核戦争の脅威の中で世界はどこに向かうのか、日本は何をすべきか
幣原は、1945年(昭和20年)10月9日、第44代内閣総理大臣に任命され、1946年(昭和21年)5月22日まで、通算約7ヶ月あまり在職しました。この間、昭和21年1月24日にマッカーサーとの間で、「武力放棄」を憲法に盛り込む話が行われたのです。
この時は、幣原は首相であり政治家でしたから、この時の判断は政治的判断ということになるでしょう。そもそも政治とは、理想のみを語るものではなく、理想をしっかり見定めると同時に、リアルに現状を認識し、その現状から理想とする状態へ、いかに早く犠牲少なく到達するか、その具体的方策を政策を通して実現するのが仕事です。
その意味で幣原は、敗戦直後の日本の現状をリアルに認識すると同時に、核兵器開発後の世界平和は、世界政府を樹立しそこに軍事力を一元化することによってしか実現できないと考え、その現実を未来へとつなぐ一段階として、日本の非武装化を世界の軍縮の道しるべにしようとしたということができます。
しかし、この方策は、日本の平和は実現したけれども、軍縮による世界平和の実現には結びつかなかった。この間、世界の警察を自認してきたアメリカは、その負担をアメリカだけが背負うことに不満を感じるようになってきた。それがトランプのアメリカファーストという言葉になっているわけです。
そんな状況の中で、常任理事国ロシアによる核の恫喝を含んだウクライナ侵略が公然と行われた。これを許せば、国連の現在の”なけなし”の安全保障機構も完全に崩壊し、各国が生き残るためには核武装するしかない、という結論になります。それ故に、プーチンの戦争を勝利に終わらせるわけには行かない、それが現状だと思います。
では、こうした状況の中で日本はどう行動すべきでしょうか。いうまでもなく、日本は、国際機関による軍事力の共同管理のための、国連の安全保障体制の強化さらには再構築へと進まなければなりません。常任理事国で拒否権を持つロシアが、虚偽のプロパガンダによって正当化し、世界がロシアの核の脅かしに負けてこれを容認すれば、日本の核武装も必至となります。
であれば、ロシアのウクライナ侵略をロシアの勝利という形で終わらせるわけにはいきません。世界は一致団結して、ロシアの、つまりプーチンという独裁者の野望の実現を阻まなくてはなりません。そのためには、ウクライナ東南部の完全占領を目指すプーチンの攻撃を撃退しなければなりません。日本はこのために何ができるか、憲法の許す範囲内でギリギリの努力をすべきです。
その意味で、私は、現在岸田内閣がとっている対ロシア政策、ウクライナ支援策に賛成です。しかし、この紛争を短期間で片付けることは困難で、核戦争を抑止しつつ、プーチンが自らの判断の過ちに気付き、外交による問題解決に転換するまで、辛抱強く戦い続けなくてはなりません。その戦線の矢面に誰が立つか。
どうやら、世界の警察を辞めたいアメリカ、そしてドイツをはじめ、従来ロシアとの経済関係の緊密化によって緊張緩和を図ろうとしてきた国々は、そうした政策が、独裁者には通用しないことに気づきはじめたようですね。日本のお隣には中国の習近平独裁体制が世界制覇を目指しており、北朝鮮の金独裁王朝は核攻撃を辞さない構えです。さて、日本は、如何なる方法で、幣原の唱えた「世界史的役割」を果たすべきでしょうか。
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