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2021年8月19日 (木)

浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』の山本七平批判を検証する(4)

三 ユダヤ人がクロノスの牙に追われ、日本人がその首に乗る話(原題 クローノスの牙 と首――天の時・地の利・人の和)
○ここで浅見氏が指摘していることは、日本人と遊牧民の時間観念が違うというベンダサンの説明が矛盾しているということである。
(一)遊牧民の生き方は日本的勤勉さは皆無と言いながら、パレスチナの遊牧民=ユダヤ人は「働かざる者は食うべからず」で勤勉・細心・計画性・環境の変化への素早い対応といっている。矛盾している。

 

*パレスチナの遊牧民=ユダヤ人というのが変?

 

(二)遊牧民の時間感覚について「最も温和なスローガンでも『追いつけ、追いこせ』」と言っているが、それは「ノロマには生きて行けない」日本人と同じではないか。

 

*ここでの「追いつけ、追いこせ」は「アラブの砂は固く手で握らねばバラバラになる」遊牧民を、一定の方向に向かって統一行動をとらせるためには、打ち勝たねばならぬ強大な敵か、競争相手が必要という意味の説明である。文脈を無視した批判である。

 

 

浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』の山本七平批判を批判する。
(三)日本人にとって「時は住む場所によって各人各様である」と言い、他では「時間が各人各様で後言っても日本人にはわからない」という。矛盾してる。

 

*「時は住む場所によって各人各様である」という言葉は、「天の時の春夏秋冬は・・・おのおのひとしからず・・・」という『百姓嚢』の文をまとめたものである。「春夏秋冬」が抜けていることと「おのおのひとしからず」を「各人各様」とするのもおかしい。

 

(四)日本人にとって時はすべて「天(≒)神の時」であると言い、他ではユダヤ人にとって「千年も一瞬も」すべて「天(≒)神の時」であるという。矛盾している。

 

*「天(≒)神の時」は「天の時を敬み、地の利にしたがふは、人間の常理也・・・」とい『百姓嚢』の文からとったものである。それをユダヤ人の「千年も一瞬も共に神の時」と同じだと言っているが、牽強付会といわざるを得ない。
 浅見氏は「文庫本でわずか十二頁の中にこれだけ相反することを書きつらねるというのは、常人のできるわざではない」と山本七平を愚弄するが、このような文脈無視、牽強付会を行って人を貶めるのも「常人のわざ」とは思えない。

 

四 物騒な「別荘」日本と「ハイウェイ」から姿を消したユダヤ人(原題 別荘の民・ハ イウェイの民――じゃがたら文と祝砲と西暦)
○「日本人は戦争を知らない、いや少なくとも自国が戦場になった経験はない」は、あまりにも無知であり「明治維新からだけでも戊辰、西南、日清、日露、満州、支那、大東亜」・・・全部戦争である」と非難している。

 

*「日本人は戦場を知らない・・・」については、その後に「世間知らずのお坊ちゃんが、日清・日露の勝利で頭にきてしまった」という文があるから、江戸時代以前の日本について言った言葉である。だが、「そして太平洋戦争の敗北となったわけだが、この時も国土が戦場になることは免れた」は間違い。おそらく、この「国土」は「本土」を念頭に置いた言葉だったのだろうが。
 なお、朝日新聞の投書欄に載ったという1964年のオリンピックにおける自衛隊の祝砲の是非については、IOCとどんな議論があったか知らないが、実際には撃っている。また、元号問題については、「西暦を活用するのは大変結構だが、それで元号を廃止するということにはならない」という山本七平の主張。「革新陣営」の非武装中立論については、政策論争としてはすでに消滅したと思う。

 

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