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カテゴリー「教育委員会制度改革論」の記事

2012年1月22日 (日)

橋下vs山口論争について――現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心こそ解くべき

アゴラ言論プラットフォーム掲載論文

 標記の論争の観戦コメントで盛り上がっているこの機会に、日本の教育委員会制度の今後のあり方について、具体的な改善策を提起をしておきたいと思います。私は、先日アゴラに「橋下徹大阪市長への提言――府教育基本条例案は早急に撤回し教育委員会制度の改革を目指すべき1,2」と題する記事を書きました。

 簡単におさらいしておくと、日本における教育委員会制度は、アメリカがその占領政策の一環として導入したものであるということ。当時アメリカは、戦前の日本の軍国主義は日本の中央集権的な教育制度によりもたらされた、と考えていましたので、日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を、地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうとしました。

 その時モデルとなったものが、アメリカの教育委員会制度でした。実はアメリカの教育委員会は開拓時代の名残で、行政組織もない奥地に入植した人々が、子供たちを教育するために自治的に組織したものでした。そのため、教育委員会は行政区とは別の組織になり、それに独自の財政措置がなされるようになりました。といっても、都市化につれて学区と行政区画が一致するようになり、次第に教育行財政も一般行財政に従属するようになったといいます。

 つまり、日本の教育委員会制度は、こうしたアメリカ軍による占領統治の思惑と、その時導入された教育委員会制度がアメリカのそれをモデルとしたことで生まれたものなのです。そのため、教育行政の地方分権と教育行財政の一般行財政からの独立の二つの理念が、あたかも民主的な教育行政改革理念であるかのように見なされたのです。しかし、教育行政はともかく教育財政を一般行政から分離することは日本では無理で、そのため前回紹介したように、昭和31年の教育委員会制度の抜本改革=地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」と称す)の制定となったのです。

 本当なら、この時すでに日本は独立を回復していたのですから、この占領時代の遺制である教育委員会制度は廃止して、日本の教育文化の伝統によりマッチした学校管理制度を確立すべきだったのです。ところが、この頃は、丁度、東西冷戦下のイデオロギー対立で国論が二分しており、とりわけ教育界は左翼思想で固まっていましたから、政府は、この教育委員会制度を逆利用して、日教組勢力の押さえ込もうとしたのです。

 それ以降、ソビエト帝国が崩壊し東西のイデオロギー対立がなくなるまで、地方における教育委員会の役割は、ほとんど日教組対策に終始した観がありました。つまり、この間の教育行政とは日教組対策に他ならなかったのです。この間、教育委員会のやったことは、新規採用教職員を日教組に入らせないこと。校長・教頭への昇任の機会をとらえて組合員を日教組から離脱させること・・・。その有様は、あたかもキリシタン弾圧時代の「踏み絵」を思わせるものがありました。

 一方、日教組の方は、そうした教育委員会――小中学校は市町村教育委員会、高校等は県教育委員会――に対して団体交渉で対抗しました。ただ、教育委員会といっても市町村教育委員会の事務局は、役場の職員で構成されているため教育のことはほとんど分からず、次第に職員団体との交渉を忌避するようになりました。その結果、教育行政権は教職員の任命権を持つ都道府県教育委員会に集中するようになり、そこが、組合(県単位に組織される)と教育委員会とのせめぎ合いのポイントになりました。

 この間、教条的な組織運営を行ったことで、当局による切り崩し工作に抗し得なかった県教組は次第に組織率を減らし地方教育行政に対する影響力をなくしていきました。一方、臨機応変に当局との政治的取引を行うことで組織率を維持し、教職員人事に対しても隠然たる影響力を保持し得た県教組は、教育委員会事務局をも抱き込み、地方教育行政運営全般に対する影響力を行使するようになりました(このことは左右を問わず言える)。現在民主党の幹事長を務める輿石氏の出身母体である山梨県教組はその典型ですね。

 話を元に戻しますが、上述したように、いわゆる55年体制が終わって東西のイデオロギー対立がなくなると、文科省vs日教組という対立図式も次第に解消に向かいました。その結果、その後の教育改革論議の中でようやく教育委員会の形骸化の問題が取り上げられるようになったのです。ところが、丁度この頃、教育界にとって新たな問題として浮上したのが、臨教審による「教育の自由化論」の提起と、大蔵省による教育費国庫負担削減あるいはその適用除外の問題でした。

 このため、教育界は「教育の自由化論」を公教育の解体と見てこれに反対すると共に、教育費国庫負担削減及びその適用除外に対しても、一致して反対するようになりました。こうして、従来、対立抗争を繰り返してきた文部省・教育委員会と日教組、その他の教職員団体が一致して共闘関係を構築するようになったのです。このため、教育委員会制度はその形骸化が明らかであるにもかかわらず、これを教育界の自律性を守る防波堤として維持しようとする心理が、関係団体に働くようになったのです。

 こうした情況の中で、「教育委員会制度の形骸化」をめぐって行われることになった論争が「橋下vs山口」論争でした。ではまず、この論争の前段にある橋下氏の大阪都構想がどのような大阪の現状認識の中から生まれてきたのかを見てみたいと思います。これは、大阪に居住する大西宏氏の次のような意見で総括できるのではないかと思います。(参照「反橋下市長の人たちがなぜ共感されず非力なのか」)

 「大阪市と大阪府は、いやもっと京都や阪神間を含めると兵庫県まで、実際の経済や社会は、広域化しているのが現実です。たとえば、モノづくりの拠点は東大阪市や守口市、門真市に集積し、コンビナートなどは堺市に集積しています。都市機能として、大学や研究機関の存在も欠かせませんが、実際には大阪市内はそれらが薄く、大阪府下、また県外に広がっています。IT企業は、大阪市内である新大阪あたりから吹田市の江坂地域にシームレスに集積しています。産業政策にしても、実際にはすくなくとも大阪府の広域でやらないと実効性が薄いのですが、現実は大阪市は大阪市、大阪府は大阪府、近郊都市は近郊都市でやることがバラバラで連携がほとんどありません。大阪市と大阪府の境界など、実際の生活にしても、ビジネスにしても意味が無いのですが、行政だけが分かれているのです。なぜ府と市で一体とする行政組織に変えてはいけないのかに対する心に響く反論がありません。結局は他人ごとなのです。」

 私は、教育委員会制度について私見を申し述べますが、先ほど申しましたように、教育委員会制度が形骸化していることは、すでに、教育関係者の間で自明のことなのです。なのになぜこの組織を維持しようとするのか。なぜ、もともと対立していたはずの文部省や日教組、その他の教職員団体も一致してこれを守ろうとしているのか。

 それは、本当に日本の教育の事を思ってやっているのか。あるいは、それは彼等が自らの既得権を守るために、自らの思想信条を度外視して、連携したと言うだけの話ではないのか。こうした疑問が、橋下氏から提起されたのも、けだし当然と言わなければなりません。この場合、橋下氏に特別反日教組的イデオロギーがあった、というわけではなく、池田氏も指摘する通り、むしろ、この形骸化した組織を既得権擁護のために温存しようとする体質そのものを、氏は攻撃対象としているのです。(「日の丸・君が代」論争など私はイデオロギー論争に値しないと思っています)

 そこで、橋下VS山口論争についてですが、山口教授は不用意なことにこの形骸化した教育委員会制を守ろうとしました。いや、守ること自体は悪くはないのですが、氏は、先に紹介したような教育委員会の形骸化の意味を十分理解しておらず、従って、それを改善するための具体的方策を何も持っていなかったらしい?ということです。これでは、その形骸化を知事職を通して知り、それを長の権限を強化することで改善しようとしている橋下氏に対抗できるはずがありません。

 もし、この時、山口氏が、形骸化した教育委員会組織の機能を回復させるための具体的プランを持っていたなら、それを基に、橋下氏の「教育基本条例案」を批判することも出来たでしょう。この点、橋下氏は、争点が「教育基本条例案」に移ることをうまく避け、それを教育委員会制の形骸化の問題に収斂させることで、山口氏を現状維持派に押し込めることに成功しました。その結果、「橋本市長が山口二郎教授をフルボッコ」といったようなワンサイドゲームの印象を視聴者に与えたのです。

 そこで、橋下氏が、この形骸化した教育委員会制度を機能させるための具体的方策として提出した「大阪府教育基本条例案」についてですが、はたしてこの案はこの問題を解決するための方策として妥当なものでしょうか。もちろん、この条例案は、あくまで現行教育委員会制度下における地方教育行政制度改革案であるわけですが、その狙いは、大阪府知事を大阪府の教育行政の最終の責任者とすると共に、府教育委員会を実質的に諮問機関化することを狙ったものです。

 このことは、基本条例第6条と7条に次のように規定されています。

第6条 知事は、府教育委員を任命する権限のみならず、地方教育行政法の定める範囲において、府内の学校における教育環境を整備する一般的権限を有する。

2 知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する。

第7条  府教育委員会は、前条第2項において知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する。

2 府教育委員会は、常に情報公開に努めるものとし、府内の小中学校における学力調査テストの結果について、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開するとともに、府独自の学力テストを実施し、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開しなければならない。」

 実は、現行の教育委員会法(以下「地教行法」と称する)の下では、「地教行法」第24条の規定により、知事の学校教育に関する権限は、都道府県教委の予算に関する事務の執行の他、府立学校の体育を除くスポーツ及び文化財保護を除く文化に関する事務に限定されています。従って、第6条、7条の規定は「地教行法」違反となります。従って、ここで述べられているようなことを可能にするためには、現在の教育委員会制度を規定する「地教行法」の抜本的改正が必要となります。

 また、橋下氏は、その大阪都構想において「政令指定都市である大阪市・堺市と大阪市周辺の市を廃止して特別区」とすることを提案しています。その特別区は「東京都をモデルとし、東京23区のように「大阪都20区」を設置。東京都23区を例にすれば20区内の固定資産税・法人税などの収入を都の財源とし、20区内の水道・消防・公営交通などの大規模な事業を都が行い、住民サービスやその他の事業は20区の独自性に任せる。」(wiki「大阪都構想」)としています。

 では、この構想において、現在大阪市教育委員会の管理下にある市立小中学校の経営管理はどうなるのでしょうか。これについては、大阪府教育基本条例案第5条3以下の次の規定によって、そのおおよその見当をつけることが出来ます。

3 府内における小中学校教育は、市町村が次の各号に掲げる事項について主体的な役割を担い、府は補完的役割を担うべきものとする。
 一 小中学校の設置、管理及び廃止
 二 小中学校の教員の人事
 三 小中学校の校長、副校長、教員及び職員の研修
 四 小中学校の組織編制、運営

4 前項の理念を達成するため、府は、地方教育行政法第55条第1項に基づき、府内における市(但し、指定都市を除く。)町村立小中学校の府費負担教職員に対する府教育委員会の人事権その他の権限を、自治体としての規模や能力にも配慮しながら、できる限り当該市町村に移譲するよう努めなければならない。

5 府及び府教育委員会は、府内の市町村及び市町村教育委員会に対し、地方教育行政法第55条の2第2項に基づき、小中学校教育の体制が本条例の趣旨を反映したものとなるよう、必要な助言、情報の提供その他の援助を行う。

6 府及び府教育委員会が前項の助言、情報の提供その他の援助をするに当たっては、当該市町村及び市町村教育委員会の自主性を尊重しなければならない。

 これを見ると、大阪市や堺市に新たに設置されることとなる区にも教育委員会が置かれることになるようです。そこには教員の人事権(=任命権)や研修権が、府や政令市から移管されることになります。といっても、大阪都はこれらの区及び教育委員会に対して、その自主性を尊重しつつも、「小中学校教育の体制が本条例の趣旨を反映したものとなるよう、必要な助言、情報の提供その他の援助を行う」権限を持つことになります。

 なお、この区における区長と区教育委員会の関係ですが、おそらくこれは、本条第1項の規定「府における教育行政は、教育委員会の独立性という名目のもと、政治が教育行政から過度に遠ざけられることのないよう、選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と、府教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織(学校の教職員を含む)が、地方教育行政法第25条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない」という規定に準ずる扱いになると思います。

 しかし、「地方行法」第25条は、教委及び首長が行政事務を管理・執行するにあたっては法令に準拠して行わなければならないことを規定するだけであって、知事が教育行政に介入できる根拠となるものではありません。従って、この第5条に述べられていることも、第6,7条の場合と同じく、現行教育委員会制度を抜本的に改正しない限り実現不可能です。

 といっても、これら各条に述べられた地方教育行制度の改革構想が無意味かというと、そうは言えず、先に紹介したような日本の教育委員会制度の形骸化の歴史を踏まえる限り、一定の説得力を持つ提案であることは間違いありません。というのは、まず、現行制度下の教育委員会は、地教行法第23条に規定する19項目に及ぶ教育事務の管理・執行機関としては全く機能しておらず、実質的には、教育長の諮問機関的な役割しか果たしていないからです。

 また、現行法では、教育長はこの教育委員の中から選出されることになっていて(地教行法第16条2)、かつ、この教育委員は長が任命することになっている。さらに、教育委員会の予算に関する権限は教育委員会ではなく長が持っているのですから、結局、教育委員会という名の合議制(3人から6人)の教育事務の管理・執行機関は、現状を追認する限り、長の諮問機関として位置づけた方がよほどすっきりする、ということになります。

 にもかかわらず、あえて、この合議制の教育委員会を長に対する独立の行政委員会と位置づけることは、長に対する一種の「不信」の表明となるのであって、橋下知事のように、行政組織の運営目標を明確に設定し、その下での無駄のない合理的な組織運営を行おうとする者にとっては、到底納得できることではないでしょう。まして、このように長に対する「不信」が表明される一方、教育委員会における実際の意志決定が、制度外の力によって左右される現実があるとすれば、この制度は、これらの組織のダミーではないかと言われても仕方ありません。

 私は、以上のように考えて、橋下氏の大阪府教育基本条例案における地方教育行政事務の改善策については、一定の評価をしています。ただし、それはあくまで、今後の教育委員会制度改革を展望する中での一改善案としてであって、現行の教育委員会制度下における一地方自治体が制定する「教育基本条例案」としては評価できません。その組織規定は現行法に違反するだけでなく、その内容は半ば「教員等」の懲戒や分限に関する運用規定であって、教育基本条例と称するには余りに品位に欠けるからです。

 そんなわけで、私は、前回の記事で、この大阪府教育条例案は早急に撤回し、それを形骸化した現行教育委員会制度を機能させるための問題提起とすることを提案しました。なお、この条例案に含まれている「教員等」に対する懲戒や分限処分規定の厳格化が何を意味するかと言えば、端的に言って、それは教職の専門性やモラルに対する市民の不信の表明です。従って、こうした事態を抜本的に改善するためには、教員免許を国家資格試験にして、教員資格に対する国民の信頼を高める必要があります。

 この場合、教員免許試験の受験資格については、学歴や年齢条件を撤廃する必要があります。一定の職業経験の後に教師を目指してもいいわけです。そうすることによって、採用段階の過当競争もなくなりますし、それに伴う情実人事も防げます。また、全国何処の学校でも公立・私立を問わず教員としてはたらくことが可能になります。懲戒・分限処分の対象になることももちろんあるでしょうが、逆にFA権を行使することも出来るでしょう。つまり、教師の専門職性を高めることで、現在の教職の「身分制」を打破することが出来るのです。

 そこで最後に、今後の教育委員会制度改革の具体的な方策について、私見を申し述べて終わりにしたいと思います。

 先に述べた通り、大阪府教育基本条例案に示された教育委員会制度改革構想も、その改革方策の一つだと思います。それはなにより、現行教育委員会制度下において教育委員会が実質的に果たしている諮問機関としての役割を一層明確にするものであって、違うのは、それを教育長の諮問機関ではなく、教育長による学校経営を評価しそれを長に報告すると共に、市民に対してその結果を公表する役割を担うということです。

 といっても、これを橋下氏の大阪都構想の下において考える場合、都と区の関係は、他の県における県と市町村との関係とは異なり、区の行う学校経営に対する都の関与はより強まることになります。他の県においては、もし、現行法下の県費負担教職員制度が廃止されれば、教職員の任命権や給与負担が市町村に一本化されることになりますが、未だ小規模市町村も多いことから、地域の学校経営管理機関の設置単位を、大阪都構想における区程度の規模に平準化することが考えられます。

 この場合、教育委員会の設置単位を区相当規模にするため広域連合組織にするか、あるいは教職員の身分を県に移管して、人口規模30万程度の地域に学校経営管理機関を設置するという方法も考えられます。もちろん、この学校経営管理機関は、大阪都構想における大阪の区と同様に自立した学校経営権を持つことになります。また、この場合、県も、大阪都構想における都と同程度の地区学校経営に対する権限を持つことになります。それが出来ない場合は、基礎自治体の広域化を推進して任命権を委譲し学校経営の責任体制の明確化を図るべきです。

 しかしながら、このような自治体の長の教育行政及び学校経営に関する権限を明確化する案は、教育の政治的中立性を犯すとの批判を招くことになるかも知れません。しかし、長は、学校経営を直接行うわけではなく、あくまで教育長という学校経営の専門家に任せるのです。そして、その学校経営の評価を市民の代表によって構成される合議制の教育委員会が行いそれを長に報告する。長はその報告に基づいて教育長に必要な指示を行うわけで、それで一定の学校経営上の自律性は保たれるのではないかと思います。この場合、教育委員の任命権を議会とすることも考えられます。

 もちろん、その場合の長の判断が、不当な政治的支配に相当するのであれば、教育基本法第16条に違反することになりますし、次の首長選挙で落選させることも可能です。この点、欧州各国においては、教育行政を一般行政から切り離すという例はほとんどないとのことですが・・・。従って、この点に関して過剰な警戒心を持つ必要はないのではないでしょうか。むしろ、その教育行政の政治的中立という建前の裏で、インフォーマルな権力行使が、市民の知らない所でなされるよりよほど良いと思います。

 あるいは、それでもなお教育行政を一般行政から分離する必要があると言うなら、考えられる方策としては、地域における学校経営管理機関を国立大学と同じように法人化することも考えられます。この場合、教育費は全て国庫より支出することとして、これをクーポンで児童生徒の保護者に給付し、保護者は行きたい学校にそれを提出する。いわゆる学校の自由化論に基づくバウチャー制度の導入です。これは、学校経営を市場の選択に委ねるものですが、「教育の機会均等」を確保できるかどうか・・・。

 いずれにしても、懸案の現行教育委員会制度の形骸化という問題を解決し、真に責任ある教育行政及び学校経営体制を確立する必要があると思います。こうした状況の中で提起されたものが橋下氏の大阪都構想、その下での自治体再編と教育委員会制度の改革構想です。確かに大阪府教育基本条例案は、現行法を無視するものであって品位を欠くものであると言わざるを得ませんが、そこに盛られた教育委員会改革構想は、一定の説得力を持つものであることを率直に認めるべきだと思います。

 最後に、本稿の標題「現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心こそ解くべき」について説明しておきます。以上紹介した教育の政治に対する不信は、もとをただせば、戦前のアカデミズムと共産主義を恐れた政治との対立に起因しているのです。それだけならまだ良かったのですが、蓑田胸喜等狂信的現人神思想家と政治家が結託して天皇機関説排撃事件を起こし、これに皇道派軍人が加担したことで国体明徴運動に発展しました。ここから、教育と政治の不幸な関係がはじまったのです。

 以後、日本の教育は次第にいわゆる「軍国主義教育」一色になりますが、日本の教育がこのような国粋主義的排外主義に陥るのは、昭和13年以降のことで(参照「山本七平の天皇制理解について5」)、それ以前の日本の教育が全てそうであったというわけではないのです。天皇機関説にしても昭和10年以前は公認の学説でしたし、日本の歴史観にしても、右翼イデオローグの二大巨頭とされた北一輝や大川周明は、尊皇思想からは全く自由に独自の史観を展開していました。大川周明などはむしろその被害者で、彼の著書『日本二千六百年史』は昭和15年に書き換えを余儀なくされています。

 おそらく、こうした記憶が、終戦直後吉田第一次内閣で文部大臣を務めた田中耕太郎の「大学区構想」(全国を9ブロックに分け、その中心を欠く帝国大学としてその下に高等学校、中学校、小学校をピラミッド状に置き、各帝大学長をその学区庁の長官とする案。内務省の反対で消滅)にも反映していたのではないでしょうか。教育委員会法にいう「不当な支配」もこの不信に根ざしていることは間違いありません。しかし、はっきり言って、それは日本の政治家がだらしなく党利党略にかまけ、思想・信条・言論の自由を守り切れなかったところに原因があるのです。

 もし、昭和5年の統帥権干犯事件――これは時の政友会幹事長森恪等が海軍をたきつけて政治問題化したもの――や、天皇機関説排撃事件の処理において、政治家がこれを党利党略に利用するようなことをしなかったならば、これらの事件は一部狂信家の策動に止まり、また軍につけ入られることもなかったのです。民主党政権において「政治主導」が叫ばれ、その結果、その政策がいかに”でたらめ”であったかを知って見れば、戦前の日本人が政治家を信用せず、「純粋な」軍人を信用した気持ちも分かるような気もしますが・・・。

 つまり、こうした日本人の歴史的な政治不信が、教育を政治から分離しなければ危険だという”思い込み”につながったのです。戦後の日教組運動も、同様の思いから出発したはずです。しかし、残念ながら逆の面からその不信を拡大してしまった。”教え子を再び戦場に送るな”と言う。しかし、それは「不義」なる戦場に「教え子」を送った戦前の教師の「悔恨のモノローグ」であったはず。それを戦後生まれの教師が平和教育のスローガンとして叫ぶ。それは兵役を有する国の教師に通じるか。あるいは、日本に対する不信の表明か?

 できることなら、こうした日本に対する不信は取り除きたい、と私は思います。。そのためには、政治は何としても思想・信条・言論の自由を守り抜かなければならないし、政治家には明快な言論をもって党利党略を超えた民主政治を実現してもらいたい。その点、橋下氏が言論で勝負していることは、まあ、いささか無礼な言辞が目立ちますが、民主政治は革命の制度化であって言論による権力闘争なのですから、それは八百長でないことの証明でもあるわけで、平和な社会の政治には、そうした劇場的効果もあってもいいのではないかと思います。といっても政治家が平静を失うようでは困りますが・・・。

 そういうわけで、「現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心」について注意を喚起してみたわけです。この機会に、教育委員会制度改革に関する大胆かつ率直な意見交換がなされ、教育と政治の関係が再考され、よりよい教育行財政制度、責任ある学校経営システムができあがることを期待したいと思います。

2008年8月12日 (火)

「教育委員会を腐敗させたのは誰か」寺脇研氏の主張について

 ここで、「大分県教員採用汚職事件」に関して、『中央公論』に元文部官僚(現京都造形芸術大学芸術学部教授)の寺脇研氏が、「教育委員会を腐敗させたのは誰か」という対談記事を載せていますので、この問題について、簡単に私見を申し述べておきたいと思います。

 寺脇氏は「教員出身者だけに任せてはダメだ」という冒頭の小見出しで次のように述べています。

 まず、「大分県教委の”体質”に問題がありました。大分県教委は、教育委員会生え抜きの職員が出世できず、課長以上の上級職を『教員出身者』と『教育現場をよく知らない県庁からの出向者』が固めているという悪い教育委員会のまさに典型例です。しかも、トップの教育長まで知事部局から来た人でしたので、教育について詳しくなかった。自分が詳しくなければ、『じゃあ、教員出身でナンバー2の富松審議官よろしく頼みます』となる。こうして不正につながりました。」

 これに対して、「教育の実情をよく知らない県庁からの出向者ばかりが幹部になるのは問題だと思いますが、現場をもっともよく知るはずの教員出身者に幹部を任せるのが、なぜいけないのでしょうか。」という質問に対し、寺脇氏は、その理由は「彼らが『教員ギルド社会』を作っているからです。」と次のようにいっています。

 「この『教員ギルド社会』のルーツを知るには、戦前の教育制度まで遡る必要があります。戦前は、教員人事だけでなく、教員免許の交付も各都道府県の管轄でした。つまり、教員になるには、唯一の教員養成機関である県の師範学校を出なくてはいけなかった。すると何が起きたか。『学閥』ができたんです。師範学校の先輩・後輩関係とその身内のつながりで、採用や校長・教頭への昇進といった教員人事が決まるようになった。」

 今は全国統一の免許制度になり(問題点1)、他県の大学卒業者も教員として働くようになったので、おおっぴらな『学閥人事』はできなくなっているが、こうした教員同士の「馴れ合い体質」は変わらない。だから、教育委員会は組織としてこれをチェックする機能を作らないといけない、というのです。組合と教育委員会が対立しているところではこうしたチェックが働きます、と。(問題点2)

 また、こうした「馴れ合い体質」が疑われる県としては、第一に旧師範学校の支配体制が残っている「田舎」が危ない。それから、教員組合と教育委員会が癒着している都道府県が危ない。だが、大分のように「お金が動く」というのはレアケースで、普通は「お金」ではなく県会議員や地域のボスからの「圧力」が多い。また、権力者に覚えめでたくなるためには、それまで盆、暮、正月の挨拶をはじめ、雑巾がけのようなことをし尽くさなければならない。だからお金は動いていないといっても、そうした「不正につながっている構造」を見逃してはいけない、といいます。

  そして結論としては、「結局、問題の本質は、教員や政治家たちが、国民のために働くという世界に身を置きながら、教育を受ける側の事を誰も考えていなくて、仲間内の論理だけで動いているということです。日本という社会は、昔はすべてそうして成り立っていたともいえます。建設業界に限らず、日本全体が巨大談合社会でした。しかし、それがどんどん暴かれて、今は入札談合はできなくなりました。教育は「最後の聖域」・・・ということではないでしょうか。」

 この意見に対して、そんな不正の温床になるくらいなら、教育委員会制度そのものを廃止すべきという声もありますが、という質問が投げかけられていますが、これに対しては次のように答えています。

 「そもそも教育委員会制度は、戦後になって,戦前の教育制度の反省から、『政治からの独立』と『教員ギルド社会の解体』を目的に導入されたシステムです。それがうまくいっていないわけですが、単純に『では廃止します』では状況はさらに悪化します。ですから本来の目的に近づくよう教育委員会の立て直しに努めるべきだと思いますね。」

 そして、そのためには、教育委員の公選制を復活させるのも一つの手段です。では、なぜこの制度が廃止されたかというと五十五年体制下の政党の(イデオロギー対立の)影響を免れなかったからで、それが崩れた今ならうまく機能するのではないか。つまり、今回の事件は教育委員会を改革するチャンスで、事務局をきちんとチェックできる教育委員を選び、事務局には国や他県からの外部人材を入れててみるといい。

 以上が寺脇研氏の主張です。

 そこで私見ですが、寺脇研氏といえば、「ゆとり教育」で文科省のスポークスマン的役割を果たした人で、現在、中教審でその見直しが進められていますが、氏自身は「それでもゆとり教育は間違っていない」とがんばっています。しかし、私は、現在、教育再生会議のメンバーにもなっている陰山英男氏の「学力の基礎は読み書き計算にある」「揺るぎなき基礎の上に総合的学習は可能となる」という考えの方が、教育実践に裏打ちされていて説得力があると思います。

 寺脇研氏は、こうしたキャリヤのほかに映画評論家としての肩書きも持っていて、wikipediaには「2004年に文化庁が主催して韓国で開催されたイベント「日本映画:愛と青春」(1965年から1998年に発表された日本映画46本を上映したもの)は、文化庁に在職していた寺脇が中心となって進めた企画だといわれているが、黒澤、小津ら、巨匠と呼ばれる監督の作品を敢えて排し、日活ロマンポルノに属する作品を入れるというラインナップが物議をかもした」と紹介されてます。

 きっと、こうした多彩な能力と、高校卒業(ラ・サール)の時の答辞「私はこの学校のことを懐かしく思い出すことは、これから先ないだろうと思います。なぜなら、ずいぶん多くの友人がこの学校の体質についてこれずに、途中でドロップアウトをし、去っていかなければならなかったからです。彼らのことを考えると、とても懐かしい母校などとは言えません」に見られるような氏の「反骨精神」が、彼の「ゆとり教育論」を支えていたのではないでしょうか。

 さて、氏の教育委員制度改革論についてですが、私はおおむね当たっていると思いますが、いくつか問題点もあります。その第一は、「今は全国統一の免許制度になり」という部分ですが、これはあまり正しくない。教員免許は現在も都道府県教育委員会が出すようになっていて、全国統一になっているのは各免許取得に必要な単位が示されているだけです。そして、その単位取得はそのための講座を持つ大学、短大に任されていて、その免許によって保証される全国統一の「資格水準」が確保されているとは、とてもいえないからです。

 その意味では、確かに戦後の教員免許制度における「開放制」は、戦前の師範学校制度の弊害とされた「学閥」の弊は免れているとは思いますが、それに代わる「教員の専門的資格水準の維持」という点では、むしろ後退していると思います。最近の教育改革提言の中には、今なお根強く残る教育界の「閉鎖的体質」を打ち破るため、社会人の登用枠の拡大等が掲げられていますが、これが容易に進まないのは、むしろ現在の免許制度に原因があります。というのは、これがあてにならないため、各都道府県における採用試験がそれに代わるものとなっているからです。

 つまり、あまりにも教員免許によって保証される能力資質の水準が不明確だということで、むしろ、これを全国統一の資格試験として、一切の学歴要件を排して受験可能とした方が、より公平で開かれたものとなり、戦後改革の趣旨にもあっているのではないかということです。そうすれば、採用試験には、その資格を得て教師としての能力を保証された者のみが受験することになりますので、採用試験のウェイトも軽くなり、今問題となっている教員採用試験の中核都市等への委譲も容易になってきます。(いまのところどこからもそんな意見は聞きませんが)

 第二は、「組合と教育委員会が対立しているところではこうしたチェックが働きます。」というところです。そもそもこうした対立関係は、55年体制下の東西イデオロギー対立が「日教組vs文部省」という形で構造化したものです。こうした対立構造に対応するために、政府は、戦後の「教育委員会法」(s23)を抜本的に改正し、現在の「地方教育行政の組織及び運営に関す法律」(略称「地教行法」)(s31)に代えたのです。その要諦は、地教委(市町村教育委員会)の「ダミー化」でした。そして隙間に「日教組う勢力の掣肘」という役目を担って保守政治家や「地域ボス」が這入り込んだのです。今回明らかになった教員人事への介入はその名残でしょう。

 つまり、寺脇氏の言っていることは、このような自民党の政策が失敗して、組合と教育委員会との対立関係を解消させることができずにそのまま残ったところが、うまくいっていて、逆に失敗したところ、組合と教育委員会が保守系あるいは革新系いずれにしろ一体化し癒着したところはうまくいっていないという”おもしろい”論理になっているのです。氏の反骨性がうかがわれないこともありませんが、より正確な問題の立て方としては、教育委員会を「ダミー」にした「地教行法」を抜本的に改正して、その地域の学校経営機関としての内実を整えるということでしょう。

 氏のいう、教育委員の選任方法の改革や、事務局職員には、国や他県あるいは民間から多彩な人材を登用できるようにするという考え方には賛成です。しかし、そのためには「地教行法」を抜本的に変えるしかないでしょう。また、教員の採用に当たって学閥や馴れ合い人事を排することは勿論のこととして、そのためには、そのより確かな教員資格を担保する全国統一の「教員免許制度」(国家試験)を確立し教職への道を門戸開放するしかないと思います。

 日本の教育界における、これらの伝統的な談合体質の克服のためには、従来曖昧なままに放置されてきた教員資格の水準や、採用・昇進基準を明確なルールに変えることがまず必要であると私は考えます。

2007年1月 1日 (月)

教育委員会制度はどうなる2

教育委員会制度改革のゆくえ(「宮事研」ホームページ過去ログです)

地方自治と学校経営(2005.7.9)
 義務教育費国庫負担制度の存廃に関する議論にも出口が見えてきたようです。(出たとたんに大きな山が!ですが)中教審義務教育特別部会の第22回議事録には次のような意見が出ています。
 「また、現場の学校や市町村から見ると、仮に国の権限を都道府県に移したとしても、縛る主体が国から都道府県に変わるだけならば、現場の裁量拡大という点では意味がない、むしろ、教育の主役である学校や市町村が具体的な権限と責任を持つことがで
きるように具体的な仕組みを検討すべきであるとの意見が出された。
○ 市町村の権限を大幅に拡充するための方策として、教職員人事権と給与負担を市町村に移譲する場合に、小規模自治体の状況を考慮し、人口50万人程度の広域連合による「教育機構」を地方に整備し、この教育機構が義務教育の受け皿となることを検討すべきである。ただし、具体的な制度設計をどうするかについて、引き続き検討する必要がある。」
 このことについては、中核都市とそれに準ずる都市に権限委譲することや、小規模自治体の場合は広域連合で対応すること等が検討されているようですが、いずれにしろ、義務教育学校の経営管理主体は市(町村)であるということを実質的なものとすべく必要な権限委譲を行う方向で、問題の決着がはかられると思います。
 その場合、市町村教育委員会の役割権能が見直されることは言うまでもありません。つまり、その経営体としての専門性や人事の流動性をどう確保するかが課題となります。
 地方自治体の場合、サブカルチャーとしてのインフォーマルな「身内主義」が牢固としてありますからね。新しい学校経営体の制度設計に当たっては、この弊をどう克服して機能的・民主的かつ効率的な組織を作るか・・・。
 教育界の最大の問題点は、専門職制の建前とこの「身内主義」が癒着している点にあります。これを打ち破るには、強力な政治力が不可欠です。昭和31年以来の「地教行法」体制の抜本的改革が必要だと思います。郵政に次ぐ改革課題だと思いますね。

「50万単位で広域連合」は地方の提案
先に、中教審義務教育特別部会の議論に「人口50万人程度の広域連合による「教育機構」を地方に整備し、この教育機構が義務教育の受け皿となることを検討すべきである。」という意見が出されていることを報告しましたが、私は、文科省側の提案かと思っていましたが、議事録(速報版第20回)を見てみると、これは、地方6団体側の提案のようで、次のようになっています。
「○地方が十分実施できるような体制と仕組みを考えるべき。県教委を廃止し、人口50万人単位で教育機構、広域連合を作ればよい。具体的なことについては今後地方で協議をする。その後、改めて御説明したい。
○人事権とともに給与負担を移譲した場合の場合分けとは別に、50万人単位の連合体が負担主体になるという案があるということか。
○そうである。
○50万人単位の機構については初めて聞いた。これは町村会の一致した意見か。それとも個人の考えか。どういう形で意思形成されたのか。
○一つの在り方を示しただけ。意を通じる者とは協議している。町村会は正副会長会、常任理事会、理事会、政調会での協議を経て意見の合意に至る。基本的なことについては、既に常任理事会の了解を得た。具体的なことはこれから検討する。
○地方六団体が本当に地方自治体を代表して意思決定しているのかが重要だ。正副会長会とか一部の上位下達のやり方ではいけない。地方六団体は国民に対して、義務教育についての意思決定のプロセスを明らかにするべき。手続きの透明性、公平性について町村会でも過去の経緯をまとめて公表してほしい。
○50万人の自治体連合という発言についての質疑を行っている。それぞれの町村の自治を返上するわけだから、それについての意思決定を問うのは当然である。50万人の自治体連合というアイディアには賛成だが、地方六団体の代表として発言しているのかは別問題である。

以上の議論を受けて第22回の議事速報では(2005.7.12)
「地方に移譲後どうするのかという質問があったが、現時点では移すかどうか審議中なので、基本的な方向を示す。小中学校の設置者である市町村が名実ともに主体となって義務教育を実施できる制度の構築を目指す。県費負担教職員制度の段階的な改正を行うべき。任命権をどうするか。給与負担は将来的には市町村が負担すべき。小さな市町村については、市町村の教育連合、機構を形成する。単独で任命、給与負担を担うのが困難であれば、共同実施する。人口50 万人程度が適当ではないか。こうしたことは検討の余地が十分あるが、最終的には市町村が実質的な義務教育の運営を行っていくべき。」
 広域連合に統一的に学校経営権を移すという案に地方が賛成だとすると、当然文科省も乗ってくると思います。その場合、国庫負担は残って広域連合に下りることになります。地方の側の「思いつき」でなければいいのですが。
 
以下、8月5日の中教審の「義務教育特別部会」での中核市教育長連絡会の意見です。

(2) 国と地方、都道府県と市町村の関係・役割について
・ 教育の根幹をなす部分については、国として定め、その上で地方の裁量を拡大することが必要であります。学級編成、教職員配置など、地域の実情に応じた対応ができるようになれば教育の活性化につながると思います。
・ 教職員の人事権移譲については、まず中核市以上の都市への移譲を実施すべきと考えます。しかし、財源措置の裏付けがなければ、形だけの人事権の移譲に終わる心配もあり、国が責任を持って財源の確保をした上で、弾力的な運用が可能となる人事権移譲をすべきと考えます。
(3) 義務教育費に関わる財源措置の在り方について(2005.8.10)
・ 中核市教育長連絡会では、確実かつ安定的な財源の確保を目指し、先の総会(平成17年7月8日開催)において、義務教育費国庫負担金制度を堅持することを採択しました。この制度の基本的役割である義務教育の根幹(機会均等、水準確保、無償制)を国が責任を持って支える制度という観点で堅持を支持していますが、一方で、近年の国自体の負担割合の減少や、都道府県、市町村の負担増などに対する懸念もあります。義務教育の根幹を支える制度として一層の義務教育推進のため、財源保障の仕組みを確立し、確実かつ安定した財源が措置されることを強く希望します。
・ 公立学校施設整備費負担金・補助金について、義務教育諸学校の施設は基本的な教育条件であると考えます。近年では地域住民の避難場所としても重要視されてきています。子どもたちの生命・安全に直結するだけでなく、バリアフリー化、情報環境の充実、環境との共生など、施設整備を取り巻く様々な課題が山積されている中で、廃止または一般財源化すべきではないと考えます。特に、地震対策としての学校施設の耐震化は、一地方自治体の問題ではなく、国が積極的に関わっていく課題であると認識しております。国の緊急課題として早急に国主体で取り組んでいただくとともに、地方の自主性・裁量性を高めるための補助金改革を望みます。
 市町村の場合は「全額国庫負担」という意見を出しているそうです。都道府県との意見のズレはどう調整するのでしょうか。

教育委員会制度はどうなる

(「宮事研」ホームページ過去ログです)

教育行政はどこまで分権化されるか(2005.1.20)
 最後に、市川昭午氏の教育行政改革の方向性に関する主張を見ておきます。
 私は、昭和50年の採用された年に、小林の本屋で市川昭午氏の「教育行政の理論と構造」という本を購入し、それ以来、市川氏の著作に学び続けてきましたが、以下の主張については、この30年以上も前に出版された本でも主張されています。まさに驚くべき予見力だと思います。

 ・ なぜ分権化が出てきたのか。まず、小さな政府、規制緩和、地方分権化、縦割り行政の打破、教育の個性化など行財政改革を求める社会情勢ががあり、内部的には教育荒廃への対応策として地域との連携の必要性がある。
 ・ しかし、答申は、県域にわたる基準の設定を唯一の例外として、「基本的には今後とも国及び都道府県が担うべき」としており、現行の基本構造を変えようとしていない。また、国と地方の財源配分の問題にも触れていない。
 ・ また、答申は教育委員会制度の存続を自明の前提としており、ある程度分権化は進めるものの教育行政の独立性は維持しようとしている。しかし、長い目で見れば、結局行政の総合化の方向は免れない。
 ・ 一方、学校の裁量権の拡大や学校運営への住民参加などは、長年教育関係者によって望ましい理念とされてきたものである。今後、この理念と教育行政の総合化の方向を調和させる必要がある。
 ・ そのためには、教育自治の確立のための従来とは違った戦略を検討する必要がある。例えば、公教育事業とくに公立学校の経営を狭義の教育行政から分離し法人格を有する経営体とする構想がそれである。

教育行政制度見直しの動き(2004.11.7))
 現在、地方分権に伴う「三位一体改革」に関わって、義務教育国庫負担制度の廃止が、郵政民営化に引き続いて大きな争点になっています。全国知事会では、すでにその方向で意見をとりまとめ政府に報告しています。
 おそらく、今回の議論を経て、次の時代のわが国の教育行政制度あるいは学校経営制度ができあがっていくものと思われますので、この点について、少しづつ、問題提起を兼ねて本掲示版に書き込んでみようと思います。
 なぜその必要があるか。
実は、小泉内閣になって以来取られた経済政策(不良債権処理、財政構造改革)については、エコノミストを始め多くの反対意見がありましたが、政府の経済政策立案の中心人物である竹中氏は、これに対して「政府の政策に代わる説得力ある対案が全く出せない」と反対論を一蹴していました。事実、最近では、こうした経済政策に関する反対論は鳴りを潜めあっても極めて歯切れが悪くなっているようです。
 そこで、義務教育国庫負担制度の問題ですが、これに対しては、この度、文科大臣となった本県出身の中山氏を筆頭に文科省あげて、まさに必死の反対運動を繰り広げています。また、自民党も、小泉首相のお膝元の派閥の長である森前首相が「絶対阻止」を公言しているように、おそらく郵政以上の強烈な抵抗運動が繰り広げるものと思われます。
 だが、問題は、竹中氏がいうように「説得力ある対案を示せるかどうか」ということなのです。また、問題とすべきは、政府自身は、はたして、教育政策に関してどういう政策的見通しをもっているかということです。
 今のところ、これは「地方分権」しか示されていません。これについては全国知事会も同様です。さらに、森前首相にしても、例の「栄養教諭」問題に見られるように、とても教育政策能力があるとは思われません。
 そこで、以下、あくまで私見でありますが、今後の教育行政制度および学校経営システムのあり方について、教育論も含めてじっくり考えてみようと思います。会員の皆さんも自由に、議論に参加していただき議論を楽しんでいただければと思います。その時間的余裕はある、というより、いずれそれをやらない限り次の時代に進めないと考えるからです。

2006年11月23日 (木)

私の教育再建策

 2005年12月に「中央公論」が「私の教育再建策」というテーマで論文募集しましたが、その時の私の応募原稿の草稿です。(応募原稿はこれを要約した)長年、教育行政に関わってきた経験をふまえて、私の教育行政制度改革に関する提言をまとめました。どうもマスコミ受けはしなかったようですが・・・。本文→「saiken.htm」をダウンロード

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