「公務員制度改革」の論理とその活用法を考える
(『学校事務』2004.3掲載)

人事院の反省と反撃?
 
 現在進行中の「公務員制度改革」について、私は、長年の公立小中学校事務職員としての経験を通して、やはり、この機会に「公務」の性格をとらえ直し、公務員の人事任用制度や給与制度の在り方を再検討する必要があると思っています。
 今回の公務員制度改革の中で、その大幅な権限縮小が唱えられている人事院も、現行公務員制度について中央人事行政機関としての反省点をふまえつつ幾つかの問題点を指摘しています。(「公務員制度が向かうべき方向について」)
(1)当初重要な柱であると考えられていた職階制が実現されないまま暫定的な措置で対応してきた。
(2) 制度の趣旨と乖離した運用、例えば、国家公務員法自体は給与や昇任について能力実績主義を原則としているにもかかわらず、各府省の年功的な運用を人事院としても黙視するなど、各府省の人事管理の実情を尊重するあまり、中央人事行政機関としての独自性に欠けるところがあった。
(3)人事制度の継続性を尊重するあまり保守的になり中長期的視野から大胆に改革していくという姿勢が弱かった。
(4)任用、給与の制度運用に当たって、中立公正の確保や適正な勤務条件の設定の観点から個別の承認・協議事項を設けてきたが、長年の実績の積み重ねによりその必要が薄れてきたものまで過度に懸念し、合理化、簡素化等の適切な対応措置が遅れてきた。
 そして、その改革の基本的方向性として、1.国民全体の奉仕者としての公務員の確保・育成、2.政官関係の明確化、3.今後の行政を担う幹部公務員の選抜と計画的育成、4.公務組織における専門性の強化、5.職務・職責を基本とした能力実績主義の確立、6.個人を重視した人事管理の推進、7.中央人事行政機関と各府省(の関係の整理)を上げています。
 そして、現在、内閣主導で進められている「公務員制度改革」について、それを「国民の期待にこたえた、より実効的なものとする」ため、次のような基本的視点や留意点を表明しています。
 基本的視点に関わる事項としては、
ア 公務員が「国民全体の奉仕者」として政治的影響を受けず特定の利害に捕らわれることなく、中立公正に職務を遂行するという、公務員制度の原点をふまえて改革に当たるべきである。
イ 改革内容の具体化に向けては、有識者を含む各方面のオープンな議論が行われるべきであり、各府省当局・職員団体と十分意見の調整が行われることが不可欠である。
ウ 現在進められている改革は、大臣権限を強化し、また府省の肥大化を抑える機能を持っている人事院や総務省行政管理局の関与を弱めるなどセクショナリズムを更に助長するおそれがある。
エ 政と官の役割分担については、政権交代を前提とした議院内閣制の下、いかなる政党政治の下でも「全体の奉仕者」として中立公正に職務を遂行する公務員を前提とした仕組みとすべきである。 
オ 現行制度でも、外部からの人材登用や抜擢は可能である。また、勤務実績に基づいて給与に相当程度の差をつけることも可能である。それにもかかわらず、現実には年次主義的な昇進管理や特別昇給や勤勉手当の持ち回り的運用などが広く行われ、抜擢人事などもほとんど行われてこなかった。こうした事実の背景や要因を、制度のみならず運用に踏み込んで分析・評価し、実効性のある改革となるよう、労使関係への視点も考慮して制度設計する必要がある。
 また、具体的な制度設計に関わる事項については、
ア いわゆる「天下り」問題については、公務員制度改革大綱は人事院の事前承認をやめて大臣承認制とするとしているが、当事者である各大臣でなく内閣が一括管理とすることを検討すべきである。同時に「天下り」の原因となっている幹部公務員の早期退職慣行の是正が急務であり、在職期間の長期化を計画的に進めるべきである。 
イ 採用試験制度については、試験の内容・方法を知識偏重型から思考重視型に改める。また、試験の中立公正性に対する国民の信頼確保の視点を重視しつつ、内閣及び人事院がその本来的機能に即した役割を担う仕組みとすべきである。
ウ 今回のキャリヤシステムに関する提案は、T種採用職員に係る現行の運用を基本的に変えるものではなくかえって制度化するおそれがある。抜本的な見直しの検討に着手すべきである。
エ 能力等級制度の下で適正な給与処遇を確保するためには、能力等級と職制段階の区分(課長、課長補佐等)とを明確にリンクさせ、職制段階に対応した給与が支払われる仕組みとすべきである。
オ 能力等級制度が機能するためのポイントは、明確な職務遂行能力が設定され、それを用いて適切な評価が実際に行われることである。なお、民間において能力評価が形骸化し職務給に復帰したり、仕事と成果に応じた給与(仕事給、業績給)への転換を図る動きがあることに留意すべきである。
カ 現行の労働基本権制約を維持するのであれば人事院の代償機能の後退は許されない。勤務条件に関する基本的事項は、人事院の勧告を経て法律で定める仕組みとし、細目的事項は法律の委任に基づいて人事院規則で定める仕組みとする必要がある。能力等級ごとの人員枠は人事院が各府省の要求や章句員団体の要望等を聴取して具体的な人員数を申し出、国会で決定する仕組みとすべきである。等々。
 
見直しを余儀なくされた「大綱」
 
 これらを見ると、人事院は現在進行中の「公務員制度改革」については相当に批判的であることがわかります。もちろん「グローバル化,IT化、市場原理の導入という大きな潮流が、社会のさまざまな場面で決定的な影響を与えつつある。こうした動きは、行政を担う公務員の在り方についても、大胆な変革を迫っている」という時代認識は共有されています。
 しかし、報告書の冒頭の反省に述べられている通り、「国家公務員法自体は給与や昇任について能力実績主義を原則としているにもかかわらず、各府省の年功的な運用を人事院としても黙視するなど、各府省の人事管理の実情を尊重するあまり、中央人事行政機関としての独自性に欠けるところがあった」というのが人事院の基本的認識です。
 それなのに、「公務員制度改革大綱」(以下「大綱」という)は、あたかも人事院が「人事・組織マネジメントの枠組みにおける事前かつ個別詳細なチェック」を行ってきたために、今日の「硬直的な企画立案、非効率的な業務執行を生み出した」と批判しているのですから、人事院はそれは筋違いではないかといっているのです。
 また、具体的な制度設計に関して、能力等級制度が機能するためには、能力等級が職制区分と明確にリンクすることと、明確な職務遂行能力が設定されることを指摘し、「各府省当局・職員団体の合意を得た上で評価制度の試行を十分に行い、客観的で実効性、納得性を備えた能力基準やこれに基づく評価方法を策定することが必要」としています。
 実際のところ、「大綱」の「能力等級制度」のいう職務遂行能力を役職段階に区分し等級付けるということと、人事院のいう「職階制」の本来の能力実績主義とが具体的にどう違うのか必ずしも明らかではありません。「仕事(=職務)にもとづく人事管理から「人」にもとづく人事管理」といいますが、これも今ひとつ意味がはっきりしない。
 現行の職階制は、ある「仕事」(職務)に職員を任用する際、その職務に見合った「能力の実証」を行うことになっています。しかし、「集団的な執務体制をとる日本の人事管理になじまない」(「公務員制度改革の「進め方」にかかわる問題点」国公労連)とされ、現在は、給与法での職務分類を「職階制」と見なしています。
 そして、この「職階制」の「能力の実証」のゆるみが「採用試験区分」や「採用年次」にもとづく人事管理を助長しているともいわれている。そこで「大綱」は、この「職階制」のゆるみをもとに戻そうというのか、あるいは人事院の「たが」をはずして府省主体の人事・組織マネジメントを行うというのか、このあたりの曖昧さが問題です。
 また、公務員制度改革の「基本的視点」イの「改革論議はオープンに」という部分は、「公務員制度改革大綱」(以下「大綱」という」)の閣議決定(H13.12.25)後に明るみに出た内部告発文書「公務員制度放浪記」で明らかになった「公務員制度改革大綱」作成の裏チーム(経済産業省グループ)の存在を想起させるものとなっています。
 結果的には、こうした人事院の見方の方が筋が通っており、逆に「大綱」の提案内容や進め方に無理があることが明らかとなり、「政府・与党は十日、能力主義の導入などを柱とする公務員制度改革を巡って、通常国会への関連法案の提出を断念し、法案の基となる二〇〇一年末に閣議決定した公務員制度改革大綱を見直す方針を固めた。天下り規制の方法や労働基本権を巡る問題、職員の能力評価の基準などを中心に見直しを進める。([2004年1月11日/日本経済新聞 朝刊])と報道されるに到りました。
 
「年功制」と「職階制」は無関係
 
 実は、本県教育委員会も、この「公務員制度改革」に連動して、文科省初中教育局の「教員の評価に関する調査研究実施要項」(H15.2.13)に基づく教員の評価システムの改善についての実践的調査研究の委嘱を受け、県教委事務局に新教職員制度検討会議を発足させ、教職員制度、評価制度、給与制度について検討を開始しています。
 その際、従来の「年功制」にもとづく「職階制」は廃止する。それに代えて能力等級制度を設け(国は11段階)、それぞれの等級に対応した職務遂行能力を定める。そして、職員がどの段階の職務遂行能力を有しているかによって充てられるポストが決まるという「能力等級制」について説明がなされました。
 この時私が感じた疑問は、まず、「年功制」をあたかも職務職階制の属性であるかのように理解している部分でした。「能力等級制」によって「職務職階制」が否定されるのだから、その属性たる「年功制」も否定されるというような単純な考え方です。(「公務員制度改革と今後の展望」日渡円『学校事務』0312)
 いうまでもなく、「職階制」は「官職をまず職務の類似性によって職群,職種に大別し,さらに職務の複雑さと責任の度合によって職級に細別し、職級ごとの「職務明細書を作成して、その名称及び職務内容を定めたもの」であり、先に言及したとおり本来の「年功制」とは無関係です。
 この「職階制は,アメリカの猟官制度改革の過程で,20世紀初頭から科学的人事行政の確立のための手段として採用され漸次発展してきたもので、日本でも第2次大戦後,国家公務員法のなかに職階制導入の方向が規定され,また地方公務員についても条例で設けることになった」(世界大百科事典「年功序列制」岡本康雄)のですが、それを具体化するにあたって批判や抵抗をうけ、結局「年功制」を基本とする現在の給料表の「級別標準職務表」に落ち着いたのです。
 つまり、本来の意味における「職階制」は日本においては未実施とされているのです。そしてその未実施となった主たる原因が、戦後の労働争議による混乱期を経て企業秩序再建方法として定着した年功序列型昇給・昇進制度──これは,定期昇給制という形で定着し、それと並行して,終身雇用制も再生されていったとされる──にあり、現行の公務員の給与制度もこうした日本独自の雇用慣行を反映しているのです。
 こうした日本における終身雇用制及び年功制は、戦後「アメリカ・モデルが規範とされた初期には,丸がかえ的な終身雇用制や年功制」として批判され,能力主義への移行の必要が説かれました。ところが「日本の経営が見直されるようになると,逆に終身雇用制,年功制,企業別組合が〈三種の神器〉としてもてはやされるように」(同上「日本的経営」岩田 竜子)なりました。
 そして今日、「グローバル化,IT化、市場原理の導入という大きな潮流が、社会のさまざまな場面で決定的な影響を与えつつある」という状況の中で、従来の日本的経営の特徴とされた「終身雇用制」や「年功制」が再び見直し・批判の対象となり、そして、行政を担う公務員の在り方についても、その矛先がまわってきたというわけです。
 つまり、批判されているのは「職務職階制」ではなく日本的労働慣行の中から生まれた「終身雇用制」や「年功制」なのです。実際、現行の公務員の給与制度は人事院のいうとおり「能力実績主義」を基本としていますが、現実的には、昇格、昇級の決定において「年功制」的な運用がなされています。
 
「職階制」はなぜ日本に定着しなかったか?
 
 ではなぜ、日本において本来の「職階制」が定着しなかったのでしょうか。その理由としては、これがわが国の労働慣行に合っていないことが指摘されます。「職階制はアメリカ合衆国から導入された制度であるが、アメリカ合衆国においては雇用契約が一定量の労働の提供という形で明確に定められており、職の種類も細分化され個々の職務内容も明確に定められている。そして、労働者はそのような職務内容、責任の範囲内でのみ労働を提供することと考えられている。給与も一つの職には一つの給与というのが一般的である。」(教育法令コメンタール4 p1711)
 「これに対し、わが国の労働慣行では終身雇用による帰属意識が労使双方に強く、職務内容も明確ではなく、個々の労働者の責務を限定せず組織として一定の仕事を行っていくというやり方が一般的である。給与も年功を加味した複合級となっている。このように労働慣行が全く異なる実情にあるにもかかわらずアメリカ式の職階制を導入しようとしたことが、未実施の主な理由と考えられる。」(同上)
 そこで、民間企業においては、「日本的な労使慣行(企業別組合,年功序列制,終身雇用)のもつ長所を長所として踏まえつつ,近代的な合理性を追求すべきだという発想」で、「労務管理の中心課題を従業員の人間形成(=個々人の能力の開発と活用,およびそれに対する処遇)におく」「能力主義管理」(世界大百科事典 石田光男)という人事管理法が生まれました。
 つまり、「能力主義管理」というのは、従業員の勤続年数と学歴とにより採用,配置,教育訓練,異動,昇進,賃金処遇を行う良さを生かしつつも,「勤続年数と学歴とが職務遂行能力の指標でなくなった場合,職務系列ごとにその中を必要とする能力の段階でいくつかの等級に分類し,その資格要件により個々人を格付けする職能資格制度」(同上)のことをいっているのです。
 この点、「大綱」にいう「能力等級制度」の基本的な考え方は、「年功制」を基本とする賃金体系を否定することに急で、ここで紹介した「能力主義管理」が決して日本的労働慣行を全て否定しているわけではなく、あくまで「勤続年数と学歴とが職務遂行能力の指標」とならなくなった場合の人材開発・活用策であることを無視しているように思われます。
 私は、先に、「年功制」をあたかも職務職階制の属性であるかのように理解し、それを否定するものとして「能力等級制度」の導入をはかる考え方に疑問を呈しましたが、これは、「大綱」にもいえることで、戦後の「職階制」が日本的労働慣行と習合して「年功制」を生み、また、その欠点を是正するために「能力主義管理」が生まれたという歴史的経緯を無視していることに対する疑問です。
 
経営論としての「公務員制度改革」
 
 とはいうものの「大綱」がねらっているものは賃金問題としての「年功制」だけではありません。その根本的メッセージは、従来の「中央人事行政機関等による人事・組織管理面での事前かつ詳細な制度的規制を見直し」て「行政運営について責任を持つ内閣及び各府省が適切に人事・組織マネジメントを行う」ことを不可欠とするものです。
 具体的には、現行の人事制度の「採用試験区分や採用年次等を過度に重視した硬直的な任用」制度のため、「職務や職種の特性等をふまえた職員の計画的な能力開発の仕組みが不十分で、持てる人材を必ずしも有効に活用できていないこと、さらには、組織の目標や職員に求められる行動の基準が不明確で徹底する手段もないこと」などが指摘されています。
 私は、本稿の冒頭に「長年の公立小中学校事務職員としての職務経験を通して、やはり、この機会に「公務」の性格をとらえ直し、公務員の人事任用制度や給与制度の在り方を再検討して見る必要があると思う。」と書きました。そして、ここに指摘されたような現行公務員制度のもつ問題点は、やはり真摯に反省しその改善策を検討すべきだと思います。
 私は、日本における「年功制」的秩序については、これは日本人の「仕事観」というより「人生観」とでもいうべきものであり、それが私たちの「職場観」を形成していますから、大切な考え方であると思っています。ただ、この「職場」が「共同体」化することによって、その本来の組織目的が失われてしまうという欠点も持っています。
 民間企業の場合は、市場の競争的環境の中で組織運営の効率性・有効性・柔軟性を絶えず検証しなければ生き残れず、失敗すれば倒産ということになります。ところが公務員組織の場合はそういう自己検証の契機が働かない。採用時の入り口や年次が全てで、あとは前例踏襲主義で業績に関係なく年功制で定年まで行くということになります。
 学校事務職員としての私の経験に照らしていうと、地方の公務員社会、特に教育界においては、本人の適性や能力あるいは業績に関係なく、採用試験区分の違いだけでその職域や職務を限定したり、しかるべきポストから排除するといったようなことが当然のように行われています。また、そのために能力開発の機会も少なく人材の有効活用ができないケースも多いと思います。
 また、教育委員会や学校という組織の組織目標も明確でなく、個々の職員の個人的モラールに依存するところがきわめて大きい。従って、組織として職員に求めるべき行動基準も不明確であり、また、仮にそれを逸脱したとしても、それを改善させ徹底させる手段がない。また、あったとしても体罰とか「いたずら」とか交通違反くらいのものです。
 つまり、仕事に対する評価の基準がはっきりしていないのです。公務員の仕事はすべて「官職」=ポストを通じてなされますから、それぞれのポストに要求される役割を適切にこなしているかどうかが問われるべきなのですが、持ち回り人事の中で、それが評価の対象となり次の人事に生かされるということも少ない。
 それが、おそらく国、地方を通した現行公務員制度の問題点であろうと思います。というより、国より県、県より市町村の方が、そうした「年功制」による弊害は大きいですから、公務員に対する批判が高まっているこの機会に、その仕事についての評価の基準を明確にして、「職員の主体的な能力向上や業務への取り組みを促し組織目標の着実な達成を図」ることが必要であると思います。
 「大綱」は、そのためには行政運営の責任者(=人事管理権者)が「公務員の人事行政について主体的に責任を持って取り組んでいく仕組みとすることが必要」として、人事院に対して、従来、そうした人事管理者による機動的・弾力的な人事・組織マネジメントを阻害してきた制度的規制を外すよう求めているのです。
 
「公務員制度改革」の活用法
 私は、先に、本県教育委員会が、文科省初中教育局の「教員の評価に関する調査研究実施要項」に基づく教員の評価システムの改善についての実践的調査研究の委嘱を受け、県教委事務局に「新教職員制度検討会議」を発足させ、教職員制度、評価制度、給与制度について検討を開始したことを紹介しました。
 実は、本県の場合、平成10年度に学校事務の採用試験区分を廃止し知事部局の事務職員の採用試験に一本化して今日に及んでいるわけですが、「学校事務の閉鎖性の打開」という点では評価できるのですが、このために任命権者たる県教委委員会の事務職員に対する任命権が画餅に帰しつつあることについて、私は大きな危惧を抱いています。
 というのは、任用一本化以降、知事部局から教育委員会に異動してくる事務職員はそのほとんどが3年で知事部局に帰ることを希望し、また、そのような人事がほぼ定着しつつあるからです。これらの職員にいわせると、3年での異動は知事部局では当たり前で、何ら特別のことではないといいますが、つまりは、学校や教育委員会の仕事は「魅力がない」ということになります。 
 私にいわせれば、こうした事態になるのも、「学校経営の責任主体が現行教育委員会制度の下では不明確だからだ」ということになります。私は、先に「公務員制度改革」の中心的メッセージは、「行政運営について責任を持つ内閣及び各府省が適切に人事・組織マネジメントを行うこと」だと申しました。
 こうした観点からいうと、今日の教育委員会制度においては、地方教育行政における「人事管理権者」は一体誰なのか、知事部局なのか都道府県教育委員会なのか、市町村長部局なのか市町村教育委員会なのかが全くわからない仕組みになっていることが問題です。こうした仕組みが、地方教育行政における「機動的・弾力的な人事・組織マネジメントを阻害してきた」最大要因だと思います。
 従って、地方教育行政における「公務員制度改革」の中心的なメッセージは、私は「地方教育行政において人事・組織マネジメントを担うべき責任主体を明確にする」ことだと思います。その上で、「大綱」にいう「公務に求められる専門性、中立性、能率性、継続・安定性」を確保し、教育行政のパフォーマンスを高めることを目指すべきだと思います。
 その意味で、本県教育委員会が今回の「公務員制度改革」を機に、「新教職員制度検討会議」を発足させ、以上指摘したような地方教育界の懸案の解決に一歩踏み出したことは、困難なことだとは思いますが、まことにタイムリーであり勇気ある行動だと思います。また、平成16年度から「共同実施」の全県実施に踏み切ったことについても同様です。
 ただ、このような「新教職員制度」等新しい制度の導入をはかるときに大切なことは、「日本的労働慣行」について述べたときにも触れましたが、私たちの「人生」と「仕事」そして「職場」の相互の関係について、十分な洞察力を持って、その長所を生かし弱点を克服する視点を忘れないようにすることです。
 
学校事務のベースキャンプ──共同実施
 
 最後になりましたが、「公務員制度改革」という動きの中で「どういう学校事務職員制度を作っていくのか」ということに関わって、来年度から県内75地区(全ての学校が共同実施組織に組み込まれます。)で導入・実施が予定されている宮崎の共同実施の取り組みについて若干説明をしておきます。
 「大綱」における「公務員制度改革」のねらいの一つが、「職責」によらない「年功制」賃金の抑制にあることは申すまでもありません。それは「職務(官職)を通じて現に発揮している職務遂行能力に応じて職員を等級に格付けする」という考え方を基本としていますから、学校事務をどの等級に格付けするかが問題となります。
 私は、公立小中学校においては、主事、事務主任、事務長そして共同実施組織のリーダーとしての総括事務長(仮称)の4段階程度が適当ではないかと考えています。その場合の学校における事務職員の構成としては、市町村職員や臨時職員も含めて一体的な組織化をはかる必要があると思っています。
 また、これで県内全ての学校の事務職員が共同実施組織に組織されることになりますので、事務職員の配置基準もそれに対応して変わることになります。現在共同実施加配ということで30の複数配置校があり事務主幹が配置されていますが、これが今回の配置基準の見直しにより改善されることになります。
 もし、この共同実施加配がなく従来の中学校21学級小学校27学級以上という複数配置基準のままなら、県内の複数配置校は近いうちになくなってしまうわけですから、「公立学校事務職員の問題は定数問題」と考える私から見れば、これだけの複数配置校を確保できただけでも大きな前進だと思います。
 ただ、この共同実施加配による複数配置は当該校のためだけではなく、共同実施組織内の全ての学校のために配置されたものですから、安閑としていることは許されず、常に共同実施のメンバーの評価の目にされされその効果を求められることになるわけで、これはこれで結構厳しい仕事=ポストになると思います。
 また、山間へき地など小規模校の多い地区においては、従来2校兼務という形で一人の事務職員が兼務校の事務を引き受けていましたが、今後は共同実施組織に属する事務職員全員で当該校の「共同実施に係る事務」を負担することになりますから、事務負担の公平感は増してくるものと思います。
 では、共同実施が学校事務の中心になるのかというと、そうではなく、それぞれの学校には事務処理規程に基づき「事務主任」(学校事務の総括的責任を担う)が配置されることになっていますから(事務職員が未配置の場合は校長)、「共同実施に係る事務」以外はそれぞれの学校の事務職員が責任を持ち、共同実施組織はそれを支援するという関係になります。
 今後とも、この学校事務のベースキャンプともいえる共同実施の組織運営が安定軌道に乗るよう全力をあげ、新しい公務員制度の中においても納得できる仕事と格付と処遇がなされるようがんばりたいと思っています。「未来は予測するものではなく創るものである」とは宮事研40周年記念大会のモットーでした。 おわり