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2021年8月 1日 (日)

「みのミュージック」の開会式批評と誹謗中傷に対する村上茉愛選手の反撃

 

 私は今回の東京オリンピック開催については、日本が開催を希望して引き受けた国際大会である以上、コロナパンデミックの最中ではあるが、開催の可能性を粘り強く追求すべきであると思った。日本の感染状況は世界的に見ればかなり低く抑えられており、さらにワクチンの奇跡的開発と接種の加速化によって、死者数を劇的に減らすことに成功しつつある。こうした状況を総合的に考えれば、東京がパンデミック下のオリンピック開催にチャレンジすることは決して不可能ではなく、これを成功させることが、アスリート及び世界に対する日本の責任であると思った。

 

 それにしても、開会寸前に到るまでのゴタゴタは一体何だったのだろう。

 

 「開会式・閉会式の全体コンセプト」の冒頭には次の二つの理念が掲げられている。
【平和】和を尊ぶ考え方が、分断や対立を超えた世界につながることを示す。
【共生】多様な違いを認め合い、支え合い、活かし合うことで、新しい価値を生み出す共生社会を目指すことを示す。

 

 率直に言って、このコンセプトは日本文化の基本的スタイルであると思う。欧米の一神教文化とっては、目指すべき新しい理念であるかも知れないが、日本人にとっては、こうしたライフスタイルは普段のことであって、であるならば、開会式では、もう少し自信を持って、和を尊び多様性を認める日本文化の歴史的使命を、自信をもって表明すべきであったと思う。

 

 コロナパンデミックという異常事態の発生によって、オリンピック開催が一年延期となり、2020年の12月、野村萬斎氏を統括責任者とする開会式の演出チームが解散、新たに電通の佐々木宏氏を総合統括とするチームが、五輪の開会式まで残り7カ月となるなかで開会式の企画案を作り直すことになった。ところが、3月18日、佐々木氏辞任、7月19日、開会式作曲担当の小山田圭吾氏辞任、7月22日、小林賢太郎氏解任と続いた。

 

 佐々木氏の辞任は「開会式に出演予定の渡辺直美にブタの仮装をさせ、「オリンピッグ」として登場させるアイデアを披露した」というもの。小山田啓吾氏は「27年前の同級生のいじめ記事」、小林賢太郎氏は20年前のお笑い時代コントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を使用した」ことがSNS上で問題視されたのである。だが、このいずれも、オリンピック開会式の演出でなければ、また、SNSがなければ、問題とされることはなかったであろう。

 

 SNSの発達により、誰でも何処でも何時でも、そして誰に対しても、自分の意見や感情をぶつけられる時代になったきた。ウイズコロナだけでなくウイズSNSで生きざるを得ない時代になったわけである。私は、作品は作品として干渉すべきであると思うし、自ずと、オフレコの会話もあるべきと思う。従って、今回の辞任・解任騒動はいささかやりすぎだと思う。思想信条の自由は何処に行った?という感じ。

 

 そこで、今回の東京オリンピックにおける開会式の評価であるが、私は個々のアーティストの表現力や、ドローン制御技術による空中パフォーマンスの素晴らしさには感激したが、先に述べたように、ショー全体の統一感のなさ、西洋文化に「おんぶに抱っこ」の感は否めなかった。賛否いろいろあるようだが、私が特に面白いと思ったのは、「みのミュージック」氏のYouTube動画での批評だった。

 

・五輪開会式、がっかり、打ちのめされた、悔しくてたまらない。
・日本の芸術文化、伝統・モダン芸術・ポップを融合したものになるかと思ったが、自国 の芸術文化へのほこりを二束三文で売り払った。
・困難な状況の中で一応開会式の成立まで持ってきたことには敬意を払うが、椎名林檎や 野村萬斎の演出、アキラのバイクを見たかった。
・12月に萬斎チームが解散するなど狂気のさた、組織力ちぐはぐ、参加した才能あるク リエーターが参加したくなくなり、日本のソフトパワーが引き上げるなど、あらゆる方 向からのマイナスの作用があったと思うが、自国文化への認識、ほこりの部分に疑問を おぼえた。
・タップダンスには絶望した。なんでアメリカ文化で始まるのか。
・音楽も、なんでイマジン?共作小野洋子との関係はあるが、外国のセリブリティーに歌 わせてアジア人入っていない。冒頭子供たちに歌わせ、入れ替わり立ち替わり海外の歌 手が歌う。世界各国のナショナルプライドの発露する場で冷や水をかける感じ。曲のメ ッセージは素敵だけど、二週間、国の威信をかけてがんばるわけなのに、このちぐはぐ 感はなに!
・平和というキーワードの言葉の選曲をしとけば場が収まるという浅はかさ、軽薄さを感 じた。クイーンもわけわからん。自国文化への敬意の薄さにがっかり。
・長島が出てなんでボレロ、最悪!ここまでは頑張って見たが・・・。文脈的必然性がわ けわかんない、小林氏のバッハへのサービス?
・ここで、三島の日本の未来への予言を紹介(1970年11月25日に自裁する約4カ月前、「果たし得ていない約束」と題する文章を新聞に寄せた。その一節)
 「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュー トラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろ う」云々。
・日本には才能のある人はいくらでもいるのに、今回の開会式は日本文化の西洋文化への 敗北宣言でありくやしさをおぼえた。

 

 この三島由紀夫の言葉の紹介にはびっくりしたが、このみのさんという方は、父親アメリカ人で母親が日本人らしいが、ミュージシャンの氏がどういうことで三島由紀夫に興味を持ったのか。私自身、近年の日本の言論界について、SNSのおかげでこれだけ容易に情報アクセスができるようになったのに、どうして、政治的思惑がらみの見え透いた宣伝ばかりが横行するのか不思議に思っている。

 

 その点、この人の批評は、実に率直で判りやすかった。私は、音楽界のことは何も知らないが、イマジンについては、西洋における一神教文化の排他性との緊張がある中で歌うから意味があるのではないか。日本文化はもともと他宗教宗派への寛容を自明としている。それは、自然の脅威と恵みの中で生をつないできた民族の歴史の然らしめたものであって、その文化を素直に歌えば良かったと思う。

 

 仏教には「十重禁戒」という戒律があり、日本仏教でもこれを重視している。その戒律の中で特徴的なのは、第四不妄語戒(ふもうごかい)嘘を言わない、第六不説過戒(ふせっかかい)排他的な言葉を発しない、第七不自讃毀他戒(ふじさんきたかい)自分を誉めて他人をそしらない、第八不慳法財戒(ふけんほうざいかい)人に与えることを惜しまない、第九不瞋恚戒(ふしんにかい)怒りをまき散らさない、など、人間関係を重視する戒律が大変多いことである。

 

 こうした戒律は日本人にとっては当たり前のことであり、あえて「平和」や「共生」を強調する必要もないことであるが、今度の開会式で、西洋の掲げるこれらの理念に日本人がひれ伏した感がするのは、言うまでもなく、日本人が自らの伝統文化が何であるか分からなくなってしまっているからである。三島由紀夫が怖れたのはこういうことであって、それが今回の東京オリンピック開催を巡る国論の分裂と、SNS上の誹謗中傷に表れていると思う。

 

 この象徴的な例が、日本女子体操個人総合で歴代最高五位となった村上茉愛選手をめぐる誹謗中傷である。海外メディアから「SNSでの誹謗中傷」「メンタルヘルス」について質問が飛ぶと、突如、表情が一変し次のように応答したという。

 

 「なかなか日本のメディアからは出ない質問ですね、言っていいのかな、自分もありました・・・」と言うと、堰(せき)を切ったように涙があふれた。 (中略)

 

 また、反五輪の意見がアスリートに向けられる状況にも思うところがあった。

 

「そういう人がいるのはすごく残念だなってすごく思います。反対している人も知っているし、もちろん分かるし。だけど、(誹謗中傷は)見たくなくても見てしまう、勝手に入ってきてしまう、すごく残念だなって、悲しかったなって」

 

 ここまで吐き出すと冷静さを取り戻し、「そういう人を見返したいと思ってこの1年頑張ってきた。思い知ったかって」と言って、最後は村上らしく笑った。

 

 この「思い知ったか」という言葉に反発する声も出ているが、そもそも、オリンピック開催反対の怒りをオリンピアンに向けるのは筋違いもはなはだしい。こうした感情が何に由来するか、それは「怨望」(うらやみそねみ)から出ているのであって、村上選手はそんな感情とは無縁であり、自分のそうした感情をコントロールし得たからこそ五位入賞を果たした、この事実をもって「思い知ったか」といったのである。

 

 人生は一面激しい競争社会である。オリンピックは世界の頂点を目指す最も過酷なスポーツ競技大会である。それは他者との戦いである以前に、自己との戦いでもある。それは「怨望」という救いようのない感情とは最も遠いものであって、この戦いに勝ってはじめて、勝利の栄冠を手にすることができるのである。村上選手はこの事実をもって、誹謗中傷者の卑劣に反撃したのである。

 

 先の「みのミュージック」氏の批評のことばと、この村上茉愛選手のことばは、三島由紀夫の危惧した日本の未来を転換する二筋の燭光のように私には思えた。コロナの感染状況は東京を中心に拡大し不安が広がっているが、これは自然の脅威との戦いである。客観的な事実認識をもとに、冷静に、勇気を持って対処する必要がある。その戦いのモデルをオリンピアン達は示している、私はそう思う。

 

 

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コメント

どうしてこのようなことになったんだろう?
https://bunshun.jp/articles/-/47427?page=6

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