一があるだけ。要するに、「今日いわゆる伝統的ユダヤ教の教えを守っているユダヤ人は多くない」

 

*この本の著作には、山本の他に二人のユダヤ人が参加していることに注意すべきである。一人は米軍の教育に関係した学者であり、イスラエル軍のことも知っていたとも考えられる。「今日いわゆる伝統的ユダヤ教の教えを守っているユダヤ人は多くない」のであれば、そういうことがあったのかもしれない。

 

○日本には「奴隷制と宦官がなかった」「実質的に奴隷がいなかったのはイスラエルだけ」等という愚かさにも恐れ入る。

 

*日本の奴隷制に関する山本七平の論考は、「語録:秀吉のキリシタン禁止令の真意」参照。「奴婢」を「奴隷」とするかどうかは定義の問題。「イスラエル実質的に奴隷制があったかなかったか」も同様ではないか。

 

○アウシュビッツの描写について、「ユダヤ人が書いたものとは思えないほど不快な表現」

 

*そういうことが実際に組織的・計画的に行われたということで、日本人には考えられないことだが、それが牧畜と関係しているかどうか、専門的なことは私には判らない。

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