宮事研「学校事務理論検討委員会最終報告書」より(第2、3、4章)
 平成元年5月)文責 渡辺斉己
 
第2章 教育改革のなかの学校事務
 
1 問われる学校教育
 昭和59年8月、「臨教審」が首相直属の審議会として発足したころ、マスコミをにぎわした学校教育批判は、「教育荒廃」という言葉が象徴するように、さながら、教育界の末法を思わすぼど激しいものがあった。それらの批判は、多面的でまた多様な契機をもっていたが、おおむね、今日の学校教育の在り方について、その画一性、硬直性あるいは閉鎖性、独善性を指摘し、いじめや登校拒否、校内暴力等の原因をそれらに求め、その抜本的改革を期待するものが多かった。
 「臨教審」は、こうした雰囲気のなかで、国民的期待を担って設立きれ、「開かれた審議」をめざして各地で公聴会を行い、62年8月の第4次答申をもって3年にわたる審議を終えた。しかし、その審議経過を見ると、前半の国民的な関心の高まりに比べ、後半は失望感から急速に“しらけ”が広がったとされる。最終答申には、「本審議会の審議は、教育改革についての、いわば一大シンポジュームというべき・・・−(おわりに)」と述べられているが、このことは、平時において「第3の教育改革」をめざしたこの審議会の限界性を明瞭に示すものとなっている。
 最終答申では、第1次答申で掲げた8つの改革のための考え方を、三つの項目に集約している。@個性重視の原則、A生涯学習体系への移行、B変化への対応、がそれである。@は、「わが国の根深い病弊である画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由、自立、自己責任の原則を確立する」こと。Aは、「学歴社会の弊害を是正するため学校中心の考え方を改め、生涯学習体系への移行を軸とする教育体系の総合的再編をはかる」こと。Bは、「わが国の創造的で活力ある社会を築いていくために、教育は時代や社会のたえざる変化に積極的かつ柔軟に対応していく必要がある」というものである。
 これらは、本答申のいわば「前置き」の部分であり、「21世紀のための教育の目標の実現に向けて、教育の現状を踏まえ、時代の進展に対応しうる教育の改革を進展するための基本的な考え方」とされるものである。そして、これらはいずれも、日本人がこれから迎えようとしている「モデルなき時代」を創造的に生き抜くための、たくましい個性の育成をめざそうとするものであるといえる。
 しかしながら、そのための具体的な方策となると、「臨教審」答申は、当初、一郎の委員より「文部省解体論」まででたわりには、現行制度・組織とその運用面の穏やかな改革提言に終わっている。
 こうした臨教審の尻すぼみ現象は、先に述べた通り「平時の教育改革」の難しさを証すものといえるが、その発足時に、マスコミをにぎわした第1分科会を中心とする「自由化論」に、いささか短絡的な思い込みがあったことも災いしている。たしかに、第1部会の「自由化論」は、「教育における親権の回復」を唱えることで、今日のわが国の教育(特に義務教育)の画一性、硬直性あるいは閉鎖性、独善性を打破する視点を提供したといえる。
 しかし、それは、戦後の民主的教育行政の中心原理である「教育の機会均等」の理念との厳しい緊張関係にたつものであり、必然的に、「個性化」か「社会化」かあるいは「自由化」か「平等化」か、などという価値の相克関係をもたらすのである。したがって、その制度化に当たっては、個々の政策課題の「現実」に照らして、慎重な制度的調整が必要とされるのだが、この点、自由化論者は、あまりに楽観的な「予定調和論」に流れたのである。
 その極端ぶりは、自由化論者が想定した学校経営論に端的に現われている。明らかに彼等の学校経営論は、個々の学校を単位とし、それらを「市場原理」のもとに競争させることによる「万能薬的効果」を期待するものであり、今日の、公教育体制下における教育委員会の学校経営機能のありかたについて、積極的な提言をなす用意ははとんどなかったのではないかと思われるのである。
 たしかに、今日の大多数の市町村の教育委員会は、学校経営上の主体性を発揮するための条件を十分備えておらず、したがって、学校経営は、学校単位でのみ考えられ易かったが、しかし、「教育における親権が回復」、とりわけ「教育を受ける側」と「教育をする側」の権利・義務関係の調整が重要な課題となるこれからの地方教育行政においては、校長の学校運営上の裁量権の拡大とともに、実質的な学校経営調整能力を持った、相当規模の学校経営機関の存在は、今後、必須のものとならざるを得ない。
 ところで、今次教育改革の一つの契機となった「いじめ」や「登校拒否」、「校内暴力」等「教育荒廃現象」の認識に仕方についてであるが、最近の調査・研究によると、日本の初・中教育に対する欧米諸国の評価は、意外に高いということが明らかになっている。特に、学力水準が高いこと、学校を、規律正しく効率的に学習する場にしていること、教職集団が有能かつ献身的なこと、等についての評価が高い。また、「いじめ」とか「校内暴力」などは、先進工業国に共通する問題であって、特別、日本に特徴的な問題ではないらしく、ただ、最近の登校拒否(情緒的混乱で神経症的な型が中心)の増加傾向に、何らかの特徴を見い出せる程度である。
 こうした、日本の教育に対する外国の評価は、最近の激しい学校批判になれた者には意外な感じがするが、今日の日本の教育をより客観的に認識する上では役立っているといえる。まず、学校教育の第一目的が、児童生徒の知的能力の開発にあるとすれば、日本の学校教育はかなりの成功をおさめていること。一方、学校を学習する場として効率的に運営することに成功しているが、瑳末的な校則に対する批判も強く、最近は、「登校拒否」等の学校に対する消極的抵抗も増加していること。また、教師のモラルは比較的高いが、体罰問題に象徴されるように教師の人権感覚を疑う声も少なくないこと、等である。
 こうみてくると、近年の「教育荒廃」に端を発した学校や教師に対する批判は、この「教育をする側」の「姿勢」に対する「教育を受ける側」の不満が、この機に噴出してたものとみることができるのである。つまり、日本の戦後教育そのものに対する批判というより、今日の公教育行政における教育(学校)管理システムに対する父母あるいは国民一般の不満が、「文部省対日教組」という対立図式とは別の次元から、学校批判あるいは教師批判という形で現われてきたと理解すべきなのである。
 こうしたことを総合的に考えると、今日の日本の学校教育が抱える問題点と今後の課題がようやく明らかになってくる。それは、端的にいえば「教育をする側」と「教育を受る側」の権利・義務関係をどう設定するかという問題である。つまり、従来の「教育権」をめぐる論争は、「教育を受ける側」と「教育をする側」の関係というより、「教育をする側」内部の領分争いとして性格が強く、必ずしも、「教育を受ける側」の「教育権」十分尊重した上のものではなかった。
 この点、今次教育改革はその基本的視点として「教育を受ける側」と、「教育をする側の権利・義務関係をどう設定するか、ということを、その中心課題とせざるを得ないのある。その意味で「自由化論」が提起した問題は、まさに、以上のような国民の間に鬱積しつつあった不満の感情を正しく反映するものであったし、また、それゆえにこそ、「臨教審」に対する国民一般の関心を爆発的に高める効果を持ったのである。
 しかし、その後の「臨教審」の論議は、教育(学校)管理制度のありかたに対する本格的な論議へとは向かわず、特に、自由化論者の学校経営論が、経営の単位を個々の学校解体し、それを市場原理のもとに自由競争させるという、今日の公教育体制の全否定につながりかねないような極論しか展開できなかったために、すぐに、その非現実性が暴露され、結局、教育行財政制度のありかたについては、本格的な論議をする余裕もなく、ほとんど現状維持の提言しかなしえぬ結果に終わったのである。
 さて、ここで、今次教育改革に対するわれわれ学校事務職員の立場を明らかにしておかなければならない。学校事務職員とは公教育制度上、事務管理系統に属する職員である。したがって、この事務管理組織が確立し、それが統一した職員制度をもち、かつ、有機的に運営されていたならば、今日におけるような「学校事務職員問題」は生じなかったに違いないのである。よって、われわれ学校事務職員の関心は、一に、この学校管理制度が、今後どのように改善されるか、それが、どのような職員制度をもって運営されるかという点におかれざるを得ない。
 もちろん、それが、教育現場の教職員あるいは父母や地域社会の教育要求を反映して、民主的に運営されるべきものであることはいうまでもない。また、従来、とかく相互不信に陥りがちであった教育界における教員と事務職員等との関係を、新しく「教育事務職員制度」を構想する中で、その望ましい協力・協同関係のありかたについて考え、その具体的な方策について提起すること、これが本報告書の課題である。
 
2 教育改革の動向
 前節において、今次「臨教審」がになうべきであった一つの重要な政策課題について、それが「教育を受ける側」と「教育をする側」との権利・義務関係の調整を軸として「教育をする側」の組織体制=公教育管理システムをどう改変するかということであると述べた。また、その帰趨が、学校事務職員の将来に決定的な影響を持つこともあわせて述べた。そこで、本節では、「臨教書」答申に盛られた教育(学校)管理制度のありかたについての諸提言について検討してみたい。
 まず、教育行財政改革の基本方向として使われた表現は、「画一よりも多様を、硬直よりも柔軟を、集権よりも分権を、統制よりも自由・自立を」というものであった。こうした考え方は、最終答申においては、文教行政改革の基本的考え方として、「文教行政を担う各関係機関の自立性と自己責任、当事者能力の強化の観点にたった教育行政を展開する必要がある」というように表現され、そのために、「教育関係機関の創意・工夫が発揮されるよう、基準・認可制度を改革し、その規制力を緩和し、また教育における地方分権を推進し、各地域や各学校の多様な個性・自主性、創造性がのびのびと発揮できるよう」にする必要があるとしている。
 また、学校の管理・運営については「学校が活力と規律を維持するためには、教師相互間、教職員と児童・生徒、父母問の相互信頼の基盤の上に各学校に責任体制と校長の指導力が確立されていることが必要」としている。さらに、開かれた学校管理運営の確立のために学校施設・機能を地域住民に開放することや、学校の管理運営に地域、保護者の意見を反映することが重要であるとしている。そして、教育委員会は「そうした学校の管理運営に対する重い責任を自覚し「関係者の学校経営に関する意欲と資質の向上に努める必要があるとしている。
 前節で、「自由化論者」が学校経営の単位を学校単位に解体し、それを市場原理のもとに競わせることが、今日の学校教育が直面している諸問題を解決する「万能薬」であるのごとく論じていたと述べたが、「臨教審」としては、結局、通学区制度の見直しや学校選択の機会の拡大等に言及しつつも、現行の地教委の学校指定権を容認する形をとっている。 また、理念的に、戦後教育委員会制のそれに立ちかえることを薦めてはいるが、以上のような消極的な教育行政改革姿勢をみる限り、それが、どれほど本気のものか判然としない。しかしながら、今次「臨教審」が「第3の教育改革」を標榜する以上、少なくとも40年の長きにわたって機能不全を続ける「教育委員会制度」の基本理念を再検討するくらいの気概はあってもよさそうな気がする。
 このように、「臨教審」の答申が不徹底なものに終わった原因の一つには、前述したとおり、「自由化論者」が空想的な予定調和論にながれたことにもよるが、基本的には、「臨教審」発足当時の関係者の今次教育改革にのぞむ姿勢が、立場によって大きく異なっていいことによるのである。首相には「戦後教育の総決算」の観点から「自由化論」への傾斜が見られたし、自民党の場合は、同様の観点に立ちつつも日教組対策あるいは中央政府による管理強化の意図が強く、また、マスコミー般には「教育荒廃」対策が、父母、あるいは児童・生徒には学校管理及び教師の指導力に対する不満がつのっていたという具合である。
 こうして、「臨教審」は、その答申の「前置き」の部分ではなんとか一致した方向性を見い出すことに成功したが、その具体化の部分、特に教育行政制度の在り方については、最終答申においてかろうじて文教行政の見直し−「文部省の政策官庁としての機能強化」が言及きれたという程度に止まっている。
 なお、地方教育行政機関である教育委員会の活性化の方策としては、以下の5項目があげられている。@教育委員の人選、研修 A教育長の任期制、専任制 B苦情処理の責任体制 C小規模市町村の教育委員会の事務処理体制の広域化 D知事部局等との連携強化などである。(不適格教員対策についての項目は別次元の問題であるので除く)
 しかし、ここに述べられた教育委員会の活性化の方策は、実は、戦後教育委員会制が導入されて以来、幾度となく唱えられながら実効性の疑われてきたものばかりである。@及びAは、「教育の住民統制」のための機関である合議制教育委員会の機能回復とともに、教育委員会事務局の長である教育長の専門性の強化をめざすものだが、その有効性は依然として疑わしい。Bは、教育委員会の地域の学校管理機関としての「教育を受ける側」に対する責任体制を明らかにしようとするものだが、教育委員会の事務局体制の確立、スタッフの充実なしにこうした責任体制がとれるはずはない。Cは、Bの課題を満たすための方策の一つであり、将来、具体化する可能性が高いとされているが、職員構成上の問題もあり、また、県教委および教育事務所との事務分担をどうするかという問題など、現行教育委員会制度の抜本的な見直しなくしては進みえない課題である。Dは、府県レベルにおける総合教育行政の観点から知事部局との連携を説いたものだろうが・・・。
 こう見てくると、今日の「教育委員会」活性化の課題は、安易に戦後教育委員会制の理念に立ちかえることをすすめるだけで済まきれるものではなく、戦後40年間の教育委員会制度の体験を踏まえて、あらためて、その理念と制度の関係を根本的に見直す必要に迫られていると気づく。
 まず、「教育行政の住民統制」の考え方であるが、そのための手続きや、方法の改革により「行政統制」の効果を高めることも必要であるが、それと同時に、個々の学校レベルにおいても、父母、地域住民が学校教育のありかたについて意見を反映したり、あるいは学校経営に直接参加する形式も考えられてよい。
 また、「教育行政の一般行政からの独立」という考え方についても、地方自治体の総合行政の観点と、教育委員会の専門的自律性の確立の観点との調和をどのようにはかるかということが、もっと真剣に検討さるべきである。
 さらに、「教育行政の地方分権」という考え方についても、文部省、都道府県教委、および市町村教育委員会のそれぞれの役割機能分担とともに、特に、都道府県教育委員会と市町村教育委員会との、地域の公教育管理および学校経営上における機能分担と権限関係を、地方教育行政制度を総合的に見直す観点から、もっと大胆に提起すべきである。
 あらためて考えてみれば、こうした、三つの「戦後教育行政改革理念」は、戦前の日本の教育行政に対する反省としてとられたものであって、戦後40年を経過した今日において教育改革を論ずるにおいては、当然、その40年の経験を踏まえて、あらたに、その改革理念が構想さるべきなのである。そして、この際最も重要な視点は、この戦後40年に及ぶ教育委員会制度の歴史において、なぜ、その理念と現実の間にはなはだしい乖離があることが一般に認知されていながら、その制度が、さしたる不都合もなく維持きれてきたかという点である。
 この点、まず考えなければならないことは、戦後の日本の教育界が「文部省対日教組」という対立図式によって支配されてきたということである。実は、このことが「地方教育行政機関しての地教委の形骸化」という現象に象徴的に現われているのであるが、結局、こうした事態が、文部省にとっては、その中央集権的な教育管理政策のために有効であり、一方、日教組にとっても、学校の直接の管理機関である地教委が無力であったほうが教師の「教育権」を行使する上で都合がよかったということなのではないかと思われる。
 しかし、こうした、ご都合主義的な学校管理体制がいつまでも続いてよい訳はない。今日、国民経済の急速な発展により国民の高学歴化が一層進み、また、先端技術分野の発展にともなって社会の情報化も急速に進んでいる。一人教育界のみが、旧態依然たる善悪二元論的な感情に支配されて、建て前と本音の時務論的使い分けに甘んじているようでは、真に国際的に開かれた国民文化の育成など到底期待しえないというべきである。教育界こそ、聞かれた知的闊達性をもち、また、人の個性と人権について、十分敏感でなけばならないのである。
 きて、教育界の、こうした二元論的な対立図式を克服し、戦後40年間の経験の上に新しい地方公教育管理制度のありかたをあらためて構想するならば、当然、戦後教育委員会制度は、その理念、組織機構のありかたから、教育委員の構成・選任方法にいたるまで終戦直後のそれに必要以上に縛られることなく、より自由な発想で、「21世紀に向けた教育」に積極的に対応する、地方教育行政制度のありかたを構想できるはずである。
 なお、「臨教審」第三次答申においては、「学校事務職員」の学校経営において果たすべき役割についても言及されている。しかしながら、これも、以上述べてきたような今日の教育委員会制度の在り方に対する反省を踏まえて用意されたというものではなく、むしろ、そうした学校経営上の組織論的観点の不足を「虚をつかれた」格好で再認識し、あわてて挿入したというのが実態のようである。
 したがって、これによって、学校事務職員をめぐる問題、例えば、国庫負担法適用除外問題、市町村職員引き上げという地方行革の問題、教員との賃金格差の問題、勤務条件あるいは研修機会等の格差の問題、県立学校や教育委員会事務局等との人事交流の問題等そのいずれをとっても、その根本的な問題解決の糸口をつかむことは困難なのではないかと思われるのである。
 
第3章 教育委員会制、一つの構想
1 戦後教育行政原理の再検討
 現代教育行政の目標原理とされるものは @教育の機会均等 A教育の中立性 B行政の能率性などがあげられる。@およびBについては、教育基本法にも明定されているものであって、特に@は、「現代公教育の中核をなす原理であり、教育行政にとっても基本的視点」とされるものである。Aは、世俗教育としての宗教的、政治的中立性を規定するものであり、特に、政治的教化教育の禁止が中心課題となっている。Bについては、これは行政一般の目標原理とされるものでもあって、特に、巨額の経費を要するに至った現代公教育の効率的運営をめざす上で、欠くべからざる視点とされるものである。当然、これらの原理は、今次教育改革においても、教育行政目標原理たるべき資格を失わない。
 しかし、教育の機会均等、教育の中立性という二つの原理は、その根底において、教育の基本的属性とも言うべき「教育の自由」の観念との厳しい相克関係を内包していることも事実であって、したがって、この緊張関係は、今日のように国民の生活文化が豊かになり、その教育ニーズが高度に多様化、個性化する時代にあっては、一層厳しいものにならざるをえない。実は、こうした緊張関係、相克関係を、いかに総合的かつ効果的に調整するかということが、今日の教育改革において教育行政改革の必要が問われる主要因となっているのである。
 では、このように、教育行政の追及すべき目標原理およびその社会的条件が定まったならば、次に、そのための教育行政改革原理(本稿では教育行政改革課題する)が定められなければならない。戦後教育改革の場合、これは先述した通り、@教育行政の民衆統制 A教育行政の一般行政からの独立 B教育行政の地方分権であった。いうまでもなく、これらは日本の戦前の教育が、教育法令の勅令主義を基礎に、中央政府の完全な統制のもとにおかれ、民衆教化のための道具と化したという歴史的反省にたち、戦後の民主国家建設の成功を担保する民主教育推進のための、制度的保証として設定されたものであった。
 ところが、こうした改革原理の上にたった戦後教育行政改革は、他の戦後改革(政治、経済改革や土地改革等)ほどにはスムースには進まなかった。@教育行政の民衆統制という考え方は、その後の、「教育委員」制度の形骸化の歴史に見る通り、その実際的な意義が疑われたし、Aの教育行政の一般行政からの独立という考え方も、日本の行政の伝統である総合行政の観点を克服できなかったし、Bの教育行政の地方分権の考え方も、戦後の日本が急速に大衆社会化を進めるなかで、国民教育としての水準の確保や教育機会の均等化のために、中央政府による教育内容・教育条件の標準化が必要となり名分化してしまった。
 こうした戦後教育行政改革の理念と現実の矛盾関係に、一応の制度的解決を与えたものが、昭和31年の「地教行法」だが、これも、教育委員会制度の現実現実機能についての厳密な調査・研究に基づいて策定されたものではなく、たぶんに、その形式的代表=実質形骸化という性格が強かったのである。そして、いよいよ今回の「臨教審」による「第三の教育改革」となるのだが、しかし、以上述べたような教育行財政改革に関する本格的提言はなく、とりわけ市町村教育委員会制度の改革については、何ら独自の提言は示されていない。
 では、なぜこのようなことになったのか、端的にいえば、第1部会の「自由化論」と第3部会の「管理強化」論との妥協の産物ということになる。前述したように「自由化論」は、あたかも、今日の公教育体制を私教育体制に改変するかのような非現実的則面を持っていたし、これに対して、第3部会は文部省の意向を受けて「適格審」や「初任者研」、「職員団休の活動の規制強化」に見る通り、「管理体制強化」の方向での改革を構想していたからである。
 つまり、この両論が、教育改革の「基本的考え方」という抽象的レベルにおいて、なんとか折り合いをつけたのが、「規制緩和」や「個性重視」ということであった訳である。また、そうした改革を具体的に推進するための、教育行財政制度のありかたについては、「自由化論」者にはその具体的構想はなく、結局、現行制度を追認するほかなく、また、文部省サイドの思惑としては、改革提言を抽象的レベルにとどめることで、その後の具体的制度改革のイニシアチブを握ろうとしたのではないかと思われる。
 こう見てくれば、「臨教審」後の教育改革の課題は、こうして抽象的レベルにとどめられ「玉虫色」化した改革理念を、現実の教育状況に照らして具体的に再把握するとともに特に、教育行財政制度のありかたについては、安易に戦後教育改革の諸原理にとらわれることなく、戦後40年間の日本の教育行政の評価と反省の上にたって、あらたに、その改革理念をうち立てる必要性がでてくる。この点、「臨教審」に限らず、今日の教育行政制度のありかたを論ずる論者の多くが、戦後教育行政改革理念の呪縛から自由になっておらず、そのために、今日の教育行政制度改革に有効な案を創出できないでいるのである。
 以下、この論述に沿って、今後の公教育管理制度のありかたについて検討する。
 まず、今日の学校批判、教員批判が「教育を受ける側」からでているとの認識にたち、「教育を受ける側の権利の回復」ということを、今次教育行政改革の第一の課題とすべきであると考える。「自由化論」者は、この点、教育サービスの供給を学校単位に自由化することを理想とし、その選択権を親・子供にゆだねるという、いわば、市場原理にもとづく教育秩序の形成を唱えたが、しかし、親の教育権は必ずしも絶対ではなく、おのずと公的立場からの制約を受ける。
 つまり、この公的立場を担うものが国であり教育委員会であり学校となるわけだが、これら「教育をする側」と「教育を受ける側」との権利・義務関係に「そご」をきたしている訳である。特に、「教育を受ける側」からみて、「教育をする側」にある学校、教育委員会、文部省などが、どのように役割分担しつつ公教育の責任を負っているのかがわからない。また、学校教育と家庭教育の領域区分も曖昧であり、また、両者間に生じたトラブルを解決するための手続きやルールも確立していない。
 つまり、今日の公教育行政を民主的にコントロールするための基本的条件が、極めて曖昧なまま放置されているのである。したがって、こうした問題を民主的なルールにしたがって解決して行くため、まず、教育における「国民主権」を明らかにすること=「教育を受ける側の権利の回復」ということが、第一の教育行政改革課題となるのである。
 また、この第一の「改革課題」を受けて、次に重要となってくる改革課題は、こうした「主権回復」によって保証される「教育を受ける側」の教育要求を、「教育をする側」がどううけとめ、それをどう組織的に処理していくかということである。つまり、教育行政上あるいは学校経営上の主体的な責任体制をどう構築するかという問題である。そして、これが、第二の教育行政改革課題となる。つまり、「教育をする側の責任体制の確立」ということである。
 また、第三の教育行政改革課題としてあげられるものが「統一的な教職員制度の確立」ということである。というのは、こうした「教育をする側の責任体制の確立」という課題の成功を担保するものが、いうまでもなく、その組織の運営を担う教職員であり、その専門的能力とモラル如何ということになるからである。実は、今日の教育委員会制度がうまく機能しないことの要因の一つには、教師以外の教育関係職員が職員制度上「教職員」としての共通基盤を持たず、また、人事上の一体性を欠いているため、その統一的なモラル形成が容易でないことをあげることができるのである。
 
 2 新しい地方公教育管理制度の在り方について、一つの構想
 
 以上で、今次教育改革における三つの教育行政改革課題を明らかにした。@「教育を受ける側」の権利の回復 A「教育をする側」の責任体制の確立 B統一的な教職員制度の確立、の三点がそれである。以下、この三つの改革課題にもとづいて、あたらしい地方の教育行政制度のありかたを構想したい。
「臨教審」の答申内容を、こうした観点からみると、これらの課題にかかわる具体的な提言が乏しく、おざなりな感じがするのは否めない。これにたいして、「女性民教審」の提言をみると、提言全体の整合性に欠けるところはあるものの、改革の視点に的確なものがあり、かつ、具体的、現実的であって納得させられるものが多い。
 「民放審」は、@の原理にかかわって、「父母と教師の信頼を回復する」と称し、内申書の改革や、児童・生徒や家庭のプライバシーの保護の必要を提言している。また、「管理・体罰をなくするために」という項では、「学校憲章」を制定して児童・生徒や親の権利、また教師の権利を明確にする必要があることや、学校のきまり・規則の行き過ぎを改めるための「きまり委員会」を設置すること、などを提言している。さらに、「問題を解決するために」と題して子供や親、または、教師に苦情がある場合は、その訴えや異議申し立てを受けて問題解決をはかるための「苦情処理委員会」を学校や地教委に設置すべきことを提言している。また、「学校を地域に開くために」という項では、学校に子供を通わしていない地域の人々にも、納税者あるいは主権者として地域の教育に参加する権利を保証するため、教育委員会と学校が、地域住民に対し情報公開のための広報活動をすることを義務づけたり、教師を地域の行事に参加きせたり、また、地域住民を学校行事に参加きせたり、さらに地域住民を「教育ヘルパー」として学校教育に参加きせること等を提言している。そして、「住民の声を教育行政に」の項では教育委員会の活性化のために教育委員を直接住民の手で選ぶ方策を提言し、また、教育委員の定数を5人から11人の幅で選べるようにすること、教育長の承認制を廃止すること、教育委員会の財政権復活を再検討すること等を提言している。
 これらの提言は、それぞれ十分傾聴に値する提言であり、「教育を受ける側の権利」を保障する上で有効と考えられるものである。しかし、おしむらくは、「民教蕃」も地方公教育管理制度の在り方としては、臨教審と同じく戦後教育改革の理念を形式的に踏襲しており、地方公教育管理制度のありかたを見直す視点をいまだ持つに至っていない。われわれのみるところ、現行の教育委員会制度をそのまま維持する限り、たとえ、教育委員の公選制を復活したとしても、本格的な、地域の教育(学校)経営機関としての教育委員会の活性化、つまり、その民主的な学校経営管理能力の改善・充実ということばあり得ないのではないかと思われるのである。
 なぜならば、仮に教育委員の公選制が復活し、そこに地域住民の教育意思が反映されたとしても、それを実施に移すのは教育委員会事務局および学校であり、したがって、それを現状のまま放置したのでは、一部の大都市の教育委員会は別としても、その活性化の余地はばとんどないと思われるからである。また、市町村教育委員会の場合、その事務局職員は、一部指導主事を除いて、教育(学校)経営の訓練を受けることはなく、また、これらの事務局職員のモラルを改善するためには、長部局との積極的な人事交流をはからざるをえず、これが、事務局職員の学校経営上の専門的能力の獲得を一層困敷こしているからである。
 こう考えてくると、第一の教育行政改革課題である「教育を受ける側の権利の回復」をうけ、第二の課題である「教育をする側の責任休制」を確立するためには、そのための十分な経営能力をもつ教育(学校)経営機関を、あらたに構想する必要がでてくる。それは必ずしも、戦後教育行政改革原理にのみとらわれない、その後の民主的国民教育の経験に注意深く学んで案出さるべきものである。それと同時に、「教育を受ける側」の教育要求にも柔軟に対応しうる、聞かれた教育(学校)経営システムでなければならないのである。
 そこで、私たちの望ましいと考える地方公教育管理制度について、その概要を説明したい。
 (1)公教育管理における国と地方の役割分担について
 国は、教育基準の大綱の設定と、長期的総合的な教育計画の策定や、教育内容・方法、施設・設備等に関する専門的研究開発、それにもとづく地方教育に対する指導・助言をその主たる役割とする。
 一方、地方の教育(学校)経営機関としては、現在の市町村レベルの教育委員会は廃止し、大体数十万前後の人口規模の「中間教育区」(現在の「教育事務所」管区、あるいは広域市町村圏域などが考えられる)に専門的学校経営機関(地方教育局と仮称する)を設置する。このレベルに再設置された地方教育局の教育事務の所掌範囲は、幼稚園から小中学校、高校までの学校経営にかかわる教育事務のすべてを処理するものとする。また、
学校施設・設備管理事務およひ学籍事務は市町村自治体の管理下におく。(もちろん地方教育局内にもそれら関する専門的事項を取り扱う担当課を設ける)
 なお、現在の市町村教育委員会の所掌事務のうち、社会教育(保健体育課等の事務も含む)に関する事務は、より地縁性が高いので市町村自治体の所管とするが、従来、それらの課が処理してきた学校教育にかかわる事務は、前述した地方教育局の所管に移す。もちろん、この社会教育分野は、今回の「臨教審」が提示した、「生涯学習体系への移行」と言う考え方に示されている通り、市町村自治体レベルのみで完結するものではなく、そこを基盤としつつもより広範な府県レベルでの組織化が必要とされるものである。本試案では市町村レベルにおいては、社会教育と学校数育とを区別し、その所管を分離したが、府県レベルにおいては、それらは、都道府県教育庁による総合的教育・文化行政の中に統合されるのである。
 
 (2) 地方教育行政における各機関の役割分担について
 地方教育局を地域の学校経営の専門機関とすることを基本に、その総合調整機関である府県教育庁を設置する。地方の教育・文化行政の総合調整、教職員人事・給与・勤務条件の総合調整、教育内容・方法の専門的研究・研修など、おおむね従来と同様な横能を持たせる。ただし、県立高校に対する学校経営権は地方教育局に委譲される。また、地方教育局との関係は、各種の教育行政基準にかかわる事項のほかは監督的立場にはたたない。
 市町村自治体には、当該所管に属する学校(幼稚園・小・中学校)の施設・設備管理権および児童・生徒の学籍に関する管理権(住民の戸籍管理の一環とみなすことができるため)を委譲するほか、従来通り、地域の文化行政を担当する課を設ける。施設・設備管理は建築課、学籍管理は「市民課」、その他文化行政は「生涯教育課」などを長部局のなかに含めて設置するのである。
 そこで、最も大きな問題となるのが、この長部局と、その地域の地方教育局との関係であるが、地方教育行政の基本理念は、あくまで、地域住民による民主的コントロールというものであるべきなので、この両者間、および、それらと地域住民との直接的関係を制度的に保障しておかなければならない。そして、この両者間の調整機能を担う機関として考えられるのが、合議制の教育委員会であってよく、その構成は、地域住民代表、自治体代表、教育局代表、議会代表等が考えられるのである。もちろん、その委員の定数は十人前後と弾力的に考えられてよい。また、委員の選任の方法も、準公選制も含め最も有効な方法が考えられるべきである。
 現行教育委員会制度は、教育委員によって構成される合議制の教育委員会と、教育委員会事務局とで構成され、地教行法23条に列記する教育事務のすべてにわたって、前者が後者を指揮監督することになっている。しかし、新設の地方教育委員会の場合は、学校教育事務の執行機関が地方教育局に統括され、市町村自治体は、社会教育分野を管理するほか地方教育局に対して財政上の影響力を行使することになるので、地方教育委員会の主たる機能は、この地方教育局と市町村自治体との関係を媒介すると同時に、その地域の教育文化事業に対する総合調整機能を果たすことにおかれるのである。従って、そのための必要な権限が付与されなければならない。例えば、学校教育予算、あるいは教育文化事業における長に対する「勧告権」などが認められるべきである。
 また、教育予算についてであるが、幼稚園及び小・中学校の教育予算(学校運営にかかわる予算が中心となる)については、地方教育区を構成する自治体の拠出とする。従来、この自治体間の費用負担の按分が困難とされてきたが、特に問題が大きい施設・設備費については、その管理権が長部局にゆだねてあるので問題はない。また、学校運営費については標準運営費等による合理的な予算配分がある程度可能であり、調整のつかぬ問題とは思われない。当然、この予算の按分調整の権限も、新設の地方教育委員会にゆだねられるのである。
 また、この学校運営予算の執行権は、自治体の長ではなく、地方教育局の教育局長に委譲さるべきである。なお、県立学校の教育費の拠出は、従来と同様、府県となり、地方教育局との財務上の関係は、それと市町村の関係に準じて調整される。
 
 (3) 統一的教職員制度の確立
 以上の通り、教育行政における文部省、府県教育庁、地方教育局、地方教育委員会の機能分担と事務配分が定まったならば、残された課題ほ、その地方教育行政の教育事務を担う教職員制度をどうするかという問題である。現行の教職員制度は、教員以外は県職員、県費負担事務職員、市町村職員など、任命権者を異にする職が複雑に交錯し、その有機的な協力・協同関係がばとんど調達不可能な状況下におかれている。また、市町村教委事務局職員は、市町村の一般職員であって、学校経営上の教育訓練を受けることもなく、短期の任用の後長部局に帰還するため、市町村教育委員会の、学校経営の専門的機関としての学校に対する指導性の確立は容易ではなかった。
 このような反省にたち、新しい地方教育局の事務局職員は、管下の教育機関さらに府県教育庁管下の職場に勤務する事務職員を含め、県費負担による「教育事務職員」制度によって統一さるべきである。この「教育事務職員」は、教員等とともに「教職員」としての身分を共有し、人事、勤携条件、服務、研修等においても教員との妥当なバランスがはかられる。